コラボ会の始まり
日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の生活や、その中で感じたことなどをありのままシェアする番組です。
配信は不定期です。ぜひ番組をフォローしてもらえると嬉しいです。
今回は、夫婦関係学ラジオのアツさんとのコラボ会です。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。ありがとうございます。
実は、前編後編に分かれてまして、前編は、アツさんの夫婦関係学ラジオの方で配信となっておりまして、
今回後編になっております。
はい。
お声掛けいただいてありがとうございます。
いやいや、こちらこそありがとうございます。受けてくださって。お子さん産まれたばっかりなので。ありがとうございます。めっちゃお忙しいと思いますけど。
いえいえいえ、本当に嬉しかったです。このコラボのお声掛けいただいて。
いやいや、こちらこそ。
今回は、アツさんの方でこういう話聞いてみたいなっていうのをなんとかんがえてくださっていて、
それに私が答えるだけでいいという、私フレンドリーな仕様にしていただいております。ありがとうございます。
前半の方で、僕の方でお話いただいたのが、キリスト教の愛の教えと、アメリカの方々、特にテキサスの方ですよね。そのテキサスのキリスト教徒の方が、
キリストの愛というのを日常生活にどう応用しているのかとか、夫婦関係にどういった影響があるのかっていうのを、前半でお聞きをしてました。
かよこさんの日々中ずんまの方で、以前お話されたところと似たところは結構あると思うんですけど、
テキサスにおける夫婦のあり方とかっていうのは、新しいお話だったのかなと思うので、ぜひ聞いていただきたいなと思ってます。
ぜひぜひ、皆さんリンクも貼っておきますので、夫婦関係のクラジオの方も聞いてみてください。
家族との生活の変化
後編の方では、かよこさんご自身のお話をお聞きしたいなと思っていて、結婚されてアメリカに夫さんのお仕事で中ずんまとして行かれて、
キリスト教を学ばれて、2人目もその現地で出産されて、いろんなこの家族が変わっていったと思うんですけど、
僕の知っている仲材の方たちはことごとく関係性が悪化してたりとかしてて、
僕の観測範囲の知り合いの方たちは、みんな一腹、二腹ある方が多くて、
わかります。
いろいろあったんじゃないかなと思うんですけど、今家族と仲良く暮らされている、その夫婦関係がどのように変わっていったのかなっていうのを知りたいなと思ってて、
一番最初のアメリカに行かれる前っていうのは、夫婦関係はどういった感じだったんですか?
私たち付き合って結婚するまでまず7年ぐらい付き合っていて、長いですよね。
恋人兼親友みたいな関係性で、ものすごく仲も良くて、ケンカも年に1回とか2回とかっていう状況の中で結婚して、
娘を産んで、娘が産まれて生後6ヶ月で夫が単身婦人でアメリカに渡ったんですね。
そんな時期だったんですね。
そうなんですよ。
半年だったんですね。
そうなんですよ。1年間のトレーニング、研修っていう名目で、1年限定なので家族の帯同も付加っていうのが会社からの規定で、
生後6ヶ月から1歳半まで一人で子育てをして、
大変じゃなかったですか?
めちゃくちゃ大変で、本当に地獄でしたね。
地獄でした。
コロナだったのもあって。
あ、そっか。コロナか。めっちゃ大変な時期ですね。
コロナもあって、実家も新幹線の距離で、ギリの実家も遠くて、なので頼れるところもあまりなく。
確かに。友達とかも来てもらえないですよね。
そうなんですよ。コロナなんで。特に探り探りなんで、会ってもいい?良くない?やめとく?みたいな温度感だったり。
バリームスタイルが好き。
そうなんですよ。
そんな中、後半数ヶ月は復職もしたので、完全にワンオペで、時短で働きつつ娘を育てて、
夫がやっと帰ってくるって思ったら、通常は1年で帰ってきて、そのまま日本で勤務なんですけど、
前例はないけど、そのまま駐在になりますということになって、
帰ってこなかったんですね。
帰ってこなかったんですね。一時帰国はしたんですけど、行きっぱなしになって、ただ駐在になると家族も帯同できますと。
私としては自分のキャリアが日本にあったので、それを継続していくつもりで、
時短で復職もしてたんですけど、ワンオペの日々が辛すぎて、いっぱいいっぱいすぎて生きていくのが、
一回働きたくない、やめたいっていう気持ちがパンパンまで膨らんでて、この現実から逃げたいっていう気持ちが強すぎて、
駐在になるけどどうする?って夫は、私がキャリアを大事にしてることも分かってたんで、
駐在を断るっていう選択肢もあるけど、どうしたいかって時に、
そうなんですね。
もう行く行く行くって感じで、行きますって。
もう一旦不安はあるけど、ちょっとこの生活無理だわ日本でっていうのを思って、アメリカに来て、
やっぱりキャリアが中断することへの恐怖が凄まじかったので、
それは凄い強かったんですね。キャリアの断絶の恐怖が。
強かったですね。
その仕事にまた戻れないんじゃないかとか、他の仕事と他の会社であったとしても、また働けないんじゃないかっていう恐怖感があった。
夫婦のコミュニケーション
そういう間が空いちゃうから、何か置いてかれるような気がしたんですか?
そうですね。私が元々働いていたのが、転職エージェントだったんですよ。
なので、30代で数年働かない空白期間がある女性が帰ってきて、再就職。
かつ同じレベルの年収とか、業務内容で再就職する難しさみたいなものをすごく感じていて、
当時の上司にも駐在に帯同するときに、絶対に職歴を絶やすなと。絶対に何かしら働いた方がいい。
向こうで、インターンとかですごい低い年収とかでもいいから、アメリカでこういうことやってましたっていうのを絶対作っときなよっていうのは、
もうその上司は30年とか人材業界にいたので、
ベテランですね。
ベテランって言われて、自分自身も人事として働いていて、面接する立場だったのと、会社が転職エージェントで、いろんな方の話を聞いてたので、
これは、ただ駐居妻として数年間いるだけだと、帰ってきてからが厳しいっていうのを思ってたので、すごい恐怖してたんですよね。途絶えるっていうのが。
アメリカに行って、駐在の駐居妻としてだと働けるんですか?
ビザによるんですよ。私のビザは働けるビザだったので、
あー良かったですね。
そうなんですよ。で、アメリカで働こうと思ってたんですけど、
いろんな御縁があって、フルリモートで日本の会社で働くっていうことになって、
ただ時差が15時間とかあるので、
確かに。
今日も私は朝、アツさんは本当真夜中で収録していただいてる。
もうすぐ12時になるわけですね。
そうですよね。こんな遅い時間に。
いやいやいや。
で、仕事だとこの遅い時間にミーティングしてくれないじゃないですか。
確かに。
ちょっと12時からお願いしますとか言えないので。
そうですね。
どうしても仕事だと私が遅くなるんですね。
日中ある程度働いて、夜のオペレーションを全部して、
全部って言ってもご飯だけして、夜の7時からは私は別室に行って、仕事して会議します。
夜の7時から10時までは働いて。
つまり夫は8時間働いた後、家に帰ってきて晩ご飯食べたら3時間ワンオペなんですよ。
すごいな。
きついですよね。
すごいですね。
きついですよね。かなり。
その時、お子さん何歳ぐらいだったんですか?
当時は2歳ですね。
2歳。
2歳から2年ぐらい。
まだまだ手もかかるし、
最初の頃は何か分かってないから、
なんかお母さんいなくなるなって感じだったのが、
3歳とかになると、ドアを開けて入ってきたり、
ドアに鍵をかけると号泣したり、
寝かしつけたいんだけど、10時まで待てばお母さん帰ってくるっていうのが、
一度でも分かってしまうと、ずっと待っちゃって、
夫は寝かしつけさえできれば自分の時間なんですけど、
それもできなくて10時まで疲弊して、
ただただぐったりした夫と娘、帰ってきたらがいて、
私も今めちゃめちゃ働いてきて、
母って思ってるけど、そっから娘の寝かしつけ、後退してみたいな。
なるほど。めっちゃしんどい時期ですね。
しんどくて、夫はやっぱり私がある種キャリアを犠牲にして、
来てくれたし、1年間私にワンオペさせてるのは申し訳ないってすごく思ってくれたので、
自分がここで頑張って、
家族を働きたいなら働かせようって思ってくれてたんですけど、
ですけど、やっぱり限界きますよね、この働き方。
そうですよね。そんな昼間ずっと働いてね、
7時から10時までまたワンオペで見て、
確かにね、しんどいですね。
そうなんですよ。
本当にさっきあったさんが、
駐在ファミリーは一波乱二波乱あるっていうのをおっしゃってましたけど。
うちみたいな例もそんなにないと思うんですけど、
そうじゃなくてもね、お互いに親族も友達もいなくて、
言葉も通じないところで苦しい中で、
かつ夫だってものすごい英語がペラペラで、
なんのなんもなく働けるぜってわけでもなくて、
自分のキャリアも頑張らなきゃいけない中で妻も支えて、
妻も必死でっていう中で、
本当にそれまでは全然喧嘩もしたことなく、
親友みたいな夫婦があったのが、
めちゃめちゃ喧嘩増えるみたいになってきて、
この波はなんなんだっていうぐらい、
波乱に次ぐ波乱っていう感じで、
アメリカ来てからは。
例えばどういったことで喧嘩になったりとか。
私は察することが苦手で、
全部言ってほしいんですよね。
夫は察するのが得意で、
こうしてあげたら喜ぶだろうなってことを、
ストレスなく相手にちゃんとできて、
ただその代わり、
これが嫌だとかをストレートに言うのが苦手。
なのでそうすると、
夫がどんどんストレスが溜まっていくっていうのを我慢しちゃう。
吐き出し口がなくなっちゃう。
日本だったら、
友達と飲みに行くとか、
同僚と飲みに行くとかができたのが、
そういうこともできなくなって、
吐き口がなくなって、
どんどん溜め込んで、
特別な原因で爆発するときもあれば、
溜めて溜めて溜めて、
最後の1個で、
なんでそんなに気が使えないのっていうのに爆発する。
本当に些細なこと。
例えば私が玄関に積まれている、
使用済みの段ボールをいつまでも捨てない。
捨てるのはいつも夫。
なるほど。
本当に些細なところがきっかけになっちゃうんですね。
そもそも火薬はさ、
お掃除ロボットのゴミを捨てることもないし、
そういうことに始まっていくんですよね。
夫婦のコミュニケーション
捨ててって言ってくれたら捨てるのにって思うんですけど、
そんなことまで言わなきゃいけないの?
そんなことまで言わないと分かんないの?
分かんない。
だってお掃除ロボットのこと考えてないから、
人生の中でとか、
私別にお掃除ロボットなくてもいいしみたいな。
お子さんが生まれる前もそういった感じだったんです。
夫さんがすごく気が使うタイプで、
かよこさんがちょっと正反対なタイプで、
お掃除ロボットのゴミのことは?みたいな感じのが、
昔からそうだった。
それがあんまり覚えてないんですけど、
喧嘩の時に夫に、
こんな人じゃなかったと思うって言われたことがあって。
そうなんだ。以前と変わってる。
そうですね。
私の仮説としては、
1年間のワンオペで、
私は本当にハッピーに生きていれば、
合格っていう生き方をずっと1年間繰り返したんですよね。
子供を死なせない。自分が鬱にならない。
家が汚れててもどうでもいいし、
衛生的であれば、物が散らかってても、
それよりは寝る。楽しむ。
っていうことばっかりにフォーカスして、
1年間ずっと過ごしてきて。
一方とは、1人で1年間、
孤独とか慣れない環境と戦いながらですけど、
ある意味、家は全部自分の思う通りに
オーガナイズされてますよね。
自分の一人暮らしで、時間に追われてなくて。
ある時は、
アマゾンプライムの新作めっちゃ面白かったけど、見た?とか言われて。
で、私もうぶち切れましたもんね。
アマゾンプライム見てる時間なんかないんだよ、こっちには。みたいな。
そこの中で、私が何か気を使って家をきれいにしようとか、
もっとより良い暮らしにしていこう、
みたいな意識がどんどんどんどん下がって。
で、夫の方は、ストレスのかかる環境下で、
家の中の時間をもっと快適にしようとか、
良くしていこうっていう方の感度が上がっていって、
1年越しに再開したら、あれ?みたいになってたのかなって。
ストレスなのか。
かやこさんが、その1年間を子供を死なせないようにしよう。
身の中をきれいにするとかじゃなくて、
睡眠が大事、命大事、みたいなモードになってた。
っていうのは、夫さんは気づいてなかったというか、
俺聞いてないし、みたいな感じだったんですか。
そうですね。そこをあえて。
そういうモードで生きてると知らなかったんですよね。
そうそう、そういうモードで生きてるっていうのを、
全然たぶん知らなかったし、
私も自分がそういうモードになっているっていうのを、
改めて気づいてもなかった。
なるほど、そっか。自然に自分はそういう行動を取ってただけだったんですね。
そうですね。
そうしようと思ったわけじゃなかった。
そうですね。それまでは、もともとたぶん気にしない性格だけど、
そこにおもちゃが散らかってても、
2人の時は時間もあるし、
なんとなく夫が片付けてて、私も片付けるとかしてたのが、
目の前で片付けてくれる他の人もいなくなって、
もっとプライオリティの高いことができて、
全然しなくなって、
夫からすると、あれ?ってなったのかなと。
なるほど、そっか。お互いのその、
行動の基準みたいなものが変わっているっていうことに、
なかなか気づけなかったし、
言うこともなかった。
そもそも自分が気がついてなければ言えないわけなんで。
そうですね。
ストレスと育児の影響
ですよね。
それはどうやってそこを乗り越えていったんですか?
そうですね。ある意味で、
駐在っていう逃げ場のない環境が、
確かに。
良かったかなと、向き合うしかないっていうのがあったのと、
実家に帰るわけにはいかないですね。
そうなんですよ。
もう辞めてやるとかもできないし、
アメリカの環境が娘にとってものすごくいいっていうのも、
教育的に分かっていたので、
やっぱり英語が喋れるようになったりとか、
主体性が育ったりとかっていうところを見ていて、
なるべくアメリカにいたいっていう気持ちが、
教育の観点ではあったので、
もしかしたら日本にいたら、
実家に帰らせていただきますみたいな風になったかもしれない局面でも、
それを選べなかったっていうところはまず一つあるのと、
それこそ結構キリスト教の聖書を学んだのは、
自分の中では結構いい加点になったかなと。
例えば夫と揉めて、
もう私なんて誰からも愛されてないし、
冷静な自分はそうじゃないって分かってるじゃないですか。
もう一人の自分は、
夫は別にあなたのことを愛してないわけではないとか分かってるけれども、
それでも勝手に惨めな悲劇のヒロインみたいな気持ちになってうつうつと。
気持ちが自然でいくときありますもんね。
時に本当にふと、
キリスト教の教えみたいなのが心に浮かんでくる時が、
私なんて誰にも愛されてないって今すごい思ったけど、
キリスト教徒に沿ってこういう時に、
でも神様は私のことを愛してくれてるって思うんだなとか思い出すようになって。
結構それは自分を守ってくれたというか、
神秘的な味方になってくれた安全基地みたいな感じだったんですか。
もうありますね。
あとは聖書の話を勉強する中で対話していくんですよね。
キリスト教は今回マナブショーでは、
イエスキリストはこういうことを大事にしましょうって言ってるよっていうのを話したときに、
普段の生活の中ではこういうことに当てはまるよねとか私が言っていくんですけど、
でもそういう時にちょっと冗談めかして、
ちょっと夫とボメててさ、こうこうこうで自分はそういう悲しい気持ちになってて、
とか言って言うと、
教えてくれてるおばあちゃんが、
でも旦那さんはあなたのことを愛してるっていうのは分かってるでしょっていう風に一言言ってくれるときに、
それがキリスト教とどう関係あるか分からないですけど、
分かってるのに分かってないというか、
つらいときは見てみぬふりしちゃうというか。
確かに確かに。
かやこさん自身も夫が私のことを愛してるってことは、
どっかで気づいてる、分かってることを認められなかったけど、
見えてなかったけど、確かにそれあったなと感じられたんですか?
おばあちゃんの言葉で。
そうですね。
常日頃の生活で愛されてるってのは分かるはずなんだけど、
やっぱ一つの揉め事が起きたときに、
この人って私のことめちゃめちゃ嫌いなんじゃないのっていう風に、
例えば思って落ち込んでしまったときに、
もうそのことしか見えなくなって、
他の与えられてきたものに目が向かない、
なってしまったときに、そうじゃないでしょっていう言葉をもらって、
ほんと涙出そうになるというか、
私ってこんなこともしてもらってる、こういうこともしてもらってるのに、
してもらってないところにフォーカスをして、
悲しい気持ちになっちゃってるよねっていう。
やっぱキリスト教の聖書の中で、
イエス・キリストがどんな人に対しても、
自分のことを信じてる人限定ですけど、
信者限定ではありますけど、
信じる者は救われるってよく言いますけど、
信じてくれる人に対してわけ隔てなく愛を与えていて、
その聖書の時代でいくと、身分の差別とかたくさんあるんですよね。
こういう人には話しかけないとか、みんな避けて通っていくとか。
そんなことも書いてある。
ありますあります。そこの時代背景を知らないと、
なんでこの人に対してこんなみんな冷たいの?ってなるので、
教えてもらわないと、聖書って本当の意味でわからないんですけど、
例えば当時だと、ローマ人はそのユダヤ人に対して支配しようとしていたので、
そこにユダヤ人を抗おうとしていたみたいな背景とかが、
あって、ユダヤ人を見下していたローマ人でさえ、
キリストを最後は頼ってきたみたいなエピソードとかだと、
そういう立場の人にも目覚められるんだって分かったりとかする、
いうようなものもあるんですけど、それでキリストはそこにわけ隔てなく、
お前はローマ人だから助けないとか、お前は汚れた地の出身だから助けないとか、
聖書の教えと愛
そういうこともしない、みたいな教えとかを引いているうちに、
ギブに向いていくんですよね、自分の目が。
なるほど、なるほど。自分のそういった思考も変わってくるんですね。
やっぱりしてもらったことっていうのを、もっと考えないといけないなっていう風になっていくんですよね。
どうしても自分にとって辛い状況とか、自分の至らない点を夫に指摘されたりとかすると、
あなただってできてないじゃないって思いたくなったりとか、
できてない私のことも認めてよとか、
自己防衛本能みたいなのが働くじゃないですか。
ないます、ないます。自分守ろうとします。
なんで私のことわかってくれないとか、もっとこうしてくれたっていいじゃないかって思うんだけど、
そもそもすごいしてくれてるよねっていうのを考えるようになったのは、
聖書を学んでそういう考え方をインストールしたっていうのは大きいのかなって思いますね。
それ以降は争い事があった時とかも、
いや、誘導してもらってたなとか、
いや、この人はちゃんと私のこと愛してくれてるなっていう風に思い直すことで、
喧嘩とサイクルっていうのは減っていった感じ?
そうですね。かなり私自身が一旦仕事を辞めて、
生活にやっぱりゆとりを取り戻そうとした改善っていうのもありますし、
生活の中でも、私自身もなんでこんなわかってもらえないのとか、
私は私のままであって、あなたが変わりなさいよみたいな。
よくありがちですよね。
私に変わってって求めるんじゃなくて、
あなたが変わることでまずあなたの不満を解消して、
私は別にそこに問題を感じてないのにみたいな風に思ってたんですけど、
なんかそこばっかりにフォーカスしても、自体は何も良くならないし、
本当に家族っていう一つの愛を育てていくんだったら、
自分はどうしたらいいんだろうかっていうのを、
全然できてないんですけど、
全然できてないのに夫が放送を聞いたら、
え?って思うかもしれないんですけど、
少しは考えるようになって、
喧嘩の後も脳内で夫をずっと責めるわけではなく、
夫婦の関係性の変化
少しは考えるっていうことが、やっぱできるようになって、
すごいな、それだいぶ大きな変化ですね。
だいぶ大きいと思います。
大きいですよね。
今、実際お子さん2人目生まれて、
1人目のときの悪夢最大みたいな感じには、
なってない感じ。
なってないですね。
で、夫もその1ヶ月コミットもあって、
深夜の、やっぱり夜泣きが一番きついんですよ、私的には。
寝すときに。
ほんとに、授乳以外はほぼほぼ、
全部やってくれるぐらいの感じだったので、
そこにすごく感謝してて、
うちの夫ってテニスが趣味で、
週に2回、2時間ずつテニスを。
結構行きますね。
そうなんですよ、結構行って。
で、そのテニスは、
テニスは、
それも、もちろん赤ちゃんがいる間は、
しばらくは行かないよっていう風に言ってて、
なんかそこに対しても、
この人はそれでストレスを抱えて、
つらいんじゃないかな、
なんか、行ったらいいんじゃないかな、
なんか頑張ってみようかな、1オペって思って、
1オペで、
1オペで、1オペで、
1オペで、1オペで、
1オペで、1オペで、
頑張ってみようかな、1オペって思えるくらい自然と。
全然行かないで欲しいんですけど、
全然行かないで欲しいけど、つらいから。
行くって言ったら、行くの?ってなるけど、
早めに帰ってきてよってなるけど、
なんかでも、それでハッピーになるんだったら、
行ったらいいんじゃないかなっていう風に、
自然と思えるようになってきたのも、
彼のギブをちゃんと受け止めているからこそ、
自分もって思えてるのかなと。
なるほど、それは大きいですね。
ちなみに、かやこさんとおっとさんは、
付き合いが長くて、
親友のような関係だったって、
おっしゃってたじゃないですか。
出会った時の親友のような関係性、
そして、結婚して子供が生まれて、
変化に名前をつけるとしたら、
何になるのかな、
例えば、最初は親友じゃないですか。
結婚した後も、子供生まれた後も、
今も親友っていう感じなんですか?
抱いてるイメージ、感覚っていうのって。
今になった、親友ですかね。
ランクアップしましたね。
戦ってきた。
でも、お互いも戦ってるけど。
そうですね。
同盟国であり、
親友であり、みたいな感じですね。
国は違うけど、
同盟は結んでて、
ちょいちょい国境境で、
国境でいさかいはあったりとかはするけど、
あるけど、基本は一緒に戦ってきて、
仲材という戦いも、
育児も、
乗り越えてきたなっていう感じはありますね。
自己分析と内政の重要性
いいですね、親友。
過去を振り返った時に、
さっきのギブの話になるのかなとは思うんですけど、
自分たちの夫婦関係を、
より良い方向へ導いてくれたものっていうのは、
何だと思います?
何だろうな。
聖書もあるとは思うんですけど、
私は基本的に内政が好きなんですよね。
自分自身の。
自分の感情を振り返るってことですか。
そうですね。
喧嘩したりとか、
夫に言われたことで深く傷ついたりとかした時に、
なぜ自分は傷ついて、
どの部分に傷ついて、
何が嫌だったんだろう、
どうだったら良かったんだろうっていうのを、
とことん考え尽くすんですね、私は。
すごいですね。
なんか癖みたいなもん。
考えずにいられないんですけど、
この癖は、辛くはあるんですけど、
傷ついたことを反省するので。
確かに。
そこで自分自身がそういう傷を消化する、
何だろう。
プロセスになっているのかな。
そうです。プロセスとして必要なものでもあって、
ってことは、今度からこうしたら良いのかなっていうことを発見して、
伝えることができれば夫にも伝えて、
っていうことを繰り返していったことと、
ちゃんと相手からの義務に気づいたこと、
そして、簡単に逃げられない環境にいたこと。
っていうのと、どういうことに基づいて、
こう考えるようになったか分からないですけど、
夫婦ってコミュニケーションと人間関係構築の、
一番の鍛錬の場だなと思いまして、
これが恋人なら別れれば良いし、
友達なら踏み込まなければ良いし、
もう親であっても、そこまで言わない、
分からないんだったら良いかってするところを、
分かって欲しい、分かりたい。
もう良いって諦められない。
これからも人生一緒に過ごすなら。
って思った時に、もうここが、
私の人間としての成長の機会だなっていうのは、
いつも苦しい場面になる度に、
ここでしか自分は成長できないという感じに。
修行僧みたい。
修行中の武士みたいですね。
確かに誰かに武士みたいって言われたことある。
宮本武蔵みたいですね。
宮本武蔵みたいって前も言われたことある。
本当そのまんまですって、
宮本武蔵みたいですね。
強いものを求めて戦い続けるアメリカ人。
全然成長したいとか思ってないんですけど、
仕事とかにおいては。
人間性の鍛錬としては、
夫婦ってこれ以上ない場面で。
自分がすごく未熟であるということは自覚しているので、
その場面でしか自分はこういう悩みとかに向き合うことはないだろうって思ってて。
好奇心を持つことの意義
まだ早い。諦めるにはまだいけるみたいな気持ち。
すごいな。成長欲が強いとか、好奇心が強いとかっていうのもあるんですか?
そうですね。好奇心は強いですね。かなり。
成長意欲はそんななんか、社会でいうとリクルートみたいなの全然ないんですけど。
人間性っていうのは興味あるのかもしれないですね。
人間どうなるんだろうっていうのが。
それじゃあ夫婦の置き換えると、
夫がこう言ってたけど、この言葉の意味は何なんだろうとか、
これを言っている夫の真理は何なんだろうとか、
なぜこれを言ったのだろうか、
そして私はそれを言われて、なぜこう感じたんだろうかみたいなところまで置いていく感じ?
そうですね。勝手に思っていることなので、夫が聞いたら本当にハッと思うかもしれないんですけど、
結局彼が怒っているのは、私の愛情不足なのかもとか、
その愛情表現の不足、そのちっちゃい行動一つ一つではなくて、
家族とか彼に対する私の愛情みたいなものを全然受け取れない、感じ取れないっていうのが根本にあるのかもとか、
じゃあそれを気づいてどうしようかとか。
表現していこうかとか、アクションを変えていく。
そうですね。
夫婦関係を改善した方とか、夫婦関係のサービスをやっている方に話を聞くと、
好奇心、あと心理師さんも言ってましたね。カップルサラピストの心理師さんも言ってましたけど、
相手に好奇心を持つっていうことが大事だって、みんな言うんですよ。
そうなんですね。
家族と同じことをみんな言ってて、好奇心を持とうと言って、そもそもそれが持てないからこじれてるっていうケースが多いんだけど、
どうやったらパートナーに対して好奇心を持てるのかっていうのは、僕も知りたいなと思っているテーマの一つだったりするんだけど、
なんでかよくさんは夫さんのことにそこまで好奇心を持てるんだろう?自分の性格だからですかね。
なるほど。でも、努力はいりますよね。
ほっておいて好きなままにしていいよって言われたら、本当に自分の趣味に走ってしまうというか、
発信が好きなので、ポッドキャストしてノート書いて、好きな本読んで好きな番組見てってなってしまうんだけれども、
でもそこは意識してますね。
それはなんでなんだろうかっていう、考えようとしてるってことですか?
考えようとしてる。そうですね。だし根本の性格もあると思います。
なんかなんで言うんだろうってすごい気になります。この発言は。
なんでそう考えたんだろうっていうのは、おそらく人事をしていて、人事は結構転職だったと思ってるんですけど、
自分の人生しか生きられないじゃないですか、人間は。当たり前ですけど。そうすると自分の考え方に凝り固まって、
自分の選んだ体験っていうのをどんどんしていくんですけど、人事としていろんな人の人生を聞いていくと、
あ、そこでそう考えてそう選ぶんだ。私そう考えないなーっていうこと結構あるんですよ。
その経験に対してそうリアクションするのとかをやると、人の人生をちょっとインストールしていくじゃないですか。
そんな考え方あるんだってびっくりしちゃって。
そう思うと人間って本当に一つの事象に対して全然違うリアクションするんだなっていう驚きみたいなものを今までにいっぱい繰り返しているから、
じゃあ夫はどういう考え価値観に基づいてこういうリアクションしてるんだろうっていうその根源は知りたくなるし、
なんなら深掘りしたくなりますよね。やっぱり幼少期の体験なんじゃないとか。
親にこう言われたからなんじゃないとか。そういうのの興味はもともとの性格かもしれないですね。
なるほど。仕事のことも結構確かにありそうですね。いろんな方の事例を見てるから、
これが起こったらこう思うべきとか、これが起こったらこうすべきとか、これが一つの真理だろうみたいな。
っていうのがかやこさんの中にはなくて、いろんな人がその一つの事象に対していろんなことを思うよね。
それが当たり前だよねっていう前提に立っているから、夫の反応とかに関しても、私と同じじゃないの?とかって風にならないってことですね。
そうですね。話し聞きながら思ったのは、自分にもめっちゃ興味があるからかなと。
自分自身もなんでこんな風に言うんだろうっていうのを考えていくと、
あ、小さい時にお母さんとこういうことがあったからみたいな風に思ったことがいっぱいあって。
セルフカウンセリングみたい。
そうですね。それをめちゃくちゃやってて。
なので自分の中にすごいストックがあるんですよ。自分のこういう性格は幼少期のこういう体験から来てるなっていう。
自己分析が大量にあって、そうなると、あ、夫がここでこういうリアクションするのって、私の場合だとこういう幼少期の体験に基づいてるから、
夫の場合もそうなんじゃないかな?とか、夫の場合はどうなんだろう?とかを知りたくなる。
自分自身が結構掘り下げてるデータベースがあるので、自分の脳内に。
夫婦関係の重要性
なるほど。自分のことを振り返るときって、自分に対する恥の感情とか情けないとかっていう、自分を責めたりする方向には動かないんですか?
いやもう本当にありますよ。なんか本当に恥ずかしいっていうか、あの頃は本当に人をめちゃくちゃ傷つけていたなとか、
自分が良ければいいみたいな振る舞いをしていたなって思うんですけど、
ただそこを恥じたところで過去は変えられなくて、
そうではなく、それを恥ずかしいと思う自分に今成長できているので、
なんかだから希望が持ってる、その人間的に成長したいっていうのは、より良い自分に今なっている感覚があって、
相対的にいいかは別として、絶対的に自分の中での最高の自分に人間性が育っている感覚があって、
だからこそそうやって振り返って過去の恥ずかしい自分とかも認めていくと、もっとより誇れる自分になるんじゃないかっていう考えを持ってるんですよね。
それはじゃあさっきの夫婦の話に戻っていくと、その夫婦の場というのが自分を鍛錬する格好のトレーニング上なんじゃないかっていうのはまさにそこなわけですね。
そうですね、本当にもっと良い自分になれる。
もっと良い自分になれる。この人と戦うことでもっと良い自分になれるっていう。
そうそう、向き合うことでこの感情と、どんどんどんどん人間性磨かれていくんじゃないか。
良いことしかないですね、確かに。
周りにも憧れてる人とかいっぱいいらっしゃるじゃないですか。こんな人間性、こんな器の大きい人になりたいっていうのが、そこに近づけるんじゃないかっていう。
夫婦関係っていうのは、本当に自分の醜いところとか、全部向き合わざるを得ない場なので、格好のチャンスって感じ。
そうですね、鍛える場所ですね。格好の道場みたいな。
道場みたいな。
人間性の成長
修行の場。
辛いんですけど。
一回失うと、なかなかこの鍛錬の場には戻ってこれないので。
確かに、確かに。
辛いけど、と思って。
分かりました。ありがとうございます。
すいません、長々と。
いやいやいや、まさか武士の話になるとは思わなかったけど。
そうですね。
まさか修行の場と捉えてるとは思わなかったけど、でも面白かったです。
そっか、捉えてるから向き合い続けられるんだな。僕もちょっと取り入れてみよう。
いやいやいや、本当にありがとうございます。こうやって聞いていただけたから、改めて原稿ができたみたいなところもありました。
そうだったのか、みたいな。
普段、この番組一人語りなので、たくさんに聞いていただけたおかげで、新しい境地を生み出すことができて。
武士っていうことが分かりましたね。
武士っていうことが分かったね。
宮本かやこだっていうことが分かったんで。
生まれ変わりとしてできたと思います。
生まれ変わりとしてできた。ありがとうございます。
ありがとうございました。いい機会ありがとうございました、本当に。
こちらこそ本当にありがとうございます。
では本日はここまでということで、今回のご質問だったりご感想、あとは他の回で話してほしいトピックなどなどございましたら、
ハッシュタグ漢字四文字日々チューズまでXでポストしていただくか、
もしくはスポッティファイのアプリでお聞きの方はコメントを残すことができますし、
概要欄にお便りフォームのリンク貼っておりますので、そちらからお便りいただけたら嬉しいです。
アツさんの夫婦関係学ラジオのリンクも貼っておきますので、ぜひぜひ前編の方もお聞きください。
ぜひぜひ。
では本日は夫婦関係学ラジオよりアツさんにお越しいただきまして、ありがとうございました。
ありがとうございました。楽しかったです。
ありがとうございました。
ではでは、以上です。