ラジオ配信の現状と記念放送の予告
はい、こんばんは。7月の2日木曜日、22時44分。 よっ、よっ、違う違う、22時50秒を回りました。
こんばんは。 芸術法人シアターボンドの代表を務めております。
宮澤と申します。 今宵もラジオ配信やっていきますか。ということで。
いやーね、毎回言ってるけどバッタバタなんだよね。あのね、実は今日はですね、いつもやっている、先週に引き続きですよ、いつもやっている貸しスタジオというかね、まあレンタルスペースなんですけども、なんか工事に入っておりましてね、そんで使えないんでございます。
だから、そう、今日はね、またいつもと違うところでやってるんですよ。
えっと、まあ家はこっちの方が近いんだけどね。 なかなかこの配信を毎週続けるというのもね、これがなかなかね、難しいところでありますけれどもね。
でもこれ、東京でやってるからできるってこともありますよね。多分ね、こんだけこう、レンタルスペースがね、充実しているから、あそこがダメだったらすぐここ、ここがダメだったらすぐ次ここっていうね、もういくらでもこうね、いろんな場所でできるわけですけれども。
これがもう候補が2つくらいしかないよってなっちゃうとね、これはできないですよね。だからまあ、今の生活ならではということではあるんですけれどもね。
まあまあ、この無理せずぼちぼち続けていきたいなとは思うんですけれども、実はね、今日、私のシアターボンドのラジオ、今日でですね、29回目になります。
いつもありがとうございます。聞きに来てくださいましてありがとうございます。
で、来週がですね、ということはまあ、30回目ですよね。だからね、30回目だし、でまたほら、なしごれんから数えたらね、全部で100だから、180回目になるわけですよね。
これ、30回目っていうとね、まだまだかなってちょっと思いますけれども、180回目って言われるとおってちょっとなると思うんですよね。
だから、180回目はね、さすがにちょっとね、いつもと違うパターンでね、何かできないかなと思って。
そんでまあ、ちょっとこの前斎藤さんが出てくれた時にもちらっと言いましたけれども、まあまあ、そんなに大げさなことじゃなくですね、
このシアターボンドのラジオのね、パターンとちょっと変えてですね、
なしごれんの人たちデイリー自由っていうね、
フリートークじゃないけどね、マイクフリーみたいな、何かそういう時間にね、しようかなと思っております。
なので特にメインテーマを決めるわけではなく、ただ宮沢は待ちの状態でですね、
次誰が来てくれるかなーみたいなのを待ちながらね、
まあ好きなことをいつも通り話せばいいかなと思ってて。
で一応あの、なしごれん、旧なしごれんLINEのね、LINEグループにはそういう旨ね、
来週はそういう感じで出入り自由で好きなこと話しに来てねーなんて言って声かけたんですよ。
まあまあいつも通り中山さんだけがね、優しい中山さんだけがはーいって言ってくれて。
あとはノーリアクション。一応既読はついてるからね。みんな見てはくれてると思うんだけど。
なんかねー、でまたあれだろ、それでペッてくるんだろ、それで。
ね、うん、そんなような感じですよ。
だからまあ、で、あのやっぱ相棒のですね、斎藤裕樹に関してはですね、
これはもうあの強制ということで、出入り自由とかそういうレベルじゃなくて。
もう斎藤だけはちゃんと出てこいよって個別に連絡しましたら、
なんとですね、市宮にいるって言って。出張中なんですよね。
それでなしごれんからずっと聞いてくださってる皆さんが中心だと思いますので、
えーと思うと思うと思うんですけど、
えーとね、このね、斎藤のこの時期のですね、市宮出張というのはですね、
子供、親子劇場、子供劇場のなんか大きな集まりがね、毎年市宮。
ね、市宮っていうのは愛知県ですよね。
市宮で毎年のようにやってるっぽく。
で、その時に限ってというかね、そういう夜に限ってですね、
宮沢から声かかるんですよね。
だから、えーと、今年だけじゃなくて前回も、そして前々回もですね、
斎藤はね、市宮からですって言ってるエピソードがあるんですよ。
これね、あのー、おもろいなと思って。
斎藤が市宮に行くと、宮沢が声かけるみたいな、
そのパターンみたいになってきちゃってて。
うん、あのー、LINEでも笑ってましたけどね。
うん、んなもんですから。
まあね、あのー、なしごれん、あのー、緊急復活っていうわけじゃないんですけども、
まあ、あのー、なしごれんおかわりみたいなね。
えー、こもりで、こもりでおかわりみたいなね。
えー、そういうあれですよね。
えー、ちょっとしたね、記念の回にしたいなというふうに思っております。
来週、なので来週はですね、えー、なしごれんおかわりっていうね。
えー、あの、えーと、配信のアカウントはこのシアターボンドのアカウントでやろうと思ってます。
うん、なしごれんのアカウントは使わないでね。
うん、というのはなぜかというと、えー、一応こっちのね、えー、シアターボンドにとっても30回目なわけですから、うん。
30回目だけ急に欠番になるのも気持ち悪いのでね、うん。
まあ、あのー、こちらにみんなが集ってもらえるようにと思って、えー、声をかけております。
まあ、何人出てきてくれるかわかんないし、結局、結局宮沢一人になるかもしれないしね。
それはまあ、あの忙しい身の上である劇団制作者ですからね。
えー、また、あのー、出てきてくれることをまあね、えー、期待しつつも、でもね、えー、まあ、いつも通りの一人配信でも、まあ、大丈夫なようにはしておきますけれどもね、うん。
斎藤裕樹氏とのやり取りと市宮出張
あ、ぎなりコメントいただいてます。ありがとうございます。
えーと、あ、まさこさん、いつもありがとうございます。
ヘビーボンド、いちのみやは稲沢の隣ですね。そうそうそうそう。そのいちのみやです。うん。
終わり、終わりいちのみやですね。うん。
えー、そうそうそう、そうなんですよ。
なんかね、あのー、前、あ、去年ですね。去年のこの時期だから。
去年の6月から7月ぐらいの、えー、エピソード2もですね、斉藤さんいちのみやから出てきてる、えー、なしごれんがありまして。
その時にね、確かね、まさこさんがね、コメントいただいたと思います。うん。
まあまあね、えー、斉藤、すまん!ということでね、そんな忙しい時にね、出てこいなんつってね。
まあでもね、あのー、面倒に向かっては言いませんけどね、なかなかそういうとこね、いいよって言ってくれるのはいいやつなんですよ、斉藤ってのはね。
斉藤いいやつですよ。うーん。
演劇制作者同士の繋がりとギルド
まあまあ、あのー、うん。なんかこのー、ね、えー、みんなね、何かっちはね、結局このー、毎週ね、大変だーとかね、いろいろまあね、ありましたけれども、
あのー、配信好きをね、が多い、多いんですよ。ね。
みんなね、やっぱね、あのー、ある程度はね、話したいこともね、日々、制作者として生きてればね、あるわけですから。ね。
で、あといっぱい、やっぱりこの、同業他社、ね、えー、一般のね、私が今働いてるような会社からするとね、もうとんでもない話なんでございます、それ本当はね。
同業他社で、ライバル関係で、ね、数字を取り合うというか、ね、そのー、まあまあ、私今、一般の企業って言ってもまあ特殊な業界ですから、まあそんなにね、ガッチガチじゃないんですけれども、
うん。とはいえ、えー、他の同じような企業の人たちと毎週毎週ラジオ配信やるかって言ったら絶対そんなことはないわけですし、
やっぱりこの一つの新劇のつながりというかね、劇団と劇団のつながりというのも大事ですし、
どこかこう、ギルド的なね、えー、つながりっていうのもあると思うんですよね。そのー、働いてる劇団はそれぞれだけど、
まあ、えー、やってることというか目指してるものは一緒というかね、職種、職業は一緒というね、だからこそこの労働組合みたいなね、
超小規模な労働組合というか、まあギルド、ギルドみたいなね、形で、えー、つながりを作るっていうのは大切なことなんですよね。
お前のとこ、こういうことが起こったらどうする?みたいな。いや、俺のとこはね、そういうことは今までなかったけど、もしそういうことになったら、俺だったらこうするね、みたいな。
とかね、あとは、あの役者さんやっぱいいねーとかね、あの本書きいいねーとか、なんかそんなことをね、劇団の利害関係を超えて、
フランクに話せる関係性っていうのは、やっぱり制作者同士のね、関係性っていうのはやっぱり独特なものがありますよね。
それはまあその、じゃあ方や演劇間紹介はどうかというと、演劇間紹介も、役員さんたちは役員さんたちで、とかね、事務局長さんは事務局長さんでコミュニケーションを取るね、
というのも、やっぱりこれは大事なつながりなんじゃなかろうかというふうに思うんですよね。事務局長さんだってね、役員さんには言えないことでもね、別の団体の事務局長さんにだったら言えることだってね、多分あるだろうし。
役員さん同士でね、同じブロックの役員さんとか、全然遠い地方のね、ブロックの役員さん同士でつながるっていうのもね、これはなかなか面白い関係性だと思いますよ。
私聞いた話によるとですけれども、近畿ブロックのね、人たちね、近畿ブロックの、しかも事務局長さんだけじゃなくて、Xね、このTwitter、Xでのつながりを何か作っていって、グループを作っていて、
それが近畿ブロックに飽きたらず、他ブロックの人たちもXによってつながりを、グループを作って、日夜そのなんかね、いろんなことをお話し合いされているようなんていうことをね、聞いたことがございます。
自身の作品「聖なる炎」への想いと旅公演
だからそういうのもね、大事だよなぁと思いますし、なんか多分、劇団制作者が思っている以上に、そういうつながりの中から、霊界の作品のね、噂話というかね。
この前これ見てきたんだけどよかったよーなんつってね。あの役者さんいいねーなんつって。やっぱりこう言い合って、じゃあちょっと今度のね、代表者会議だとか、そのラインナップの取りまとめの会議ね、それぞれの団体でおやりになっていると思いますけれどもね。
そんな中でちょっとこう情報交換してきたことで、ちょっとみんなに教えたろうなんてね。宮沢の作った聖なる炎っていうのは、これは良いらしいよなんつってね。あったんだと思います。ありがとうございます。
私はもう毎回のようにね、この話してますけども。私はもう俳優座劇場プロデュースとはね、直接的な関係性、直接的なものにもね、関係がなくなってしまったわけなので、別にそのね、宣伝するとかね、その話をしなければ、今一番話さなければいけないことというわけではないんですが、
ただやっぱり手塩にかけた作品ね、私にとってのその提案した作品ね。ずっと劇場で働きながら、前にね、俳優座劇場プロデュースでやった時の成果というね、台本を書庫から取り出した瞬間からね、取り出して読んだ瞬間から、いやこれは面白いぞって思ったあの時からですね。
もうあれだって、劇場入って5年経たないぐらいの時ですよね。ぐらいの時から、ずっとこれはね、いつか宮沢くんなんかない?って言われたらこれを出そうと思って、ずっとこれ読み込んでたり、あとはそのね、作品というものは、これをいつかやりたいと思った瞬間からですね。
制作者家業というか、因果な商売ですけれども、そのプロデューサー、制作者という人の人種はですね、これをやりたいって思った瞬間から、脳内でキャスティングが始まるわけですよ。
これ自然とそういう体にもうなっちゃってるわけですよね。この人は、あの人だったらこの役はとかね、この人はだったらとか、この前見たあの芝居のこの人と、ちょっと前に見たあの芝居のこの人で組み合わせてみたらどうかなとか。
演出家もね、決めるわけですから、誰に声をかけるかっていうのはね、やっぱりこの芝居を作りたいとかね、実現させたいと思った瞬間から演出家探しが始まってるわけですよね。
だから十何年間、私もずっとあの演出家だったらとか、この人に話してみたらどうかなとか、実際話してみたことも実はあったりしてね、誰とは言いませんけれども、とかね、そんなようなことをずっとやってたわけですよね。
で、ようやくようやくこの瞬間、このタイミングっていうことで実現することができた作品なわけですから、なんかね、やっぱり愛おしいもんですよね。だってずっとやりたかったことが実現して、なおかつそれが良かったねって言ってね、地方の旅に回るわけですからね。
もうこれは俳優座劇場とか関係なくね、嬉しいもんですよ。で、それがどうやら東京公演ね、終わったようで、もう間もなく出発するんじゃないかなと思いますけれども、もう出発してるのかな確かね。
えーと、中部北陸ブロックと、それから静岡県ブロックと、あと、関越ブロックだったかな。うん、今年はね。旅予定しておりますよ。うん、だから、えー、ぜひお迎えいただけるブロックの皆様、ね、よろしくお願いいたします!ということですよ。
うーん、いい芝居ですから、うん。ね、よろしくお願いします!というわけで、今日も始めていきたいと思います。えー、なんかね、先週、あの、冒頭から、あのー、加藤健一事務所のね、市川さんが来てくれたので、オープニングちゃんとやってなかったんですよね。これもうダメだ、そういうのが、そういうのがだからね、ダメなんだよ、あたくしはね。
ちゃんとね、やろうと思ったことはやろう。うん。自分に聞かせる。はい。
ちょっと音がね、あのー、大きかったり小さかったりするかもしれないんですが、すいません。あのー、調整したはずなんですけどね。うん。まあまあまあ、こんな感じでいきたいと思います。
などなど。劇場も劇団も、そのすべての役割を担っているはずなのに、芸術法人がないのっておかしくね?というわけで作ってみました。芸術法人シアターボンド。この空想が現実になるその日まで、芸術法人シアターボンド代表、宮沢の配信ラジオをどなた様もよろしくご引きに。
この番組は、鶴岡市民劇場、藤枝市民劇場、一般社団法人名古屋演劇館紹介、NPO法人町田演劇館紹介、稲沢演劇館紹介、加藤健一事務所、東京演劇アンサンブルの提供で。
劇を定期的に見て、日々の生活の中に心の潤いを持とう、という趣旨のもと、18名で準備会が発足しました。身の回りの人や各種団体に、会の趣旨を本気よく伝え、少しずつ賛同者を増やし、同年11月に知人会、早春スケッチブック、会員数560名。
1985年1月には文学座、マリウス、会員数700名の医療講演を成功させました。そして、1985年3月には会員数999名となり、創立例会として、劇団青年座、どん底を数ステージで上演し、同月の創立総会を経て、正式に町田演劇館紹介が発足しました。
2016年2月には法人格を取得し、NPO法人町田演劇館紹介として活動を行っています。演劇を地元で見続けたいという会員の思いが会を支え、40年以上にわたり、多様なジャンルの作品と出会い、感動を会員相互で共有しています。
また、若い世代に舞台芸術の魅力を知るきっかけを届け、将来の歓劇文化を支える仲間が増えていくことを願っています。その取り組みとして、高校生、大学生、専門学生などを無料で招待し、若い世代が気軽に芝居に触れ合える環境を整えています。
町田演劇館紹介
愛知県稲沢市、戦国三英月の筆頭、織田信長の生まれ故郷とされ、767年、飛鳥時代から続く神宮裸祭りでも有名。また、市内には日本最大の銀卵の生産地としても有名なそぶえ地域がある。
喫茶店のモーニング文化の源流でもある地域。自然の恵みと心の豊かさ、人が輝く文化創造都市を掲げる稲沢市に、今年で創立30周年を迎える稲沢演劇館紹介があります。
良い演劇を多くの人たちと、館員一人一人の手で年6回の霊会を主催。前の霊会よりも館員の数を増やして、劇団創造団体を迎える全霊会クリアを重ねるために、常に事務局には活気があふれています。
楽しく、そして力強く、人と人との繋がりで演劇の灯火を守り続ける、稲沢演劇館紹介にぜひご入会ください。
稲沢演劇館紹介
名古屋演劇鑑賞会と稲沢演劇館紹介
はい、というわけで、すいません。おにぎり半分…ちょっと待ってね。もう少し待って。もう一個CM、すいません。もう一個CM。
稲沢演劇館紹介は、1954年に、名古屋を演劇文化都市にしようという思いから誕生しました。
以来、72年、名古屋の地で数多くの舞台を見続けてきました。私たちは、親しみを込めて、「名演」と呼んでいます。
今、社会は目まぐるしく変化しています。スマートフォン一つで、映画も音楽も楽しめ、情報はあふれ、人と直接会わなくても暮らせる時代です。
便利になった一方で、誰かと同じ空間で同じ時間を過ごす体験は、ますます貴重なものになっています。
演劇は、その数少ない場の一つです。同じ客席で息遣いを感じながら、笑い、考え、心を揺さぶられる。そして終演後に感想を語り合う。その時間は、デジタルでは決して変わりがききません。
名演は長い歴史を持つ鑑賞会ですが、完成された組織ではありません。これからも参加する一人一人と共に作っていく場です。
演劇をきっかけに、世代を超えて語り合い、社会のことも身近な悩みも安心して話せる。そんな大切な公共の場を育てていきたいと考えています。
共に芝居を見て、語り合い、より豊かな毎日を送りませんか。ただいま、会員募集中です。
すみません、おにぎりをね、ギリまで食べてて、すみませんでした。ちょっとお腹減っちゃってね、全然何も食べてなかったものですから、失礼いたしました。
名古屋演劇鑑賞会の次回の例会はですね、7月例会、俳優座劇場プロデュース、聖なる炎でございます。
7月の14日火曜日18時30分、翌15日水曜日が13時30分、6時半と1時半。
金山にある日本特殊陶業市民会館ビレッジホール。難しいね、このホールのタイトルね。
金山のホールですね。で、ご覧いただけるということで、ただいま、会員募集中です。よろしくお願いいたします。ということでございます。
旅公演の経験と名古屋駅の攻略
なんかね、やっぱり自分が企画した作品で旅回ってみたかったですね。ようやくそういう大事な機会だったわけですけどね。
まあでもね、やっぱり潮時ってもんがね、やっぱり人間にあるんですよね。なんかそのぐじぐじぐじぐじね、なんだかこの、まあいいや、その話はまたおいおいね。
おいおいということでお願いいたしますね。まあこの配信じゃ話さないよ。またなんかね、機会があったらね、皆さんにお会いした時にね、またゆっくり、
なんでそういうことになったのかってことは話したいと思いますけれども。
ね、あ、まさこさんからありがとうございます。稲沢演劇館紹介は7月の7日火曜日スタートかなって書いてあります。そうだと思います、確かね。
七夕の日が稲沢演劇館紹介の例会。ね、それから名古屋などなど愛知県内を巡演してね、豊橋もありますしね。
それから北陸へ行って金沢とか富山とかね、行きますからね。えー、中部奥陸ブロックね、楽しいんですよね。
中部奥陸ブロックね、やっぱりね、あのー、名古屋駅によく行くんですよね。名古屋から稲沢。
ね、また名古屋に戻って、今度は名古屋からもう、あっち行って。また名古屋に戻ってきて、今度はこっち行って。
名古屋駅をね、マスターするわけですよね。しかも、制作者ですから、あのー、こっちですーって言ってね。
あ、もうさも熟知してるかのような顔をしてですね、役者さんたちを連れて行かなければいけない。しかも、プロデュース公演の場合はですね、
ね、あのー、いつもの劇団の仲間ってんじゃないですから、ね、あのー、プロデュース公演に出てよって言って声、わざわざこっちから声かけて、
それで出てきても、一緒に旅回ってもらってる、うーん、まあね、仲間は仲間ですけど、うん、でも、そのー、同じ劇団だよってのとはちょっと、経路の違う関係性でもあるわけですよ。
で、ここがやっぱ難しいとこなんですよね。あのー、プロデューサーと、それから役者さんというね、えー、立場もそうですし、まあ、旅に連れてっている制作者と役者さんという関係性でもあるし、
でも、同じ劇団じゃないけれども、同じ旅を回っている。そして、同じ演劇観賞会の方々に、えー、逐次ね、えー、この作品が評価されて、それで、えー、旅来てよって言って声かけられて、
それで、まあ、あのー、うかがってると。その、地域、地域にね、うかがって、芝居をさせていただいてるという、こういう、まあ、な、内部構造なわけですから、何かね、あのー、一つね、えー、移動するんでもね、ちょっと劇団制作者とね、ムーブが違うと思うんですよ。
これね、あと、ようやくね、あのー、10年ぐらい経ってようやく気づいたんですけど、うん、劇団制作者はここまでやんないんだっていうね、それこそ、制作者同士の仲間でね、あのー、話し合ってて、あ、そうなんだ、制作者ってそこまでやんねえんだっていうね、あ、俺今までプロデュース、プロデュース団体の制作だったからやってたんだなーみたいな、うん。
何かそういうね、こともありますよ。うん。そんな中ですね、えー、やっぱり、名古屋駅っていうのは、こっちからこう行くとこう、ここにこれがありましてとかね、本当はこっちの道を通った方が近いんですけれども、えー、あのー、エスカレーターがないもんでとかね、何かね、あのー、わざわざ遠回りしてるのは皆さんのためですから、エスカレーターがある方から行ってるんですから、みたいなね。
そういうことをね、やるわけですよ、制作者っつうのはね。特にプロデュースの制作者っつうのは。うん。
でまた、そのー、劇団の中でもね、そのー、役者さんのね、えー、役者さんたちでほぼほぼ劇団の人たちですからね、劇団じゃない人もね、たまに出ますけれども、ほぼほぼ劇団の人たちですから、あのー、旅慣れてる方もね、たくさんいらっしゃるので、
じゃあ、あのー、あのー、役者さんのね、班で、あのー、スタッフ移動と役者さんの移動と全く別の移動になりますから、役者さんの移動に関しては、すいませんけれども、あのー、天井員代わりにね、ちょっとこう、連れてく人になってくださいっつって。うん。
なんかその、移動隊長みたいな風にしてね、やるみたいなこともやってましたよ。それはね、あの体が2つあるわけじゃないのでね。うん。なんてこともね、今思い出すと懐かしい限りでございますけれども、とはいえですね、名古屋駅、ね、マスターするんです。
でね、確かこれは制作者ね、5年目ぐらいだったかな。だから私、えー、23で制作者になりましたから、えー、30前ぐらいの時期ですよね。で、アギキブンのね、えー、その当時はテアトルエコーという劇団の制作者の、えー、今は民芸のね、大民芸の大社長ですけれどもね、えー、白川パイセン。
ね、もうあの、すべての劇団制作者のね、えー、リスペクトを集めがちな、あの白川康二パイセンにですね、「あ、宮沢くん、なに?中北陸ブロック回るの?わかったわかった。頑張ってねっつって。あのね、一言だけ言っとくけど、名古屋駅を制する者が中北陸ブロックを制する。だからねっ。」って。
何言ったかさっぱわからなかったんですけど、回ってみてわかった。うん。こうね、1ヶ月弱のこの期間の間にね、ここまで何度も何度もね、名古屋に住んでる人は別ですよね。ここまで何度も何度も名古屋駅を行ったり来たりすると思わなかったんですよ。
で、またその当時は、えー、今より、えーっと、うん、言い方難しいけど、あのー、ステージ数がまだいっぱいあり、まだっていうのもあるんですけど、今よりもステージ数があった時期ですから、うん、1ヶ月、まるまる1ヶ月はあったんじゃないかな、くらいの感じだったので、その1ヶ月の中ですね、
北陸ブロックの方に行くまでの期間は、もうほぼ毎日のように名古屋駅に行くみたいなね。そんな印象。うん。それから、それまでね、あのー、わたくしほら、あの関東の人間だから、ね、名鉄っつうの乗ったことなかったんですよね。
私鉄ね。JR東海もそうだけど、名鉄と金鉄っつうの乗ったことなかったんですよね。うん。それがまあ、あの、名鉄を駆使する旅ですから、まあ、勝手がわからないのに、あのー、差も知ってるかのような振る舞いをね、するというね、この面白さ、ね。
うん。あのー、その当時はね、まだね、名鉄もね、紙のね、分厚い、あのー、名鉄時刻表っつうのをね、売ってて、うん。それを買いまして、ね。しかも東京の名鉄支社に問い合わせてですね、あのー、どうやら時刻表っつうのが出てるらしいじゃないかと。ね。東京で買えるとこどこやんねんって言ったら、ここやんねんって言われたら、そうですかっつって。
うん。それでね、買いに行った覚えがありますよ。あのー、八重洲ブックセンターにはあるからなって言われて。で、わざわざ銀座の、というか、東京駅のね、八重洲駅の東京八重洲口前のね、八重洲ブックセンターまで、わざわざ名鉄、金鉄、ね、それぞれの時刻表買いに行った覚えがありますけれども、うん。
まだやっぱりね、あのー、わたくしぐらいの世代までは、スマホとかね、それからパソコンなどで、えー、路線検索をする、ね、だけじゃなくて、もちろんそれもやりますけど、路線検索もしますが、その乗り合わせとかが悪かったり、ちょっと時間がロスしてんなとか、いや、ちょっと、このと、この座組だと、あのー、みんなね、えー、重い荷物を抱えてゴロゴロね、えー、トランクを転がしながらね、ね。
それから、あの、移動になるから、もっと乗り換え時間をね、調整した方がいいなとなれば、もうそういう、ね、えー、乗ってあんまりこう、スマホや携帯やね、パソコンではね、なかなかこの調整ができなかった、その当時はね。
今はなんか、あの、乗り換えスピード、せかせかとか、ゆるゆるとかね、なんか、あの、ポチポチとかわかんないけど、あ、なんかそういうのでね、えー、調整できる機能もついてて便利になりましたけれども、ね。
その当時は全然そんなことないから、なんか鬼のようなね、えー、名古屋駅5分みたいなね、JRの名古屋駅の新幹線出口から名鉄入り口で5分後に出発するみたいなのがね、急にこうね、案内してくるわけですよ。
できるわけねえだろ、そんなのってね。しかも日本で一番複雑と言われている名古屋駅の名鉄ホームですよ。ね。もう、その名古屋近辺の方々だったらもうね、あるあるネタかもしれないですけども、あの名古屋駅のですね、名鉄の乗り場ってのがね、ほっと複雑なんですよ。
同じホームから全然違う方面の電車が5分、いやもっとか3分おきぐらいに出るの。ね。しかもほぼほぼみんな同じ車両なの。だからこの岐阜の方行くやつは緑とかね、ちょっと千田半島の方行くやつは黄色とか。
なんか電車の色分けがあるんじゃなくて、みんなあの名鉄レッドですよ。赤いの。全部みんな赤いの。とにかくね。で、あの乗り口もなんかその、まあその車両のドアのあるところに微妙に違ってんですよね。
一ノ関方面行くのはここら辺に並んでてねとか、なんかね、岩倉方面に行くのはここに並んでてとか。なんか並ぶ場所がみんな決まってるんですよね。それで、それでこう行きますよ。はい行きました。はい次入ってきました。また行きました。はい次また入ってきました。みたいなのをペッペッペッペッってこうね、DJのようにね、こうさばいてるわけですよね。名鉄さんはね。
なんかその流れに乗らないと本当に変なところ、もうマジで簡単に連れて行かれちゃいますから。で、それをですね。ほぼほぼ初見のね、初めて参りましたの人が、大きなトランクを抱えてその乗り換えをしなければいけないんですよ。このハードルの高さね。
しかもほら、我々は名古屋から、例えばじゃあ稲沢、次が稲沢演劇館初回です。なったら神戸宮に行くわけですけども、行き先が神戸宮って書いてるわけじゃなくて、東京でもね、大阪でもね、名古屋でもいろんなところでそうですけれども、終点駅しか言ってくれないわけですよね。
だから、神戸宮に行くには何行きの電車に乗らなきゃいけないのかっていうのがわからない場合あるじゃないですか。ね。だって東京だってそうですよね。その池袋からね、私が住んでいる小竹向原まで行きたいなと思った時に、森林公園行きっていうのに乗らなきゃいけないのに、どこやねんとね。
森林公園か新木場かどっちって聞かれても、わからん、わからんじゃろうそんなのってね。だから、主要な駅ぐらいはね、こう案内してほしいわけですよ。ね。森林公園行きなんですけども、途中、小竹向原にも泊まりますし、和光市ってとこも泊まります。川越園にも泊まります。ね。
なので、まぁそっち方面ですよっていう風に言ってくれればいいんですけど、ね。そんな余裕、あの名鉄の名駅、名駅の名鉄乗り場にはそんな余裕ないわけですよ。あいつ何行き行きますよ。はいどうぞ。はい何行き次こっちですとか。何行きの人はこっちに並んどいてね。はい来ました。はい乗ってみたいな。ああああああってなるの。
あのね、だから名駅の、名古屋駅の名鉄のホームと、あとはね、大阪のね、梅田でした?大阪駅ですね。の、在来線、JRの在来線の、まぁ複雑なこと、ね。
あの大阪環状線ですよね。なん、なんとか山戸寺ライナーとか、なんか木曽寺とかなんかのが次々来るんですよ。それも。それもね、過密地域ですか。1分から2分間隔でね。はいこの次がはい、次来んのが環状線で、はい次が山戸寺ライナーで、はいなんとかでかんとかでってね。すっげーすっげースピードで来るわけです。で、えーと次乗らなきゃいけないのにあれ何行きだっけわかんねーか。
で、こっち方面行きたいのにね、終点しか言ってくんないから本当に方向合ってんのかわからへんねんっていう。もう半信半疑でとりあえず乗っとくかーって乗ったら間違ってたーってね。こっから、こっから分岐するんかーって言ってね。知らないところに連れて行かれるみたいなね。
まあまあそういう感じですよね。えー何が言いたいかというとね、えー中部北陸ブロックを制するには名古屋駅をまず制するね。これなわけですよ。懐かしい。なんかね話してたらなんか劇団制作者の時代に戻ったかのようなね気持ちになりますけれども。
観客への感謝と今後の展望
なんかね、そうやってこう、でもねありがたいのはそうやってこう、いろんなところでね、えー芝居を待っててくださるね。しかも前の礼会からね、えー次のこれから迎える礼会の方が、えーこの人数がね、回の人数が増えてるよっていうね。増やして迎えてくれるよっていうね。
そういうこの頑張ってるよっていう気持ちがとってもこうね、えーこもっているわけですし。なんかその増やして迎えてくれてるよっていうのが直接的にはね、その迎えてもらう劇団にとってはそこまでね、こうなんて言うかな。このー。
なん、な、わかんないけど。ね、まあでも、多くの観客にお芝居を届けたいっていう気持ち一心でやってるわけですから、一人でも多い方が嬉しいわけですよね、それは。ね、でも東京公演でチケットを売って、で1枚売れました5枚売れましたすげーみたいな感じでの気持ちとはまた別というか。
やっぱり全霊会クリアというのは、その迎えてくださる団体のためのというか、その団体がやろうとしていることを達成されたっていうようなこの距離感ですよね。だからこのまたすごいなというふうに思うんですよね。
あ、コメントいただいてます。ありがとうございます。
すごく楽しみです。
宮沢さんに会いたかった。ありがとうございます。
うーん、会いたかったなー。
金沢ねー。金沢ねー。いいよねー。
未練たらたらじゃねーか、ほんとに。
そうなんすよねー。
楽しかったなー。
旅公演やっぱ楽しかったっすねー。
うーん。
まあまあ、人生いろいろありますからね。これからまた、この先もまだわかんないしね。なんかめぐりめぐって結局戻ってきましたみたいなことだって多分あるだろうしね。
あのー、私もね、見かけによらずね、自由な人間ですからね。
あのー、何考えてるかちょっと自分でもわかんないとこありますのでね。
急にどっかの劇団の制作者としてひょっこりね、ひょっこりはんするかもしれませんので。
ね、よろしくお願いいたしますけれども。
じゃあそろそろ本題に入りましょうかね。
CMと鶴岡市民劇場
ちょっと一旦CMでーす。
庄内平野の南部に位置する東北最大面積を誇る市町村。
ユネスコ植文化創造都市。
鶴岡。
江戸徳川始天皇の一人。
堺忠嗣の孫、忠勝が。
人民に優しい地方政治を行い、天保が決まっても堺家に治めてほしいと。
領民たちが幕府に直訴した。
三方領地替え組織運動でも有名な珍しい地域。
蚊の文豪。
藤沢周平の生まれ故郷であり、その著作にたびたび登場する宇那坂藩のモデルとしても同じ。
歴史と文化とたくさんの美味しい海の幸、山の幸に囲まれた鶴岡にも市民劇場がある。
鶴岡市民劇場は昨年60周年を迎え、古い運動体質から脱却し、さらに日本演劇となった。