01:15
はい、こんばんは。宮澤でございます。
本日は、2026年7月の17日金曜日、22時10秒を回りました。
こんばんは。
芸術法人シアターボンドの、こんばんは、宮澤です。
今ね、時間通り始めてたんですけども、ミュートをしてた、ずっと。
何回やってんだ、私は本当にね。音ボケでね。申し訳ございませんが。
改めまして、こんばんは。宮澤でございます。
本日は、2026年7月の17日金曜日、22時53秒を回りました。
っていうね、この下りをね、さっき同じようにやっちゃった。恥ずかしい。
本日はですね、セリフの劇の話でございます。
まずですね、その前に、ちょっとお知らせしたいことがあるんですけれども。
来週のゲストと倉林誠一郎日記の紹介
まずですね、来週の配信ですけれども、いよいよこのですね、シアターボンドにもですね、ゲストが来てくださいます。
ゲスト、立教大学の講師であり、それから成形大学の講師でもあり、江戸川乱法の研究者でもあり、
そしてですね、私にですね、倉林誠一郎日記をお送りくださった、ご携帯くださった、倉林誠一郎日記を執筆されたですね。
編集、それから評論を執筆されたですね、後藤隆貴先生をゲストに迎えましてですね、来週の木曜日は倉林誠一郎の話ということでですね、
この一枠使ってですね、倉林誠一郎日記の話をやりたいというふうに思っております。
倉林誠一郎の反省を話したりとか、それから倉林誠一郎ってどういう人だったのかみたいなのを、倉林誠一郎日記をお書きになっている、
というか、編集をされた、編者ですからね、どういう戦いでその倉林誠一郎日記を書くことになったのかから始まってですね、どういう制作者だったのかという話、
それから今回出版されたですね、私に送ってくださったこの倉林誠一郎日記という本はですね、1947年から、だからもう戦後すぐですよ、から1952年までの5年間ですよね。
を描いた、その5年間の中で倉林さんがどういう演劇の動きをされたのかということを、ご自身の、倉林誠一郎自身のですね、日記が出てきたということなので、
綺麗に演劇博物館に保管されていた記録を1ページ1ページ紐解きながらですね、その日記をそのまんま収録されているという、ちょっとね、演劇制作者の日記がですね、
一つの一冊の本になるなんていうのはね、なかなか珍しいことですし、資料的価値がめちゃくちゃ高いね。それから、やっぱりね、日本、日本ってね、最近ね、びっくりするんですけども、え、日本って占領されてたんですかっていう人いるんですけれども、そうなんです。
5年間ね、日本は主権国家じゃなかったんですよね。主権はGHQというですね、アメリカ軍の機関ですよ。アメリカ、まあ大づかみに言えばアメリカなんですけれども、アメリカ軍ですからね。これがね、なかなかこう大変なことなんですけれども、
軍によって占領されていたということは、アメリカ政府と軍とのそういう駆け引きみたいなね、この思惑の差みたいなのもあったやに聞いておりますし、で、しかも今でもこのね、日本社会で絶大な権力を誇っている日米地位協定という協定がありますよね。
国際的なね、日本と日米ですから、日本とアメリカで結んで、詳しいことはちょっと今パパッと言えないんですけれども、思いつきで話してるので。
何年か、5年間か?20年間?30年間?違うか。20年間か。25年間かな。
ね、更新していきながらですね、日米の地位を規定するっていうね、アメリカがどういう立場なのかっていうのをね、この国でね、アメリカというのはどういう立場なのかっていうことを具体化するね、はっきりさせる協定をですね、まあ結ばされてるわけですよね。
まあ戦争で負けたからなんでございますけれども。その日米地位協定の中には、アメリカ軍がその戦略的な取り決めによって、日本の国土のあらゆる場所に基地を作れるっていうね、めちゃくちゃなことが書いてあるわけですよね。
なので、明日急にですね、アメリカ軍の人たちが、うーん、そうだな、ちょっと板橋区に基地作るわって言ったら、もう宮沢、そこ住めなくなっちゃうわけですよ。それでね、もう日米地位協定っていうのがあるので、それはね、断れないことになってるとね。
そういうような大変な協定があるわけですけれども。で、それにね、やっぱり1965年、それから10年おきかな、1975年ね、まあいろんなデモ行為などなどね、あるわけですね。
その日米、それにどうこれからの日本は向き合っていくのかっていうね、ことがいろいろと日本国中で若者たちによって話された時代もありましたよね。大事な時代だったなというふうに思いますけれども。
うん。なんでこの話になっちゃうじゃん、だからだからだからそうそうそうね。そういうですね、日本がアメリカ軍によって占領されていた時期に、倉林誠一郎というね、制作者、現場のね、うでっこきの制作者がどういう演劇活動を行ったか。
というようなね、ことを1日1日のですね、日記によって記録されているよと。それを出版してくださったという、神山明さんという大化ですよね。演劇評論家の大化ね。
まあそこらへんも詳しく来週聞けばいいと思うんですけれども、その歌舞伎とね、それから新劇の関係性に関するあらゆるね、あの貴重な本を出されている。
歌舞伎と新劇をね、行ったり来たりできる大変優れた演劇評論家のお一人ですけども、神山先生とそれから一緒にですね、後藤隆貴さんという。これは若手、もうバリバリのね、演劇評論家研究者なわけですけれども。
この2人が手を組んでね、クラヴェス一郎日記というのを作ったわけですが、出版されたわけですがね、その後藤隆貴さんに来週ゲストで出ていただこうという話が進んでおりまして、実は先ほどまでですね、あの私のねサブアカウントね、で旅行演習して。
このひとしきりね、今もう話終わってる。さっきまでね、ちょっとね軽く、軽くどういう感じで話せるのかっていうね、後藤先生もあのスペース配信やったことないっていうのでね、だったらぶつけ本番じゃなくて一旦横演習した方がいいですよねみたいな、そういう話になったので。
で、さっきまでね、やってたんですよ。それもあの録音配信で流してますので、もしあの宮園のサブアカウントね、知ってるようでしたらそこでね、ちょっと軽く聞いていただければと思いますけれども。
だいたい20分ぐらいでしたね。あの5分ぐらいで終わりますからって言ってて、結局話が外れちゃって、20分から30分ぐらいの話になっちゃった感じだったわけですね。
なので来週ね、来週は木曜日ね、来週木曜日、7月のだから23日ね、23日の木曜日22時からですね、芸術法人シアターボンドのラジオはですね、蔵林誠一郎の話っていうね、エピソードにしてゲストをお招きしたいとこういうふうに考えています。
なのでぜひお楽しみにいただきたいと思います。
コメントいただいております。ありがとうございます。
横浜2020さん、いつもありがとうございます。ヘビーボンドです。ありがとうございます。
昨日、地元の本屋で蔵林誠一郎日記を予約注文しました。
おお、すごい。予約注文しました。
読み応えたっぷりだと想像します。今から楽しみです。
ちなみに今は、金大地康介の《まどり》という本を読み受けた。
金大地康介の《まどり》。面白そうですね。
金大地少年の事件簿ってのありましたけども。
じっちゃんの何かけ程度おなじみのね、それのね、おじいちゃんのわけですけども。
そうですか。《まどり》っていうことは、なんか書斎の何かそういうあれなのかもしれないですね。
どういう《まどり》だったんだろうな。面白そうですね。
私もちょっとめくってみたいと思います。ありがとうございます。
お知らせがまずね、その来週の配信。
蔵林誠一郎の話ということでやらせていただくというのがまず一つ目。
それからもう一つお知らせがございまして。
『聖なる炎』の巡演とパーソナリティの思い
これはお知らせというかお礼なわけですけれども。
私が前職で働いておりました俳優座劇場。
俳優座劇場プロデュース公演。
で、《聖なる炎》という作品を作りましたけれども。
このほど再演をされましてですね。
それで演劇鑑賞会の礼会としてですね。
各地に迎えてくださっております。
今は中部北陸ブロックを巡演されていて。
本日が確か豊橋の2日目だったかと思いますけれども。
なのでもう豊橋の2日目で昼礼会終わってばらして。
で、今そうだな多分。
なんて言ったかな。
三宅。
駅前に三宅っていうラーメン屋さんがあるんですけど。
そこでラーメン食べてる時間かなぐらいのことだと思いますが。
三宅ね。
あと車屋っていうのもあったな。
いいラーメン屋があるんですけれども。
大井さんとそれからね。
工藤さんとも行ったことあったかな。
今楽しい夜なんだと思いますが。
中部北陸ブロックを巡演中でございますよ。
聖なる炎組。
まず確か、間越ブロックでしたね。
まず東京公演が多摩の方であって。
それが今月の頭で。
で、それから間越ブロック回って。
それで中部北陸ブロックに入って。
で、この後が静岡県ブロックということで。
この作品が旅に出るのは初めてなわけですけれども。
いきなりね、たくさんのステージで迎えてくださっているというのをね。
もうね、私俳優座劇場の人間じゃございませんからね。
制作者から直接聞いているわけではなくですね。
ほぼほぼSNSの情報だけね。
遠くから見守っているわけでございますけれども。
どうやら役者さんでSNSやられている方のアカウントを見るにですね。
各地好評だということですよね。
で、また霊界回って終わったというところから。
こんな宮沢にもね、俳優座劇場を去った人間にもですね。
いい作品だったよってね、お知らせいただいておりますよ。
ありがとうございました。
まあなんかこうね、自分の責任というかね。
自分の長年温めた作品がいよいよ始めて。
いよいよね、全国公演をスタートさせている現場にですね。
企画した人間自身がもういられなくなっているっていうのはね。
一方ではとても無責任な話と移るかもしれませんけれども。
まあまあね、申し訳ございません。
あるいろんな戦があってですね。
結局こういう形になって、結果になってしまったということはですね。
ただただ悔しいというかね。
まあ人生いろいろだよなと、これ毎回言ってるね。
思うわけですよ。
でもあの作品自身はというかね。
あの座組というかね。
にはいまでも特別な思い入れがありますしですね。
あの作品が一人でも多くの方々に見守られながらですね。
どんどん深まっていくということ自身はですね。
とっても喜ばしいことですし。
やっぱりね、全国民に見てほしい。
今ね、今全国民に見てほしいと思っている作品なので。
これ俳優座劇場関係なくですね。
あの作品をやろうと言い出した、言い出しっぺの一人としてはですね。
あの作品見なきゃダメでしょと、今でも思っておりますよ。
まあね、ちょっと重いテーマを扱いながらもですね。
でもやっぱり人間が生きていくにあたりですよ。
やっぱり直面するというかね。
その具体的な出来事自身には直面しないかもしれないけど。
ただ、生きているうちにはですね。
そういう引き裂かれると言いますかね。
その事実とか、常念とかね。
それから人を大切に思う気持ちとかね。
いろんなことが変な形でというか。
不自然な形で引っかかってしまうというかね。
もつれてしまった時に、人はどういう行動を取るべきなのかということを問いかけるね。
ような深い作品でございますよ。
よくぞこの100年前にサマセットモームという人がこれを書いたなというふうに今でも思っておりますけれども。
なんかそういうようなお芝居の魅力というか。
私が考えるセリフ劇の魅力。
音楽、歌うだけじゃないし。
アニメで有名になった作品を忠実に再現するようなお芝居も楽しいですけどもちろんね。
ただ、そういうのばっかりじゃなくて。
やっぱり問いを見つけるというか、問いを提示されるというかね。
見終わった後、ずっとそのことを覚えていて。
この先も折に触れ思い出して。
あの作品のあれは結局どういうことだったんだろうなとか。
こういうことだったかもしれないなとか。
なんかそうやってずっとずっと心の中で上演され続ける作品というのが、
セリフの劇のいいところでもあるかなというふうに思いますのでですね。
大切にしていきたいです。
その気持ちは大切にしていきたいですし、
もうね、本当は自分でやらなきゃいけないし、
何考えてんだと思われますけどね。
自分でもちょっとそういうところありますけど、
もう手が出せない状況になってしまったというか、
自分でそうしてしまったので、
もうただただ遠くから応援して、
最後まで無事にたくさんの人たちにいい芝居を見せていただきたいなというふうに思います。
まあ複雑ですよ。正直ね、気持ちがね。
でもいい芝居だからね、皆さんに楽しんでいただきたいと思います。ありがとうございます。
コメントいただいております。
まさこさん、ありがとうございます。
ヘビーボンド、まさにセリフの劇、素晴らしい舞台でした。
アンサンブルも抜群です。ありがとうございます。
まあね、こういう言い方すると大変ね、不尊な言い方になりますけれどもね、
私が練りに練ったキャスティングですから、
そうやってね、自分の手柄にしようとしちゃうのはダメだよね。
それダメダメ。私の手柄だけじゃないんですよ。
もちろん演出家の、私が大好きな演出家の一人である小笠原京さんの実力なわけですけれどもね、
京さんだったらいいよ、この作品だったらいいよ、出てくださっている役者さん達でやっておりますから。
だってね、ご本人に言っていいかどうか聞けない状況になっているので、
名前は言いませんけれども、
このキャスティングの中でお一人ね、
いい作品しか出たくないんだってはっきり言った人いるんですよ。
すごいなと思いましたけれども、
いい作品だったら出るし、ちょっとなと思う作品だったら出ないってはっきり言ってる方いて、
いやそうだよなと思って、なんかその義理とかね、それからギャラとかね、
金と骨、演劇界には2つの根っこが生えています。
金と骨だってね、私が通った日大技術学部の演劇学科の当時の学科長がね、入学式のスピーチで言ってましたけれども、
どういう大学だってちょっと思ったのを今思い出しましたけれども、
そういう繋がりとか義理人情でね、お金とかそういうので出るのはもうやめたんだってね、
それよりも作品中心だと。
本を読ませてもらって、自分の役をね、配役された役を見るなりして、
演出家の仕事も、知らない演出家だったらその知らない演出家の芝居を見に行ったりなんかして、
で、面白そうだなと思ったら、どんなにちっちゃい規模の作品でも、どんなに大きな作品でも、
俺は出るんだと。
俺って言っちゃった。バレちゃうじゃん。
あたしね。わかんないよ。男か女かわかんないけど。
っていうね、はっきりした方がいるんですよ。
そうすっごく好きで、その話ね、ほんと好きなんですよ、私。
というのはね、
俳優座劇場プロデュースもね、私がいさせていただいた時代は、作品中心主義だと。
どれだけお客さんが呼べる演出家、俳優。
でも、作品に適してなければ出さないんだと。
いろいろ語弊がある言い方しちゃいましたけどね。
それから、どれだけ宣伝に貢献するか。
この作品を今このタイミングでやれば、これだけお客さんが見込めるよ。
だから、ちょっと高いけれども、上演権をね、
電通さんや白鳳堂さんや、それからもう一つあったね、
ADKやつか、ADKとかね、
ライセンスビジネスをしているようなところに対前はたいてでも、
お客さん入る、確定している作品に関してはやる。
そういうプロダクションもありますけれどもね。
うちらはそうじゃないんだよ。
いい作品だったらやるし、ちょっとなっていう作品だったらやらないんだと。
しかもキャスティングも、作品に適してるか適してないかでキャスティングするんだと。
それは、それこそがプロデュース公演の一番の武器になるんだと。
特徴になるんだというのを言っていたのが、倉林誠一郎さんなんですよ。
なんか結局、来週の告知みたいになっちゃった。繰り返しね。
でも、倉林誠一郎さんが大切にしていた、
俳優座劇場プロデュースの創造理念というかね、
基本的に創造方針というのは、作品中心で考えるんだ。
お金儲けでやってるんじゃないんだぞっていうのを言っていたと伝え聞いております。
複数のパイセンたちから伝え聞いておりますけれども。
そんな中ですよ。
その聖なる炎という作品も、それにその流れを汲めたかな。
そういう考え方で作りたいと思った作品なわけですから。
そもそもね、俳優座劇場プロデュースの、あれは何回目だったか忘れちゃったな。
5回目とか6回目。もうね、福良林さんがまだまだバリバリの時代ですよ。
に1回、俳優座劇場プロデュースとして、聖火というタイトルで上演してたわけですよね。
確か神戸とか京都とかでも、礼会でやってくださったのかなっていう記録だけですけどね、残っておりますが。
あと名古屋もやってくださったのかな。
大阪でもやっていただいたという記録もありますけれども、
それをですね、私が俳優座劇場の地下というか、奈落にあたるスペースなんですけれども、
舞台のね、地下ですよ。舞台の板の下、本当に奈落ですよ、のスペースに書庫がありまして、
その書庫からですね、聖火ってなんだって言って取り出したのが、確か27歳ぐらいの頃でした。
で、読んでみたらですね、面白くて。もうその書庫の前で読み切っちゃったみたいな感じだったかと思いますけどね。
自分のデスクまで帰らずにね、書庫にもうそのまま行っちゃったっていうね。
もう目が離せなくなっちゃってみたいなね。
まあそんなようなことを今思い出しますよね。
だから、この作品すごいなって思ったし、作品中心主義というのがどういう作品を選んでいくのか、
どういう神秘感を持って作品を選んでいけばいいのかっていうことを、この聖火という作品ね、
もう如実に表してるなということなんですよ。
だからね、なんかね、言い方難しいな、角が立ってますけれども、
楽しいだけとかね、かっこいいだけ、かわいいだけ、もういいんですよ、とってもね。
そういう芸能というものも大事だけれども、それはまあ芸能であって、
芸能人がやればいいわけですよ。
大衆的にというか、テレビとかね、マスコミュニケーションの中で大いに宣伝してもらって、
で、楽しめば、対魔法で楽しめばいいんです。それはそれでいいの。
けれども、しかし、じゃあ300人の劇場で神劇が、セリフ劇も含めてね、何をやるべきなのかって考えたときに、
どう考えても300人の劇場でレ・ミゼラブルをやるってね、
なったらね、大変なことじゃないですか、それはね。
だって300人しか入らないんだからね。
で、300人かけるごとの10ステージやっても3000人ですよ。
10杯分で3000人なのに、帝国劇場だったら1杯ですよ。
1日1ステージで3000人入れるからね。
入らないかな、2700人か。
でもそれぐらいの規模ですよね。
規模の違い、空間の違いがあるわけですから、やっぱり1回で2000人から3000人入れられる劇場と、
300人しか入れられない劇場では、自ずと作る作品も変わってきますし、
それから目指すところ、どういう風にお客さんに思ってもらいたいか、
どういうものを感じてもらいたいかっていう方向性や思考性みたいなものもね、
全然これ違う、別物になってくるわけですよね。
そこをね、一緒に考えてしまうと危ういなと。
300人の劇場だからこそ作品中心主義ができるんだよっていうようなことかもしれませんし。
いやいやいやいや、宮崎くん違うんだと。
3000人のスペースだって、1万人のスペースだって、
5万人入るスタジアムだって、作品中心主義はできるよ。
けれどもしかし、それは見せ方を工夫しないとダメだよね。
セリフの生音を思う存分ですね、感じるにはそれ相応の、
それに適したスペースというかね、空間が求められるよね。
で、俳優座劇場というのは、そのセリフを堪能するというかね、
セリフの隅々まで楽しむということにはとても長けていた空間でございましたからね。
そこで何を作るかって言ったら、やっぱり成果みたいな作品になる。
物ずっとなっていくよねっていうことを、
その宮沢和彦、27歳くらいの頃、書庫で教わったっていうね、
倉林さんからね、なんかそういうような話でございますよ。
なので、演劇館紹介の礼会をやってくださる会場だって、
800人とか1000人、大ホールだったそれぐらいなわけですけども、
その300人ね、俳優座劇場で作った300人の芝居が、
どういうような形で、それぞれの地域の公共施設、文化ホールの中で展開できるのかっていうのは、
また別のですね、技術が問われるわけでございますよ。
本来で言えばね、やっぱり300人で見る聖なる炎と、
1000人で見る聖なる炎は、明らかに感激体験というのは変わってくるわけですけれども、
でも300人に準ずるというか、300人で味わえるセリフに準ずるような、
いやむしろ1000人とか800人とかで見る聖なる炎の方が、
迫力があるよっていうこともあるでしょうし。
そこはね、やっぱりこう、役者さんたち、それから舞台監督さんの腕の見せ所になるわけですから、
それはそれでね、演劇鑑賞会の例会って面白いんですよね。
あ、こういう風になるんだっていうのがね、東京公演を見てから地方公演を見ると、
なるほど、これをこういう風に工夫してきたかっていうのも楽しめますからね。
300人で作った作品を300人でしかできないっていうのは、これは嘘だと思いますよ。
やっぱりね、その空間、その空間で作り出していくわけですからね。
どっちが良いとかどっちが悪いっていう話じゃなくて、両方とも味わい深いよっていうね、
まあまあそういう話なわけです。
で、まあちょっとね、30分過ぎてしまいましたので、というね、2つのお知らせでございました。
1個目が、来週は蔵林聖一郎ナイトだよっていうね、どうぞご期待くださいっていうのが1つ。
それから聖なる炎ね、大好評純演中ね、応援してるぜっていうのが2つ目のお知らせでございました。
というわけでですね、今日も始めていきたいと思います。
まだ始まってなかったんかいってことですね。
すいません、時間配分がね、とても下手くそ。
まあまあ宮沢のね、配信ですからね、いつもの感じで申し訳ないんですけれども、お付き合いいただければと思います。
えーと、こう言っている間に音楽を流す準備をすると。
はい、というわけで本日も、今宵も始めてまいりたいと思います。
芸術法人シアターボンドのラジオ。
この配信は20年以上民間劇場で働き、劇場が閉館したのをきっかけに、
劇場のことなら何でもプロデュースする会社に転職した私が、そもそも論であれこれ考えて話すラジオです。
劇場はきっと答えをもらいに行く場所ではなくて、一旦立ち止まって問いを見つける場所。
この配信もリスナーの皆様にとって、問いを見つける場所になれればいいなと思っております。
また、学校法人、宗教法人、医療法人、社会福祉法人、劇場も劇団もそのすべての役割を担っているはずなのに、
芸術法人がないのっておかしくね?というわけで作ってみました。
芸術法人シアターボンド。この空想が現実になるその日まで。
芸術法人シアターボンド代表宮沢の配信ラジオをどなた様もよろしくご引き。
この配信は、鶴岡市民劇場、藤枝市民劇場、一般社団法人名古屋演劇館紹介、
稲沢演劇館紹介、NPO法人町田演劇館紹介、加藤圭一事務所、東京演劇アンサンブルの提供でお送りいたします。
町田演劇館紹介は、1984年2月に身近な町田市民ホールで演劇を定期的に見て、日々の生活の中に心の潤いをもとうという趣旨のもと、18名で準備会が発足しました。
身の回りの人や各種団体に会の趣旨を本気よく伝え、少しずつ賛同者を増やし、
同年11月に知人会総集スケッチブック、会員数560名、1985年1月には文学座マリウス、会員数700名の医療講演を成功させました。
そして、1985年3月には会員数999名となり、創立例会として劇団青年座トンゾコを数ステージで上演し、
同月の創立総会を経て、正式に町田演劇館紹介が発足しました。
2016年2月には法人格を取得し、NPO法人町田演劇館紹介として活動を行っています。
演劇を地元で見続けたいという会員の思いが会を支え、40年以上にわたり多様なジャンルの作品と出会い、感動を会員相互で共有しています。
また、若い世代に舞台芸術の魅力を知るきっかけを届け、将来の歓劇文化を支える仲間が増えていくことを願っています。
その取り組みとして、高校生、大学生、専門学生などを無料で招待し、若い世代が気軽に芝居に触れ合える環境を整えています。
町田演劇館紹介
はい、というわけで、本日もですね、スタンドFMでもですね、配信をしとるわけですけれども、
どうかな?音聞こえてますかね?
毎回毎回にわたってね、申し訳ございませんけれども、もしスタンドFMの方で聞いてくださっている方がいらっしゃいましたらですね、
聞こえてるよ!っていうのをちょっとね、お知らせいただきたいと思います。
ちょっと今日もしかしたら、CMとかその音の音源の方がね、流れてないかもしれない、やも知れないのでですね、
今ちょうどずっと空白の時間になってしまったかもしれませんが、申し訳ございません。
えーっとですね、今日の配信は、セリフ、セリフの劇という配信でございます。
お!スタンドFMで、ユニットさんでいいのかな?
聞こえてるよ!っていうことになったので、ありがとうございます。
よかった。
来週、後藤隆貴さんね、私もうね、大好きな方なんですよ、後藤隆貴さん。
なんかね、ちょっとねイケメンだしね。
もう学者さんだしね。
結構ね、文章を書ける方なんですよね。当たり前ですけどね。
学者さんって文章を書く人たちですからね。
それ以外にも東京人というね、月刊誌があります。
東京のいろんなことについて特集を毎回毎回やってね。
それで演芸とかね、落語とか、それから講談とかね。
そういうこう伝統芸能をね、紹介する。
東京というその一つの中心的なテーマね。
視点から、東京という視点から、今東京で展開されている文化、芸術、芸能というのは、
東京のどういう文化につながっているのか、みたいなのを詳しいね、読み物雑誌ですよね。
やってくださっている東京人というね、雑誌がございます。
私ね、高校生の頃からね、東京人ね、読んでました。
さらいと東京人はね、とダビンチね。
雑誌好きだったのでね。
よくよく図書館とかでね、そんな買えるお金はなかったので、図書館とかで読んでましたけども。
なんとそのね、東京人が俳優座劇場が閉館するの時にですね、
特集で取材に来てくださって、劇場特集をね、組んでくださって、
俳優座劇場だけじゃないんですけどね、俳優座劇場と、
それからあの時はあれかな、えっと、
駒場アゴラ劇場と、それからテントだったかな、
空十郎さんだったかと思うんですけど、
空十郎さんってお亡くなりになったのがどういうタイミングだったか、
ちょっとあやふやになってしまって申し訳ないんですけれども、
失われる劇場から見る劇場の大事さみたいなことを、
詳しい特集を組んでくださって、
俳優座劇場にもですね、取材に来てくださって、
岩崎カネ子さんのインタビューをね、記事で書いてくださって、
あの東京人の表紙がですね、俳優座劇場の袖からね、
舞台を見た写真になって、その写真が本当にかっこよくてね、
劇場をこうやって写真撮るって初めてだよねって、
その当時劇場にいた人間でね、この東京人のこの表紙を見ながらね、
なんかちょっと涙ぐむ人とかもいましたしね、
なんかこの岩崎カネ子さんが客席に向かって何かセリフを言っているようなところを横から、
下手袖から写真を撮っているような構図だったんですけどね、
あの写真は本当に良かったですね、
まずもうその写真だけでもうなんかね、来ましたよね、あの当時。
で、なんで東京人の話を急にしたかというと、
そのインタビュアーね、岩崎カネ子さんのインタビュアーが後藤先生だったんですよ。
後藤隆貴さんが岩崎カネ子さんのインタビューをね、撮りに来てくださって。
で、その時にご挨拶して、
で、あの蔵林さんの話に、なんかなぜか蔵林さんの話になって、
なんかそのインタビューが終わってどうもありがとうございましたの時に、
なんか時間ありますか?とかなんか宮沢がなんかね、呼び止めたんだか呼び止めたのなかったんだか。
とにかくすごい長い間ね、その後話し込むタイミングがあったんですよね。
それでその時に、後藤先生が実は蔵林誠一郎日記というのを出版しようと思ってるんだ、
みたいな話をもうその時点で知ってたかもしれないですね。
だからなんかお話が盛り上がったのかもしれない。
ちょっと忘れるもんですね、そういうのね。
わかんないけど、忘れちゃったけど。
なんかそんなような流れだったかと思います。
その話をですね、そういう話も来週ね、思い出しながら話したいと思いますけれども。
その時にね、奇特な方もいるもんやなと思って。
しかもね、たぶんね、ちゃんと聞いてないんですけども、
年の頃ならね、私と同い年か、ちょい下くらいかな。
いやちょい上かな。
同世代なんですよ。
同世代の学者さんがね、なぜまた蔵林さんなんだっていうことも、
なんだかすごくね、ワクワクするというか、
よくぞそこに目をつけてくださったっていうね、思いもありますので、
その辺のところ詳しくね、語っていただきたいなと思っております。
「セリフの劇」の魅力と新劇の役割
今日のね、本題なんですけれども、
セリフの劇というお話でございます。
なんでこの話、毎回毎回この流れですけれども、
なんでまず急にセリフの劇かと申しますとね、
ほら先週の配信が、なしごれん久々再結集だったじゃないですか。
なしごれんね。
なんかね、全然まだ数ヶ月しか経ってないのに、
妙に懐かしかったりしてね。
みんなでなんか話すのって楽しいなとかね、単純にね。
で、まあちょっと自分で言うのもあれですけど、
正直なところ大した話してないですよね。
あの、先週の配信必ず私自分でも聞きますけど、
そんなに深い話してないですよね。
だから、いつものこのね、
シアターボンドのラジオの内容と、
なしごれんの内容がですね、かなりの落差がね。
いやどっちが高いとか低いとか悪いとかじゃないですよ。
もちろんそういうことが言いたいわけじゃなくて、
なんか全然違うメディアだなってね、
思いましたし、
やっぱり新劇団に所属して、
しかも専属のというかね、
演劇制作者を生業にしている、
しかも新劇系のというのって、
やっぱ貴重な存在だよなってね、
改めて思うわけですよ。
だって新劇団に入るのだって大変なのにね、
しかもあの、そもそも新劇の劇団に入るな、
入ってそれを仕事にするなんてことって、
これ並大抵の努力というか、
えーなんていうのかな、
努力じゃねえな、
宝くじに当たったじゃないですけど、
それぐらいの倍率というか、
宿命というか運命というか、
分かんないですけど、
全国民のですね、
比率から考えたら、
1億2千万人いる日本人の中だけで考えるとですよ、
本当に0.0000%ですよ、2%ね、
ような世界じゃないですか。
だからもうね、
希少価値高っていうね、
感じがしましたし、
いやいや、そんなそういうね、
相対的なね、
比べっこしていうような話じゃなくて、
今でもですね、
これだけの人たちが、
こんな愉快なこれだけの人たちが、
新劇にこだわって、
芝居を作っているっていうのって、
やっぱり大切なことだろうなっていうふうに思うわけですよ。
それをね、先週の配信をやりながら、
あとはその録音配信を聞きながら、
やっぱ大事だよな、この人たちってね。
もう私はそういう立場から降りてしまったわけですけれども、
なかなか珍しい人たちだなーってね、
すごく思ったんです。
で、じゃあ改めて新劇って、
どういうお芝居の趣向性があるかというか、
どういう芝居のことを、
新劇というふうに言ってるのかって言った時に、
まあね、一つの小ジャンルなわけですから、
演劇っていう言葉があって、
その上にはね、
芸術っていう言葉があって、
芸術の中の演劇という表現方法、
それから芸術的ジャンルの中の、
演劇というのとまたさらに中の新劇というね、
まあそういう概念なわけじゃないですか。
じゃあその新劇っていうのは、
どういう小ジャンルというか、
どういう演劇を志向してきたんだろう、
目指してきたんだろうということを、
もう一回考え直すとですよ。
やっぱりセリフにこだわるっていうのがね、
ちょっと大きな柱になってるんじゃないかな、
というふうに思うわけですよね。
別にね、セリフ劇だけが新劇じゃないし、
リアリズム、いわゆるリアリズム演劇が
新劇だということを言いたいわけじゃなくて、
リアリズムじゃない演劇だって
新劇だってたくさんやってきてますし、
表現方法側から、表現したものから
新劇を規定するわけではないわけですけども、
ただし、新劇がよく作ってきたのは、
やっぱりセリフ劇、セリフの劇なんだろうな、
というふうに思うわけですよ。
じゃあそのセリフの劇ってね、
どういうことがあるんだろうと、
なんでセリフの劇ばっかりやるんだろう、
というのがありますし、
じゃあそのね、新劇、しかもセリフの劇が
この先どうやったら生き残っていけるんだろうか、
みたいなこともやっぱり考えるわけですよね。
私は少し違う方面というか、
違う世界に飛び出した側としてはね、
改めて少し遠くから見た新劇の世界って、
どういうふうに見えるんだろうといったときに、
やっぱりね、こういう言い方なかなか難しい、
この言い方難しいですけども、
各地域、各地方の各地域の文化ホールのことを
知れば知るほどですね、
やっぱりね、日本国中で行われている実演芸術、
舞台を使った生の芸術、
実演をする芸術のメーンといった、
中心は演劇じゃないんだということがね、
思い知らされるわけです。
この地域の中で運営されている文化ホール、
何をメインにしてやっているかというと、
やっぱり音楽なんですよね。
あらゆる地域のあらゆる地方の
あらゆる文化ホールに行くと、
必ず必ず音楽のオーケストラのポスターが
デカデカと貼ってありますよ。
これどこ行ってもそうなんですよね。
なので規模が全然違うわけですよ、音楽ってね。
演劇って比べて、演劇を20年以上作り続けてきた私から見ると、
やっぱり音楽なんだなってね。
これはね、どっちがいい悪いじゃない、
今日多いなこれ。
どっちがいい悪いじゃないですよ。
どっちもいいんですよ。
どっちだって楽しみたいわけですけども、
まあでも音楽の規模に比べたら演劇は、
ってこうなるわけですよね。
だからこそ、そういう状況の中で、
演劇にこだわる、セリフにこだわるってどういうことかっていうことを、
もう一回ちょっと考えたいなというふうに思うわけです。
でですよ。
セリフの劇っていうことで考えてまいりましたよ。
今でも考えてますけれども。
それとですね、もう一個きっかけ、
もうあと2つきっかけがあるんですけど、
セリフのね、セリフの劇を楽しむきっかけはどのように作ればいいのかっていうこともあるわけですよ。
つまりその音楽が中心となっている日本の文化、芸術。
やっぱり音楽は、
中学校、高校、小学校からあるよね。
小学校、中学校、高校、そして大学とですね、
音楽の時間っていうのがあるわけですし、
部活動でもですね、
吹奏楽部、それから合唱部、コーラス部ありますよ。
しかも、
少し大都市圏に行けばですよ。
大都市の公共ホールを指定管理として運営していく中で、
運営をしている財団がですね、
還元楽団とかね、
それから婚姓合唱団とかね、やってますよね。
それもね、これを例えばそのまま演劇にスライドさせて考えると、
宮沢市、宮沢文化財団が運営する劇団宮沢っていうのがあるっていうことなわけじゃないですか。
これね、えらい違いなわけですよね、音楽とはね。
やっぱり音楽のオーケストラ、それからそういう室内楽、
合唱、コーラスみたいな組織の規模、それから数がですね、
やっぱりね、全然違いますし、
やっぱり音楽が中心にこの国の文化芸術、実演芸術というのは動いてるなということが、
日々日々わかるわけですよ。
だからこそね、音楽だけじゃないんだよってね、思いたいし、
もっと楽しい、楽しめるぜっていうね、音楽とはまた別の面白みあるぜっていうのを考えたときに、
やっぱり特徴になるのがセリフなんだろうなと。
やっぱ音楽にはないものって何って言ったら言葉ですよ。
ミュージカルってのはありますよ。
ミュージカルは歌であり演劇なわけですけれども。
そこはうまいことね、いいとこどりというかね、いい意味でですよ、もちろんね。
ズルしてるよって言いたいわけじゃないですよ。
なんですけども、音楽のいいところ、それからセリフ劇のいいところをうまくブレンドして作ったミュージカル作品というのはですね、
まあ心を打ちますし、
私もね、好きな作品もありますけれども、
でもセリフ劇だけにしかできないこともあるよねっていうね、
そこを親しむ人たちをこの先どういうふうに作っていくのかっていうかね、
全然親しんでない人たちに対してセリフ劇ってこういういいとこあるんだよっていうのをね、
言っていきたいよなっていうふうにやっぱ思うわと。
でね、そんな中ですよ。
私がね、毎週のように聞いているTBSラジオってね、東京関東圏ではTBSラジオって言いますけれども、
おそらく全国ネットなわけですから、TBS毎日放送系のね、ところでは放送されていると思いますけれども、
東京ポッド許可局というね、番組がありまして、
これね、3人のおじさんたちがですね、ほんとだらだらね、好きなこと話すだけの番組、
しかもコーナー、リスナーからのコメントというかお便り、メールなどなどを読む時間もありますけれども、
基本的にはね、ただ話しているだけっていう番組がありますが、
その東京ポッド許可局という番組の中で6月27日に放送された、
先月の終わり頃ですね、放送された東京ポッド許可局がですね、
演劇を見に行かない人にどうやって見に行こうと思わせるか論っていうね、
毎回毎回何とか論、何とか論っていうね、論なんですよね。
論っていうのは論評の論、論理の論の論ですけれども、
演劇を見に行かない人にどうやって見に行こうと思わせるか論っていうね、
テーマでラジオをやってたんですよ。
これ、私ね、リアルタイムで聞けなかったっていうのも、
東京ポッド許可局ね、リアルタイムで聞こうとするととんでもない時間帯なんですよ。
深夜枠ですから、土曜日の夜なんですよね。
だから明日の夜、日付変わって明後日の深夜ということになりますけれども、
土曜日のね、深夜1時から生放送だった。
生じゃないんだな、放送ね、録音放送なんですけれども。
なのでね、ほぼほぼリアルタイムでは聞けたことないんですよ。
でもね、ラジコでね、後から聞いておりましたけれどもね。
とともに東京ポッドっていうのは、
ポッドキャストのポッドで、
ポッドキャストがまだ全然ね、認知されていない時からですね、
その当時全然売れてなかった芸人ね、
音楽芸人の牧田スポーツさんと、それから時事芸人のプチ鹿島さんと、
そしてサンキュー達夫さんっていうね、この人もなかなか個性的でね、
面白い、米粒社長っていうね、東京の寄せ芸人なんですよね。
しかもね、ひとつ橋大学だったか、
日本語の研究をされている超知識人でもあるっていうね、異色の芸人さんがいるんです。
このね、3人のおじさんたちがね、
集まっていろんな論を展開するんですが、
その中で演劇を見に行かない人にどうやって見に行こうと思わせるか論っていうのを話してたんですよね。
で、やっぱりね、さすが芸人さんたちだなと思うのは、
全然演劇と関係ない人たちなのかと思いきや、
80年代後半から90年代にかけての小劇場の話をされてて、
小劇場系のね、それこそ斉藤さんがね、劇団ドラの制作の斉藤さんがね、
大好きなカクスコをね、見に行ってたよとかね、
あと惑星ピスタチオンも出たかな、
なんかね、あの当時の小劇場ブームの時代にお芝居見てたんだよみたいな話をしてて、
だけどやっぱり気になるというか、どうやったらね、今の若者たちというか観客ね、
今まで全然芝居を見に行ったことない人たちにこの魅力を伝えればいいんだろうということをね、
それぞれ悩みながら話している感じがね、妙になしごれんぽくてね。
一緒に住んだよってことかもしれないですけど、
やっぱりね、そういうプロの、プロのというかね、
ちゃんとこの芸人を生業にされている人たちですら、
やっぱり見てみなきゃわかんないんだよなっていうのがね、
一つの結論めいた感じだったわけですけども、
見るまでが大変ね。
しかも、多分この3人ね、ポッドキャスト、
東京ポッドの3人は新劇ということを誤解していて、
新劇って難しそうとかね、わけわかんないのが新劇とかね、
ちらっと言う局面もあってね、
ちょっとヒヤッとするっていうかね、
何をこの野郎って宮沢が思っちゃうところも、
まあまああったんですけども、
年の頃なら50歳代後半、
もう60の声が見えているぐらいの世代の人たちなんですが、
もうね、それぐらいの方々でもね、新劇というのはね、
馴染みのないものになっているわけですね。
というのもわかったし、
やっぱり新劇語りをね、
ちゃんとしていかなきゃいけないだろうし、
やっぱり新劇の売りの一つね、
売り買いの関係じゃないって言われるかもしれない、
そういう話じゃなくて、
新劇の魅力の大きな一つとしては、
やっぱりセリフにこだわるっていうことなんだよな、
っていうふうに思いますし、
もっともっと観念的なというか、
理念的な話に入っていくと、
いや、宮沢くんそもそも新劇というのはジャンルじゃないんだよっていうね、
話にも展開できますよね。
そこも私は理解しております。
新劇というのはジャンルじゃなくて運動なんだっていうね、
そういう側面も大いに持っておるわけですけれども、
それと共にやはり知らない人、
新劇の詞の字も知らない人に、
新劇って言うけどさ、
何がいいわけ?ってなった時に、
セリフだよってね、
言いたいね。
まあ、宮沢も言ってきてるわけですけど、
全然芝居見に行かねえ友達とかに、
セリフがいいんだよってね、
すげえ言った記憶もありますけれども。
なんかね、
新劇イコールセリフって言いたいわけじゃないんですが、
ただやっぱり小劇場のセリフとかね、
それから大劇場のセリフよりも、
新劇のセリフっていうのはまた違うよね、
っていうことが言いたいですね。
新劇ならではのセリフ術って絶対にあるよなって、
思っておりますし。
じゃあ、それがね、どういうものなのかっていうことをね、
一つ考えていきたいわけですよ。
で、各地方の演劇鑑賞会の皆さんもね、
年に6本、
多いところでは7本、
かつては年間12本霊会をやっている
モサもいたっていう話もありますけれども、
少ないところでも4本、
年間でお芝居、新劇を見続けている人たちがいるし、
その年間4本を何十年も見続けているよっていう人が、
結構普通にいる世界じゃないですか。
だから、さっきの話じゃないけど、
新劇制作者も全人口平均、
全人口比で言えばね、
0.0000何%なわけですけど、
演劇鑑賞会の事務局とか役員さんなんて、
なんてって言い方もあるんですけど、
やっぱり超レアですよね。
スーパーレアかな。
ウルトラスーパーハイパーレアかな。
ポケモンじゃないけどね。
ポケモンはあんま分かんないけど。
もう出会ったらものすごい運良いみたいなね。
そういう世界じゃないですか。
そんなセリフ劇を見続けてるね。
ミュージカルも含めて、
新劇を見続けてる人たちだからこそ、
言えることってたくさんやっぱりあるだろうし、
そこはね、一つ一つね、
言葉にしていきたいよなという風にも思うわけですよ。
そんな中、そういう人たちが、
私が考えたわけじゃないけど、
私が長年ね、十何年間もね、
やりたい、やりたいって思い続けた作品が、
そういう人たちに選ばれたっていうのはね、
まあもうね、名誉なことなわけですよ。
嬉しい。
そういうようないきさつがあってですよ。
やっぱりセリフのこと考えたいなと。
そう思ったわけでございます。
じゃあね、セリフの劇ってどういう劇よっていうことになるわけですけれども、
「演劇は流行っていない」論と今後の課題
セリフの劇。
セリフの劇、セリフの劇ってずっと考えてたんですが、
あともう一つね、
これはもうただ紹介するだけに収めますけど、
演劇は流行っていない、
それはそう、確かにそう、前からそう、
で、じゃあどうするの、の回。
なんだそのタイトルと思います。
もう一回言いますよ。
演劇は流行っていない、
それはそう、確かにそう、前からそう、
で、じゃあこれからどうするの、の回。
っていうね、回があるんですよ。
どういう回かっていうと、
まずこの演劇は流行っていないっていうのは、
今年度ですね、
吉田義玉賞を受賞されたある劇作家の方が、
SNSの発信だか、
吉田義玉賞の受賞のご挨拶でだか何か知らないですけど、
演劇は流行っていないんだから偉そうにすんなみたいなことをね、
これ多分笑いを取ろうと思ってあえて言ったんだと思いますけど、
演劇流行ってないよ、みんなって。
だから偉そうにしちゃダメだよってことを言ったら、
これがまあいわゆる大炎上してですね、
偉そうにしてねえんだよって。
そんなようなことがちょっとSNSで盛り上がったタイミングがありましたよね。
よくツイッターなどをご覧になっている方は、
もうよくよくご存知だと思いますけど、
演劇は流行っていないがたりっていうのがね、
ちょっと流行った時期がありました。
もう今はね、やっぱりSNSの大きな特徴で忘れ去られつつあるので、
ことあるごとにね、ちょっと火つけてね、
ボンボン燃やさないとと思ってますけれども、
まあまあ、演劇は流行っていない。
それはそう、確かにそう、前からそう。
で、じゃあこれからどうするの?の回っていうね、
そのSNSの盛り上がりを受けて、
各演劇評論家、演劇ライター、
それから劇場運営者、
役者さんなどなどがですね、
回を作って、
それでトークセッション、
トークライブ、
みたいなことを小劇場を使ってやっている催しがあって、
これが第2回目が先日終わったのかな?
6月、7月の頭頃でしたね。
やられてたと。
で、そこにですね、1回目はね、正直私も、
ちょっと関西の方だったと思うんですけど、
え、違うかな?
ちょっとね、存じ上げない方々が一生懸命
おやりになっている印象だったんですが、
この第2回目の登壇者、
出演者を見てびっくりしたんですよね。
もうね、超有名なというか、
もう言い方あれですけれども、
小劇場を牽引する人たち、
それから演劇ライター、
しかもその中にですね、
これ一番驚いたんですけれども、
独立行政法人日本、
え、ちょっと待って。独立行政法人日本
芸術文化振興会、
いわゆる芸文振というね、
国がですね、文化庁の外閣団体として、
国がアーツカウンシルというね、
ことに取り組んだ一つのね、
独立行政法人がありますよ。
で、ここが今ね、
下中になっておりますけれども、
国立劇場をね、運営している、
新国立劇場は別の財団ですけれども、
国立劇場ね、今閉館して、
大問題になっている、
あの国立劇場を運営しているのが
芸文振ね、独立行政法人日本
芸術文化振興会
なわけですけど、
そこにですね、そこからの移植を受けて、
ある時期からですね、
まあいろんな戦があって、
PD、POというね、
プログラムディレクターというのと、
プログラムオフィサーというね、
民間で演劇の現場で
活躍している演劇陣を、
そういうプログラムディレクター、
それからプログラムオフィサーという形で
雇うことによってですね、
その人が持つ
あらゆるコネクションだとか、
知識だとか、知見みたいなものを、
国の文化政策に生かす、
お役人さんたちだけでは
全然現場のことは分からないし、
どういう形で、どこの劇団に
どれくらいの支援をすればいいのかとか、
そもそも文化支援をするには、
どういうやり方が一番適しているのか、
みたいなのを議論する人たちがいます。
プログラムオフィサー、
プログラムディレクター、
いるんです。
例えば新劇系で言えば、
今PO、プログラムオフィサーをやっているのは、
元劇団青年座の
檜山さん。ご存知の方も多いと思いますが、
檜山さんPOですよね。
後は、劇団文化座に在籍されていた
島村さん。
島ちゃん、島ちゃんってみんなに言われていて面白い方でしたけど、
島村さんもPOですよね。
かつては、私を
新劇制作者協会の理事に抜擢してくださった
高橋利也さんもPOだったかな。
というような形で、
現場で第一線で
バリッバリ活躍されている方が
POという立場になって、
あとは、私のさっき大好きな
小笠原京さん、
聖なる炎の演出家の小笠原京さんも
もともとPOだったんですけれども、
というような形で、
第一線で活躍されている方が
POという形で関わって
演劇文化の支援、
演劇の文化支援みたいなことを
話し合う制度があります。
その
PO
POというのが何人かいて、
全部で、子供のための
演劇のジャンルとか、
商業演劇に詳しい人とか、
新劇画でめちゃくちゃ
活躍されている人とか、いろんな
裏付け、いろんなバックグラウンドがある人達が集まる
わけですけれども、そのPOさん達の
話を取りまとめて、一つの
文化事業につなげていく
リーダーですよね。プログラム
オフィサーをまとめる
まとめ役の人がプログラム
ディレクターということになるわけです。PD
ということになるわけですけど、そのさっき
紹介した長いタイトルの
どうするのか、どうするのかい
に、現PDの
森山直人さん
という演劇評論家の方も
登壇されていたわけですよ。
これもすごいなと思って。
だからやっぱり、その一つの
演劇は流行ってない。それはそう、確かに
前からそう。で、
これからどうするのか問題っていうのは
演劇のあらゆるジャンル、あらゆるレイヤー
あらゆる立場の人達からしても
とても
リアルな話だろうな、話だったんだろうな
それを引き出すための一つの
大きなリアルなテーマだったんだろうな
というふうにも感じますし、やっぱりこのね
何度も言って申し訳ないんですけども、演劇は
流行っていない。それはそう、確かに
そう。前からそう。で、
じゃあこれからどうするの?
っていうのを新劇の
出身の私にもやっぱり
向けられたというか
新劇出身で劇場作りに
立ち向かおうと心に決めた
私、だからこそね、演劇のことをね
とってもこうなんていうか
エコヒーキしたい。新劇エコヒーキしたいわけですよ
だからこそ
演劇ってこういうところすごいんですよってことを
話せるようにしておきたい
っていうのが一つの大きな
今日のテーマなわけでございます
前置きがめちゃくちゃ長くなって申し訳ないんですが
そういう戦の中、セリフについて考えてまいりましたので
皆さんに共有したい
セリフってどういう魅力があるのか
深掘りをしていく中で
なるほど、そういうこともあるのか
っていうことを皆さんで見つけていただきたいな
というふうに思っております
連続で話しすぎたので
一旦CM
参ります。一旦CM
人民に優しい地方政治を行い
天保が決まっても堺池に治めてほしいと
領民たちが幕府に
直訴した
三保領地替え組織運動でも有名な
珍しい地、蚊の文豪
藤沢周平の生まれ故郷である
その著作にたびたび登場する
宇那坂藩のモデルとしても
歴史と文化とたくさんの美味しい海の幸
山の幸に囲まれた鶴岡にも
市民劇場がある
鶴岡市民劇場は昨年60周年を迎え
緩い運動体質から脱却し
さらに日本演劇の
民主的発展に寄与するため
とにかく何でも自分たちの頭で考えることから始めたい
と事務局長の井原さんは語ります
庄内平野のど真ん中で演劇の灯火を守る
鶴岡市民劇場にぜひご入会を
よろしくお願いいたします
【質問】鶴岡のCM長さしていただきました
【質問】今日鶴岡が例会ですね
【質問】続けてナオさんから
【質問】鶴岡のナオさんから
【質問】コメントいただいております
【質問】待ってました大声論
【質問】わらわらって書いてありますね
【質問】大声論っていう回もあるんですよ
【質問】最近大声出してないよなみたいな
【質問】そもそも日常生活を送っている中で
【質問】大声出すのって難しいよねみたいな
【質問】そんな話でしたけど面白かったな
【質問】東京ポッド許可局
【質問】ぜひお勧めです
【質問】ポッドキャストでも聞けますので
【質問】TBSラジオなり
【質問】地元の毎日系の中で
【質問】東京ポッドを放送してないんだよ
【質問】東京ポッドっていう人は
【質問】ぜひポッドキャストでお聞きいただければと思います
【質問】押し勝つってこういうことなんだろうなって思ってるのが
【質問】東京ポッドの3人でございます
【質問】宮沢押しておりますので
【質問】お勧めでございますから
【質問】ぜひよろしくお願いします
【質問】高橋忠邦さんのコメントにつなげて
【質問】高橋さんが
【質問】人ゲームのチラシを出しているのと
【質問】それからそこにNaoさんのコメントが入っていて
【質問】Naoさんから
【質問】ありがとうございます
【質問】なんとか前日に全霊界クリアとなり
【質問】東北千秋楽を先ほど無事に終えました
【質問】竹下さんの反応がよくて
【質問】楽しかったとのお言葉をいただき
【質問】嬉しかったですということでございますね
お疲れ様でございました
霊界終わったと聞いてくださったのでありがとうございます
お疲れのところすいません
今回は鶴岡が東北最後なんですね
鶴岡って大体東北だと一番最初
やった時が多いですけど
最後ってのもあるのかな
福島から鶴岡移動か
鶴岡ってなると前乗りだったかもしれませんね
当日乗りでっていうのはなかなか難しいかもしれないな
で人ゲームはこの後
今度はコープシアター大阪
が主催となって
7月の25日と26日の土日でですね
森口文化センター
エナジーホールというところでの
講演が予定されているということですね
これ確かコープシアターということは
聖教ですよね聖教の会員さん向けの
多分これは講演になるかと思うので
一般公開はしてないのかな
そこで聖教で入れば
ということなのかもしれない
ちょっとよくわからないんですけれども
人ゲームもね
ここでも話しましたけどなかなか見られないんだよな
宮沢どっかに見に行きたいなというふうに
思っておりますけどね
京都に行きたかったんだけど
もうね
セリフの劇の話入らないともうほんと
他のことばっかり話してて終わっちゃうからね
話す話す詐欺になっちゃう
「セリフ」の語源と漢字表記の探求
すみませんセリフの劇の話になりますけれども
セリフの劇セリフの劇って言いますが
セリフっていう言葉って
考えてみたら不思議ですよね
というところから話したいんですけども
セリフって語源皆さんご存知でしょうか
セリフ
セリフってちょっと
日本語っぽくない響きだよなって
思ったんですよ
ちゃんと私もね
習ったのは大学生ですね
私演劇これでもねこんな宮沢でもね
演劇でね
一応学位を収めておりますから
ね
日大芸術学部演劇学科を
しっかりとこれは卒業しておりますので
この前転職した時に久々学校行ってね
卒業証明書取ったんですけども
ちゃんと卒業できておりましたので
間違いございません
経歴差小ではございませんのでね
ちゃんと卒業しておりますので
学位を持っておりますよだからね
こんな宮沢でもね
芸術学士ですよ
芸術学士かっこ演劇ですよね
だからね一応演劇のこと
詳しいんですよこれでもね
で確か劇作論だったかな
劇作論という授業の中で
セリフのことについて学んだんですけれども
セリフの語源てね
その時に習ったのは
せる
せり
せりってあるじゃないですか
市場のね
魚市場とか野菜市場とかでほらせり
今年の初ゼリは
寿司三昧がみたいな毎年あるじゃないですか
あのせりに
せり言う
せって言う
小語で書くと
せりゆふになるわけですよね
せりいふね
せりいふと書いてせりゆう
と読みますよ
というねせりゆうからせっていう
競争の競と書きますよね
漢字で書くとね
お互いこうなんていうの
ぶつけ合うというか競争し合うみたいな
っていう言葉が
江戸時代にあってこれが
どこで使った言葉かというと
吉原裕郭で
使う言葉だったせりゆうっていうのはね
恋のやりとりね
仮初めの恋のやりとりね
ありますよねまあ友情の人に
からまた来てねあなたって言われて
はいわかったよって言って
二度と来ないみたいな
そういう仮初めの駆け引きがあった
そうじゃないですか
全然来てくれないのねなんて手紙書いてみたりね
そういう手紙を全部ね
燃やしちゃったりとか
全然来てくれないから気にあんでてね
病気になっちゃうみたいな話も
落語には出てきますよね
まあまあ生を売り物にして
今でもそうですけどね
社会構造というか文化
それに関しては宮沢もね
相対的な
客観的に見て
美しさの象徴だったのかもしれないけど
それは男から見た美しさであって
別に全員が美しいと思ってるわけじゃないし
裏ではね
コロリっていうね
伝染病が流行ってみたりだとか
あと梅毒で亡くなったオイランたち数多くいただとか
衛生管理
それからねそもそも倫理観の中で見れば
近代的な倫理観の中で見れば
ありえない話ではあると思うんですけど
ただ当時の大衆文化を考えた時には
やっぱり江戸の
江戸は日に三千両消費されると
で千両が魚菓子
でもう千両が歌舞伎
芝居小屋で千両
それから最後に
吉原で千両
一日で三千両を消費してたっていうようなことを
よく言いますけれどもね
その三つのうちの一つの
吉原で言われた言葉が
のセリユーから
セリフっていうのは来てるんだよっていうのが
一つの説なんだそうです
そういう駆け引きとか
そういう対話
対話っていうとなんかね
とてもシリアスなように聞こえますけど
要するにその寝引き交渉とかね
それからこの営業
売り文句とかね
そういう人と人とが
競り合うことによって言い合う
ことがセリフの
発祥なんだよってことを習いましたが
これね今回ね
もう一回調べてみて分かったんですけど
もう一つ実は説があって
セリフの語源でもう一つね
紹介されていたのは
これね
工房大使空海
もともと時代が古くなりますよ
セリユーっていうのは近世ですよね
江戸時代ですからね
1600年代17世紀の話ですけども
空海となるとですね今度はもうね
平安時代ですよね
泣くよう動いす平安京のあそこら辺ですよ
8世紀とか1000年くらい
あのね
1000年くらいもう少しね
時代が古くなりますけども
空海の仏教
神言密教の言葉で
セルフどういうイントネーションなんだろう
セルフバイマイセルフのセルフみたいになっちゃうからね
言うのが難しいですけど
世間のせに流れるに
布教の布
布という字ね
だから世の中に留守すると書いて
セルフというね言葉があるそうなんですよ
実はこれがそもそも
セリフの語源なんじゃないか
ということが言われております
でこのセルフというのは
どういう考え方なのかっていうと
これね
難しい
こうね
難しいよこれ
神言密教って難しいですよね
私ね
セルフのことについてちゃんと説明できるように
wikipediaだけじゃないですよ
難しげなサイトがたくさん出てきたので
インターネットのサイトを読み込んでみたり
それから
一つ本を開いて
梅原たけしさんの本を開いてみたりしてね
話せるようにと思って調べたんですけど
まあわかんない
まあちょっとね複雑回帰なんですけれども
まあ後ほどね
そのセルフのことについては
紹介させていただきますが
でもとにかく優格の言葉っていう
語源しか知らなかったんですが
どうやらですね仏教用語と関係が
セルフという仏教用語にも関係が深いんじゃないか
という説があるそうなんですよね
で
そう考えると演劇そのものがですね
仏教の影響ってかなり根深くあって
っていうのはやっぱり
縁の行者っていうね
役の行者とか言って縁の行者っていう
言い方ありますけどあれは
坪内松陽先生がね表された
あのご本なわけですけれども
役っていう言葉も
仏教から来てるっていうね話もありますが
なんか演劇用語の中には
仏教の言葉がすごくね
密接に関わってるって話も聞いたことありますが
とにかくどうやら
仏教っぽい感じもあるよってことだけね
紹介させていただきますけれども
じゃあね
セルセリフね
漢字で書くとどうやって書きますか
皆さんセリフね
実はねこれもまたね曖昧なことにですね
2つの書き方があるんですよね
漢字で書くとねもちろんあて字なわけですけれども
よくよく使うのが
舞台の台に歌詞の詩ね
詩ねあるじゃないですか
語弁につかさどると書いて詩ね
この歌の歌詞ってこういう歌詞だよね
の歌詞ねの詩ですよ
言葉と読みますしね
この詩という字をことと読ませてですね
女の子のお名前につける方が結構最近多い
ございますよね
なるほどこの字使うんだみたいな
あと歌と読ませる人もいるみたいですけれども
そういうなんかちょっと文化芸術っぽい言葉
漢字のようなね
印象もあるみたいですけれども
舞台の台に言葉
詩と書いてセリフ
これはもう読んで字のごとくですよね
台本に書かれた詩ね
それから舞台の詩
みたいなね
これ多分明治期の人だと思うんですが
それから江戸時代の歌舞伎の世界なのかな
大字と書いて
セリフと読ませるみたいなね
当て字したんだろうと思うんですけど
もう一つねセリフっていう漢字があるんですよ
これがね
理科の科っていうね科学の科っていうのに書いて
白ねホワイトの白ですよ
科学理科の科に
白ね
ってセリフと読むんですよね
どうやったらセリフって読めるんだと
昔から思ってましたけれども
台字もですね科学もですね
両方ともセリフって読めないんですよね
だから多分セリフという言葉と
漢字というものの
一つの特別な関係というかね
特殊な関係があるんだろうなというふうに思うんですが
科学の方ね
理科の科にホワイトの白と書いて
セリフっていうのは
元々どういう意味かっていうとですね
これも調べてきたんですが
なんでこう科学の科に白で
セリフなんだろうと思ったんですが
これねこの科学の科っていう字が
実はですね
品を作るの品
縦品の品ですよね
長野県内の方だったら
読めると思うんですけど
品とも読むんですよね
どういう意味かっていうと
振る舞いとか仕草っていう意味があるそうなんですよ
この科学の科
演劇学科の科にはですね
仕草とか様子とか
そういう意味合いがあるそうなんですよね
白という字がですね
今度は口語ですね
喋る言葉書く言葉じゃなくて
喋る言葉言語という意味が
白にはあるそうなんですよね
これは例えば告白の白とかね
白状の白とか
それは明白だっていうのの白とかね
それ全部言葉が
関係してるじゃないですか
白という字にはそういう意味合いがあって
だから品という字に
白いと書くと
仕草とそれから言葉
喋り言葉という意味合いがあるそうなんですよね
これはどうやら中国の言葉
みたいなんですけれども
様子とか仕草振る舞いとそれから
言葉が合わさってセリフになってるよ
っていうね
そこまで説明されたらよくわかるけど
わかんないですよね
なんでそれをセリフと読ませたかってのもわかんないですけど
そうなるとね
告白とか大字とか言うならわかるけど
それをセリフと読ませるってのも
やや難読の香りが
プンプンとするわけですよ
なのでセリフって
実はねセリフを覚えなきゃとか
どうやってセリフを覚えてるんですかとかね
セリフ劇って大事だよなとかって結構ね
そのセリフいいねとかね
そのセリフはとかね
そんなセリフ吐いてみたいねなんてね
言ったりしますけどもね
実はセリフって掘っていくとですね
よくわからんのですよ
不思議な言葉だなという風に思うわけです
セリフ劇の構造と「言語化」との対比
でね
英語ではですね
ヨーロッパ圏でセリフっていうのを調べていくと
英語もね
フランス語もロシア語も
ドイツ語もイタリア語も
みんなねセリフってね
2つの言葉があるんですよ
これもね複雑回帰だなと思っていくんですけれども
ラテン語圏ですよね
の国の文化だと
いわゆる日本で言っているセリフっていうのは
1つの言葉じゃなくて
独白みたいな
1人芝居の1人で語る
セリフっていうのと
あと対話っていうので
2つの言葉が分かれてるんですよね
だから文脈によっては
そのセリフはって言った時に
英語では例えば
この前見た1人芝居の
セリフがとっても良かったんだよねっていうのを
英語で言おうとすると
ラインラインズっていうらしいですよね
線ですよね行とか
1人芝居での
セリフを言う時はラインって言って
この前の聖なる炎の
セリフが良かったねっていう
対話が前提となっていることを英語で言おうとすると
ダイアログと言うらしいですよね
だからねセリフっていうのは
日本ではセリフが1つの言葉で
言われてますけども
英語その他フランス語ロシア語ドイツ語
みんな2つずつ言葉がある
のも面白いなという風に思うんですよね
だから新劇の時代
新劇もしかも戦後の新劇じゃなくて
明治期
坪内松陽さんとかのあの時代に
セリフって多分もう1回
新しい近代劇の中で
セリフってどういう言葉で言おうか
みたいなことを考えて決めたんだと思うんですけども
1人芝居の
独白かですよね
それから会話劇のセリフ
2つの言葉
にこう
分かれなかったんだなっていうのもね
なかなかこう
じゃあ日本におけるセリフってどういう伝わり方を
してきたんだろうなとかね
そもそも会話劇っていうのってあったのかな
いやでも歌舞伎も会話してるけどなとかね
だんだんだんだんこの
新劇が目指したところの角にね
見えてくるわけですよね
さっき言った
セリ言うね
セって言うっていうことってどちらかというと
川竹木上みたいなね
割ゼリフとかねあるじゃないですか
例えばその
白波五人男ねありますよね
桜が
わーって満開になっている
瓦でね
もうそれぞれの
白波っていうのは盗賊という意味ですけれども
盗賊の
統領というか
ピカレスクヒーローですよね
ワルね
ワルも千日メールぐらいワルね
ワルが五人
ガッと集まってねそれぞれで
名乗りを挙げてですよカッコつけてね
名乗りを挙げるシーンがありますよ
でそこで一人ずつ
自己紹介
俺だ俺だ
これが俺だこういう人生で
こういう悪事をいっぱい働いてきたから
すげーんだぜみたいなことを
カッコつけて言うシーンがありますけど
その前に一人一人の
自己紹介に入る前に
一人ずつ
この状況を説明していくにあたり
こうやって説明すると本当につまんなそうだよね
面白いんだけどね
カッコいいんだけども
何とかって言ったら次の人が何とかって言って
またその次の人が何とかって続けてね
一つの文章を複数人で
決めていくというか
表していくセリフを言っていく
対話じゃなくて
一つの物語を順番子に
言っていくみたいなね
そういうセリフはもちろんあったんですけども
例えばじゃあ
近代劇新劇が評判するような
対話劇みたいな
言葉と言葉が
対話をすること
言葉と言葉で対話をすることによって
浮かび上がってくる
人間の本質だとかね
人間のリアルだとか
生活の場を
生活をしている言葉遣いで
会話を
さもその
舞台の上で
リアルに庶民が話しているかのごとく
再現をして
その中でドラマが展開していって
実はこういうことが
大きな出来事が起きてしまうとか
もう本当に客席と舞台が
地続きなような
第3の壁第4の壁とか言いますけどね
舞台と客席には見えない
第4の壁があって
その透明な実在しない壁を通じて
その舞台の中で行われている
リアルな生活世界を覗き見ている
というようなことで
新劇というのが始まったと習いますけれども
演劇学士なのでね
習うんですけれども
第4の壁
よく言うじゃないですか
のような形で人と人とが
日常会話それから対話を
重ねていく中で徐々に徐々に
その世界に引き込んでいく
やり口
そういう表現
表現方法がありますけれども
それはちょっと歌舞伎の世界とは
ちょっと違いますよね
歌舞伎はやっぱり一つ一つの台詞が決め台詞みたいに
大見えを切ってね
大見えを切るために
積み上げていくものというかね
徐々に徐々にこのボルテージを
上げていってバンババンって木が
脇で鳴ってね
それで知らないって聞かせましょう
みたいなねあるじゃないですか
リズム感というか音楽というかね
そういう
演劇のやり方ですよね
それと新劇は違いますよね明らかにね
だからどっちかというと
シェイクスピア劇とかもそっちに近いのかな
っていうこともあります
なので新劇が考えたとか
新劇がヨーロッパから取り入れてきた
セリフ劇
セリフの劇というのはちょっとやっぱり
かっこいいその形とかね
見えを切るための
っていうかね
真実
それから真善美と言いますけど
真実そして善行
正しいことそして美しいことを
突き詰める演劇
芸能ですかとはやっぱり新劇は
ちょっと違ってそのリアルというか
生活人生のとか
人間のとかね生活の中で
にある一つの
誰しもが持っている真実
みたいなものを本当に
この当たり前の言葉遣いで
話しているかのように見せる
演劇を取り入れてきた
歴史がありますよね
やっぱり新劇の一番の根っこになっている
台本の一つで
女の一生もそうですけど
人形の家っていうのがありますよね
人形の家
私音楽劇人形の家
旅で回らせていただきましたけど
そもそもセリフ劇の人形の家
これやっぱり読んだり
それからセリフ劇バージョン
ストレートプレイバージョンで見たりすると
やっぱりこれ
リアルだなというか
音楽劇人形の家とは
また別の迫力というか
ノーラ
なぜ出ていくというのが
非常に胸に迫ってくるというか
異世界に飛ばないで
実際感があるというか
そんな気がするわけです
セリフの持つ
一つの魅力というのは
そういう
音としてかっこいいとか
心地いいとかワードとして
さも音楽の歌詞のように
聞いててとっても気持ちいいみたいな
面白みもありますけれども
新劇化というか近代劇が考える
ストレートプレイが目指す
セリフの魅力というのは
そういうリズム感とかかっこよさとか
心地よさとかじゃなくて
その言葉が積み上げられていく中で
何か引っかかるというか
なんでこの人はこんな行動を取ってしまうんだろうとか
自分だったら
そういう時ってこんな言い方できないなとか
しかも口では
この人こうやって言ってるけど
実はちょっと別のこと考えてるんじゃないかとかね
このやり取りの中に
出てきてない感情
二人ともこの会話が
例えばAさんとBさんが話していて
何か全然関係ないことを
話しているようで
本当はこの二人はこういうことを
考えてるんじゃないかとかね
言葉そのものを表現するので
その積み上げられた
やり取りの先に
何か大切なことが埋もれているというかね
秘められている
じゃないかなって
考えさせるというかね
そういう魅力があるんですよね
セリフ劇を見る時って
そのセリフそのものよりも
セリフを言っている役者さんとか
そのセリフをバッと言った時に
バッと音楽が変わったり
照明がバッと変わったりするのは
何か別の
言葉だけというか
楽面だけというかね
書き言葉だけじゃないところを
実は表現してるんじゃないかと
考えさせてくれる余白があるというかね
なんか仕掛けられてるんじゃないか
あんなこと言ってるけど
本当は全然違うことを考えてるんじゃないかとかね
えーちょっと今あんな言い方したけど
大丈夫なのあれでとかね
ちょっと不安にさせるとか
ふわっとさせるとかね
何か言ってることだけじゃないよなこれは
っていうことを
考えさせてくれる面白さがあります
なんかそういうのって
例えば小説だとか
それから
映画とかテレビドラマとか
他のメディアにももちろん
セリフを積み上げることによって
何か別のものを表現しようとする
別の感情とか
裏で動いているドラマとかを
考えさせるような
展開ってありますけど
やっぱりそれを一番思わせてくれるのが
演劇というか
新劇なんじゃないかなと思うわけです
本当はこの劇団とか
このお芝居って
もう本当に極端に
わかりやすいような言い方すると
戦争をね
とっても雷散するというか大肯定すると
これから日本はね
アメリカイギリスと大きな戦争を戦わなきゃいけないんだ
個人の思いだとか生活だとかよりも
国家の安寧なんだと
今自分のやりたいことだとか
自己実現だとか
この人と結婚したいだとか
こういう生活を送りたいだとか
言ってる場合じゃないんだと
国のために死ななきゃいけないんだみたいな
ことを言っているお芝居があったとして
その劇団は本当にそう思ってるわけじゃないですよね
当たり前ですけども
大前提として
その時代の生活というか
我々庶民の
その時代の庶民のやりとりを
リアリティがあるやり方で
表現しているからといって
これからみんなそうしなきゃいけないって言ってるわけじゃなくて
うわぁ
こういう感じだったのかってね
もしかしたらあの時代に自分が生まれてたら
同じこと言ってたかもしれないなとか
あとはこんなに誠実そうな人なのに
ある時期から
物の言い方が変わったなとか
何か一つのセリフをきっかけに
その先にこの人は何を思ってるかとか
何を目指してるんだろうとかっていうのを
問いかけてくれる
問いかけになっている
あとはこの劇団が今この時代で
こういうドラマを描くことによって
何か
劇団側がそれを観客に
問いかけている
これはっきり言わなくてもいいんですよね
劇団が分かりやすく言った方が
みんなに共有できやすいっていうこともあるから
今回の芝居はこういう芝居でこういうことを目指して
こういうやりとりがあって
ここをみんなと一緒に考えてみたいと思います
みたいなことを全部説明する劇団も新劇にはありますし
それが嫌だっていう人もいる
私が自分で考えたいのよっていう
ことを言う方もいらっしゃいますから
ちょっと積極性というかね
そういう風にならざるを得ない場合もあるけど
とは別にですよ
何かこの人と人とのセリフのやりとりの中で
そのやりとりだけが言いたいわけじゃなくて
その表層とか表面の奥底に
実は別の何かが潜んでいる
実はその別の何かを描こうとしている
っていうのがやっぱり
同じ空間で今その場で展開されると
リアルタイム
一緒の時間の中で
一緒の空間の中でそれを目の当たりにすると
一瞬
そうかもしれないってね
じゃあ例えばその超かっこいい魅力的な
声もいいし顔もいいし背も高いしみたいな
そういう役者さんが
これから戦争で死ななきゃいけないんだって
言ったとして
かっこいいなっていうだけじゃなくてね
今この時代に
この現代2026年に
この芝居をこの人がやるということは
どういうことなんだっていうことを
考える楽しみがあるっていうね
そういうことってね
台詞劇大事だろうなと思うし
もっともっと高度な台詞劇になればなるほど
わからないんですよねそこが
もうね
例えば別役みのるの作品だとか
阿部工房の作品までいくと
書いている側も言葉にできない
セリフとセリフで
表現することはできるけど
セリフとセリフで表現している
セリフとセリフだからこそ
対話だからこそ表現できるものであって
それは実はこういうことを表現しています
説明できない
やり取りの面白さといった
怖さみたいなものを
表現するセリフ劇もありますよ
高度って今言ってしまいましたけど
どっちがくすぐれているとか
どっちが劣っているとかということが言いたいわけじゃなくて
セリフのやり取りを中心とする
演劇というものがいかに広い範囲を
ジャンルとして
とても広いものなのかということをね
これは言いたいわけです
セリフ劇って一言で言ったってね
いろんなセリフ劇あるんだよってこともあると思うんですね
今コメントがたくさん入っているような気配が
ちょっとコメント読ませていただきますね
田中ハヤトさん
ヘビーボンドいつもありがとうございます
セリフの劇といえば火曜水曜と
聖なる炎を名古屋で見ました
ありがとうございます
小笠原京さん最高
悲劇劇団の演出でもお馴染みだったから
この秋千川での芝居も楽しみです
そうなんですよ
私も長年聖なる炎をやりたいと思っていて
誰に演出を頼もうかって言った時に
いろんな人の
いろんな演出の仕方とか
いろんなセリフの演出の方法
同じような
似通ったテーマを作っている芝居の
演出を見ていく中で
もしかしたらこの人だったらとか
実は何人かいたんですけれども
やっぱり京さんいいなって
思って声かけたんですよ
すぐに読んでくれて
いいねこれって言ってくれたんですよね
やっぱり
聖なる炎と小笠原京さんの相性みたいなものも
とてもいいなと思いました
続けて田中俳人さんありがとうございます
小笠原さんは記憶の危うさについて
を見てセリフ劇の面白さを
改めて教えていただきました
今後もひいき劇団や
加藤健さんのところで演出していただきたい
あれ俳優座劇場は
ひいき劇団と加藤健さんだけじゃなくて
俳優座劇場もよろしくお願いいたします
すいません
そうなんですよ
ちょっとねじゃあね
視点を変えて
最近ね
本屋さんに行くとですよ
あとネット記事でも
それからビジネス
自己啓発系の売り場なんかに行くとですよ
言語化っていう
言い方がありますよ言語化ね
言語化ばやりですよ
とにかく言語化せよってことなんですよ
最近の世の中ではね
何かこうプレゼントか
それからミーティングとか
文章とか何でもいいんですけど
あらゆる局面でクリアに
明確に言語化できる人が
とても優れている
という風に評価される
という世の中ですよ今はね
うまく言える人の方が
うまく言えない人よりも偉いと
高級通りだよと
いうような世の中に拍車がかかっております
言語化というね
私ねこの言語化っていうのが
どうしてもカチンときてて
言語化っていうことが
何かね引っかかりを覚えてるんですよね
それ何なのかってね
まだまだそれこそうまく言語化できないわけですけれども
言語化言語化って言うけど
つまり
なんていうの
口八丁手八丁ってことっていうかね
うまく言えるやつが偉いんだったら
何にもできなくてもうまく言えるだけのやつが
評価されちゃうよねっていうね
なんかねちょっとなんかね
引っかかるんですよ
どういう文脈の中で言語化はいいよとか
言語化大事だよって
言うかにもよると思うんですよね
でちょっと前ですけれども
三宅花穂さんっていうね
若い女の子じゃない女性の
文芸評論家がいらっしゃいます
三宅花穂さんね
その方の大ベストセラーでですね
好きを言語化する技術という
新書がものすごい
大ベストセラーになって
私も読んだんですけれども
その中に書いてある言語化はですね
もうタイトルの通りなんですけれども
自分が好きだっていうことをね
三宅花穂さんはね
推し活がものすごい好きな方で
韓国のアイドルだったと
推してるのかな
文芸評論家なんだけど
アイドルの推し活もやっていて
推し活の中で言葉をね
ただ燃えたとかね
ただ尊かったとかね
やばいとかね
みんなが言うような言い方で言っていると
どんどんどんどん自分の言葉がなくなって
いってしまうから
クリシェって言いますけれども
上等、みんなが言う言葉
世間で出回ってる表現
それをクリシェと言いますが
クリシェだけを使って表現をね
自分の感情を表現しすぎてしまうと
自分らしさというかね
自分はなんでこれが好きなのか
どの部分が私は
いいなと思っているのか
ということをどんどんどんどん
言えなくなっていってしまう
しかもこのSNS前世時代ね
他人の言葉ばっかり目に止まる
そういうテキスト
他人の言葉ばっかりがね
入ってきてしまって
自分の言葉を考える暇なく
次々次々に他人の言葉ばっかりまみれていく
そういう世の中にあって
一回遮断してね
自分の好きな
自分が好きなのは何故なのかね
自分のオリジナルの言葉で言語化すると
自分を守ることになるから
これは大事だよってことが書いてありました
これ正しいと思うとってもいいと思う
自分を守るために言語化せよ
っていう言い方はよくわかるし
何かこう
自分の価値観とか
自分の人生にとって
その芸能とかエンタメとか
もちろん新劇もそうだろうし
何か自分にとって必要なものを
表現するっていうことがとても大切で
こうやって話していることによって
人にね
この演劇ってこういう魅力があって
こういうところが推しポイントなんだよってね
自分の言葉で話しているのを聞いているのって
実は相手も聞いているけど
自分が一番聞いていて
あたしそういう感じだったんだってね
言いながらなるほどそうかもしれないって思う瞬間もあると思うんですよね
なので
何かこう推しのイベントだとか
面白い映画だとか小説だとか
もちろん演劇もそうですけれども
見た後にすぐにSNSを見るんじゃなくて
あとすぐに他人の
感想文とかレビューを読むんじゃなくて
一旦遮断して
どこが良かったんだろうって考えて
それを言語化するって大事だよねって言ってて
それは確かにその通りだなと思うんですよ
自分のための言語化っていうのは
とても大事だし
むしろそういうのがどんどんなくなってきているからこそ
演劇を熱く語る人たちが減っていってるんだろうなってね
卵が先か鶏が先かになっちゃいますけど
いい芝居がないから
語りたくなるような
もう一晩中でも語っていられるような
そういうお芝居がなくなってきたからこそ
自分の感想を言語化する楽しみとか
そういうことまで失われてしまっているのかもしれないし
いやむしろ
そういう自分の言葉で考えて
言語化していくっていうことが
困難になってきたからこそ
芝居を見なくなってしまったのかもしれないし
どっちが先かは分からないですけれども
結局その
セリフ劇を見た上で
この芝居は何だって
この芝居何が言いたいんだとか
何を描いてたんだとか
でもなんだろうこの鼓動はとかね
胸がもうずっとドキドキしてるけど
なんでドキドキしてるのかが分かんないなとか
すぐにSNS見て
なるほどうまく言ってくれてるなってね
これだこれだって言ってはいそれで終わりって言うんじゃなくて
ずっとそのドキドキを自分で
見つめて味わって
一つ一つそれを分析して
一つ一つの要素に分けて
この部分ではこう思ったかもしれないけど
この部分ではこれが良かったなとか
例えば自分がその状況に
そういう同じような状況に立たされた時には
何を思うんだろうとかいうことを
自分の中で考えるってことはとっても大事だし
そういう言語化は大事だと思うんですよ
でもねビジネス的なね
言語化っていうのは
もっと明確に喋れって言われてることなんですよ
これは違うと思うというか
そんなことばっかりやってるからっていうね
ことがあるんですよね
つまり自分のための言語化ではなくて
上司のための言語化とか
権力者に対する言語化っていうのは
なんだよそれってね
思うわけですよ
つまりお客様もそうなのかもしれないけど
上司権力者
権力勾配の上に立っている人間に対して
自分の言葉なんていいから
とにかく結論から先に言って
明確に言語化せよっていうのが
自分のための言語化と混同されている感じが
妙にきっかかるわけですよね
うるせえよって思うわけです
ちょっとセリフの話にね
無理矢理つなげていきますけれども
つまり言語化の技術というのは
ドキドキすること
今のところなんだかわからないんだけど
ドキドキすることとか
悩んでしまうことだとか
感情みたいなものに
なんとか自分の力で
言葉を当てはめていくこと
三宅加穂さんの言葉を引用すると
伝えたいけれど伝えられない
伝わっている感じがしない
他人の言葉から
自分を守るっていうのが
自分のための隙を言語化する技術だと
いうふうに言うわけですけれども
セリフ術型やね
セリフ術ってどういうことかな
セリフの技術って何かなと考えると
これねこの言語化の作用とね
逆のね
この経路というか
逆のことをやってるんじゃないかと思ったんですよ
セリフ術っていうのはまず台本があって
この台本めちゃくちゃ面白いねって言って
じゃあ君この役やってねって言われて
えーいいんですかやりますってなって
それでその本というか台本に書かれた
言葉をものすごい読み込んで
しかもさっき言ったように
このセリフって書かれた通りじゃなくて
書かれた奥にとか書いてある言葉の先に
何が動いてるんだろうってことを
すごいねもうね気持ち悪いぐらい
考えるんですよ
それがまあ稽古なんですけれども
あれこの言葉ってこのセリフって
この一行って本当は
こういうことを言ってるんじゃないのっていうのを
稽古場で演出家と他の共演者と
釣り合わせる時間が
つまりは稽古なわけですよね
その意味合いというか
このセリフの先に何があるのかっていうのを
何度も何度もリハーサルして
反復してやってみることによって
徐々に徐々に見えてきて
それがぺっと分かった時点で
セリフっていうのは覚えられていく
みたいなことをよく言うんですよね
だからセリフが覚えられないっていうのはつまり
そこを共演者と
同じものを共有できてないから出てこないんじゃないか
っていう言い方もあります
もちろんお年でとかね
それからそもそも記憶力がとか
そういうことももちろんありますけれども
稽古をしてその
本来の意味というか
正解はないわけですけども
その演出家が考えるそのセリフ劇の
根っこにあるものとか
表現しようとしているものっていうのを
やりながら
それこそ言語化できないんですけれども
こういう感じかとかね
こういう気配感とか
こういう仕草がとかっていうのを
ひとつひとつ試しながら
毎回毎回
小返し稽古ってね
同じ部分を何度も何度も繰り返す稽古のことを小返し稽古と言いますけれども
小返し稽古を続ける中で
もう少しこういう言い方でやってみてもらえますか
わかりましたやってみます
やった時にあれちょっと違ったかな
違う方向でもっとこういう言い方でとか
はいどうぞって
これかもしれないですねとかっていうのを
試していくつまり書き言葉の中に
秘められているリアルな心の動きだとか
感情
仕草だとかその人の人間性ね
その役の人間性だとかっていうのを
共有していく
つまりはさっき言ったような
自分の中にまずモヤモヤとかドキドキがあるんじゃなくて
まず最初に
書き言葉を提示されて
その書き言葉からその奥にあるモヤモヤとか
ドキドキをみんなで想像して
共有していくのがつまりはセリフ劇の
作り方なわけですよね
セリフ劇における「問いかけ」の芸術性
言語化と反対のことをやるわけです
しかも
劇というのがとても不思議なのは
言う言葉ね
つまりはセリフ
ほぼほぼセリフしか書いてないわけですよね
シェイクスピアの台本なんてまさにそうなんですけど
と書きがほぼほぼ書いてないんですよ
全部ね
言う言い言葉しか書いてなくて
だからね
宮沢和彦は月が綺麗だ
と静かに言った
バイクで転んだとか
そういう言葉
全部の世界を
言葉で表現するような小説と違って
今思いつきで
言った例で言うと
バイクでね
走ってて目の前に綺麗な月が
浮かんでくるのを
見ててバランス崩して
バイクで転んじゃうみたいなことを
戯曲で表現すると
バイクの音
宮沢がまたがっている
見上げる
宮沢いて
バイクが倒れるしか書いてないんですよね台本にはね
じゃあなんで宮沢は
バイクに乗りながら月を見上げたんだろう
っていうのは何にも書かれていないんですよ
でも小説だったらもしかしたら
今日の仕事が
とってもうまくいったのを
うまくいったということを考えながら
バイクを運転していたみたいなことも書けるんですけれども
議局にはそれは書けないんですよね
バイクを運転している宮沢
見上げるセリフ
宮沢いて
バイクが倒れるしか書けないんですよね
だから言語化と逆なんですよね
そのパーツというか
設計図がポイって渡されて
それを何度も何度も経験
反復練習することによって
あれこの宮沢ってもしかして
今日なんかいいことあったんじゃね
みたいなことをいやちょっと待って
バイクで転ぶんだよ大変なことじゃんそれ
でもバイクで転ぶってことは
何か
他のことに気を取られて
運転すら忘れてしまうような
何か大きなことがあったに違いないとかっていうのを
やりながらどんどん謎解きをしていくというか
絵解きをしていくね
逆に言語から逆に
感情化していくね
作用なんですよね
でそれをですね
今度は観客がその設計図をもとに
表現された芝居を見て
観客もですね
そのぼーっと月を見上げて
バイクを運転しているかのように
見える宮沢を見て
バイクで転んで痛そうにしている宮沢を
そこで見てあれ
宮沢くん今日いいことあったってね
想像するわけですよね
でもそこは宮沢
登場人物である宮沢は
いちいち説明しないんですよね
セリフでねいやー今日はいいことがあったなー
バイクもちょっとスピード出しちゃおうかなー
お月が綺麗だ
月が綺麗だなと見上げたら
バランスを崩して倒れましたいてーとかね
クソつまんないじゃないですかそんな芝居ね
逆に面白いかもしれないけど
そういうように何にも説明しない
説明できない書かれてないからね
それを今度は観客と表現
宮沢を演じてくださる
役者さんとが共有して
その共有の中であれ宮沢くん今日
いいことあったんじゃねって一緒に想像するみたいな
そういう面白さがありますよね
だから議局もね
一つの完成された完成品じゃなくて
今日この瞬間に上演されるための
いわば設計図図面なわけですよね
図面の中には
何にも完成品はまだできていないし
それ自体が完成品なわけじゃないですね
パーツなわけですよね
それはあたかも大道具さんが
道具帳っていうのを作りますけど
完成予想図みたいなエレベーションっていう
客席から眺めて
完成品を立体的に書いた
エレベーションっていうのがあって
それを実現させるために
一枚一枚のパネルの寸法とか
どこにどういう形で骨を入れるかとかね
どういう布をどれくらいの長さで貼るのか
詳細に書いた道具帳っていうのがありますけど
道具帳があるからといって
演劇が完成してるわけじゃないじゃないですか
指示書なわけですからね
大工さんに対する指示書なわけですから
それそのものが演劇全部を完成して
締めるわけじゃないし
もちろん照明の仕込み図も然りだし
給紙板も然り
音響さんの給紙板とか
音響さんが使う特殊な台本とかね
きっかけが詳細に書き込まれた
音響拓に置いてある台本とか
見るの面白いですけど
それが完成品じゃなくて
今日この瞬間にその現実が起こるための
指示書、図面、パーツなわけで
完成品はね
その劇場のその日のその時間になって
初めて現れる
そしてまたシュッと消えていく
っていうところがセリフ劇全般
もちろんセリフ劇以外も含めて
演劇の面白いところなんですが
セリフ劇は言ってる言葉だとか
やりとりだとか
っていうこと自身も一つのパーツであって
それが完成品なわけじゃなくて
そのやりとりを目の当たりにして
浮かんでくる何か別の
現実とか別の感情っていうものが
言わば完成品
なわけです
だから言語化をね
やりたければというか
言語化っていうことを
もしものすごい学びたいな
っていう人がいたら
芝居を見たほうがいいわけです
なんなら芝居をやってみたほうがいい
と思うわけですね
まず結果というか
パーツというかね
図面がまずあってそこから
人間の気持ちのほうを想像していくのって
演劇を作ることの
一番の特徴というかね
芝居を作ろうとして初めて動く脳みそってね
多分あるんですよね
だから演劇も教育の一環として
やればいいよなと思いますし
だからこそ人に対する
優しさだとかね
実はこの人全然違うこと考えてるんだろう
だろうと見抜く力だとかね
リテラーシーって言いますけれども
言ってることとやってることが全然違うなとか
なんかねあれ今言ったことって
全然意味合いが違ってくるぞ
とかっていうのをすごくこう
うまく認識するためには
芝居を見るのが一番いいわけです
セリフ劇の話
今日はいろんな角度から
セリフ劇のことについて深掘ってまいりましたけれども
いかがでございましたでしょうか
正直なところ
今日話そうと思ったことの
半分しかまだ話せてないですけれども
セリフ劇の一番大事な部分は
その感情が
今日目の前で生まれたかのように
再現することであると
そのためのパーツなんでしかなくて
ちょっとまとめますけどね
言語化
自分のための言語化というのも
それからセリフをお芝居にしていく
ということもつまりは
その言葉が何を表現しようとしているのかとかね
逆に自分のための言語化だったら
今この感情はどう表現
どう言葉にすればいいんだろうとかっていうのを
考える問いかけるということなんですよね
そこが一番大事なとこで
つまりは問いかけの芸術
芸術というか
芸術は問いかけなのであるというような
ことなんじゃないかなというふうに思っています
最後にですね
冒頭に話した空海の神言について
少し引用して終わりにしたいと思います
空海の言語観とセリフ劇の現代的意義
空海の神言で
難しいですよ
生辞
生辞実装儀
もう一回言いますよ
生辞
生辞実装儀
空海の言語感を表した
空海が書いた本があるそうなんです
どういう字かというと
声
声に字は
ワードの字ですよね漢字の字
生辞実装儀というのは
現実の実
装儀は相手
生辞実装儀
難しいですよね
生辞実装儀っていう
本のタイトルを見ただけで
難しそうだなって思うのですが
その中に
さっき言った
セルフ
セリフの語源になったセルフという言葉が出てくるそうです
そこの出てくるところを紹介いたしますが
難しいですからね
聞いてくださいねゆっくりね
名の根本は
法実を
根源となすと
法実というのは
法律の方に
これは
法実と読むのかな
身体検査の身体という字ですね
法実と読まないかもしれない
名の根本は
法実を根源となすと
かより
流出して
ようやく転じて
セルフの言葉となるのみ
もし実儀を知るおば
すなわち真言と名付け
根源を知らざるおば
毛儀
毛語と名付く
やっぱりね
難しい言葉を読んで説明しても
難しいだけです
字で読んだほうが分かりやすい
もう一回だけ言いますね
名の根本は
法実を根源となすと
かより
流出してようやく転じて
セルフの言葉となるのみ
もし実儀を知るおば
すなわち真言と名付け
根源を知らざるおば
毛語と名付く
どういう意味かと申しますとね
これね
名というのはね
名前の名と書きますけれども
つまりはね
言葉という意味ですよね
表現された言葉の根本は
法実
法儀を根本となすというのは
大日如来だよ
言葉の根源は大日如来なんだよ
って言ってるとね
でそれより
かより流出してようやく転じて
セルフの言葉となるのみというのは
そうやって出現してきた
そういう
言葉名というものが
セルフの言葉となるのみだから
世間に流布するような
言葉になっていくんだよ
大日如来の
身からね
身体というか
大日如来自身から生まれてきた言葉というのは
どんどんようやくですから
どんどん転じていって
世間の言葉になっていっちゃうんだよ
そう言われたらわかる気がしますよね
はじめは大日如来の
高尚な言葉が生まれてきたんだけど
それがどんどん世間の言葉に変わっていっちゃうんだよ
もしね
言葉の実技
実際の意味
実技を知るならば
知るならば
これすなわち真言と名付ける
セルフの言葉に
世間の言葉になってしまった言葉でも
実際の意味を知っているならば
それはすなわち
大日如来に捧げるような
祈りの言葉になるんだよ
真の言葉になるんだけれども
その根源を知らないければ
根源を知らざるおば
盲語と名付く
盲語と書いてありますけど
何もものを知らないような
言葉になってしまうんだよ
つまり言葉の中身
実技を知ろうよ
ということが言いたいらしいんです
難しい
難しいけれど
ここまで理解するのにめちゃくちゃ時間かかったからね
つまり
さっきのセリフの話に戻りますけれども
言葉はね
ただの言葉というか
現れている言葉というのは
まだ中身のないパーツというかね
まだその器というか
何が入っているか
空っぽなただの箱みたいなものであって
それの実技を知るおばですから
その中身を詰め込んだり
自分で考えたり描くこと
込めることによって
それは真言となる
その現実そのものとなると
これちょっと威厄ですけれどもね
そういうことを空海が言っていて
そのセルフとなるのみというのは
初めはそういう意味が込められた言葉だったとしても
言っていくうちに徐々にクリシェになっていってしまう
常トークねさっき言った
みんなが言う言葉になっていってしまって
中身がどんどんなくなっていってしまうんだよ
セリフの言葉というのは
世の中に留守している
一般的な言葉になっていってしまうんだよ
でもそこに大日如来はいません
そこに私はいません
大丈夫かな
そこに何も
世間の言葉になっていっちゃってるけれども
その実際の意味を掴もうよって空海は言っていて
その中にセルフという言葉を使っていて
そのセルフというのは
世間の言葉が転じて
芝居のセリフになったわけですけれども
キメセリフとかね
世間の言葉で言うとかっこいいとかあるじゃないですか
さっきの知らざーいって聞かせやしょうとかね
月も朧に知らうものとかね
あとほら
いろいろあるじゃないですか
ちょっとパッと出てこないけどね
男で
寿司を食いねえ寿司をね
えどっこだってねえっていうのもありますよね
世間の言葉ですごく
みんなが声に出して言いたい日本語あるじゃないですか
そういうものが
セルフというね
言葉になってたんじゃないかという風に
説明されているわけですけど
そういう世間の言葉
みんなが使う常トーク
クリシェになったものを
いかに中身のある
言葉に変えていくか
っていうのがセリフ劇なわけですし
そこがセリフ劇の唯一の
面白み楽しみであるし
それは何も専門家が
お金を取ってやる面白み
それを見る面白みももちろんありますし
高度に表現されているものを
楽しむ魅力もあるし
なおかつそれをちょっとやってみるっていうね
そういう面白さもきっとね
セリフ劇にはあると思うんですよ
楽譜が読めなくても
漢字が読めなくても
別にイケメンでも美人でもなくても
できる
お金がなくてもできる
場所があればできる
これが演劇の一番の
セリフ劇の一番の魅力ですよ
だってそこに台本さえあれば
相手役さえいれば
台本ただ読むだけですからね
なのにもかかわらず
さっきのセリフの話じゃないですけど
言葉には本来的な意味以外に
というかこの台本には
文字で書かれている以外に
いろんなメッセージや
感情が込められているんだよっていうのを
みんなで読みながら探っていくっていうのって
ものすごい楽しいことなので
ぜひやってみていただきたいですし
もしかしたらそういう
セリフ劇を作ろうとしてみる感覚というのが
この他人の言葉で
溢れているこの世の中で
実は大事なことなのかもしれないなと
いうふうに思いました
セリフの劇の話
いかがでしたでしょうか
ちょっとセリフ劇にこだわってね
もう少し演劇を
見続けたいなと思いますし
人とあのセリフどう思ったとかね
この展開の中であのセリフって
なんか変だったよねとか
あの人のセリフの言い方ってもしかしたら
言葉通りの意味じゃないかもしれないねとか
っていうのをみんなで話し合うのも
いいかもしれませんねということで
ございました
エンディングと次回の予告
というわけで
話しながらね
なかなかそうにはならない
今日のエンディングでございます
今宵のお話
セリフの劇についてのお話
いかがでしたでしょうか
セリフの劇こそが今
一番求められている
芸術なのかもしれない
というのが今日現在の結論ですが
異論反論賛成反対いつでもお待ちしております
劇場は人間そして人間とは
思って話し合って考えて忘れてまた思う
生き物劇場とくっつける劇場にくっつける
劇場でくっつくこれからも社会と劇場を
くっつけるボンドの時間を続けます
芸術法人シアターボンドのラジオ
お相手は法人代表の宮さんでございました
また次の配信でお耳かかります
来週はゲストが出るよ
見てね
おやすみなさい
芸術法人シアターボンドのラジオ
この番組は
鶴岡市民劇場 藤枝市民劇場
一般社団法人名古屋演劇館紹介
NPO法人町田演劇館紹介
稲沢演劇館紹介
加藤圭一事務所東京演劇アンサンブルの提供で
お送りいたしました
それではおやすみなさい