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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは子育て真っ最中の私が子育てを通して自分を見つめ直す方法や母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。私はですね、このラジオの前のエピソードでも何度か言っているんですが、運転がめちゃくちゃ苦手なんですね。
苦手というか、免許を取ってから10年間、11年ぐらいずっとペーパードライバーだったんですよ。免許を使わずにずっと温めてたんですよね。
なんですけど、一昨年くらいから新しい地域に引っ越してきたということもあって、運転せざるを得ないという状況に追い込まれまして、運転をするようになったんですよね。
毎日保育園に送ったりとかスーパー行ったりとか習い事送ったりとかっていうのはしてるんですけど、嫌いじゃないレベルまで来たんですよ。運転嫌いじゃないっていうレベルまで来たんですけど、
決してうまくはないし、駐車はものすごく下手っていう状況なんですよね。
だから、保育園の時の駐車もスーパーの時の駐車も、なるべくバッグで入れないところを選んじゃったりとか、
スーパーとかだったら屋上に行くようにしたりとかして、どうにかこうにかやってきたわけなんですよね。
そんな私がですね、今日どうにもこうにもならない状態、状況っていうのに陥りました。
そんなことからですね、気づいたこと。今日のテーマは自分の力と現実というテーマでお話をしようと思います。
結論から言うと何が言いたいかというとね、自分が何かここまで飛べるみたいな自分の力の限界を知っているのにも関わらず、
その自分の全力が出せなかった時、自分の力の50%とか30%とか20%とかしか出せなかった時に、めちゃくちゃ落ち込むし、すごくダメージ食らうなっていう気づきがあったんですね。
何があったかというと、
我が家の3歳の末っ子は保育園に通っているんですが、その保育園っていうのが本園と分園が分かれている保育園なんですよね。
で、うちの子は分園に通っているので、年に何回かねその本園の方に行かないといけない時っていうのがあるんですね。
でもその時って大体イベントこととかっていうのが多くて、土日とか祝日とかっていうのが多いんですよ。
ってなったら旦那さんがいるので、旦那さんが運転してくれて、そこの本園の方にちょっと家から離れている遠いところにある本園の方に行くっていうのをしてたんですけど、
なんと今日はこの土平日、月曜日の普通の保育の日に、ちょっと早めにしかもいつもよりちょっと早めにこの本園に連れてきてくださいっていうことだったんですよね。
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で、めちゃくちゃサラッと言われましたけど、私はもうそれを聞いた日から、どうしたらいいのって思って。
で、まずグーグルマップ見ますよね。なんか立体的になるやつで、この道から行ったらちょっと道細いなとか、ここ無理やなとかね、みたいな感じですごい時間かけてイメージトレーニングしたわけなんですよ。
で、1回は無理やと。私にはちょっと無理やと。近くにコンビニもないしね、大きなスーパーもないし、保育園に送るときに代わりに止めておく場所もない、大きな道路にメインして駐車場があって、しかもそこにバッグで入れないといけない。
無理やんってなったんですよ、1回ね。だから自転車で行くかってなったんですよ。
で、もう自転車で行くわみたいな感じで旦那さんにも言ってね、それが賢明な判断やみたいなことを言われて、やっぱそうやなってなって、自転車で行くことにしたんですけど、
我が家の電動自転車ね、もう今年で多分10年目、11年目ぐらいの自転車で、
で、充電が途中で切れるっていう事件が最近多発してるんですよ。
だから家から離れたそこの本園の方まで送って行って、途中で充電切れたらこれ鉄の塊押して帰らなあかんことになるぞと思って、私その後に予定もあったから、それだけは避けたいと思ってね。
鉄の塊を押して帰るリスクをとるか、駐車場でてんぱりまくって周りに迷惑をかけてしまうリスクをとるか、
あーもうこれ比べられへんなみたいな感じで、めっちゃ悩んでたんですよ。この前振り長すぎやろって感じですけど、とにかくめっちゃ悩んでたんですよ。
そうなんですけど結局末っ子もなかなか起きないし、ぐずぐず言ってるし、車で行くしかないと思って車で行きました。
で案の定ね、駐車場を入れる時に後ろに車が待っていて、待っている状態で一発で入れないといけないような駐車場だったんですよね。
道路に駐車場が面しているっていうタイプの。でもプレッシャーもかかるし、意味わからへんところにバックしてしまって、
後ろの車からプーってクラクション鳴らされたりとかして、そのクラクションはね早くしろよのプーなのか、そのまま行ったら当たるぞのプーなのかわかんないですけど、
とにかくめちゃくちゃクラクションとか鳴らされて、その時点でも本当に泣きそうだったんですよ私は。
で、いつもの分園だったらね、私が運転下手っていうのを保育園の主営さんのおじちゃんがねわかってくれてるから、私の車が曲がってきた瞬間に道路のど真ん中まで出てめちゃくちゃこう丁寧に誘導してくれるんですけど、
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本園の主営さんは私がこんなにも下手ってことを知らないから、
誘導、お互いに何なんやこの車みたいな、何をしてるんやこの車みたいな感じに思われてたっぽくって、
なかなかね入れられずに何回も何回も前行ったり後ろ行ったり、なんか後ろ下がったのにめっちゃずれてて、2台分のね停車場のど真ん中に止めちゃったりとかして、
もう本当に朝からね疲れたんですよ。
でまぁなんとかね、無事に、無事にではない、まぁ無事に駐車もできて、保育園にも送り出すことができて、
じゃあお母さん行ってらっしゃいみたいな感じで言われてねお願いしますって言って、
本園のね、保育園の中を歩きながらね、すごいなんかちょっとダメージを負ってるなって気づいたんですよ、私自身がめっちゃショック受けてるなって思ったんですよね。
このショックな気持ちなんなんやろって思ったら、
まぁもう1年ちょっとぐらい運転をするようになって、自分の中でもねなんとなくできるようになってきたなとか、
いろいろ失敗したりもするけど、前に比べたらめっちゃ運転できるようになってるし、駐車だってうまく入るときもあるからね。
できるようになってるやん自分って思ってたのに、
やっぱ失敗したみたいな、やっぱやらかしたみたいな感じで、やっぱできひんやんみたいな感じでね、すごい落ち込んだんですよね。
なんか迷惑かけちゃったこともやし、うまく入れられへんかったこともそうやし、なんか謎に2台分の駐車場のど真ん中に止めちゃったこともやし、
もうしかもバックしてたら頭が真っ白になって、自分のね車のタイヤが前向いてるのか左向いてるのかわからなくなることもやし、
できると思ってたのにやっぱできひんやん、できると思ってた自分が嫌やわみたいな、そんな自分が恥ずかしいわみたいなね気持ちになったんですよ。
でこれ、ただ事実だけを見たら、ただの1回の失敗で、むしろその失敗とまで言わないのかもしれないんですよ。
むしろそのね、なんか別に事故ったわけでもなければ、車に傷がついたわけでもなければ、何かを潰してしまったわけでもないから、
失敗とまでは呼べないのかもしれないんですけど、自分の中でその失敗のハードルっていうのがめちゃくちゃ低くなってて、
完璧じゃないとダメみたいなねところがあったっぽくって、だからこのちょっとやらかしちゃったみたいなところにね、すごいダメージ受けたんやなって思ったんですよ。
でもこれって、もしその1年ちょっと前の私だったら、もう何回前行って後ろ行って前行って後ろ行ってしようが、なんやったら2台分のところに1台で止めてしまおうが、
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そこまでたどり着けた、それで子供を送れたっていうことだけでも、もうとんでもない素晴らしいことなんですけど、
でもちょっと自分の能力が上がってきたなって自分で感じてて、自分の力、私ここまで飛べますっていう自分の最高マックスのジャンプ力みたいなのを知ってるのに、
今回は全然それの20%ぐらいしか飛べへんかったみたいな感じで、自分の力と現実っていうそこのギャップを目の当たりにして、
だからこそ、ダメージ受けたりショック受けたりとか、私あかんみたいな感じに、やっぱあかんみたいな風に思っちゃったんかなって思い返してたんですよね。
でもなんかそのことにも気づいたし、それを思いながら帰りね、運転しながら思ってたのは、
でもこのちょっと自分の中で失敗かもって思うことの方が、こういう気づきとか学びも多いよなって思ったんですよ。
これもしすんなりいけて、すんなり駐車できて、すんなり全部スムーズにいけてたら、特に何も気づいたり学んだりすることもなくって、
みたいな感じで終わってたのが、こうやってちょっとやらかしちゃったからこそ、こんなにもいろんなことに気づけて、良かったのかなって思ったんですよね。
しかもそこから、考えたのは、感じたのは、これ子育てしていく上でめちゃくちゃ大切やなって思ったんですよ。
自分自身、親である私自身が失敗をして、そこから感じたこととか気づいたこととかを大切に、その気持ちを大切に忘れないようにしておくっていうのは、すごく大切かなと思ったんですよね。
子供たちってすごい失敗するし、失敗しないとわからない気持ちもたくさんあるから、本人たちに失敗いっぱいしてほしいなって思うけど、やっぱりそのこけた時って痛いから、
で、その痛い気持ちって子供たちが感じることなんだけど、そこに対して、やっぱり私、親である私自身がね失敗の痛さとかっていうのは忘れてしまっていたら、
なんか適切な言葉も吐けてあげられへんなって思うし、適切にサポートするっていうのも難しかったりもするから、
だからね、失敗した時の痛い気持ちっていうのは、ちゃんとこれから歳を重ねてもっと来たいなって思うんですよね。
なんかそれで言ったら、月齢が低ければ低いほど、
一回立てたら、もう自分立てるって思ってめちゃくちゃ立つ練習し始めたりとかね、一歩でも歩けたらもう私歩けるって思ってめちゃくちゃ歩こうとしたりとか、
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でも歩こうとするけど、100発100中で歩けるわけじゃなくって、尻餅ついたりこけたりとかね、いろいろしながらどんどん歩いていけるようになるわけなんですけど、
なんかそんなことと似てるなって思いました。で最近はボタンがね自分で止めれるようになったりとかボタンじゃないか
チャックですねジッパーの一番最初のカチっていうところがこの間初めて自分でできたんですよね できてジップ上まで上げるっていう
チャックを締めるっていうことが1から10まで全部自分でできたんですよ 1回それができたからもう私あのこのジップのアウター自分で締めれますけどみたいな感じで
思ってるんですよね そうでもねこのジップの一番最初のところって難しいからやっぱり10回に1回ぐらいしか
成功せなくてでも自分ではそれができる能力があるって思ってるから できなかったらめっちゃイライラしてたりとか
なんかできるはずやのにみたいな自分でするみたいな感じですごい言ってたりするからね なんか私のこの注射
が失敗してすごいモヤモヤして悲しいっていうのって その末っ子のねジップ自分本間は自分でできるのに今回はできひんかった
イライラするみたいななんかそんなんと一緒やなって思ったりもしてました ということで今日のテーマは自分の力と現実というテーマでお話をしました
自分のね力がここ100%出したらここまでいけるって思ってるのにも関わらずわかって いるのにも関わらず
その力が20パーとか30パーとかしか出てない時ってすごいこう なんていうか自分がね
なんか嫌になったり落ち込んだりとかすることもあるかなって思うんですけど でもなんかその状況をこうやって言語化するだけでもスッキリしたりとか
なるほどなってちょっと客観的に自分のことを見ることができるかなと思うので そういう場面がね
ご自身もそうだし子供たちもないかなっていうのを考えてみてほしいなと思いました はいということで今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございますご意見ご感想あなたの
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