1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 568.その個性はどこから?マネ..
お便り紹介回!嫌いになりたくない人との付き合い方ってどうしてる🤔⁇

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・春休みが終わりました〜〜🎊
・新年度は雑巾が足りない!
・好きな友達のモヤるところ
・マネされる事に抵抗がなくなった3つのこと


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サマリー

このラジオでは、子育て真っ最中の主婦が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自己を取り戻す方法を共有しています。無意識の中で、自分だけのやり方をすることが自分を認める方法だと気づきました。自分の個性を知ることで、人との関わりがしやすくなり、生活が快適になると信じています。他人に模倣されることについては、個人の発信をリスペクトされるかどうかで感情が変わると感じています。

目次

新年度のスタート
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。いかがお過ごしでしょうか。春休みが終わりました。お疲れ様でした。心からお祝いしたいところなんですが、まだまだ半日授業と半日保育が続いておりましてですね。
今も、お友達がお家に来てたりとか、ネットでお友達とつながってゲームしてたりとかっていうのが、2階だったりリビングだったり、いろいろなところで繰り広げられてるんです。
なので、春休みと全然変わらんなっていう雰囲気を感じながら、これを収録してます。
でも無事に初日をね、新学年、新年度の初日を迎えることができまして、
初日やから、いやいや言うかなとか、行きたくないって言うかなと思ってたんですけど、今のところはスムーズにスタートできたので、ちょっと一安心している母です。
毎年ね、新年度の準備とかっていうのはバタバタするんです。
あれ買ってない、これ買ってないとか、上靴買うの忘れとったとか、帽子持っていかなあかんのにどこにしまったかわからへんよなったとか、
ごちゃごちゃ言っていることが多いので、今年は早めにもう準備を済ませてね。
早いこと、もういつでも行けませっていう状態にしとかなあかんなっていうのを子供たちと話してたんですよ。
で、ちょこちょこ買うもの買ったりとかしてたんですけど、結局、月曜日から新学期スタートします。
その2日前の土曜日の夜に、雑巾が足りへんぞっていうことになりまして、1人2枚持っていかないといけないんですね、雑巾を。
我が家は3人いるので、兄さんが6枚いるんですけど、4枚しかなかったんです、雑巾が。
で、この雑巾足りへんやないかってなって、春休み最終日ですね、日曜日に、
ちょっとユニバーのね、手前まで行く予定があったんです。どういうことって感じなんですけど。
ユニバーには入らない。パーク内には入場しない。
だけど、ユニバーの前にユニバーサルシティウォークっていう、いろいろお店があったりとか、たこ焼きミュージアムがあったりとか、
ご飯食べるところがあったりとかっていうところがあるんですよね。
ユニバーサルシティの駅降りてすぐのところに。
そこで、ちょっとね、親戚と会う約束をしてたので、パークの手前まで行ったんですね。行く予定があったんですよ。
で、そこに行かなあかんから、その親戚っていうのは海外からね、一時帰国している親戚なので、
今のタイミングで行ってこなかったら、次いつ会えるかわからへんと、行かなあかん。
じゃあ、もうユニバーサルシティウォークで雑巾探そうってなって、
確かあそこに松清あったはずや、みたいな感じでね。
ユニバーサルシティウォークの松本清氏で、明日からの新年度に使う雑巾を探しました。
でもやっぱり、ユニバーサルシティウォークで雑巾買う人っていうのはいないのかな。
いないんですね、きっと。売ってなかったんですね。
みんなで探したんですけどね。
なかった。
だから結局、地元に帰ってきてね、いつものスーパーで買ったんですけど、
そんな感じで、相変わらずやなっていうスタートを切ったところです。
ということで、お久しぶりなので、
友人との関係性
今日はちょっとお便りをね、ご紹介したいなと思います。
先にテーマをお伝えしておきますと、
今日のテーマは、その個性はどこから?
真似されるのが嫌なんです、というテーマでお話をしたいと思います。
ではお便りをご紹介しますね。
はじめまして、1歳半と4歳の二児の母です。
いつも片耳だけエアポーツをつけて、家事や子育てをしながら聞かせていただいております。
一緒です。本当に一緒。
私もずっと片耳でエアポーツ突っ込んで、
もうなんか片耳とエアポーツが一体化してしまうんじゃないかっていうぐらい、
ずっとそれで生活をしているので、一緒ですね。
張り切っている感がなく、自然体で話されている杉部さんの声は、
ワンオペをこなす私の隣で話しているようで落ち着きます。
ありがとうございます。嬉しい。
もう、お耳にお邪魔させてもらってますっていう感じです。
突然ですが、私にはもやもやしていることがあります。
子供が同い年で、よく遊ぶ高校からの友人がいます。
その友人はインスタの広告とか見るとすぐに買っちゃうと言っていたり、
物欲が強いと自分でも言っているように、
周りの影響を受けやすく、周りのいいとこ撮りをするのが上手いです。
いろいろ気になることはあっても、一緒にいて楽しかったり、
気の合うところもあるので仲良くしています。
ただ、その友達が私からも影響を受けることをすごく不快に思っています。
ハロウィンに海外のキャラクターに仮装した私の子供を見て、
このキャラクターいいよねと言った次に、
友達の家に行くとそのキャラクターのおもちゃや絵本がたくさんあったり、
私の子供によく着せていた海外子供服ブランドを教えると、
次会うときには友人の子によく着せるようになっていたり、
買い物に行った際、この作家さんのお皿欲しいと思っててと話すと、
次に家に行ったらその作家さんの違うお皿をしれっと使っていたり、
私の身に着ける服や小物のブランドなどを見られ、
そのブランドかわいいと思ってたとチェックされ、
しれっとネットで買われて真似されます。
それが嫌でしょうがないのです。
自分の個性と変化
友人のことは好きなのですが、真似しないでほしいって直接言うのは大人気ないと思ったり、
そもそも理屈過剰とか、器が狭いとか、そもそも真似してないとか、
そんな言葉も出てきて、結果モヤモヤが止まらずどうすればいいのか悩んでいます。
お揃いや同じものを買ったりするのが好きな人もいますが、
私は昔人と被るのが嫌で嫌で、それがきっかけで古着にはまっていったぐらい、
身近な人と同じものを持ったりするのが苦手です。
杉部さんのポッドキャストを聞いていると洋服が好きと言っていたり、
家を建てた際自分の好きを表現されたというようなお話をされていたので、
真似をされたり同じような経験や気持ちをわかってくれるかなと思い、
LINEさせていただきました。
単純に杉部さんは真似をしてくる友達についてどう思いますか?
杉部さんだったらどう対応しますでしょうか?
まとまりのない長文ですみません。聞いていただいてありがとうございます。
というメッセージをいただきました。ありがとうございます。
めちゃくちゃわかると思いながら、めっちゃわかると思いながら、
聞かせて読ませてもらっておりました。
私もね、おそろいなものとか全然好きじゃなくて、
これは小さい頃からなんですよ。
小学生ぐらいの頃から物心ついた頃から、
おそろいなものとかを買ったり持ったりするって、
全然好きじゃなかったんですよね。
経験としてゼロではないんです。
特に中学校の頃とかは一緒に買い物に行ったりとか、
どこかに行ったり、遊びに行ったりとかして、
一緒に買おうみたいな、色違いで買おうとか言って、
何かを文房具とか、おそろいなものを買ったりとか、
色違いで買ったりとか、
一緒に何かしようっていうその行為を楽しんでたっていうのはあるけど、
物として、みんなと同じものみたいなところからは、
真逆のところにいる人なのかなと自分では思っているんですよね。
このメッセージを読ませていただいていて、
すごく思ったのは、
それこそ小学生とか、もっと小さい幼稚園とか保育園ぐらいの子どもが、
マネせんといてとか、
私がさっきにこれ持ってたのに、
マネせんといて、マネされんの嫌や!とかって言ってるのって、
結構自然な姿というか、
嫌なもんは嫌やな、みたいなふうに思えると思うんですよ。
だけど、もう子どもがいて、
それなりの歳で大人の私が、
友達に対してマネされんの嫌なんやけど、
マネせんといてって言ってるその自分が嫌!みたいなところって、
すごいありません?
私はすごくそこが、
なんていうか、
このモヤモヤになっている理由の一つなのかな、
というふうに勝手に想像してたんですよね。
このマネしないでほしいって直接言うのは大人気ないし、
そもそもマネしてるのかわからんし、
マネせんといてとかって言うのも、
自意識過剰かもとか、こんなふうに思っちゃう自分って、
心が器が小さいなと思っちゃったりっていうのは、
完全に頭で自分を言い聞かせてるみたいな感じじゃないですか。
だけど、心はめっちゃ嫌なんやけど、みたいなふうに思ってる。
この頭と心が離れている状態だから、
モヤモヤするなっていう現状があるのかなって、
勝手に私は妄想を膨らませておりました。
本当にこれは私の一意見、個人的な話になるんですけど、
私は、前は同じものになったり、お揃いになったりとか、
それこそマネをされるみたいなことってめちゃくちゃ嫌だったんですよ。
本当にすっごい嫌だったんですよね。
だけど今は、それは全然平気。
お好きにどうぞっていうのもなんか上からなんですけど、
自分がいいと思ったものは、
誰かにもこれ良かったよって言いたいし、
自分が好きだなって思うものに対して、他の人も好きって思ってくれたら、
逆に今は嬉しいなっていう気持ちもあったりするんですよね。
そこがどういうふうに変わっていったかとか、
そこのビフォーアフターみたいな変化の中で、
何があったかっていう話を、ここでちょっとシェアできたらいいのかなっていうふうに思いますね。
まず、これね、いろいろ考えたら3つぐらいあったんですよ。
1つは、人とは違うっていうことが、自分の価値だと思い込んでいたっていうのが1つ。
2つ目は、自分の大事にしたいこと、価値観的なところに反するから、
ちょっとモヤっとしたりイラっとしたりしてたっていうこと。
3つ目は、これが一番私がこう、私ならどうするかっていう時に取り入れている考え方なんですけど、
これはただの才能のすれ違いやなっていうふうに捉える、
っていうこの3つがあるかなっていうふうに思ったんですよね。
1つ目の、人とは違うことが自分の価値だと思い込んでいたっていうところはどういうことかっていうと、
私自身が結構ね、小さい頃から親だったりとか祖父母、周りの大人が何かものを選ぶ時に、
これやったらみんなと一緒やんってどうせやったら人と違うの選びないよみたいなふうな声をかけられて育ったっていうのが、
すごく大きいなぁと今回のメッセージをいただいて自分自身のことを振り返って思ってたんですよね。
特にこれは祖母の価値観がすごく私に入ってきているなと思うんですけど、
特にお洋服を選ぶ時とかも、これやったらみんな着てへんでとか、この色やったら他の子と一緒にならへんでとか、
っていうふうに言われたりしたことが結構小さい頃から多かったなと思うんですよね。
で、とどめは、成人式の振袖。
ちょっとこれ本当にね話しだすと長くなるし、多分どこかで話してるんですけど、この番組の中でも。
成人式の振袖を選ぶ時に、まさかの祖母が選んだんですよね。
私の振袖を祖母が選ぶっていうパンチが効いた出来事があったんですけど、
その時も祖母が言ったのは、この色やったら他の人と被らへんって言ったんですよ。
私の振袖買ってもらったんですけど、仕立ててもらったんですけど、その振袖って柄なしだったんです。
もうほぼ無地。ちょっとグラデーションになって色が変わっているかなっていう感じの色だったんですけど、
めちゃくちゃシンプルなものだったんですね。
で、今ってその振袖、今ってって今じゃないですね。私が二十歳の時やから全然今じゃないけど、
当時って結構こう派手な模様のものとかが多かったり、
これはずっとかもしれないですけど、お花とかなんかこうポリ的なもの、いやちょっとわからない。
私着物詳しくないからわからないんですけど、とにかく柄がたくさんあしらわれているものが多かった。
その中で、この無地のグラデーションで色が変わっているだけのものだったら、
他の子とちょっと違う特別な雰囲気が出せるよみたいなふうにすごく言われたんですよね。
で、そういうエッセンスが小さい頃からたくさんたくさんあったっていうことと、
あとは人とは違うことをすることで褒められたっていう成功体験が小学生の頃から結構多かったように思うんですよね。
人とは違う視点から意見を述べることで、すごいねって言われたり褒められたりとか、
人とは違う経験をしたっていうことをお話しすると、
自分の個性とミーハーな部分
なんかそれこそ周りの大人からすごいねみたいなふうに言われたりとかして、
だから私は自然とね無意識の中で、
人とは違うことをするっていうことが自分が認められる方法なんだとか、
自分の価値になっていくんだっていうふうに思い込んでいったんですよね。
だから、それ以降も何かを表現するときもそうだし、
自分の装いのこともそうだし、自分の持ち物とかもそうなんですけど、
なんか人とは違う、ちょっと癖のあるものを選びたいみたいなふうに、
ちょっと無意識に思っていたところがあるなと思うんですね。
だけど、だけどですよっていうふうに思ってるんだけど、
その割にはミーハーなところもめちゃくちゃあったんですよね、当時から。
普通に流行ってるものとか大好きだし、
モームスとか大好きやったし、
あゆとかね、高田組とか、
本当に流行に乗るということもとっても好きだったんですよ。
でも、私は他の子と違う自分でありたいからっていうことで、
そんな自分のミーハーな部分はあんまり認めたくなかったんですよね。
好きなくせにね。
好きなくせにそれを堂々とこれが好きですって言いたくないみたいな、
めっちゃタイタニックとか好きやのに、
あんまりにも王道すぎてタイタニック好きですとかってなんか言いたくないみたいな、
ひねくれだというか、ちょっとこじらせたというか、
自分の中でよくわからんだみたいな、
ミーハーな自分と個性的でいたいみたいな自分が共存している、
よくわからない状態っていうのがずっと続いてたんですよね。
でも、そんな自分をちょっと客観的に認識して、
自分ってこういうとこあるなとかっていうふうに気づいてからは、
シンプルに好きなものを好きって言ったらいいやんっていう、
本当にすごいシンプルなところに立っているんですよ、今。
めちゃくちゃインディーズの、
まだまだ見つけられてないような、
すごいインディーズのバンドとかも大好きだし、
それは普通に曲がいいとか、
その方たちが出している世界観とかが好きとか、
グッズかわいいとか、
そういうので、あんまりみんながまだ知ってないようなインディーズバンドも好きっていうのもあるし、
あと、私去年ぐらいからビーファーストにちょっとドハマりしておりましてですね、
そういう本当に今めちゃくちゃ人気のある王道のアーティストみたいなものも今は好きなんですよ。
だから、テイラースーツとかもめちゃくちゃ好きやしとか、
そこの呪いのような、鎧のようなものを手放せたな、みたいな感覚がある。
だから、本当に好きなものは好き、好きじゃないものは好きじゃないっていう、ただそれだけになったんですよ。
その鎧をまとっているときは、そのものが好きとか、そのアーティストが好きということよりも、
人とは違うという状況が好き。
人とは違うものを気に入っているその状態が好き、みたいな方が大きかったなと今振り返ると思うんですよね。
そんな自分が好きみたいな感じ。
だから、そこをもっともっと添いで添いでして、
シンプルに自分が好きなもの何とか、自分の好きな音楽何とか、自分の好きな服何とかっていう状態なので、
今は、私が好きなものは私が好きなもの、
その好きなものを他の人も好きかもしれないし、嫌いかもしれない。
でもそれは私には関係ないこと、みたいな風に分けられるようになったのかなっていう風に自分では思っているんですよね。
で、これまだ一つ目です。
あと二つあるんですけど、どんだけ長くなるんやろ。
二つ目は、これも一つ目と似てるんですけど、
大事にしたいこと、大事にしたい価値観に反しているからイラッとするザワッとするっていうのがあるな、あったな私はと思うんですね。
どういうことかというと、私すごく自分の中で大事にしていることとか、大事にしたいなと思っていること、価値観っていうのが、
自分で考えるってこととか、すごい漠然とした言葉ですけど、自分らしくいるみたいなことが、とってもとっても大事にしていきたいし、大事にしていることなんですよね。
で、それって、きっと子供たちに何か言葉を発するときにも、その言葉のフジブシにあふれているだろうし、行動だったりとか、いろんなところにそれはにじみ出てるような気がするんですけど、
とにかく自分で考えてほしいし、自分で私も考えたいし、思考停止したくないっていう、すごくちょっと強めの思いがあるんですよね。
だから、それに反したことをしているなと私が捉えてしまうと、ちょっとイラッとするとかザワッとするっていうのはあるんですよね。
だから、私からすると、マネをしているっていう状態って、それって自分で考えてないやんみたいな。
自分で考えて、それが好きって思って、それを日常に取り入れるっていうことをしてないやんっていうことに、ちょっとザワッとするみたいなのはあるかなって思いますね。
でも、これって、この価値観があってる間違ってるっていう話じゃなくて、ただただ私の価値観がそれで、それに反してるから、ちょっとちゃうなって思うだけっていう、ただそれだけのことなので、これもあるのかなって思う。
あったのかなと思いますね。
で、3つ目のこれが本当に、私がもしこのお便りをくださった方だったら、取り入れたい考え方、最後にね、杉部さんだったらどうしますかみたいなふうに、どう対応しますかっていうふうにご質問いただいていたので、私だったらこういうふうに対応するっていうお話が3つ目なんですけど、
3つ目は、才能のすれ違いっていうことなんですよね。
で、状況からして、極端なことを言ってしまえば、嫌なんだったら、もうその友達と付き合わなければいいじゃないですかとか、嫌なんだったら、自分の持ってるものとか買ったものとか、言わなかったらいいじゃないですかっていう、すごい極端なことも言えると思うんですよ。
だけどきっと、これからも付き合っていきたいし、このお友達のことが嫌いなわけじゃなくって、好きだし、これからも好きでい続けたいし、嫌いになりたくないからこそ、もやもやされてるんだろうなと思うんですよね。
だから、これからも付き合っていきたいし、会うたびにもやもやしたくないし、嫌いになりたくないっていうことであれば、会ったときに、相手の嫌な行動を見たときに、それを自分のプラスにできる考え方をすればいいんじゃないかなと、私は思っているんですよね。
自分の価値観と他人とのすれ違い
で、こういう状況じゃなくても、結構子供ができたりとか結婚したりとかすると、あんまり会わへんなっていうか、絶対会わへんなこの人っていう人だって周りにいっぱい出てくるじゃないですか。
それこそ親族とか、あちら側の夫側の親族とかもそうだし、夫側のお友達、お仕事関係の人とか、それこそ保育園、幼稚園のお母さん関係とか、PTAどの子のとか、地域の関係とか、人間関係とか、いろいろ出てくると思うんですよ。お仕事とかでもそうですけど。
で、簡単には、じゃあもう会わないから切りますみたいな感じで、できない状況にいるからこそ、それをどうやったらプラスにできるかな、自分のプラスにもなって相手のプラスにもなる関係性をどうやって結べるかなっていうと、
私はこれは本当に、ただただ才能がすれ違ってるだけっていうふうに考えると、めちゃくちゃ自分が楽になるなと思っているんですよね。
どういうことかというと、このメッセージをいただいている方って、新しいものを見つける才能みたいなものがある方なんじゃないかなっていうふうに想像してるんですよね。
ご自身でこれいいなと思うものとか、これすごいかわいいなとか素敵だなって思うものをどんどんどんどん見つける才能がある。
だから、しかも人とは違う、他の人があまり持っていないようなものだったりアイテムだったりとか、そういうものをどんどんどんどん発見していけるんだと思うんですよね。
それはどうでしょう?これは本当にお話聞いてみないとわからないですけど、
努力して、努力して、努力して、めちゃくちゃ頑張って発掘するっていう感じというよりも、きっとそれが好きで自然といいなって思うものを見つけられるっていう力をお持ちなんじゃないのかなと思うんですよね。
すいません、もう全部妄想。大丈夫かな?全部妄想です、今日話してること。
大丈夫かな?だと私は思ったんですよ。そういうふうに感じたんですよね。
すごく素敵な方なんだろうなって、しかもお洋服とかもそうだし、身につけてるアイテムとかお家のアイテムとか一個一個にめちゃくちゃこだわりだったりとか愛着を持って過ごされてる。
めちゃくちゃ素敵な暮らしをされてる方なんだろうなとか、普通に覗いてみたいなみたいなふうに思うぐらいいいなって思ったんですよね。
一方で、マネしてくるんですっておっしゃってるお友達の方は、このお便りにも書いてますけど、周りのいいとこどりをできる、いいとこどりができるっていう才能とか、マネができるっていう才能を持ってらっしゃる方なんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
マネをすることとかって、あんまり良い印象がもしかしたらないかもしれないんですけど、でも私もいろいろ自分でビジネスとかをしていく中で、マネをすることってすごく大事な場面もあるなっていうふうに思うんですよね。
大事な場面というか、必ずしも悪ではないと思う。どうしてもマネって聞くとパチモンとかパクリみたいなイメージがあって、ずっとずっとネガティブな印象ばっかり思ってましたけど、それだけではないな、そういう面だけではないなっていうふうにすごく思うんですよね。
だから、やっぱりそこに対してはもうちょっと、なんというか、フラットに考えていってもいいのかなって今は思うんですよね。
すいません、とっても大事なところで息子に呼ばれたので、一旦収録を止めてしまいました。
周りのいいとこどりがうまいとか、周りに影響されるっていうこととか、マネをするのがうまいとか、いいなと思ったものを自分の日常に取り入れられるっていうのは、これも才能だと思うんですよ。
才能にいいも悪いもなくって、ただ本当にその人の才能っていうことなんですよね。
で、しかも自分が意識しなくても無意識にできてしまうことっていうのが才能なので、逆を言うと、できてない人に対して腹が立ったりだとか、できてない人に対してイライラしたりだとか、なんでできへんの?みたいなふうに思ってしまうっていうこともあり得るんですよね。
私はよくご飯を食べに行ったりとか、外食したりとかすると、料理持ってきてくださって、食べている。
1人が食べ終わりました。で、お皿が1個空いてます。で、お水が欲しくなって、お水くださいって言います。
で、その時に、お水だけ入れて片手手ぶらでまた戻るみたいな店員さんを見ると、なんでその片手でこの空いてるお皿持っていかへんのよとか思っちゃうんですよ。
しかもその隣とかね、後ろとかにも空のコップがあるお客さんがいたりすると、なんでここに来たついでに、あそことあそこのお客さんにもお水がつがへんのやろとかって、ざわざわ通り越してイラっとすることとかもあるんです。
ほんまにね、こんなお客さん嫌いなと思うんですけどね、自分では。
でもこれって、私やったら絶対、お水だけ入れに来るとかせえへんなとか、帰りに空いてるところのお皿を回収したりとか、
他のお客さんはお水足りてるかなって、ちょっと見て足りてないところを入れたりとかするなって思うんですよ。
でもこれはみんながみんなできるかと言われるとそうではなくて、それは私が一つの行動に対して周りをよく見られるみたいな、
でもこれは努力してるどうのこうのじゃなくて、嫌でも周りを見てしまうみたいな感じ。周りを見るっていう才能があるっていうことだと私は認識してるんですよね。
というか、こういう考え方をした方が、イラっとした時とかザワッとした時に、その都度自分ってこういう才能があるんやとか、自分ってこういういいとこがあるんやみたいな風に受け取ることができるから、
ただのストレスとか、ただのモヤモヤ、ただイライラする、ただザワザワするだけじゃ終わらないんですよ。
それってすごいチャンスやなと思うんですよね。自分にとっていいお土産持って帰れるみたいな感じになるから。
なので、この考え方はすごくおすすめだなと思いますし、私自身は結構その考え方を取り入れてるなって思いますね。
マネされることと才能のすれ違い
なので、いろいろ言いましたが、なんで真似されるのが嫌なんだろうっていうこととか、
なんで同じものになる、同じものを持っているという状況が嫌なんだろうっていう、その嫌っていう感情の向こう側をちょっと考えてみると、
本質的なところに行き着くんじゃないかなって私はすごく思っているんですよね。
こう出てきたザワザワイライラした感情のなんで嫌なんかな、なんでザワザワするんかな、なんでイライラするんかなみたいなところを掘っていくと、
自分のことがどんどんわかっていったりとか、私ってこういうのを大事にしてるんだなとか、
気づかなかったけどこういうところが自分の得意で才能なんだなみたいなふうに気づいていくっていうのがあるのかなと思うんですよね。
で、自分のことを知っていくと自分の輪郭みたいなものがどんどんどんどんクリアに見えていくので、
人とも対峙しやすくなったりとか、その人っていうのは対子供とか対旦那さんとかももちろん含まれると思うんですよね。
だし自分で自分のことがわかるってすごく生きやすくなるから、
なんかそんな風に私は考えているかなと思っておりました。
何かちょっと立ち止まって考えるきっかけにこの話がなったらいいなというふうに思ってますね。
ちなみにこの話というか、真似されることに関して、
この春から小6、小5になる長男と長女にちょっと聞いてみたんですよね。
思ってるよりもだいぶ早く学校から帰ってきたので、
ちょっとこれ撮ろうと思ってるんやけど、どう思う?みたいなふうに聞いてね。
真似されることって嫌?みたいなふうに聞いたんですよ。
そしたらですね、長女が言っていたのは、いい時と嫌な時があるっていうふうに言ってたんです。
面白いなと思って、何の違いがあるん?って聞いたら、
いい時は真似されても、これ誰々に教えてもらったみたいなふうに、
自分発信でいいものを誰かに教えましたよっていうふうに真似してきた子がね、言ってたらいいらしいんですよ。
なんなら嬉しいらしいんですよ。
私が教えてあげたんやで、とか、私が見つけたんやで、みたいなふうな印象になるから。
だけど、嫌な時っていうのは、私が教えてあげたのにあたかも自分が見つけましたとか、
自分が考えましたみたいなふうに、違うところで話しているのとかを見ると、
いやいやいや、それは教えた私やん、みたいなふうに思うから嫌やって言ってたんですよ。
確かになと思って、これリスペクトがあるかどうかっていうことやなと思ったんですよね。
あの人が教えてくれたのありがとう、みたいな感じの気持ちがあれば、きっと真似されてもいいんやろうなって、
嫌な気持ちにはならないんやろうなって思って、
あーなるほどな、その視点も面白いなと思ってました。
長男はですね、別に自分が身につけているものとか、持っているものとか、
物に関しては別に真似されてもいいって言ってたんですよ。
だけど嫌なのは、自分の力で作り出したものとか、
自分が考えて発表したアイディアとか、
そういうものを真似されるのは嫌やっていうふうに言っていたんですよね。
これもう、うわーわかると思って思いましたね。
だからみんなそれぞれ真似が嫌って言っても、
その嫌な理由っていうのは、似たり寄ったりになるかもしれないけど、
違うんだろうなと思うし、その嫌な理由が自分で納得感を持って、
言葉にできると、同じ状況は変わらなかったとしても、
すっきりするみたいなことはあるのかなっていうふうに思いましたね。
私も冒頭でちょっといい格好をしちゃってね、
前は嫌だったけど、今はもう全然大丈夫ですとか言ったんですけど、
この長男の話を聞いた時に、確かにと思ったのが、
真似されることに対する感情
インスタとかで、今そんなにインスタ全然投稿できてないんですけど、
インスタとかで結構画像とかを一から作って投稿していた時があって、
その時はそれを真似されたりとかすると、
うわ、真似された、みたいなふうに思ってました。
ちっちゃいんだから、色まで一緒や、字体まで一緒や、とか思ったりしてましたね。
そんなん言ったらね、そんな同じ色なんていっぱいあるし、
同じような投稿なんていっぱいあるし、
なんだったら、SNSの発信の仕方みたいなので、
徹底的にパクるみたいなことを言われている、
SNS講師みたいな方とかもいらっしゃったりするんですよね。
でも、これ話し出すとまた長くなるから、
長くなるし本質からそれちゃうのであれなんですけど、
全然あるな、私も真似されたら嫌やって思うことって思い返したりしてました。
でも前に比べると、その基準みたいなものが自分の中ではすごくクリアになっているし、
私が好きなものは好き、それが好きな人は一緒ですね、
それが気に食わない人は違いますねっていう、
すごくシンプルなところに今はこれたのかなって思ったりしております。
はい、ということで、今日はですね、
その個性はどこから真似されるのが嫌なんですというテーマで、
お話をシェアさせていただきました。
皆さんはいかがでしょうか?真似されるのは嫌ですか?
それとも真似しちゃうなっていう方もいるのかなと思いますし、
ちょっと皆さんのご意見も聞きたいなというふうに思っております。
ご意見ご感想あなたのエピソードなどがございましたら、
ぜひLINEの公式アカウントからメッセージをいただけたら嬉しいです。
そして今、5月11日に京都市内で行いますイベントの参加者の方を大募集しております。
お申し込み開始しております。
ぜひぜひ一緒にね、いろいろお話をしたりなんかして、
楽しい時間を過ごせたらと思っておりますので、
ぜひご応募ご参加お待ちしております。
こちらのお申し込み方法も公式LINEからお申し込みいただけるので、
ぜひぜひそちらもチェックしてみてください。
はい、ということで、今日もね、
素敵な1日にそして日本に住まわれている方は、
素敵な新年度、新学年にされてください。
ではでは、じゃねー。
37:25
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