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  2. 453.私が楽になった考え方
2023-01-24 19:53

453.私が楽になった考え方

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本当の意味で主役を子どもに譲るということ。
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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。 今週からですね、すごく寒くなるようで、我が家もね、我が家もっていうか、他にされてるお家あるかどうかわからないですけども、
ボウルに水を張って、それをベランダに寝る前に置いておいて、氷になるか実験っていうのを昨日からしております。
これ、末っ子が幼稚園で教えてもらってきたらしくって、幼稚園でもしてきたみたいなんですね。氷になるかどうかっていう実験を。
なので、その話をお家に帰ってきてから聞いたから、じゃあお家でもしてみようかということで、寝る前にボウルに水を張って、ベランダに置いてっていうのをやってみてました。
結果、今朝そんなに寒くならなくって、寒いんですけど氷点下にはいかなかったんですよ。
2度とか3度とかだったから、全然凍ってませんでした。 水は水のままありましたね。
今日の夜は氷点下になるっぽい予想なので、今晩もね、再度再チャレンジしてみようかなと思ってます。
私は雪がたくさん降る地域で、小さい頃は過ごしていたので、雪が降るとかね、水が凍るとかって全然珍しくもなく、
どちらかというと、そんなになったら車乗れへんやんとか、自転車危ないやんとか、なんかそういうちょっとネガティブな方に考えてしまいがちなんですけど、
でも子供たちとか旦那さんは、雪に馴染みがないので、雪が降るとか凍るみたいなことに対して、本当に大興奮するんですよね。
子供たちはわかるんですよ、まだ。 凍るんちゃう?雪降るんちゃう?みたいな、わかるんですけど旦那さんが本当にね、なんか大興奮しておりまして、
で、俺はちょっとタオル濡らしてベランダに干しておくわみたいなこと言って、ズブズブのタオルをね、昨日ベランダに干して寝てました。
結果、そのタオルももちろん凍ってなかったので、朝起きてね、朝私が洗濯物を干そうと思ってベランダに出たら、もう床がもうベランダの下がもうズブ濡れになってたわけなんですよ、そのズブ濡れのタオルのせいで。
そう、なんやねんと思いながらね、何してくれとんねんと思いながら洗濯物を干してました。
もう雪がドカドカ降っている地域の方とか、海外の方も聞かれてたりするかなと思いますが、ぜひぜひ行為実験一緒にやってみてください。
はい。
今日のテーマは、私が楽になった考え方ということについてお話をしようと思います。
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私がね、ここ10年間くらい子育てに悩み散らかしたりとか、夫婦関係にやみ散らかしたりとかしてきた中で、楽になった考え方ってたくさんあるんですけど、その中の一つを今回シェアしようかなと思います。
今回はね、何が言いたいかというと、主役を子供に譲るということです。
まずなぜこのお話をしようと思ったかというと、すごい話飛ぶんですけどね、我が家は夜の食器洗い、食器を水でさっと洗って食洗機に入れるっていうのは旦那さんの役割なんですね。
この役割に就いてもらうまでにも本当に長い時間と1問着、2問着、3問着、4問着ぐらいあったんですけども、今は夜の食器洗いは旦那さんっていう役割が決まっているんです。
だけど、私もね、旦那さん今日帰り遅いなとか、なんか今大変そうだなって思ったりとか、自分自身に余力があるときは夜の洗い物を済ましておくこともあるんですよ。
済ましておいたら、今日洗い物やってくれてるやんっていう反応の時もあったりするから、できるときはやったりとかするんですよね、たまーに。
だけど、この間私がやっといてあげようかと思って、洗って食洗機に入れといた食器を見て旦那さんが、なんやねんこの入れ方って言ったんですよ。
なんやねんこの入れ方、こんな入れ方すらなんも入らんやんけみたいなことを言ったんです。
私に言ったわけじゃないんです。独り言でした。確かにあれは独り言だった。
だけど、私はその旦那さんの1メートル先ぐらいにいたんです。だからその独り言がね、もうすごい鮮明に聞こえたんです。
だから、はぁ?と思って。
私が役割じゃないのにやったのに、そんなこと、何それ?みたいな風に思って、イラーってなったんですよ。
なったことをきっかけに、いやでもちょっと待てよと、いろいろそこから過去のことを振り返ったりとか、自分のこれまでの言動っていうのを振り返ったりしたんですね。
何を振り返ったかというと、私がこういうことを言い続けてきたなと思ったんです。
例えば、洗濯物をね、旦那さんがちょっと手伝ってくれるってなった時も、干し方がね、なんでこんなぐちゃぐちゃに干すのとか、こんなに詰めて干したら、何にも乾かんやんかとか、ハンガーの位置近すぎやろとかね。
干すのに乾くのに時間がかかったら、匂いが付くから、なんでこんな干し方すんのとか。
あとは家事のことだけじゃなくても、子供を見てくれてる時に、子供たちにそんな口の聞き方せんといてくれるとか、そんな言い方せんといてくれるとか、
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なんか自分の都合だけで子供にイライラするのやめてくれるとかね、いやどの口が言ってんねんって今言いながらも思いますけども、
旦那さんに対してはすごい思うんですよ。自分のことを棚に置いて、自分が完璧にできているわけではないのにも関わらず、
たまに旦那さんが子供のことを見てくれたりとか、お家のことをしてくれたりとかすると、それに対してすっごい腹を立てていたんですね。
そのことをすごく思い出したんです。
で、なんかそんな風に私が、なんでそんなやり方すんの?みたいな風についつい言っちゃうと、
旦那さんもね、なんかやってやってんのになんなんその言い方みたいな、じゃあお前が自分でしろやみたいな感じになるわけですよ。
で、そうなると私も自分でしろやって何?みたいな。家のことと子供のことは夫婦で一緒にやっていくことじゃないの?
自分のことって何ですか?ってなるんですよね。むしろあなたの靴下を私が干してるんです。
じゃああなたは自分のことしたら自分で干せよ!みたいな感じになって、どんどんどんどん本末転倒な喧嘩が、本当に何万回も繰り返してきたんですよ。
そんなことを、その一言からすごい回想シーンみたいな感じでいろいろ思い出してたんですよね。
でもなんか今は、何だろうな、旦那さんがする家事とか子供に対することに対してイライラすることもあるんですけど、
でも前に比べたら全然イライラしなくなったな、楽になったなって思ったんです。
そんな時に、じゃあその時と今の違い何なんだろうなって思ったら、
当時は自分が主役だったんですよ。 だけど今は良い意味で、本当の意味で主役を子供に譲ってるなって思ったんですね。
どういうことかというと、当時は本当に日々が忙しかったりとか、子育てとか毎日を送っていくことに必死すぎて、
目の前のことしか見えてなかったんですよね。 目の前のことと、自分のこんなにやってるのに、こんなに限界で、
毎日寝落ちするぐらい疲弊しながら、家のこと子供のこと仕事っていうのを必死で回してやってるのに、
ちょっと洗濯物を頼んだら、洗濯物も6,000円とか4,000円とか、なんで私の仕事をこれ以上増やすの?みたいな。
私、あなたが見てないところでどんだけ必死に頑張ってるか分かってる?みたいなふうに思ってたんですよね。
あなたは、あなたはって旦那さんですけど、もう自分のことだけを考えて、自分の荷物だけを持って仕事に向かえばいい。
だけど私は自分の用意もして、洗濯物も干して、幼稚園の準備を2人分、もしくは3人分して、
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子供たちの機嫌も取りながら朝ご飯食べさせて、歯磨きして顔洗って、着替えさせて、その中でこの靴下は嫌やとか、
なんかこの腕のところが気持ち悪いからどうのこうのみたいなのとかを、もうなんとかこうにかね、
自転車に乗せて、もう雨の日とかもうカッパとか全員カッパ着て、もう職場に着いたらもうパンツまでずぶ濡れ!みたいな状態でどれだけ必死に毎日生きてるかみたいな。
あなたは自分の荷物だけ持って、自分一人で職場に行って、自分一人で帰ってきたらいいんだけやん!みたいなふうに思っていたんですよ。
あまりにもしんどすぎて毎日が。
だから主役は私なんですよね、その時の気持ちの主役。
私こんなに頑張ってる、でもあなたはそれを分かっていない、さらに私の仕事を増やすあなたはもうなんなん!っていうふうにずっとずっと思って、ずっと腹立ってたんです。
だけど今思うのは、確かに目の前にやるべきタスクとか、今日を今すぐやってしまわないといけないこととか、それこそなんか靴下これ嫌とか言うのもね、
今朝も変わらないですし、いろいろすることあるんですけど、でも目先のことだけじゃなくてもっと遠い目標とか目的みたいなものを考えたときに、
私ってこの生活をしているのは自分のためでももちろんあるけど、一番はこの家庭の中で子どもたちが心身ともに健やかに育っていく。
子どもなりの幸せを日々見つけながら育っていってほしいっていう本質的な願いがあるよなっていうふうに思うんですよね。
だからそこのためになんか夫婦で役割分担したりとか協力したりしなかったりとかしながら日々を送っているんだよねって思ったんですよ。
私がこの生活をしている目的って、私がこんなに辛い思いしているのわかってよ、旦那さんわかってよ、子どもたちわかってよって言いたいがために今の生活しているわけじゃないって気づいたんですよ。
だから私今までずっとずっとなんか自分が主役自分が主役って思ってたんだな無意識にって気づいたんですよね。
じゃあいやいや違うと今のこの生活、今の家庭の中での主役ってちょっとこれ意味吐き違えないでほしいなと思うんですけど、私の場合は子どもたちだなと思ったんですよね。
だからじゃあ子どもたちが心身ともに健やかに育っていくためにはどうしたらいいのかっていうと、ゼロにするのは難しいけどやっぱり夫婦喧嘩って少ない方がいいよねとか、
毎日もピッカピカの笑顔とかは難しいけどお母さんがなるべく穏やかな方がいいよねとか、お父さんがなるべく穏やかな方がいいよねとか、苦しくなさそうに生活している方がいいよねみたいなことを改めて、当たり前のことではあると思うんですけど改めて気づいたんですよね。
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あまりにも日々に暴殺されていると、そういう当たり前の大切なこととか大切にしたいことっていうのを忘れてしまっていて、あまりにも自分がしんどすぎてもうこれわかってよみたいな、なんでわかってくれないの?なんでこんなにしんどいのに私の仕事をもっと増やすの?みたいなふうに思っちゃってたなぁ、これって本当に本末転倒だったなぁと思うんですよね。本末転倒だしどんどんどんどん自分が苦しくなっていくなぁと思ったんですよね。
だから本当の意味で子供たちを主役にしてからは、何だろうな、たとえ洗濯物がぐちゃぐちゃで出来上がっていても、あまりにもぐちゃぐちゃだったらね、どうにかするしかないですけど、そこで洗濯物ぐちゃぐちゃやんかって喧嘩することって子供のためにはならんよなって思ったんですよね。
子供たちと旦那さんの会話を聞いた時に、その言い方なんなんとか、そんな話せんといてくれるとかっていうのも、なんかそれは私色に染めようとしすぎているなぁと思ったんです。
色んな家庭がありますけど、我が家はお父さんがいて、私がいて、夫婦二人で子供たちを育てているっていう感じなので、私の子育てルールに旦那さんを染めてしまうと、もう私の世界、私の見えている世界の中でしか子供が育っていかないんですよね、あくまでも家庭の中では。
だけど、夫婦二人で子供を育てるところの良い点としては、お母さんの視野、お母さんの視点、お母さんの価値観もある。お父さんの視野、お父さんの価値観、お父さんのバックグラウンドもあるっていうのが、子供にうまく混ざっていくことだと思うんですよね。
私、これよく青くんと黄色ちゃんっていう絵本をこの話をするときに思い浮かべるんですけど、青くんと黄色ちゃんって、ストーリーは若干違いますけど、青くん、青い色の丸がある、黄色の丸がある、単体だと青と黄色でしかないんですけど、そこがミックスされると緑になるわけなんですよね。
だから、夫婦って青と黄色の青くんと黄色ちゃんみたいな感じで、その子供たち、その夫婦の間で育つ子供たちって本当に緑だと思うんですよ。お母さんの要素をもらう、お父さんの要素をもらう。
そういうふうな考え方をするようになって、だから子供たちが良くも悪くも私の要素とかお父さんの要素とか、そこに出たら先生とか習い事の先生とかお友達とか近所の人とか親戚の人とかいろんな要素を子供が子供なりに受け取って、その子らしい人格だったりとか人生を送っていくっていうことになるから、
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そこに主役を譲りきれずに、子供の中に私が入ってしまうとどうしてもコントロールしようとしたくなったりとか、私の思う幸せのレールに乗せようとしちゃったりとかしてしまうんですよね。
これって本当に気を抜いたらやってしまうし、忘れてしまいがちだなと思うんですよ。子供が主役だっていうことをね。私もよくよくやってましたね。本当に言い方悪いですけど、ちょっとアクセサリーのような感覚にしてしまうこととかもあると思うんですよ。
本当私もめっちゃやってしまってたなと思うんですけど、子供の服装だったりとか、服装も別に子供がそれを好んで着てたらいいんですけど、これを着ろみたいな感じで、私と一緒に歩くのにダサい格好をしてたら私がダサいと思われるの嫌やんっていうすごいドスグロいところが出てきたりとか、
逆に成績が良かった、例えば中知票の成績が良かったってなると、それって子供の力、子供が頑張ったからその成績をもらえているっていうだけなのに、私の手柄にしようとしてしまったりとか、問題行動を起こしたりとかすると、それは親としての責任を取らないといけない場面もたくさんあると思うんですけど、必要以上に自分のこれまでの子育てを責めちゃったりとか、
本当は主役は子供なのに、そこに乗り移ってしまうとか、入り込みすぎてしまう、上から操り人形みたいに操ろうとしてしまう、自分の思い通りに操れなかったらすごく子供に腹が立ったり、こんなに頑張って操ってんのになんで思い通りに動いてくれへんの?みたいな気持ちになったりとか、
で、その後ろにいる旦那さんには、私こんなに頑張って操ってんのになんも手伝ってくれへんのになんでこんなに頑張ってるのわかってくれへんの?みたいな感じになるんですよね。
主役を良い意味で子供に譲るということを、今は下から子育てだったりとか、夫婦関係の日々起こる、よくわからない夫婦喧嘩みたいなものもすごくすごく減ったんじゃないかなと振り返って思いました。
でもここで補足しておきたいのは、普通に人って主役になりたいと思うんですよ。
というかみんなが自分が主役の人生を送っているんですよ。これは表舞台に立ちたいとかリーダーになりたいとか、グルーブの中心に行きたいとかそういう意味ではなくて、そういう意味の主役ではなくて、やっぱり自分本位っていうのが人だと思うんですよね。
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それって自然なことだと思うし悪いことでは全くない。だからこそ、主役を子供に譲るためにはお母さん自身が、自分自身が主役になれる場所っていうのを別に持つ、他に持つっていうことがすごく大切なんじゃないかなと思うんですよ。
やっぱりずっとその影の存在、子供のためにとか、自分は影の存在で、もう私の人生は終わりでいいんですみたいなふうに思ったとしても、やっぱりそれって心が苦しくなるから、自分自身が主役になれる場所、自分自身が思ったことを言えたりとか、自分自身が自分の表現をできたりとかする場所だったり、そういう関係だったりっていうのを持っておくっていうのがすごく大切だと思うんですよ。
ということで、今日のテーマは主役を子供に譲るということ、私が楽になった考え方についてお話をさせていただきました。最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございます。
最近ですね、たくさんメッセージをいただいておりますので、定期的にそのメッセージをご紹介する回も設けようかなと思ってます。ぜひメッセージ、ご意見、ご感想、あなたのエピソードなどがありましたら、LINEの公式アカウントにメッセージをいただけたら嬉しいです。
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