1. ママが自分を取り戻すラジオ
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2022-02-18 21:15

272.子どもが可愛いと思えない part2

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昨日のつづき🍵
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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは子育て真っ最中の私が子育てを通して自分を見つめ直す方法や母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。 我が家の冷蔵庫にはですね、お兄ちゃんとお姉ちゃんがちっちゃかった頃の、ほんと1歳ぐらいかな
の時の写真がね貼ってありまして、それがどっちともね、あの末っ子に似てるので、末っ子はいつもこれって誰やったっけって言ってくるんですよね。
これってニーニーやっけ、ネーネーやっけ、それとも自分?みたいな感じで言ってくるんですよね。
ただ、お姉ちゃんがちっちゃい頃の写真っていうのは、よく当時言っていた自動貫があったんですけどね、その自動貫の
室内にある滑り台のところを上っているっていう状態の時の写真なんですよ。
でその滑り台の下は、よくあの無印とかでね、キッズスペースにある木のこう丸いコロコロ、木のボールみたいなのが敷き詰められていて、滑り台からシューって降りたらそこの木のボールのところに落ちるようになっているっていうような
遊び場だったんですよね。 私はそこに本当にあの毎日のように電車に乗って二駅先ぐらいだったんですけど、
通っていてね、本当にあの闇散らかしていた時も家にいたらもう ちょっとこれ本当にやばいなという
本当にこれやばいなという状況だったので、必死の思いで準備をさせて二人を連れてね、そこの自動貫によく行ってたんですけど。
なのでまあこの写真を見るとね、本当になんか写真自体からは伝わってこないですけど、すごいなんか
長女もね髪の毛二つにくくって、なんか服もまあまあ小綺麗な感じの格好して、 嬉しそうに滑り台に登っているし、その後ろでは長男がね、その木の丸いボールをバケツに入れて遊んでるしね。
なんか写真から写真だけ見たら何も分からない人には分からないんですけど、私この写真撮ってる時、本当に精神崩壊してたよな。
もう写真撮るっていうこととか、ここに連れてくるということだけで自分を保ってたなっていうのを思い出す写真でもあるんですよ。
でも今思ったら、 その時は思えてなかったけど、本当に頑張ってたんですよね。自分で言いますけどめちゃくちゃ頑張ってた。
なんかもう自分のキャパとかはるかに超えて本当に頑張ってたと思います。
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こんなしんどいのにね、末っ子の髪の毛もくくったりね、 なんか服もいい感じの色を合わせてみたりとかしたりしてね。
長男にも服着せるのは当たり前かもしれないけど、 でも本当頑張ってたよなって。
思うし、当時確かに周りの人からもう本当にお母さんよく頑張ってるねって言われてたんですよね。
いろんな人に言われてたんです。特にね。
もう0歳1歳とか1歳2歳の時とかは、本当にいろんな人にお母さん頑張ってるねって声かけてもらったりとか、
スーパーとかでも知らないおばちゃんがね、なんか飴ちゃんくれたりとかね、荷物持ってくれたりとかね。
スーパーの店員さんもカゴをね、袋に詰めるところまで持って行ってくれたりとか。
本当にいろんな人に声かけてもらって、いろんな人に助けてもらって、直接的でも間接的でもね。
本当にいろんな人が頑張ってるね頑張ってるねって言ってくれてたのに、 私自分が頑張ってるねって自分に思えてなかったんですよね。
なんかもっと、今よりはるかに頑張ってたのに、なんであの時自分で自分に頑張ってるなって思ってあげられへんかったんだろうなって。
思ってあげられていれば、あんなにも苦しい状態にはなってなかったのかもしれないなって本当に思うんですよね。
だから、なんていうのかな、自分は頑張ってるなって
思ってほしいし、今ね、子育て真っ最中のお母さんたちには思ってほしい、思ってほしいってこうやって伝えてるけど、
周りからどれだけ頑張ってるねって言われても、その時は嬉しいけど、自分自身でこう、私頑張ってるなって思えない気持ちもめちゃくちゃわかるから。
そう、だからね、そこをどうにかこうにかその根本的なその原因、思えない原因っていうのを見つけてなくして楽になってほしいなっていうのを本当に思うんですよね。
そう、まあそんなことで今日なんですけど、今日は昨日のエピソードの続きということでお話をしたいと思います。
テーマは子供を可愛いと思えないパート2ということでお話ししようと思います。
もしね、このエピソードから聞いてくださっている方がいましたら、少し前、少し前じゃない、昨日のエピソードから聞いていただければなと思うんですが、
LINEの公式アカウントにメッセージをいただいておりまして、 LINEに登録していただくと無料の自己分析ワークと音声っていうのを今ね、
送りしているので、スタンプ送ってもらったらね、それを送りしているので、それを実際にそのワークをやってくださって、それをアウトプットという形で送り返してくださったっていう経緯です。
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で、メッセージの内容は昨日紹介しているので、今回は省略させてもらうんですけど、昨日ね、私が本当にもう本当に言いたいことはいっぱい、伝えたいことはいっぱいあるんだけども、とにかく
あのもう自分を責めないでほしいっていうことを言っていました。
本当にいろいろある、いろいろあるし自分を責めてしまう気持ちもめちゃくちゃわかる自己嫌悪になったりね、
する気持ちも本当に想像できるんですけど、とにかく自分を責めるということをやめてほしいということなんですよね。
でも自分を責めるのをやめるといったって、なかなかそれをやめれなかったりするのが現状かなと、私自身の経験を重ね合わせると思うんですけど、
でもそうなってしまっているのには理由があるし、その理由っていうのは誰が悪いわけでもないかもしれないから、
まずその3、5っていう状況だったりとか、子供が0から1、1から2に増えるときはとにかくもう大変やと、
自分のキャパ以上のことが起きているから、そうやって思っちゃうこと、感じてしまうことっていうのは自然なこと、だから仕方ないっていうふうに思ってもらえたらなーっていうのを思ってます。
もう一つ思ったのは、泣くっていう行為を悪にしすぎているのかもしれないなっていうのを思ったんですよね。
確かにね、子供の泣き声ってもう本当に本当にちょっと悪いですけどうるさいし、普通に音としてかなり耳障りっていう事実はあると思うんですよね。
これなんかよくいろんなところで見ますけど、騒音の数値で測ったら子供の泣き声って電車の音より大きいだったか、踏切の音より大きいだったか、
なんかとにかくすごい騒音なんですよね。そのレベルで数値で測ったらっていうのをよく見るんですけど、確かにそんな音をね、
いくら自分の子の泣き声だと言っても、その大きな泣き声をずっと聞き続けるっていうのは本当にこれは疲弊します。
私も本当に疲弊してます泣き声に。 確かにそのとにかく音がうるさいっていうこともあると思うんですけど、それプラスその泣くっていう行為が、泣くという行為が結構キーポイントになってくるのかもしれないなと。
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そのワークのお返事のアウトプットを見てもそうだし、その後に頂いたものもあったんですけど、それを見ていても泣くという行為を悪にしすぎてしまっているのかもしれないなというのは私はそういうふうに思ったんですね。
確かにその自分が泣くこととか泣いている人を見ることとかって、そこに対して、事実は泣いている人、泣いている自分ということなんだけど、そこに感情、自分の感情が乗りますよね。
泣いている人を見たらかわいそうって思っちゃうとか、泣いている自分を、泣くの嫌やな、泣くのあかんのにな、本当は泣きたくないのになとかっていう、泣いているという行為に対して自分が気持ちを乗せてしまうと思うんですよね。
その泣くことへのイメージっていうのが、もしかしたらすごく悪いイメージ、あんまり良いイメージを持ってないのかもしれないなって思いました。
これも別にその悪いイメージを持っているからどう、良いイメージを持っているからどう、どっちが良い悪いっていう話をしたいわけではなくって、
そもそも日本ってその感情を抑える文化だと思うんですよね。
そういう教育というか文化の中で生きてきたから、
ごめんなさいこの方日本在住の方ですかね。
これ本当に私の想像と妄想の中の世界の話をするので、今ちょっとハッて思ったんですが、
日本だったらの話なんですけど、
感情を抑える文化とか、感情をコントロールするだとか、
感情あらわにして自分なんかこう乱れている人っていうのはなんかいけないとか子供っぽいとかね、大人なんだからとかっていうのが風潮としてあるかなと思うんですよ。
だからこそその感情をあえて表現する機会って、ちっちゃい頃からそんなにないんじゃないかなと思うんですよね。
だからその感情の出し方っていうのが、そもそも日本で育った日本人っていうのはあんまり上手じゃないような気がしてるんですね。
だから泣くっていう行為に対してあまり良いイメージを持っていなかったり、泣いている人を見たら嫌な気持ちになったりするっていうのは自然な流れというかなのかなって思うんです。
それは育った環境だとか、親だとか、教育だとかっていろんなところが原因であるかもしれないんだけれども、
どこかが間違ってるとかそういう問題ではなくて、人って少なからず本当にいろいろな影響を受けて生きてきていて、
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その中で自分のルールだったりとか考え方とか受け取り方っていうのが無意識のうちに本当に自然にできていくからね。
だからそういう泣くことに対するマイナスなイメージがあるのも当然だし自然なことかなとは思うんですよ。
だからそこにキーワードというか、キーポイントがあるのかもしれないなっていうのをメッセージもらって読ませていただいていて思っておりました。
あとは私もそうなんですけど、親はこうあるべきだとか、親なんだからこうありたいっていう無意識レベルの理想みたいなのが自分の中にあって、
それって今の自分の現在地とめちゃくちゃ差があったんですよね。
でも私は自分の中に自分の理想の母親像っていうのがあることにも気づいてなかったし、
自分の現在地がどこなのかも分かっていなかったし、その差があるっていうことにも気づいてなかったんですよ。
だから頭と心がバラバラになって、本当は共感してあげないといけないのにイライラしてしまう、全然共感できない自分。
で、ダメだダメだって言って自分を責めるという結論にしかならなかったんですよね。
知識がなかったし何もわからなかったから。
だからどんどんどんどん自分を追い込んで自分がダメなんだとか、自分がね、もっとしっかりしてたらとか、もっとちゃんとできてたらとか、
もっと冷静に穏やかな気持ちで子供に制して、子供が泣いたらそれに共感してあげたりとか、
優しい言葉をかけてあげたりとか、いろんなことができたらよかったけど、でも私はできない、ダメだダメだっていう風な結論にしかいつもならなかったんですよね。
でも本当は自分の中でこうあるべきとかこうありたいっていう理想像っていうのがないのかなっていうのを改めて自分の中で考えてみたりだとか、
それがある上で今の自分ってじゃあそれってできそうなのかな、できなさそうなのかな、できてるのかな、できてないのかなっていう今の現在地っていうのを知ることがまず本当に最初にするべきことなのかなっていうのを思ったんですよね。
自分の親もそうですけど、親になった自分ももう完璧な人っていないから、だから理想の状態ではないんですよね、みんな本当に。
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だから改めて自分の理想像っていうのがないのかなっていうところと、今の自分の現在地っていうのはどこなんだろうかっていうところ、本当にその理想像にならないとダメなのかっていうところとかも考えてほしいなって思います。
ただね、この理想像っていうのもいろんな影響があると思うんですよ、それこそ。文化、教育、メディアとか自分が見てきたこれまでのいろんなことを経験してきたいろんなことから自然と自分の理想像とかこうあるべきだ、お母さんだからこうあるべきだ、こうありたいとかっていうものが出来上がってきていると思うから。
だから私が本当にベースで基本でいつも思っているのは、本当に誰も悪くない。誰も責めなくていいって思ってるんですよね。もちろんそれは自分もだし、他人もだし、親もだし、環境もだし、国もだし、社会もだし、誰も悪くないんですよ。責めなくていいんですよね。
なんかこのメッセージのやりとりと音声っていうことになるので、なかなかもしかしたら、それちゃうちゃうみたいなこともあるかもしれないんですけど、少しでも心が軽くなってくれたら嬉しいなっていうふうに思ってます。
これを聞いてくださっている皆さんもご自身のことに置き換えて考えてもらえたらなって思うし、もしくは同じような気持ちでいますとか、こういう時にはこういうふうに乗り切りましたみたいな応援のメッセージなんかもあれば届けることができるので、そういただけたらなっていうふうに思っております。
なかなかね、しかもこのコロナ禍だから外に助けを求めに行ったりとか、私が言ってたみたいに児童館に行って、ちょっとそこにいる保育士さんとか職員さんに話聞いてもらうとか、そういうのもなかなかできない、今のこの世の中だから。
家の中にいるとどうしても考えもどんどん巡りになったりとか、ちょっとマイナスな飛行に陥ってしまったりとか、塞ぎ込んでしまうっていうのは本当に今のこの時代だからこそよくあることというかありがちなのかなとも思うんですよね。
だからもう一つ言いたかったのは、もうあと100個ぐらいあるんですけど、もう一つ言いたかったのは、こういう言ってもどうにもならへんやろっていうことってあるじゃないですか。
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このお話だって、私本当にね、もうほんまに家まで行って、ちょっと下の子見とくんでとかね、言いたいしやりたいぐらいなんですけど、実際に行けるわけじゃない。
実際に物理的に何かをできるわけじゃないんですけど、でも言ってもどうにもならんしとか、愚痴ったところでどうにもならんしとかね、悩みを吐き出したところで解決せんしと思って言わないという選択を取るんじゃなくて、
とにかく出すっていう、自分の中から自分の言葉でそのモヤモヤの気持ちを誰かに吐き出すっていうことがすっごく大事だと思うんですよ。
それで解決には繋がらないかもしれないけど、でもそれを誰かに出す、誰かに話す、とにかく自分から出す話すっていうのが本当に大切だと思います。
答えが出ない、正解がないっていうことほど、ことだからこそ、そこが本当に大事だと思うんですよね。
これも教育とかの話になってきますけど、正解とか解決するとか答えっていうのを今まで求める、そこを見つけるっていう教育を受けてきたから、何でもかんでも原因を見つけて答えを見つけに行きたくなるんですよね。
どうしても、だってそうやって生きてきたから。なんだけど、やっぱり答えがないものだし、子育てって。すぐに解決できることでもないし、だから本当にその解決を求める、正解を求める、答えを求めに行くと、どんどんどんどん見つからなくて、
辛くなってしまうっていうことが起きるから、そこを見つけに行くんじゃなくて、とにかくこのモヤモヤを外に出すっていう感覚がすごく大事かなって思います。
言葉にして言ってしまうとね、なんか認めたくないのに認めてしまうような気がするから、自分から出すこと自体も怖いことかもしれないんですよ。
その気持ちも本当になんかわかるけど、それ以上に自分から話す、自分から出すっていうことは大事なことだと思う。声を大にして言いたい。
だからね、安全な場所に吐き出す相手を間違えないように出してほしいなっていうふうに思います。
ということで、今日のテーマは子供を可愛いと思えないパート2ということで、前回のエピソードの続きということでお話をしました。
何かご意見、ご感想やあなたのエピソード、そして応援のメッセージ等々ありましたら、ぜひLINEの公式アカウントにメッセージいただけましたら嬉しいです。
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では今日も最後まで聞いていただきましてありがとうございます。素敵な1日になることを願っております。
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