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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、子育てを通して自分を見つめ直す方法や、母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。 先日選挙がありましたが、皆さん行かれましたでしょうか?
私はですね、末っ子3歳の末っ子と一緒に近くの公民館かな、集会所かなに投票に行ってきました。
本当は家で子供たち、お兄ちゃんお姉ちゃんとその友達が家で遊んでたのでね、サクッと行ってサクッと帰ってくるわっていう感じだったんですけども、
公園があったもんですから、そんなサクッと帰るなんて無理な話だったわけなんですよね。
結局1時間ぐらいかな、1時間半ぐらいですかね。公園で、ちっちゃい公園なんですけど、砂場で遊んだりとか滑り台したり、ブランコしたりとか
アリの巣を見つけてね、アリの巣作ったりとか、いろいろがっつり公園で遊んで帰ってきました。
そんな中で、選挙の会場にいらっしゃる方々を、私は公園で末っ子の遊ぶのを見ながら見てたんですね。何名か。
1、2、3、4、5、6、8名ぐらいかな。ちっちゃな会場なんですけど、8名ぐらい選挙投票会場っていうのに担当の方がいらっしゃって、ずっと机を置いていく椅子にね、座られてるんですよね。
で、こんなご時世なので、あんまり会話とかもされていなくって、そう、えー、この方たちってかなり長い時間ここに黙って座っとかなあかんのやなーって、勝手に思ってたんですよ。
えー、私ちょっと黙ってじっと座っとくとか無理かもって思ってたんですよね。はい、そんなことからですね、今日のテーマなんですが、
我慢せずに過ごしていくのには無理がある、というテーマでお話をしようと思います。
これはね、まあその選挙会場、投票会場にいらっしゃった方が地域の方でボランティアでされている方なのか、何かしらに雇われてお仕事としてされている方なのかっていうのはちょっとわからないんですけど、
ただそれとは別に、私が住んでいる地域っていうのは町内会があって、町内会のいろいろな役割とか仕事っていうのが順番に回ってきたりするんですよね。
公園の掃除だったりとか、その住宅地の後ろの土分の掃除だったりとか、草抜きとか、ゴミの担当とか、
まあいろいろ本当に回ってくるんです。これは地域によるのかなと思うんですけど、私は今なんか自分には得意のことと不得意のことがあるし、できれば自分の得意のことを
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生かして、自分のやりたいことをして我慢とかもあんまりせずに生きていけたらいいな、それだったらいいのにな、楽なのになって思っているんですね。
ただそれって結構難しいなとも思うんです。自分一人で生きていくわけではないし、自分以外の人たちとある程度の集団の中で生きていく。
町内会もそうだし、職場とかもどこかの会社で誰かと働くってなったらその集団の中で、
集団の中に属して働いていくとか、一人で生きていくわけではないからどうなっても。 だからやっぱり
草抜き担当したくないけど草抜き担当せなあかんとか、ゴミ担当したくないけどゴミ担当せなあかんとか、
まあ私の地域はお地蔵さんの担当とかもあるので、お地蔵さんの掃除したりとか、お水入れたりとかもあるんですけど、
お地蔵さんの担当ね、めんどくさいけどせなあかんとか、いろいろあるわけなんです。それを喜んでできればいいんですけど、喜んでできることばっかりじゃないんですよね、その集団の中で生活していくということは。
ってなった時に、それをストレスに感じて、これ嫌いな、これ嫌いな、PTAとかもそうなのかな、そういう活動が好きな方もいるし苦手な方もいると思うんですけど、
どうしても避けられないという時は、これ嫌いな、あれ嫌いな、せなあかんの嫌いなって、すごく我慢としてその役割を担っていると、どんどんどんどん自分の中にやっぱりストレスって溜まっていくし、
こんなに私やってるのにっていう、なんで私がせなあかんのやとか、こんなに私がやってるのにって気持ちが無意識のうちにどんどん募っていってイライラになったりとか、結局それが近くの人を傷つける攻撃的な言葉に変わったりとかっていう風に全部繋がっているんだろうなと思うんですけど、
じゃあどうしたらいいのかなって、逃げられない、逃れられない、自分の嫌な役割、しないといけない役割っていうのはどうやって付き合っていけばいいのかな、折り合いをつけていけばいいのかなって考えてたんですよね。
これはもしその選挙の投票会場の中にいらっしゃる担当の方々っていうのが私にも回ってくる可能性あるんかなって考えていて、これもし回ってきたら1日とか半日ずっと黙ってここに座っとかなあかんのやろ、もう無理って思ったわけなんですよ。
じゃあどうやって折り合いをつけたらいいのかなって考えていたら、その中でやっぱり楽しみを見出す、引き出しを自分の中で持っておくことがめちゃくちゃ大切なんじゃないかなと思ったんですね。
例えば、もしその選挙会場投票会場に私が行かないといけない、そこの担当になったとするのであれば、持ち込んでいいのかどうかわからないですけど本を持っていくとか、その時間はもう完全に私の瞑想の時間にするとか、
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そんな風に、できないできない、これもできない、あそこに行ったらせなあかん、仕事もできひん、子どもと一緒に過ごせへん、性格の休みが台無しになるっていうできないことに着目するんじゃなくて、その場だからこそできることっていうところにフォーカスをすれば、その中で楽しみとかできることっていうのを見出すことになると思うんですよね。
だからそれって自分の引き出しなのかなと思うから、結局そうするとなんかいつもじっと座ってられないからこそ、そんなに半日も座らされてたら、いくらでも瞑想できますよ。
いくらでも整えられますよ、呼吸とか。いつもせかせかせかせかね、あっち行ったと思ったらこっち行って、これしてると思ったらあれしてみたいな感じで、すごくせわしなく生きてる私なので、もういくらでもできるわけですよ、そういうことが。
だからなんかすごくその状況をいかに自分なりに自分が心地よく過ごせるのかって選ぶことができるし、その引き出しを常に増やしておくっていうのは普段から自分にできることなのかなと思いましたね。
まずこれって自分我慢してるなってことに気づくことが一番最初なのかなと思うんですよね。これがもうやらなあかんって言われてるからやらなあかん、もう嫌やなとか思ったらあかん。
だってね町内会に属してるんだから草抜きとかゴミ投板とかなんかお地蔵さんの掃除とかねあのこのドブの掃除とかしたくないけどせなあかん嫌やなんて思ったらあかんだってみんなしてるんやもんみんな頑張ってやってるんやもんだから私もせなあかん我慢せなあかんって自分の気持ちをちゃんと救ってあげられてないと我慢してるんやなとかこれ嫌やって思ってるんやなってことにもなかなかこう気づけない、救ってあげられないんですけど
まず最初はうわこれめっちゃ嫌やって自分思ってるな我慢してるなって状況に気づくことで気づいた上ででもしないといけないっていうことはじゃあその中でどれだけ自分が楽しみを見出せるかっていう引き出しを常にストックしておくっていうことが大事なのかなって思ったりしてました。
草抜きとかはねなんかここからここまで何秒で抜けるかなとかそうそうなんかゴミ当番やったらねそうそう今日はうちの地域結構ゴミ厳しいからよく置いていかれてるんですよちょっとこれは引き取れませんみたいなものは置いていかれてるから今日は置いていかれてるかないかれてないかなとかちょっとなんか想像するとかね
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なんかそんな感じで折り合いをつけるというのはまあそういうことなのかなって思ったりしました。
子供だったらねなんか嫌嫌って言ってもう我慢したくないもあれもこれもどんなこうのみたいな感じでそれでも生きていけるなんか家の中で守られて生きていけるっていうのがあるかもしれないんですけどどうしてもこう社会の中で大人が生きていくってなると似合わないといけない役割とかもう出てくると思うんですよ特にお母さんたちは自分は別にしたくないけど子供のためにせなあかんかなとか子供のために
言っとかなあかんかなとかいろいろあると思うんですけどそこの楽しみ方っていうのを自分なりにその都度考えることができたら嫌なこととか気が進まないことでもやらないといけないことに対してちょっとね楽しい気持ちで向き合えるんじゃないかなって思いました
今回は選挙の会場に黙って座ってらっしゃる方々を見て私あったちょっと無理かもって思ったことからお話をねさせていただきました
きっとこれできる方もいるんですよね じっと黙って座っとくなんて余裕って何なら動いたり喋ったりする方が苦手って言われる方ももちろんいらっしゃると思うんですよ
まあそれは人それぞれの得意不得意とかいろいろな性質があると思うんですけど 私にとってはねこんなにしゃべり散らかしてる私にとっては止まるとか黙るとか
じっとしとくとかっていうのが本当に難しいので すごいなぁと思って見ておりましたということで今日のテーマは
自分以外の人と我慢せずに過ごしていくには無理があるというテーマでお話をしました 最後まで聞いていただきましてありがとうございます
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