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ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、子育てを通して自分を見つめ直す方法や、母親として過ごす中での気づきや学びをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。 今日はですね、私が住んでいる地域は雨が降っておりまして、朝起きて雨が降っていると分かった瞬間、スエッコがねものすごく嬉しそうにしてました。
というのも、スエッコは最近、少し前なんですけどね、新しい傘を買って、それがもう本当に本当にお気に入りなんですよ。
で、お気に入りだし、そもそも傘がめちゃくちゃ好きで、雨が降ってても降ってなくても傘をさしたいっていう子なのでね、雨が降ってると今日はあの傘させるねーみたいな感じで、すっごいあのるんるんしてました。
こちらはね、洗濯物乾かんなとか、湿気がすごくて、ちょっともうベタベタするなとか、しんどいなとか、変頭痛くるなとかね、雨に対してあんまりいいイメージって持てなかったんですけど、子どもたちはすごくね、特にスエッコは水たまりもできるし、傘もさせるし、もう最高みたいな感じで言ってるのでね、いいなって思ってました。
こんな風に子どもが生まれてから、いろいろ今まで嫌だなと思ってたことが、そうでもないかもってひっくり返る経験って結構多いなと思っていて、私それもう一つ言うと、移動時間なんですよね。
特に電車の移動時間、一人で出かけるときに限りですけど、通勤時間とか、子どもが生まれるまでの移動時間って結構無駄な時間やなって、もうできることなら省きたいなとか思ってたんですよ。
もうほんまにドアというドアで、どこでもドアあったらいいのにって思ってたぐらいなんですけど、子どもができて自分の時間、一人の時間っていうのをなかなか確保できなくなったときに、ちょっと職場までの数駅、1駅、2駅、3駅ぐらいの時間だったとしても、そこが唯一の自分の時間っていう感じになったりとか、
そこがそのお母さんから一人の人間としてちょっと変身できる時間、気持ちを切り替えられる時間になったりとか、どこか一人で出かけるってなったときにも、その移動時間が長ければ長いほど、まあ電車の場合座れたときに限りって感じもありますけど、
そこで本読めたりとか、したかったことをできたりとかするから、なんかいろいろ今まですごい嫌やな、あんまりこの時間無駄やなって思ってたような時間がすごく大切な時間にひっくり返るってこともよくあるなって思ったりしてました。
はい、ということで今日のテーマなんですが、今日のテーマは共感できない人の話を聞くことというテーマでお話をしようと思います。
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これはですね、私自身がものすごく共感という、共感力というものが多分平均点より高いんちゃうかなと個人的に思っているんですね。
そこが良い部分でもあり悪い部分でもあるのかな、短所でもあり長所でもあるのかなと思っているし、私自身共感ということをものすごく大事にこれまで生きてきたような気がしているんですね。
なんですけど、自分の大事にしていることは大事にしていることで持っておきたいけれども、そこだけでずっと生き続けるって自分の枠っていうのは広がっていかないよなっていうのも最近思っているんですね。
なのでまぁちょっとそんな話をしたいなと思っております。
さっきもお話しした通り私は本当にねもうね共感力だけでここまで来てきたみたいな、共感力と運だけでここまで来ましたみたいな人間なんですよね。
誰かと同じ思いを共有できるとか同じ感情になれるっていうことが私はすごくすごく嬉しいし、そこに重きを置いているのでこれまでの経験を振り返っても共感し合える仲間がいた時とか、
どこかの職場に入った時にもその会社の価値観に共感できていたりとかっていうところがすごく重要になってくるんです。
私が行っていた高校っていうのはそのクラス、私がいたクラスっていうのは全員1年間交換留学で海外にアメリカとかカナダとかオーストラリアとかイギリスとか色々なところに留学に行くっていうクラスだったんですね。
なので出発時期は南半球北半球とちょっとずれてはいたんですけど、全員が1年間留学するっていうクラス、特集だと思うんですけどちょっと。
全員留学する、交換留学をするためには英語のテストを受けないといけなくてそのテストで何点以上受けないとこの国にはいけないっていうようなレベル分けがされてたんですよね。
だから留学に行く前に関してはみんな本当にそのテストをクリアするためにめちゃくちゃ頑張ってたんですよ。
だから言ってしまえばねそんなクラスだから英語が好きな子だったり英語が得意な子っていうのがもう集まってきてるわけなんですよね。
私自身も中学校までは私って英語めちゃくちゃ好きやし英語めっちゃできるって思ってました。思ってたんです。もう言いますけど。はい思ってました。
私はめちゃくちゃ田舎出身なのでまああのそもそもの生徒の人数が少なかったりとかもしてね。
私英語好きやし英語めっちゃできるわみたいななんかもしとかでも塾とかで全然一番なれるわみたいな感じで調子乗ってたんですよ。
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だけど高校に行くとねそんな子たちが集まってきてるわけなんです。だから私は全然そのクラスの中で英語が一番できるとかなくって。
なんなら本当になんか真ん中ぐらいちょっと調子悪かったら後ろから数えた方が早いぐらいみたいな感じだったかなとちょっと記憶も曖昧ですけどね。
思ってるんですけど。でもそんなこと関係なくみんなが本当に同じ留学に行きたいっていう気持ちを持って留学に行きたいからこのテストを受かりたいっていう気持ちを持って頑張っているっていう同じ方向に向かって頑張っている。
その中で苦しいこととか大変なこととかっていうのも共感し合えるっていうのが本当に大きかったんですよね。
私がこれまでの30何年間を振り返ってもやっぱりその時の3年間みんな1年間ずつ留学に行ってるから高校3年って言ってもまあ言ってしまえば2年間とかなんですけど。
すっごくねなんかこう人と心がつながっている感覚っていうのを一番感じた時だったような気がしてるんですね。
その後も大学に入って共感し合える友達だったりとか感覚が近い友達っていうのが結局4年間いろいろな友達知り合いができましたけど残っている今でも連絡を取り合ったりしている友達っていうのはやっぱりそこの共感し合える価値観が近い友達っていうのが多いのかなと思ってるんですよね。
やっぱり私はその共感できるっていうことをすごく大事にしているから共感できる人空間っていうのがあるとやっぱり居心地が良かったわけなんですよね。
それはそれでいいんです。私が共感を大事にしている共感力が高いということはそれはそれで良くってそのままでいいと思うんですよね。
ただこれって言い換えるともしかするとその共感できないことだったり共感できない人っていうのを知らず知らずの間に排除して生きてきた可能性もあるようになってことにふと気づいたんですね。
さっきも言った通り高校の時に1年間もう異国のアメリカにポンと1年間行っているのでそこではね私が共感できないことばっかり起こってましたよ本当に。
もうなんかありえへんやろってことがたくさん起こっていたしありえへんやろっていう人もたくさん見てきたんでしょうね。いい意味でも悪い意味でも。
だけどなんかそこは私の中で共感云々の話じゃなくてもうあまりにも異世界別世界すぎて。
だって生まれも育ちも違うんやから当たり前よなとか生まれた頃からこの土地でアメリカで過ごしてきた人の感覚と日本で生まれて育った私の感覚が違って当たり前よなっていう感じで。
なんかそこはねここは特別みたいなその時の感覚は特別みたいな風に思ってたんです。
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だからそれをなかなか日本で日本人に置き換えるっていうことができてなかったのかもしれないなと思うんですよね。
で少し前のエピソードもうあの長女が寝息しぶりしているってエピソードでも私がすごく共感とともに大事にしているキーワードっていうのが体験だったり経験自分で感じて自分で体感するっていうことをすごく大事にしているんですよね。
だから大事にしているからこそ体験してない経験してない人っていうのはそんな人には結局分かるはずないやろってどこかで思ってしまっているところがあるんですね。
でこれってこれも同じで体験してない人経験してない人を言ってしまえば排除してしまっている。
あなたには分からないでしょバシンみたいな感じでその人が何を言ってくれても受け入れないっていうような感じでね排除してしまってるかもしれないなって思ったんですよね。
だからなんかこれってどうなんやろうなって思ってなんか共感できる人だけを私の近くに置いておいて共感できる人とだけ繋がって共感できない人を排除する共感できない人の言葉を受け入れないとか
同じように体験体感経験がある人だけを受け入れてそれがない人の言葉を受け入れないその人の存在というかその人はもうちょっと無理ですみたいな感じで排除するっていうのはそれってなんか自分にとって私にとって行きづらいよなって思ったんですよ。
世界めちゃくちゃ狭めてるよなと思ったんですよね自分で自分の世界をめちゃくちゃ狭めてしまっていて自分の世界が狭いってことは行きづらさにも繋がるからだから自分が大事にしていることを例えば私は共感だったりとか体験経験っていうことをすごく大事に自分はしているんだけど
大事にする方法っていうのを間違えたらダメだなと思うんですよねそこを大事にすることが自分の世界を狭める材料になったらダメだしその自分の大事にしているものを大事にできない人を排除するだったりだとか
っていうことになると結局それって自分がしんどくなるよなと思うのでなんかここの使い方自分の大事にしたいことを大事にしたい思い大事にしたい考え方っていうのを大切に守る方法っていうのは結構その方法を間違えたらいけないなと思ったわけなんですよね
私が共感だったり体験経験っていうのを大事に思っているように人それぞれみんなそれがあるわけなんですよね大事にしているものとかことっていうのがだからただの違いなだけだしそこを私とは違うんであなたの話はちょっと聞けませんとか
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私とあなたは違うんでちょっと受け入れられませんっていう風にするとどんどんどんどん世界が狭くなっていくからねそうそうなんかそんなことを今日長女を相変わらず学校まで車で送った帰りに考えてました
っていうのもねあの今日個人混乱なんですよそう最近学校のね小学校の個人混乱なんです最近ねめちゃくちゃ学校行き渋ってるしもうほぼ毎日遅刻してるし行けない日もあるし
これ何から話しましょうかねって感じなんですよね先生とそして先生からはなんて言われるんでしょうかねっていう感じなんですね
で長女の先生っていうのは確か2年目とかだったかなまだまだ若くてお子さんもねいらっしゃらない先生だからこれまでの私のその体験経験を重視している考え方で結構この私がもうちょっとどうしようって思ってる状況だと絶対に出てくるんですよ
そいつが私の中のいやいや子供いない人子供がいても学校行き渋ってない人にはわからないでしょっていう気持ちが出てきたら私は先生のアドバイスだったり言葉っていうのを受け入れられなくなっちゃうんですよね
それって絶対に私にとっても損だしもちろん長女にとっても損なんですだからここは私のちゃんと世界を広げないとというか自分の枠を広げた方が自分にとっても子供にとっても行きやすくなるから
だからねその共感できない人の話を聞くことっていうのが結構これからの私のなんていうのかなキーワードというかちょっと意識していきたいことかなって最近思っております
体験経験だけが全てじゃないかもしれないっていうことを頭ではわかってるんですよ
だってもう全てのことを体験経験ねみんながみんなできるわけじゃないからだからそれだけが全てじゃないっていうのはわかってるんだけどどうしてもそこが自分の中で腐り落ちてない部分がまだまだあるのかなと思うので
それをやっぱり体験経験だけが全てじゃないんだなっていうのは私自身が体感したいちょっとややこしくなってきてますけど体験とか経験とか体感とかね
すごい2文字の漢字がたくさん出てきてるんですけどそれを自分で感じたいっていうふうに思っているから
この子供がお子さんがいらっしゃらない先生の話だったりとかカウンセリングの先生の話カウンセラーの先生の話だったりとか
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子供はいるけれどもそういう経験がない方の話だったりとかっていうね自分とは違う私とは違う経験をされてきている人の話っていうのを聞く機会っていうのをちょっと意識的に増やしたいなと思うし
きっとそこが何のブロックもなくそういう人たちのいろいろな価値観を持っている人たちの言葉を受け入れられるようになればもっともっと生きやすくなるし私も生きやすくなるし娘も生きやすくなるんじゃないかなと思ったんですよね
はいということでこれはがっつり私の話いつもがっつり私の話ですけどの現状の話ですね
自分の大事にしていること大事にしてきたことっていうのがあって私の場合は共感とか体験経験なんですけど
それはそれで置いておいてそれは自分が大事っていうふうに自分でちゃんと掴んでおいて
だけどそれ以外のものを排除していくとか否定していくっていうのではなくて自分はこれが大事っていうのを持った上で他の人は違うものを持っているということをちゃんといつも忘れないで思っておく
そしてそれが違ったとしてもそこはねただの違いだっていう風に受け入れることそこを排除するという意味ではなくてね
とか自分が大事にしているものはそれはそれで持ってるんだけどそれって本当にそうなのかなってちょっと疑っていくこと
っていうのが結局自分の世界を広げて枠を広げて枠が広がるっていうことは自分が生きやすくなる障害が少なくなるってことにつながるんじゃないかなと思っておりました
今日は雨の中運転をしながらねまだパジャマのネスで後ろに乗せてちょうちょう学校に送りそして学校の帰りにね車の中でそんなことを思っておりました
関西はしばらく雨なんですかね多分これ今週雨ですねずっと
今度は自転車で行こうと思ってね自転車パンクしてたから昨日急遽旦那さんにちょっと自転車屋さん持って行ってって言ってもいいより持って行ってもらったんですけどね
今日雨ですね雨やから結局歩いていかなあかんやんって思っております
はいどうでもいいですそんなことはということで最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございます
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では今日も素敵な一日になることを願っております