1. ワーパパCTO🦥SWC🦥
  2. アブダクション
2025-09-24 1:19:20

アブダクション

サマリー

このエピソードでは、コミュニティとチーム、DAOの違いについて詳しく掘り下げており、目的や集まりの重要性が議論されています。また、知性の循環という概念や、才能を発揮するための条件についても触れられています。アブダクションに関するエピソードでは、推論の形態とその重要性について探求されており、特にアブダクションの定義や機能法、演劇法との違いについて詳しく説明されています。アブダクションは、仮説形成推論として科学やAIの進展に重要な役割を果たしています。ニュートンの万有引力の発見を例に挙げて、アブダクションが持つ直感的な推論能力が他の推論方法とは異なる点が示されています。このエピソードでは、アブダクションを通じて日本語話者の特性やSWCにおけるコミュニティの循環的な価値について考察されており、特にスティールボールランの5つのレッスンから、自己反応や期待の管理、敬意の重要性が強調されています。また、多様な特性が集まることで生まれる新たな知性の可能性が示されています。

コミュニティとチームの違い
フェスティナ連邸の放送は、SWCコミュニティメンバーのワーパパCTO🦥がお送りいたします。
はい、ちょっとまたイヤホンをつけます。
本題の前に、また雑談を軽く。
今日は、みどりさんがなおなんさんとのライブ配信対談をされていたのと、
りょうたろさんとゆうとさんの対談がありました。
お二人の対談が始まった直後に、学校から連絡があって、子供が体調が悪いって言ってますんで、お迎えに来てくださいって言われたので、
お二人の配信に何も聞けず、今予約帰ってきました。お疲れ様です。
ということで、昼からバタバタして予約落ち着いたので、本来予定ではなかったんですけど、配信してストレス発散して、夕方火事頑張ろうって思いました。
時間あるときにアパイブ聞いていただければ嬉しいです。ありがとうございます。
マスコットさんが最近朝配信と言いますか、かなり朝早い時間に配信されるのが再開されて、
メタ地区はやられてますけど、それとは別にスタイフの配信、かの物前のやつとは別にスタイフの配信、再開されてて嬉しいですよね。
直近のこと、MISって書いた、建築に関する漫画の話を、マスコットさんの視点から見てどうかっていう話が聞けて、めちゃくちゃ気になってたので、すごい聞きたい話が聞けて嬉しかったです。
それに関して、一級建築士なんとかこの設計志向っていう本があって、亀井戸に住んでいる一級建築士が、1話完結で、いろんな建築の話をするみたいな漫画なので、これも面白くておすすめです。
次回、尚名さん、マスコットさんにバトンを渡しました。いいですね。楽しみ。ありがとうございます。ナイスな情報でした。
マスコットさんの一つ前のお話がそれで、まちょこっとさん、いいですよね。まちょこまる、すごいかわいい。ゾコさんが作ってくださる動画のまちょこまるがすげーよくて、ゲームとかの想像力をかきたてられますね。いろいろ作りたくなっちゃいます。
直近の話だと、私の配信を聞いてアンサーというか、こういうことを思いましたよみたいな話をされてたのがすごく嬉しくて、別に無理にしなくてもいいんですけど、していただけたのはすごく嬉しいなと思ってます。
コミュニティとチームとタオルの違いみたいなことをお話しされてて、めっちゃ面白いしねって思って、それを受けて私の中で思ったのが、これ4件賞に配置できるなと思ったんですよね。一つの軸は目的があるか、それとも目的がないというか、むしろ場所がいう、
集まっていること自体が重要か、あるいは何かの目的があることが重要かという軸。もう一つは分散化集中化。言い方を変えると、循環的で流動的か、秩序だって安定的か、みたいな軸があるなと思ったんですよね。
まず目的があるか場所があるかみたいな話だと、コミュニティは目的がそれほど強くないと。人の集まりであるということが重要視される。これをドイツ語でゲマインシャフト、違う、ゲゼルシャフトかな。どっちだっけ、忘れちゃった。
ゲゼルシャフト、ゲマインシャフト。
ゲマインシャフトは共同社会、ゲゼルシャフトは利益社会。目的があるものがゲゼルシャフトと呼ばれています。目的が特になくて、村ですねとかそういうので、共同体ですねっていうのをゲマインシャフトと呼ぶと。
これに近しいものがあるなと思っていて、コミュニティは目的よりは場所とか空間とか人の集まり。チームとDAOは比較的目的があるタイプのものと。
この中でチームとDAOの違いは分散化集中化みたいなところですね。自立分散的なDAOか社会構造みたいなのを作ってヒエラルキーを作ってリーダーがあそこに行くぞっていうふうに旗を立ててそれに向かっていくのが比較的集中型。
会社組織とかもこっち側かなと思います。一方はDAOは分散的であると。これのコミュニティ側ももうちょっと分類できるんじゃないかなっていうふうに聞いてて思ったんですよね。
これがそのDAOだと分散と集中。DAOとチームは分散と集中。コミュニティを分散と集中あるいはヒエラルキーがあるないみたいな。村とか自治体とかだとヒエラルキーはあるっちゃある。
知性の循環と制限
こんばんだ学んでます。こんにちはありがとうございます。ヒエラルキーがあると秩序立っていて安定していてあまり変化がないみたいな意味合いもありますけど。
違うタイプというと循環があって流動的みたいな。SWCは比較的秩序立ってるかというとケンセルさんがいるねくらいしかなくてみんな好き勝手やりますと。
安定してるかというと安定もクソもないというか何が定常状態なんだっけみたいな。そもそも変わりまくってるのがSWCだよねみたいな感じがあると思うんですけど。
あとクリエイティブが循環しているとかそういったところがあるのでかなり循環的で流動的かなというふうに思いました。ただ唯一大きな方向性としてあるのはケンセルさんが持っている価値観みたいなのに近い人たちが緩やかに集まっているくらい。
実際場所という物理的な場所もないしSWCって名乗ったらそれで慣れちゃうしみたいなのもあるのでそこの違いってあるなって思いました。
どっちが良い悪いとかではなくて村社会みたいなもので救われる人もいればタイプの違いですけどSWCみたいな感じで救われるタイプの人もいるのでコミュニティって言って一緒くらいにいってもかなり経路が違うコミュニティがあるなと思います。
その循環的なものを庭と呼ぶかどうかはわからないんですけどちょっと庭に近しい状態なものは結構循環的で流動的なのかもなというふうには思いました。
というのがまずマスコットさんのお話を受けて思ったことですね。
ケンスさんが好きっていう共通事項しかない気がする。本当にそのくらいなんですよね。
あれしないとダメとかこれしないとダメみたいなのはあんまりなくて究極別にスロースのアイコンをまとってなくても別にいいというか。
エリスさんも別にスロースのアイコン使ってないですし、パンダさんもですよね。だけどSWCだよねってみんなで認知してるのはやっぱり決まり事がある意味ないんですよね。
村とかだと当然秩序が必要なのでゴミ捨て場のルール守ってくださいよって言わないといけないので、ある程度ヒエラルキーがない村のほとんどだと思うんですけどそのタイミングでは誰誰さんに権力があってその人が取りまとめをする。
その人の言うことをあえて聞くことでみんなで秩序を維持するみたいなところがあるので。
コミュニティとチームとDAOとSWC的な何かっていうのは目的が重要視されるか人の集まりが重要視されるかという軸と分散的集中的あるいは循環的か秩序だっているかみたいな軸で
4現象にマッピングできるなというふうにマスコットさんの配信を聞いて着想を得ましたというところですね。
こういう話を以前は野間さんとマスコットさんでされてて面白く聞いてたんですよね。
最近はあまり聞かなくなっちゃって、それの理由というか、良い悪いじゃないんですけど、私と両太郎さんで対談した時の
知性の循環ってなんだっけみたいな話が出た時に、それを聞いてマスコットさんと野間さんが気遅れしちゃったんじゃないかなっていうふうに思ってるんです。
野間さんに緩やかにちょっと聞いたら、そうなんだよねっておっしゃってて野間さんが。
何かの配信でも言ってた気がするんですけど、前提条件とかをちゃんと知ってない人が語らない方がいいのかもな、みたいなことをおっしゃってたりとか
知性の循環って言ってたけど、なんかちょっとそんなギョギョしいものじゃなかったかもな、みたいな。
シュンとされてたんですよね。
そういうことではないんだけど、両太郎さんも絶対シュンとしてほしいとか、話し合いには意味がないからやめたほうがいいとか言ってるわけではなくて、
両太郎さんこそ、むしろ各自がやりたいことを好き勝手にやればいいんだから、他の人のリアクションとか気にしなくていいんだよ、みたいにおっしゃられてたので、
ヘジテイトしないでほしい。ヘジテイトってなんだっけ。
援助しないでほしいですけど、それは何でかっていうのをロジック立てて今日は解説したいなというふうに思いました。
パンダさん。パンダ的にはわーぱぱさん長老だと思ってる。マジですか。でも権力はないんでね。
みどりさん。影響力が強い分、言葉が強く聞こえちゃうのはあるかもしれないですね。
そうかもですね。私はあんま気にしてないんですけどね。両太郎さんのって結構、人と分離してやっぱり聞くので、両太郎さんの言葉って。
いやいやいや、全然全然、謝ることじゃないですよ。
でも結構みんなが、マスコットさんとのまさんは、ちょっとおっかなびっくりしてるところがあるなと思って。
なんで?とは思うんですけど、たぶん両太郎さんが一番優しいんですけどね。私結構デューに向けちゃうので、絶対。
なんか思うところがあったんだよ、きっと。そうなんでしょうね。
でも、そういうことじゃないよって両太郎さんは言うと思うし、
私からやりたいのは、制限するって、制限してるつもりはないんだけれども、
人が制限されるっていうのはすごく、何ていうか、もったいない。
三宅嘉穂さんがメダリストを呼んで、その中で批評してたので、すごい面白かったのが、才能を伸ばすっていうことは、制限をかけないことだっていう風にメダリストは言っていると。
いろんなものの制約でできなかったことを、その制約を外してあげるだけ。何かをしろというふうには明確には言わない。
そこは個人の自由があるんだけれども、これをしてはダメだよ。倫理的にアウトなのは置いといて、
あなたにはこれは向いてないからやめたほうがいいよとか、あなたがやってることは意味がないからやめたほうがいいよ。
それなんてお金稼げないからやめたほうがいいよ、みたいなドリームキラーみたいなやつを排除することが才能発揮の究極であるみたいなことをおっしゃられてて、すごいそうだなって思ったんですよね。
才能発揮のための条件
元コテンのCGOをされてたタカチンさんという方がよく言ってるんですけれども、才能を発揮するには前提条件があると。
それぞれの異なる前提条件を用意する。その前提条件というのは何かというと、その人の才能発揮を妨げるものをとにかく外すことだというふうなことをおっしゃられてて、本当そうだなって思います。
もう一つ、アリスはどこまでもだっけな。サンデーのアリスどこまでも、どこは宇宙って書いてあるんですけど、アリスどこまでも宇宙までもっていう漫画なんですが、
これはバイリンガルにギリギリなりきれなかった中学生のアリスさんが宇宙飛行士になって宇宙飛行士のコマンダーを目指すっていうふうな話なんですよ。
これサンデーの漫画なんですけど、めっちゃ面白いんで絶対読んだほうがいい。この中で、もう才能発揮の話があるんですけど、これこそまさにドリームキラーをどう排除するか。
自分の中でのドリームキラーみたいなのがあるんですよね。自分はやっても意味ないしなみたいな、そういうの外していくみたいなのがずっと話の中でされていて、めっちゃおもろいんで、次確実に来るやつですね。
これがアニメ化されないなんてありえないっていうくらい面白いですね。さておき、ブロックをしないことが大事だと思ったので、ブロックしなくていいよということをロジックだてて解説しようと思いました。
特に、知性の循環という言葉の意味合いみたいな話をしてたわけですけど、両太郎さんと私の対談の中で、これって知性の循環なのかな、いやなんか違いそうだねみたいな話をしたわけですが、
それは言葉の定義の範囲をちょっと細かく見ていこうという話をしただけであって、行為自体に意味がないとは言っていないんですよ。むしろやってること自体に意味価値があるので、やった方がいい。
言葉の定義を一回ちゃんとしてみようと、どれだけちゃんとできるかはさておき、何かを定義するって、その言葉じゃないものを持ってくると言葉の範囲がわかって、言葉を捉えやすくなるっていうのがあるんですね。
これなんて言い方だったかちょっと忘れちゃったんですけど、記号論とかで言われるやり方なんですが、先日の配信の中で、迷うって言葉、迷いって言葉をうまく知るために、それ以外の言葉を出したわけですよ。不安とか困るとか、迷うとか。
悩みの話をしてますね。悩みは不安、困る、迷うみたいな、それぞれとはこういう感じで違いますよっていうふうに言うと、違うものと相対ができるので、言葉自体が際立つ。
知性の循環の知性って言葉に関しても、他の似た言葉を持ってくることで、知性ってなんだっていうのを際立たせて理解することができると考えました。
で、その話をしたいですと。ちなみに、ちょっと完ペの中に読み飛ばしちゃったところがあるんですけども、めっちゃちなみになんですが、さっきの循環か秩序かみたいな話をしたときに、秩序があるとカオスを入れようとする傾向があるということが分かりました。
先日の深井さんとケンスさんが話してた中で、めっちゃそうだなと思ったのが、前も言ったかもしれないですけど、誰かと会話してるときに、この人に急に殴りかかったらどういうことが起きるのかなっていうのを試したくなっちゃうみたいな話があって、それめっちゃ分かるなって思ったんですけど、
知性とカオスの関係
その中で出たのが、場を乱したいっていうふうにおっしゃられてて、それだって思ったんですよね。私も秩序立ちすぎてると、ところどころで乱れたもの、つまりカオス的なものを混ぜちゃいたくなるんですよ。
突然殴りたくなるのはちょっと思うことがある。良かった。結構同じ感覚の人がいるんだなっていうのを知って嬉しいです。秩序だったところに何かを入れるとどういうふうな変化が起こるのかみたいなのを期待してワクワクしちゃうんですよね。
なので、私としては秩序だっているよりも、SWCの中ではカオスになってほしいわけではないんだが、循環してほしいなっていうふうに強く思います。
ドクラマグラか。スーパー夢の旧作さん。ドクラマグラスーパーわけわからなくて、わけわからないってなった覚えがあります。カオスすぎる。
なるほど。そこまででも秩序も嫌いじゃないんですよ。カオスすぎると今度秩序を入れたくなるんですよ。適度な揺れ幅と適度な秩序のバランスが他の人と適度に違う。
なので、めちゃくちゃとんでもなくカオスっていると生活が成り立たないので、それはね。日本三大気象。あ、そうですよね。わけわからなかった。白井さんもそんなことおっしゃってた気がする。
カオスな話は。知性に関連するワードをいくつかピックアップして、それぞれの違いを見ていくことで、知性っていう言葉が何かっていうのを際立たせるっていうのをやりたいと思います。
まずは4種類あるなと思います。知能。知能ですね。脳みその脳。脳みその脳じゃない。能力の脳ですね。知の脳で知能。知識。知識ですね。知性。あと知恵ですね。この4種類が大きくあるなというふうに思っています。
知能っていうのは、思考を回すためのエンジンみたいなやつですね。何をするにも知能が必要だと。知能指数っていうことはわかりますけど。知能がある生き物とか言ったりしますけど、考えられる能力を持っているかどうかみたいなものが知能であると。
知識っていうのは、情報とかを知っていることですね。知識があるみたいな。これ自体は情報そのものを言うこともあるんですけれども、その情報を知っていること、物知りであることみたいなのを知識とか言います。知識者みたいなやつですね。
教養ってやつがありますが、教養はこの辺のやつを混ぜこぜにしたやつだと思います。
次、知性ですね。知性は論理性とか、抽象化ができるというやつですね。知識はあります。ただ、それを使って何もできません。
何か物事を説明するときに、論理立てて説明できると、この人は知的ですね、みたいな感じすると思うんですけど、それって知性があると言うと思うんですよね。
知識があるとは違うじゃないですか。物知りですねっていうのと、知性がありますねというか、知的ですねみたいなのはやっぱり違うわけですね。
いろんなことを知っているねっていうのと、説明がうまいねみたいなのは、経路が違う。
この知性っていうのは、論理立てて何かを説明するとか、抽象化して何かの情報を違う形に変換させるとか、あるいはそういうものを組み合わせて語るとか、そういったものが知性というものかなと思います。
最後、知恵。知恵っていうのは、ウィズダムとも言われますけど、持っている知識とか知性的な能力を組み合わせて何か応用的なものをする。あるいは判断をする。判断をするには知恵が必要ですね、みたいなやつですね。
これらのいった中で、さっき言った順番でレイヤーが違う。良い悪いじゃないんですけど、知能っていうのはベースライン、基礎的なエンジンなので一番下にあります。知識っていうのは何かを知っていることなので、その一つ上の段階。
知性っていうのは持っている知識を使って論理的に何かを説明できるなどですね。さらにその一番上のレイヤーに知恵があって、知識と知性を組み合わせていろいろな判断ができる、みたいなものですね。
なのでちょっとレイヤーが違うというふうに一旦解釈していいかなと思います。実際はその緩やかに被ってたりしますし、ちょっとその軸が違うよね、それぞれみたいな話もあるんですけど、こういうふうにすると分かりがいいかな、通りがいいかなというふうに思います。
で、これの今言った知能、知識、知性、知恵っていうのが両太郎さんとの対談の中でも出したDIKWモデルっていうのに結構それなりにマッピングできると。
完全に1対1じゃないんですけど、被る部分も当然あるんですけど、かなり近いマッピングができるということに気づいたと言いますか、言えるんじゃないかなというふうに思いました。
その時はDIKWモデルって言ったんですけど、横文字なんで別に暗記してほしいわけじゃないんですが、DIKの後にIが挟まってWの5つの単語の頭文字で言われるのが結構今言われてるやり方だと。
これはAI時代になった時に特に言われてると思うんですけど、1個ずつ頭文字を説明していくと、Dはデータですね、生データみたいなやつですね。
最初のIがインフォメーションで、情報みたいなやつですね。3つ目、KがKnowledgeですね。これは知識ですね。情報からもう1個上の段階の知識。
4番目のIがInsight。これは洞察ですね。何かを見て、こういうふうな傾向があるかもしれないみたいなのを洞察OL、インサイトOLみたいなやつですね。
最後WがWisdom。これは知恵です。単語でもすでに被ってるんですけど、それぞれちょっともうちょっと段階を追って説明していきます。まずデータは何か1つの情報っていうとあれですけど、何かの素材ですね。
点と点を結んで線にしましょうみたいな話がありますけど、その点みたいなものがデータですと。今日雨が降ったっていうのが1つのデータですね。
次、Informationは情報ですと。これはデータを複数個組み合わせて意味付けをしていくっていうものですね。例えば毎日、年が明けてっていう感じなんですけど、冬になってまた春が来て
っていう風に季節がどうやら移り変わっていくみたいなのを観測したら、そういうもんだとか言ったりとか、あとは春と夏の間にどうやらすごい雨が降る時期があるな、みたいな。この時期ってすごい雨降るんですよ、みたいなのがInformationですね。
今度、Knowledgeは知識です。これはさっきのInformation、情報を構造化して再利用しやすい形に抽象化しているものです。
例えば、この時期ってどうやら雨降るんですよね、みたいに言ったときに、それを梅雨っていう風につけましょうって。梅雨ですね、この時期はっていうと、すごい使いやすいじゃないですか。梅雨入りしました、梅雨明けしました、みたいな。
梅雨って春と夏の間の雨が降る時期のことなんですよ、みたいにすると、知識として再利用しやすい状態です。
インサイト、洞察はその知識を組み合わせるんだけど、何かの洞察を得る。
データからインフォメーションして意味付けするときに知能が必要です。脳みそがないと意味付けができないので、データからインフォメーションに転換するときに知能が必要になる。
インフォメーションからナレッジに転換するっていうのは知識である。知能、知識出てきましたね。
次、知性がナレッジとインサイトの間にある。知性を使って何かを論理立てて説明する。
持っている知識、この時期は雨が降るのである。なので、どこかに出かけるときには傘を持って行った方が比較的安全である、みたいな洞察を得ることができる。
最後、洞察を使ってWisdom、知恵が得られる。知恵では判断を司るわけですけど、知恵を使って判断するのがWisdom。この時期は雨が降るね。
これを論理的に考えて、毎日傘を持って行くとか、カバンに傘を忍ばせておく。かなり生活圏の話だったので、知恵っぽくない例になっちゃったんですけど、こういうことである。
ここまでで言いたかったことは、知性の循環という言葉がありましたが、そもそも知性というのは何かという話を定義できるといいと思いました。
知能、知識、知性、知恵という4つの似たような言葉を比較することで、知性というものは何かということを際立たせてみました。
それに対して、もう一個補足説明として、DIKIWモデルと呼ばれている心理学とかで使われているモデルに当てはめてみると、知能、知識、知性、知恵というのはより分かりやすくなっている。
知性というのは、知識を使ってインサイトを得る、洞察を得るみたいなところ。この洞察というのは結構仮説だったりするので、普通に間違える可能性もある。
だが、知性を使うということは、洞察を得るということでもあるので、問いを立てるとか、これってこういうことなんじゃないかとか、仮説を立てるんですね。
SWCってもしかしてこういう特徴があるんじゃないか、みたいなふうにいうことは、その時に仮説をポンと出すこともあるんだけど、この仮説を論理立てて説明するというのが知性なんで、
さっき言った論理性や抽象化などを組み合わせて、知識と論理性と抽象化をワーッとやって、論理的に説明立てるみたいなのが知性だとした時に、
知性の循環ってどういうことかというと、持っている情報はあります。それから洞察を得ます。こういうふうな可能性があるかもしれないというふうに思いました。
それはなぜかということを説明できたりとか、こういう論拠がありますよねというふうに説明できたりとか、あるいはこういう法則から導き出すとこういうことが言えるんじゃないかみたいなふうに言う。
こういうことができるってことが知性であり、このやりとりが循環して、その中辺のもの、例えばナレッジとかウィンスタムとかインサイドもそうですけど、これらをお互いの中で共有し合うというのが知性の循環と言えるのではないかというふうに思いました。
ということで、ここまでが多分前半パートですね。はい、ちょっとコーヒー飲みます。
推論の種類
野間さんが確か、仮説を立てるところだけやってたのか、自分たちは、みたいなふうにおっしゃられてたんですけど。
まあそうかもしれないですけど、それが悪いかどうかというと悪くはないと思ってるんですよ。別に定義の問題なので。
仮説を立てるっていうことに関して、個人的に最近すごく勉強してハッと思わされたのが、アブダクションという思考の仕方があります。
推論という言葉があって、何かを推察して論じて導き出すというのを推論と言いますが、推論というのは知的労働の一種としても語られます。
コンサル本とかを見ると、これよく出てくるんですね。特に代表的な推論の方法が2つあると。演劇法と機能法みたいな話があるんですよね。この話をまずしていきたいなと思っています。
推論です。漢字が合ってます。推察するの推に論じるの論ですね。
推論というのが大きく3種類あると言われています。日本語でまず機能法推論と演劇法推論と言われるものです。
この2つがずっと長らく、推論ってこの2つのどっちかだよねって言われたんですけど、最近注目されているのが第3の推論と言われています。これがアブダクション。
これは仮説形成推論と言われます。もう1つそれぞれ説明していくと、アブダクションって何なのってなるじゃないですか。機能法と演劇法みたいな漢字できて。
推論の言い方が苦手。そうかも。めちゃくちゃそうかも。インドネシア。推論か。
推論。ごめんなさい。めっちゃ面白い。ほんとそうすぎる。めっちゃ今から。ほんまの推論。確かにそうだ。推論ですよね。いやいや、そうだ。ほんとそうだ。
びっくりした。なんか自分で言っても変だなと思ったんですよ。推論。シェンロンみたい。ごめんなさい。ちょっと詰まっちゃった。いや、ほんとだ。推論ですよね。演劇法推論。
ちょっと待って。復帰できるかな。腹痛。やばい。びっくりした。びっくりしちゃいました。いやいやいや。気になりますよね。びっくりしました。ここ生ってたんだなと思って。びっくりした。
いちごといちごの。いちごって言いますもんね。いちごですよね。びっくりした。すげー。気づかなかった。腹痛。いちごですよね。いちごって言います私。
いや、なんかそうなんですよね。いや、ほんとですよね。漢字が想像できないですよね。びっくりした。びっくりした。おもろすぎる。いや、推論。これ大丈夫かな。笑わないで言える自信がある。
アブダクションって何ですかっていう話の前に推論って何ですかって話ですよね。推論ですよね。びっくりした。頑張ろう。アブダクションって言ったときに、なんだってなるんですけど、特に機能法と影響を知ってる人たちからしたら、なんとか法って言わないんですかっていう感じなんですけど、これ逆に英語に揃えるときれいで
機能法はインダクションって言われます。インって中へっていう意味のインですね。インポートとかインプットとかインクルートとかのイン。中に。で、インダクション。で、機能法。
で、影響はディダクションって言います。ディなんでDEですね。デパートとかディクリースとかディセンドとかそういう減らす方向とか下方向みたいな意味のディですね。減らすの方ですかね。
アブダクションの基本概念
で、アブダクションはアブなんで、外れてるみたいな感じ。アブセントとかアブストラクトとかアブノーマルとかアブノーマルは普通から外れてる。アブストラクトは抽象化するみたいな感じですね。まとめみたいな意味ですけど。
アブセントは不在、お休みみたいな意味なので、アブ外へ。いない、不在、外へですね。インダクションは中へ。ディダクションは減らすとか下方向。アブダクションは外方向みたいな。
で、機能法と演絵秘証をまず説明します。これエンジニアだと勉強するのかな。どうだろう。わかんない。コンサル本とかだとよく書いてある。
機能法っていうのは、いろいろある事象からルールを推測して導き出す。パターンを導き出す。さっきの例だと、この時期は雨が降るな。今日も雨が降った。明日も雨が降った。
明日も雨が降ったらおかしい。昨日雨が降ったし、今日も雨が降ったんで、明日も雨が降りそうだな。っていう風なのが機能法ですね。ルールを導き出す。
はいはい。何?何?何だよ。よいしょ。ごめんなさい。パパ知ってて萌える。ありがとうございます。ロブロックスしていい?いいよって言いました。
インダクションは複数のある事象を観測して、そこから法則性を導き出すというのが機能法、推論である。
演劇法推論は三段論法って言われたりするやつがあれですけど、特定のルールに何かの事象を当てはめたら結果こうなるでしょうという風に、法則性から結論を導き出すもの。
よくある例が、アリストテレスは人である。人は死ぬ。なのでアリストテレスは死ぬ。みたいなやつですね。これがディダクションで演劇法と言われている。
この機能法と演劇法だけで世の中の推論が成立しているかというと、どうやらそうではないということを言い出した人がいます。
これがチャールズ・サンダース・パースだっけな。記号論の人なんですよね。ナルセは天下を取りに行くの話。シェンロンで大丈夫ですか。ありがとうございます。
記号論はナルセが天下を取りに行くと話したときに、エルメスのバッグを持っているというのはこういう意味合いがありますよね。
意味合いみたいなものを記号的に象徴するものがあって、意味を消費することを記号を消費するみたいなことを言ったりしますけど、そういうのを言い出した方が、ソシュールという方とパースという方がいるんですけど
同時期にそれぞれ全く関係ないところで言い出したというミラクルがあるらしいんですが、パースさんが推論にはもう一つあると言い出したんですね。これがアブダクションというもので仮説形成推論であると。
仮説を立てるというのは、実はさっきの機能法と演習法では結構無理ではというふうに言ったんですよね。これは代表的なものがニュートンの万有引力の発見がわかりやすい例として説明で用いられるんですけど
リンゴが木から落ちるのを見てニュートンは万有引力を発見したというじゃないですか。どういうことって誰じゃないですか。重力があるのはわかる。リンゴが木から落ちた。だから重力があるんだな。みたいなのは、これは演劇法で多分いけるっちゃいける。
こういうルールがあるんだろうな。あるいは機能法的推論でありそう。いろんなものを手を離したら落ちるから、いや落ちるよね。落ちる方向に力が働くんだよね。
さっき言った演劇法とか機能法とかで推論がいけると思うんですけど、ニュートンの万有引力ってそういう話ではなく、リンゴは木から落ちるのにもっと上の方にある月はなんで落ちてこないんだっていう話なんですよね。
これは月と地球がお互い引き合っているので、双方にお互いに落ち合っているんですよね。落ち合っているんだけれども、月は地球の周りを回転しているので落ちながら移動してるんで
お互いにぶつかることはなかったみたいな話であると。これって機能法ではまず無理であると。仮説が立たないんですよね。
そういうものを推察することはできないので、両方落ちてきてるのはパターンで見ることはできないので、機能法ではまず無理と。
タジマスターさん、こんにちは。ありがとうございます。遠域法でも無理であると。そもそもルールがないので。遠域法っていうのは新しいルールを作るものではなくて、ルールをベースに何か結論を出すということなので、ルールを導き出すのには向いてないんですよ。
なので遠域法でも無理だと。これはそもそもなんで見つけられたのかというと、本当に直感的なものでビビッときて、もしかしてそういうこと?というふうにふっと思いついたものをベースに仮説を立てるということがそもそも人間の能力として備わっているのだと。
そういうものがない限り、ニュートンの万有引力みたいなものは遠域法や機能法だけでは見つけられないということが言えるので、そうじゃない第三の推論、アブダクションというものがあるだろうというふうに言って、今そのアブダクションが注目されてるんですよね。
アブダクションと科学の関係
これは特にAI時代だから注目されてるっていうのがあって、AIは特定のルールに合わせて何かを出すこともできるし、何かのパターンを導き、学習ってそういうことなので、Aしたら正解、Bしたら正解、CしたらNG、AとBの共通点はこれ。
だから、AとBのものからルールを導き出して、基本ルールはこれですね、みたいなふうにパターンを導き出すことができる。
だが、特許しもない仮説を生み出すみたいなのは、そんなに得意ではない。いずれ得意になる可能性もあるけれども、今そこを得意とはしてない。
これは人間、今のところおそらく人間だけが持っている特殊機能であると。他の生き物も持っている可能性もあるんですけど、ただ、持ってなさそうだねっていうふうなのは、言語学者さん、今井六美さんとかがユール言語学ラジオに登壇されている、今井六美先生とかがその話をされてるんですけど、
どうやら一部の霊長類はそれっぽい挙動を見せるんだが、基本的には他の生き物はアブダクション的な推論はしないということを実験で検証している。
実際そうっぽい。ということで、今アブダクションというのが注目されているし、3つの種類の推論があるということをまず認識しましょう。
このアブダクションとインダクションとディダクション、つまり永久法と機能法とアブダクションは、サイエンス、科学が進歩するのにかなり寄与しているというか、この3つの推論を使うとなぜ科学が前に進むのかが説明できるとも言われています。
そもそも仮説というものがないと科学は進まないと、これってもしかしてこういうことなんじゃないかと思う起点がないと、実験しようとすら思わないので、まず起点が必要なんですけれども、この起点を作り出すのがまさにアブダクションなんですね。仮説を作る能力なので。
ちなみにそうだ、もう一個AI時代に必要だと言われているのは、AI時代は起点力、つまり仮説を立てたり問いを立てたりというのが課題を発見したりみたいなのが重要だと言われているので、アブダクションは重要ですと言われているし、これはAIにも打ってない能力だからこそだと思います。
話を戻して、サイエンスの中では、仮説を作り出すのはアブダクションになると。これなぜこうなったんだというふうに思う。これが仮説起点になると。その仮説が正しいなら、きっとこういうふうな実験をしたらこういうふうな結果になるはずだぞみたいな。
仮説を一旦ルールとして当てはめてみて、さっき言ったアリストテレスは人間だから死ぬ、みたいな三段論法的な結果を予測するんですよ、事前に。
なんとかっていうやつになんとかっていうやつを混ぜたらきっとこうなるのでは。ここにこういうものを置いたらきっとこういうことになるのではみたいなことを仮説を置いて実験をすると。これが演劇的なんですね。
実験結果を一つだけでは物足りない。複数の実験や観察データを集めていって、やっぱりいろんなことをしたけどこういうことが言えるよねっていうのが機能的であると。
なので、仮説を作り出し、ルールに当てはめて結果を予測して実験してみて、その実験結果を複数集めて、仮説が成り立ったね、あるいは成り立たなかったねっていうのを繰り返しているのがサイエンスであると。
なので、サイエンスはアブダクションとインダクションとディダクションの組み合わせで前に進んでいるんだが、この中で最初の記念となっているのはアブダクション推論だということが言えます。なので、アブダクションは3種類の推論の中で見つかったのは最後なんだが、かなり重要なものだと言えます。
東洋思想との関連
ここで、機能法と演習法とアブダクションって、哲学的に何に似ているかっていう話もできるなと思っていて、西洋哲学には大きく2つの流派があると言われています。
特に近代以降、これは大陸合理論と英国経験論、イギリス経験論と言われるものがあります。
大陸合理論と言われるのは、ドイツがメインなんですけど、大陸って言われたときにドイツなんだっていうのはあるんですけど。
これ誰が言い出したんだっけ?
デカルトか、ルネ・デカルト、フランスの哲学者ルネ・デカルト、めっちゃデカルトでした。
フランスやドイツなどのヨーロッパ大陸で発展したものを大陸合理論と言うのが、デカルトが特に大陸合理論の中心人物である。
我思う幽霊に、幽霊に我ありっていう言葉をしましたが、この我思う幽霊に我ありって何かというと、何かを語る上で前提条件が幽霊を動いていると、結局何も言えないよね。
じゃあ、どうやっても疑えないものをまず見つけないと話になりませんよね、みたいな。
どうやっても何やっても絶対に疑えないものは何だって考えたときに、私が考えてるから私ってあるよねっていうことだけは疑いようがないであろうという風に言って
それをベースにロジックをいろんなものを発展させていったと言われています。
つまりそのベースのあるルール、我思う幽霊に我ありっていうのが、哲学の中の最初のルールであり、そこからいろんなものを遠域的に発展させていって
こうだからこう、こうだからこう、こうだからこうっていうのをやり続けていって、哲学って発展していったよね、いくよねみたいなことを
言ってるのが大陸合理論で、前提を置いて、ルールを設定して、だからこうなるっていう風なスタイルで哲学を発展させていったのが大陸合理論だと言われています。
かなり遠域的推論であると。一方でイギリス経験論っていうのはイングランドの方から出てきた哲学のスタイルなんですけど
これちょっと私もあまり詳しくないんですが、いろんな経験則からこういうことって言えるよねみたいなことを言うスタイルなので
これはやっぱり機能法的なんですよね。なので、大陸合理論とイギリス経験論はそれぞれ遠域的であり機能法的であるという風に言えると。
これは西洋の哲学スタイルなんですけど、東洋哲学ってこのどっちともタイプがどうやら違うようであると。
諸子百家とかそうなんですけど、ロジックとかじゃなくて急にバーンこうですって言い出すみたいな。
前提とかじゃなくて、こういうルールっぽいみたいなことを急に言い出して、周りの人たちがそうっぽくないとかって言い出して
やっちゃうやつが結構東洋思想的なんですよね。
これかなりアプダクション的だと思っています。
めっちゃ仮説で思いっきり言っちゃうみたいなやつ。
すごい上手く言えないんですけど、孫子の兵法とかはかなり経験論的だとは思うんですけど、実は。
そうじゃないやつ。こうした方がいいよみたいにバーンって言っちゃうみたいなのは、牧師っていう人が愛が大事ですってバーンって言い出しますね。
法家は法が大事ですとか言ったりとか、一応ロジックはあるんですけど、急にバーンって言い出したみたいな。
その時代の連綿とした何かに受け継がれてそういったとかじゃなくて、諸子百家とかっていろんなことをいろんな人が一気に言い出したタイミングだったりするので、
その時に出てきたやつはかなり直感的でセンスで言っちゃうみたいな哲学思想が多いと。
仏教もおそらくそうで、かなり神体知的なんですよね。もちろんものすごいロジックがあるんですけど、組み上げられてきたものにはものすごいロジックがあるんですけど、
あると言われていて、私はそれをほとんど全然理解できていないまま言いますけど、神体で修行をすることで悟りに到達するんだということを言いますが、
それはかなり神体的でありロジックではなくて、経験でもない。修行するって社会経験とかを飛ばしているもので、
神体のみで経験することでバーンと悟りに到達できるみたいなことっていう意味だとかなり論理の飛躍があるんだが、
そういったものでもやられてしまうというのは結構アブダクション的かなというふうに思います。
ここまでで遠域仏法と第三のステルアブダクションというものがあり、アブダクションは科学の発展を牽引してくるトリガーに乗ったものでもあるし、
AI時代でもすごく大事だと言われている。そしてどうやらアブダクションは結構東洋思想的なものなのではないかというふうに思う面があると。
これ前回の話ともちょっと共通化するんですけど、われわれの特性的に、土地属性みたいなのがあるというお話ししましたけど、
アブダクションと日本語話者の特性
日本は稲作で両方国家で、言語には主語がない。それって西洋から来た資本主義の基本的な考え方OSと結構コンフリクトする部分がありますよねみたいな話しましたけど、
それに近い話というか、アブダクションってかなり東洋的なのだと思うんですよね。
誰かがおっしゃった、深井さんかな、エネルギーが高いものをすげえって思っちゃうみたいな、そういうのってあると思うんですけど、ロジックとかじゃなくてエネルギー値の高さみたいなのを重要視するのもかなり心体的なんですが、
そこから来てる特性みたいなのが、日本語話者には結構あって、そういうことをしがちな人たちなんだよねっていうふうに捉えるのは結構面白いなというふうに思っています。
あともう一個、ジョジョリオン、ジョジョリオンじゃない、ジョジョリオンじゃない、スティールボールランか、ジョジョの奇妙な冒険の第6部、あれ6部?7部か、6部あれですもんね、6部ジョリーンですよね。
7部のスティールボールランっていうシーンに、そうですよね、ジョリーンは6部ですよね。5部が、あれか、ジョルノ・ジョバーナか、ジョバーナが5部、6部がジョリーンで、7部がジョニー・ジョースターか、ジョニー・ジョースターですね。
セッペリンさんのジャイロ、ダブル主人公でジャイロとジョニーがいるわけですけど、ジャイロが鉄球を使うスタイルで戦う人なんですね。
そのジャイロが、もう一人の主人公ジョニーに対して、5つのレッスンを伝えると。これ、スティールボールランレッスンファイブって検索すると出てくるんですけど、この5つのやつがありますと。
これがかなり、東洋思想的であり、SWC的だなっていうふうに思ったので、ちょっと紹介したいんですよ。ちょっと横道逸れちゃうんですけど。
レッスンファイブ、1つ目、妙な期待をするな。2つ目、筋肉に悟られるな。3つ目、回転を信じろ。4つ目、敬意を払え。5つ目、遠回りこそが最短の近道。
っていうふうな、5つのレッスンがあります。これ、かなりSWC的だなと思っていて。アブダクションからなんでSWCの話になったかっていう話は、ちょっと後でするんですけど。
一旦、レッスンファイブの話をすると、まず筋肉に悟られるのは結構大事なんですよ。まず1つ目、妙な期待をするな。妙な期待っていうのは、短期的な利益を求めようとすると、妙な期待をしちゃうんですよね。
こういうことをしたから、こういうものがすぐに帰ってくる。ちょこっとさんのこととはちょっと違いますね。残念ながら。妙な期待をするっていうのは、短期的な利益みたいなものを期待するということを捉えていて、誰かのために何かをしましたみたいなときに、その人からすぐに何か、ギブしたものはもう一回帰ってこいって思うと、事故るじゃないですか。
特にSWCでは、この期待をすると事故るというか、全然帰ってこないという。自分自身に分かりやすい形で帰ってくる期待をみんなしてないんですよね。多分今のSWCに。それでいいよねってなってるので、妙な期待をすると事故ります。
が、妙な期待をしていない人は、長期的に物事を考えられ、自分が誰かに何かをギブしたこと自体はSWC全体に緩やかに還元されるのであるというふうに、みんな考えてると思うんですけど。
そういうふうな捉え方をした方がいいよねっていうふうに考えてます。これはレッスン1ですね。レッスン2、筋肉に悟られるのは、その期待を筋肉に悟られるなということだと思います。
スティールボールランの中での例としては、腕をグッと掴むと、その掴まれた腕は振りほどこうとして反応してしまう。なので、腕をグッと掴んでいることを悟られると、強烈なリアクションで弾かれる。
なので、何かをしていることを悟られる。筋肉は反射をするので、反射で反応されるようなことはするなと。反射の代表的なものは、SNSでブチギレるとかですね。
バトーをするとか、そういったものを悟られないようにするのも大事だし、自分自身の筋肉にもそういうふうに反応させるなと。自分の筋肉にリアクションをさせるな、あるいは他の人の筋肉にリアクションをさせるながレッスン2です。
レッスン3は回転を信じろ。回転というのはスティール・ボルダンの中ではすごく重要な概念で、黄金火の回転というのを、何かを回すとものすごいエネルギーが出るよという話で語られるわけですが、この回転はSWGでいうと循環ですね。
クリエイティブの循環、あるいは知性の循環みたいなものを信じろと。なので、妙な期待はしなくていい。どこかのタイミングで自分にどうせ帰ってくるんだから、すぐに回収をする必要はないというふうに信じろ。エコシステムを信じろ。回転を信じろ。循環を信じろというふうに言えるのがレッスン3。
レッスン4、敬意を払えは、その回転の中にいる全ての生物に対してリスペクトをしろ。リスペクトを払えないと事故るっていうのは本当にもうなんか深井さんが言いまくってることなんであれですけど、このリスペクトをかけると回転を信じられなくなり、
自分自身の筋肉が何かを悟って、妙な期待をして変な動きをしてしまうので、敬意を払うことが大事だと。リスペクトをしろがレッスン4。そしてレッスン5、遠回りこそが最短の近道。これはもうそのままですね。
循環で帰ってくる自分の意味価値みたいなものは、最短を目指すなって話だったんですよ。今までの妙な期待をするな、筋肉に悟られるなは、近道を無理に狙うなということだ。
遠回りをして、その循環の中で帰ってくるものが結局一番近道になるので、それを信じろということだと思っています。
SWCにおける知性の循環
そうですね。SWCに限らず、避難者の人から思ってもないところからすごいものが降ってくる。
それがレッスン5に現れているなと思いますね。
SWCは実感しづらい場所だと思っていますし、この中で言っていることが循環だと思うんですよね。
本当に最初の話に戻るんですけど、マスコットさんの。
DAOとチームは目的的であるが、流動的であり循環的であるDAOと、秩序立っていて安定しているチームには違いがある。
そこで私はアブダクションして、コミュニティ側にも同様に、その循環的で流動的であるというパターンと、秩序立って安定的なものをアブダクションしてみたわけですよ。
コミュニティ側にもその流動性に対する触れ幅のものがある、あるいはカオス的であって循環的なもの。
SWCはそうではない、そっち側なんじゃないかという風な仮説をアブダクションしてみたわけですが、
これさっき言った、レッスン5の回転を信じて敬意を払い、妙な期待をして筋肉に悟られずに反射をしない、その遠回りのサイクルこそが最短の近道であるということが、
SWCでは実感できるし体験している、体現しているコミュニティであると言えると。
回転を信じろのところで、さっき言った知性の話が出てきて、クリエイティブの循環はある。
知性の循環はあるかと言ったら、ある風にしていけばいいだけだと思うので、ここで止めない方がいい。
仮説自体に意味があるかどうかで言ったら、意味はある。仮説で止まると循環が止まるので、回転させる必要がある。
回転の種類としては、ナレッジからインサイトに、インサイトからウィズダムにという風な、あるいはそこから下方向に回っていく。
ウィズダムからインサイトに下ろす、インサイトからナレッジに下ろすということが可能だと思っていて、それぞれのレイヤー間での循環もあるし、
人の間での循環もあるわけですよ。マスコットさんと野間さん、あるいは私の間での循環もある。
この循環には意味的に価値があるんだということを信じて、レッスン5をしていくことが大事だなという風に感じました。
別に大事じゃなくてもいいんですけどね。やらなくてもいいんです。やらなくてもいいんだけど、SRCのすごい特徴的なのがレッスン5に現れていて、
知性の循環というものにすごく魅力を感じた人たちがいて、その知性の循環というのは、さっき言った、ちょっと分解して語ってきた通りのものであると。
これを回せれば、遠回りこそが最短の近道なんで、何かしらの近道に通ずるものがあるはずという風に思っていますという話ですね。
なので、野間さんとマスコットさんは、ヘジテイトせずに、遠慮せずに、記憶にせずに、色々語ってもらえるといいんじゃないかなという風に思っていますという話です。
この構造は、コミュニティでやる意味があるかどうかというと、コミュニティでやる意味は結構あるんじゃないかなと思っていて、
深井さんがどこかで言ってたんですけど、大規模言語モデルというものがありますよね。ラージュランゲージモデル、LLM、つまりチャットGPTとかクロードとかジェミナイとかなんですけど、
これって大量に特定の場所に情報を漂わせたことで、どうやら知性的なものが発現したと。
大規模に何か情報を入れていったら、そこから知性が出てきたのであるというのが、大規模言語モデルの謎だけど生まれてしまったものであると。
これはめっちゃ資産に飛んでいると思っていて、つまり一つのコミュニティにとにかく情報を入れ込めと。
いろんなバリエーションでもいいし、特定の分野でもいいし、レイヤーが違うものでもいい。
ナレッジでもいいし、データでもいいし、インフォメーションでもいいし、ウィズダウンでもいいからとにかく入れ込めと。
そこのごちゃっとしたところから、ぐーるぐーるってねるねるねるねみたいにかき混ぜていくと、
それが知性のプールみたいな状態になっているので、そこをみんなでかき混ぜるんですね。
循環ってかき混ぜるってことなので、ぐるぐるぐらってみんなでかき混ぜていくと、
急に生命のスープみたいなところからポコッと何かクリエイティブが生まれたり、また知性のスープみたいなところからポコッと何か
これだ!みたいな知恵が生まれる可能性がある。
これを社会実験できる場がSWCだと思いますし、LLMはまさにそうやって生まれてきた。
クリエイティブはランダム性であるし、ローカルなところに知識を集積していくことで知性が生まれるってことはあるので、
そういった土壌が今すごく大事なんじゃないかなと思います。
そういう場所ではアブダクションみたいな、仮説をバンバン立てていくみたいなのがすごく重宝されるし、
そのアブダクションがないと、そこから先の演劇とか機能とかで、機能法とかで検証していくってことすらできない。
むしろ演劇法とか機能法とかが得意なタイプの人もいて、それを得意な人に渡せばいいだけなんだ。
クリエイティブの、以前話したドリームコアは、クリエイティブを分解して作ることで、その後ガッチャンコして大きな何かを作ることができるみたいな話をしましたけど、
それと同じ感じで、アブダクションが得意な人はアブダクションすればいいし、問いを立てまくればいいし、その問いに対してアンサーする人はいたらラッキーだし、
というふうに回っていくことが、姿勢の循環なんじゃないかなというふうに思ったという話ですね。
ということで、SWCで、何回も名前を出して申し訳ないんですけど、野間さんとかマスコットさんがヘジデイとしていた、
前提条件がない、分かってない人は語らない方がいいかもな、みたいなのではなく、仮説はバンバン立っていい。
問いを立てることこそが、AI時代に重要と言われていたりしますので、起点力なんで、それは大事なので、それをぜひやってほしい。
両太郎さんも、それぞれがやりたいことをやればいい、それぞれがナチュラルにやってしまうことだったり、得意だったりすることだったり、他の人から求められることだったりする。
そういうものを自分がやりたいようにやればいい。それぞれの特性なんで、その特性がいろいろ集まっているSWCでしかできないことがあるなと思うと、
やっぱりそれにはすごく価値があるなと思いますというお話でございました。
ということで、1時間18分お付き合いいただきましてありがとうございました。
本日のお話は以上となります。
ありがとうございました。
皆さん来ていただいて、パンダさんがペンさんと呼んでくれました。
そうかも。
ということで、この後、両太郎さんとみどりさんのライブ配信のアーカイブ聞こうと思います。
皆さんありがとうございました。失礼します。
さあ、スロスロスロース、バイバイプー!
01:19:20

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