経営の意味と解釈
あ、聞こえるかな?
フェスティナル連邦、この放送は、SWCというコミュニティメンバーのワーパパCTO🦥がお送りいたします。
よし、久しぶりにちゃんとしたマイクを繋いで、配信してみます。
音入ってるかな?
これか。なんかですね、マイクの接続が悪くて、たまに結構切れます。よし。
音が入ってると信じて。
今日は、経営というものについて、ちょっと喋ってみようかなと思いますが。
あ、みどりさん、声聞こえますか?
聞こえるかな?
そこだけ。ありがとうございます。助かりました。
AT2020っていう、ちゃんとしたマイクを繋いで、撮ってみてます。
最近、接続が悪くて、めっちゃ聞きやすい。よかったです。
BGMかけながらやるのに、たぶん一番いい設定を今したので、これでやってみようかなと思います。
よかったです。
今日は暑い。
経営って言った時に、経営ってどういう意味だろうっていうふうに改めて考えたことがあって。
ビジネスというか、お金を稼ぐみたいな意味合いに捉えられがちというか、間違ってないんですけど。
一つの面でそうだっていうことでしかおそらくなくて。
経営ってそもそも何かっていうことを、一回自分の解釈で喋ってみようかなと思いまして、ライブ配信してみました。
特にこのタイミングでって思ったのが理由はあって、
例えばパンダさんが今すごいLシンガーとしてめちゃくちゃ活躍されてますけど。
フェーズが変わったなという感覚があって、めっちゃ活躍する人が出てきたみたいな。
元からSWCのクリエイターは活躍してたんですけれども、個人で活動されてる方が多かった認識があって。
パンダさんも個人で活動されてますけど、デイコさんとかカオリさんとかはお一人でクリエイティブできるじゃないですか。
そこからさらにフェーズが変わって、人を巻き込むタイプというか、リソースというものを意識しながら、
無理に意識しなくてもいいんですけど、リソースというものの存在を認識するとさらに活動の幅が広がるようなフェーズにきたなと思っていて、
この話をできればなというふうに思いました。
自業を営むこと、またその運営のための仕組み、規模を定め工夫を凝らして物事を行うことというのがオクスフォードの辞書だとそういうふうに出てくると。
自業を営むことみたいなのが多くの定義、よく一般的な定義だなと思うんですけれども、経営のAは営むなのでそうだなと思うんですが、経営のKって何だと思ったんですよね。
経路のKとかそういう経営のAって何だと思ったんですけど、経営のAって何だと思ったんですよね。
経路のKとかそういう意味合いもあるので、言葉としては道っていう意味合いがあるんだと。
あるいはその経典の経とかでもありますけど、基本的には筋道とか通り道とかですね。
つまり道という意味がある。経路って道と道っていう意味の2つ合わせた漢字らしいんですけど、
道を営むって言った時に、これをちょっと意訳すると、存在意義みたいなもの。
その組織あるいはその人がこれから歩いてきた道、これまで歩いてきた道があり、ここから歩いていく道もあり、
道っていうのは今まで生きてきた証でもあり、これから生きていく道しるべでもある。道しるべって言うと言い過ぎですけど、歩く先でもあるというふうに考えると、存在意義というふうに言い換えられるかなと思うんですよね。
その存在意義を営む。営むは瞬間瞬間に何かするだけではなく、長期的に。
ありがとうございます。経は道で道筋とかを示す。存在意義を営む。営むは瞬間的ではなくて、永続的にだったり長期的にだったり、一定期間と決めてもいいんですけれども、ある程度の長い期間を営んでいくことで、
道に沿ったもの、存在意義を世の中に発揮していくということが経営なんだろうなというふうに思ったんですよね。
経営リソースの進化
この経営という言葉、ちゃんと調べてないんですけど、もともとビジネスという言葉じゃないですか。ビジネスの意味は仕事という意味ですけど、ビジーですという状態だと思うので、忙しい状態みたいなことから来ちゃってるとは思うんですが、
勝手な解釈だと、英語圏とかだと一神教的な文化なので、そこで特にカトリックとかだと、お仕事って別に尊いものじゃないってされてて、これがプロテスタントになると、仕事って神がその人に贈り賜った
天職みたいなものだから、その天職をめっちゃ頑張ってる人って、おそらくちゃんと天国に行ける人だよね、みたいな解釈で仕事をするっていいことだよねっていう風な方向性に、カトリックの時に変わったんですけれども、もともとはそんなに良くない意味なので、ビジネスって忙しいことだよねっていうことだったと思うんですよね。
ただこれを日本に概念として輸入した時に、というか当て字をした時に、経営という風にしたと。
で、もちろん仏教的な国でもあるし、多神教的な国でもあり、その一神教とはちょっと違う概念の中で、当時のおそらく明治時代とかだと思うんですけども、人たちがビジネスに対して経営という言葉を当てたと。
当時の人たちは、やっぱり武士階級から降りてきた人たちも多かったはずなので、降りてきたっていうと言い方が悪いですけど、ノブレス・オブ・リジュ的な、武士道的な、つまり何か物事をする人とか権力を持って力を持っている人は、
持ってない人たちに対して何かを責任を持って提供したり道を示したりする人たちである、みたいな概念があったはずなので、この辺ちゃんと調べてない、本当に適当に言ってるんですけど今。
というふうに考えると、経営という言葉を当初、そういう存在意義、つまり道を示す、道を営むという意味でやったんじゃないかなというふうに、なんとなく解釈します。
実際、それはどうかは去っておき、かなり日本的な解釈としては、合ってるんじゃないかなというふうに思います。特に、金融資本主義とかと日本ってそんなに相性が良くないと思うので、本質的には。
お金のためにむちゃくちゃ何でもできるという人もいるんでしょうけど、大半はそうではないというか、むしろそれに駆け引きしている人が多いような時代だと思うので、そうなったときに経営という言葉に対して忙しくするというビジネスというよりは、存在意義を営むというふうな意味の道を営むの経営というふうな解釈をした方が
気は楽なんじゃないかなというふうに思って最近見てました。この経営するときに、とはいえ営むことが大事、つまり永続化というとあれです、語弊がありますけど、一定期間存在していないと存在意義というのは示せないわけですよね。
存在意義がない会社は、倒産してもしょうがないかなとは思うんですけれども、社会にとってプラスの意味を提供できるというふうに思っている会社、企業であれば、存在していくための戦略だったりが必要であると。
そのために必要なのが、最初に言ってたリソースっていうやつだなというふうに思っています。ちょっとコーヒー飲みますね。
経営リソースって言われたときによく言われているのが、ひともの金っていうやつですけれども、ひともの金はいつから言われたんだろう、昭和の頃には普通に言われてたと思うんですけれども、
特に工業時代では金と物が大事だったんですよね。資本を借りて、資本主義社会なんで資本は結局結構大事なわけですけど、お金を借りて、あるいは調達して建物を建てる、特に工場を建てることで大量生産が可能になると。
マーケット市場に対して有意な立場に立つみたいなことがやられているっていう意味では、経営リソースの中で、ひともの金の中で相対的に、全部大事なんですけど、相対的に物を作るための原資となる金っていうのが非常に大事だったと。
しかしながら、ここ数年ですね、特にコロナ以降、もっと前からですけど、ITの時代からですかね、ITの時代になってから、特に人一人でできるものっていうのが大きくなってきた。
加えて、AIっていうものが台頭してきて、それを扱う人そのものにフォーカスが当たる時代になってきたっていう以上、経営リソースの中、ひともの金の中で、最も人っていうのが大事になってきていると言われます。
これは、社会的にわかりやすく言葉として表現されているのが、人的資本経営と言われているもので、人をちゃんと資本として活用しましょうと。
その前提での経営をしましょうっていうのが、人的資本経営っていうものですけれども。
時代の流れ的に、ちょっと前まで工業化の時代が強かったので、工業インダストリーの時代だったので、そこは強かったんだけれども、どんどん人の経営リソースの中で人が大事になってきてるねっていう風な時代になってきた方というふうに思います。
あと金に関しても、相対的に昔よりは価値が落ちているというか、大事なんですけどね、人を雇うために当然ながらお金をちゃんと出さないといけないっていうのは当然なので必要なんですが、
2つの面で金の価値が相対的に落ちているかなというふうに思っていて、1つは市場に金がジャブジャブ溢れているというふうに言われているというところですね。
不確実性への対応
インフレでお金の価値が下がっているというのもそうなんですけど、金利が低いので、他の国に比べて日本って特に金利が低いので、マーケットにお金が大量に余っている状態だと、
これ金融の話ですけど、金利が低くなる、お金をすりまくる、それで相対的に金利が下がるみたいなことがあるんですけども、
お金がジャブジャブ余っているから相対的にお金の価値が低いというのと、人材市場において、採用市場において、市場にお金が余っている状態なんですよ、何気にね
これが自民党さんがおっしゃられているようなトリクルダウンというのが起きてきてないから、給与が上がってないよねというふうな問題で言われていますけども、マーケットにはお金は余っている状態であると
もう一つの要因としては、人材、ひともの金の中で最も重要としている人材の人材が金だけで動かなくなってきているというところ、これは存在意義ともかなり密接に関わってくるんですけども
年収2000万円もらえるんで、詐欺広告を出し続けるビジネスをしてくださいって言われたら、ちょっとええってなるじゃないですか
人は金だけではなくなってきているのを本当に思いますよ、そうなんですよ、特にZ世代で語られることも非常に多いですけれども、若い世代は特に社会貢献とか存在意義とか
そういったところにかなり関心が高まっているというふうに実際聞きますし、実際そうかなと思いますし、若い人じゃなくてもちょっと金だけ稼いでるってダサいよねみたいな風潮って出てきているので
昔もちょっとありましたけどね、背景主義ってちょっとどうなのみたいな、とはいえお金は潤滑油で、それがないと生活成り立たないので、お金はすごく大事なのは間違いないし
西野さんも夢と金っていう書籍の中で書かれてますけど、金がないと何もできないのは事実なので、お金自体が大事なんだが、特に自分に対して圧倒的な自信を持っている人だったり
マーケットに対してバリを発揮できるというふうに認知している人とかは、年収何千万とかよりは、この会社ってめちゃくちゃ社会にとって価値あるよねみたいなところにコミットしていくみたいな人が増えてきているような感覚が実際ありますし、そういう話もよく聞くと
多くの企業がそんなに余裕ある生活できるほどの給与を出せていない中で、自分の時間搾取されるのも納得いかんみたいなところがある気がします。
あー、確かにね。そうですね。めっちゃ頑張ったリターンがお金という形で返ってこないと。であればこそ、そういうところに期待するよりは、消去法的な感じになっちゃいますけど
社会に対して良いことしているって思える仕事である方が豊かに暮らせるんだろうな、みたいな感覚を期待と不満というか諦めのコンボでそっちに流れているっていうのもありそうですね。
そういう時代だからこそ、金っていうものの相対的な価値が落ちてきて、人の重要性がすごく上がってきているというような世の中だなというふうに非常に実感します。
経営の中で最近言われている、経営手法って言ったら語弊があるんですけど、どう不確実性と向き合うかっていう話の中で、エフェクチュエーションという言葉があります。
先日ケンスさんが、ケンスの中で質問があった時に、会社の評価で、会社の目標設定された何%はこれで、評価の比重が高い方が、実はあんまり興味ないんだけれどもどうしたらいいですか、みたいなご質問があった時に
これはMBOって言葉が出てたんですけど、目標管理制度マネジメントバイオブジェクティブス、これが会社の目的からブレイクダウンしてて
それを目標決めるみたいなタイプのものですと、これをコーゼーションですねっておっしゃられてたんですよね。ケンスさんのところは、うちの評価制度はエフェクチュエーションでやってますっていうふうにおっしゃられてて
エフェクチュエーションとコーゼーションっていうのが、1年くらい前に確か書籍が出て、エフェクチュエーションっていう本が出たんですよ。これがめちゃくちゃパフォーマンスを出してる企業の連続企業化の行動特性を見ていった時に
経営手法の基礎
コーゼーションとエフェクチュエーション、連続企業化の、かつ上場もさせてて、複数の企業も経営してて、10年以上経営実績があって、っていうタイプのすごい優秀な経営者たちの行動特性をちゃんと調べてたんですって、研究で
その研究の中で見つけていった特性っていうのにすごく共通性があったと。お、犬の散歩しながら見るだけ。ありがとうございます、かおりさん。その特徴をギュッとまとめて、コーゼーションっていうふうに言ってますと。
で、そのコーゼーションじゃないタイプを、あ、間違えた間違えた。エフェクチュエーションって言ってます。エフェクチュエーションじゃないタイプをコーゼーションっていうふうに言うと。これどっちが良い悪いっていう話でもないんですけれども、まず言葉の、何ですかね、言葉そのものを説明すると、コーゼーションの構図はその原因とかの構図、becauseとかの構図ですね。
なので、原因論的、因果だと語弊があるな。何か、こういうことをしたらこうなるよね。だからこういうことをしましょう、みたいな。
例えば、100個絵を売ったら、100個売れて売り上げが200万円になりました、みたいな。絵が200万円売れるって別々ですけど。ちょっとお菓子を売って200万円利益が出ました。
じゃあ倍にしたら400万円になりますね。じゃあ倍にしましょう、みたいなのとか。今までやってきた手法に対して、これはもう確実性が高いので、同じ方法を取りましょうと。
そしたら、同じ結果が得られるよね。こうしたらこういう結果が得られるよね。構図、つまり原因論的な考え方で経営をする、みたいなものをコーゼーションと呼びます。
エフェクチュエーションは、もっと不確実性が高いものに対して向き合う手法で、5つの特性があるんですけれども、これは後で細かく説明しますが、
とにかくエフェクチュエーションはランダム性とかに向き合いながらやっていくものなんですよ。これつまり、柳の下の土壌的な理論ですね。
あ、そうかも。柳の下に土壌があるっていうやつでしたっけ。一度たまたま成功しても、もう一度同じ方法でやるよう成功するとは限らない。
まさにそうです。かなりそっちです。運の要素も結構あるので、クリエイティブはかなりこっち寄りでやった方がいいと思うんですけど、クリエイティブは確率論だっていう話を何度も私もしちゃうんですけれども、
そういった本当にランダムヒットみたいな、100回に1回当たったら超ラッキーみたいなものとの向き合い方をエフェクチュエーションという。エフェクチュエーションのエフェクチュは効果っていう意味なので、効果の方に注目しましょうと。
変化ですかね。エフェクト変化って言った方が、語弊がないかな。原因論的ではないものですね。原因論的なものっていう話をしたときに、ちょっと解説をして使いやすいのが、進化論の話。
進化論って、古典ラジオでも語られたんですが、昔ながらの語弊がある解釈だと、キリンって自分で首を長くしようと思って首を長くしたとか、神様が首を長くしろって言って首を長くした。
つまり、何か理由があってあの形になったんだよねっていうふうに、人間はそのように捉えやすいと。なんですけど、進化論って実はそういう話ではなく、生物が生まれる、子供が生まれるときにランダムで首が長くなったり長くなかったりすると。
で、たまたま首が長い個体が生き残りやすかった、その環境下でということで、1世代、2世代、3世代っていうふうに世代を重ねていったときに、どんどん首が長い世代がたまたまランダム的に残ってきたのだっていうふうなものが、進化論の正しい理解だというふうに言われていますが
これもコーゼーションとエフェクチュエーションの考え方に非常に近くて、原因論的なもの、神が理由があってキリンの首を長くしたんですっていうふうなものがコーゼーションだとすると、ランダム的にこの手法であったら、たまたま生き残ってたものが生き残ったんだよねっていうふうな考え方がエフェクチュエーション的だなというふうに言えるかなと思います。
コーゼーションって何ですかね、社会が安定しているときにはすごく強いんですよ。予測可能だったりするので。
なので、工業化の時代で特にみんなが困っているものがめちゃくちゃわかりやすい状態になっていて、冷蔵庫がないので冷蔵庫があったら売れますみたいな。
冷蔵庫を最初に作った人は本当にエフェクチュエーション的だったりすると思うんですけど、冷蔵庫というものがある、それにニーズがあるということがわかった。
じゃあそれを安く品質良く大量に作れたら勝ちだなっていうのが見えているのであればやりましょうっていうふうにしやすいのがエフェクチュエーションです。
なのでこれがエフェクチュエーションが悪いかというとそんなことはなくて、状況によってはエフェクチュエーションの方が非常に力を発揮するケースがあると。
でも今の時代、何が売れるかわからないというふうに言われている状態ではあるので、そういったときにはエフェクチュエーション的な考え方をすると非常に良いなというふうに思っている手が言われています。
このエフェクチュエーションがめちゃくちゃSWC的だなと思って、ここでちょっとSWCにつなげたいと思ってるんですよ。
エフェクチュエーションにはその5つの基本的な考え方があると言われています。ここからSWCにつなげます。
エフェクチュエーションの1つ目は、まずは手持ちのもので何とかしましょうというところがあるんですね。
これはスープの中の何とかという、どういうことですかみたいな名前がついているんですけど、ちょっとそれは去っておき、手持ちの手段で何とかしようと。
例えば、コーゼーション的な考え方をすると、マーケットにこういうニーズがあると、冷蔵庫がないというニーズがある、冷蔵庫をもっと作ったら売れるというニーズがあるのがわかっているので、
冷蔵庫を作れる人を採用して、あるいはお金をかけて育てて、その人たちに何かしてもらいましょうみたいなことを考えるのはコーゼーション的ですけど、
エフェクチュエーションは自分の手持ちのカードが何かというのを見ながら手札を出していくんですね。
SWCだと、例えばマスコットさんは建築の話を知っていますとか、りょうたろさんは心理師としての心理学とかの話ができる、私はエンジニアで経営者なので経営の話ができるとか、
クリエイターも絵を描ける人、動画を作るのが得意な人とか、いろいろいると思うんですけど、その人たちみんながそれぞれの得意なもの、自分の手持ちの手札で基本的にはやってるんですよね。
手持ちの手札がないときはもちろんその人が主体的に何かを取りに行くってことはあると思うんですけど、誰かに俺やりなさいって言われてやるみたいな、会社からみんな得意なものとか、あとコネとかもそうなんですけど実際はコネとか知識とかスキルとかこういったものももろもろひっくるめて自分の手持ちのもの、
仲間のものも含めてなんですけど、香里さんがSWCのスロースの本体と衣装を、
アシュラさんこんにちは、ありがとうございます。仲間だよねっていうふうな認識の中で、衣装を作りたいんだけど自分には作れないけど香里さんに頼んだら作ってくれるかもしれないみたいな感じでご依頼させていただくとかも手持ちの手札の中から出しているってことになると。
まずめっちゃこれやろうみたいなSWCで一致団結して人材ビジネスやりましょうみたいなことにはならないわけですよ。私人材ビジネス出身者ですけど、
パンダさんのおしかつ衣装とかまさに、そうそうそうなんですよ。パンダさんは自分の得意な歌という分野で、エルシンガーにアプローチしていったのもエフェクチュエーション的なんですよね。
というふうに思います。それぞれの得意とか持っているものを掛け合わせたもの。そういった形でマーケットにアプローチするというか、経営って存在意義を示す。
SWCの総意としての存在意義って別にないと思ってるんですけど、とはいえ、おもろいことをやりましょう、やってるよねみたいなそこのふんわりとした共通認識はあると思うんですけど、
そこに対して手持ちの手段でみんなそれぞれやれているっていうのは、エフェクチュエーションの一つ目の要素と結構近いなというふうに思っています。
エフェクチュエーションの2つ目の要素が、リスクをどこまで踏めるか、最悪のケースでどこまでのダメージを負うかということを考えて行動するというふうなのがエフェクチュエーションの2つ目の要素。
私が独立したときもそうだったんですけど、マックス仕事が見つからなくても、こういう手段とこういう手段とこういう手段組み合わせれば、まくっていくだけのスキルはあるし大丈夫か、みたいな感じでリスクをコントロールしてたんですよね。
お金はいくらある、めちゃくちゃやばいところは保険かけとこう、そういうふうにリスクコントロールして、マックスダメージこのくらい食らっても全然大丈夫です、みたいなところの線引きをしておいて、その範囲内でやると。
結構ビジネスやるときにみんなが考えがちなのがアップサイドっていうか、天井をどれだけ高くいけるかな、みたいなことを見がちなんですけど、それって普通に危なくて営み続けるっていうふうな意味では、どれくらいマックスダメージ食らうかっていうところを計算して、
それが自分たちのHPゲージを大幅に超えたりしないか、みたいなことを計算しながらやるのが経営上でのリスクコントロールなわけなんですけど、検査さんはこれを普通にやってるしめっちゃ得意っていうふうにおっしゃられてるんですけど、結局リスクコントロールが大事と。
やべ、ちょっと人来ちゃった。
これSWCだとキャッシュが尽きるってことがないんですよね。面白いことにというか、経営リソースとして人もの金の中で金がある意味不要ですと。
なので、どれだけダメージを食らおうが、損害賠償請求とか食らうレベルのものって基本的にみんなやらないと思うので、マックスでも持ち出した金が溶けて終わりみたいな感じになると思います。
なので、かつチャレンジの単位が小さくて、お金かけてもAIに月額サブスクでいくらとかっていうふうな投資に留まっているので、工場を買って5000万円の借金を抱えてますみたいな、3億円の借金を抱えますみたいなアプローチはみんなしてないと。
そういう意味ではかなり、ケンスさんもそこのリスク管理しっかりしましょうねっていうふうにおっしゃられてるのもあるんだけれども、リスクコントロールっていうのがSWCだとちゃんとされているように見える。
クレイジーキルトの法則
3つ目は、クレイジーキルトっていう名前がついてるんですけど、パッチワークってあるじゃないですか、布をぷぺるみたいな感じで、ぷぺるみたいな感じで布を縫い合わせて1つの面にしていくみたいな。
パズルって元から最終的なゴールが決まってますけど、そういうものではなくて、いろんなもの、関係ありそうなものをどんどん繋ぎ合わせて広げていくっていうふうな考え方がクレイジーキルトで、
これは人との繋がり、つまりステークホルダーみたいなものをコーゼーション的ではなくエフェクチュエーション的に広げていくっていうふうなところ。
コーゼーション的なものだと、この人って自分の今の事業のこの面でめちゃくちゃ役に立つので採用しましょうになるじゃないですか。
あるいは自分にとってめちゃくちゃ都合がいいのでわかっているので仲良くしとこうみたいな感じですけれども、
エフェクチュエーション的なものだとこの人は何ができるかはよくわからんけれども、とりあえず薄く繋がっておこうみたいなことをやるんですね。
とあるタイミングでその薄い繋がりが役に立つことがあると。
SRCはこれすごいナチュラルに実践されているなと思っていて、SRCというかスロース自体に興味を持ってくれたタイミングでみんながかなりスロース本体を購入するのにサポートするじゃないですか。
みどりさんがスロース買いたいけどどうやったらって言ったら、みんなでX状でサポートしてたり。
あとにやみさんの時もそうでしたけど、みんなすごい興味持って近寄ってきてくれた人にはその人自身が組織にとってプラスかどうかわからんけれども、
そういうことを考えずにもう仲間でしょ、仲間でしょって新しい仲間きたきたみたいな感じでほとんどみどりさんに助けられました。
そういうのを打算なしにやれるのはクレイジーキルトの法則にすごくのっとってると思うんですよね。
4つ目は何か失敗したものとかアウトプットが明確な成果に結びつかなかったものがあったとしても、それを再利用してみようというふうに考えること。
これもめちゃくちゃSWCで行われていて、誰かが作った壁紙だったり、マッチョなアゴマルだったりとかをみんな再利用するじゃないですか。
それ自身を失敗、バズらなかったからといって、バズることすら目的にしてないわけですけれども、バズらなかったからといってそれで終わりにしてないというか、
これどっかいつかで使えるんだろうなみたいなふうにやんわりと思っていると。
なのでふわりちゃんもきっとどっかでみんな再登場するんだろうなっていうふうななんとなくの感覚がきっとあると思うんですよね。
エフェクチュエーションの理解
緑さん、利害じゃなくて仲間意識からスタートしているのがいいんだろうなと思います。
確かにそうですね。
ここ後半でちょっとしゃべれたらいいなと思ってますけど、めちゃくちゃ目的的ではなく、スロースっていう興味関心だけに集まってきているからこそできているものなんだろうなというふうにはすごく思ってますね。
さっきの4つ目の考え方が成功しなかったもの、成功っていうものの定義にもよりますけど、出てきたアウトプットをどっかのタイミングで使えるものは使おうみたいな感覚でやっていくと。
これ実はループになっていて、クレイジーキルトで人を増やしたり仲間が増えていったり、あとは4つ目の法則で失敗したものであっても何か作ったものを後から使い回そうと思ったりすると、
1つ目の手持ちの手札で勝負するっていうときに、あかりちゃん久しぶりに登場させたいですね。
1つ目の手持ちの手札で勝負するっていうところの手持ちの手札が増えるんですよね。
2つ目の法則何でしたっけ。
忘れちゃった。
この辺りが全部ぐるっとリンクしていると。
5つ目の法則が、これエフェクチュエーションそのものの言葉なんですけど、何か目的を持ってそれに合わせてオートパイロット的に何かが進んでいく、そっちのゴールに向かって進んでいかないとダメだっていう風に考えるのではなく、
ランダム性みたいなものがあるっていうことを認めて、その前提で動くっていうことをしましょうっていうのが5つ目の法則。
なのでこれはSWC的に言うと、クリエイティブは確率論であるっていう風なところをみんな思っているので、別に一体一体しないというか、これだと思って作ったものがあんまり反応がなくても、そんなもんですよねっていう風に次々ってやるじゃないですか。
そういったところがすごく特徴的だなという風に思ってますし、これかなりエフェクチュエーション的だなという風にも思います。
というところでエフェクチュエーションの話でした。これがSWCとかなり近いものがあると。
新規事業の課題
リソースを一般的な多くの会社でかなりコーゼーション的に動いていると思うんですよね。
エフェクチュエーション的に動いている組織ももちろんあるんですけど、多くの会社はコーゼーション的ですと。コーゼーション的な組織って規律を重んじたりするわけなので、やっぱりそこで階層を作る必要があり、支持系統を明確化してその方向に沿ってみんな動いてくださいという風にやると。
じゃないと、原因論的に起こしたいことが起きないので、こうやったらこうやるって分かってるんだから、やることやってねってなるわけですよね。
なのでそれは当然なんですけど、何を言いたかったかというと、SWCって全くそうじゃないと。
SWCを見てて最初に言ったのが、誰かが作ったものがポコッととある空間に置いてあると、SWCっていう風な空間に置いてあるのを誰かがそれを拾ってふむふむって見て、それを再解釈して新しいクリエイティブをポコポコそれぞれが勝手に作っていくっていう風なことが起きてたと思ってたんですよ、かなり初期の段階で。
これでそのクリエイティブが連鎖していってるんだなっていう感覚があったんですけど、ちょっとずつフェーズが変わってきて、みんなが得意なものってこれだなっていう風に分かってきたじゃないですか。
その時に、コーゼーション的だと、こういうことをしたらこういう風になるかもしれないということが分かっているから、わからないですけど、スロースの本体を定期的に発売していくと、これくらいの売り上げがどうやら定常的に上がるようである。
だから、たとえばこんなことみんなしないと思っている上で言うんですけど、たとえばカオリさんに定期的に発注依頼して、その売上げの一部をくださいみたいなことを言う人はいないんだけれども、コーゼーション的に考えるとこういうことをしちゃうんですよ、きっと。
なんですけど、そのやり方だとSWCの人って動かないっていうふうに確証があって、悪い意味じゃなくて、SWCの人たちってかなり興味関心で動くじゃないですか。
大企業の中での新規事業は難しいの。コーデーションとエフェクトレーションの話が結構関わっている。まさにその通りです。その通りなんですよ。先にその話をしましょう。
こうやったらこうなるはずが、本当に角度高い領域もあって、ペイペイの話とかめっちゃそうだと思うんですけど、こうなったらこうなるって明確でわかってるよねみたいな、物理法則と同じくらい確実だよねってなったときに、
なのでめっちゃお金かけて、順当にやったっていうのがペイペイって話ですけど、全てがまあそうではないと。特にその不確実性が高いところに、コーデーション的な考え方をして、きっとこうなったらこうなるはずだ。うまくいかなかった。うまくいかなかったねーってなると、うまくいかないわけですが、そりゃそうだなんですけど、
どれだけその長時間、時間をかけて手数を増やせるかっていう風な考え方がコーデーションであるわけですよ。2つ目の法則を思い出した。マックスダメージ、リスク、どれくらい踏めるかっていうのを考えるようですけど、マックスダメージこれくらい食らう。
でもそれを食らっても、この新規事業の組織は自分たちで永続化できるという風な構造になっているので、あるいはその5年くらい戦える。5年くらいやったら何か見えるものがあるだろうっていう風な前提で5年くらい戦うとか、そういう風なやり方がエフェクチュエーションで。
事業は当たるも発揮、当たらぬも発揮なんで、確率論だって考えた時に、どれくらい手数を打てるかなんだけれども、その前提がなく、一発これやって当たらなかったんで終わりです。
SWCにおけるリソース活用
失敗策も次に生かそう。失敗は次に生かそう。クレイジーキルトで仲間をちょっとずつ増やしていこう。マックスダメージを計算してそこまではちゃんと削っていこうみたいなのをやりながら、とにかく回数を増やすっていうことができないと、新規事業ってなかなかうまくいかないんだと思うんですね。
これに加えてエフェクチュエーションの中では語られないけれども、深井さんが言ってて本当にそうだなと思ったのが、事業に対してその真理の追求をしたいという思いがないとこれがうまくいかないということが自明であると思っています。
これはちょっとまた別の回にやりたい。真理を突き詰めようとしないとビジネスは結局うまくいかない。経営はうまくいかないというふうな話があって、本当そうだなというふうに思っています。
カオリさんの話。カオリさんのタイミングがあるのも、特に興味が大事だなと思っていて、カオリさんって私から見たら興味関心があるところでずっとバッと振ってるんですよ。
何があろうと常にバッと振ってるわけじゃないですか。今こっち方向でバッと振ってますみたいな、こっち方向でシュートしてますみたいな感じの人に、規律を求めてずっと定常的にこれやってくださいって言ったら嫌なんですよ。
私もそのタイプなんで当然ながらなんですけど、これカオリさん興味ありません?ありますよねきっとみたいなやつをひゅって出すと。
サッカーであればシュートの足元にボールを出すと、いい球あったから蹴ってみようっていうふうになると。あるいはボールトスのバットだったら、ボールトスのすごくいいところにトスバッティング的にボールをポンって投げたら、いい球きたから打ってみようみたいに思って打ったり蹴ったりしてるように観測してるんですよ。
なので、難しいですね。断るのも難しいし。そうですよね。
何て言うんですかね。しかも報酬で動くわけじゃないじゃないですか。
もちろん報酬があるに越したことないんだけれども、トータルメリットみんなもあるし、楽しめるし、何ならポートフォリオもなるかもしれないし、いろんな面でメリットもあるし、何なら究極興味がなかったら、それだったらちょっとなんてなるんで。
つまり、何て言うんですかね。コーゼーション的な考え方とか、平成までの会社経営の仕方って。
何て言うか、あなたはこれやって、それはこういう理由でこうやってもらったらこうなるから、こうやって。
それが会社のためであり、会社が求めているものだり、お金出してるから当然やってくれっていう風なタイプのものだったんですけども。
これも雇用関係があったらそれは成り立つわけですが、そうじゃないもの。
例えばプロ同士のダイレクトパスをつなぎ合わせるような謎の化学反応が起きて、何かが作られるタイプのもの。
SWCってまさにこのタイプだと思うんですけど、スタンドアロンコンプレックス的なもの。
スタンドプレイの結果生じるチームワークみたいなものを実現している組織。
ここは組織じゃないんだけど、コミュニティだと、本当にダイレクトパスでそのタイミングでバッと振ってたら飛んできたから打っただけですけどみたいな。
あるいは足素振りしてたらコロコロ転がってきた球があったんで、たまたまボールがその場所にあったんで蹴ったんですみたいな。
そのダイレクトパス、ダイレクトシュートみたいなやり取りでしかこのSWCみたいな。
群れるのが苦手な人たちは、こういうアプローチでないとなかなか協力体制が作れないって言ったらすっごい語弊があるんだけど、
むしろそういうことをみんなしあってるから楽しくものづくりをできている環境なんだなって思った。
これはかなりコーゼーション的ではないっていう意味ではエフェクチュエーションにめっちゃ寄ってるなって思ってます。
めっちゃわかりやすい、ありがとうございます。
興味あるそうなところは観察しないとね。
幸いみんなスロースっていうところに興味があり、AIっていうところに興味があるみたいな共通認識はあるので、
それに関しても得意分野、それぞれの得意分野が合わさるところみたいなところでやってるんだなっていうふうに思いますし、
代太郎さんの場合は特にメタ認知みたいなところ、ケンセさんの得意領域としているメタ認知っていうところに対してSRCの人たちが集まっている面みたいなのもあるので、
そこに対しても手札の提供みたいなのをやってらっしゃるし、その手札の提供でみんなの解釈と事実解釈を分けましょうっていうのをワークショップでやって、
それができるようになったらクリエイティブの質が変わるかもしれないしみたいな意味で、またサイクルが回っていくみたいなことが起こるんだろうなっていうふうに観測してます。
今日の話の最初にパンダさんがLシンガーとしてかなりめちゃくちゃヒットしている中でフェーズが変わった感じがするっていうふうなことを言ったわけですが、
あとすごい着物在編さんの話を聞いても思ったんですけど、人のリソースっていうのをどう活用するかっていう面でSWCの中でどうリソースを活用するかっていう話と
それ以外のところでどうリソースを活用するかっていう意味ではリソースの話をしたかったんですよね。リソースの種類には人物の金がある、その中で特に今人っていうものの価値が高まっている、物の金よりも人の価値が高まっているという状況があると
エフェクチュエーションっていう考え方があって、エフェクチュエーション的な物事の進め方っていうのがあるという話をして、SWCはある意味リソースの方法ではあると、才能ある人が集まっているわけだけれども、エフェクチュエーション的な人たちがいるので
エフェクチュエーションという前提で、それぞれの人たち、例えばパンダさんならパンダさんの存在意義みたいなのを営んでいく中でのリソースの扱い方。
エフェクチュエーションの本買いました。ありがとうございます。私の本じゃないけど。というふうなことを思ったので、ちょっとしゃべってみました。
昨日の再編さんの話の中で、カメルとウサオのゲームを作ってみてくださいみたいな話があったのは、すごいエフェクチュエーション的だなと思って、みんなが興味関心あるドリームコアみたいなものをちょうどいい題材として使ってみると。
これ、のどふさんも当然喜ぶし、SWCの人たちも楽しんでやれるし、みたいなことが起きるという意味では、SWCのリソースを活用という言い方以外の言い方ができればいいんだけれども、
サイクロマースって言った方が正しいのかな。SWCの中でのネタ提供として、もう機能してるっていう意味では、めっちゃ賢いなって思ったんですよね。それもあって、ちょっとこんな話をしたかったんですよね。
ということで、まず経営の話からリソースの話して、エフェクチュエーションの話して、SWCとつなげてみましたというところでございました。
ここからもうちょっとアドオンしてしゃべりたいところがあって、どこだったかな。AIと壁打ちずっとしてたんですよね。
存在意義、存在意義、存在意義の話をして、この話はいいか。でも大事かな。まあいいか。
存在意義を示すっていう意味だと、中長期合理性がめっちゃ大事だなっていうふうな感覚がすごくあって、短期的なメリットを取りに行くと結構ドツボにはまるんですよね。
当然その瞬間的に、存在意義を営むって考えたときに、パパさんがどんな壁打ちしてるかみたいな。
存在意義とリソースの活用
なるほど。後で共有できるのかな。やばいこと書いてないし共有できる。
後でみどりさんにシェアできるところがあったらシェアしてみますね。
ありがとうございます。
存在意義を示していくっていう中で、リソースをうまく活用しましょうという話と、リソースが尽きないようにしていくっていう戦いもあるんですよね。
これどこの会社も結構みんな初期段階で苦しむというか、ずっとこれで苦しむわけですけど、キャッシュが尽きたら終わりですっていうやつに近いもの。
実際はキャッシュが尽きても、心が折れない限りはなんとかなったりするんですけど、基本的にはキャッシュが尽きないようにする、現金が尽きないようにするというところで、
永続的にお金を稼いでいかないといけないんだが、短期的にお金が必要なこともあって、その時に存在意義と全く関係ないお金稼ぎをしたりすることもあります。
うちの会社でも自宅開発やってて、ボードゲームの会社なんですけど、それだけじゃない事業で自宅開発をやってて、会社を存続させていくためにやってるんですね。
その方がお金が確実に稼げることが分かっていて、売上げの金額も見積もりやすいので、これでじゃああとどれくらい戦えるかなみたいなのを見ていくと。
これエフェクチュエーション的に言うと、ダメージの計算みたいなところに当たるんですけど、っていうのをやりながらやってるわけですが、
存在意義を示しながらお金稼ぐって難しかったりするんですよね。特にマーケットがないところ、新しい市場だったりすると、お客さんがいない状態からやっていかないといけないので、
出ていくものだけになっちゃうみたいな。人やったら人件費だけただただ出てっちゃうみたいな。でも売上げは上がりませんみたいなことが起きると。
そうなった時によくあるのが、生きていくために優先しましょうっていうところがよくやられます。そりゃそうだなんですよね。
存在していないと存在意義が示し続けることはできないので、存在するためにいくらかのなんとかしてお金を稼ぐみたいな方向にいくと。
ただ、この時に、存在意義って意味的な価値だと思っていて、物理的に何か価値を出すっていうのももちろんあるんだけど、お菓子を製造販売してますとかはあるんですけども、
そうやって意味も提供してるわけじゃないですか。安く日々の楽しみを得られるものを我々は提供し続けているのであると。あるいは子供のちょっとした楽しみっていうのを提供し続けるのが我々の存在意義で、
子供の喜ぶ顔が見たいからそういうことをやってるんです、みたいなお菓子メーカーもいると思うんですよ。
ってなった時に、存在意義を示したい。存在意義を示し続けるって意味価値としての提供なんだけれども、意味価値は、
あ、これ話がとっちらかるな。この辺ね、今雑なループし始めちゃったぞ。何の話しようとしたんだっけな。
存在し続けることを喋りたかったのか。存在のためにやることが意味価値を壊しちゃうことってないですか。そうそうそういう話をしたかったんです。
それはかなり可能性としてはあって、例が悪いんだけれども、詐欺広告を出したら存在し続けられますみたいなときに。
初めまして、こんにちは。詐欺広告を出し続けて、存在し続けることができるんだが、メインの事業では福祉の仕事をやってますみたいなときに、それってどうなんてなるじゃないですか。
このときに、詐欺広告は意味価値に対してマイナスに働くわけだけれども、別に意味価値を既存しないものもあると。
うちの会社だと自宅開発やるとかは別に意味価値を既存してないんですよ。ちなみにうちの会社の意味価値っていうのは、ボードゲームクリエイターを応援し続ける存在でいるっていうところが意味価値として提供できる部分かなと思ってるんですけど、
ボードゲームって別にそんなめちゃくちゃ儲かるわけじゃないんですよ。市場もまだそんなに大きくないし、ちょっとずつ大きくなってますけど、もうその中でボードゲームめちゃくちゃハマったっていうクリエイターが、めちゃめちゃハマって面白いから自分も作りたいっていうクリエイターさんがポコポコ出てきてて、そこの数も増えてきていると。
その人たちがボードゲームを作ったんだが誰も見てもらえないし、在庫だけ抱えてすごく苦しいですみたいな。作ったら作っただけ損になるから、これやっててもどうなんだっけねっていうふうに思うとかっていうふうなことがあったときに、このサービスがあるおかげで、うちってその委託販売とかしてるんですけど、
とある販売イベントで売り切れなかった在庫を自分だけで抱えるんじゃなくて、ここに商材として並べることができたら、いくらか回収できて、しかも自分のファンが増える可能性もあるし、自分のプロダクトのファンも増えるし、クリエイターとしてのファンも増える可能性もあるし、何ならお金も入ってくるし、あるいは、うちクラファンもやってるんですけど、
作るための資金調達みたいなのもクラファン経由でできる。これだったら自分のボードゲームのクリエイティブな活動が続けられるのであるみたいな、こんなにありがたいことはないっていうふうに思ってもらって、クリエイティブを継続し続けるための希望となっているっていうふうな認知でやってるわけですよ。
この意味価値を既存しないことをやる必要があると。瞬間的に既存するものもあるかもしれないし、なんだけれども、このときにいろんなものをトータルでガッチャンコして、意味価値と財務価値がプラスであり続けるようなことで存在価値を示し続ける、営み続けるっていうことが、
事業ポートフォリオを見るときに大事な考え方なんだろうなっていうふうに思っていて、会社の事業って一つじゃないわけですよ。一つのことだけでやれてる企業もあるんだろうけれども、複数の事業を同時多発的にやってる企業も多いと。
この事業Aは意味価値はプラス100である。財務価値はマイナス20である。もう一つの事業Bは意味価値は0なんだが、財務価値はプラス40なのである。
トータルでガッチャンコしたら意味価値100で財務価値20だから、存在もし続けているし、つまり会社として死んでいないし、意味価値もプラス100で、これで自分の営みを続けつつ、
つまり財務価値をプラスにしつつ、意味価値、つまり存在価値を示すというふうなことができているというふうに考えるのが大事かなと思いました。
意味価値と財務価値のバランス
単発の一つなものだけで、意味価値と財務価値を両取りするのって難しいことが多いなと思っているんですけど、プロジェクトに分解して、これは意味価値特化のもので、こっちは財務価値マイナスを掘るんだけれども、
もう一つの事業の方では意味価値はゼロなんだが、財務価値でプラスになって、さっきの赤掘ったやつを穴埋めてきて、トータルで存在意義を営んでいるというふうな状態を作るというふうな考え方がすごく大事なんだろうなというふうに思いましたというところですね。
なので、何か新しいことをやろうと思った時に、一発目で意味価値は自分の中ですごくあると思っているんだが、財務価値はマイナスになる、つまり赤字を掘るということは分かっている。
でも、その赤字を何か別のもので補填できるのであれば、つまりエフェクチュエーション的にマックスダメージを計算しておいて、それが別のもので許容できるというふうに判定できるのであれば、それにチャレンジするということができるなというふうに思っていて。
緑さん、詐欺広告は分かりやすい例ですが、意味価値を既存していないかって割と判断難しいですよね。
そうですね。難しいですよね。よっぽど悪いことをしない限りはって思いますが、分からないですよね。
AIを使ったら電気を使うってことで、電気を使うってことは日本においてはカーボンがみたいな話になるんで、VCの件とかどうなんでしょう。
確かにVCは無料で聞けるっていう意味では、本当は意味を既存していなかったはずなんですけど、無料でやってるSpotifyが基本的にできていることを有料でやりますってなると、ちょっとうってなりますよね。
これはVCが意味価値として何を提供したいかだとは思うんですよね。
学びを加速させたいみたいな意味価値を仮に定義していたのであって、だとしたら、特に倍速のところで話が出てると思うんですけど、
1.5倍速で聞けないっていうことで、学びに対してブレーキがかかる。これは意味価値を既存しちゃうとは思うんですよ。
今まで1.5倍速でめちゃくちゃいい学びができていたのに、なんでそこでブレーキかけさせちゃうんですか、みたいなことになると。
コテンラジオも似たようなことを確か言っていて、有料化したら当然ながら売上が増えるんだけれども、有料化することによって人文地と社会の架け橋になるっていう風な考え方を最短でいけないように阻害すると。
これは意味価値としては依然あるんだけれども、お金払ったら聞けるとか部分的に聞けるってことはあるんだけれども、意味価値を最大化する方法にはめちゃくちゃブレーキがかかるんですよね。
コテンラジオの今までのシリーズを有料化してアーカイブしちゃうみたいなことをすると。
それはコテンさんは取らないと。なぜなら自分たちの存在意義は社会と人文地の架け橋になるっていう風に決めてて、そこで有料化することは意味価値を最大化する方向に逆向きに働くっていうことが明確に分かっているからその手法を取らないという風に判断をしたと。
なのでそこで有料化はしない。
小石さんの場合は本当に何を意味価値としていたか次第ですけど、音声プラットフォームで学びの場とかになっていて、倍速でも自分の好きなタイミングで好きなように聞けるっていうことが、
例えば意味価値であり、それが最大化されるような1.5倍速以上のやつができるみたいなところが既存しているっていうことでは意味価値の最大化を自ら手放しているっていう風に言えるので、
意味価値自体はあるし、もともとあったものが減ってるっていう意味ではマイナスなんでしょうね。
意味価値もストック性があると思うので、意味価値ってレバレッジが効くって深井さんが言ってたので、実際そうだなと思うんですけど、レバレッジが効くって言ったら資産なわけですよ、リソースであり資産なわけですけど、
それが減るっていうことはマイナス方向にいったってことで、意味価値が既存したっていう風に捉えてもいいのかもしれないですね。難しいですね。
なるほど。岡田さんとチキリンさんとのやりとりとかを見る限り簡単には測れない問題ですね。なるほど。お二人の間であったんですね。ちょっと聞いてなかったんですけど。
福祉はパーソナリティを大事に。ああ、大事されてると思う。ああ、確かに。そうですね。ああ、なるほど。そっか。見てなかった。
確かに。なんかすごい難しいところではありますが、そういった意味でも、さっきちょろっと言った心理を追求するみたいな。
自分たちが提供しているっていうよりこっちの方がいいか。自分たちの存在価値をどのようにしたら最大化できるのかみたいな思って、その事業というか存在価値に対する心理をどう追求するかっていう話だと思うんですよね。
わかんないですけど、尾形さんの配信とか一切聞かずに今言いますけど、尾形さんも別にゲーこのタイミングで金を取ってやるぜみたいなタイプの人じゃないと思っているので、営みを続けるために有料化させてくれっていう話だと思うんですよ。
ホワイはみんな、みんなかわかんないけど、結構みんな分かってると思うんですよ。それは永続のためにお金は必要だねっていうのはわかるんですけど、その時のハウがちょっとみんなが期待してたのと違ったんだと思うんですよね。
ちょっと尾形さんの話はすごい難しいし、私も当事者じゃないのであんまり言えないですけど、意味価値がトータルでプラスになる方向で営みを続けていく。
財務価値も永続、営むっていう意味では存在を維持するために必要なものなので、すごく大事なので両面見ていく必要があるが、少なくとも意味価値をマイナスに振り続けて財務価値だけ上げるみたいなのはすこぶる意味がないなということにはなりますよね。
それこそ存在価値を営むというか、存在価値を競争しながら営んで何になるんだっけということになると思うんで、という話をしたかった。
SRCは活動資金がほぼないというか、みんなそれぞれの興味関心でやりたいことをやっている。
持ち出しは持ち出しなんでしょうけど、遊ぶのにお金がいるよねっていう意味で持ち出しているくらいなので、バーベキュー行ってるんで肉代は自分で出しますみたいな話だと思うので。
営むことにおけるマックスダメージが宝が数千円みたいな、いっても1万円みたいな感じだと思うんですよね。
なので、すごい営み続けるのはかなり悪な上に、むしろ存在価値ってなんだっていう感じはしますけど、わちゃわちゃなんかやっていろいろ試すみたいなのを結構長期的にやりやすいものなんだろうなと思ってます。
経営の定義
これがいわゆる組織的なもので、予算があって予算を作るために財務活動だけプラスにする、住宅開発しましょうみたいなことになると、何のためにやってるんだっけみたいになってこじれて壊れるみたいなことがあると思うんですよね。
なので、そういう組織ではないっていうことも認識しておく必要はありそう。その上でSWCのリソースを活用するって言ったらあれですけど、興味関心領域のものなので興味関心をエサにっていうと言い方が悪いんですけど、
それでみんなにネタを提供して動きたいと思った人が動くみたいな関わり合いの環境だから、群れるのが苦手な人でもいるんだろうなっていうふうに思ったりします。
1時間18分。あと何を言おうとしたっけな。経営の話。経営議論。そんなもんかな。
あんまり台本というかレジュメすら作らずに今喋ってるので、GPTのログをたどりながら。これ喋ろうかな。今まで存在意義と営みっていう話をしてましたけど、
シトラスさん途中から来てくださったので、最初にこういう定義をしたっていう話を1回するんですけど、経営っていう言葉は経と営で分けるとすごくしっくりくるって話をしたんですよ。
経営の経は道っていう意味がある。経路の経って、経路ってことは両方道っていう意味を合わせた熟語なので経は道なんですよ。道って何かっていうと、今まで来た道とこれから行く道っていうふうに考えると
その組織だったり人が存在している意義、つまり存在意義みたいなものであると。営みっていうのはその状態を長く続けていくことであるというふうな考え方をすると
自分の存在意義、組織の存在意義みたいなもの、社会にとっての存在意義みたいなものを長く存続していることによって発揮していくみたいなことが経営ってことなんだろうなっていうふうな話をしたんですよ。
お金を稼ぐっていうことが経営というよりは、存在意義を長く営んでいくっていうことを経営であるというふうに捉えると、すごくいろんなものがしっくりくるなっていう感覚があって。
これから行く道も含めての経営だなというふうに思います。経営を道と営む、つまり金みたいな資源というふうにリソースですね。
意義って意味的なもので、リソースって現実世界のものだと思うんですよね。これを哲学分野では刑事上と刑事化っていうふうに言います。
これ深井さんがよく使うので、このタイミングでみんなにシェアしたほうがいいなと思って。刑事上学とかっていう言葉があって、これって例えば刑事上、刑事化。
刑事化は下なんですよ。刑事の刑事はあってます。
そうそう、それです。刑事上と刑事化。これは、形の上と形の下っていう意味です。
これ、中国の益境っていう考え方から来てて、言葉がそこから来てて、益境って占いみたいなやつですね。
刑事上は形の上、つまり概念的なものとか、心理的なもの。心理って言ったら語弊があるのかな。
でも概念上のものを刑事上。刑事化は形の下なので、物理世界のことを指します。
刑事上と刑事化の話。これ、別のAIでやったんだ。クロードの方を今ちょっと開くんだけど。
益境の形より上なるもの、これを道と言い、形より下なるもの、これを器と言うという一説から来ています。
刑事上は道ですって言ってたんですよね。道じゃんってなって。
経営の経じゃんってなったんですよね。自分の中で。
なので、経営の経は形の上、つまり概念的なものを指しており、経事化は器。器であると。
物理的なものは器ですって言ってると。この器っていう部分は一旦去っておき。
経営は存在意義を営む。刑事上の話と刑事化の話を両方とも同時に存続させましょうみたいな意味合いに取れるなというふうに思ったんですよね。
今回一体言いたかったのは、この言葉の意味、刑事上と刑事化っていうのを考えたときに、経営の言葉と刑事上刑事化って言葉がそのままフィットするなっていうふうに言いたかったっていうのが一つあります。
ここから発展して、面白い話ができるんだよな。
経営とリソースの関係
刑事上、つまり概念は道であると。刑事化、つまり物理的なものは器であると。
道と器っていうのは、液晶だと道と器なんですけど、これ中国の別の哲学の朱子学っていうものだと力技言論っていう言葉があって、ちょっと難しい話をするんですけど。
理と器っていうのがあって、理は理解の理、器は気持ちの器。これも刑事上と刑事化を示していると。
理イコール道で、気イコール器というふうにも解釈できると。これちょっと数学的な中間的なあれだと思ってください。
ここで、力技言論って何かというと、何て言うんですかね。
理と器、つまり刑事上と刑事化は、言ったり来たりするんだけど、めっちゃ近いものとして存在しますみたいな。
あ、そうですそうです。力技言論。めっちゃ近いものとして存在してますみたいなことであると。
ここから言い訳すると、理論上正しいと言えるものは刑事化でもおそらく正しいと。
なので、刑事上で正しいことをやり続けられれば、刑事化でも存続がうまくいくと。
これ、さっき言った深井さんのやつにも繋がるんですけど、存在意義みたいなもの、真理にどうやって到達するか。
この事業の真理ってなんだっけみたいなものをめっちゃ考え続けるっていうのが、理であり道であるんだと思うんですよ。
刑事上の話。これを、懐かしい。力技言論。全然覚えてないけど。
刑事上のところをめちゃくちゃ突き詰めようとすると、しないと。
しようとしてれば自然とというか、刑事上のところをとにかく突き詰めようという態度で望まない限り、
物理社会、物理世界のほう、木とか器のほう、刑事化のほう、ごめんなさい。
ちょっと難しいやつを初めてめっちゃぶっこんでるんであれですけど。
ですけど、この現実世界の刑事化のところまででの栄達というのも成り立たないというふうに聞こえる。
なので、すごく最初の言い方だと、経営っていうのは、自分の存在意義を示し続けるのに営みが必要で、営み続けるのにキャッシュが必要だねみたいな感じで言ったんですけど
で、キャッシュを得るためには刑事上のほう、つまり存在意義みたいな方を突き詰めていかないとキャッシュが手に入らないみたいなループになってるんですよね。
なので、どっちも同時にやっていく必要があるみたいなのが経営なんだなというふうに思いました。
お疲れ様です。手伝いが好きだったので、この言葉たちに馴染みがありますが、経営と結びつくとは思わなんだ。
これはでも深井さんのおかげですよ。深井さんが、人文字って経営にめっちゃ使えるんですって言ってて。
感覚的に本当そうだなってずっと思ってたんですけど、これを何かのロジックにつなげて語れたらいいなって思ってたんですよね。
自分の言葉で。今、無理矢理でもつなげて、あれしました。ここまでの話をまとめると、まず経営は道を営む、つまり存在意義をロングスパンでやっていく活動である。
経営の中では、リソースというものがあって、営むためにはリソースというものがある。人物、金というものがあり、その中で特に人が大事。
経営のスタンスとしてエフェクチュエーションというものがあり、不確実性が高いものの中ではエフェクチュエーションのスタンスで臨むことが大事。
言葉が難しいですけど、多分慣れます。
SWCはかなりエフェクチュエーション的であり、人物、金の中でいうと、ある意味人でしか存在していないコミュニティなんだなということがわかる。
それゆえにエフェクチュエーション的でしかある意味動かない存在だとも言えるというふうな解釈をしました。
刑事上の概念と刑事家の物理世界、現実みたいなことに分けられる。それが刑事上の話が存在意義で、刑事家が営むためのリソースである。
刑事上と刑事家という言葉の元をたどると、刑事域境にたどり着く。域境の中では刑事上、形の上のものは道であり、形の下のものは器であると言っている。
つまり、経営の存在意義という道は刑事上の概念だねと言える。さらにそこから同じく中国の域境ではなく朱子学のものを引用すると、利器二言論がある。
この利器二言論の利と器はそれぞれ利が刑事上、つまり概念的なもので、器は刑事家、つまり物理的なものである。利も器も同じものである。利を突き詰めれば器もうまくいくよということを言っている。
ここで経営の話に戻ると、存在意義を示し続けるためのリソースがあるよという言い方をしたんだけれども、リソースをちゃんと得るためには存在意義自体も突き詰めないといけないということが利器二言論から言えるので
存在意義と営みそのものはループしており、同時にやっていかないといけないものだということが分かるという話をしたかったです。以上です。
つながっているのかな、これ。自分の中ではつながっている感覚がすごくあるんだけど、説明として成立しているのかわからないんですよね。難しくて。ありがとうございました。
ここから先は外伝みたいな話をしたくて。
利器二言論ってさっき言ったものが中国の哲学です。これ、東洋の哲学って日本から見たら大きく3つあるように感じる。
一つはインドの哲学と一つは中国の哲学と一つは日本の哲学。当然ながら韓国や東南アジアにもいろんなものがあると思うんですけど、東南アジアは結構アニミズム的な側面が多分強いんだと思うんですけど
とはいえちょっとインド、中国、日本の利器二言論的なものの解釈が結構似ているようで違うっていうことが分かって、これ別に理解しなくてもいいんですけど、めっちゃおもろかったんで個人的に言いたくて
仏教哲学で式則是空、空則是式っていうのがあると。これは仏教の概念で空はすなわち式であり式はすなわち空であると。
空は語弊があるな。何にもないは何でもあるっていう語弊があるんだけども、これちょっと刑事上と刑事下だと一旦仮置きすると、仏教においては刑事上と刑事下は同一であると言っています。
これインドの概念的には刑事上と刑事下は同一であるというふうに言います。別の言い方だと、宇宙と自分は一緒だよねって言ったりとか、あと一は全で全は一ですって言ったりとかします。
つまり、スケールが変わっても同じですっていうふうなことを言うのが仏教哲学、般若心経のやつです。インドだと大きいものも小さいものも一緒ですって言うんですよ。
中国の力に言えるのは、これと似てるようで違ったんですよ。循環しているんですね。陰陽ってあるじゃないですか。黒と白のマガタマみたいなのがくるくるってなってるやつ。
あれがまさにそうなんですけど、中国の哲学ってサイクリックで陰と陽を行ったり来たりするんですよ。しかも同じサイクルで。
八家とか五行とかあるじゃないですか。均等日月と陰陽で60周するみたいな。日のと日の栄とか60個あるんですけど、あれもサイクルになってるじゃないですか。
そこの中国の概念ってサイクリックで、瞬間的に同一ではないんだけれども、待ってると同じ状態にいつかたどり着くみたいな概念なんですよ。
力に言えるのは、さっき行ったり来たりするって言ったんですけど、インドだとそれは一緒だよねっていうのがインド哲学。中国の哲学は行ったり来たりしますよねっていう風な解釈をしているのが似て非なるものだっていうのでめっちゃ面白かったですね。
個人的に。これが両方とも混ざって日本に来るわけじゃないですか。さっきの力に言う言論とか、疫症とか、道って言ってたんですけど、道境っていう概念もあるんですが、
道っていうものが日本に渡ってきましたよね。今それが茶道とか剣道とか柔道みたいな道っていうものに来てますけど、これが日本はサイクルというよりは晴れ時計になってます。
これ、地理的な要因がかなり影響してるんだと思うんですけど、日本って薙の期間があって、穏やかだね、ずっと穏やかですね、みたいな時に急に地震が来たり台風が来て、つまり瞬間的に巨大なダメージを食らわすやつがいるじゃないですか。
なので、定常的なサイクルというよりは、薙とスパイク、あるいは晴れと景、普段は景です、ずっと景やってて、収穫終わったら晴れですね、お祭りして、あとは薙ですね、景ですね、みたいな感じじゃないですか。
その瞬間的にドーンっていうのがあるけれども、そうではない長い薙の期間みたいなのがあるっていうのが非常に日本的。
さっきの道教とかの道が日本に渡ってきた時に、先に中国の武道の話をしよう。中国の武道の対局拳ってすごくゆっくりじゃないですか。ゆっくりなんですけど、日本の武道って瞬発的に動くじゃないですか。
柔道だったら組み合ってる瞬間があって、バランスが崩れた瞬間を見計らって崩すみたいなことをやると思うんですけど、あるいは剣道も相手の隙を見つけて、そこを瞬間的にバスッと叩くと。
これはさっきの薙とスパイク、あるいは晴れ時計みたいなのに非常に似てるんですよね。日本に来たタイミングで道は薙、スパイク、その後の斬新みたいな形に変わっていったんですよね。
国の文化と哲学
この二元論的なものは、インドだと式則是空、空則是式の同一であると。大は小であり、小は大であり、一は全であり、全は一であり、世界と私は同一なのであるというふうな一緒ですというタイプ。
中国の陰陽的なサイクルで回ってます。定常的にずっとくるくる回ってますみたいな。でも行ったり来たりする中での一つのサイクルの中の一つですみたいな感じと、日本の薙とスパイク、晴れ時計みたいなものは、言葉は似てるんだけど、それぞれが治理特性に合わせて全然違うっていうのがあります。
日本は災害だったり、四季のパッキリしてるやつだったりとかがあるので、その治理的にめっちゃそうだなっていうのがあるんですけど、今度中国はどうなってたかというと、中国は乾燥地帯で川がめっちゃ氾濫します。
なので治水の国なんですよ。古くから。古代の中国の神話でウっていう神様がいたと。神様というか皇帝みたいな、皇帝じゃないんだけど王様がいて、彼は何をして王様になったかというと治水をしたっていうのですごく崇められてるんですね。川の水をうまくコントロールしたと。
なのでその古代神話、中国の古代神話に現れている通り、中国は治水つまりコントロールの文化であると。で、とある時期が来たら氾濫してそれをうまく治めてみたいなのが来るっていうタイプの哲学は治理的要因から来てるであろうと。
今度インドの方はどうかというと、ガンジス川があります。インダス文明からメックマックときているものが基本的にはあると。インダス川って何かというと、すべてを飲み込むと言われています。
せいだくも全部一緒ですみたいな。清める場所でもあり、死体や糞尿を流す場所でもあるんですよ。すべて受け入れるみたいな特性があると言われています。これそれぞれやっぱり地理属性が違うので、同じ二元論的なものでもかなり経路が違う。
これがさらに民族性みたいなものに現れてて、インドは受け入れちゃうみたいな。運命受け入れちゃうみたいな感じになりがちらしいです。
私インド人じゃないんで、インドに住んでないので、その感覚全くわからないんですけど、カーストでこのカーストに決まっちゃったんでしょうがないですよねみたいな感じなのかどうかわからないですが、起きた事象をそのまま受け入れるという文化がどうやらあるっぽい。
このあたりは本当かどうかはちょっとわかんないですけど、AI曰くそうであると。中国は治水をしてきたというだけあって、コントロールの文化なんですよね。何かを人類というか、官民族の力でうまくコントロールしようとする試みを常に続けてきた文化であると。
なので、めっちゃ中央集権的だし、中央集権的か、中央集権的ですっていうのは結構そこから来てる。
コントロールするためには強い権力が必要だよねってことで、権力が強い皇帝みたいなのが生まれてますし、国体も国家が強い権力を持ってるっていうのは自然な流れっていうふうに言えると。
日本は今度、中国は重要的なアクセプトな文化。インドはアクセプトを重要する文化。中国はコントロール、制御する文化。
地理的影響と国民性
日本は何かというと、耐えるとレジリエンスの文化だっていう風になってて、つまりスパイクが来るが、薙ぎに戻すための回復力があるんだという風な文化であると。
当然めちゃくちゃダメージ食らうんだけれども、日本の災害からの復興って比較的早いんだと思うんですよね。ノトのところはなんでまだそんなにやられてないんだっけっていう話はありますけど。
東日本大震災からの復興とかも多分すごくみんな協力的だったし、それってやっぱりレジリエンスの文化で、ダメージは食らった上でそこからどう回復するのかっていう風な文化であるように思える。
自然の与える影響がそこまで根強く国民性と結びついてるんですね。もうなんならそれでほぼ決まってる可能性すらあるんですよね。
ちなみに東南アジアは果物が普通に生えてたりするので、農業とかではないので、中央集圏制が必要ないんですよね。だから、欧米にやられやすかったっていうところもあると思うんですけど。
蓄材もする必要がないというか、蓄材するとバナナ蓄材したら腐っちゃうじゃないですか。3日4日で3日も持たないでしょうね。冷蔵庫もなければ。
しかも温暖室なので腐りやすくなると、蓄材すること自体が意味ないってなっちゃうんで、言い方が悪いんですけど、そんな働かないじゃないですか。日本とかに比べたら。
そこの国民性みたいなのも、かなり自然、気候だったり地理だったりの影響が人間の文化に与える影響はかなり大きいと言われてますね。
日本が蓄材好きなのは、基本的に秋にめっちゃ収穫しきって、それで冬っこしますみたいな制約があるからしょうがないんだと思います。
ベトナムに住んでた子がみんな道で寝てたりしてみんな飲みに来てました。ガシするみたいな、寒さで死ぬみたいな文化ではない以上、そりゃ道で寝るだろうなっていうのはありますよね。
これは良い悪いとかでもなく、どっちが文化的に上か下かみたいな話でもなく、私理的要因に人はめちゃくちゃ影響を受けるっていう話ですね。
ということで、これが哲学領域というか、それぞれの国のベースの考え方みたいなところにもかなり影響があって、
何かと何かが同一であるみたいなところでも、完全同一か時間差があってサイクリックなのか、あるいは薙とスパイクみたいな晴れ時計みたいな形で経路が違うっていうのは非常に面白いなというふうに思ってちょっとしゃべってみました。
ということで、1時間50分くらいしゃべっちゃいましたけど、以上ですかね。
ということで、ちょっと経営の話から、ちょっと地理的な話まで話を飛ばしてみました。
良かったです。面白かったですから。
良かったです。ちょっと最近の話題、まさに刑事上の話をいっぱいしてる感じがして、これどうなんだと思ってたんですけど、面白みを感じていただけたのであれば、
面白かったです。哲学的なのも好き。良かったです。嬉しい。であれば良かった。ありがとうございました。こちらこそ聞いていただいてありがとうございます。
ということで、お時間いただきましてありがとうございました。では、以上です。
バイバイプール。失礼します。