2025-03-31 51:01

#1401.英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む (61-1) Effects of Christianity on English Civilization

▼パーソナリティ,堀田隆一(ほったりゅういち)の詳しいプロフィールはこちらの note 記事よりどうぞ.


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- 創刊号(2024年10月28日):https://note.com/helwa/n/ne2b999d5af72

- 第2号(2024年11月28日):https://note.com/helwa/n/n94e9d9a74706

- 第3号(2024年12月28日):https://note.com/helwa/n/na7394ab1dc4c

- 第4号(2025年1月28日):https://note.com/helwa/n/nb6229eebe391


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khelf(慶應英語史フォーラム)による『英語史新聞』第11号がウェブ公開されています.こちらよりアクセスしてください


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第11号公開については,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio (https://x.com/khelf_keio) を通じても案内しています.

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- 第1位 「#1219. 「はじめての古英語」第10弾 with 小河舜さん&まさにゃん --- 「英語史ライヴ2024」より」 https://voicy.jp/channel/1950/6049608

- 第2位 「#1212. 『英語語源辞典』の「語源学解説」精読 --- 「英語史ライヴ2024」より」 https://voicy.jp/channel/1950/6052858

- 第3位 「#1139. イディオムとイディオム化 --- 秋元実治先生との対談 with 小河舜さん」 https://voicy.jp/channel/1950/1298775

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英語史の古典的名著 Baugh, Albert C. and Thomas Cable. *A History of the English Language*. 6th ed. London: Routledge, 2013. のオンライン講座です.毎回1セクションンずつゆっくりと進んでいき,内容について縦横無尽にコメントしていきます.シリーズについて自由にご意見,ご感想,ご質問をください.皆さんで議論しながら読んでいきましょう.1回200円です.

https://voicy.jp/channel/1950/570931


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00:01
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、そして英語のなぜに答える、初めての英語史の著者の、ホッタリュウイチです。
英語の語源が身につくラジオ、heldio。英語史をお茶の間にをもとに、英語の歴史の面白さを伝え、裾野を広げるべく、毎朝6時に配信しています。
本日は3月31日月曜日です。年度最後の日となります。明日から新年度ですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日お届けするのは、英語史の古典的名著 Baugh and Cable を読む
61-1 Effects of Christianity on English Civilization
Baugh and Cable の古典的名著、英語史を読んでいく回です。こちら超誠徳回を続けてまいりまして、今61節まで来たところなんですね。
非常にゆっくりとしたペースです。まさに超誠徳ということでですね、どうしてもゆっくりとなってしまうんですが、しっかりと読んでいきます。
1単語、1文字、1句当点を逃さずに読んでいくというのが、この誠徳回の趣旨なんですね。
今回は特別なシチュエーションでお届けしております。
というのはですね、この週末、ヘルワに所属されているヘルメイトの方々と、高崎イカホ温泉オフ会をですね、泊りがけで開いてきたんですね。
そして2日目というのが昨日のことなんですが、昨日の朝、温泉宿より8名のヘルメイトが
集中してですね、この誠徳会に覗いたということです。私を含めて8名ということなんですけれども、いや本当に贅沢な時間でした。
これこそ真の意味で豊かな時間と言えると思うんですね。
1節を読むのに90分ほどじっくりかけて読みました。全体を収録しておりましたが、1回でお届けするとですね、少し長すぎるかなという感じになりましたので、3回ほどに分けてこれからお届けしていきたいと思います。
本日配信するのはその第1回ということで、これでも45分ほどなんですけれどもね、じっくりと前半ですね、この第61節の前半を読むということになります。
司会は前回に引き続き、提供科学大学のタクさんです。タクさんは元気に、いつもですね、この読書会運営されているんですけれども、読みも鋭いです。
03:05
みんなで今回作り上げた読みと言っていいと思うんですよね。議論の方も楽しみながらお聞きいただければと思います。
ボー&ケイブルの英語誌の本ですね。ぜひ少しお高くはありますが、原書でですね、英語の本入手していただければですね、幸いです。そしてこの読書会に皆さんも参加していただければと思っております。
手持ちにテキストがない方のために、今朝のですね、私のヘログブログの方に、今日取り上げた部分ののみですけれども、テキストを上げております。
さらにはこのヘルディオにもですね、画像という形で貼り付けておきますので、そちらを追いかけて、今日のところはですね、配信をお楽しみいただけるかと思います。
それでは行ってみましょう。どうぞお聞きください。
はい、今日は高崎に、高崎にじゃない、こちら今ちょっとオフ会に来ておりまして、景色が大変素晴らしい景色の温泉宿に泊まって、畳の部屋に今いるんですけど、畳の部屋、東京出てきてくれて温泉宿に来てやることといえば、
もちろん。
やっぱりもちろん。このHistory of the English Languageの誠誠と、もちろん語源辞典もたくさんやから、荷物はやっぱりそういうものを真っ先に入れないといけないですからね。というわけで、こちらボー&ケーボーの誠誠会、長らくお待たせしたかもしれませんが。
そうですね。しばらくぶりということで、今この部屋に7人集まっておりまして、
今日は61説ということで、たくさんメイン誌会という形で進めていきたいと思います。
はい。こちら60説の後に、セクション61に来たんですけど、Effects of Christianity on the England Civilizationということで、イングランドにキリスト教がもたらされる話なんですけれど、
キリスト教がもたらされたということが、どのような変化につながっていったのかというようなところですね。
前回の60説のところが、どのようにしてキリスト教が持ち込まれ、キリスト教化が行われたかというストーリー的な話でしたが、
それの余波、影響というか、そういったところが、この61で読むところですかね。
ここはもうすでに知っている名前もちらほら出てきたりするので、復習的な意味合いもありますし、もうちょっと深掘りですかね。
余波、影響ということですよね。
それでは早速本番に入ってまいりましょう。
精読ですので、一文一文という形で進めていければと思っております。
それでは最初のところからいきたいと思います。
06:01
The introduction of Christianity meant the building of churches and the establishment of monasteriesということで、
イントロダクションオブクリスチャニティ、キリスト教がもたらされることですよね。
キリスト教がもたらされたということは、
Building of churches and the establishment of monasteriesということで、教会が建設されて、修道院が設立されるということを意味したという。
読みとしては、演文の構造としては結構シンプルになるかと思うんですけれど、
イントロダクションという語が一から始まるんですけれど、
イントロダクションというのを見ると、やっぱりイントロデュースされる先はどこなのかということが気になるところだと思うんですね。
クリスチャニティ、お話の流れとしてはこれは明白で、イントロデュースされる先はイングランドの話なのでイングランドだということなんですが、
こういう単語が来たときには必ずどこに、何をどこにイントロデュース、誰をの可能性もありますが、そういうところは聖読だとおさえされています。
アーギュメントというかコーですね、イントロデュースという動詞のコーは必ず2つ取るので、何を何になんで、ここは省略されていても頭で補うのが聖読ということですね。
こういうところは余さずできるだけ拾っていきたいなと思います。
セクション60ではケントとかノータンブリアの話が特に後半部分でできていたと思うんですけど、一番最後にAll England was Christianという結び方をしていたというところで終わっています。
この議論したのを覚えていますね。
ここがあることによっておそらくイングランド全体の話になってくるのかなというふうに思います。セクションは離れているんですけれど流れがやっぱりあるなというところですね。
あと私が気になったこととしてはBuilding of Churchesというふうに、チャーチに関してはBuildするというふうに書いているんですけれど、Establishment of Monasteriesというふうに修道院のほうはEstablishという語を使っているのは、わざわざちゃんと動詞を区別しているのは面白いなと思いました。
BuildとEstablishということですかね。
一つのレトリック、両方ともチャーチもモナステリーズも両方とも建てたということなんですけれども、あえて分けてレトリカルにというところがありますかね。
どちらも建設とか設立とかそういったことにはつながってくると思うんですけれど、Establishのほうが、修道院というのは建物というかそのものよりも行いのほうが大事なのかなみたいなことを少し考えたりしたところですね。
ビルディングとチャーチは英語からある単語ですかね。Establishment、モナステリーは多分ちょっと後みたいな。そこまで読み込むかは別としてそうなっていますね。
日本語にするとなかなかこういうところが消えてしまいがちなので、今回のこういうところは味わっていきたいなと思います。
じゃあ続けて次の文にいってみようと思います。
09:02
Latin, the language of the services and of ecclesiastical learning, was once more heard in England.
ということなんですが、ラテン語、Latin, the language of the servicesという話なんですが、ラテン語、それがどういうものなのかということでカンマが打たれておりますけれど、それはキリスト教のServicesの言語であると。
これなかなかServices訳しにくいところだなと思うんですけれど、神に使えること、政務、奉仕、お勤めの言語であり、エクセシアスティカルラーニング、教会の学びの言語でもあるラテン語というのをまず立てていて、
で、これがwas once more heard in England、再びイングランドで聞かれるようになったという、これがなかなか意味は割とスッと入ってくるかもしれないと思うんですが、once more heardという形はなかなか凝っているなという風に感じました。
そうですね。
これは聞かれるようになったというのがどのようなことなのか、was spokenとかではなくてwas once more heardという形を取ることっていうのは結構これ選んでいるんだろうなと思いまして、heardっていうのが私はこれを見たときに条件を想起させるなという風に思ったんですね。
人々が口々に喋っている言語というよりは、あるところでふとした瞬間にラテン語が聞こえるというようなことを描写したかったのかなと思ってこういう、spokenというと多分一般の人たちに人口に会社するみたいなところが考えられるんですけれど、道を歩いて聞こえるようなものではないけれど漏れ聞こえてくるような、というようなことを狙ったのかなと思いました。
なるほど、そういうイメージですね。確かに私も。教会や修道院からそのお勤めをラテン語で唱える声が外に漏れ聞こえてくるというような感じですかね。一般的にではないですよね。ある教会の文明、環境から聞こえてくるということですよね。
ワンスモールハードという表現が使われているので、こういうのが出てきた時には、これは今回がラテン語がイングランドの中で聞かれるようになったのは今回が初めてではないという時には、これはやっぱり前回がどこだったのかというようなことを考えなければいけないところかなという風に思います。
そうなりますね。これはもうだいぶ前に遡らないといけないんですかね。ローマンブリテンという時代ですよね。アングロサクソン時代がやってくる前はキリスト教が報じられていて、ローマの影響下のもとにラテン語も聞こえていた。
ちょうどセクション59がラテン・スルー・セオティック・トランスミッションというところがありまして、この流れ的にもワンスモールハードというのは、あまり距離が離れていないので、続けて読んでいるところは特に理解しやすいところかなと思います。
12:12
一回断ち切られて、アングロサクソン人の流入によってですね、ラテン語が聞かれなくなったのが、再びキリスト教化したことによってラテン語が聞こえるようになりましたという流れでしたね。
続けて読んでみたいと思います。
スクールズというのから始まるんですが、これは学校と考えていいんでしょうか?
学ぶところぐらいに。
学ぶところ、学校ですかね。
学校というとやっぱり現代のことを考えてしまうんですが、同じようなイメージで捉えていいんだろうかというのがちょっと真珠にしてしまうところでありまして。
学びどころですよね、一般の。
学び屋ということですかね。
学校、学び屋というものが設立されるようになりました。
どこにかというと、in most of the monasteries and large churchesということで、ほとんどの修道院はかなりスクールズが設立されるようになり、また大きな教会にも学ぶところというのが設立されるようになった。
大きめのという感じですかね、larger churchesという感じですかね。
こういうlargerというのは、大きくchurch、いろいろあるけれども、サイズを大型物と小型物に2分すると、大型物の方にという、絶対比較級とか言いますけどね、何かと比べているというよりはそれより小さいやつと比べてより大きいもの。
半分よりも大きいサイズのという。
だからこれ、訳は非常に難しいんですよね。
スペリング上はRが一つ追加されているかどうかなんで、larger churchesというのは、大きいなとか大きめのってどっちにもバツにならないんですけど、英語としての意味は、2分した場合のより大きい側という。
そんなニュアンスがありますね。
やっぱりmonasteriesの方が規模感も大きいし、いろいろなことがされていて、churchに関しては結構バラつきがあったというか、いろんなものがあったということなんでしょうか。
そうですね。制度上の問題とか、サイズの問題とかあると思うので、全体として小さい町村の教会ではなかったかもしれないけど、それ以外の大多数にはあって言いたいんだと思うんですよね。
15:06
いいですね。
そしたら次の文に行ってみようかなと思いますが、
どう有名になったものもあったかというと、
素晴らしい先生方がいることで有名になったものもあったということなんですが、
became famousの後の全知事が結構throughになっているのもポイントだなと思いまして、
become famousっていう風にした時にはforとか、この場合にはちょっとここは当てはまらないですがbyとか、他にもここで使われているthroughなんかも使えたと思うんですけれど、
throughってなっているのがこれがまた情景を想起させるなと思いながら。
心にくいthroughですよね。
多分through their great teachersという風にすることで、こうした先生方が行ったこと、
先生方があそこに有名な先生がいるぞという風にして有名になったというよりは、先生方がいろんなことをしてきて、
それを通じてどうもあそこはすごいらしいという風に有名になっていたっていうのが、この全知事から読めるなという風に見て感じました。
これは括弧に入っていても入れられない全知事ってのは難しいですよね。
for their great teachersという風になっていても不思議ではない。
全然forしか入らないですかね。
forだとやっぱりちょっと薄っぺらいですかね。比較しちゃうと。
through their great teachersというのは、やっぱりby回答してというか、通じてがぴったりきますかね。
some of theseというところですけど、これは前の文から受け継いでいて、スクールズの話をしているので、学校の中、学び屋の中にはこういう先生がすごいことで有名になったものがあったという話なんですが、
from them, trained men went out to set up other schools at other centersということなんですが、
from them、有名になった学校の中からトレーニングマン、訓練を積んだ者たちが排出され、そしてそういった人たちが他の拠点に他の学校を設立していったと。
18:00
そういったところだと思うんですけれど、from themとなっているのは前の文のsome of theseというところを受けていると思うんですね。
有名になった学校の中ですかね。
そしてtrained menということで、この学校の中で訓練を積んだ。
menとなっていますけれど、これは人ですかね。当時は男性なのかもしれませんが。
基本的にはそうですね。
最後もother centersという風になっているんですが、centerというのは、なぜここでこのcenterを選んだのかということを考えながら、
場所ということは多分モナストリーズとかチャージとかそういったものに並列されている学校のことを今語っていたと思うんですけれど、他の拠点に作ったということですかね。
そうですね。
あと、from themというのは前置きしているというのは、情報構造の観点からやっぱりこれがいいんだと思うんですよね。
まさにそこからというような協調の意味合いが読み取れますよね。こういう語順をすることで、素直に前から情報が流れていく感じで読みやすいということですね。
一つ質問いいですか。
あ、入った。
全部はthey are great teachersとは取れないんですか。この全部のかかる先、from themの。
学校で学んだというか、そのgreat teachersたちから学んだ人々という風に読めないのかなと。
なるほど、確かに。
僕はそういう風に最初読んでいて。
うーん。
そうだと文的におかしくなるんですかね。
やはり私はsome of theseということで、つまりfamous churches and monasteriesということだとやはり読んだのは、場所から場所を選んじゃないかと思うんですよね。
from themから、toはないにせよ、意味以上、other schools at other centersというような、このくが何々というところに相当すると考えて、
これwent outなんで、波及していく感じなんですよね、真ん中から。
学校からまた別の学校へっていうそういう。
という。
もう一つの取り方はもちろん何かの少数のgreat teachersからtrainedされた多くの人っていう波及の仕方ももちろんあるんだけど、
その場合にはやっぱりtrained man by themとか、そういう言い方になるんじゃないかと思うんですよね。
確かに。
人ベースだと。
やっぱり場所ベースなのかなと読んだんですよね。
場所の読みがtrained man went out from thereっていうところだと思うんで、そっちの読みの方がいいかなとは考えてますけどね。
21:21
そうですね、今回この位置にthey are great teachers and from themっていう形になってると思うんですが、from themがここの位置にないとするとtrained man went out from them、
ちょっと凡庸な感じにはなっちゃいますけれど、っていう風になると思うので、
その後went outしたのはどこからっていうのは、こちらの方が自然な読みになるかなと思いますね。
でも改めて問われると確かにちょっと考えてしまいました。
ぜひぜひ質問を。
ありがとうございました。
じゃあ続けて参りましょうか。
The beginning of this movement was in 669 when a Greek bishop, Theodore of Tarsus, was made Archbishop of Canterbury.
ということで、この学校が作られ、そしてそこを育った者が新しい学校を作るというこのmovementですね。
このmovementの動きの始まりは669年であると。
この年はどういう年かというと、ギリシャの司教であるTarsusのTheodore、この人がカンタベリー大司教に除解された年であるということなんですね。
人名が出てきましたね。Theodore of Tarsus。
これグリークビショップという風になってますけど、なぜこのギリシャの司教がイングランドにというような話になりますよね。
カンタベリーは前のところでもケントのところで出てきてたかなと思うんですけれど、ここの流れですかね。
そうですね。一般に本当にヨーロッパ中にいろんな偉い司教がいろんな国から出ていて、すでに国際移植が豊かなので、
TarsusのTheodoreですかね、この人が、何でイングランドに派遣されてきたか、多分歴史的にいろいろあるんでしょうかね。
そこまで調べてはいないんですけれども、多国籍ですよね。この後に続くヘイドリアンとかも含めて。
ディスムーブメントみたいな風になっているので、読みができていれば、こういったディスムーブメントみたいなのがどこら辺を指しているのかというようなことは抑えたいかなと思います。
この学校が作られて、そこでTrained Man Went Outというのを今まさに読みましたけれど、そこを育った人が新しい学校を作るというようなこの動きのことを指すと思います。
24:00
さて、そのTheodore of Tarsusの話の続きになるかと思いますが、
なかなかすごいかっこいいなと思いますが、
このヘイドリアンという人はアフリカの生まれでビードが語るところによると、
好めなくギリシャ語、ラテン語が2つともよくできたと。
絶賛ですね。
とてもとても、長年英語をやってもこうはならないなと思いますが、
じゃあ、自らを変えてみますが、
ここからも読み取れますが、グリークもラテンもともに母語ではないのにというところが読み取れますかね。
なんでここまでできるようになったという絶賛の仕方ですね。
あと面白いなと思ったのは、タングスって言ってますが、ギリシャ語、ラテン語の話だと思いますが、
言語はスキヨという風に見なされているのかなというのが結構面白いなと思いました。
あとアーレツ、技の話が出てくるんですけれど、ここではスキヨという風になっているので、
これはスキヨという風に見なしている、言葉を操ることに関して、
ここの面はスキヨと見なしているのかというのはなかなか面白いなと思います。
ビートの原点に戻ったらどういうラテン語であるとか、母英語の役になっているかというのが気になっちゃいますよね。
そうですね、ここなんかは、オブ・ザ・グレイテスト・スキヨみたいなのは、ちょっと言われてみたいですけどね。
性質のオブというやつですかね。スキルを有しているというか、それくらいの意味になる。
オブ中小名詞みたいなのはね、うまく使いこなせるとかっこいいなと思うんですけどね。
そうですね、ちょっと高尚な響きがありますかね。
はい、じゃあ続けてまいります。
They devoted considerable time and energy to teaching という短い文ですが、
こちらはティオドとヘイドリアンの話なので、theyはこの二人のことを指していると思いますが、
この二人はとても多くのtime and energy to teaching、devotedというところの動詞ですが、
considerable time and energy to teaching、とても多くの時間と労力を教えることに費やしたと。
そうですね。
devoteもなんとなく宗教的な響きを感じますね。
27:03
そうですね、基本は宗教用語なんだろうと思いますよね。だからこういう時にぴったり。
次が、なかなかここからが長めの文になるんですけれど、ちょっと区切れるところまでいきたいと思います。
And because, says Bede, they were abundantly learned in sacred and profane literature,
they gathered a crowd of disciples, and together with the books of holy writ,
they also taught the arts of poetry, astronomy, and computation of the church calendar,
a testimony of which is that there are still living, at this day, some of their scholars,
who are as well versed in the Greek and Latin tongues as in their own, in which they were born.
かなり長いですね。
おそらくBedeの原文にかなり沿った近い形で、翻訳しながらいいよっていうことなんだと思いますよね。
かなり文語的な感じがするというか、ラテンっぽい言い回しになっているなという気配をちょっと感じます。
原文に寄っているんだなというようなところが感じられます。
特に後半の5順の部分ですよね。そのままやると多分この5順にならないだろうなみたいなところとか、かなり読んでいて感じました。
最初のところは割とシンプルで、And because, says Bedeということなので、このBedeが語るところによると、
なぜならという、こういうことだからということなんですが、
先ほどからTheodoreとHadrianの話をしているので、この2人ですね。
この2人というのは、
とても豊かな教養があったということなんですが、
これ、Learnedでしょうか。
Learned、日本説で読む学識のあるという過去分詞形容詞ですね。
どういったことに教養があるのかということが続くんですが、
こちらはSacred、聖なるですが、Propaneという単語。
こちらは、辞書を引くと第一義は暴徳的なとか不敬とかそういったことが出てくるんじゃないかなと思うんですが、
Sacredの対比ということになると、暴徳的というよりは世俗的なとか一般的なということなんでしょうか。
Sacredと世俗ということですね。両方の文学に通じていたというような意味合いでしょうね、ここでは。
そんなSacredとPropaneの両方に豊かな教養があった、この二人。
30:06
とても多くの弟子が押しかけたということになりますかね。
そうですね、集団群れということですよね。
つまり、世俗両方に通じていたからという理屈になってますかね。
性だけでなく、俗だけでもなく、バランスがよくすべてにおいて引いていたからこそ、人を集められたというような文学だと思いますよね。
そうですね、こちらでとても多くの弟子がきたことなんですが、こちら。
聖書、Book of Holy Writという形になってますけれど、WritというのもこれもともとはWriteの形の変句ですかね。
そうですね、の名詞形といいますかね。こういう大文字で書いて、あの本のことですよね。
聖書も、さっきSacred and Propaneという形になってましたが、聖書とともにこういったものも教えたということが続くんですが、
アーツ、今回は技術のアーツですかね。これは芸術というよりは。
どんな技を教えたのかというと、
Poetry、これは詩ですね。ポエムの詩と歌と書いて、詩歌ですとか、
Astronomy、天文ですかね、天文学。
そして次が、ちょっと一語出ないんですが、Computation of the Church Calendarということで、
これは教会歴の計算方法ということでしょうか。
そういうことですよね。天文学と神学が掛け合わさったような、こういう分野があるわけですよね。教会歴の計算という。
これやっぱりイースターの日をどこに定めるかみたいな、こういう計算なんですかね。
結構ややこしいというか、イースターの日を計算するのが一筋縄ではいかないみたいな、
こういう条件が重なっている日は、この小読みではどこだろうみたいなことをやるせいで、
日本に根付きにくいみたいなことを聞いたりしますね。
周波によってまた計算法が違うとか、ずれてくるんですよね。
60説で出てきてた、シーノット・オブ・ウィッピー、確か小川俊先生が言及されてたんじゃないかなと思いますが、
とかもまさにこの小読みの話とかから来てたと聞いたことがあります。
そうですね。なのでこういった、やっぱり小読み、
これもやっぱり教わらないとできないようなこういった技とかを聖書とともに教えたということなんですよね。
そうですね。
この時のブックスってどういうイメージ?
33:07
一つは複数形になっているので、今みたいに一冊の聖書じゃないんだろうということと、
そもそもこの頃のブックスってどんな形のものだったのかなと思うんですけれども、
意味としてはおそらく植物的なことよりも、キリスト教だけじゃなくて、
天文学とか詩とかも教えたよというような意味だと思うんですけれども、
ただブックスって具体的なイメージを想定したくなるような書き方をしてあるので、
どんな形の本だったんでしょうかね。
これは形式といえば本当にいわゆる曜日誌ということなんですけど、
ここはホリリッドというのがThe Bibleということなんですが、
それを構成する、簡単にいえば創世記みたいなものを一つ一つブックと数えて、
全体でいわゆるThe Bibleということになるんじゃないですかね。
ここはThe Books of Holy Writで、イコールThe Bibleということだと思うんですよね。
何分冊みたいな。
そういうイメージで考えて、それがTheで複数形なので結局全てのということで、
The Whole Bibleというぐらいの意味だと思うんですよね。
これと共にというよりは、Together withなので、これを携えてという意味のような意味ではないかと思うんですよね。
これも持ちながら、一方でポエトリーというような、いわゆる世俗的な方ですよね。
さっきのサイクレットが、Together with the Books of Holy Writの方と対応し、
そしてプロフェインリリータに近いところが、The Arts of Poetry、アストロノミーということなのかなと思います。
コンピュテーション・オブ・ザ・チューチ・キャレンダーは全部ひっくり返っている。
天文学×神学なので、両方合わさっているんですけど、そういう読みなんじゃないかなと思いますね。
そうですよね。なんかボックスという風になっていて、なんとなく一つのまとまりという感じがしますが、
確かに中にはジェネシスがあったりとか、マティウムみたいなものが含まれたりとかもするのかな。
こういった一冊のイメージがありますが、これは集合体という風に考えるのはそうかもしれないですね。
そうですね。いわゆる現代の考え方だとチャプターに近いような意味合いの分割と考えてもいいですし、部分ということなんだと思うんですよね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
これはちょっとスルーしていたな。そしてTogether Withも携えてみたいなことは確かにそうですね。
36:04
そしてこの後のセミコロンの後ですが、ここからがなかなか凝った表現で書かれているなと、私はこれを読んでいてとても感じました。
一読ではわかりませんでした。
この後にフーが続くんですけれど、ちょっと一回ここで区切るのがいいかなと思うんですが、
Testimonyという単語から始まりますけれど、これは現代だと証言とかそういったところで使われる、裁判とかで使われる語じゃないかと思うんですが、
これは証拠じゃないかなと思うんですね。
Testimony of Witchという風になっているんですが、このWitchの中身というのはこの前の部分を受けていると思うんですね。
TheodoreとHadrianがSacred and Profane Literatureを教えた、いろいろなポエトリーとかアストロノミーを教えたというような話から来ていますが、
こういった教えをしたTheodoreとHadrianの証拠として、これ彼らが教えた証拠としてということじゃないかなという風に読みました。
この証拠としてその中身というのがこのIs Thatというところに来ると思うんですが、
ここですが、
まず、At This Dayという表現があるんですが、おそらくビーズの引用であることを考えると、
ビーズが書いている時点で、この2人の教え語といいますか、Testimonyという形になっているんですが、
教えた人たちが、
この前後にありますけれど、まだ生きていると。
Scholarsってありますが、現代だと学者ですが、これ教え語たちという意味ですよね、おそらく。
この教え語たちにまだ今でも生きているものがいると。
こんな風に読んだんですけれど、これなかなか手強いなと思いました。
まず、At This Dayというのは、たぶんビーズが書いている時に。
そうですね。具体的にはだいたい700年くらいなので、つまり先ほどの669年から1世代ちょっとくらい渡っている時に、
ちゃんとこのタイミングでも教え語たちがいる。
それが何よりも1世代前の彼らですよね。
ヘイジュリアンとティオドールがちゃんと教育していた証拠が今、生きた証として、
こういう弟子たちの存在によって、ちゃんと裏付けられているという。
タイミング的にちょうどいい感じですよね、3,40年経った後で。
39:01
There are still livingということは、some of their scholarsということは、
この教え語たちで直に教わった人たちがまだ存命だったということの読みであってますかね。
そうですね。だから直接ビードも知っているんだと思うんですよね、この弟子たちを。
友達なんだと思うんですからね。
There are still living, some of their scholarsみたいなのは、
There are still livingだけでかなり、Oh there areの後にこんなものが来るんだというような読みを。
There areの後には名詞が、Some of their scholars, who are still livingみたいな風になっちゃいそうだなという風に思いました。
意味だけを考えるとね。
いわゆる往来発着系の自動詞はこういう使い方ができると、
There areで始められるという風にですよね。
確認なんですけれども、この語順がかなり特殊で、
サムン、イルノとのラテン語の語順だったりを反映させつつの英語訳だと思うんですけど、
現代英語的にこういう順番、このThere areの後に名詞じゃないものが入ってくるというのは、
一応許容されるんでしょうか。
ありますね。
ここのリブノという動詞の場合はあり得ますし、
他に往来発着系という自動詞では出てきますね。
固い文体ですね、やっぱり。
There livesみたいな形だったら、
まだちょっと入るかなと思って、
There are still livingっていう風に聞くとちょっとおっとなりました。
私もまさにそんな体がすくんだような感覚を覚えました。
なるほどね。
ありだとは思うんですけど、確かにものすごく出るかというと出ないかもしれないですね。
Some of their scholarsというところの、その後にカンマ風で続くところなんですが、
Who are as well versed in Greek and Latin tongues as in their own, in which they were bornという、
これもまた凝ったものが、凝った書き方になっておりますけれど、
このいわゆる非制限用法というやつですかね、カンマ風になってますので、
お弟子さんたちの話をしてたわけですけれど、
このSome of their scholars、お弟子さんたちの者たちは、みなギリシャ語とラテン語に精通していると。
このTheodoraとHadrian、さっきもof the greatest scalesみたいなすごい褒め方をしてましたけれど、
このお弟子さんたちもみなギリシャ語とラテン語に精通していると。
どれくらい精通していたかというと、
自らが生まれ育った母語と同じくらいよくギリシャ語とラテン語に通じていたということを書いていると思うんですね。
be birthed inみたいな、何々に精通しているという熟語で久々に出会ったな、みたいなことを思いながら。
たぶんこのbeedの前のところから受けていると思うんですが、
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このSome of their scholars、まだ生きているお弟子さんたちのカンマ風で、
このお弟子さんたちがみんなギリシャ語とラテン語に非常によくできるというところが、
これはやっぱり褒めていると思うんですね。
ティオドールとヘイドリアンがいかにすごく、そしてまたいかに教えたかということの章差であるという。
そうですね。
で、ちょっと、as in their ownのところとか、後ろにタングが省略されていると思いますので、
as well birthed in Greek and Latin tongues, as in their ownというところは、
自分自身のタング、生まれ育った言語、その後ろにタングが省略されている。
自分自身のタング、生まれ育った言語、その後ろにin which they were bornというのがあるので、
自らの言語と同じぐらいできたということになっていると思います。
in which they were bornみたいなのがね、これ、their ownからthey were bornとか、
かなりリズミカルに書いて、かつ結構凝った言い方になっているなと、
これなんか読みこなせた時には結構喜びを感じました。
そうですね。
in which they were bornin言語っていう言い方ですからね。
何々語で生まれたっていう言い方ですよね。
あんまり使わない表現ですけど、
生まれながらにある言語を喋ることに一応なっているっていうような文脈が含みされていますよね。
これin which they were bornって、いらないかと一緒に思ったんです。
in which they were bornだけで普通はその人の言語って、
当然生まれながらの言語だろうと思うので、一緒にいらないだろうと思ったんですけど、
ただどうしてもin which they were bornいる状況ってどうかっていったら、
生まれながらの言語と普段当たり前に使っている言語が違うケースだったら書きたくなるのかな、
そういうケースが当たり前にあったのかな、この人たちは。
生まれながらの言語がそれぞれ故郷ばらばらで、
普段使っている言語がまたあってみたいな、そういうんじゃないと。
そういう前提と読み込むよりは、私この背後にある、これチェックしないといけないんですけど、
やっぱりラテン語の言い回しがこんな言い方だったのかなっていう。
そうですね、これチェックしてから本当はああと言うべきなんですが、
ラテン語的な構造が透けて見えるような英訳になっているんですよ。
で、でおんとしかちょっと訳せないようなラテン語の形がもしかしてあって、
現代英語訳するとこんなちょっともってまわった言い方になっているっていうことなんですけど、
ビート自身もやっぱりラテン語で書いている著作も多いわけですよね。
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基本ラテン語でこの引用元のものも書いていて、
それを英語に訳すとこんな風な文体、外国語風未文体になっちゃうっていう、
そういうことかなっていう気がしますね。
私はなんかこれリツイートしてるんですけど、
いろんなものが重なってこういう表現になっているんだとは思うんですよね。
ちょっと技巧的な文体にはしたいわけですね。これ引用だしね、結局は。
これはボー&ケイブルのある種の訳し方なのかもしれないし、
これがラテン語で使われているのかもしれないし、
これがラテン語で使われているのかもしれないし、
これがラテン語で使われているのかもしれないし、
これはボー&ケイブルのある種の訳し方なのかもしれないし、
いろいろな観点が交差するところですね。
こういうちょっともってまわった表現ですよね、やっぱり。
普通ではない感じ。
あと、「in which they were born」っていうのは確かになくても
as in their ownで、意味自体は確かに後半部分がつけているところはあんまりないかもしれないんですが、
これついていることで、やっぱり、
their own tongueっていうのはつまり、生まれ育った言語であるっていうところは、
ある意味、明白に、それでちょっとピンとこない人に立っとっては、
これは結構ありがたい補足なのかなっていうのは思いました。
基本的に舞台がイングランドなので、英語、後英語のことだと思うんですけどね、
ディサイプルたちも、これは現地の人々ということで。
ちょっと文体の話が出ましたが、ここはやっぱり一周目にスッとは読めなかったです。
何回も戻り呼びをして、初めてこういうことかなっていうことを重ねながらやりました。
They are still living at this dayで、そういえばビードの時代なんだったんだ。
いやーって言ってもわからなかったですね。
これちょっと思い出しますね、ずっと結構引用が長いんで。
ああ、そうだったんだって。
もうここのセンテス自体が長いから、
ビードの引用だったことを忘れて、
at this dayってどの時点だと思いました、初見は。
構文というか文体というか、
現代だとアズベル、アズ、オニャララの構文に対応するんですよね、
このアズベルと後ろのアズイン、ゼアオン。
それとは全く別の表現なんですかね。
アズなんですよね。
何を比較しているかというと、
Wellで、このWellはVerseとコロケーションして、
Well-Versedっていう形、ベリーのことなんですけどね。
Versedにつく場合は強調はWellですね。
なのでこのWell-Versed全体でもいいんだと思うんですけど、
どれくらい卓越しているかの度合いを比べているっていう。
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厳密に言うと、あるいはWell-Versedを比べているんだと思うんですよね。
そう考えると大きくアズ、アズであるんですよね。
そうですね。
アズ、ウェルというのは一回頭から消した方がいい。
アズ、ウェルはVerseにかかるっていう感じですね。
ただこういうアズベル、何とかアズがイディオム化したのが多分、
ラコラコさんが頭の上に…
同様にみたいなところですね。
今日本で学ぶアズはそういうことではないですね。
途中で気づきました。
同様にみたいな意味のアズベアワードの指摘ですよね、今は。
これは比較の程度で同じくらい、これと同じくらい成立して、
だから生まれ育った言語と同じような、
言語であるかのように、ギリシャ語、ラテン語ができたっていうことですかね。
Well-Versed、それくらい精通していたらよくできた。
そうですね。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
45分、濃密な超精読回だったことがわかるかと思います。
今回読んだ第61節の前半弱という文量ですね。
決して長い文ではありませんけれども、
ここまで細かく読むとたくさん問題が出てくる。
そして英語読解力も皆さん上がったような気がしませんか。
私としては本当にこの8人で読みを作り上げていくという作業が
三日本温泉という温泉地でこんなことができるということで
本当に豊かで幸せな時間を過ごすことができました。
ご参加いただいた7名のヘルメイトの皆さん、ありがとうございました。
そしてこれまだまだ配信自体はあと2回かけてカバーしていく予定ですので
お待ちいただければと思います。
ぜひですね、皆さんボー&ケーブルこちらの本を入手して
今後もこの超精読回続けていく予定ですので
英語誌を一緒に学んでいきませんか。
このチャンネル、英語の語源が身につくラジオヘルディオでは
あなたからのご意見ご感想をお待ちしています。
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それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように
英語誌研究者のほったりうちがお届けしました。
また明日。
51:01

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