ポッドキャストの概要
それでは本日、実は初めての取り組みになるんですけども、
H3、Healthcare Hackathon Hubコミュニティで、
アンバサダーさん紹介という、そういったシリーズものの
ポッドキャストを始めていきたいと思っておりまして、
Healthcare Hackathon Hub H3の共同企画者、普段はVCをやっております
私、木村とですね、アンバサダーの山寺さんに今回紹介ということで
山寺さん、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
山寺さん、よろしくお願いします。
何のためにこれをやっているかという、目的だけ最初にさせていただくと、
Healthcare Hackathon Hubコミュニティ、H3コミュニティ自体がですね、
医療機能のいろんな専門家が、ヘルスケアに本当に今、この瞬間お詳しい方も
興味があるという、医療機能専門家の方も含めてですね、
たくさんハードルを下げて、出会って、
一緒に何か仕事とかプロジェクトを始めたりみたいな場にできるかなと思って
やらせていただいているものではありましてですね。
その中にアンバサダーさんという方が、山寺さん含めて何人かお知らせをして、
その方々に絡みやすくするためにやっているのが、このポートキャストと申しました。
山寺さんの自己紹介
そのアンバサダーさんの人と出会ったりとか、ご専門性だったり、
これまでのなんでヘルスケアに関わるようになったのかという、
経緯みたいなものについて、最近やっていらっしゃることとか、
これからやってみたい、興味がある、みたいなこととかを
いろいろ伺ってお話を伺えればというのが、基本的なポートキャストの立ち位置があるので、
どんどん、私の方からですね、皆さんを代表して、
アンバサダーの山寺さんにいろいろなお話をお伺いできればと思っております。
よろしくお願いいたします。
早速なんですけども、私は比較的ですね、
山寺さんについて、長くいろんな形で知らせていただいている方の人間かなとは、
勝手に自負しているんですけども、このポートキャストを聞いている方の中には、
まだ山寺さんのことだったりとか、会社の構想とかを
ご存じない方もいらっしゃるかもしれないので、
いろいろ深まってお聞きをしていくので、最初に簡単に1、2分ぐらいで、
簡単に自己紹介をお願いできればと思いますが、いかがでしょうか。
はい、わかりました。皆さん、初めまして。
アイズジャパンの山寺といいます。
私は福島県の藍澤浜市というところで、
アイズジャパンというIT系のスタートアップを1995年に起こしまして、
今、主にヘルスケアの領域、メディカルの領域のAIだったりとか、
セキュリティだったりとか、システム開発というのをさせていただいています。
会社自体は、日本で初めてのコンピューターサイエンスの
単科大学のアイズ大学というのが1993年に福島県の藍澤浜市に来まして、
私はその時、研修部員だったんですけれども、
インターネットの革命というか、ちょうどインターネットの創世期ですよね。
その頃にそういうものに触れて、初代の学長もすごくスタートアップに
貢献が深い先生だったので、その時の学生と一緒に起業して、
もともとは医療とかメディカルというよりは、
ITが基本で始まった会社なんですけれども、
やっていく中で、これから紹介いろいろできるかなと思うんですけど、
医療と関わることが多くなって、今はそういうものを主に
プロジェクトとしてやっている形になります。
会社自体は今、42人ぐらいのスタッフでやっておりまして、
大学生のアラバイトもおりますけれども、
大体今、17カ国のメンバーでやってます。
ほぼ、アイズというか、日本にいるものがほとんどなんですけれども、
PhDとかマスターとか、割りかし工学歴なスタッフが多いのも特徴かなと思います。
今、会社には日本人5人ぐらいしかいないので、
日々、英語で社内はやっているような感じになります。
インターネットとの出会い
山寺さん、素晴らしい自己紹介をどうもありがとうございます。
私、さっき冒頭に、よく存じているつもりという、
調子に乗ったことを言ってしまったと思ったんですけど、
転職員だったというのは、実は初めて分かった気がしまして、
いきなりそこを深掘るのかというのは、そうだったんですねというところと、
ある意味、大学の設立自体に関わる、
山寺さんは、いつから今の山寺さんなんですか、みたいな感じのことをすると、
インターネットであったりとか、
インターネットでいいんですかね、シンプルに。
今みたいな形で専門性を深める、一番最初の個人的なきっかけって、
いつ頃どなたか会って、だったのかって、
つかのぼると、ここが自分の原点かなと思って、
いつの頃のどういうとおりになるんですかね。
僕は1968年生まれなんで、昭和のパリパリ、今50、今度6歳になるんですけれども、
自分が生まれた頃は、中学校は丸坊主で、
高校も男女、教学じゃないような環境だったんですけれども、
地元では新学校の方に行ったんですけれども、
あんまり真面目じゃなかったんで、成績はすごい良かったんですけども、
大学受験最初に落ちまして、それで、
親に東京行きたいと。
その時は、地方のちっちゃい町とか全然好きじゃなかったんで、
特にインターネットとかもない時代だったんで、
とにかく東京に行きたいというのが大きくて、
親にお金出していただいて、東京に予備校に通ったんですけれども、
1年ぐらい行ったんですけれども、1年間のうち、
いまだにそれは親にも行ってないんですけど、3日ぐらいしか行ってなくて、
遊びまくってたんですけども、当然2回目受けた時に、
大学って真面目に勉強しないと上がらないんですけども、
ちょうど段階の世代の子供ぐらいの世代なんで、
そういう人口も多かったというのもあって、
大学は合格できなかったんですけれども、
それで親にどうするんだというふうに言われて、
その頃バブルの最後ぐらいだったんで、
何か働いても何とかやっていけるだろうな、みたいな
あいな考えて、じゃあ大学行ったと思って、
4年分のお金を俺にくれって言ったら、もう帰ってこなくていいって言われて、
それからずっとカフェでファイトしたりとか、
あとは東京ディズニーランドのジャングルクルーズの選手を1年ぐらい
やったりとか、そういうようなのがあって、
しばらく実家というか親だと顔を合わせられない機会が
ずっと多かったんですけれども、その中で結局、
親からお前は何かやりたいことがきっとあるはずだから、
それをやればいいって言われたんですけれども、
正直自分それが全然なくて、
よく小さい頃から一緒になりたいとか、
先生になりたいとかいう先生がいっぱいいますけど、
そういうのが同級生がすごく羨ましかったんですけれども、
そういうのがずっとない中で、いろいろカットしていくところが
多かったんですけれども、たまたま24歳ぐらいの時に
親とも割り返し折り合いが良くなって、
愛知若松に万越堂という日本海と東北太平洋をつなぐ高速道路と、
愛知大学という大学、愛知若松は母親先生の彼もあって、
なかなかそういう歴史的な経緯で大学が、
教育には熱心だったんですけど、そういうのがなくて、
それで愛知大学というのが国際的な大学が1993年にできて、
地元も何か変わるのかなということで、
たまたま帰ったんですけれども、別にそれに大学で働くつもりは
全くなかったんですけれども、しばらく3ヶ月ぐらいかな、
ホテルのフロントとかをやってたんですけれども、
知り合いの人に、愛知大学というところで、
研修員、通訳翻訳員というのを募集してるよというのを聞いて、
結局その当時、コンピューターサイエンスの
PhD持ってる方って日本でも全然いなかったんで、
結局教員は国際公募で結構9割ぐらいだったかな、
海外の先生が多くて、研修員の人は当然、
日本しかしゃべってないんで、
通訳するみたいな仕事だったんですけど、
自分は何か帰国囚状でも把握でも全然なかったんですけど、
おりかし親がビートル世代だったんで、
洋楽はすごい聞いてたんで、
だいたい英語ってアーハーとかノリで8割ぐらい
いけるんじゃないかなと思ってた時期だったんで、
それで試験受けたら、たまたま書類ミスだったと思うんですけど、
上がって、それで93年、94年の2年間かな、
ちょうど大学の立ち上げの頃に、
研修員として働いていて、
その頃斜めお辞儀反抗とか、
いろんな役人ってこういう感じなんだっていうのを、
カルチャーを知って、
その前はフリーターとか会社もやってたんで、
今は会社の社長やってますけど、
いろんな人生のいろんなものを見れたんで、
よかったなというか、貴重な体験できたなと思います。
その中でちょうどインターネットに26くらいの時に出会って、
起業した感じですね。
ありがとうございます。
これだけで一本何かになるんじゃないかって。
そこは何もない時代なんだよ。
濃厚な若者時代だと思われて。
今ので、僕のさっきお話だった、
山寺さんはいつ山寺さんなんですかってところの3分の1くらいまで来てきたと思うんですけど、
もうちょっと深掘りすると、そこまでは理解できまして、
インターネットに、
しかも起業も早いじゃないですか。
あの頃は世界中のみんなそうだったのかもしれないんですけど、
悩み大きい青春時代を過ごして、
地元に毎日大学の助け出て戻られて、
そこまでは別に、
いわゆるコンピューターサイエンスとか、
IT、インターネットっていうもの自体を、
別に触ってらっしゃったっていうわけじゃないって理解。
全然触ったことなくて、
当然兼職員なんで、事務局の人が、
この先生に反抗してくれっていうのを頼むのに、
ちょっと僕に依頼して、
先生に僕が電話するような感じなんですけれども、
先生に電話したら、とある日に先生に、
ドイツの先生に電話したら、
俺はすごいクリエイティブな仕事してるから、
研究してるから、電話あって絶対その場で取んなくちゃいけないんで、
迷惑だからメールで送ってくれって言われて、
それ93年ぐらいですかね。
メールって何って話じゃないですか。
みんなワープロとかしか、Windows 95よりもっと前の時代なんで、
メールって何って話したら、
電子メールっていうのがあるって言われて、
ちょうど自分の席の隣に、
その当時の東芝のワープロと、
オアシスだったかな、
その隣にユニクスのワークセッションがあって、
当然GUIとか全然ついてない、
コマンドラインでやるようなやつだったんですけど、
それがあって、キーボードも日本語入ってなくてかっこいいなと思って、
じゃあこれで送るわって言って、
いまだに覚えてますけど、
ITとの出会いと成長
Please come to my officeって送るのに半日以上かかった覚えがありますね。
送った後に先生に電話して、
いや今メール送ったんだけど、
届いてるから電話しなくていいよって言われたのは、
いまだに覚えてますね。
それが最初のきっかけ。
触れるのはそれが最初ですかね。
なるほど。
私は87年生まれで、
95年当時が6歳とか7歳だったので、
スマホはなかったけど、
第一次インターネットの波が来てくれた時に、
小学生をやっていて、
私もすごい昔のぼやっとした覚えだと、
私は結構好きだったんですよね。
ITのこととかを。
建設の会社に勤めていて、
いわゆるキャドというか、図面をってことで、
それがすごい彼にとってイノベーションだったからってことで、
仕事でも早めに触っていたし、
おもちゃみたいな感じで触らせてくれるので、
ひたすらそれでやってただけなんですけど、
やってたりしたら山田電機とかに行くじゃないですか、
一緒に行くって言って、
暇なんで、私が見てるようなところに行かないですから、
とりあえず今でも触れるじゃないですか、
山田電機とかの。
あれでひたすらソリティアをしてたら、
タイムが終わって帰ってきた私が、
子供を見つけたら、後ろに10人くらいの
おじさんが人だかりを作って遠まきに眺めてるらしくて、
今でも何回言われるんですけど、
当時はパソコン教室とか、
Windows 95以降の時期だと思うんですけど、
やっぱり本当にそれをやらないといけないっていう
強烈な波が日本に届いたタイミングに、
たまたま栽培にも、あと創立しようのもとで
幼少期を過ごしたんで、
何も意識してなかったんですけど、
シェアファーされたみたいな、
僕の原体験だなって思ったり、
ポケモンが流行ってたんで、小学校3,4年生くらいの時に、
ベッドも今でも流行ってますけど、
ポケモンの裏技サイトをインターネットで調べたらですね、
それだけでクラスのヒーローになれるんですね。
不思議な飴を129個に増やす方法をやったら出てきて、
自由調にそれを書いて配るみたいなことをしながら、
すいません、全然こう、
山寺さんのストーリーと比べると本当にですね、
そういうことだったんですけど、
勝手に自分の中では、
そういうことだったのかっていうのが、
ちょっとピンときた感は今したところがあって、
これ3分の2くらいまで来たと思ってるんですけど、
ヘルスケアとか医療との出会いっていうのは、
いつ頃で何が聞こえるか、
IT、インターネットまで今お知りかえできてるんですけど、
それでどう最初なの?
大きいのが、よく、
医療との接点
Right Place, Right Timeってよく言うと思うんですけれども、
93年ってちょうどマーク・アンドリューセンとかが、
まだスタンフォードとかで、
モザイクしかなかったとこに、
SGIのジムクラクティション組んで、
ネッツスケープとかを作ったりしてる時期で、
ちょうど僕の2つとか3つぐらい上の世代だったんですよね。
同時期に、
そういうのがやってる人がいるよっていうのは、
噂は聞いていたりとか、
あとはもう1つ、
94年だったかな、
愛知大学にリチャード・ストールマンっていう
グニューファンデーションって、
彼はオープンソースで絶対言わないんですけど、
フリーカルチャーって言ってるんですけど、
いわゆるLinuxのコアのマイクロカーネルのところ以外のところを作った、
Emacsとかを作った有名な
プログラマーの思想家みたいな感じですけど、
かなり偏屈な変わった人なんですけど、
そういう人がいて、
その人が大学で講演して、
ソフトウェアは料理と同じで、
レシピにパテント入ったら、
もうそれはGUじゃなくなるって話して、
当然ソフトウェアってお金で取らないと
みんな生活できないかなってずっと思ってたんで、
それはどうしたらいいのって、
お前自分で料理のレシピは無料で公開されてるけど、
レストランとか人に頼んでお金払って
食べに行ったりするでしょって言われて、
なるほどなと。自分で作るより美味しいものができれば、
それはお金払うのは別に
フリーソフトオープンソースでも全然いいと思うし、
そういうものであるべきだっていう話をしてて、
すごくその考え方に惹かれたのと、
最初にブラウザで、
その当時ホワイトハウスかな、
クリントンだったんですけど、
クリントンの飼ってる猫のソックスくんがいて、
にゃおって言うだけの短い5秒ぐらいの音声なんですけど、
3分ぐらい待って初めてその声が聞こえるんですけど、
ダウンロードも当然全然遅いんで、
その時に地球が変わったようなパラレルが
パラダイムシフトっていうか、
今までそういうことってありえなかったので、
アメリカからニャーが届くみたいな。
そうですね。これが定額のお金かからないでやれてるってことに
すごく衝撃を受けて、
当然、兼職員も安定してていい仕事ではあったんですけど、
これはちょっと
先行きどうなるかわからないけど、
こんな面白いことに今
フルベッドしないと将来絶対公開すると思って、
飛び込んだのが、その当時と
ダイナミクスと一緒に会社を作ったのが
ちょうど95年ですかね。
モチベーションも含めて企業化ですね。
Googleのちょうど2年前で、
インターネットアーカイブって昔のサイト見れるサイトあると思うんですけど、
あれが97年からしかないんで、
最初の95年96年のうちのウェブサイトで
乗ってないんですよ。
歴史の始まる前みたいな、
恐竜みたいな感じですよね。
戦死文明家のシュメール人とか
そういう感じで、文明のことで。
90年代は
コンピューターグラフィックスだったりとか、
ウェブっていうのを作っていたんですけども、
そのウェブは
デザインの人が入ってきたら飽和すると思っていたので、
ちょうど90年代のエッジのところって
コンピューターグラフィックスで、
最初はデジタルアーカイブとかを色々
地元の伝統芸能の踊りとか、
鶴ヶ町とか、地元にはそういうのがいっぱいあるんで、
そういうアーカイブ系の事業をやっていたんですけれども、
一回鶴ヶ町とかを作った時に、
知り合いの人に
それは儲かるの?って聞かれたんですよね。
いや、ミケランジョルのアーカイブをして、
それは儲かるの?って誰も聞かないじゃないですか。
ちょっと僕負けず嫌いなんで、
カチンと来て、じゃあ何か儲かること始めようかなと思って、
その当時、建築系か
他のもの、ヘルスケア
面白そうだなっていうか、
うちらはエンジニアなんで、
キューブも一回解いちゃうと、あれは面白くないじゃないですか。
うち3×3じゃなくて5×5のやつとか置いてあるんですけど、
ハッカーっていうか、
エンジニアって一回解けちゃうと、
もう自分でやらなくていいや、あとプログラムでいいやってなっちゃうんで、
できるだけ難しいパズル解きたいなっていうので、
ヘルスケアは結構パードル高いなと思って、
ちょうどその時にモーションキャプチャーという人の
動きをコンピューターに取り込む。
最近はカメラでやるケースが多いですけど、
その当時は工学式のバイコンってやつでやってましたけど、
それで、
介護とかの動作を取り込むっていうのをやってみたらどうかなっていうのが、
ちょうど2002年とか、
たぶんそのぐらい始まった感じですね。
ビジネスチャンスの発見
それが最初の医療との出会いですね。
【佐藤】介護保健法が2000年ですかね?
そのころはぜんぜんなんかそういうのも
知らずにやってましたけど。
介護業界もまだ始まって2年というか、
それまで福祉の枠組みの中ではあったんですけど、
別の保険を医療保険と同じように作って、
これからの高齢化社会に向けて、
世界に先んじて介護保険を
国として作ったっていう意味で言うと、
すごい、
その頃もちろん、
ペーペーというかガキンジョーだったんですけど、
後々、VCになる前にコンサルタントの仕事で
介護とかを使われる業界が多かった中で言うと、
当時の介護業界はすごく面白かったらしくてですね。
何があったかというと、
AD企業が参入してるじゃないですか。
僕のクライアントにも言いましたけど、
もともと介護をやる前に何やってたんですかって言うと、
美容院とかいろんな人がいらっしゃって、
なんで介護に来たんですかって言ったら、
もちろんウェブサイトで立ってる経営理念とかでは、
地域と人の役に立つためにって絶対に書いてあるんですけど、
同期は儲かると思ったからって言う。
ビジネスチャンスと思ったからっていう、
その上で人のためになることもどうせやったらできるからっていうので、
でも儲かると思ったからしたら、
こんな大変だと思わなかったよとか、
儲かると思わなかったのは両方の人がやりそうだった。
確かにスタートアップ的な観点でいくと、
例えばフィンテックだったりとか、
ゲーム業界でもいいと思うんですけど、
いわゆる世の中のスマートな人たちが集まる業界って、
めちゃくちゃ競争も厳しいし、
ビッグプレイヤーも多いんで、
その伸びしろってほとんどないと思うんですよね。
なんですけど、今言ったような、
医療の世界だったりとか、
介護とか福祉っていうところでもいいと思うんですけど、
農業でもいいと思いますし、
漁業でもいいと思うんですけど、
そういうところってすごくマニュアルなプロセスがいっぱい残ってて、
逆に言ったらそういう、
言い方悪いですけど、ダサい業界の方が、
ちょっとスケールというか、
エマーチングなマーケットが残ってますよね。
結局大手企業に勝てないんで、
そういうところを狙ったつもりじゃなかったんですけど、
たまたまそういう風になったっていうのが実感ですかね。
山田さんがリサーチというか、
日々情報収集されている中で、
自分の中でヘルスケアとか、
医療介護かなって思われたのか、
誰か出会いがあって、これどうって言われたのか、
そういうのがどっちだったんですか?
もともとは、
地元の伝統芸能の踊りをモーションキャプチャーでやって、
それを見せてたんですけど、
IT業界の特性
要は人の動きを取るというところは、
IT業界ってすごく軽裕な業界だなと思って、
普通すごく縦割りの業界の習慣とか、
別の業界のことってほとんど知らない方が多いと思うんですけど、
ITって基本的な全部の、
プラットフォームの基盤底に入れるので、
横串で見れるじゃないですか。
多分、金融とか進んだ業界で起こったことが、
要はちょっと遅れた業界に後から起こるという、
業界でないでタイムマシンに乗ってるみたいな感じでできるんで、
それを見た時に、人の動きができるなと思って、
介護とかの動きって人によってすごく、
習得するのがすごく時間かかる割に、
習得したら結局年齢が結構上になってて、
体壊してやめちゃうとか、
あとそういうなかなかきっかけができないとか、
そういうことが非常に多くて、
その収縮のカーブを早く上げるっていうのは、
別に誰も困らないんで、
そういうのをコンピューターの力でいろいろできないかなっていうのを、
始めたのがきっかけですね。
ヘルスケアとハッカソン
医療とか福祉の先生とかにも聞いたら、
確かにそれすごく手間というか大変なんだよね。
全然児童化できてないんだよねってお話を伺ったんで、
それが最初のきっかけですかね。
なるほど。
面白いって言ったら、テキストスカウトにも面白いですね。
そういうところから始まって今の、
エンジニアって言ったものが一番のアイデンティティだと思うんですけど、
ヘルスケアエンジニア、僕の知っている中でも本当に、
トップオブトップのヘルスケアエンジニアでいらっしゃる山寺さんの原点が、
医療開発の先手にそういう感じだったなというのは、
お伺いできてよかったなと思ってまして、
しかもだんだん盛り上がってきて過剰になってきたんで、
もうちょっと深掘っていきたいんですけど、
私の中で山寺さんのすごい短くいったときの印象って、
日本最強のヘルスケアサイバーセキュリティ、
ハッカーでバイブしてるみたいな、ホワイトな意味でハッカー、
ハッカーソン団体のコミュニティにちゃんとグローバルでつながっている、
少ないお一人っていうのが、他にももちろんいろいろやってらっしゃると思うんですけど、
短く言うとそういうところがやっぱりものすごい尖ってらっしゃるなって、
昔から思ってまして、
ヘルスケアサイバーセキュリティって言うんですかね、
そういうところとの出会いだったりとか、書き上がり方みたいな感じのところで言うと、
振り返ってみると今どんな感じだったんですかね。
なるほど。
それ結構個人的な体験にすごく基づいてるんですけれども、
ちょうど医療とコンピュータグラフィックスと医療という部分で、
2000年代の当初ぐらいからずっといろいろやっていく中で、
当然本業のほうはITのほうが中心なんで、
ちょうど2017年ぐらいかな、
ティム・オラリーがWeb2という概念を発表して、
やっぱりそういう仕事が増えていくわけですよね。
その中でアメリカのサンフランスでヘルス2.0というのが出てるよっていうのを
たまたま聞いて、結構衝撃を受けて、
自分はどっちもヘルスケア系も少しやってたし、
当然ITのWeb2のほうはやってたんで、
そういうクロスオーバーあるんだと思って、
サンフランスとか海外はよく行ってたんで、
たまたまちょうど次の週ぐらいに行く予定だったんで、
そこにノリ軽いんでスタートアップなんで、
来週行くんだけど、俺らこんなこと日本でやってるから
一緒にできないっていうのをパンと送ったら、
向こうもノリが良くて、じゃあいいよ会おうよって話で、
向こうで食事して、じゃあチャプター作っていいよねって、
俺ちょっと日本でエバージェストやるから、
ライセンスも何もない状態ですよね。
そういうので行って始めたんですけど、
それでチャプターをやっていく中で、
ヘルス2.0のチャプターをやっていく中で、
向こうから人を呼んで講演してもらったりしてたんですけど、
その時にちょうど2011年かな、
福島の震災が起こるんですけど、
その時に当然知り合いなんで、
ちょっとサンディエーゴか何かでコンファレンスやってる時だったんで、
その人たちが心配して、
福島大丈夫っていう風に電話でつないでくれて、
ちょっとメッセージくれたんですけど、
愛嬌かまわずはその時は全然問題なかったんで、
インターネットも普通につながってたんですけど、
サンディエーゴのホテルの会場、
すごく対戦悪いかなんかでバシバシ切れるわけですよ。
うちらがちょっと危ないんじゃないかみたいな感じなんですけど、
いや俺ら全然特に困ってないしみたいな感じだったんですけど、
そういう笑い話はありますけど、
その時に結構やっぱり現場でDMATの方だったりとか、
コミュニティの崩壊だったりとか、
そういうのがいっぺんに全部、
日本の時計の針10年ぐらい先に進んだような感じがあって、
それまでいろんなハッカソンとかは、
IT経済よく聞いてはいたんですけど、
それって何も生まないよねって、
どちらかというと僕はあまりポジティブな印象を持ってなかったんですけど、
だったらもう会社でやった方がいいよと思ってたんですけど、
それでその時にたまたまアメリカのシリコンバールのハッカソン、
ヘールスケアのハッカソンにおまけ来ないかって言われて、
新生のちょっと後ですかね、行ったら、
やっぱりGoogleのエンジニアとか、
向こうのヘールスケアのポリシー決めてる人とか、
そういう人バンバン来て、
普通に俺こんなアイディアあるんだよね、
みたいなやってるわけですよ。
これは熱いなと思って、
いくらかかるかわかんないけど、
とりあえず地元でやるかと思って、
福島でそういう現場の先生とかに、
こういう課題とかありますかっていうのを聞いて、
始めたのが2012年かな。
初めてヘールスケアハッカソンというのをやらしてもらって、
その次の年に、
たまたまうちのチームが優勝して、
その年に、
シリコンバールのところで、
グローバルな大会出たら、
優勝する気満々でいったんですけど、
当然震災のアイデアということで、
とりあえずのアプリみたいなのを作っていったんですけど、
全然ダメで、7位ぐらいで、
サイバーセキュリティの重要性
普段、震災に対して、
クレームとかってあんまりつけたことないんですけど、
ちょっとそういう思いも、震災っていうのを背負っていったんで、
ちょっと納得いかないみたいなのをしたら、
お前のアプリは確かにソーシャルグッドだけど、
これコマーシャルなコンファレンスだから、
例えば、
ガバメントは買うけど、ファイザーとかそういうとこ買わないでしょって言われて、
いやまあなるほどなと、
例えば野球やってるところに、
俺サッカーめちゃくちゃ上手いんだよって言っても、
普通誰も相手してくれないんで、
それで次の年に、もう一回たまたまハッカソンやったら、
うちのチームが優勝して、
もう一回世界大会で行ったら、
それたまたまカシカのグローバルなヘルスケアをプッシュアップする、
やつってことだったんで、
たまたまなんですけど、得意な分野だったんで、
うちで優勝したんですよ。
そのときに進めないかなと思うんですけど、
どんなテーマで優勝されたんですか?
そのときはWHOとか、
ワールドバンクとかのオープンデータ使って、
世界のワクチンの接種率を上げようっていう、
わりかしソーシャルグッドなプロジェクトで、
今だとマッシュアップとかAPIとか、
一般的だと思うんですけど、
そのことはAPI好みなんですか、それって感じだったんで、
それをちょっと初めてそういうのをやったら、
たまたまハマって、
一応77カ国のチャプターから、
一応優勝したような感じですね。
それで、
それがきっかけで、
当然世界中で、
シェイコンバレーで優勝するなんてあんまりないんで、
そういう感じで、
一緒にやりませんかって、日本の医療機器メーカーさんとか、
そういうところをずっと回ってたんですけど、
とにかく全然相手されないですよね。
ITのわけわかんない小さいスタートアップ来たよみたいな感じで、
iPhoneとかiPadで、
医療機器なくなるかもしれませんよとか、
変なこと言ってるよみたいな感じで、
全然相手されなくて、
やっぱりずっと自分たちITでやってきたんで、
意思決定がめちゃくちゃ早いじゃないですか。
大体3ヶ月とかでもうプロジェクト終わるみたいなのが普通なんで、
でも意思決定するまでに半年とか全然かかるんですよね。
プロジェクトやるやんない決めるだけでもかかるんで、
いやーこれやってらんないなと思ったんですけど、
やっぱり、
その中であんまり相手されてないなっていう感じがちょっとして、
これはこの人たち本当に困ることやらないと、
やっぱり振り向いてくれないんじゃないかなっていう風に思い始めて、
その時にたまたまその前の年かな、
サイバーセキュリティのロシアのハッキングの大会、
日本だとちょっとそういうのやると捕まっちゃうんで、
ロシア行ってやってきたんですけど、
ロシアのハッキングの大会に行ったんですけど、
ロシアのハッキングの大会に行ったんですけど、
ロシアのハッキングの大会に行ったんですけど、
それでたまたま世界大会9位になったメンバーがいて、
考えてみたら色気ってセキュリティなんかゆるゆるだよねっていう風に気づいて、
考えてみたら色気ってセキュリティなんかゆるゆるだよねっていう風に気づいて、
そのハッカソンをちょっと初めて日本で、
ホワイトハッカーとか呼んでやったんですけど、
40人ぐらいでやったんですけど、
まあ面白いように出るわけですよ。
ソフトウェアやってる人だと絶対、
うちの大学生でもやらないようなパスワードがハードコーディングされてたりとか、
うちの大学生でもやらないようなパスワードがハードコーディングされてたりとか、
そういうの結構あるんですよ。
結局その守られた環境で、
給料もそんなに安くない方たちが作ってるから、
給料もそんなに安くない方たちが作ってるから、
流動性が低いじゃないですか、
オープン系の技術あんまり知らない方がいるけど、
今OSからゼロから色気作るっていうのはほぼ難しいんで、
結局組み込みでWindowsとかLinux使う形になると思うんで、
そうなると今のオープン系の流れ知らないと、
医療とITの接点
非常にちょっと危険だなって思って、
それがきっかけで医療に入っていったっていうのが最初ですかね。
それがきっかけで医療に入っていったっていうのが最初ですかね。
それがきっかけで医療に入っていったっていうのが最初ですかね。
入って瞬間で世界大会とか、
世界何位とか1位とかっていうのも出ましたけど、
それをできるのもITだからというか、
テクノロジーだからできるし、
さっき山田さんおっしゃった通り、
基本的には特にデジタルの面だと、
どの業界でもやっぱりあると思うんですけど、
おっしゃる通り現場が強い業界、医療でも農業でも、
小売とか飲食も多分そうだと思うんですけど、
そこには後から入ってくるから、
金融とかみたいに、銀行とかみたいに、
たくさんお金もあって、すごい大きな特徴で、
一部の大企業が独占できているというか、
過剰できているみたいな業界だったら、
R&Dも社会実装も終わっているものが全然っていうこととかが、
やっぱりあれだと本当におっしゃる通りだと思いますし、
僕自身が多分VGとして、
まだまだペーペーではありますけど、
10年ぐらいデジタルヘルスとか関わってて、
面白いなと思うのは、まさにそういうこう、
あるべきものをまだ作れる余地がたくさんある。
もちろん実装までは時間かかるんですけど、
求めてる人もいるし、ビジネスチャンスでもあるし、
ビジネスチャンスの上でやっぱりそれをやらないと、
本当に、何て言うんですかね、
震災の話もありましたけど、
命とか健康に関わるもののインフラが脅かされる。
日本でクラウド型の調材システムって言うんですかね、
H3コミュニティの意義
とかが、薬手帳とかも多分そうなんですけど、
電子化されるきっかけでやっぱり、
その震災が日本だとひとつの分岐点。
セキュリティ的にオンプレの方がいいっていう謎の論理、
今でもだいぶあると思うんですけど、
そんなわけないだろう、流されちゃったじゃないか、
どうすんだと、患者さんの薬歴がっていう、
本当に命にかかるようなデータが、
分かんない中で医療しなきゃいけない、
そこが10年一気に進めたっていうのは、
当時は保安庁の社会人員1人目でしたけど、
今でも覚えていますし、
現場にいらっしゃった山田さんからすると、
グッと来るものはあったっていうのはあると思うんですよね。
山田さん、お時間ってまだ5分くらい大丈夫ですか?
全然大丈夫です。
収録の開始が遅れちゃったんで。
20分くらい大丈夫なんで。
お時間もあるのでバランスは見てと思うんですけど、
今のお話を伺う中で、私にもそうですし、
リスナーの皆さんもですね、
我らがH3アンバサダーの皆さんがどんな方で、
そもそも今こういうことをやっていらっしゃるとか、
医療との接点とか、
ご経験、レースの見てきた世界観を
かなり伝わったと思うんですけど、
その上で、そんな山田さんがH3に
なんで関わってくださっているのか、
モチベーションっていうんですかね。
H3、異文化の専門家同士が教えて学び合って、
ベース系の未来に向けた新たな一歩を踏み出すためのコミュニティ。
今、H3コミュニティをやらせていただいていますけど、
それをもう体現されていらっしゃった山田さんが、
それでもまだこのコミュニティに
どんな期待とか気持ちで関わってくださっているのか
主催としてもぜひお伺いしたい。
それがなんとなく自分も苦労した問題感が入って、
そういうのを困っている人を何かしたいという
本当にありがたい先輩的な気持ちで
関わってくださっているのかもしれないなと思っても、
こういうことに興味があるから、
こういう新しい出会いとか漠然と思っているけど、
これから学んでいきたいとか、
新しくやっていきたいこととかって、
H3に関わりあったりされるんですかね。
そうですね。自分がすごく今パッションを感じているのは、
IT系って良い悪い別にして、
ピボットっていう、特にスタートアップって
フェイルファースト、ピボットとか
よく言われると思うんですけど、
医療ってそういうの全くできないじゃないですか。
それこそアメリカのとある有名な会社じゃないですけど、
フェイクイットアンティルメイクイットみたいなのって、
IT系、僕もともとIT系から始まっているんで、
すごくメンタリティとしては分かるんですけど、
やっぱり医療ってそういうのは絶対やっちゃいけないし、
エビデンスベースでちゃんと築き上げていかないと、
後で大変なことになるんで、
そういう社会的責任が大きい仕事だと思うんですよね。
ITの方は、ITでこんなのできるんじゃねって
結構簡単に考えちゃってるところもあると思いますし、
それは例えば参照ガイドラインっていうのを
何のためにあるのって話をすると、
参照ガイドライン自体知らなかったりとか、
そういうIT企業もありますし、
逆にその医療の先生、
すごく皆さん優秀な先生多いと思うんですけど、
最近だといろんなAIとかの話でやってると、
AIでいい感じでやってくださいみたいな言われると、
逆に言うと、ITやってる側にしてみると、
ガベージイン、ガベージアウトって言って、
ゴミ入れてもゴミしか出てこないって、
AIっていい感じにできないんですよね。
ちゃんとそこは上手く設計してやらないといけないし、
ライフサイクル考えた時に、
当然セキュリティって単体で発生するものじゃなくて、
FDAのアドバイザリーもそうですし、
飲酒ポンプとかそういうのもそうですけど、
きちんとセキュリティっていうのがバイデザインされてないと、
後からセキュリティだけやろうっていうのは成り立たないんで、
だから単体でやるっていうよりは、
ホリスティックにシステムだったりとか含めて、
動かすのがやっぱりプロかなというふうに思ってるんで、
そういうのはよく自分は車とドライバーの比較で話すんですけど、
例えばうちの母親がコーミラー1乗っても多分勝てないと思いますし、
レースじゃ勝てないと思いますし、
例えばF1のレーサーが軽自動車みたいなもの乗っても、
やっぱりレースじゃ勝てないですよね。
だからドライバーは先生になると思うんですけど、
車の先生っていうのとエンジニアもやっぱり一流のF1みたいな車じゃないと、
世界のトップのところでは勝てないと思ってるんで、
お互いそういう文化をリスペクトしながら、
医療人材育成の重要性
共に成長できていければすごくいいんじゃないかなというふうに思ったりしてます。
それが大きいモチベーションですね。
本当にコミュニティの趣旨をそのまま説明いただいたぐらいの言葉で、
とても嬉しく思うんですけど、
事前にコミュニティ登録者にいただいた、
興味をもっと学べたいテーマというのがいくつか、
ファッシュタグとかもいただいているんですけど、
なんかそれでこう、
臨床エビデンスと医学統計とか、
医療人とプライバシーというのがその医療側から見た、
医療の医師の先生とかの、
何かの色の意味のコードコンタクトみたいな感じのところとかっていうところが、
すごいしっくりも聞きますし、
意外じゃないのかもしれないですけど、
医療人材育成とか、
医療機器そのものとかも結構書いていただいてて、
それは今の話につながるところもあるかもしれないんですけど、
これは何で興味あるんですかというところで言うと、
医療人材育成というのは、
どういう意図で興味を持って、
今、
今、結構やっぱり、
医者の先生が、
起業するというケースが、
結構増えてきていると思うんですけど、
そういう面で、
いろんなプログラムのメンターとかもやらせてもらっているんですけど、
やっぱり、
皆さんすごく優秀な先生だと思うんですけど、
僕言っても、
29年くらい会社やっているんで、
会社としてやるのどうなのっていうのって、
すごくあるんですよね。
特に、
自分はエクイティじゃなくて、
ネットで、
ブーツストラップとかやるのがすごく好きなんで、
そういう面で、
木村さん前にして言うのもちょっとあれなんですけど、
いきなりVCで入れるっていうやり方もあると思うんですけど、
今だと、
NEDさんとかいろんなところで、
ファンド、
グラントとかも結構いっぱいあるんで、
そういうのを使って、
もうちょっとフィジビリティやるとかっていうのは、
全然ありだと思うんで、
普通のところって、
お金用意したら、
うち作りますんで来てくださいってところ多いと思うんですけど、
やっぱりどこもスタートアップって最初はお金ないくて、
人もいないし、
文化どうやって作るのとか、
開発どうしようみたいなところもあると思うんで、
そういうところを、
自分の会社やってきた経験っていうのも、
共有できるかなと思ってるんで、
そういう意味での、
医療人材なんで、
医療者で企業家の人の、
人材育成みたいなのは、
すごくファッションがありますね。
【佐藤】なるほどですね。
先ほど触れてますし、
これ日本で、
日本結構独特の、
関修だと思うんですけど、
頭が良かったから医学部に行ってっていう、
結果的に一緒になった先生と、
思いがあったりとか、
文字化とかだったり、
身近だったりとか、
本当に患者体験があったようでなって、
両方いらっしゃると思うんですけど、
前者の方がキャリアに悩んでるみたいな話は、
私も苦しいとしてよく、
ヘルスケアとしてやってると、
健全にいただく機会が増えてて、
でも、
本当に興味ないんですと、すいませんって、
別に興味ないとまでは言えないんだけど、
自分がやるべき仕事なのかなっていうのは、
ちょっとアイデンティティに悩んでて、
そのぐらい医療ってやっぱり真剣にやらなきゃ、
現場に入ってみてとか、
医学部で学んでて思う中で、
違う自己実験の仕方とか、
せっかく医療業界には貢献したいんだけど、
別のアウトプットを出したいってとって、
昔は、
それ言うとお前ハイポカって言われてですね、
大事な、
いろんな人のね、
主に税金だったりとか、
医者になるまで育てていただいたり、
消しからんみたいな、
今でもなくはないと思うんですけど、
ちょっと前と比べたら、
医療の重要性
劇的に変わったなって思いますね。
そうですね。
それはすごく自分も感じますね。
もちろん、そっちはそっちは一つの大義名分というか、
おっしゃる通りで、
みんなのお金で、
かけがえない医療っていう村を守る、
専門職としての医療従事者、医師だったりを、
みんなで作って、
支えているっていう、
育ってきたっていうのがあるから、
それ自体はリスペクトしなきゃいけないと思うんですけど、
だからといって、
医療を良くするために、
それだけさえあればいいっていう時代と国じゃないじゃないですか。
それをやってたら、
いくら人がいても足りないし、
今でも悲鳴が上がっている現場が、
もっとこれからいないと減っていって、
患者さんとか高齢者の方が増えていくっていうのが、
もう分かっている国なので、
そういうチャレンジをする方が、
しかも多分結構、
後ろ指を刺さないところも、
刺すところも良くあると思うんですけど、
みんなが勇気を持って飛び込んでくれるのは、
私もすごく、
勇気を持ってやってくださってありがとうございます、
山田さんの今おっしゃったことから、
すごい共感ができますし、
H3でそういうものを、
どんどんどんどん、
普段の職場とか、
学校だと言いづらいことを、
少し見やすかったりとか、
極端に寄与しなくてもいいと思うんで、
そういうことを実際やっている先輩教科だったりとか、
医療機関の人から見たら見方とかを、
無リスクな環境で、
学んでいただくから、
場にできるといいなと、
やっているので、
ぜひそういうところをたくさんご一緒できればなと、
思っております。
こちらこそ、よろしくお願いします。
本当に、
いつまでもお聞きしていたいんですけど、
一旦今日の自己紹介、
ポッドキャストとしては、
この辺りで限りとさせていただいて、
山田さんは、ちょうどH3コミュニティの
公式イベント、
2024年の10月に予定しているものでも、
ご登壇の予定もあったりしますので、
このポッドキャストを聞いていただいた方は、
ぜひ、
今の話、重なる部分も、
あるかもしれませんけども、
私自身もそこでより深掘った、
この間、
これってどうなんですか、
その時に向けて、
お伺いしたいことも浮かんできましたので、
続きはそちらで、
ありがとうございます。
最後に1個だけ宣伝していいですか。
もちろんです。
今、自分が関わっている、
コードブルーという、
サイバーセキュリティの、
コンファレンスが、
11月の14、15、
東京の高田のババで、
行われるんですけれども、
その中に、
今ちょっと手伝いしているのが、
Biohacking Villageという、
デフコンというアメリカでも結構、
世界的に有名な、
色機器の、
セキュリティのチームが来て、
いろんなデモをするんで、
ぜひ、
サインしないと入れない、
そういうイベントをやる予定しているんで、
いろいろ業界の人にも、
サイバーセキュリティの、
重要さを知っていただきたいなと思って、
来ていただきたいなと思っているので、
コードブルーで、
Googleってもらうと、
たぶん一発で出ると思うので。
わかりました。
コードブルーのところは、
Podcastの概要欄のところにも、
リンクを貼らせていただくというところを、
よろしくお願いいたします。
私自身も個人的に興味もありますし、
日本のコミュニティで、
興味ある人があって、
一緒に宣伝も、
魅力ながらさせていただくと思っていますので、
ぜひ、
この放送を機能した方は、
コードブルー、
ドラマとか出てきそうですけど、
コードブルー、
ヘルスケア、
セキュリティでやると、
たぶん一発で出ると思います。
ご覧いただければと思います。
本日は、
コードブルーの紹介
貴重なお話でした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
本日の放送を終了させていただければと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます。