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サマリー
今回のエピソードでは、「理想の大人はRPG?」というテーマで、漫画『おかえり水平線』のおじいちゃんや『葬送のフリーレン』のハイターを例に、大人が「役を演じる」ことについて考察しています。話者は、大人が子供のために大人の役割を演じる必要性を認めつつも、自身がうまく演じられるかには自信がないと語ります。さらに、様々な役割を演じ続けることで、自分と役の境界線が曖昧になり、柔軟性を失うリスクがある一方で、それが自分を守る盾にもなるという多面的な側面についても言及しています。
導入とテーマ設定
こんばんは、しゃべる練習です。今回のテーマは、「理想の大人はRPG?」です。
先日、「理想の大人は...」のプロローグみたいな話をしました。 予告編かな?みたいな話をしましたけれども、その意味では本編に当たるんですけれども、
ちょっとね、あんまり当初想定していた内容とは変わってきているのですけれども、前置きをしながらしゃべります。
漫画『おかえり水平線』の理想の大人像
先日ですね、ジャンブブラスでおかえり水平線だったかなっていう漫画を読みまして、まだ連載途中ですけれども、今公開されている文を一通り全部読みまして、
で、こんのさんのポッドキャストでおじいちゃんがすごい理想の大人の大人像として描かれているみたいな話を聞いているので読んだんですけれども、
その通りだなと。 グーの音も出ないほどその通りだなというふうに思いまして、
あまりにも完全無欠にそうなので、あまり語ることがないという感じで、
完璧超人、出来すぎ君って感じでね、すごいすごかったです。
その漫画の中で出てくるおじいちゃんはすごい理想のまさに大人だなというふうに思いましたけれども、
漫画『葬送のフリーレン』における大人の役割
もう一つ取り上げたいものとしては、早々のフリーレンという漫画がありまして、それで理想の大人というようなテーマの回がありました。
こっちについては最近アニメでファーストシーズン、なんかすごい長かった28話ぐらいありましたけども、
一通り見て、最近シーズン2をちょっと見始めたぐらいですけれども、
シーズン1の中にもありましたし、もちろん原作の漫画の方にもあったと思いますが、
そこで出てくるのはネタバレなのかもしれないです。
漫画の中の話、ストーリーの話をしゃべりますので、何も知りたくないという方は聞かないことをお勧めします。
いわゆるスポイラーというか、聞いて面白さのすごく大きく損なわれるような、
内容でもないのかなと個人的には思いますが、というアラートを入れつつしゃべりますけれども、
当然、人物の中にハイターという僧侶がいて、その僧侶の弟子で、
弟子なのかな、弟子じゃないな、養子的な存在なのかな、ヘルンっていうのがいて、
まだ子供なんですけれども、その子供に対してハイターがすごい理想の大人という感じで振る舞うことに対して、
それを見ていた大人なのかな、エルフなんですけれども、エルフの人がいたときに、
ハイターさんがね、老人ぐらいの感じになって、昔に比べるとすごい大人になったね、みたいな話をしたときに、
本当の自分は全然あの頃、昔と変わってないですけれども、
そういう子供が大人になる間に大人の存在というのが必要になる瞬間がある、
あり、その人がいたときに大人の役を演じる、でいるだけなんですよ、みたいな、そういう話をしててですね、なかなか感慨深いなと、
この辺の感慨深さが、このソウソウのフリーレンの魅力の大きな柱だと思ってるんですけれども、
面白いなというふうに思いました。
「演じる」ことへの自己考察
自分に重ね合わせていると、僕はあんまり演じるのは、演じることはしないし、
演じることをあまりしないようにしているしというところなので、
そういうのが必要になるときがあるよなとは確かに思うし、
そういうときに演じることができるといいし、うまく演じられるといいのかなとちょっと思いましたけれども、
でもちょっとうまくできる自信は全くないですね。
「演じる」ことの多面性とリスク
ということで、本筋としてはこれで終わりで、あまり落ちもなくという感じなんですけれども、
あとはちょっと打速的にもうちょっと喋ろうかなと思うんですけれども、
演じる、いろんなことがきっかけで演じるということがあるような気がするんですね。
それは大人を演じるっていうのもあるし、ジェンダーの話とかね、男らしさ、女らしさみたいなのを演じるっていうのもあるし、
子どもの自分が子どもを演じるっていうこともあるし、なんかいろいろ演じていると思うんです。
そういうシチュエーションあると思うんですけれども、なんか演じていると、
これも人によるし程度にもよる話だと思うんですけれども、
場合によっては演じ続けていると、だんだんどこから先が演じていることで、どこから先が演じていないのかが、境界線がよくわからなくなってしまったりすることもあるような気がしますね。
そうなっていって、自分で演じていると思わなくても演じているみたいな状態になっていくこともあるのかなと。
それはどんどん柔軟性を失ったりとか、本当の自分を見失ったりとかっていうリスクがある。
その演じているものによって守られるみたいな、殻、皮、盾みたいな、そういうものでもあるのかなと思ったりしますね。
それがあることで守れる、守られることもあって、それは自分にとっては自分が知識的な自分のダメージを軽減してくれるのでありがたい存在でもあると。
もう一方で柔軟性が損なわれると状況の変化とか、時代が変わっているのに昭和の価値観を引きずっている人とか、そういう感じに柔軟性が損なわれてしまうという面もあるのか、時もあるかなという気もするんですよね。
もちろん、そういうすごい防御力を高めつつも、すごい柔軟性を維持したままの人もいるかもしれないですし、これに必ずこうっていう話もなく、
だから、じゃあどうするっていうのもなく、なんとなくぐだぐだに終わっていく感じではあるんですけれども、そういう側面があるなあっていう話でした。
まとめ
ということで今回のしゃべれんは以上です。ではまた次回。
09:30
コメント
ハイターが言うのは大人にとっての大人ですね
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