幸せじゃなくて、愛でした
ちいかわも好きみたい
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サマリー
今回のエピソードでは、「幸せとは何か」という問いに対し、スピーカーは「カラムーチョを食べること」と答えます。幸せの感じ方は人それぞれであり、そのハードルを自分で調整することの重要性を説きます。また、自身の状態を感じ取る能力を磨くことや、「1カラムーチョ幸せ」という独自の価値基準を用いて物事を判断する考え方も提示されました。
幸せの定義とカラムーチョ
こんばんは、しゃべる練習になります。今回のテーマは、「幸せとは?」です。
先日、Unknown Radioを聞いていてですね、どうもUnknown Radioは、あなたにとって幸せとは?みたいな質問があるみたいなんですけども、
もしですね、そういうふうな質問を、問いを受けた時に何と答えるかというような話をしようと思っています。
死んだら、改名をつけてもらうんじゃないかというぐらいには、仏教である僕としましては、
この世は一切皆苦で幸せなどないですというのも一つの答え方かなとは思うんですけども、
それで終わっちゃうのもなんなんで、もうちょっと考えて踏み込んで考えてみるとすると、
僕にとって幸せとは、カラムーチョを食べることですという回答になるかなと思いました。
幸せのハードル設定と変化する価値観
ちなみにこうやって今しゃべってますけども、多分考え方というか意見というか、
コロコロコロコロこの辺り変わると思うんで、多分また1ヶ月後ぐらいに聞かれたらまた違う答えになってしまいそうな気はします。
あくまで今日、今この時点の話ということにはなると思います。
どのレベルで幸せを感じる、幸せと思うっていうのは自分が決められる範囲が結構あると思ってまして、
もしかしたら一杯のかけそばを食べるともう幸せがもうマックス、もうそれ以上は幸りますみたいな感じのケースもあると思いますし、
場合によってはノーベル賞をもらえなければもう超絶不幸だという、ノーベル賞をもらってこそ幸せだというハードルの置き方もあるかなと思います。
なのでその湯加減というかハードルの高さを程よくコントロールして、そのなりにずっと一生幸せであり続けることができるぐらいのハードルに設定できるといいんじゃないかなと思います。
元ネタが何なのかはよく知らないんですけども、カツ丼だったかな。カツ丼を食べれるっていうことが幸せだみたいな、そういう話もあったかと思うんですけども、
まあそれみたいなもんとして、それに相当するぐらいが僕にとってからむちょかなというふうに思います。
幸せのトリガーと人間関係における距離感
幸せというのは探して手に入れるものじゃなくて、そこにあることに気づくものだみたいな、なんかそういうのってよくあるっていうか、
ミスター・チルドレンさんとか長渕強いさんとかの歌でも、なんかそういう歌詞があったような気がしますけれども、
幸せだと思うトリガーをなかなか、トリガーがなりやすいものと難しいものがあるような気がしてて、
例えば地球には酸素があるんで、息ができるんで、酸素があってよかった、酸素があって幸せと思うこともできると思うんですけども、
なかなかそれを息を止めておくことによってそれを実感することもできなくもないんですけども、
それよりはからむちょの方がいいかなと思いました。
酸素にしても息を止めてみるというのも、毎日いつも一緒というより、その日々の状況によってハードルも動く幸せという感じで、
からむちょが食べられない生活になればまた違う幸せのハードルの高さにすればいいと思うんで、
息ができるというのも、1日に何度か息を止めて、息が苦しい、死ぬと思ってその後息をすると、息ができて幸せって思うと思いますし、
普段から一緒に家族といて、家族がいることが当たり前になって喧嘩してしまう人とかもいると思うんですけども、
そういう場合はしばらく霧を開けてみるとか、一人旅に行ってみるとか、そういうことをして戻ってきたら幸せを感じるみたいなことも、
そういうトリガーをすることもできるかもしれないなと思いますけれども、
また場合によっては、全然離れて行った方が幸せで、元に戻っても苦痛しかないみたいなことが起こる恐れものがあったりとかして、
そういう場合は私としては距離を空ける、一番最高レベルでいうと、もう一生顔も見ないっていうレベルですけども、
そこから10年に1回顔を見るぐらいの距離、1年に1回顔を見るぐらいの距離、1月に1回顔を見るぐらいの距離みたいな感じで、
より頻度とか密度を低くしていくっていう感じで距離を空けるっていうことも選択肢としてあるのかなと思ったりします。
自身の状態を感じる能力の重要性
自分が今幸せなのか幸せじゃないのか、安心できる状態なのか、安心感がない状態なのか、心地よいのか、居心地が悪いのかっていうことを、
話の趣旨が変わってきますけども、感じる能力というか、感じるセンサーを日々磨いておくというか、そういうことは大事だと思っておりまして、
何だったかな、他人を支配したがる人たちだったかな、そんな本を読んだことがありますけれども、
そういう時もね、気づかないうちに支配されてるみたいなことがあってですね、
その時に、その人に支配されてる、その人から逃げたい、その人を恐ろしいっていうことを考えることができなくなってしまうというか、
考える方向への思考具に蓋をさせられてしまうというか、自分で蓋をしてしまうというか、
そういう状態になってしまうと、これは人でもそうですし、その環境とか、
そういう集団とか、そういう時にも起こるような気がしますけども、そういうのでね、
自分は今どれくらい幸せなのか、安心してるのか、リラックスできるのかというところは感じられるといいかなと思うんですよね。
それを感じているときに、リラックスできる状態とか、幸せな状態だったらいいわけですけども、
そうじゃない、逆の時は、それをのセンサーを研ぎ澄ませるほど、より辛い気持ちを直視することになるので、辛いのですけれどもね。
それについては無理して見ないほうがいいという一方で、無理しない範囲でちょっとずつ見て、
歌えるっていうことは良いことかと個人的には思ってますね。それはその辛いことがあったときの
耐久力を増やすことができる効果があるかなと思います。
「1カラムーチョ幸せ」という価値基準
僕の場合は、これは辛い方の話じゃなくてね、逆の方の良い方向の話として、カラムーチョを食べておいしいな、嬉しいな、
カラムーチョは今日も食べれる幸せ、カラムーチョというものを買うだけのお金がある幸せ、みたいなものを噛み締めることができるわけですけども、
それを1カラムーチョ幸せというふうに考えた場合に、何かを買ったりとかするときに、
これはカラムーチョ、10カラムーチョなのか、100カラムーチョなのか、1000カラムーチョなのか、
それだけお金を例えば払うとか、他にも何かを出して、それを手に入れたとして、
それだけの価値のあるもの、それだけの幸せになるのか、みたいなのも、それだけじゃないと思うんですけども、
そういう一つの問いもすると、一つの指針になるかなというふうに思ったりします。
まとめ
ということで、今回のしゃべりゃんは以上です。ではまた次回。
11:47
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