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2025-10-14 12:59

「フレキシブルな幸せ」

残念ながら、うまくしゃべれませんでした。

以下にまとめます。

 

フレキシブルな幸せ

「幸せ」にはいろいろな形、レベルがあります。その時々の状況に合わせてフレキシブルに「今ここにある幸せ」を感じ続けて生きられるようになるとすごく理想的(すごく難しいけど)。

「幸せ」って不思議。人間以外の動物は不幸だとか幸せだとかいちいち考えない(たぶん)。

家族がいるから幸せ。その通り。健康だと幸せ。大事です、健康。年を重ねてひしひしと感じることも多いです。お金が十分あるから幸せ。お金は大事だよ。お金に困る人生は辛い。

――確かに(一般的には)そうなんだけど、それが欠けたからといって、イコール「不幸」、は限らない。

イマココにある幸せに気付く力、大事と思います。
ないものねだりじゃなく。

極端かもしれないけど、息ができる幸せ(多分宇宙にいった後なら、今ここに酸素があって幸せ、と自然に思えるような気がしますが、そうじゃないとなかなか難しい。ちょっとだけ息を止めてみたあとに息をしたら、いきてる!と感じられます。)、もうちょっとわかりやすいところでは、ご飯食べて幸せ(これはわかりやすい)とか、睡眠欲を満たして幸せなどのプリミティブな幸せはわかりやすい。

ちょっと後ろ向きな考え方かもですが、ひととのコミュニケーションでいやな気持になったときは「別に殴られたわけじゃない」と思えば、あとは自分の気の持ちよう次第だと気づけます(とはいえ、言葉の魔術師は言葉で殴るのと同等以上のダメージを与えることもできると思うので甘く見てはいけないですけど)

ちょっと極端な例を並べたけど、「これで満足しろ」ってことをいいたいわけではないんです。「〇〇には今日食べるものにも困っている人がいるんですよ!」というような話。確かにそうかもしれないけれど、だからといって、だから自分は幸せだと思わなければいけない、とかいうことでもないと思います。

もっと豊かになりたい、夢を叶えたい、誰かを幸せにしたい、愛されたい、認められたい、承認されたい――愛して、愛して、愛して、、、そう思う気持ちも全然否定するものではないです。

言いたいことは、それがないときに不幸になるのではなく、今ある幸せに気付いて今でも必要十分幸せ、という立ち位置に立つことはたいていの場合可能ですよ、ということです。

柔軟でいようってことで、逃げようってことじゃないんです。

むしろ、どんな状況でも自分なりの幸せを見つられる力、幸せ見つけ力を鍛えるのは(筋トレと同じくらい?いや、ウォーキングと同じくらい?)有意義だと思います、という話。

そして、その立ち位置に立つことは、自分のメンタルの健康のためにいいし、もしかすると、結果としてより幸せな場所、方向に向かいやすく効果もあるんじゃないかと思います(個人の感想です)。

1秒後に1回の息ができる幸せをかみしめる時も、大きな夢に向かってわくわく進んでる日も、好きな趣味に没頭しているときも、どれも幸せ、と思ってます。

という話でした。

サマリー

今回のエピソードでは、幸せの定義の柔軟さについて探求している。特に、幸せを感じる力や気づく力の重要性、そしてそれを実現するための方法について論じている。

幸せの定義の探索
こんばんは、しゃべる練習をやります。 今回のテーマは、あれ、何やったかな。思い出しました。幸せの定義の柔軟性でいこうと思います。
先日ですね、小田陣さんが800回記念でライブ配信されているのに、ちょっと参加しまして
はい、小田陣さん800回おめでとうございます。 私もこれを800回にしていくぞということで、背中を追いかけているおります。
そこで幸せのマンダラチャートっていうのをやられていたんですね。 趣旨としては、幸せ
人生に必要なものを上げていくみたいな、目標設定の逆
リバースって感じのような印象を持ちましたけども、そういう感じで幸せの構成要素を
出していくみたいな、多分そういうことだったんじゃないかなというのが今の僕の理解なんですけども。 その時に小田陣さんから、皆さんにとって
どうですかみたいな問いがあったように思いましてですね。 僕もなんとなくそういうことをぼんやりと考えたりしながら聞いてたりしたんですけども
もちろん家族を大事だなとか健康を大事だなということはアグリーですけども、僕としてその話の中で
思う部分は ちょっと違うポイントがありまして
それは幸せに気づけるパワー
幸せに気づく力 幸せを感じる力みたいなものが
を鍛えるということが僕の意見としてはそういうのが大事かなって思ってますという
そういう感想を持ちました。 この間DNA vs 知能の話をしましたけども
幸せに気づく力の重要性
幸せかどうか、幸せっていう概念みたいなので
人間だけみたいですよね ホモサピエンスだけみたいですね
多分その辺を見渡す 見渡す関係ではね
ワンちゃんとかニャンちゃんとか 自分は幸せかどうかとかいうことを
そんなことは考えずに
考える必要もなく
日々を
DNAの命令に従って生きているという感じだと思うんですよね 基本的にはね
だから
知能の方で幸せかどうかっていう話になってくるのかなと思うんですけども
幸せってなんだっけっていうのは
そういう前提から言ってですね結構
柔軟だなって思うんですよね だからそこをうまく
なんだろうな
考えられるようになれるといいなというか そういうふうに頑張ろうと僕は日々心がけている側面があるなという話をしようと思ってます
で今から言うことはまずちょっと極論極端な話をするという前置きをした上で話します けれども
幸せ
もう今ここ この状態が幸せだと
いうことだと思うんですよね
DNAの部分でご飯が食べれてるから生きてるんですけど ご飯食べたら幸せですしね
で なんだろうな
ちょっとうまく喋れてないですけども そうそうでちょっと今話の方向を転換して喋り方の組み立て直しをしますけども
えーと
まずその 幸せじゃないっていうかけてる辛いみたいなのって
人間の欲望には霧がない的な意味でどんどんハードルを上げることもできるのかなと思ってですね 例えばその
会社の中であの人よりも自分の給料が少ないとか 例えばですけどね
だったらこう なんか幸せじゃない気持ちになったりとか
自分の
顔の形が気に入らないとかそれで幸せじゃないという気持ちになったりとか 自分が買いたい
ものが お金が足りなくて買えない
だったら幸せじゃない気持ちになったりとか
いろいろあると思うんですよね あそうそうあと例えばですね
コンビニに行ってですね これこの例えはこの話はいいな コンビニに行きましたよとでコンビニに行ってなんかものを買おうとしましたよと
でそのものを持ってレジに行ってでレジで 会計してで会計が終わった後に
こっちはどうもありがとうと言ったとして 店員は
それを無視してありがとうも何も言わないで えっと最初に商品を出してから僕が店を出るまでに一言も発しない
みたいな
そこですごい不愛想みたいな感じだった時にですね なんかすごいあの
辛い気持ちになった日があるんですけども あの
まあそういう時にですね幸せじゃない
まあ自分を大事にしてもらえてね
コンビニの店員は逆にどうでも良すぎるから話としてしやすかったんですけども まあコンビニの店員だけの話じゃなくてなんか他の人とかね
もっともっとあの身近な人とかねそういうところでこう自分の期待するリアクション がなくないとかね
まあそういう時に幸せじゃないっていう感覚になるような日がしてるんですけども
そういう時にですね僕は
例えばですけれども
まあ そんな別になくてもですね
ご飯食べたら美味しいから楽しいから幸せ 夜寝たら寝て
寝るとすごく
気分すっきりで 気持ちいいからそれで幸せって思うし
あと違うあれで言うとなんかこう他の人から何だろうな
なんか嫌なことを例えば言われたりとかしてもその
いや別にまだ殴られてないっていう
別に殴られたわけじゃないし
なんか口で言われたからってそれを 気にしなければいいだけの話
っていう感じですかね ちょっとうまく喋れる喋ることが難しいテーマに今
立ち向かっている感じになってきましたけども あとはそうそうあのまた話飛ばしますけども
なんかね昔見た映画で なんかいろいろあってですねその映画の最後であれは誰だったのかな
あの最後に主人公が なんてロボトミー手術って言うんですか
脳をこう なんかこう
どっか一部分的に傷つけるみたいな感じなのかな で何も
ずっとこういろんなことに対して戦ってたような気がするんですけども 最後にロボトミー手術を受けてもう敗人みたいな感じになってね
何もボーッと生きているみたいな感じの状態になるんですね
まあそれは先で言うとその知能を 失って
いる状態だと思うんですけども そうなってしまえばもう不幸という概念もなくなってしまうんで
でまあだから幸せかどうかはと思うことして不幸ではないという状態にはなると思うん ですよね
柔軟性の強化
そういうのでそのストレス発散したりとかなんか違うことして気分転換したりとか あとはちょっと危険な行為がありますけれども
お酒飲酒ですねお酒を飲んだりとかしてて 考えられなくするとかねそういうテクニックもあるかなと思います
あと印象に残っている話としては この話はよくもしたかもってちょっと思いましたけどそれに負けずに喋りますけれども
天地創造デザイン部の中で 出てくる話として
植物がね その植物はそこに種があってそこから
芽が 出て生えて
で伸びて 実を結んで
そして枯れていくっていう生き物だと思うんですけれども 自分の意志で
歩いたり動いたりすることはできないんですね だから
そんなって 不幸っていうかそんな嫌やっていう
感覚があった あったあるかなと思うんですけれども
いやいやそうじゃないと 歩く必要がないんだと
歩かないといけないのはその歩かないとその生き残ることができないっていう状況に 追い込まれているから
そうしている
そうやってこう
頑張らないといけないっていう状況 なんだけども植物とか木とかは
そんなことする必要がなくて ただじっとしているだけで
生きていけるし生存していける 種としてね生存していけるんで
それでその日々の 太陽の光浴びるとか
根から根から水を吸うとか それがもう
最高の幸せをそれで 得ているんだよみたいな
僕のちょっと言い訳入っているかもわかんないですけど なんかそんな話があってね
なるほどなぁと思いました はいということでまぁちょっと極端なことを言いましたけれども
言いたいこととしては幸せかどうかっていう 幸せの条件みたいなのって
かなり柔軟な部分があるので そこの柔軟性を
鍛えるっていう 柔軟体操をする
っていうことが 僕としては頑張りどころかなというふうに
思っています はいということで今回の喋れんは以上ですが今回はいつ
いつもにも増してうまく喋れなかった気がするので内容については 後で要約したものを概要欄に貼っとこうかなと思います
のでそれを見ていただくといいんじゃないかなと思いますと この最後で喋っているのを聞いても
もう時すでに遅しかもわかんないんですがそれも概要欄に書いておこうかなと思います ということで今回の喋れんは以上ですではまた次回
12:59

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