そうだね。
あの、きゅうりとナスで馬と牛を作ったりしたでしょ?
いや、それがね、僕ね、そういうのがないんですよ。だから。
そういうのが。
やっぱね、うちの家庭は良くなかった。
いや、そんなことはない。
別に親を批判するつもりないんだけど、なんかね、あんまり田舎っぽい習慣をやらなかったんですよね。
うちの両親田舎出身な割には、なんかこう都会に染まってしまったのか、都会に来たから、あんまりそういうのをやらない。
お盆がさ、田舎っぽい習慣ではないと思うけど。
いやいや、田舎というか、そういう日本古来の習慣というのを。
日本古来、そうね。ちょっとこう、民間信仰も半分入ったような感じかな。
なんでさ、馬と牛なのか知ってる?
あれでしょ?
あの、黄泉の国から帰ってくる時に、それに乗って帰ってくるっていうことですよね。
きゅうりがたしか馬で、マスが牛さんなんだけど、来る時はどっちに乗ると思う?
え、あるんだ、そういうのが。
え、来る時は、え、やっぱり十二支の順で言うと牛かな?
来る時は馬なんだよ。
あ、そうなんだ。
それをさ、早く帰ってきてほしいから。
早く帰ってきて、早く帰ってきて。
そうだ、聞いたことがある。
で、あちらにお戻しする時には、ゆっくり帰ってほしいわけだ。
なるほど。
だから、牛さんをご用意して、牛に乗ってゆっくり帰ってね、その後ろ姿をずっと見てるねっていう。
なるほどね。
ということらしいですよ。
じゃあ、きゅうりさんが先で、なつさんが後なんですね。
そうそう。
なるほどね。
そう、なんか聞いたことがあったかも、そう言われてみれば。
そうかそうか。
なんかさ、そういうこう、民間でやってる、元日宗教が絡んでる、絡んでない別として、
民間でやってることのさ、中に、そういうふうに人の思いみたいなものが練り込まれているのって、
なんかすごくこう、なんだろうな、何とも言えない気持ちになるね。
温かいというか、なんか太古の昔からね、みんなそんな思いでいたんだなっていう、
どうか、同僚感とかさ、同僚感って変だけど、仲間感っていう。
そんなの思って好きだな。
分かります。
なんか、うちの父がですね、すごくそういうの調べるのが好きで。
ご先祖のことを。
そう、ほんとに。
うちは武家だったらしいんですけど、下級武士というか。
で、戦国時代くらいから、誰々さんがいつ生まれて死んで、子供は誰がいて、どういうふうに過ごしたかとか書いてあるんですよ、経図が残ってて。
それはそれは。
そう、でそれを、まあそれこそ、なんとか左衛門さんって名前書いてあって、
豊臣秀吉に仕えたりして、関ヶ原でどっちについて負けたからここに引っ越して、全部書いてあるんですよ。
すごいね。
そう、で父がそれを全部調べて、国会図書館まで行ったりして、資料を当たったりとかして、
で、より資料を細くしてまとめたものをワードにまとめてるんですね、ワードファイルに。
すごい豆な父だなと思いながらも。
本当だよ。
そういうことする意味って何だろうって考えた時に、
なんかやっぱりね、今単体で生きてるけど、単体で子の個体として、今のこの令和に生きてるけど、
やっぱりそういう先祖のレコードというか記録みたいなものっていうのもちゃんと意味があって、
それがあった上で今に生きてるって感謝しましょうっていう気持ちの問題もあると思うんだけど、
でも言ったら、それも経験なわけですよ、自分の。
経験ね。
自分の体にはどこか残っている経験だったりするっていう考え方かなと思っていて。
だから子供の頃はね、そういうお墓とかお寺とか先祖のことを考えるとか、
なんかそういうのってなんか先行臭くてどうもって思ってたりしたところあるんだけど、
それを大事にする心、実際それが理解できるか置いておいても、
そこに気持ちを向けることの意味っていうのはちょっとあるんだろうなと最近思うようになりましたね。
確かにね。
お盆ってそういうことを考える年に1回ぐらいそういうことを考えようよみたいな。
そうね。お盆とお彼岸かな。
自分の後ろに、後ろにっていうか前にか。
前にたくさんの人の繰り返しの命があってこそだからね。
どっか一つが欠けたらいないわけだからさ。
それはありがたい。ありがたいっていうか、その不思議さ。
人の、まあ人だけじゃないんだけど。
命の紡ぐ不思議さみたいなものに思いを馳せる。
その時間が年に2、3回あっていいよね。
それはそんな気がする。
なんかめっちゃ不思議だなと思うのは、そういう先祖が経験してきたことって、
なんか遺伝子とか何かしらのレベルで反映されてるのかなって思うことがあってね。
絶対されてると思う。絶対されてると思う。
でもそうじゃないと進化しないですもんね。
そうだよ。
なんかこう、なんだろう、個体レベルでね、こんなひどい思いしたとか、こんなしんどい思いした、こんないいことがあったとかっていうのが遺伝子の中に書き込まれていってほしいなと。
そうすると人間としてちょっとずつ賢くなっていくと。
愚かなこともしながらも、失敗もしながらも、子孫の方が賢くなっててくれないとなっていう思いは個人的にはあって。
確かにね。でもそれはあると思うよ。
それがDNAという具体的なものなのか、それともなんかあっち方面の、よくアカシックレコードみたいなこと言うじゃん。
何かあっちの方面のそういう何かなのかはわかんないけど、でも残ってると思う。
無産してしまって意味のないものになってしまってるとはちょっと思わないな。
だってさ、子供とか見ててもそう思わない?
なんか生まれて、例えば2人お子さんいらっしゃるとしたらさ、同じ親から2人生まれてて、同じような育て方をしているじゃない。
親なんて変わりようがないんだからさ。
でも全然好みも違えば性格も違えばさ、本当にこう異なるものになっていくじゃない。
その時にこの子には何が先祖代々から流れてきているのかなって。
何をこの子は取り入れたのかなって思っちゃう。好みも違うし。
何かしらが残って、お乳な頭に残ってるから、何か好みとか好き嫌いが出てくるんじゃないのかな。
そこら辺は人知恵を超えていろいろ複雑なプログラムがあるのかもしれないけど、
やっぱり単純に体の形だけで言うと親知らずとかもね、昔の人は当たり前に生えてきて使ってたかもしれないのに、
もう最近は要らなくなってきているとか、もうちょうなんかもね昔は使ってたかもしれないのが要らなくなってきてるっていうのが
ものすごい長い年月で体レベルでもあるわけじゃないですか。
心とか脳に関してもそういう、いやじゃあこれはもうアップデートしていこうよとか、
これは逆にもっと伸ばそうよ、要らないものは捨てようよとかもあるのかななんてことをねちょっと思ったりはしますね。
脳の中だとほら消化体とか昔はもっともっと離れてた、離れてたじゃないよ、働いてたって。
第三の目って言われてるような第六感みたいなところを司っているであろうと言われてるところだけど。
じゃあ逆にそういう直感的な部分に関して現代人がちょっと退化してきてるってことね。
だって連絡どうしているかなあの人はって考える前にLINEしちゃうでしょ。
だから別にその直感いらないよね。だって実際にコンタクトすればいいだけの話。
まあそうですね。
なんかそんなようなところが弱くというか使わなくなってるんじゃないかなと思う。
なるほどね。
まあね昔の人は直に会いに行くしか手段がなかったから、
あ、ふとあの人はってね、ピンと来て会いに行ってみるとか尋ねてみるなんてことがあったんでしょうね。
虫が知らせるとかさ、離れてるにもかかわらず何かわかるようなのがあったと思うよ。
今はだってLINEすればいいんだけどちょっとなんか元気いいみたいな。
そうやって地球のリソースを借りていろいろと自分たちで開発してね電波とか飛ばしてっていうのも
人間の大きく言えば体の一部であると。
大きく言えば地球を借りて地球の資源を借りて自分たちの手足を伸ばしていったんだって解釈すれば
まあこれも人間の営みの内だと捉えることもできるんですけど。
でもそんな時代にミョンエルさんこの間台湾まで本当に足を文字通り伸ばして
そうなんですよ。
行ったわけですよね。
もちろんもちろんもちろん。
そうそうその台湾でね、言葉の問題前に言ってたじゃないですか。
今はね本当にもう形態がすごいからね。
日本語を打ったら台湾の中国語に変換してくれるなんてことはお茶の子さいさいなわけじゃない。
しかもそれを読み上げてもらえば音でも相手に伝わるわけで
自分自身が言語能力を上げる必要あるの?みたいなさ
自分自身で言語を習得しない私が言う話を
努力しろって話なんだけどもっとね。
自分で喋れることはないんだから。
まあでもそんなわけで言ったんだけど
本当にこう運のいいことに日本の方で
今その台湾のね私が行っている大秘学園というところで勉強しているっていう方にね
がいらっしゃったのよたまたま今回。
全部全面的に通訳しますよって言って隣にいてくださったので
もうすごい救世主が現れてさ
でまあ本当にありがたい話だと思ったんだけど
それで笑えるのがね
法師様たちって要所要所に笑いを入れてくる話をするのに
でその笑いを入れるときの場所
いわゆる笑わなければいけない場所を喋るときに台湾語になっちゃうね
中国語と台湾語って違うのよ
でうちら私たちが習ういわゆる中国語っていうのが標準語
だから日本で言ったらいわゆる東京の言葉みたいな感じ
で大抵の日本人っていうのはそこを勉強してるわけだ
で私もそうだしその通訳するよって言ってくれた彼女も標準語を勉強してるわけよ
それは彼女の方がずっと達者なんだけど
ででもその笑いを取るよっていうところになると
法師様は台湾語になっちゃうね
台湾語っていうのがもう何て言ったらいいのかな
ものすごく地方の言葉日本で言ったら
例えて申し上げるのもあれだけども
時々動画とかでさ見せてもらう青森のおばあちゃんとかさ
みたいにぐらいに違うわけよ
でも台湾にもともとあった言葉だから
具体的に言うと今の二十歳以上台湾の二十歳以上の人
二十歳以下かはほとんど台湾語がわかんない
でもおばあちゃんが喋ってるからなんとなくわかるぐらいのニュアンスだらしいね
70、80はみんな台湾語もちろん喋れる