ハト組ホームルーム
ハト組ホームルーム出席を取ります。
みおゆうさん。
はい。
そして、私、ヒューガー大助。
はい。
ということで、ハト組ホームルームでございます。
こちらのポッドキャストではですね、私、マジシャンでインプロバイザーであるヒューガー大助と、そして、
ソレオで看護師でいらっしゃいます、玉置みおゆうさんが語りながらですね、
ああだ、こうだ、日々のいろんなことを語りながら、
ぐっちゃべる様をですね、横で聞いていただきまして、
ああ、そんな考え方、私はなかったわ。
こんな考え方、やってみようかしら。
いや、これは取り入れなくていいな。
とか、いろいろね、皆さんが脳内でぐちゃぐちゃしていただくという趣旨のポッドキャストでございます。
今の説明が一番ぐちゃぐちゃしてましたけど。
ということで、今回もオンラインで収録しております。
ちょっと音声乱れたりしたら申し訳ないですが、
それもね、ズームに一緒に参加しているという気持ちで、
お聴きいただいたら楽しめるかなと思っております。
夏ですよ。真っ盛りになりまして。
もう多分、夏休み入ったかなぐらいのタイミングかも。
このポッドキャストがリリースされている頃はですね。
世の中に、なんていうんだ、こじゃりたちが。
こじゃりって。
こじゃりたちが日中もわちゃわちゃ出てくる。
妙優さんが言うと仏教用語なのかなってちょっと思っちゃいましたけどね。
あじゃりとかこじゃり。
こじゃり。
いやいや、こじゃりです。
こじゃりね。
元気でさ、こうなんていうかな、キャーキャーする人たち。
なんか、キャーキャーする子たちって世の中いっぱいいるけど、
やっぱね、僕あんまりキャーキャー言わない子だったんですよね。
そうなんだ。
テンションが。
上がらないよ。
上がらないことないんだけど、楽しんでるんですよ、自分の中では。
ただ、ファルセットでキャーっていう子たち。
なんであんな騒ぐんかなっていまだに思ってて。
でもさ、割と女子に多くない?
そうなんですかね。
男子も騒いではいるね。
騒ぐ子は騒ぐと思う。
騒ぐね。
うちの子たちはあんまりそういう感じじゃないから、やっぱりテンションが一定なんですよね。
なんていうか、そういう人種みたいなのあるのかも。
本当に。
人種ね。
人種って言ってあれだけど、種類。
でも、私もそうだったかな。
ちっちゃい頃ってさ、みんなキャラクターみたいなの好きだったんだよね。
例えば、ウルトラマンとかさ、仮面ライダーとかさ、男の子のばっかりだね。
女の子だとなんだったかな、当時は。
秘密のあっこちゃんみたいな。
そういうキャラクターものっていうのがあって、それのみんなコンパクトみたいなのを持ってたりとか。
そんなの横目で見てたけど、私自身は全く興味がなかったな。
そういうのには。
逆に何に興味がある子だったんですか。
すごいね、自分で言うのも嫌だけど、変な人間だったんだよ、たぶん。
だってね、小学校6年生の時にフロイト読んでたんだ。
ああ、そうなんだ。
フロイト。
フロイト、小学校6年生の時にはもう読み終わってたんだよね。
あと、「好きな言葉は?」って言ったら、「努力と根性」って書くみたいなね。
そういうちょっとひねたところがあったね。
私、振り返ってみて、小学校6年生の時の精神状態が一番高かったなって思うもん。
そっか、加工よ。
加工かどうかわかんないけど、少なくともその頃はそうだったと。
どんどんどんどんある種、そこから自由になっていったりした部分もあるかもしれないし。
そうだね、そういう良い言い方をしていただけるとあれだけど。
6年生の頃はとにかく、他の人には理解されなくてもいいわっていう自分の世界を持ってたところがあるんですかね。
たぶん覚えて、5年か6年生の時の美、音楽、音楽じゃないや、美術、美術じゃなくて、何て言ったっけ、小学校の時、美術の時、図画、図画だ。
図工の時間だ。
図工の時間にポスターを作るって話になったのよ。
で、それは世の中に訴えたいことを書きなさいっていうテーマだったんだ。
で、水を大切にとかさ、緑を守ろうとかさ、みんなが書いている中で、私一人が座禅って書いて、座っている仏像の絵を書いたからね、覚えて。
それは先生、相当びっくりしたじゃないですか。
何が言いたいのって言われたもんね。でも私的には、なんかこう、そういう静かな気持ちみたいなものっていうのがあったんだろうね。
でもまだそのあたりでは、私自身の考えもまだまだ軟弱だから、何か言いたいことはあるんだけれども、はっきりわからないままにそれを書いてしまって。
で、出来上がってさ、何のおてんっていうのは点数ね、いい点数も当然つかずに持って帰ってきて、母親に見せたときに、母親が何も言わずにしまったっていうのを覚えてるよね。
いやー。
コメントなしだった。
何ですかね。
わからない。コメントなしだった。
座禅と書かれた。
座禅と書かれて、バックが灰色で、何か下手くそな仏像みたいなのが書いてある。それは困るよね。
何ですかね、それ。
わからない。私的には、なんとなくいい出来だったんだけどね。別にその時から仏教が好きだったわけじゃ全然ないんだけど。
だし、別にご家庭も仏像に縁があるご家庭じゃなかったでしょ。
全然ない。うち大工さんの家だから。
じゃあなおさらお母さん黙ってしまいましたね。
ああいうのゼックって言うんだろうなって思って。すごい奇妙な表情をしてる。
何ですかね、その頃のみおゆいさんは、座禅っていう言葉以外に特にいい言葉が出なかったからそう書いちゃったかもしれないけど。
しかもそれを世の中に言いたいっていうね。
なんかこう静かで明強しすいみたいな、そういう心理状態を表現したかったけど、言葉がなくて座禅って書いたのかわからないけどね。
でもそうか、なんか僕はたまたま家庭がちょっと厳しめで、9時になったらテレビなんかもつけずに寝なさいみたいな。
で、大体小学校の同級生は9時くらい以降にやってるバラエティを見てるわけですよ。
だからテレビ番組とかの話題とかがあって、クラスに行っても全然わかんないわけですね。
ついていけないんだよね。
そう、タレントの誰々さんのやってたギャグがどうこうとか、番組の話とか全然わかんないから、やっぱりなんかちょっとそういう意味では何が面白くて、まあ面白いんだろうけど見たら見たで。
小学校の頃にみんな卒業アルバムにアンケートみたいなのがあって、みんなそれぞれ書くんですよ。
好きなテレビ番組を書く欄があって、みんなバラエティの男女がマッチングする番組だとか、お笑い芸人さんがやってる番組だとか、いろんなそういう番組の名前書いてる中で、僕はもうテレビが年間で何時間見れるよみたいな、小学校の頃。
受験勉強してたから、学校行って学校から帰ってきた瞬間に玄関から靴を脱がずにそのままカバンを取り替えて塾に行くみたいな生活だったから。
すごい。
だからテレビなんかね、わかんなくて。
僕テレビ番組の欄に好きな番組、紅白歌合戦って書いてるんですよね。
紅白歌合戦って普通に書かないでしょ。
普通に見せてもらえたんで、書かない書かない。
大晦日はお休みだから塾が。家にいるわけですよね。
それはもう強者だわ。
育った環境がね、育ったっていうだけかもしれませんけどね。
左前には敵わないけど。
いやいやいや、何を教えますれ。紅白歌合戦には敵いませんよ。
でも、小学校時代の大地さんは何が好きだったの?何が楽しみだったの?
なんか振り返ると、お勉強も嫌いではなかったんだと思うんですよ。多分。
新しいことを知るのも嫌いではなかったけど、ただ体はしんどかったですね。
お休みがあんまなくて、しかも電車で遠い、結構都内の塾まで通って1時間とか2時間かけて通ってみたいなのは、今はしんどかったんだけど
好きだったことは、実は結構今とかあんまり変わってなくて。
やっぱり物を作るとかね、工作をしてないものを形にしていくっていうのは子供の頃から好きだったなと思いますよね。
ちょこちょことお勉強の合間を縫って作ったりしてたの?
そう、それも。もうできなくなって、5年生、6年生になったらできなくなってたから苦しかったのもあるし。
あとは喋ることですよね。これも今と変わってないですけど。
喋りが好き。
最初にやっぱり4年生ぐらいの時に入った塾はすごくちっちゃい塾で、地方の塾で10人とか20人いかないぐらいのクラスで先生が面白くてわきあいあいとしてみたいな。
そんな中で、もちろん勉強もするんだけど、その勉強の中で発生した話を先生がしてくれたりするのをみんながワクワクして聞いてるみたいな。
僕はあの空間がすごい好きで、塾に行くのがすごい好きだったんですよね。
それはでもいいね。いやいやじゃなくて。
だけど、僕はその先生を信頼してたし、塾にいる友達も好きだったんだけど、それこそ母親がですね、よく話に出てくる母親がですね、こうこうしなさい、ああしなさいっていうタイプの母親ね。
この塾にいてはこの子はきっと受験失敗そうだと思って、半ば無理やり大きな塾にチェンジしちゃったんですよ。
せっかく好きな先生と友達がいたのに。
それから先はやっぱ苦しかったですね。やっぱり行くのが。
面白くなさそうだよね。
やっぱり塾に行くのもしんどいし、成績も下がってきてみたいな。
ママの思惑と違っちゃったよね。
そうですね、うまくいかなくて。
でもうちの母親はちょっとですね、何て言うんでしょう。
無理くり、私に合わせて世の中を動きなさいよっていうのがちょこっとあるので。
なかなかの人でしてね。
女王様だからね。
そうなんですよ。お嬢様育ちだし女王様っぽいところがあって。
その例によって成績がどんどん下がっていったのもあまり気にしてなくて。
本番なんとかなるでしょうみたいな思ってたんだけど、僕はもう無理だろうなって思いながら本番も受けて。
本番の中学入試もやっぱりできなかったな、全然ダメだったわって思いながら帰って。
合格発表見に行った時に案の定名前なかったから、僕はそれはそうかって思って。
悲しかったけどびっくりはしなかった。
で、じゃあ中学は目指してたところじゃないところに行ったってこと?
そうですね。第二志望に入ったんですけど、ただまあそれが必ずしも悪かったわけでもなくて、やっぱり人間流れ着いたところでやっぱりそこにまた花を咲かせるというか。
そこで出会った人とか、そこであった先生とは未だに付き合いがありますしね。
本当そうね。何て言うのかな。
悪いよければじゃないけど、なったことはいいことなのよねっていうふうに思った方がいいよね。
そうなんですよ。
今思うとその中学1年生で出会った先生にも未だに連絡をちょくちょく取り合ってたりお会いしたりして、すごくいい先生だったし。
この間ですね、その先生が中学1年生、僕が第一志望落ちて入った第二志望の中学の1年生の時に担任の先生がですね、社会の先生で。
でもいわゆる社会の普通の授業はあまりしない方なんですよ。
でももともと記者出身で、かなり修羅場をくぐってきたような先生が社会の先生になってその学校にいたんですけど。
だから今思うと社会の授業っていうよりも本当に何でもとにかく書かせる、論文書かせるみたいな先生で、自分の思ったことを文章にしていきましょうと。
めちゃくちゃ書かされたし、でも今はそれもすごくみんなあったなって思ってるんですけど。
なんかその先生がついこの間ようやく定年退職されまして。
僕を持っててくれた頃はまだ30くらいだったのかな、若かったんですけど。
でも定年退職されて、その時高校3年生の卒業に寄せて文章を書いたんですよ。
ちょっと読むと長いんで要約すると、その先生が言うにはジョージアっていうヨーロッパの方のある遺跡で発見された180万年前の原人の遺骨に歯が全くなかった。
現代よりもはるかに厳しい環境で歯がないっていうことは絶対死んでもおかしくない環境なのに。
でも調べたら歯を失った後にもすごく長い間生存していたってことが研究で明らかになっていて。
それは絶対に周りの誰かが食べ物をすりつぶして与えてあげてたから生き延びられたんだ、そうしか考えられない。
人っていうのは本来生まれてからも年取ってからも誰かの世話にならないと生きていけない生き物なんだと。
他の動物にはないこの弱さこそが人を人たらしめ人間性を作ってきたんだと。
弱さを分かち合って助け合ってきたからこそ人類は生き残れてこれたんだろう。
なので自分には何ができなくて何が足りないか何を知らないかを研究に受け止めて周りに助けてと言えることが成熟することの証ではないのかと私は思う。
人は学校卒業してからもう70年以上生きなくてはいけない。
人生の困難をたった一人で背負い込むのではなく信頼して相談できる依存先をどれだけ増やしていけるのかそれこそが自立する力だと僕は信じている。
卒業おめでとうみたいなそういう文章を。