ハト組ホームルーム出席を取ります。みょんゆーさん、そして私、ヒューガーダイスケ。
このハト組ホームルームは、マジシャンでありインプロバイザーである私、ヒューガーダイスケと、そして僧侶である玉置みょんゆーさんが、僧侶で看護師である玉置みょんゆーさんが、
いろいろと試作の散歩道を、くねくねくねくね歩きながら、さまよい歩く様を観察していただく、そんなポッドキャストになっております。
今ね、すごいこと気づいたんですよ。私、1個前の収録で、1回も自分の名前とみょんゆーさんの名前を言ってないんですよ。
いやー怖いですね。慣れというのは恐ろしいですね。40回を超えますとこういうこと起きるんですよ。
確かにね。回ってますか?ちゃんと。ちょっと待って。今ですね、実はyoutubeの、みょんゆーさんのyoutubeの自由案ですね。
みょんゆーさんのyoutubeチャンネルの収録も兼ねているので、動画も回してるんですけど、人間は慣れると油断をするということで、ちゃんと録画回ってんのかってことも今見に行っていただいたんですけど。
やっぱりね、こういう機会には魔物が住んでるからね。本当にどんなに事前準備しても、なぜかっていうことが起こるのよ。
それもそうだし、1個前にみょんゆーさんの名前と自分の名前を言わなかったので、完全なる油断ですよ。なんか慣れすぎていて。
なんだろう?他のこと考えてなかった?
他のことも考えてたかもしれない。
一回目の、一回目じゃないや、冒頭の番組の趣旨を説明するときに何を言ってやろうかって多分考えてたんですね。
だからそこで気をてらいすぎると、自分の名前とかみょんゆーさんの名前を言い忘れるということなんですが、改めて初心に帰りましてね。
マジシャンであり即興俳優インプロバイザーである私、ヒューカー大助と、そして僧侶で看護師である玉城みょんゆーさんなんですが、型書きを言ったじゃないですか、型書き。
やっぱり型書きって便利なんですけどね、ラベルというか。本当に型書きってことは肩だからこう、名詞で言うと右上の方とかに書くってことは、人はそこから入るんですよね。
これは何なの?っていうことを。あなたは何なの?
確かに。でもね私ね、看護師になったときにね、すごくある意味楽になったのよ、人生が。
それはなぜかというと、それまでは何者でもなかったのよ。何者でもない単なる自分というのがいて、人に何々でございますという、それこそラベルよ、がなかった。
ところが看護師っていうラベルを手に入れたわけ。そしたら、街歩いててもどこに行っても看護師してましてって言った。
ああ、看護師さんなんですねって言う風になって、ある意味楽になったのよ。ものすごくラベリングが効いたっていうか。
で、もちろんデメリットもあるよ、物事には陰陽くっついてるからね。だから何でも看護師のくせにとかさ、お巡りさんでも先生でも何でもそうだけどさ。
めっちゃわかる。マジじゃん、なんか典型的なあれですよ。
クセにとかさ、言われちゃうわけじゃない。だからさ、ラベリングっていうのはさ、本当にこう、上手く利用すればラッキーだけど、まあ手かせ足かせになることもあって。
ありますね。
しかもさ、だんだんさ、自分が欲しくて手に入れたラベルかもしれないけど、いつの間にかそのラベルに合わせていくようになっちゃう。
本当は自分が取りに行ったのに、なんかこう、今度はラベルに引っ張り回される。
だからさ、使いようだよ、ラベルも。本当に。
よく思うのは、名前をつけることってやっぱり扱いやすくはなるじゃないですか。これは看護師、これは食べ物、これはなんとか、これはポッドキャスト。
なんだけども、今みょいさんがまさに言ったように、デジタル化しちゃうというか、離散化しちゃうというか、本当は割り切れないね。
3.14159265…なんですよと。それはそれなんですよ。だけど、3ですねって言っちゃうみたいな。
そういうこと。
まあ便利だし、だいたい合ってんだけど、でもっていうね。
でね、そのラベルになり得るものっていうのは、多くの人が共通認識しないと無理なのよ。
だから例えばさ、何だろう、昔だったらだよ、今はYouTuberですって言ったらみんなが分かったから、あ、YouTuberなんだってラベルが張られるけど、
YouTubeが出てきたばっかりの頃に、私YouTuberなんですって言ったら、何言ってんのって、ラベルにならなかった、なり得なかったじゃん。
だからラベルになり得るってことは、それだけの多数の人が共通認識を持ってるってことなわけよ。
だからそれだけにそれはさ、逆を返せば縛りになるよね。
僧侶なんかもそうでさ、お坊さんっていう、もうみんなのイメージがあるわけじゃない。お坊さんなんだからっていうさ。
だからそこにみなさんのイメージに反するようなことをやったら、何なのってことに当然なるわけよ。
なりますね。当たり前か。
いや、なんかさっき収録前にね、ちょっとお酒の話が出て、美容師さんビール飲まれるって聞いて、あ、飲むんすねみたいな。
僕美容師さんとそういえばお酒飲みに行ったことないから。
飲まないもんね。
僕は飲まないんですよ。だけど、あ、飲むんすねみたいな。
僕は何ともネガティブなのは何も思わなかったけど、それこそラベルで、え、お坊さんのくせにお酒なんか飲むんですか?っていう人もいなくはない。
ゆるゆる。それに、もともとカイっていうのがあって、
カイリツのカイ。
カイリツのカイ。飲んじゃいけないってことになってるからね、初期仏教的にはどうだというのは置いといてさ、今はね。日本は飲んじゃってるよ、みんなお坊さんたち。
でも私がインドに行った時よ、もうインドは国自体にお酒がないし、それからお坊さんたちってもちろんみんな精進なのよ。
精進料理。台湾もそうなんだけどさ。そこへお坊さんの僧侶の格好して行くじゃない。
だからさ、その時にさ、うっかり、うっかりお肉なんか食べようとしたらさ、周り中がものすごい一生懸命止めてくれるもん。台湾なんかでも。
それはお肉ですよ、ダメですよって。星さん、勘違いされてますよって止められちゃうのよ。
で、そこでさ、押してさそれを、いいんですよ日本の僧侶は食べてなんて言って食べちゃうとさ、もう幻滅させるし、ちょっととてもできないじゃない。
だから私台湾でおいしいもの食べたことないもんね。
なるほどね。見え方はちょっと気にしなきゃいけないんだ、そこはね。
おいしいんだけどさ、台湾のお野菜料理もおいしいんだけどもちろん。
だからそういうラベルが張られて、そしてそのいつの間にか今度はラベルに合わせて生活していくように。
まあなりますけど、でも今この会話をしてる時点でもう半分解決してると思うんですよね。
なんで?
ラベルがある、ラベルって概念があるって知るじゃないですか。やっぱりみんなね、それを自覚しないと苦しむってあると思うんですよ。
〇〇だから私できないわ、女だから、会社員だから、公務員だから、もしくは年だから。
みんな言うじゃないですか。ラベル張るってことはある種の怠惰で、それによってああじゃあもういいわ、無理無理行動しないってなっちゃう。
いやそんなこと関係なくないって、都合がいい時はそうすればいいと思うんですよ。
ラベルを要はまさに使いようで、こういう時はこういった通りがいいから言うよね。
なんだけどそれによって自分のこと縛ってしまうんだったらその時は解き放とうよって。
使い分けることを心得ていればいいと思うんですよね。
それを自分自身がわかってるってことね。
でもさ、日本の社会ってさ、他の国はわかんないけど、ラベルを外すことに寛容じゃないじゃない。
はー出たーそうなんだ。あんまりそれこそね外と比べづらいから、僕あんまりそこの海外に暮らしちゃうことないから、外し寛容ではない。
まあ要は横並びでみんな同じように。
例えば、おまわりさんだとするよ。警察官。
普段警察官の方があの制服を着て、交番とかに立ってらっしゃる。
その時には警察官らしい振る舞いがやっぱり求められるし、ご本人もそうすると思う。
でも休日になりましたと。もうあの制服は脱ぎましたと。
で、公園でさ、のんびりしてさ、タバコ吹かしてさ、ビール飲んでたとするじゃない。
そしたら、おまわりさんのくせにって言われることがないですかってこと。
あるかもしれませんね。確かにね。
だから女のくせにとかさ、それから学校の先生なのにとか、何でもそう。
だからそうじゃないことをしているという、今はそのラベルを外してその私に戻ってるんですよっていうことに厳しくない。
厳しいですね。
なんなんですかね。
許さないよね。
それはどこから来るんですかね。
わかんない。
それこそ、濃厚民族でみんなで横並びに一緒に作業しましょう。
差がつくと不平等だよね。不公平だよね。
それをあいつだけなんか、そういうのを自由にやってずるいっていう気持ちなのか。
でもそれだったら同じ警察官仲間が言うはずじゃない。
俺だってね、プライベートでも警察官たるべくして生きてるのに、なんでお前だけ勢いを抜いてんだって言うはずだけど、警察官じゃない人が言うじゃん。
だから同じなんじゃないんじゃない。
同じというよりも職種とか立場はそれぞれ違えど、みんなラベルに縛られてるっていう意味での横並びで、あいつだけ職種はなんでもいいよと。
なんでもいいけど、ラベルを脱ぐということにNGなのね。
言う可能性はちょっとあるかもしれない。
あとは何だろう、予定調和っていうの。要するにランダムなことを許さない。
ほら、私も他の国のことはよくわかんないよ。でも時間とかさ、割と日本ってきっちりしてるじゃない。
だって山手線なんて1分遅れただけでさ、この電車は1分遅れております申し訳ありませんとかどうでもええわそんなことって。
そう、台風の日にね。日本って真面目だなーってしみじみ思ったのは、本当その日は乱れに乱れて、当然ダイヤなんか意味ないじゃないですか。
僕帰りの電車で、今日も大変だったなーって言って、夜中11時くらいに家帰る時に電車の中で、この電車は予定より472分遅れで、えーみたいな。
もういいよそんなもの。今更そんなのどうでもいいわって。
本当に?
そこ真面目って本当に。
ウケる?
ウケますよ。
鉄道マンのプロ意識だかなんだか。
いやなんかそれはさ、過ぎたればみたいな。
そういうところありますよね。だからね。
そうそうそう。でもさ、台湾とかもそうなんだけどさ、もうさ、遅れて当たり前のところなわけよ。
だからそういう中にいるとだよ、もうきっちりきっちり型にはまるってことを良しとしてるから、
まあ言うなればラベリングも、ラベルがもうプライベートだろうがなんだろうが寝てるときまで、
ラベルの中に入っているっていうことを求めちゃうのかな。
その意識のうちに。こう気質。
人間のすることですからっていう、ある種のゆるさというか、ハンドルの遊びっていうんですかね。
なんかそういったものも、最近はちょっとずつそこは緩和しているような面もある気がするんですよね。
確かに。でさ、ある一部ではむちゃむちゃ寛容なのよ。それはさお酒。
お酒を飲んだ上のことだからってさ、かなりさ、あれ、サラッとされちゃうじゃない。
何なんですかね。そこの違いは。
分からん。分かんない。だってもうお酒飲んで酔っ払おうがなんだろうがさ、
そんなんで運転して人を引っ掛けたらダメに決まってるじゃない。
罪の上塗りじゃない。まずお酒飲んで乗ったことがダメ。
そして乗って人を引っ掛けたらなおダメって、だってならなきゃいけない。
罪はバイバイってならなきゃいけないと思うのに、心身交絡とか言っちゃってさ。
お酒飲んでてまともな判断ができなかったからとか言って原型されたりするんだよ。
なんかむちゃくちゃお酒飲んでのハメを外すってことに寛容すぎない?
だからある意味一方ではそんなところがあってね。何なんだろうね。
だからさ、そういうラベリングって怖いよなぁと思って。
なんかわからないじゃないですか。結局我々の生きてる人間からすると死ぬ間際の人がどういう気持ちなのかっていうことを。
わかりえない。
それをやっぱりこう、辞書としてただ扱うしかできないから何とも言えないので、僕今一つ思ったのは、死ぬ間際まで喋り続けようと思いました。
今どういう気持ちか全部言います。
老衰でね、たぶんまあそこそこ長生きできる気がするので。
そのギリギリの時になったらもう本当に病読み段階まできたらね、今こういう気持ちです。書いといて書いといて書いといて。
今家族の顔がちょっとかすんできてるのは、そういう時に限ってちっちゃい頃のお前とか思い出すんだわ。
あとねお腹もグーって鳴ってるけど、死ぬ間際はお腹空いてもしょうがないのにって思いつつ、
ああでもこれが老衰、いやでもなあこれは気のせいなのかなとかずっと喋り続けようと思います。
いいねそれ。
生きている人が、死ぬ瞬間の感情ってこんな感じで学会に提出してくださいってサンプルになって、
うちの父のケースでは、悲しみ62%、幸せもちょっと感じてる22%、あとしょうもない心配5%とかいろいろあって、
意外とこんなもんでした。
いいね。きっとそれ私聞けないと思うんで、私の方が先だと思うんで、じゃあ私もそうしよう。
死ぬ時にはもう実況つけしよう。ポッドキャストで流そうか。
頭の中の状況をね、喋らなくてももしかするとノウハウをとって、それを言語化してくれるAIとか出てるかもしれないから。
怖いなあ、私聞きたくなかったらどうしよう。
死ぬ間際の実態。
断末魔だったら。
断末魔だったら恨み事とかずっとつぶやいててね、あいつに貸した20円返ってきてないぞとかずっと言ってる。
この80年全て無駄だったとかさ、うわ聞きたくないなあそれは。
聞きたくないなあ。
そういえばマジックの世界で、すごくマジックの近代技術の父と言われてるような人が、
カナダ人の方がいるんですよ。ダイバーノンっていうすごい大化ですよね。
その方結構長生きして90何歳で死んだんですけど、5歳の時でマジック始めたんです。
5歳から始めて、90何歳までも本当に好きなことをやり続けてたんだけど、死ぬ間際に、
ああ、生まれてから5年無駄にしたって言ったらしいんですよね。
そんなに、そんな今回をっていうねちょっと余談でしたけど。
0歳からやりたかったんだね。
だから死ぬ間際のことは本当その当事者しかわからないので、
まあ所詮ね我々生きてる人間からしたらそのことは計り知れないのでね。