ハト組ホームルーム出席をとります。みおゆうさん。そして私、ヒューガー大輔。
このハト組ホームルームは、ポッドキャストという形をとりながら、ただただ無計画に僧侶とマジシャンが喋るというのをこの世に残し、
何十年後かに聞いていただく人が、「あ、こんなことやってたんだ。」って考えにふけていただくためのネタを作っている、そんなお時間でございます。
もう番組のその概要の説明がどんどんいい加減になってきてますけども、毎回違うこと言うって。
ネタ作りになるのがわからないですけどね。
前回ね、ラベルという話をして、AはBであるみたいに人間は言いたがるわけですよ。
これは食べ物である。これは機械である。これは人である。みんな言いたがりますよね。
でもそれはすごく人間にとっては必要なことだったりもするんですよね。
これはポッドキャストである。これは皆さんにとっての慰み物である。わからないけど。
慰み物?
なんか名前をつけたがる。そんなに冗談ですよ。
慰み物ってなんかあれですね。言い方が。
いいイメージないよね。
時代劇とかで。
暇つぶし。
なんか捕まった女の人みたいな。
慰み物。
よくないよくない。
それを名前つけたがるってことで、僕そういえば思い出したことがありまして。
何でしょう。
僕、2回くらい前に藤子藤代先生、藤子F藤代先生ね、ドラえもんの作者である方の話を出したと思うんですけど、
あの方がですね、出している短編集があって。
小説?漫画?
漫画ですよ。漫画なんですけど、いわゆるドラえもんみたいな長編のシリーズではなくて、
短編をいっぱい書いたのを集めてるんですけど、それがブラックで面白いんですよ。
例えば。
要は人間社会をすごく斜めに切り取って、皮肉ってたりとか風刺的だったりとか、人間って愚かだよねっていうことを漫画にしていて、
1話完結の短編ものがあって、すごくひねた目線というかね、それがすごく好きで。
その中の1個で、宇宙人が地球に来るんですよ。地球を観察して、地球を遠くから眺めて、何かやっとるなって見るんですけど、
とあるその都市で、あるA勢力とB勢力が争ってるんだけど、A勢力のなんかの若いオス、これを個体Aとすると。
観察してる人は知らないから名前なんか。
で、別の勢力の方の若いメス、個体Bとする。
で、個体Aと個体Bは、その団体同士が諍いをしてるのにも関わらず、
密かに会合をするようになり、で、そういう男女の、いわゆるオスとメスの生殖機能を持っているので、それをお互い利用し合って、
どうのこうのって観察全部つぶさんしてるんですよね。
で、そのナレーションは完全に宇宙人目線だから、
それによって、それでそのオスAの方は、
毒薬を飲んで自分から命を断つ。これは我々にとっては理解しがたい行動であるみたいな。
なぜ自分から生命活動を停止するような危険物を、化学物質を摂取するのかわからないみたいな。
みたいな、そういう話があって、そのAだけはナレーションは宇宙人目線の事務的な分析なんだけど、
どう見てもロミオとジュリエットの話が進行してるわけですよ。
つまり何が言いたいかというと、その人間から見ると、なんてかわいそうな話。恋愛ね。
その壁を乗り越えて、お互い結ばれない運命なのねとか言って悲しんでる2人。
でもそれを乗り越えて2人は会って、どうのこうのっていう、そのドラマも宇宙人から見たら、
個体Aと個体Bなんですよ。個体Aかっこオスと、個体Bかっこメスなんですよ。
我々は名前を付けることによって、前回そういう話をしたんですけど、名前を付けることで認識できる。
名前を付けて、僧侶であり看護師であり扱ってますけど、
なんかそういうふうに見ると、自分もただの個体なんだな。
なんだか一万何千日か生きてるだけのオスであると。
そう思うとね、なんか非常に表面的なことであれこれ悩んだりとか、またこの発想が悩みを解消する方向にすぐ行くんですけど、
まあどうでもいいかって思えることが多いなっていうのもありますね。
しかもさ、その個体Aなんだけど単に、でも個体Aが実はロミオなんだっていうふうにあるべくしてさ、
自分自身がロミオであるものを引っ張り寄せて背負ってるよね。
勝手に。だから王子様なのかあの人はわかんないけど、
とにかく種族を守んなきゃいけないから、敵の種族の女性となんかに恋に落ちちゃいけないっていうのは自分が思ってることじゃない。
自分が障害されてるというか勝手に背負ってるもの。
でも宇宙人から見たら、単なる個体Aの男性なんだから、その生殖機能は思う存分使ってくれよね。
だって会いたいなら会えばいいじゃんみたいな。
思いたかったら都合になればいいじゃないって思いますよね。
なんで?みたいな。なりますよね。
だからいかに見えないものに普段縛られてるかってことですよ。
ロミオとジュリエットだけじゃないですよね。我々も。
でもさ、その見えないものを持つからこそ人なのかもね。
やりたいようにやっちゃったらさ、だってもうどうしようもないじゃない。秩序も何もないじゃない。
あの人が好きだから一緒になればいいんだって。
今まで自分が持ってきた歴史とか大事にしなきゃいけない人とか勝手に捨てていいんだって話になっちゃう。
どうぶつレベル?どうぶつに失礼かもしれないけど。
だからやっぱり思うのは、なぜそうやっていろんなしがらみ、
これを守んなきゃ、ルール守んなきゃ、あの人との関係守んなきゃってなるのは、
人を個体として弱いからだと思うんですよ。やっぱり。そこに戻る。
一人で仮に今ね、この収録してる街がありますけど、いきなりパッて何にもない真っ白な荒野に変わったとしたら、
ずっと何百キロ歩いてもスーパーもコンビニもないんだったら、多分僕死ぬんですよ。
水もない。どうする?
サボテンとかは何にもないところで空気中の湿度を吸って水として使えるわけですよね。
できないじゃないですか。
そういう弱さがあって、完全に個体としての弱さをもう、みんな認識している。
むしろ、なんか塊として、コミュニティというか塊、組織として一個の生き物なんだっていうのがあるから、やっぱりそうなっちゃうんだろうな。
だから、相手のこととか周りのことも考えて、
しわざるを得ないもの、しょうべきものかもしれないがある。
それがしがらみだったりとか、ラベルだったりとか。
それは勝手には取れないわけだね。
だから、人って言葉と人間って言葉の違いってことかなとも思いますよね。
人間って言葉の妙というか、人だったらただの個体。
ほんと文字通り一文字で表せるんだけど。
生き物の名前だからね。
そう、ホモサピエンスの個体、オスA、メスBみたいな。
なんだけど、人間、人の間って言っちゃうと、人と人の間にこそ、もしかすると、その言葉すごいなと思うんだけど、
人間の本質があるというか、人間の本体って人個体にはないんじゃないか。
確かにそうだよ。で、ラベルの話すれば、人だけだったらラベルいらないんだもん。
だって、単体で、個人で存在してるんだったらさ、ラベルいらないわけ。
一人ぼっちならね。
そうよ。でも人間って言って、人、人、人、人の中で存在しようとすると、ラベルが必要になってくる。
そうなんですよね。
うん。
でもさっきさ、なんか、ここ出たら荒野になってたらって、私すごいウキウキしちゃった。
え、なんで?
いや、ウキウキしたー。
何にウキウキしたんですか?
荒野ってことですよ。もう何にもなくなって、ここの部屋から出たら、砂漠だった。
うん。
だったら、もうすごく嬉しい。
なんで?
わからん。わかんない。でもすごく嬉しい。なんかウキウキして歩き始めちゃう。
そうなんだ。それは生命の危険が、物理的な生命の危険があると思ってても。
いや、もちろんあるし、思うし、じき死んじゃうんだろうなって、食べるものもなければ大変な熱いしさだろうなと思うけど、なんかものすごい開放感で喜ぶかも。
なるほどね。実は苦しんでるのは他の人間がいるからだから、開放感って。だってね、苦しみのほとんど、それこそもう人間の苦しみのほとんどは人間関係からってよく言ったもんで。
でもさ、喜びも人間関係から。だからさ、ほんとにさ、めんどくさいよね。
ほんと。星真一っていう人の小説の話前も出したんですけど、その人の短編で未だに覚えてるのは、ある男が囚人としてある惑星に送り届けられるんですよ。
そこにはそういう他の囚人もいるんだけど、基本もう一人行動ですよ。で、一個だけこういうボールを渡されて、ハイテクのメカのボールを。
で、そのボタンピッて押すと、コップからチャーって水が出てきて、空気中から水を集めてくれて、だから水には困らないんですよ。
その機械さえ持ってれば、ボールさえ持ってれば、生き延びられるし、あとカプセルも渡されて、その水に溶かして飲むと、もうそれでお腹がいっぱいになる。
食べ物心配もないっていう、そういう系があるんですよ。送られて、島流しみたいに送られる。
で、男は最初絶望してて、なんてこったってなるんですね。
で、しかも何が苦しいかって、そのボールっていうのが、カチッてボタン押すと、チャーって水出てくるんだけど、ランダムで何回目かに、人によって違うんだけど、押すと爆発して死ぬんですよ。
でも何回目かは分かんない。
ヤダな。
それが苦しみだって言うんですよ。それが系なんですよ。
だから水と食べ物はあるけど、押すたびに恐怖なんですよ。
次は死ぬかもしれない。次は死ぬかもしれない。押し続けてるんですよ。
で、男は最初それが嫌で嫌で、一人ぼっちだし、惑星に取り残されて。
その惑星の文明もあったらしくて、空き家とかはあるんだけど誰もいない。
で、そんな中で水を出しては飲んで、今回も生き延びた。
で、食べ物、カプセルを飲んで、生き延びた。次も。
で、恐怖しながら押すんだけど、ふと気づくんですよ。
地球の生活だって。
全く同じだよね。
いつ死ぬかわかんないじゃんって。
ほんとそうだ。
毎回ボタンを押し続けてて、ドキドキしてるけど、ドキドキしなくていいんじゃない?って思い始めて。
しかも人間関係で悩まないよ、みたいな。最高じゃんって言って、男は空き家にあるお風呂のバスタブを見つけて、
いやーそう思ったらすごい楽になった。
こんな天国は逆にないかもしれないって思って、じゃあもうお風呂、お水を貯めて、お風呂入ろうって言って、カチカチカチカチ押し続けて、いやもう最高だなっていうところで小説が終わるんですよ。
男は目の前が急に光り輝いたように感じた、みたいな終わり方してるんですよ。
はっきりと書いてないけど、それが爆発だったのか、それとも本当に心の平安なのか。
でもそう思うと、この世は地獄でもあるし天国でもあるんですよ。
思いようってことだ。
そういうこと。
自分の捉えよう。
だからね、星真一すげーなーって、いまだにその作品、僕の中では名作だと思ってるんですよ。
ショートショートって言ってね、長くても10ページ20ページで終わるような、短いと1ページで終わるような短編を書く人なんですけど、すげーなー。
すげーは星パイセンって、あの人東大なんですよ。
東大出て、薬品会社、星製薬っていう有名な製薬会社の御曹司だったんですよ。
そうなのね。
で、お父さんが亡くなって、お父さんすごい人で、苦労して会社作って大きくした方だけど、御曹司で東大行って、でも息子さんだからついでよって言われたけど、
いやーちょっと無理だわって言って会社潰してしまったか何か、とにかく会社畳んだんですよね。
で、小説書いてそうなった方なんで。
でも星パイセンすごいわーって。
特にその話はね、すごいなって思いましたね。
なんというか、生きてる今のこの社会、世界って、身代によってはね、そんなもんなんだよなって思うし、
逆にどんな地獄に見えるところでも、身代によっては、本当に希望があるんだよっていうこと。
そう、そんなことを思いますね。
やっぱり自分の捉え方なんだ。自分の利用なんだよ。
捉え方で変わるって言葉で言うのは簡単なんだけど、気づくの、そっから抜け出すというか、気づくまではかかるし、
抜け出したと思っても、またそれは1個の段階に過ぎなくて、またその皮があるんですよ。玉ねぎみたいにきっと。
何個皮を脱ぐんだろうみたいな、何回脱皮しても何回脱皮しても下脱に至らないっていうね、下脱ね。
下脱ね。
パワーバード、抜け出す。そうなんですよ。
いや、でも面白いよね。そう考えればね、何て言うんだろう、希望が持てるというか。
なので、やっぱり自分の中で日々当たり前にやってること、家族とは一緒に住むもの、住めた方が幸せになる人も多いでしょうけどね。
住むもの、仕事には行くもの、お金は多ければ多いほど良いもの。
そうなんだけど、ある種のルールでは。それは一面でしかないよね。否定する必要ないと思うんですよ。
あまり逆に前振りしてね、逆に振りすぎると、それはそれで急に無理が生じますから。
そういう面もあるよねっていう言い方の方がいいのかなって思っていて。
で、それこそラベリングですよ。
会社員です。しっかりしていらっしゃるんですね。なんとか大学です。
ああ、将来は出世コースですね。
いや、一面でしょっていうふうに思って。
で、言いますよね、口では。楽だから。聞いた相手はね。
間を持たせるためにか、車高事例というか、話のきっかけ作りとしては言いますけど。
でも、それをね、聞く側も鵜呑みにしてもあれだし、言ってる側ってそれだけじゃないってことは分かって言えばいいと思うんですね。
そう、ほんとそうだね。分かっていればいいんだよね。
なんかラベリングすると楽なんだよね。言ってる方も。
お釈迦様が大気説法の話が何回も出ましたけど、やっぱり悟ったものって、言葉にしちゃうと本当はちょっとずれるんでしょうね。
いや、ほんとそうよ。ほんとそう。
だからね、本当に分かってる人、本当に物事をちゃんとやってる人って喋んないなって思うもん。
だから世の中には隠れお釈迦がいっぱいいると思うよ。
そう。悟った人はね、無駄なことは言わないんだ。で、分かってるから、自分の中で完結してるから言う必要ないんだ。
言う必要ないの。でも分かってないのがSNSでいろんなこと言うのよ。
ああじゃない、こうじゃないとか、ああだ、こうだとか言って、もう見たらさ、みんなこうさ、もううぞうむぞうなわけ。
まあ承認欲求とかね。もちろんそれだけじゃないけど、人に本当に教えてあげたいって思ってるから言う面もあるけど。
言わないのよ、でも本当は。
言わないのか。
言わないの。
だから結局本物ではない、本物は出てこないっていうことかもしれない。
本当にそう思う。本物は、本物、何が本物なのか分からないけどって私はすぐ言いたくなるんだけど、
これは何て言うかな、遠慮じゃなくて、自分を変えりみる都合でだよ。
だから本物はって言っちゃうと、私が本物を分かってるみたいに聞こえちゃうから、申し訳ない。
分かってないんで申し訳ないから、何が本物か分からない段階にいる私なんですけれども、
でも、もし本物っていうものが世の中に確実に存在するとして、その本物に会えるときには、私も本物になっているときだと思うんです。
本物同士というのはお互いすぐ分かるんで、何も言わず語ることはないっていう、すっごく静かな世界だと思う。
頭の中に、頭というかもう心魂の中に格納されている真理、これも宗教っぽくなっちゃうからちょっとあれなんだけど言い方が、真理というか、
何かそういう悟ったよってものが、圧縮ファイルみたいにギュッとその人の中にあって、わざわざそれを回答して、言葉にして人に伝えるという段階で、
ちょっとは変わっちゃう、ずれちゃう。でもそれも仕方ないことなんだけど伝えるためには。
お釈迦様はこの人を見て、この人ならこの言い方でせめてちょっとでも雰囲気伝わるかって言ったのかもしれない。
だからかなり降りてきてくれてるわけよ。
本当は本物の方が言う本物のことっていうのは、本物の人にしか聞き取れない話だと思うから、分かり得ないと思うから。
かなり降りてきてもらって、大気説法でその人に会ったレベルでいろんなこと言ってくれたんだと思うけど。
でも世の中にはすでにその領域に居てる隠れお釈迦がいっぱいいると思ってるんだ。
でも私ごときには見つけられないのよ。会えないのよ。本物になってないからさ。