ちょうどお便りいただいているので、ご紹介してもいいですかね。
はい、お願いします。
ラジオネーム、330、これ330って書いていただいている、330さんからいただきました。ありがとうございます。
みょうゆうさんとダイさんの優しい声が心地よいです。ありがとうございます。
先日の放送でのみょうゆうさんの、母親とあと何回食事ができるんだろうという筋の話が刺さりました。
自分の親との残りの時間もそうですが、今毎日一緒にご飯を食べている娘たちとの時間が、これから先は意外と伸びないことに気づき、愕然としました。
だからこそ、毎日を大切にしたいけれど、日々に追われ時間はあっという間に過ぎていき、取り留めもなくてすみません。次回も楽しみにしています。ということでいただきました。
早いですよね。
本当にね。
母の日とか、なんか節目節目に設定してあるのも、ぼーっとしていたらあっという間に流れていっちゃうから、
やっぱこう、一理図家的にね。
一理図家的にね。
ここはこういう日ですよって決めているのが、人類の知恵なのかなって思ったりはしますけどね。
本当そうかも。
まあね、毎年そして来るじゃない?その日付っていうのが。何か母の日に限らず、何か決めた日ってさ、繰り返し来るじゃない?
日付だけじゃなくて、桜が咲くのもそうだし、夕立が降るのもそうだしなんだけどね。
毎年同じようなことが起こるからこそ、わかることってあるよね。
うん、わかること。
去年の桜と今年の桜って違うじゃない?
でも桜は同じなんだよね、きっと。
じゃあ何が変わったの?って言うと、自分が変わってるってこと。
だから例えばさ、去年の桜はお母さんと一緒に見たけど、今年の桜は一人で見たなって人だっていらっしゃると思うんだよ。
でも桜は変わらないじゃない?
でもこちら側が変わったんだよね。
で、そのことでさ、いろいろと自分が今どんなコンディションなのかとか、どんな時の流れの中にいるのかってことは、同じものがあるからこそわかるってこと。
だからある意味、地球とか自然現象はずっと変わらず繰り返されてるけど、
自分の立ち位置が変わっていって、見え方とか角度が変わってくるっていうのが実感できるっていうことか。
だってさ、その桜ってね、仮に今年私が儚くなっちゃったとするじゃない?
でも来年また咲くんだよ。
そうするともう私はこの世にはいないけど、桜は変わらず咲いて、
で、それを見ている、私がかつていた時に話をした人とか、愛した人とかがそれを見てるんだなって、そんな感じするじゃない?
でも逆に遡ればさ、私はまだ生まれてない時にもその桜は咲いていたんだよ。
そうすると私っていう存在がこの世にないのに、その桜はやっぱり咲いて、
で、その時にいずれ私を迎え入れてくれるであろう人たちが、その桜を見てたんだよ。
なんかさ、そういうふうに考えるとさ、ものすごくこう、流れを感じる。
そして、同じであり続けることはないんだなってしみじみ思っちゃったりする。
本当にね、同じで自分がね、まあ本当に人間なんてふわふわした存在だと思うし、
昨日の自分とも違う、感じ方は違うし、なんか日常的な例で言うとね、同じラーメン食べても毎日味が違うみたいな。
確かに。
この間より全然、まあ美味しく感じたり逆に感じたりあるんでしょうけど、自分が変わってるんですよね、そういうのってね。
だから結局その現実、世の中、世界ってものっていうのは、自分のセンサー通ってきて、自分の脳の中に再生された情報が世界なわけじゃないですか。
だからフィルターが変わったり、体のコンディションが変われば、世界変わっちゃうんですよね。
確かに、ほんとそう。
ということは逆にね、ああ俺は不幸だ、なんて悲しい世界なんだ、辛いことばっかりで、っていうのもフィルターを少しずつ変えていくってところが、もしかすると努力なのかもしれないんですけどね。
そうだね、自分が変われば、世の中は変わるんだと思う。そうなのよ。
これもさ、こないだの話になるから、そうなのよ。これはさ、分かるよね、ゆえ、みんな多分、あ、そうかって、世の中そんなに、むしろなんか自分の思い通りにならないんだから、自分が変わればいいんだって、分かってんのよ。
だけど変われないから、苦しいんじゃないね。
変わるって言っても、いろんなレベルがありますけど、変われないっていうのは、何ですかね、どこにハードルがあるものなんですかね。
いろんなところにあると思う。例えばこう、知らず知らずのうちにこだわってる、これも自分の中にあるんだけど、こだわり、べきだとかさ、じゃないとダメとかさ、そういうのがある限りは変わらないじゃない。
だから、そこを変えられればいいんだよね、今度はね、べきをやめるとか。
べきをやめるってすごい難しいことだなって最近よく思っていて、今日ね、この収録に来る直前もですね、やることがめっちゃあったんですよ。
大変だったね。 今、廃品回収者来てるな。廃品回収者です。
わーい、回避、なんかどうしよう回収されたら私。 いやいや、回避じゃないですから。完全に持ってかれちゃいました。
収録の場所、壁薄いんですいませんね、みなさん。
マイクが揃ったりとかはないけど、べきがね、ご飯を作っておかなきゃいけない、家族のために。今日遅いからとか、あとスーツをちゃんとブラシかけなきゃいけない。
で、何だったら、他の持ち物も忘れちゃいけない、あの人にLINEしなきゃいけない、その前に段取りがあれこれあって銀行に行かなきゃいけない、いっぱいあったんですよ、べきが。
でもね、冷静に考えたら、本当にそれ必要?みたいなことも時にはね、考えないといつの間にか積み上がっていくんですよね。
いや、もちろんいつかはやらなきゃいけないことなんだけど、最優先どれよとか、すごくそこはね、わかんなくなる、なっちゃう時ってどうしても意味があるし。
あるある。
で、それが長年積み重なったままの人もいるんですよ。男はこうあるべきだ、社会とはこうあるべきだ、仕事とはこういうものであるとかね。
それで苦しむ、自分が自分を苦しめてるみたいな。
ある意味そういうのってさ、味方を変えれば、とっても真が通ってる人だとかさ、主義主張がある人だとかさ、あれこれやらなきゃいけないっていうのだってさ、思いついたらね、
今やる、なんか昔、昔じゃない、今もいらっしゃるね、いつやるの?今でしょ、それは下延ばしにしないで今やんなさいって、それも味方の一つとしては大切なんだよ。
それで上手くいってる時はそれでいいと思う。それでどんどんやればいい。いつやるの?今でしょ、だったり、これやるべきだったり、男とはこうあるべきを守ってて、上手くいってる時はオッケー。
でも疲れたなとか、ちょっと最近上手くいかないなって思った時にそれを捨てられるかどうかなる。
疲れちゃった、もう上手くいかないのにも関わらず、べきだけいっぱい背負ってたら、それはきついじゃない?
だから押すことだけじゃなくてね、引くとか変えるってことも、まあ選択肢として持っていればいいってことですよね。押せる時は押したらいいんだけど。
そういうこと。で、そのべきをさ、例えば男だ女だって言うと最近は問題があるけど、でも男はこうあるべきって思っているとするじゃない。
上手くいってる時はそれでいい。でもなんかすごく疲れてきた。その自分自身でそのべきを捨てたい。本当はね。
でも捨てたら自分じゃなくなるとかさ、それとか男として失格になるとかさ、そういうことを考えるじゃん。だからできなくなるわけよ、べき捨てるのが。
全然捨ててもさ、変わらないと思うけどね、私。
誰が失格の判定を下すんですかって話ですよね。
自分じゃなくなるとかさ、仏教的に言うともともと自分がないもんで、だからその自分にこだわってるわけ、今度は。自分があるということにね。
だからなんかそういうべきべき、あるべき、あるべき、あるべきべきべきがあって。
べきべきの檻がね。
そう、きついんじゃないって。
本当にきついでしょうね、それ。
あるなんかべき。
ありますよ。だから自分の中でも父親とか親に擦り込まれてきちゃったものがあるんですよ。
うちの親なんか特にべきべき人間でしたから、男とはこうあるべきだとか、大学出たものはこうあるべきだとか。
さっき僕が言ったことほぼその父親の口癖ですよ。
だけど、これもまたいつも言ってるように、それをメタ認知するというか、自分でそういう考えが自分の中にあるのねってことを今みたいに言語化すると、それだけでも半分ぐらい解決してる気がしていて。
それ知ったってことは選ばないこともできるんですよ。
そうだね。
そうすると、べきべきの人はですね、べきべきの人はもうそういう選択肢がないかもしれない。
当然それしかないでしょ。生きるってそういうことでしょ。
そうだね。それはそうかも。周りも見えるだろうしね、確かに。
自分っていう幻想の殻の中に入り込んでしまって、
そしてそれを守ろうとしたら、周りは見えないよね。
でもね、何十年かしたら存在自体がなくなってしまう、ただの入れ物なので、
って言っちゃうとすごくなんだかサイコパスみたいですけど、でもそうじゃないですか。
本当そう。
だから何のためにより良く生きたいとか、お金稼ぎたいとか、どうこうしたいしたいって言ってるのかなってふと思うと、
まあ手放していいものもそこそこあるよね、みたいな気はしてるんですよね。
ただ単に、なんか自分から命を断つとかね、そういうことをするのは、
まあいつでもできることなんだから、死ぬのはいつでもできるって言ってもいいんですけど、
確実にできるんだから。
今やらなくても良くないって言って生きてるぐらいでもいいのかなって思う時ありますね。
そんな気がする。それはそうだよね。
やっぱり頑張ってる時ほど、ふとパッて、息を抜いた瞬間にそういうこと思う時がありますね。忙しい時とかね。
ある意味レスパイトなんだね。休憩なんだよね、きっとその考え方が。
レスパイト?
何て言うのかな、そのギューギューに頑張ってる状態から、自分自身がちょっと抜けて休憩するっていう。
本当に無我夢中って言うじゃないですか。自分も分かんなくなっているという時もあるけど、
まあでも、本当は一番理想的なのは、自分のクローンを作ってですね。
一緒にポッドキャストやりたいですよね。どうなの?みたいなことを言って。
そんな客観視できることないと思いますけどね。
怖い思いすんだろうな、いろいろ。自分ってこんな喋り方してるんだとか。
嫌だな、それ。
嫌でしょ。鏡見てもダメなんですよ。鏡見て、鏡見ると人間ってつい自分の顔をいい顔にしなさい。
そりゃそうだよ。
いい顔をカッコつけちゃうから。じゃなくて、自分のクローンが来て。
嫌だな。いらないな、この世の中に。
嫌ですか?
自分もう一人なんてこんないらないな。
もう一人いたらいいのになっていう人はいっぱいいる。
そういうこと?自分がじゃなくて?
自分がじゃなくて、自分はもういいよ。これはもう別に一人いればたくさんなんだけど。
他の人で、周りにいる人で、この人二人いたらいいのになって思ったりすることあるな。
本人だって、俺は二人はやらないわって思ってますけど。
秘密でクローン作って持って帰りたい。
ちょっといろいろお願いしたいことがあるんですけど。
お願いしたりとか、座らせといてめでたりとか。
めでたいんですか?すごいですね。そんな発想なんですね。
びっくりした。そんな話出てくると思うんだ。
ご飯あげたりとか。
鑑賞用なんですね。人なんですね。
それ動物とかではなくて、この人が出るんですね。
すごい話が出てきましたが、そろそろお時間でございまして。えらいこっちゃな。
最後の方で急カーブ曲がってびっくりしましたけど。
ということで、ハトグミホームルームでは皆様からのお便りとかメッセージをお待ちしておりまして。
こんなこと思ったよとかね。こんな感想だよとか。
最近こんなことがありました。何でも結構ですのでお寄せいただければと思っております。
またですね、このハトグミホームルームのZoomでお話しましょうの回みたいなのもやっていけたらと思ってますので。
この曜日のこの時間帯ぐらいにやりたいですみたいな要望がありましたらぜひ開催を検討しますので。
それもお寄せいただければと思っております。
はい、ということでハトグミホームルーム第19回目でございました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
今週も最後までお聞きいただきありがとうございました。
お聞きのアプリで番組のフォローとレビューをお願いいたします。
概要欄にありますリンクからお便りやハトグミホームルームオンラインへの参加表明も受け付けております。
お気軽にご連絡ください。
それではまたお目にかかりましょう。
ご機嫌よう。さようなら。
この番組は人生に花を咲かせるポッドキャスト番組をお届けするライフブルーム.ファンがお送りいたしました。