そうですね、それいいですね。
面白いかもね。
最近、稽古場で舞台の稽古をするときも、最初にメンバーに緊急報告と、
今日の元気度は1から10で言うとどのくらいですかって聞いてるんですよ。
意外といいなって思って。
みんな結構ね、セキュララに言ってくれるから、0.2ですとか。
すごい弱い。
限りなく10に近い9ですとか、みんな元気なやつもいれば、すごい前々の人もいるっていう。
私、イメージね、お芝居やってるような人って、常にマックス10なのかと思ってた。
いやいやいやいや、全然そんなことないですよ。
そうなんだ。
もうみんな何かしら屈折したもの抱えてる時もあるから。
それこそ、逆に言うと、お芝居とかいろいろ表現活動って、人間のダメな部分も表現していくとかもあるから、
完璧超人だとですね、逆にそういう弱い人の、台本に書いてある人の機微がわからないというのもあるので、
繊細な人も多いですよ。繊細な人がいろいろ抱え込んじゃったりして、いろいろあって。
体力的にっていう場合もあると思うし、抱え込んでヘロヘロってなってて、でも稽古場には来てっていうことはちょいちょいありますね。
そうなんだね。でもいいよね、そういうのがわかるとね。
わかったからといって、何か具体的にその子に何かエネルギーを与えるとかいうことは急にはできないんだけども、
知っておくっていうことですよね。
いいよ、それだけでね。
確かに確かに。
何かいい感じがする。
なるほどね。
そういう心がザワザワするとか落ちている時とかに、何をするんですかってこの間聞いたんですけど。
で、歩くっておっしゃってましたけど、歩く瞑想っていうのもあるっていう話があって。
瞑想ってそういえば前、妙儀さんにちょっとだけ、瞑想のレッスンというかワークやっていただいたことは僕あったんですけど、見事寝ちゃいまして。
後半は特に。
なんか瞑想のまだ心の置きどころがわかんないですよね。
瞑想ってどういう心持ちで何か望むのかとか。
確かにね。
それによってどう気持ちが変わるのかってことを、あんまりまだ心を食ってないような気は僕はするので。
歩くでもできるし。
私はね、もっともっと瞑想を極めてる方々のおっしゃることはまたそれで聞いて欲しいんだけど、
私ぐらいの感じだと、瞑想ってどんな心持ちになるっていうよりももっと手前で、意識の矢印を全部自分に向けるっていう時間かなと思ってるんだよね。
普段私たちの矢印ってさ、絶対外に向いてるじゃない。
今だってこうやって話してるから、私の矢印は第3に向いてるしさ。
それからあと外の環境に向いてたら今日いい天気だなとかさ。
概ね外に向いてるんだよね、私たちの矢印って。
だからそれを1日に1回ぐらいは全部畳んで、自分の中を見るみたいな。
矢印の向きを変える。
今自分がどんなことを思っているのかなとか、どんなことを抱えているのかなとか、心の中にね。
あと体のことも、足首痛いなとか、今日は頭が冴えてるなとかさ。
そういう自分自身のCTスキャンみたいなもんね、ボディスキャンみたいなものも兼ねて、
そういう時間だっていう気がするんだよね、瞑想って。
じゃあこう瞑想って無ではなくて、自分の外からの情報は入れないけど、
自分の体のね、あちこちを点検したりとか、心の感じを確かめたりしてるっていう感じですか?
感じかな。ただそれをずっとやってるっていうか、それをやってるうちにもうそんなの飽きちゃうっていうかさ、
何十分、二十分、三十分もやることじゃないから。
そっからまず矢印内側に向けて、最初は自分の中見るけど、
そのうちに何もしなくなるっていうか。
最初に外に向けた矢印は畳んでるじゃない?
自分に向けた矢印ももうやっちゃうとやることなくなるじゃない?
そうすると何もしない状態になる。
例えばその時座ってたら座ってるだけになるし、歩いてたら歩いてるだけになるし、みたいなイメージかな。
寝てるわけじゃなくて、意識はちゃんと動いてるというかあるんだけど、
でもだからと言って具体的に何か考えてるわけではなく。
わけではない。でも沼みたいなところにポコって時々何か出てくるみたいなものもない?
イメージが急に海が見えたとかさ、イライラっていうのが戻ってきちゃったとかさ、
そういうのをボコって出てくるのを、あ、出てきたな、はい終わりみたいな。
そこを追っかけない。追っかけちゃうとまた矢印が外に向いてっちゃうから。
追っかけるとさ、何であの時ああいうこと言ったのかな、言わなければよかったなとか、そっち行っちゃうじゃない?
だから、そう思うのが出てきたな、はい終わり。
次に何が出てくるかなって見てるみたいな。
眺めて終わりってことですね。
それに対して具体的に取り組んで考えようではなく、今の話聞いてると、
例えば過去にあったこととかもポコって急に思い出されてきたりするじゃないですか。
でもそれに対してあの時だなって言い出すと、また意識が今じゃなくて、
過去にあったし、未来の心配したりとかじゃなくて、本当にもう時も止まってるというか、
今自分の中見てるし、将来のことを憂うとかもなければ、過去のことを悔やむとかもなく、ただそこにいるというか。
ポコって出てきたら、出てきただけ。
それ消えていくからね。追っかけなければ。
なるほどね。
追っかけるから消えないんだよね。
深いな。それ追っかけちゃうんですよね。
そうなんだよ。
それこそ瞑想一つしましょうって言っても、変な話、成果を得たいから瞑想しに来ましたみたいになると、
メンタリティが多分違うのかなって聞いてて思って、これによって私は健康になりたいですとか、
いつかはそうなるかもしれないけど、こうそういうこともないですよね。
あと無になるとか、精神性を高めるとか、そういうイメージがあるけど、多分違うと思う。
それは本当におまけ?だから何がくっついてくるかわかんない。
グリコのおまけみたいなもんだよ。グリコ知ってる?
知ってますよ。
本当に?
急に。
最近の若い人たちグリコのおまけなんて知らないだろうな。
おもちゃついてましたよね。
ついてたついてた。でも何が出るかわかんないじゃない。
でも本来はグリコはキャラメルだったんだから、グリコはおまけだったじゃん。
なんていうんですか、瞑想自体もまだできてないというか、
ほませんとなっちゃうってことですかね。
邪が入ってくるよね。
邪念雑念が。
瞑想、まあ言い方なんですけど、もっといい加減なものというか、
いい加減というのもなんですけど、そんなに大行なものではなく。
うん、と思う、私はね。
例えば寺じゃなければできないとか、静かなところじゃないとできないとか、
そういうんじゃなくて。
前美容師さん電車の中でもできるとか言ってたし、
全然できると思う。
そうなんだと思って。電車の中でできます?
できるよ。だって矢印畳むんだもん。
だから実際物理的に耳はもしかして音を拾ってるかもしれないけど、
自分の中でスッと内側に意識を受けるっていう。
その音を拾うのも大事っていうか、
今普通だったら、隣の人がヘクションとか拍手のみしたらさ、
この人風邪引いてるのかな、やだな、映るの困るなとかさ、
それってもう思考が走っちゃってるじゃない。
だから瞑想しようと思ってるときに、
ハクションってくしゃみの音が聞こえても、
あーくしゃみだな、終わり。
っていう練習をする。練習っていうか、そういう音に対する感覚。
なるほど。
なんか自分の中で起きた、そういうポコって出てきた雑念だけじゃなくて、
外からそういう概覧というか、入ってくるものに対しても、
追っかけない。
別に静かな環境じゃなきゃいけないってわけじゃ全然逆じゃなくて、
それをただ眺めて、何々駅着いたなとか。
終わり。
終わり。
瞑想してたら乗り過ごしちゃいません?
そういうことは起きそうですけどね。
目的駅着いたなって。
降りるとやっぱりアクションを取らないと。
でも今瞑想がすごくいい感じだから、あえて行こうかってなったら、
それはすごいですけどね。
まあね、確かにね。
ものすごい本当にいい感じで瞑想してたら過ぎていくんだろうね。
そうですか。以上っていうことですね。
そこまでさ、できてないから。
凡人だからさ、自分の降りる駅が近くなると、そそくさと降りるけどね。
そうですよね。
降りるけどね。
本当にね。
それは相手のこともあるからね。
例えば待ち合わせしてるとかがあったら降りなきゃいけないですけど。
でも瞑想のスタンスってちょっと今聞いて、少しだけまた変わったなと思いますね。
もうちょっと難しいというか。
そうだね。
まあもちろん、寝ちゃうとかはどうしても起きるんですけど、何て言ったらいいのかな。
もう少し体操のものだと思ってたんでしょ。
いや思ってましたし、結構瞑想すること自体に修行がいるみたいなイメージはあった。
瞑想するための環境を整えなきゃいけないとかね。
そうそう。
自分自身も瞑想するだけの何かスペックっていうんだっけ?がないとダメだみたいなね。
なるほどね。
感じに思いがちだけど、そんなことはないと思う。
歩きながらできるって言ってたのも、
全然できる。
言ったら、足が動くままにただ、足が動いてるな、鳥が鳴いてるな、道路が凸凹してるな、をただ感じてれば良くて、
それは別に目で、もちろん目が開いてないと転ぶから。
開いてるけどね。
自分が入ってくるじゃないですか。それでも瞑想っていけるっていうのはすごいな。
そう、追っかけない。
追っかけないんだ。
これだ、終わり。何だろうあの鳥?とかさ、こんなところにいるのかな?とかさ、そうなっちゃうじゃない?
興味、僕は好奇心旺盛な人間だから、
どれなの?
あの人何してるんだろう?ってなっちゃうんだけど、追っかけないね。
追っかけない。
追っかけないっていうワードはいいですね。
追っかけない。
その、惑然とぼーっとしてくださいではなく、どうやっても何かしらはね、目に入ってきたり耳に入ってきたりするものを、追っかけないっていうワードってすごくいいなって。
だって認知はしちゃうよね。
しますよね。
だって認知することが生きてることだからさ、
あ、ね。
認知しなくなったら、それはやっぱりお釈迦様は言ってたよ。生きることとは認知することだって。
それね。
認識することだって。だから認識しちゃうのは生きてる証拠だから、
あ、鳥だとか、でこぼこだなとか、いい天気だな、暑いなとか、認識するよね。でもそれを追わない。追っかけない。
なるほど。やっぱ我々はね、何か常に追って追って生きてるじゃないですか。
そう。
そういう時ももちろん必要なんですけども、
もちろんね。
それをあえて止めてみるみたいなことをね、取り組む時間を作っていけたらいいですよね。
1日に5分でもね、10分でもね。
なるほどね。ということで、あっという間に、今回もお時間でございますので、
ちょっとその、また生きるってなんだっていう話とかもちょっと出たんですけど、そこもまた追っかけてみたいと思うので、
追っかけちゃうなね。
追っかけちゃう。興味はありますから。
ポッドキャストだから一応そこを追っかけてみようかなと思っておりますので。
ハトグミホームルームですね、メッセージ。生きていてこんなこと思ったよとかね、単なる感想でも構わないですね、このポッドキャストに対する。
でも、なんかこんなしんどいことがありまして、っていうことも送っていただいてもいいんですが、
別にだからといって劇的な処方箋を期待しないでいただきたいと思っておりまして、
僕らがそうなんだねって、ふわっと受け止めて、それこそ追っかけないでですね、受け止めつつ、
こう話の種させていただいて、もしかしたらね、それでなんか少し気分変わってくれたらいいなぐらいのことでございますので、
送っていただいたり、あとハトグミオンラインということで、
Zoomでの会もやっていきたいと思っておりますので、ぜひお便りいただければと思います。
それではまた次回お会いしましょう。
今週も最後までお聞きいただきありがとうございました。
お聞きのアプリで番組のフォローとレビューをお願いいたします。
概要欄にありますリンクから、お便りやハトグミホームルームオンラインへの参加表明も受け付けております。
お気軽にご連絡ください。
それではまたお耳にかかりましょう。
ご機嫌よう、さようなら。
この番組は、人生に花を咲かせるポッドキャスト番組をお届けする、lifebloom.fanがお送りいたしました。