1. くうねるはなす
  2. 負けは自滅が殆ど~今にフォー..
2025-02-15 31:19

負けは自滅が殆ど~今にフォーカスして未来は覚悟する

コニタンが自転車で派手に転んだ時の心の動きを説明してくれていて

声をかけてくれたおじさんに怒りを感じたことも含めて

その痛みとか感情に意識を向けると、それが緩和していくっていう…


コニタンの人生中毒:https://creators.spotify.com/pod/show/u30b3u30cbu30bfu30f

しゅらの"今ここ"ラジオ!:https://creators.spotify.com/pod/show/55841


収録日:1月11日


#くうねるはなす


大泉こぐま治療室:https://x.com/kogumasensei1

シュウの放すラジオ:https://creators.spotify.com/pod/show/sakashushu


ご意見、ご感想、ご質問等、お気軽にどうぞ

メール:kuuneruhanasu@gmail.com

サマリー

このエピソードでは、人生の勝敗の多くが自滅によるものであるという視点から、平静さや覚悟の重要性について語られています。特に、ビパッサナー瞑想が感情を認識し鎮める役割を果たし、未来への覚悟を持つことが強調されています。また、映画「マトリックス」を通じて瞑想や仏教の概念が探求され、自分自身の意識の変革を通じて世界をどう変えていけるかが議論されています。ネオの経験は個々人の内なる力と関連付けられ、違和感を感じながら生きる重要性が強調されています。

感情の認識と緩和
前回からの続きです。
言ってもらえることなんてないから、というところで、わりと心配して声をかけてくださったにもかかわらず、
結局、僕に対して何のメリットもない、声かけだから、というので腹が立っちゃった、というのが、僕の中での内政の分析ですね。
それは、ちなみに瞑想はガッツリして、しばらく経ってからの出来事ですか?
もちろんですよ。
でもやっぱりあまりにも痛みが強かったから、そうすると自分が用いる思考の容量というのがどうしても限られていくんですよね。
余裕がどうしても少なくなっちゃうから、やっぱり感情的になりやすいかなと思います。
けがをしたりとか、大きな病気をしたり、今その時点で大きな苦しみがある場合というのは、
やっぱり感情的になるというのは、人間として、動物として当然の反応なんですよね。
でもそこをきちんと、痛いなら痛いで、きちんと今僕は痛みを感じている。
怒りを感じたら怒りを感じたら、僕はこのおじさんにちょっと怒りを感じている。
というのをきちんと把握しておけば、そこからシュッと消えていくので、瞬間瞬間ですけど。
消えていく?
そうですね。緩和していくというのがちょっと近いですかね。
把握してあげて、認める。痛みとか感情とかを認めてあげることで、それが和らいでいく。
それはビパッサナー瞑想の効果としてですね。
そこでやっぱり平静さを保っていく。というのがビパッサナーの大事なところなんですけど、
例えばそこでそのおじさんに怒りを感じて、うるせえよみたいな話をしちゃうと、またちょっとおかしなことになりがちじゃないですか。
あとは痛みでどうしようもなくて、パニックを起こして救急車を急ぎで呼んでもよかったんでしょうけど、
何がしかパニックを起こしたりすると、やっぱりどうしても悪い方向に物事って行きがちじゃないですか。
そういったミスというか、変な方向に行かないようにするために平静さを保っていることができるというのがビパッサナー瞑想の良さかなと思います。
人生の勝敗と自滅
平静さを保つって多分結構すごい大事で、ちょっと話のべきと変わっちゃうかもしれないですけど、
前ちょっとしゅうさんにチラッと話したんですけど、勝負行動ってあるじゃないですか、いろいろと。
サッカーだったりとか格闘技でもそうですけど、ほぼほぼレベルというか実力が逆行している者同士で戦うとして、
どうしても勝ち負けってつくじゃないですか。
その場合に、これは桜井翔一さんという麻雀の鬼という人が書いていた本に書いてあったんですけど、
その人の勝ち負け感としては、勝ち負けの負ける方は自滅がほとんどというのを書いてあって、
確かにそうだなって思って、勝つのは不思議と勝つことが多くて、
もしかしたらすごい実力が足りなくても勝っちゃう時があったりするじゃないですか。
そういうのも結局相手が平静を保てなくて、結局いろいろミスを繰り返して、
そのミスに対してまた反応を繰り返してどんどん自分から自滅していっちゃうというのがあるんですけど、
それに人生もすごい通じるところがあって、ある程度平静さを保って、
自分は今ミスしちゃった、今焦ってるな、じゃあ次どうしようみたいな感じで、
冷静に保っていれば勝てる確率というのはまた上がっていくんですけど、
やっぱりそこでパニックを起こして変な手を打っちゃうと、
どんどん悪臭になっていって負けちゃう、みたいなことが起こり得るんですね。
それを防ぐためにやっぱり微発作な瞑想というのが非常に有効だなというのは感じますね。
覚悟の重要性
ちょっと今話を聞いてて一つ危ういなって思うところがあるんですけど、
例えば、さっき転んだ時には骨は折れてたんですよね。
その時に自分は、これは骨は折れてるだろうけど、他は大丈夫そうだっておっしゃってたじゃないですか。
他に大きい怪我がなかった。
その認識自体が間違ってることも人間って多分あると思うんですよ。
もしかしたら骨折れてる上に頭も打ってて、今は意識がはっきりしてるけど、
この後、もしかしたら5秒後に気を失うかもしれないみたいな時にも、
大丈夫ってその時の認識が強いがゆえに人に助けを求められなくなっちゃったりすることもあるんじゃないかっていうのをちょっと考えちゃって。
なるほど。
ちょっと考えすぎた。
でも確かにそれはあり得ることでして、確かに痛いな。
でも後々、もしかしたら脳に、実は自分が気づかないうちにダメージを受けていて、
あと5分後くらいに倒れるか知れないとかって感じたら助けを求めるべきだと思うんですけど、
仮に自分が倒れるかどうかわかんないみたいなところもあるじゃないですか。
それに対しては僕らってどうしようもないんですよ。
どうもしようがないから、そこはもう倒れるしかないなっていうのが僕の見解ですね。
もう倒れたら倒れたで、そこはそれでも仕方がないし、そこに執着してもしょうがない。
あんまりその先のことを回り道して考えすぎることがパニックにつながる可能性ってものすごく多くて。
僕はもう今自分ができる最大限のこと、今自分が感じている痛みとかダメージについてどう対処するかっていうのを最大限考える。
それをした上で何かが起こってしまったらもうそれは受け入れるしかない。それが覚悟っていうものなんですね。
仏教用語でいう覚悟なんですよね。
自分が決めたことによってどう転ぼうが誰のせいにもしない。
自分はそれで受け入れて死を受け入れるみたいなところが覚悟だと思うんですけど。
何が痛いかっていうと。
なんかあっても。
結局は今にフォーカスするんですね。さっき言ってたように。
明日と昨日ではなくて、今できることにフォーカスして、そこだけに集中して、あと未来のことは覚悟して進めるしかない。
っていうのが僕の考え方というか、ヴィパス様の考え方ですね。
そうなんですよ。
絶望したりするのはやっぱりそういうトラブルが起きたときに、あまりにも1点、2点先の悪い方の未来を予測することから起きちゃうんですね。
例えば、先を見すぎて自分が倒れちゃうんじゃないかと考えて、これは死ぬかもしれないって言って、おじさんに助けを求めたりすると、またそこでトラブルが発生する可能性もあるわけじゃないですか。
あとは、これはもう、例えば顔がものすごく傷だらけかもしれなくて血がいっぱい出てて、この顔じゃ女の人だったらお嫁に行けないみたいな感じで、もう絶望して自殺しちゃうかもしれないじゃないですか。
でも実は血がいっぱい出てるけども、実はそんなに傷が深くなくて、全然綺麗に戻る傷なのに、先のことを考えて考えすぎてしまって絶望して、そこで安易に死を選んでしまうみたいなことって結構大々にありそうなことなんですけど、
結局それってあくまでも自分が明日のこととか未来のことなんて妄想でしかなくて、その絶望っていうのも結局は妄想でしかない。
だからそこでパニックを起こして人を傷つけたり、自分を傷つけてしまったりっていうのは間違えている。
だから今できることを最大限にやっていく。それしかない。それが覚悟ですね。
覚悟って、目覚めるの覚めるに悟るじゃないですか。
確かに。
どういう意味なんですかね。
意味は生きていきたい。
なんか悟るって、そのなんだっけ、瞑想の行き着きたい先じゃないですよ。
覚悟っていう言葉に悟るっていう字が入っているなと思って、しかも悟るだからすごいすごそうっていう気がして。
悟りに目覚める。
今ネットで調べたんですけど、確かに僕が言ったようなことが書いてありますね。
危険なこと、不利なこと、混乱なことを予想して、それを受け止める心構えをすることですね。
危険とかそういうことなんですか。
2つ目が、これも仏語って書いてあって、迷いを脱し真理を悟ることですね。
っていうところですね。
良かった、あんまりそんなに外れたことは言ってなくて良かった。
平成さを保っているとこれ以上に良いことだと思います。
なるほどー。
でもやっぱり今見てて、結構覚悟が少ない人は少ないなっていう気がしてて。
結婚とかもそうなんですけど、結構みんな、僕も離婚者なんで全然言えないんですけど。
僕もあんまり何も言えません。
ここでセーフなのは修羅さんだけじゃないの?
結局、どう転んでも自分がきちんと死んでも構わないぐらいの覚悟が。
いろいろな人生の場面って必要なんですけど、結構それが少ない気迫な人が結構多いなっていうのは感じますね。
要するにそれが事件になっている気はしてますね。
なんか、修羅朱朱朱でも話したと思うんですけど、
瞑想の俺の師匠に言われたことなんですけど、
まずは決める、決心、それこそ覚悟する。
それがもう9割、9分と言っても良いかなっていう風に言われたんですよね。
まずは決める。
さっきポニターさんが、もう死んでもいいって言ってたっけ?
そういう覚悟を決めるみたいなことを言ったんですけど、
何か問題が起きたらそれと対峙するということを決めることだったり、
その覚悟を持たずに、こうなったらどうしよう、ああなったらどうしようってどんどん展開するよりは、
展開していくとあんまり問題は解決しなくて、
どちらかというと覚悟を決めて、決めるだけで、
全然自分が思ったのと違う方向で問題が解決するみたいなことが起こったりするんですよ。
聞こえなくなっちゃった。覚悟を決めて以降が。
覚悟を決めて、聞こえてます?大丈夫ですか?
はい。
覚悟を決めて、その問題と対峙するっていうのを決めた瞬間に、
自分が想像してもないような方向で問題が解決するっていうことがあるんですよ。
問題が…までしか聞こえなかった。
問題が解決するということがあるんですよ。
覚悟を決めた時点で解決することがあるってこと?
そうそう。自分は何もしてないのに、問題を解決しようとすらしてないのに、
覚悟を決めただけで問題が解決するっていうことが、実際にそれを体験したこともあるし、
それほど決めるっていうのが大事なんだなと。
めっちゃ大事ですよね。腹をくくるとかいいじゃないですか。
腹をくくるっていう言葉、あれが覚悟に結構近くて、感覚としては。
あの感覚をきちんと持つと、前向きに物事に対して対処できるようになるんですね、潔く。
たぶん仏教とか、覚悟っていう言葉って武士道とかにも結構通じてるところがあって、
戦国時代だと片物を守ってる時代っていうのは、いつ死んでもおかしくない時代なんですけど、
やっぱりそこで胸張って堂々と生きていくために、覚悟っていう心構えっていうのがすごい大事だったろうなと思うし、
先ほどしらさんおっしゃられたように確かに覚悟をすることで、腹がくくられて、腹が決まって、
きちんとどういうふうにしたらいいのかっていうのが明確に判断ができるようになる気がしますね。
そしてなぜか上手いことを言ったりするんですよ、師医と。
これを僕はダンマの力って呼ぶんじゃないかなって思ってたりするんですよ。
ダンマとは何でしょう?
ダンマとは、結構これ自分の人生中毒では言ってないんですよね、あえて。
ダンマっていうのは、日本語では法とか法っていう字、法律の法って書いてダルマとも呼ぶんですけど、
結構仏教的な観念というか言葉なんですけど、
何と言うのかと言いますと、すごく説明が難しくて、だから僕も人生中毒の中では言わなかったんですけど、
かなりスピリチュアル的な部分の要素も含んでて、
要するにこの世のこどわり、真理のことを僕はダンマと呼ぶと思ってるんですよ。
これはすごく言語化するのがほぼほぼ不可能なことであって、結構運命とかを見たりするところも含めてダンマだと思ってて、
それを悟ったお釈迦様は分かったんだけど、そのダンマっていうものが。
自分には分かったけど、これは多分人に説明しても分からない。
大徳しないと分からないものだなと思って、言葉にできなかったんだと思います、これだけは。
でもそれを見るための技術、テクニックとして、瞑想っていうのを弟子たちに広めていったっていうのがあると思うんですよ。
だから人間の力だけでは及ばない領域で、真理の泉っていうのが僕、だからダンマだなと思ってます。
結構運とかもそこから来てるって思います、僕は。
瞑想と仏教の概念
もっとビジュアル的なイメージ化をして話をさせていただくと、マトリックスっていう映画があるじゃないですか。
文字がバーッと流れて、世界を形作ってるみたいな。
あれってすごくダンマを表してるような気がしてて、僕はあの映画すごく好きで何回もずっと見てるんですけど、
何回見ててもすごい仏教と近いものを感じる。
結局コードっていうのが全部世界を構築していて、目に見えるものだったり皮膚で感じる感覚もコードが全部つかさどっていて、
自分が例えば瞑想することによってそのコードを自分の中で書き換えることができるようになると、
それが周りのコードにも反映されていって、
例えばうまくいかなそうだった物事がうまくいくみたいなふうに運んでいくみたいなのがダンマとかのイメージですね。
あと覚悟によって起こる作用のイメージがそれですね。
これがなかなか飛躍した話になりすぎちゃうので話さなかったというところですけど。
あんまり飛躍してるような感じも受けないですけど。
ずっと瞑想の話を続けてきたから、人生中毒で話せなかったけどこの場では話せたっていうふうに感じてもらえて嬉しいですね。
直接お会いした時に実はダンマの話聞いてたけど、録音してなかったから、今聞いてよかったと思って忘れてたと思って、
ちゃんと音源に残ってよかったです。
よかったです。僕も話せてよかったです。
マトリックスの映画の中ではネオが要するに悟った状態になったから、
あの世界の中で飛んだりとか、自分の思うままに行動できるようになるじゃないですか。
はいはい。
ということは目指すべきはネオってこと?
そうですね。近からず。ネオですね。
そうですね。ネオですよ。
仏教って結局自分が思ったように世界が変わるっていう、
識即是空、空即知識っていう考え方があるんですけど、
そことも通じてるんですけど、
ネオみたいに世界を変えていくみたいな力っていうのは、
個々人に秘めたパワーとして絶対あると思うんですよ。
それを存分に発揮していきましょうねっていうのが、
瞑想の業務であり、目指すところではあると思います。
ネオと違和感
マトリックス、俺も大好きで、
瞑想に出会ってからマトリックスを初めて見てるんですよね、俺は。
聞こえてますか、しゅうさん。
瞑想に出会ってからの跡がチラッとわからなかったんですけど。
瞑想に出会ってからマトリックスを見てるんですよ。
流行った時に見てなくて、俺。
なるほど。
だから、解説してもらいながらマトリックスを見てるからさらに好きなんですけど。
聞こえなくなっちゃった。
聞こえてないかな。
これ何なんだよ。
解説してもらってからまでは聞こえました。
聞こえますか。
カメラオフにしようかなと思って。
オフの方が確かに。
マトリックスが好きっていうことなんですけど。
聞こえなくなっちゃった。
あれ、一緒か。
一緒だった。
なんだこれ。
解説してもらってから見て。
解説してもらいながら見たってことね。
そうです。
すごい解説してくれる人がいるっていうのがすごいですね。
マトリックス好きなのは、ネオが違和感を感じるんですよ、まず。
あの時は、上司に言われたりとか。
ちょっと苦しい場面だったと思うんですけど。
誰しもその違和感を感じながら生きていると思うんですよね。
しらさんの大事なところになると音が消える生涯がある。
今日話すなってことなのかな。
ローカルは撮れてるんだろうけどな。
撮れてるはずだよね。
ローカルは撮れてると思うんですけどね。
聞きたいよね。
なんだこれ。
前これ、同じことがあたしにずっと怒ってて、イライラさせるからローカル撮り始めたんですよ。
ローカルがうまく合わせられればそれでいいんですけど。
その違和感っていうのが、必ず誰しもが感じてることだと思うんですよね。
それをちゃんと感じて。
どうしてもしらさんの大事な発言が聞こえない。
マイクを変えてみようかな。
神のおごしめしでしょうか。
そんなことはないんだ。
そんなことはない。
そんなことはないです。
平成で言いましょう。
大丈夫ですか。
平成で言いましょう。
聞こえますか。
聞こえますよ。
これは聞こえるんだな。
その違和感を、みんな人生生きてたら違和感何かしら感じるじゃないですか。
違和感までは聞こえました。
なんだろう。
違和感を感じることがあるじゃないですか、人生、誰しも。
それを丁寧に感じていくっていうか、見て見ぬふりをせずに。
ネオは、助言というか、そういうのもありましたけど、うさぎを追えみたいなとか。
太ったおばさん。
預言者ですよね。
預言者もいたりもしましたけど、まずはうさぎを追えみたいなメッセージがきて。
画面に現れたメッセージでしたっけ。
そうそうそう、パソコンに現れて。
で、それ、違和感を感じてたからこそ、うさぎを追おうと思ったわけですよね。
タトゥー、うさぎのタトゥーをした女性が、
あの時そういえば、うさぎを追えって言われたな、みたいな感じでおったわけですよね。
だから、人生そういうこと起きてるんですよね、誰しもが。
でも、そういうちっちゃいことに気づいていくっていうのが、瞑想であり、ヨガであり、気づきやすい体質にしていくっていうか。
なんか、全部見えるようになるのかな。
全部見えるようになる?
例えば、ネオは、うさぎだけを追えって言われたら、それに気づくようになっただけで、もしかしたらずっとうさぎはあったかもしれなくて。
直感と行動
でも、わかるようになると、すべてが見えるようになるから、わざわざ注意を向けてそれを観察しなくてもよくなるというか。
能力を手に入れたら全部見えるようになるのかな。そういうんじゃないのか。
違和感ですからね。
そうか、違和感。
違和感とか直感。直感が冴えてくるっていうのはあるかもしれないですね。直感冴えてくるっていうか。
今の現代だと、なんかこっちの道に行かないほうがいいなとか、あれ、これ聞こえてないかな。
聞こえてないことに気づきやすくなりましたね、でも。
自分がしゃべってんのに枠が緑にならないときには聞こえてないってことですよね。
そうかもそうかも。
そういうことか。
そう、なんか、えっと、なんてしゃべったっけ。
違和感が。
違和感だったり直感か。
なんかこっちの道は行かないほうがいい気がするとか。
思ったとしても、今の現代だとやっぱり合理的になんでそう思うのかとか、理由を求めちゃうと思うんですけど。
理由ないほうで、絶対こっちのほうがいいって思うこともあるはずで。
それに一歩踏み出してみる。そっちの方向に。
何も起こらないかもしれないですけど。
何か起こる可能性もあったりするので。
そういう、わかるというよりは来るみたいな感じかな。
そういうのを目指してたりするかな、俺は。
瞑想を通じてそういうのを目指しているってことですか?
そうです。ヨガ。ヨガがそもそも瞑想に深めるってことだけど。
ヨガのアーサラとか、瞑想を通じて。
次回に続きます。
31:19

コメント

スクロール