2024-08-21 46:54

#1「目に見えないものと向き合う」(株式会社ニイラ 和賀未青①) 

内容:精神保健福祉士について/目に見えない病気というもの/制服で働くことへの違和感/精神科病棟での体験/どんな生き方をするべきか考える/家族相談について/言っている言葉を数える/仕事はそれぞれ尊い/自分の体の内側に目を向ける/自分の価値について/メンタルヘルスについて/

ようこそsocial hive WAITING CAFE 点描の孤へ。

ここは東京文京区本郷三丁目駅の裏にある、小野田総合法律事務所併設シェアオフィス『social hive HONGO』のメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。

毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。

まるで世界の見え方がほんのちょっと、変わってしまうような。

※番組へのお便りは、socialhivehongo@gmail.comまでお寄せください。


聴き手 : 岡田壮麻(スタートアップ支援家)

常連 : 和賀未青(株式会社ニイラ代表)

HP:https://niila.info/index.html

制作 : 小野田峻(弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

小野田総合法律事務所 : 

HP:https://www.ot-lawoffice.jp/

X [Twitter] : social hive HONGO(@socialhiveHONGO)

*ご感想は 「#点描の孤」 でお願いします。

BGM:zippy(作曲家。X [Twitter]:zippy@zippy_zippy_)

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Welcome to social hive WAITING CAFE Tenbyo no Ko.

This is the WAITING CAFE where members of "social hive HONGO," a shared office attached to Onoda Law Office, located behind Hongo 3-chome Station in Tokyo's Bunkyo Ward, stop by.

Every week at this time at WAITING CAFE, one of our members stops by to share an interesting story.

It may be a story that will change the way you see the world just a little bit.

00:07
ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の孤~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがフラッと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
本日のご来店者は株式会社ニイラの和賀さんです。
和賀さんは、ソーシャルワークの仕事の経験を通じて家族相談の授業を展開しています。
どんな思いで、どうして今の授業に至ったのか、そんな話を聞いてみました。
私は株式会社ニイラっていう、家族相談を中心にしたサービスをやっています。
家族相談って何ですか?
私は精神保険福祉士なんですけど、ずっと大学卒業してから24年間精神科の病院に勤めてて、
精神保険福祉士ってだいたい初めて聞くって人が世の中多くて、
マイナーですよね。
そうそうマイナーですね。だいたいフルネームで言えないっていう。
精神保険福祉士なんだけど精神福祉士とかね、精神保険士とか言われて、ソーシャルワーカーっていうと、
そっちの方が知られてるんですか?
とかあとは社会福祉士って知ってます?って言うと知ってます。
じゃあ、と同じように精神保険福祉士っていうのもあるんですよって言うと、
そっからなんで、何してますか?どんなことしてますか?までなかなかたどり着かない。
確かに。名前からして何だろう?みたいな。
そうそうそうそう。
メンタルヘルスの専門家ですとかって言うと、
みんな初めて知るリアクションから始まる。
そうそうそうそう。
どこまで知ってるかな?とか、相手との会話で。
でもそれを探し当てながら喋るのも面白いですけどね。
元々そういうの興味あったんですか?そういう。
03:00
そもそも福祉を目指そうと思ったのが、母親の病気があって、
私が生まれたとき、出産したときに母が血液の病気になったんですね。
生まれて40日くらいで母を入院しちゃって、その間双夫婦に預けられてて、
それからずっと、今母は生きてるんですけど、血液の病気って目に見えないんだけど、
生んだ後、女の人って結構体が大変で、それはみんな周知の事実なんだけど、
さらに血液の内部疾患があるから、長く経ってたりすると具合が悪くなったり、
気分が悪くなったりするとかいうことがあるんだけど、
見た目は何らかの障害があるように見えないので、
当時は今みたいにヘルプマークとかないから、いわゆる私が内部疾患あるとかっていうのを表明する。
表明する場面もないから、どっちかっていうとちょっと具合が悪いとかっていうと、
いやいやいや、こんな若いのに、みたいな。
とか、電車の中で私が先に席を取って、お母さんこっちこっちみたいにやると、
なんか子供にやらせてる親みたいな。
そうそうそうそう。
単純にずっと立ちっぱなしだと足がパンパンに腫れちゃって、
足の方の血液の疾患があるから、
なんでそれを理解されないとか、理解しようともしない人ってこんなに多いんだ。
でも、言ってもわからないから言いたくもないし、
知らない人に、私血液の病気で立ってると辛いんですよとか言う必要もないし、
チャンスもないので、
でも、わかりやすい、わかりにくいっていうのはすごく隔たりが大きいんだなっていうのは、
子供の頃から思ってて、
で、高校時代に進路を決めるときに、
今年の時代って第二ベビーブーマン、1973年生まれなんで、
すごい人口が多い世代なんです。
高校時代は女子大生ブームで、
大学になったら女子高生ブームで、
なんかすごい不運な世代っていうか、
で、就職の時は就職なんで、
非正規雇用がすごい多かった時代。
その時代、冬の時代とか。
全部時代がいい感じに噛み合わずに。
何かのタスクを常に与えられるみたいな世代で、
だからそういうのもあって、
一生働ける仕事を選んだ方がいいんじゃないって父親に言われて、
で、確かになって子供でも続けられる仕事、
専業主婦とか、タイプ的にも無理だし、
06:01
そうじゃなくて自分でやりたい仕事を一生できるようにって言って考えた時に、
社会福祉はやっぱり母のことが大きかったかな。
でも、なんかそれこそ、じゃあ偉いわねって言われるんだけど、
そうじゃなくて、ちょっと謎が多かったっていうのもあるかな。
謎ですか。
人はこう、分かりやすいものには優しくするけど、
分かりにくいことには優しくしないなとか、
目に見えないものがたくさんあるんだけど、
それをどういうふうに考えたらいいんだろうとか、
なんかそんなことを思って、
で、あと単純に制服着て、いわゆるOLみたいなのはちょっとイメージに合わないし、
ジーンズで働きたいなみたいな、
そういう洋服みたいなのもあった。
服は昔から興味あって、今日も確かにちょっと、ジーンズですけど。
そうですね。制服が嫌いだったんですよね。
私、ランチタイムにいわゆるOLさんが制服と、
当時携帯ないから、お財布を小脇に抱えて、
集団でランチに行ってるとか、絶対私できないなって思って、
女子でキャーキャーやるの見てないなって。
そんなちっちゃい頃からそう思ってたんだ。
そこから精神保健福祉士なんですか?
福祉の大学を選んで、受習先をどうするってなったときに、
一番人気がなかったんですよね、その当時。
精神病院の受習先があったんだけど、
80人ぐらい大学の同級生いたんですけど、
いったの一人で。
そんなに人気ないんですか?
そう。
当時精神保健福祉士、国家資格じゃなかったんですよね。
私の時代は。
就職して2,3年で決まったので。
だから、余計人気ない。
福祉の中でも高齢者福祉とか知的障害とかいう方が人気があったというか、
みんなそこに行く人が多かった。
あと児童福祉。
なるほど。やっぱザ・福祉みたいなとこに行くから、
医療系とかはあんまりあったんですか?
あんまり人気がなかった。
いつかというと入所施設とか通所施設に人気があった。
なんでそんな中でこのそこにめがけていったんですか?
それこそ精神科の病気って目に見えないじゃないですか。
なるほど。
あとやっぱり偏見とか差別とかもすごいあったし、
どこまでが病気でどこまでが病気じゃないかわからないとか、
本当に病気なのかとかわからないことが多いから、
それなのにすごく差別されてるって理不尽だなと思って。
09:00
実習行っても本当にそれを思ったし、
あとでも患者さんがすごい優しくて、
もちろんちょっと渋い思いをしたりもしましたけど、
実習生ならでは。
どんなことがあったとか聞いちゃっていいんですか?
やっぱり若いし、何もわからないで行くから、
不要意な発言を結果的にしてたりもするんですよね。
別に悪気はないと言ったらちょっと自己防衛ですけど、
そうなった時にやっぱりいろんな思いをして入院してる人にしたら、
ちょっと学生でキラキラしてる若い子が来たら、
まぶしいやら、腹立たしいやら、いろんな思いがあると思うんですよね。
そういうのをちょっと全然わからずに不要意に聞いちゃう、
質問しちゃう、しゃべっちゃうみたいなので、
ちょっと怒らせちゃったりとか。
そういうこともあったんですね。
ありましたね。
やっぱり今になったらそうだよなっていうのはたくさんあるし、
どっちかといったら、無鉄砲だったゆえの、
なんていうか忌ましめみたいなのかもしれないし、
患者さんが先生だよっていうのはよく言われたんですけど、
やっぱりその言われたことにムカつくって思うんじゃなくて、
なんでそれを言われたのか考えないとねっていうのはよく言われてて。
言われてみて、それなりに自分としては勝手にいった感じですか?
当時は、最初はもうだから、
なんでそんなこと言われなきゃならないんだろうみたいなのはありましたけどね。
それで働き始めて、今の事業にどういう感じで繋がっていくんですか?
そうですね、結局24年勤めたんですけど、
別に長く勤めようと思ってたわけではないんですけど、
結果24年で。
長いですね、24年なかなか勤め上げてますね。
でも私が続けられてたのも、結構移動が多かったんですよ、病院の中で。
多分一箇所にずっと24年だったらいられなかったんじゃないかなとは振り返ると思うし、
あとは実習先の病院に就職したんですね。
だからすごく働きやすかったんですよね。
いい病院というか、職場環境として。
今もご縁があったりもしますけど、
人って大事じゃないですか、働く人って。仲間とか上司とか。
もちろんどうかなと思う人もいましたよ、正直。
それは逆に私も思われてたと思うし、
それはお互い様だと思うけど。
そうですね、すごく楽しかったんですけど、2018年に父が亡くなったんですよね、ガンで。
それが分かったのが11ヶ月とかであっという間に死んじゃったって感じだったんで、
そんなことがやっぱり大きくて、
当時私はある程度大きな器の施設の施設長をやっていて、
12:06
30人ぐらい職員がいるところの施設長だったんで、
言ったら責任者だし、結構ゴリゴリのマネージャーみたいな感じだったんですよね。
なんだけど、父のことがすごく好きで、
めちゃくちゃ今もはざこんだんですけど、
亡くなっちゃった時に全て足元から崩れ落ちるみたいな感覚があって、
多分これ家族亡くしたり、近しい人亡くした人がよく言う言葉でもあるんですけど、
何かがガラッと変わる瞬間みたいなのが、私も生まれて初めて体験して、
その時にそういう感覚になったんですね。
そう、こんなことがこういう感覚になるんだっていうのもあったし、
私どうやってこれから生きていこうみたいな。
そこまで問いが生まれるんですね。
どんな生き方するべきなんだろう。
父が亡くなったっていう事実と、
自分が生きていくっていうのは別なようでいて、
すごく結構関わってたっていうか、
その時にマネージャー時代というかな、
管理者としてやってる時代が数年あったんですけど、
サラリーマンの後半は。
なんだけど結構大変で、
管理職ゆえに、管理することにやっぱり思う気を置いてたりとか、
口では働きやすい職場とか言いながら、結構コントローラーだった。
タイプ的にはそうだし、今も。
そうなんですか。結構管理したい。
強いので、キャラも濃いし、
自分自身のこうしたいっていうのが強いから、
こうしたらいいよっていうのを押し付けようとしちゃうんですよね。
そうするとやっぱりうまくいかないじゃないですか。
だから、そういうことをどうしたらいいかっていうので悩んでて、
結構外に学びに行ってたんですけど、
やっぱ父のことがあって、いよいよ先の人生、
自分がどう生きていくかみたいなのを考えた時に、
いろんな学びの場とかいろんな人に出会った中で出した答えが、
一回退職しようみたいな。
どうしてそこの退職に至ったんですか。
正直、別にそれは至った病院をディスるわけではなくて、
やり切ったなっていうのがあったんですよね。
病院の中で自分がやりたいこととかやらせてもらってた結構サラリーマンだったけど、
だから、ここに行ったら私ちょっとダメになっちゃうかもっていうか、
すごくキャリアもあるし、経験も長いし、
15:00
無敵?無双感があったんですよね。
その中では?
そうそう、組織の中では。
そうすると、なんか良くないなって。
逆にその状態は自分にとって良くない?
そうそう、自分にも良くないし、人にも良くないし、
って言ったら患者さんにも良くないし、
あと管理職になって数年、患者さんとの距離がどんどん離れてっちゃってて、
そうすると、私は患者さんとか家族とかの話を聞くのがシンプルに好きだったので、
そういう個別対応が減っていっちゃってたのも、やっぱりマネージメントする側になって寂しかったので。
そこが好きで入った手間ですね。
だから、いろいろ一旦リセットしたいみたいな。
あと、父が亡くなる直前というか亡くなるまでに繰り返し言ってたのが、
ああ、良い人生だった、それをすごい度々言ったんですよね。
入院してる間にもう完全に肺がんだったんですけど、
寝たきりの状態で良い人生だったって言ったのが、すっごい心に残って、
私、これちょっと父が亡くなった後すぐ亡くなるってことじゃないんだけど、
自分が亡くなるときに言えるかなって思ったら、
サラリーマンである人生だけでもないんじゃない?って思って、
何の核薬も会社を立てるなんてついぞ思わずに、とりあえずやめようみたいな。
結構直感的だったんですね。
そうですね。ただ、でも責任感も当時は強かったんで、
今もないわけじゃないんですけど、責任感があったから、
このキリが良い、この年限までって思ってたんだけど、
それにはあとちょっと数年あったんですよ、2年とか。2年半ぐらいあったのかな。
でも、やっぱり体が正直で、
ああ、なんか嫌だなって思いながら働いてる自分がだんだん嫌になっちゃって。
なんか頑張れない自分っていうのが出てきたんですね。
そうそう。もう体が正直っていうか、なんか身体症状が出たわけじゃないんですけど、
でもね、40肩?50肩っていうのかな。肩がものすごい痛くなって、やめる。
動かなくなっちゃって。
リュックがしょいなくなって、
あと満員電車で人とちょっとすれ違うだけでも吐き気がするぐらい痛くて、半年ぐらい。
だからやめる前、やめるって決めて、やめる前半年はもうそれとの戦いで。
で、やめて1ヶ月したら痛くも痒くもなくなったっていう不思議な。
なんか不思議ですね。やめたら急に治るものでもないかと思ったら治っちゃうみたいな。
という、だからやっぱり自分の中でもやめるってことは痛みみたいなのもあったんだなと今ではね。
自然と体に出ちゃってそう。
いやでも結構だから相談受けてても肩が痛くて痛くてとか聞いてくとやっぱりすっごく我慢してたりとか、
18:08
言えない思いがあったりとか封じ込めててとかってやっぱりありますよね。
私自身も経験したからよく。でもそれとこれが結びつくとは思わない。その時は。
実は出てるけどその時は繋がってなかったね。
確かに。終わってなくなって気づくもんですね。
それこそ40方か50方か分かるんですけど、一生痛いんじゃないかみたいに思っちゃいましたからね、私も。
永続的だとその時は。
そう、感じちゃう。治んなかったらどうしようとか。
で、なんか相談の時も直感的にやめたら。
なんでそのまたこの家族相談っていうところを引き継いだっていうのは。
そうですね。母の慢性疾患っていう家族の立場がずっと生まれてから、生まれてこの方あるわけで。
一方で父のがんっていうのを家族として見てた時に結構あたふたしたんですよね。
もう全然あたふたして。
言ったらソーシャルワーカーとしてベテランの域にある自分が、
こんなにも家族のことになると何にもできないんだっていうか、てんやわんやだし、
どうしていいか分かんないとか、誰に相談していいか分かんないとか普通に思ったし。
でもまあまあ冷静になればこうやってこうやってこうやってって分かるんだけど。
そうなんですね。客観的に見たらあの時のあれはこうやればいいっていうのは見えるんですね。
だけどその時はもうまさか父ががんで、しかも小細胞肺がんって言って、見つかった時点でステージ4だったので。
もう最終段階ですよね。
そうそうそうそう。だから変な話いつ死んでもおかしくありません。
結果的に11ヶ月だけど、人によって違うんですけど、5年生存率はとにかく低いがん。
ほとんど5年以上は生きないというのを、それこそニュースとかネットで探すともう悪い話しか出てこないから、もうそれで絶望したし。
そういう当たり前に起こる現実を受け止めきれないまま仕事したり、父の治療のスケジュールの車を一緒に出てして出したりとか、それに時間を割いたりもしたんだけど、
一方で気持ちの面でどうしていいか分かんない気持ちを誰にも言えなかったみたいなのもあったし。
そっか誰にも言えないんですね。
誰にも言えないというか言う余裕もなかったかなとも思うし、でもあの時どういうふうに思ったのかなとか、こんなふうに思っちゃいけないんじゃないかなとか、
そういうのを少し話してれば違ったのになぁみたいに思った時に、
21:01
わぁこれ、この仕事しててもこんなにきついんだから、そうじゃない人どうなのって思って。
確かに。事件のある人でそれだけうろたいて大変なことするのに、もう全く知らない人だったらもうどうしようみたいになりますね、確かに。
泣いちゃいけないとか、息子たちにもおじいちゃんの前で泣いちゃダメだよとかって言われると、
まあそりゃそうだって思いながらもうそうもいかなかったりとか、
そういうこうみっともないこともちょっと患者さんの前ではできない話をする場所とかって必要じゃないかなって思って、
そうですね。家族の立場っていうのは2回リアルに体験。母のことはずっとだし、父のことではない体験したので、
自分自身が原点にある精神疾患の病気の家族だっていう立ち位置はおそらく長く病院で働いてた時に、
よくも悪くも反映されてて、それは精神疾患の患者さんも、もちろんご本人もつらいんだけど、家族の長いことをやっぱり見てるから、家族にもたくさん思いがあって、
なるほど。
それを結構聞くのが好きだったし、時間をかけてたんだけど、
あんまりそれは、いつもじゃないけど、時間をかけすぎると思われてるところもあったり、患者さんからすると、母さんは私のお母さんの話ばっかり聞いてるとか言われたりとか、
だからやっぱり病院では患者さんが主役なんですよね。
なんだけど、絶対家族って家に帰ればかなりの役目を手負っているので、いい分、患者さんも大変、家族も大変いい分じゃないかなって思ってたっていうんだけど、家族のケアってあんまりない。
そういうことも見てて思うわけですね。
家族って制度上もないし、
確かに。
在宅のことで考えれば、唯一グループホームのショートステイとかのレスパイトケアで家族のケアはできるけど、言っても本人の同意がないと無理やり行かせられないし、月に1回歩かないからし、
現実って生活することって日々のことだから、その中でどう解決していくかっていう話す場があったらいいんじゃないかなっていう、家族相談にフォーカスした理由ですね。
それでもうなくて困ったから、じゃあ自分で始めようっていうところがあったし、みんな絶対困るよねみたいな、確信のもと始めたってことですね。
そうですね、本当に原点と基地のことは大きいかな。
お父さんのこととお母さんのこととみたいな、それが合わさったら今の授業に繋がっていくみたいな。
自分の人生そのものみたいな。
24:00
人生の集大成がそこに繋がっていく。
そうなんですよね。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、天秤の子、新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
自分の人生そのものみたいな。
人生の集大成がそこに繋がっていく。
そうなんですよね。だから、仕事とその私生活の区分けが本当にない。ないったら嘘だけど、感覚的にはない。
人生そのものみたいな。
病院に勤めてるときは9時、5時とか勤務時間に応じた自分の鎧とか仮面とかがあったけど、今はないかな、あんまり。
家族担って、僕のイメージでお話を聞くっていうところだと思うんですけど、具体的にどんな授業なんですか?
私、5つのハグっていうのをサービスとして出してて、がん患者さんの家族と、あと障害とか病気を持ったご家族にそういう方がいるご家族と、あとは介護についてとか、あとは就活。
終わりに活動。
5つ目はちょっと後からリリースしたんですけど、家族関係で悩んでる人ってすごく多くて。
家族の中でうまくいかない。
そうそう。親子関係だったり、夫婦関係だったり、兄弟関係。
ていうので、家族との関係、相手は誰でもいい。
そういう、だから5つの家族相談。
対象としている人が病気の方ってよりは、むしろ別に精神科にはかかってないし、かかる必要はないんだけど、悩みを持ってらっしゃる方。
27:07
でも誰かに言う話じゃないしね。
あまり大ピアニーに言うのもね、みたいな。
ちょっとスタバで話す話じゃないな、みたいな。
そうですね。ちょっと隣から聞こえてきたら聞き身に立てちゃうみたいな。
立てられながら言うのもちょっと恥ずかしい。
みたいな。あとちょっとネガティブな自分の内側を出すから。
確かに。
ずっとカッコ悪いかなとかはあるし、それを本当に一期一会じゃないですけど、私の場合はいわゆる寂しくみたいにしていなくて。
もうパンパツで一期してっていう。
一回一時間っていう感じで。
一時間ね、本当にじゃあアラームかけて終わるわけでも、もちろんないんですよね。
90分ぐらいは結局お話しますけど。
そこにいらっしゃる方っていうのは、どういうことを求めて、マハラさんにこう話に来る方が多いんですか?
たぶん、私が見ている感覚だと、本人の中に答えはあるんだけど、答えなり気づいてることとかはあるんだけど、それを確認するって感じかな。
だから、その答えでいいですか?じゃなくて、こんな答えがあるみたい。
あるみたいだけど、まあいいか、みたいな。
だから背中を押してほしい人もいるし、あ、大丈夫じゃないですか、それで全然いいと思いますよっていうスタンスの方がいい人もいるし、とはいえもう一回考えますね、みたいな人もいるし。
その人のその人の出し方の答えが正解、私がアドバイスをしますよ、ではない。
なんか一緒に答えを探すのも、一緒にやるとか、背中を押したりとか、いろんなこと。
そうですね、今なんかこう話してきた中で、こういうふうにおっしゃったけど、これってこことつながりますよね、とかっていうと。
そうですね。
いや、でもそういうのってやっぱさっきの、自分に起きたときはわかんないってありますけど、言われて初めて気づきますよね。
そうそう、口癖とか、あと本当に何回も出てくるキーワードとかがあって。
確かに。
それって本当に、私もそうですけど、気づかなくって。
で、それをそのまんま返すんですよね。
こう言ってますよっていう、責めるようなことではないし。
そのまんま、今ちょっと気になって数えたら、例えば5回言ってましたよ。
すごいですね、数えてるんですね。
それこそ体感的に、この言葉すごく出てくるなってなったら、数えだすんで。
それは本当に人によりますけど、でもなんかその人にとって大事な言葉なんだろうなみたいな。
そういうのが自然と見えてきて。
30:02
そうですね、話してみると出てくる、何ていうのかな、ワードとかってすごく大事だと思う。
でもそういう話を聞くのがやっぱ好きでやられてるんですね。
そうですね。
元々好きだって言って。
好きなんですけど、そういうふうにそれが好きなんですっていうのもあんまり好きじゃなくて。
泡の弱です。すいません。
好きだって言わない、好きって。
なんか安直な感じがしませんか?
ソーシャルワーカーやってます。
人の話を聞くのが好きですって言われたら、ああ、みたいな、何て言うんだろう。
コテコテテンプレートみたいな。
それは普通だよね、みたいな、何て言うんだろう。
ちょっといい人っぽい感じがするじゃないですか。
だけどそんなことないし。
いい人だからやってるわけでもない。
ない、仕事なんですよね。
仕事としてはだから好きですよ。
だけど誰彼じゃないんですよね、多分。
相性もあるし。
それこそ私自身は仕事としては選ばれるソーシャルワーカーになりたいって常々思ってるし、努力はするんだけど、
100人がいて100人私のことを好きだと言ってくれるようには考えてないですよ。
だから好き人の話を聞くのが好きなんですっていうのはあんまり言わない。
そこはなんかやっぱ違うと感じるし。
なんか偉いねとか言われるのがちょっと違和感がある。
それを言われたくてやってるわけでもないし。
ない。
だってみんなそれぞれ仕事それぞれ尊いし、何が偉くて偉くないかとかもない。
まあ確かにそうですね。
偉いとか偉くないとか。
ない。
ないんですよね。
そういうカテゴリーっていうかな、ヒエラルキーとか、そういうのはすごく嫌いな。
自分が管理職でゴリゴリやってたくせにそういうことはすごく敏感。
面白いですね。苦手なのにそこの中枢でしかもめちゃめちゃ活躍するポジションにいるみたいな。
そう、あべこべですよね。
だからやっぱりいい人じゃないっていうか、いい人に見られたくないっていうのはあるのかも。
でもなんか今やってみて、なんか大変なこととかありますか?
でもこの仕事って答えが出ないことが仕事だから。
答えが出ないことが仕事。
短絡的な答えはあるかもしれない。短絡的って失礼だけど。
一旦これで行ってみましょう、みたいなスタンスはあるかもしれないし。
ちょっと生きてること自体がちょっと実験みたいなとこあるじゃないですか。
めちゃくちゃ面白いことですね。生きてること自体が実験。
明日何が起きるかわかんないし、次の瞬間何が起こるかわかんない。
33:03
だから、やってみましょうっていうスタンスでお互いにいる感覚を患者さんと共有できたり。
ご家族と相談を受けたり。
これでやってダメで、また壁にぶつかったら、私思い出したら来てくれたらいいし、
ご自身で乗り越えられたらそれでいいし、みたいな。
音楽が流れる時があって。
家族相談中ですか?
とか仕事してる時とか、多分ノリ、自分のノリが合ってる時とかって、
スティービーワンダーのパートタイムラバーが流れてくる。
とにかくでもよく調べてみたら、それはなんか不倫の曲だよって言われた。
ダメじゃん、みたいな。
歌詞は結構荒くて。
私の中では線が一旦点と点がぶつかるっていうか、
患者さん、例えば相談者さんの人生と私の人生が一旦点で繋がる。
で、また別れるみたいな。
線はずっと重なってもないし、横並びでもないし、ちょっと一旦交差したりとか。
なるほど。
ポンって。
すごいなんか3Dな感じがする。
そうそう。で、じゃあ、みたいな。
合うかもしれないし、合わないかもしれないし。
なるほど。なんか一緒でもない感じ。
そうそうそうそう。またね、みたいな。
じゃあ交わるポイントにポンって。
お互いに出会うみたいな、そんな感じが。
出会いなんじゃないかなと思う。
困った時にやっぱりその交わりが欲しい人って出てくると思うんですけど、
この交わりが欲しくなるっていうのって、
本本的にはなんで交わらないとちょっともうどうしてもならないみたいなことが起きてるって感じますか?
やっぱり普段から相談することに慣れてない人が多いんだろうなーって。
自分の思いを言葉にすることも年を重ねるごとに減っていくし、
大人になると分別がついちゃって、かっこ悪い自分は見せられなくなるし、
これはジェンダー論になっちゃってあんまり良くないかもしれないけど、
特に男性は大変だなーっていうのは相談で聞いてても思うし、
やっぱり性別の役割分担みたいなのはまだまだ根強いし、
汗がなくてはならないとか、
背負い込んでる人は割と多いかなーって。
その役割によってその人が責任を取りに行っちゃうんだよね。
そうそう。荷物を下ろせない。
自分でどんどんリュックに重い荷物を詰め込んでって、
重いことにも気がつかないし、
リュックまず下ろしましょうかーっていうところから、
36:00
いやこれは下ろせませんみたいな。
じゃあちょっと荷物減らしましょうかーみたいな。
そういうことに話をすること、相談することに慣れてない人が多いのではないか。
なんでみんなこんなに相談するのが苦手なんでしょうね。
ここに重きを置いてないんですよね。
自分のそれこそ自分を大切にするっていうことに主眼が置かれてない。
人生を生きる上で。
外側のことをきれいにすることや、
外側を人がどう見るかとか、どう見えるかとかはすごく気を配るんだけど、
自分の体の内側、気持ちとか体そのものに目を向けるってことが大事かな。
自分との目を向けて対話するみたいなのが、あんまりみんなやってきてないみたいな。
そう、自分を見るっていう。
見るにもほら、目で見るのを見るとか、映画鑑賞の館もあるし、診療のシーンもあるし。
看護の館でもありますよね。
そうなんです。いっぱい感じあるじゃないですか。
言われてみる。
ひらがなでもいいと思うし、ただ見るでもいい。
あらゆる見るをしていないっていう感じがする。
みんな忙しいんですかね。
そうだと思いますね。
睡眠とか食事もおろそかな人結構多いし、自分を粗末にしてる。
わがさん、いろんな人に会ったりとかあるんですけど、
その授業をやっていく中で、わがさん自身が楽しんでいるとか大事にされていると思うんですけど、
そういう授業の中で、わがさんはどういうポイントで楽しんでいるんですか。
やっぱり来てもらえるのがありがたいので、やっぱり選んでもらっているのがシンプルに嬉しいし、
それと、あとは何でしょうね。
あとは祈るしかないって感じ。
祈り。
よくなってくれますようにとか、少し気が、私と話したことで少し荷物がおろせてたらいいなとか。
役割が降りるみたいなのも。
そうそう。
私、本当に悪い方向にはいかないように願うだけとか、
私の好きな推しの精神会でもうなくなっちゃっている中石沢先生っていう先生がいるんですけども、
推しの精神会。
推しの精神会。
なかなか聞かないわ。
バイブルでもあるんですけど、
その先生が患者さんを診察室から出るときに、いつも背中に向かって祈るみたいなことは書いてあって、そうだよなって。
祈るってどんな感覚なんですか。
祈るはまあ、
すごい宗教のイメージがあるんですね。
そうですね、そういう感じもあるし、
でもなんか本当にその人に思いを、幸せになりますようにとか、思いを巡らすって感じ。
39:01
叶うかどうかは置いといて、一方的なものだけど、良くなるようにって。
願掛けみたいな。
感じですかね。
そう思うしかできない。
そういう方がいらっしゃるたびにこう願掛けして。
なんか、ありがとうございましたっていうことも含めてですけどね。
相談のお互いもありがとうって。
いやー、そうですね。だって話してくれないですからね。
うん、確かに。
そもそも話せない話をしてくれてるそうで。
お金もいただいて本当に感謝しかない。
これからじゃあどんなふうにこの家族相談っていうのをやっていきたいとかってのありますか。
とはいえやっぱり何人かね、何人か累計ちょっとしてないんですけど、
でもまあ私に来てくれる方はいらっしゃいますけど、絶対数としてはやっぱり絶対少ないし、
躊躇してる方もたくさんいるんだろうし、そもそも知らない人もたくさんいるんだろうし、
そもそもそんなことにお金を払って相談するの?っていう人もたくさんいる。
中でどう価値を認めてもらえるかなとか。
やっぱり占い業界とかに負けてるので。
逆に負け。
負けっぱなしですよね。
多くの人はやっぱり耳心地のいい言葉とか、分かりやすいものに行くじゃないですか。
私もそういうとこありますしね。
ソーシャルワーカーに相談して何が得られるの?って聞かれるんですよね。
得られるの?って感覚なんですかね。
そうなんです、そうなんです。お金払うんだから得られるんでしょっていう風に考える人が多い世の中で。
なんか対価求めるのが当たり前の風潮ですけど、
どうしてじゃあそれは本当なのかみたいなのもしかしたらあるかもしれないですね。
そうなんですよね。
お金払ったから満足いくサービスが得られて当たり前っていうのが今の考え方多くあるじゃないですか。
で、あとは逆に文句言ってもいいとか。
うん、確かに。
納得しなかったら。
確かに確かに。
そう、なんかそういうあたりがまだうまく説明できてないんだろうなとも思います。
だからまだまだ勉強中というか試行錯誤中です。
そこに向けてちょっと試行錯誤を続けるみたいなところですかね。
切磋琢磨して。
それがなんか一般的になればいいなって感じですか、その家族相談とか。
そうですね、なんかかといってこれもまた天野尺なんですけど、
私の仕事がバズったらおかしいと思ってるんですよね。
バズるって面白いですね。
なんかすごい忙しいソーシャルワーカーですっても違う気がしてて、
それってなんか見方をちょっと変えると人の不幸を喜んでるみたいにも思われるし、
思ってはないかもだけど、
でもちょっとそういうところあるかなって思ってて。
だからそれよりはもっと他に株式会社ニイラでは3つのサービスやってて、
そのハグと福利厚生としてのハグっていう、
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サラリーマンとか企業の方向けの福利厚生のサービスをやってるんですけど、
3つ目はインフルエンサーのためのメンタルヘルスっていう、
ユーチューバーとかそういうインフルエンサーの方たちにやってるんですけど、
2番目の働く人のためのメンタルヘルスに関しては、
やっぱり予防を意識してやってます。
だから精神科に行く前の段階で登壇できたら、もっとこじれない。
私なんかは精神科病院に勤めてるときに、
かなりこじれた状態で来る方は当たり前だったんで、
なんでもっと早くっていうのはあった。
だからさっき言った相談する環境が当たり前になったら、
重症化しない、シンプルに。
そうですよね。
聞き方はあれですけど、崖の下で落ちてきた人に何かやるしかないみたいな。
落ちる前にガードレール作ろうよみたいな。
そうなんですよ。
そっちに目が、私たちも行かないんですよね。
大変な人を目の前にして、予防でしょうとか言ってられないじゃないですか。
やばい困ってる人を何とかして立ち上がってもらうにはどうしたらいいかということに注力していった現場と、
私は今そこを辞めて、そこを離れてるからこそ見える景色は、
そこに行く前に予防することができたら、
例えばお父さんがメンタルヘルス不調になったって言ったら、
家族4人いたらみんな結構やっぱり何らか影響を受けるじゃないですか。
入院したりとか仕事辞めたりとかになったら、具体的に影響を受けるし。
だったら目の予防だったら、そこまでにはならないと思う。
全て予防がベストではないかもだけど。
大事なポイントかなと。
じゃあ、まがさん今日はいろんなまがさんについての話とか、
ご自身の事業の内容とか、それを始めていこうみたいないきさつを色々聞かせていただきましたけど、
お話ししてみてどうでした?
そうですね。話を、だから自分の話するって結構貴重だなと思うんですね。
私相談やっぱりしてるからなのか、聞くことの方が多かったりもするんですよね。
だから自分の話をまとめてお時間もらってするっていうのは、
自分にとっても結局自分が話してることを聞いて、
あ、そう思ってたんだみたいなこともあるし、話せば話すほど自分の中で深まっていく。
同じ話はしてるんだと思うけど、たぶん切り口が変わったり、
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聞いてくださる相手が変わると、たぶんちょっと違ったりするんだろうなと思って。
なんかまた別の角度で自分を見て、新しい輪郭を発見してるみたいな。
だから相談者の人がどういうふうに相談してくれてるのかっていうのを体験できるみたいなところもありますよね。
じゃあ僕今家族相談してますね。
そうそう。
本日のカフェの営業はここまでになります。
今回カフェに立ち寄ってくれたのは株式会社ニーラの若さんでした。
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