1. ハタラクボクラ
  2. Afternote | グミと感受性 | A..
2024-05-17 32:24

Afternote | グミと感受性 | Aoi x Shin

mog
mog
Host

第十三回「共に希望を灯す仕事」のAfternoteです。収録を終えての感想とAoiさんが最近ハマっているコンテンツなどについて語ります。

00:12
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。緊張した。
緊張した?
緊張するよ。
まあ、そうだよね。
するする。
え、なんか、取材…取材っていうのでもないんだけど。
しますよ。
実際にその言語聴覚師として話をしてみたいなのは、過去にあったりした?
ないです。ないです。一切ない。
声かけをもらった時に、何をどう話せばいいんだと思って。
私、本当に言語聴覚師の仕事もニッチだし、やってる自分の分野も総括ではないから、人様に怒られないかなと思って。
あくまでも、私の場合はそうですよっていう。
そう、私の場合はこうですっていうところに過ぎないなと思って。
もっとなんか誇り高き言語聴覚師さんいっぱいいるだろうなと思って。
すいませんっていう感じ。
いいと思います。
なんであれそうな気もする。
なるほどね。
いやもうこれは完全に雑談会なんで、適当に喋ってるっていう、それを回してるっていうだけなんですけど。
はいはい。
何話してるかな。でもなんか結構なんか最近読んだ本とか映画とかで話聞くことが多いな、気づいたらってなって。
毎回その話になっちゃうっていうのはなんか。
そうね。
なんだろうね。
これ全然関係ないんですけど、今この収録しながらグミ食べてて。
食べてないですよ。
食べてないですね。
そんな余裕はなかったです、そこにも。
口乾いちゃうから。
ペタブーグミと結晶シャリリ氷グミ。
結晶シャリリ氷グミがなんかの食感にずっと似てるんだよね。
え。
なんだろう。
説明をするとそのグミの周りにちょっとなんかザラメみたいなのがついて、でそれを氷と主張している。
なんだろう。
そんなにソーダ味だけどそこまですごいソーダっていう感じでもない。
03:01
なんだろう。
何のグミが好き?
グミトークなんだ。
いや、ってわけでもないんだけどさ。
硬いグミの方が好きかもしれない。
ハリボーとか。
あー、ハリボーいいね。
グミ結局ハリボーっていうのはなんかすごいツーな感じがありますね。
ハリボー美味しいですよ。
ドイツのね。
ハリボーってマジでどこでも売ってるもん。
美味しい。
これたまに買いたくなるのよ。
ほら、アジナフコンセとかだったらさ、グミだけで50分くらい喋れちゃうでしょ。
お平野さんはお話なさいますよ。
すごいよね。
結構ポッドキャスト聞いてる?
なんか、いろんなのを聞いてみるけど、
意外となんだろうな、はまらなくて一回聞いてやめちゃうが多くて、
コンスタントに聞いてるのはほんとに平野咲子さんのアジナフコンセと、
あと友人がポッドキャストやってるんですけど、
友人のポッドキャストと働く僕らを聞かせていただいてたので、
ステマ感がすごいけどありがとうございます。
本当に緊張しました。
いつも聞いてるもので自分が喋るんだっていうのと、
あとやっぱり皆様すごく理論成人と話せなさってたり、
やっぱりいろんなことを考えてキャリア選択をなさってる。
行き当たりばったりで就職先と職業を決めて、
行き当たりばったりで難しいなと思って働いてるから、
向上心がある方でもなく、キャリアに広がりがあるわけでもないから、
お話をいただいた時に大丈夫?みたいなのを3回ぐらい聞いた気がする。
大丈夫じゃないでしょうか。
ありがとうございます。
いつも聞いてたのにって言われるには、
まだポッドキャストの番組としてフェーズが早すぎるというか、
それを言っていただける感じではまだそんなに。
緊張しております。
それ言います。ありがとうございます。
そうだね、ポッドキャストはでも確かに、
でも確かにちょっとずつ聞く番組変わってきてる感じはあって、
アジナフィコン生は割と何年間かやっぱ聞いてるというか、
何年経ってもやっぱ食べ物のことを聞いてる人の話って面白いし、
ひろのさんはやっぱズバ抜けてると。
本当にね、思います。
そうなんですよ、いろんなそれこそ食べ物の話をしてるポッドキャストは聞いてみるんだけど、
なんかこうしっくりこないというか、
すごくポッドキャスト、話し方とか言葉選びとか題材の選び方とか、
06:04
いろんなこうトータルで良し悪しというか、
決まるんだなぁと思ってるので、
合わないはあるなぁと思うし、
え、大丈夫?その上でポッドキャストで喋ってるところはありますね。
ひろのさんというか、なんか彼女の声の感じとかすごく柔らかいし、
耳当たりもすごくいいじゃないですか。
しかも話してる内容は本当にこう、
一つ一つの回っていうのはその食べ物の愛とか興味とかに溢れてて、
とかリスペクトとかに溢れてて、
でなんかこの回一つを聞くと、
例えばなんか自分が一番好きな食べ物の話であれば、
ここまで上手ではないんですよ、
こういう熱量を持って話すことはできるかもしれないとはちょっとだけ思うんですけど、
あれをちょっと冷静に考えるときに、
ものすごい褒め言葉として、
本当に狂気児みたいになっているぐらいに。
そうなんですよ。
こんなにいろんな食べ物といろんな食の方向に、
その愛をというか果たせるってもう何か何事なんだろう。
本当にそうだし、
それこそなんかこう、
なんかやってみたくなっちゃう言ってた通りから、
さっきお話ししてくれてたノートで下書きにちまちま実は書いてたことがあって、
最近食べて美味しかったものの話っていうのを、
平野さんが季節が変わるごとにやってらっしゃるものを自分もやってみようと思って書いたら全然書けなくて、
なんかその語彙力的なものもそうだし、
あの食に対するアンテナの張り巡らし方とかないなと思って、
仕事でそれこそ人の食べることには向き合ってるけど、
自分が食べることに実はあんまり関心がないっていうことに最近気づいて、
すごいな平野さんってすごく思う。
疲れると、なんかもう手で食べられるものならいいやみたいな感じになっちゃう。
本当に一人暮らししてた時に、
なんかブドウとカニカマで夜ご飯が終わりみたいな生活してたんですけど、
食べやすさに前振りした。
もう箸とか使えないみたいな。
もう平野さんがどう食べるかを考えすぎて、
自分の食べ物はどんどんおざなりになってるみたいな時が、
前はそれこそあったので、
あれだけこう一食一食に心を込めて向き合ってるっていうのは本当に素敵だなと思って、
私も箸使ってご飯食べようと思いますね。
平野さんによってこう箸を持つことが。
09:01
なるほど。
平野さんに確かになったんだけど、その音声で聞いてると、
ほら、俺もどっちも本読むの好きですけど、
またちょっと箸とは違う近さというか、
記憶の残り方みたいなのがいっぱいあって、
これなんかちょっと人によって違うのかもしれないですけど、
本結構読む割に、内容は結構忘れるんですよね。
読んだ小説の筋とか、
割とだんだん忘れてっちゃったりとかして、
またたまに読み返すと思い出す。
ただ、ポッドキャストで聞いた内容、声、音で聞いた内容って、
意外と覚えてる。
どれぐらい覚えてるかって、
たとえば100何回とかでのポッドキャストの、
このエピソードのこの話を、
当時住んでた町のこの辺りを歩いてた時に聞いたなっていうのが、
すごい景色と一緒に覚えてるというか、
ちょうどこの辺り犬の散歩しながらこの話聞いたなっていうのがすごく覚えてて、
これって人によるのか、
それとも音で聞くともうちょっと体験として、
動かしてたりすると残るのかって、
何なんだろうっていうのがちょっと最近気になってる。
そういうのある。
ガシガシ自転車漕いでるときに聞いたな。
でも確かにポッドキャスト聞いてて、
それこそ働く僕らを歩きながら聞いてたんですけど、
そうなった時に、
パッとあのなんとかさんのエピソードは、
例えばあそこのルミネの、
あそこのお店見てる時に聞いたなとかはある気がするし、
なんでしょうね、
なんか声の方がなんだろう、
すごくこう三次元的な情報になるというか、
なんかこう声のトーンとか、
言葉のそれこそ選び方とかまとかで、
なんかこうなんでしょう、
その人が喋ってるなっていう、
人に会った時みたいなエピソードの強さは感じるかもしれない。
本読んでる時って結局こう一方的に情報を享受してるだけだし、
自分のこの集中の具合とか、
自分のパフォーマンスにもまた、
パフォーマンス別に、本読みパフォーマンスがあるんだけど、
なんか体調が悪い中でなんとなく間をつないで読んだ本と、
すごくこう自分の中で集中できる気分というか、
テンションの時に読んだ本だと入り具合が違うし、
何気なく読んだけどすごい気づいたらなめり込んでたとかの方は、
なんか印象に残るような気がするかも。
そうね、本は一方的といえば確かに一方的なのかもしれない。
12:05
自分で、なんだろうね、
ポテキャストも受け取るっていう意味では一方的で、
別にそれに対して喋っているわけではない。
平野さんわかるみたいな。
確かにね。
パフォーマンスの動き方、読む本の内容にもよるのかもしれないなとは。
確かにでも活字になることで、
良くも悪くも余計なものみたいなものを削ぎ落として、
ちょっとシュッとするというか、
精度みたいなものが上がるから、
逆にさっき言ってくれた三次元的みたいなのも確かに、
あーとかうーとかもあるし、
その空気感みたいなのとか、
考えながら言葉を選んだりするみたいなのもあるから、
そうね、確かにそれはすごくあるのかもしれない。
そうですね。
私確かにその、
自分が書くっていう面でも、
それこそ趣味でノートを好きかって書きつらかしてるんですけど、
なった時はやっぱり自分の心が動いた時に残そうってするから、
やっぱりどのシチュエーションで書いたかとかっていうのは、
結構やっぱり覚えてるなーって気がしますね。
うーん、そうか。
心が動くが伴うと、
なんかやっぱ印象的なんだろうなーっていう気がする。
パルコも広告の会議みたいな話。
あー、大好きなんですよね。
ルミネか。
ルミネか。
尾形マリ子さんが大好きなんですよね。
試着室で。
そう、思い出したら本気の恋だと思うもん。
本人の愛を知れば。
大好きで。
いいですよね。
いいですよね。
キャッチコピー?
キャッチコピーとかもそうだし、
最近ちょっと単価とかも一回ブームになってきてるって言っていいのかな?
我々が好きなだけ?
かもしれないけど。
要はちょっとわからないけど。
でも要は単価はちょっとブームらしいですよ。
そうなんですか?
あと、過人の方が言ってたんで。
いや、過人の方のブームはさ、
オールウェイズブームじゃん。
一般の読者の人がちょっと増えたっていう話は前、
某過人の方がおっしゃって、
そうなったと一般の読者としては。
過人じゃないですね。
読んだことないよ。
過人ではない?
過人ではないですが、読んだことはあります。
そう?
そう、ノートで一回ちょっと企画があって、
推しについての単価を読むって言うので、
推しについての単価を読んだのと、
15:01
あと高校で、何か見晴れ案件か分かんないですけど、
毎年単価を読まなきゃいけなかったんですよ。
学校で?
学校で。
学校で、そうなんでしょう?
学校の名前のなんとか課団って、
あの、過修の方の課団があって、
全校生と年末に3種出さなきゃいけなくて、
多いね。
3種出して、年度末に表彰があるんですよね。
表彰があって、金賞銀賞銅賞みたいなのと、
家作みたいなのが選ばれて、
毎年冊子になるのそれが。
っていうのがあったので、単価はめっちゃ読まされてました。
それでいくと入賞した気配がしますね。
取りましたね。
でもやっぱほら、そこら辺のやっぱりさ、
単価をそもそも作る方の読むじゃなくて、
親しむって意味のような読むをやっぱりする人がそもそも少ないから、
多分なんかみんなね、いやいや57577にしてると思うから、
やっぱね、単価ガチ勢じゃないけど、
やっぱりそういう意味では、なんか楽しんで読ませてもらってたし、
なんかなんだろうな、
オープンで創作をできるっていう機会が高校にあるのは、
なんか個人的にはすごくいい文化だったな、
嬉しいなっていうところはありますね。
なんか創作をするってすごく恥ずかしい趣味なような気がするって思ってた。
特に中高とかだとね。
今でもそんななんか文を書くのが好きですっていうのは、
やっぱりちょっとプライベートの友人には言いづらい。
ペタグーグミを隣にできるように書き始めた。びっくりした。
ちょっとごめんなさい、隣でペタグーグミが硬すぎて、
手で裂いてた。
そうか、その過談みたいなものがあると割と、
なんだろう、ある種恥ずかしいみたいなことも、
恥ずかしいは恥ずかしいけど、
頑張って作ってる人を別に恥ずかしいって見るようなことも特になかった。
どうなんですかね。
でもなんか結構そのなんでしょう、
恋愛の短歌とかもガツガツ読んでいい文化だったんですよ。
そうですね。
横顔にキュンとするその心を読んだ、
みたいなのとかが結構いっぱいあって、
そういうのが恥ずかしげなく書けるっていうのは、
いい文化だったなーって思うなーっていうのはありますね。
やっぱね、心動く瞬間ってやっぱ高校生ね、
恋愛ってすごい大きいと思うから、
それが言葉にできるっていうのは、
すごい良い風習だったなーって思います。
良い風習、全然なかったらそういう。
なんかとか、なんなら高校の時とか大学の時まではもう全然通ってこなかった。
18:05
もう本当に大人になってちょっとこう、
すら画中を。
最近ですよね、ほんと。
数年見るようになったら。
だいぶこう、非ガチ勢というかね。
全然ガチ勢ではない。一般の人なので。
そうですね。楽しいし、いいなとは思うし。
なんかまだ絵とかの方が、絵とか音楽とか。
確かに。
の方が少しハードルが低い。
たぶんその創作の恥ずかしさの一つが、
その人が言葉にしたものを伝えたり届けなきゃいけないんだけど、
それは普段暮らしてるやつっていう、
普段暮らしてる奴の普段話してる言葉っていうのから離れなきゃいけない。
離れて何かを言ったり書いたりしてる。
っていうやっぱ恥ずかしさが一つある。
すっごいありますね。
なんか前も話した通り、私別に、
あおいっていうのは別に室名、ペンネームで使ってる名前なんだけど、
あおいさんから自分の本名というか、
自分のプライベートな部分に身バレするのは正直別にそんなに抵抗がなくて、
ただその本名発信の人に、
あおいさんっていう名前で文章を書いてるっていうのをバレるのは、
できれば最大限避けたいっていう気持ちがあるから、
それはそういうことなんだろうなって思いますね。
やっぱ素を知ってる人がこういう文章にするんだとか、
こういうポエティックな表現をするんだとか、
ポエマー気取りみたいに思われないとは思うけど、
そう思われるのは嫌だな。
自分の大事なもの、すごく繊細なものをさらけ出して、
それがどうこう言われるのは怖いなっていうのはあるかもしれない。
と思えないくらい書き散らかしてるんですけど。
文脈の問題というかね、もともとプライベートで実物を知っているところから見られると、
いっそその実物の見られ方を受かってさ、見られてもちょっと寂しいというか。
そうで確かにそれはあるかも。
なんだろう、これがこう趣味はエレキギターで、
そのノートにエレキギターの音源をあげ散らかしてるんですとかだったら、
気にならなかったりするんですかね。
どうなんですかね。
そうでもない気がするんだよな。
それもなんか恥ずかしいんだろうな、分かんない。
でもそれを別に恥ずかしいと思ってほしいとは思わないし、
やってる人いたいなと思うことは一切なくて、
素敵だなって思うけど、
そういうふうに思う人もいるよなっていう気持ちにはなるから、
それこそ本当にしんさんとか何人かしか言ってない気がしますね。
21:00
そうですよね。
実はそういうのを書いててっていう話をしたのも結構経ってからだったり、
それこそ本読むのが好きでとかって話を深掘りしてってからだったので、
この見極めは難しいなっていうのはありますね。
そうです。
そうね、本の話とかはわりと神話性が高いですね。
読んだものを書くっていうのは。
そうね、全然話変わるんだけどさ、
さっき面白い本書いてさ、持ってきたんですよ。
いっぱい持ってるね。
これはいっぱいあるんだけど。
こんなの持ち歩いてたの?
これは今日届いたやつなんですけど、
江戸商売杖っていう。
すごい、本のいい香りする。
本のいい香り。
本のいい香りって表現あってる?
あってる。
誰?
誰よ。
で、これちょっとね、本当に音声コンテンツには本当に向いてない本なんですけど。
向いてないですね。だって図録でしょ?
そう、杖、江戸商売杖って、
要は江戸時代にあったいろんなこう仕事の、
でも今はもうないような仕事がいっぱいあるんですよね。
すごい、江戸時代13歳のハローワークじゃん。
そう、江戸時代13歳のハローワークなんだよ。
だから、
ちょっとね、目次とかを見ると、
その仕事について、こういう仕事だったよっていう話と、
実際に文献をたどって、
それを絵に描いた、
三谷一馬さんっていう人の本なんですけど、
実際に差し絵としても描いてる。
これね、多分文庫にもなってるんだけど、
ちょっと大きいので描いたかったから、
この箱入りの本を。
いいですね。
で、結構面白いのが、
衣食、薬、銃、職人、芸能、旅、
本当に13歳のハローワークみたい。
ね、あるんですけど、
言っても想像がつくのもあるのよ。
例えば、特に食とかわかりやすいよね。
要は、
僕は結構、何でも売ってるっていうよりはこんな感じで、
ちゃんとか売りが多いんだ。
自然飯屋、豆腐屋、
そば屋の出前餅、
百獣屋って。
百獣屋。
百獣の、百の獣。
へー、生肉店?
かな?あ、そういうこと?
ちょっと見てみよっか。
モモンジ屋。
あー、ジビエ。
ジビエだね。ジビエ屋だ。
モモンジ屋って読むんだ。
へー。
ちょっと珍しい、
24:00
今はないような食べ物とかを、
専門で売ってるみたいな。
言ってもまだ想像しやすい。
本当に何してるの?あなたみたいな。
食料とかがあって、
この牧場を見てると。
一番キャッチーなのが、
ここを見てほしいんですけど、
スタスタ坊主とか。
スタスタ坊主。
わいわい天皇。
三芸三芸とか。
なんか、いいオノマトペって感じしますよね。
そう。そうなんですよ。
ちょっと俺も全部まだちゃんと
読んでないんだけど。
わいわい天皇っていうのは、
何だろうな、なんか古くて、
古い粗末な、
なんか羽織?
袴を着て、
天狗のお面をかぶって、
子供が、あ、子供じゃないのかな?
わいわいって。
食料がわいわいって、
いいですね。
だからこの、
世の時代で働くぼくらってたら、
はいじゃあ今日はわいわい天皇も、
あおいさんに生きていただきました、
みたいなことが言えたりする。
楽しい、それは。
食料わいわいいいな。
なんか結構、
本当にその仕事のあり方が自由だな。
無理やり働くぼくらに寄せると、
そういうことも言えるんだけど。
名乗りたいよね。
スタスタ坊主とか。
スタスタ坊主だいぶな仕事ですね、これは。
スタスタするの?
寒い風の日に、
なんかすっぱだかに締め縄を、
こしみののように巻きつけて、
なんかスタスタやってくる坊主。
え、
何がどう世紀を立てるんだろう?
結局すると踊ることで、
家を元気に踊って回って、
お金を掘って、
世紀を立てたっていうことみたいな。
ポジティブな生ハゲみたいな感じ?
まあ、なのかな。
今の言葉だったらだけど、
当時の言葉でいう、
古事記的な、
お金の貰い方をおそらく知ってるんだろうけど、
一応、祈って。
その祈り方の一つのスタイルが、
裸に締め縄を巻いて、
スタスタ歩きながらやってきて、
めでたいことを言って。
かなりね、
数日前に届いて、
ちょっと出張で全然読めてなかったから、
とりあえずカバンに
入れてこようと思って、
放り込んで開いた。
いいと思います。
これ結構いいと思うんだよな。
何かあった?
最近読んだ本?
今持ってる?
今持ってる本はね、
何を持ってたかな?
えっと、
福井純也さんの
結婚と家族のこれから
大働き社会の限界を読んでました。
27:00
途中までしか読んでないけど。
なんかこう、
まだあんまり読めてないのと、
紙砕きながら読んでるので、
ちょっと、
話が違うってなったら、
あれなんだけど、
なんで
女性になったかとか、
昔は、
昔って言っても本当に
旧石器時代じゃないけど、
そういう類の昔は、
子供が働き口として
いればいるほど良かったから、
別に誰の子であろうが
構わなかった。
から、集落の中で誰かと誰かが
営みをして生まれた子供を
みんなで可愛がってた。
みたいな感じだったけど、
武士の時代になってくると、
どこの家の人が
この手柄を立てたのか
っていうところが、はっきりしないと
いけなくなったから、
親が誰なのか
っていうところを重視するようになった。
とかっていう、歴史的
変遷が書いてあって、
逆に言うと近代は、
女性もやっぱり働き出して、
育ててっていうのが
共働きになってきたから、
結婚という概念の
持つべき意味が
変わってきている。
みたいなことが書いてあって、
えーっと思いながら、
面白いなと思って
読んでいます。
面白そうだね。
面白いよ。
結婚っていうシステムと
共働き、
変わっていくっていうところは、
当然不可否というか、
お互いにすごく影響し合う。
そうそう。
そうそう。
ジェンダーとか、
家庭内での役割とか、
社会の中での役割とか、
っていうところが書いてあって、
面白いなぁと思っています。
いいです。
えーっと、
最近読めてないなあんまり。
なかなか、
意識して読もう読もうとは
思っているけれど、
でも読む本の
種類というか、好みも
変わってきたなあっていう気がするのと、
まとまった長編の
小説が本当に読めなくなったね。
悔しいあれは。
どう変わってったの?
好み。
好みで言うと、今みたいな新書っぽいのを
結構好んで読むことが増えた。
のが一個と、
本当に長編の小説は
読めなくなった。
集中が続かなくて。
ちょっと前までは、
短いのがいっぱい入ったエッセイみたいのしか
読めなくて、
変わっていくなぁと
思いますね。
先生もね、食わず嫌いを
してたんだけど、それこそ
ケーキの切れない飛行少年たちを
読んで、
あ、こんなに面白いんだ先生って
思って、ちょいちょい手に取るようになって
30:01
きたかなって
思います。やっぱりそうね。
仕事に関する
本が多いかなぁ
今は。直接関わってるわけじゃないけど。
まあ終焉というか。
そうそうそうそう。
大人の発達障害とか。
新書はいい文化だよね。
基本海外にはないと。
まあなんか日本独自の企画
らしいしね。
確かに新書は増えたかもしれない。
最近。
読む。まあ別にそれは全然いいこと
いいんだけど。
長編小説は確かにちょっと
減っているかもしれないですね。
でも長編小説から
しか得られない
心の動きもあるじゃないですか。
ある。
あれに乏しくなっていってるのは
なんか悲しいなぁと思って。
なんかね、
感受性高めていきたいなと
思いますね。
自分の感受性
くらいって知ってる?
自分の感受性くらい
自分で守れ。
これ一番最後か。
パサパサに乾いていく心を人のせいにはするな。
自ら水やりを怠っておく。
これね。
刺さっちゃう。
大事ですよ。
そうね。
確かに
なんかその
大学の専攻に関わったような
ちょっと重め長めみたいな本は
徐々に
読めなく
読む頻度みたいなものが
落ちてきたというか
間が開くようになったというか。
そうな気がします。
読んでいきます本。
読んでいきます本。
32:24

コメント

スクロール