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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
楽しいは作り、生み出し、時に待つもの。
今日はこんな話をしましょう。
人間はですね、想像する存在なんですよね。作り出す、生み出すということですね。
楽しいということに対する受け身の姿勢はですね、環境とか条件とか状況ね、外部に支配されちゃうと。
そういうことでもあるわけですね。だから自ら意味を見出したり工夫していくね、この流れ。
これをここにこそですね、人の尊さとか美しさとか楽しいのね、源っていうものがあるわけですよ。
だから外からの刺激、娯楽とかの楽しいですね、こういったものを待つわけではなくてですね、受け身ではなく、
自分の方から、自分の内側から興味を発していくですね、主体的な楽しいっていうね、
これこそがですね、やっぱり人生ね、彩っていくと思うわけ。
ところがですね、反対にね、待つ楽しさっていうのもね、あるかなと、そんなふうにも思うわけですね。
種まいてからね、僕あれですから、畑やっててね、やっぱりこの辺すごい思うんですね。
ガーデニングとかも大好きなんですけども、やっぱり芽が出てきて、双葉が出て、
それで本葉が出てっていうね、成長していくわけですよ。
で、花咲いて、収穫みたいなことになるわけですけども、やっぱりずっとずっとそれ待つんですよね。
待つって待つな、やっぱり待つな。
お水あげたりとかさ、じゃがいもだったら土寄せっていうね、そういう作業をやったりとかするんですけども、
でも楽しさが熟していくっていう感じですかね。
だからこの待つ時間っていうのもまた楽しいみたいな、そういう感じですかね。
だからどっちの場合も対象を見ながら判断できると、やっぱりダブルで楽しみになってくるかなというふうに思うわけですよ。
だから楽しいっていう感情はですね、我々の人生を彩る、なんかね、すっごい鮮やかに色彩の一つだなと思うね。
でもこの色彩をですね、どうやって広げていくかみたいなね、こんなところが大事かなと思うわけですよね。
まずね、先ほども言いましたけどもね、人間はね、創造する、作り出す、生み出す存在だというところですね。
これね、哲学の中でも実論主義っていうのがあるんですけども、そこではですね、人生に最初から意味があるわけじゃないよと、
自ら意味を作り出すことによって人生っていうのは形作られるよっていう、こういう教えがあるんですね。
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例えば単調の作業でもさ、そこに自分なりのルール設けたりとかさ、美しさを見出したりとかさ、概念や意味だとかさ、
そういったものを感じることができればさ、この時初めて他者とか環境とか外部の支配から脱却できるわけですよ。
自分が人生の主導権を握っているということになるわけですよ。
またね、自分はね、これは楽しいもんだっていうですね、こういう意図を持ってですね、
どんなことでもいい、いろんな世界に触れてみるとですね、そのまま自分の、これは楽しいんだっていうね、
こういう思い、エネルギーにまるで呼ばれるかのようにですね、答えるかのようにですね、
現実っていうものもですね、楽しいものにね、だんだんだんだん変化収束していくわけですね。
だから主体的に興味を発していくのは、世界っていうですね、まるでなんか動いてない、静止がですね、
ここにですね、自分の興味の灯火っていうものをですね、灯してですね、動画に変えていくみたいな、
こういうね、魔法のような力を持っているんじゃないかなっていうふうに思うわけです。
でもね、一方ね、何でも自分の思い通りにコントロールしようとするのは正解ではないですよね。
だからここで待つことの美しさっていうね、ここの重要な視点がね、出てくるわけですよ。
人間の精神的な成長とかインスピレーションとかにはですね、一定のリズムと潜伏期間が必要だと言われているんですね。
これだから植物がさ、土の中で芽吹く準備するようにね、人間も内面でですね、内側ではですね、
新しい楽しさとか喜びっていうのがですね、どんどんどんどんこうね、形になっていくまではですね、静かな時間がですね、必要なんですね。
だからこの農科学の分野でもぼーっとしているときとかね、休息しているときはですね、デフォルトモードネットワークっていうのが活発になるんですね。
ぼーっとしているときに活発になるんですね。
ここの回路がね、最近注目されているんですよ。
だからこの状態のときこそですね、脳内の情報が整理されて、新しいアイデアとか楽しさの種ですね、こういったものがどんどんどんどん結びつくことが分かっているんですね。
つまりね、待つという行為はですね、決して停滞ではなくて、脳と魂が次の秘薬ですね。
それが行動ですね。
ここに向けてエネルギーをどんどん熟成しているね、なんかやっぱクリエイティブな時間だなというふうに感じるわけですね。
ただね、逆側の視点から見たときにですね、もしも外側からの刺激ですね、この娯楽に対してですね、完全に楽しさ依存しちゃったらこれどうなるかということがあるんですね。
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外部の刺激による快楽というのは、ドーパミン、ドーパドーパこれ出てくるんですけども、前にも何度かお話ししますけども、耐性ですね。
要は耐えちゃうわけ。もう全然それじゃ面白くない、面白いと思えなくなっちゃうわけ。
これ快楽殉納、快適殉納とか言われてるんですけどね。
するとですね、やっぱりより強い刺激とか、より新しい娯楽とか、こんなのをどんどんどんどん求め続ける。
だから快楽のですね、虜になってくわけですよ。
心が常に渇望感に支配されちゃうわけですね。
これはね、自分の内側から湧き出てくる楽しさとは正反対なんですね。
条件付き一時的快楽に過ぎないもんね。
だから、また逆にですね、楽しさ、楽しいものは自分で作らなければならないみたいなね。
なければならないみたいな、これが強すぎると、これは執着にも変わっちゃうわけよね。
この時はやっぱりほら、自分の期待通りに状況が進まないとストレス感じちゃったりとか、
先ほど言った静かな喜びみたいな、熟成みたいな、こういったものは完全に見失うわけですよ。
能動性、能動的に動こうっていうことが脅迫観念に変わっちゃうと、心は柔軟性を失っちゃって、固くなっちゃってさ、
本来の楽しさ、楽しいということからは遠ざかっちゃうわけですね。
だからこそなんですけども、結局人生の達人はですね、
この作ると待つをですね、自由に作るということ、楽しいを作るってことと楽しいを待つってことね、
この2つを自由自在に生きてできるっていう人のことかなとも思うわけ。
自ら積極的に動いてですね、世界に働きかけるようのエネルギーね、
明るい炎エネルギーと状況を受け入れて熟成を待つ陰のエネルギーですね、影のエネルギーですね。
この両輪が揃って初めて、環境に支配されない自由な存在になれるんじゃないかなというふうにも感じるわけですよ。
相手が自分の働きかけを必要としているときは、こちらも情熱を持って楽しさを生み出して、
相手が自ら育とうとしているときは、まるで庭師のようにですね、そっと見守って熟すのを待つっていうね、
この二つの姿勢ですよね。
こういったものを使い分けられれば、毎日ですね、躍動と静寂が織りなすね、
とても豊かなものになるんじゃないかなと思うわけ。
だから自分を信じて作るっていうね、勇気と。
だから世界を信じて、相手を信じて待つ余裕ですね。
この両方を持って歩む道が何か贅沢でですね、尊い楽しみ方なのかなとも思うわけです。
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ということで、本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
今日も能動的に行ったり、まったりしながら過ごしましょうということで、また明日。バイバイ。