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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
今日は悪魔祓いという話なんですけれども、自分を否定するとか、破壊しようとするとか、
自己破壊とか、苦しみに誘う、さらに苦しい方に、どんどん自分を追い込んでいく。
これは自分の心の中に進んでいるんですね、悪魔というのが。
ところが、それは決して性格でもないし、突然現れた邪悪な意思でもないわけですよ。
その悪魔は、かつて過酷な環境を生き抜くために、自分の心が必死に作り上げた、極限の防衛本能の化身、この化身ですね。
化身なのかもしれないですね。まず生存戦略ということなんですけど、
人が、例えば性暴力にあったとか、支配がひどかったとか、人格否定されたとか、
理不尽な暴力を受けていたとか、逃げ場がない被害に遭い続けると、脳と心は極限状態に置かれたりするんですよ。
これ、脳科学の視点で見ると、神経系が常に警告と赤信号を灯し続けているような状態なわけ。
だから、人間は危険に対して、逃げるか戦うか選択するんですけども、
それも、どっちもできなかった場合、許されないような絶望的な環境だと、心は凍結、固まるということですね。
だから、乖離、離れるですね。自分から離れていくということですね。
こういう手段を選ぶんですね。感情を殺して、もう全部感じなくなっちゃったりだとかね、そういうふうになっていくってことだね。
ところが、この時、凍結した心を守るために、悪魔のような存在が生まれるわけですね。
精神医学で、乖離性、同一性とか、パーツ心理学、内部家族システム療法とかで言われているこの分野では、
この悪魔のような存在は、逆に守護者、守り手の一種とされているんですね。
ところが、この守り方があまりにも過酷なんですよ。
例えばですね、これ以上の絶望を味合わないためには、最初から希望を捨てたほうがいい、
苦しみの中に居続けることが最も安全だ、こういう判断しちゃうんですね。
地獄のような現実を、これが世界の全てであるというふうに思い込んで、
予測不能な恐怖を、予測可能な苦痛、このほうがまだマシって、
こういうふうに変換して、何とか心の崩壊を食い止めている守り手なんですね。
だからどれほど惨めで厳しい環境であろうとも、変えようとしないし、変わらないことを選択してしまうんですね。
切なくも悲しいこの選択だけどね、消極的な諦めじゃなくて、
本人が生き延びるためにさてにした能動的な選択でもあるんですよ。
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お次は、苦しみの正義ということなんですけどね。
回復や安らぎとか、誰かからのサポートとか真心、こういうものがあったとしても、
この人たちは激しく拒むんですよ。
なぜかというと、そこには被害を受けた方が陥りやすい、生存者の倫理というものが深く関わっているんですね。
人間は自分の体験に意味を見出そうとする生き物なんですね。
例えば、理不尽な暴力や否定をされたときですね、それを単なる暴力や否定というふうに認めちゃうとですね、
自分の存在が根底から否定されたのを認めることにもなっちゃうわけですね。
特にそれが親からだった場合は、心に激しい痛みを伴うわけですよ。
そこで悪魔は何て言うかというと、この苦しみには意味があるよとか、
苦しみ続けることこそがこれまでの自分を守ることなんだよって、
こういうのは歪んだ倫理観を作り上げちゃうんですね。
もし誰かからの親切や真心を受け入れちゃったらですね、
あの時の自分、あの時の涙、あの時の絶望が無意味になっちゃうんじゃないかと、
特に親から受けた傷の場合ですね、それを認めると親を否定することにもなっちゃう、
こういうふうに勘違いするわけですけどね。
そのような恐怖から心や価値観が歪んでですね、
だから誰かがさあ親切とかで手を引いてくれようとしてもですね、
それを過去に対する裏切りっていうふうに感じてみたりとか、
受け取ってはならないものとか、近畿ですね、もう手出しちゃいけないもの、
そういうふうに変えちゃってですね、この親切な人も敵にして追っ払っちゃうんですよね。
またここではですね、本来加害者が追うべき、
例えば親子の関係だった場合、親が追うべき罪をですね、被害者が取り込んじゃうんですね。
私が罰を受け続けることでしか、私は存在を許されないっていうですね、
こういうですね、自己責任にすり替えてしまうんですね。
これはね、無力だった子供時代にですね、過酷な環境を生き抜く時にですよ、
世界をですね、理不尽で予測不能な場所っていうふうにみなすよりも、
自分が悪いから罰せられてるんだと、自分が正しくなれば状況は変わるかもしれないと、
こういうふうに信じるほうがですね、わずかながら自分のコントロール感を持てた、
持てるというですね、こういう経験から来てたりもするんですね。
だからとっても悲しい体験で選択なんですね。
で、お次が再被害ですね。
今度はね、自分の中にいる悪魔がですね、
何ですかと言うと、自ら危険な状況とか支配的な関係を引き寄せたりだとかし始めるんですよ。
これ一見ですね、自己破壊的な行動に見えるんですけども、
真相心理学の観点では再演っていう呼ばれる現象なんですね。
さっきも話しましたけどね、それまでの自分にとってさ、
親切とか真心とか安全とか尊重とかね、思いやりとか優しさっていうのは未知の脅威なんですよ。
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だから何をされるかわからない優しさよりも、
何が起こっているのかわかっている否定とか暴力のほうがですね、
これまでの自分にとって安定してる、安心できるって感じちゃうんですよ。
悲しい、本当に。
これは知らない幸せよりもさ、知ってる不幸のほうがさ、
生存戦略としてさ、読めるでしょ。計算もできるよね。
だからこの痛ましい選択っていうのがですね、再び自分を傷つける場所にね、
自ら足向かわせて自分粗末に扱ってくれる人とか、
暴力してくれそうな人とか、そういう人に自分から近づいて、
傷つくように仕向けて、傷つけられるような出来事が起こるんですよ。
否定されるようなことをして、否定してくれる人に否定されるんですね。
それはね、自分を壊すためじゃなくてですね、
新しい世界で自分がバラバラになってしまうことを防ぐための、
とっても悲しいね、切ないね、選択でもあるんですね。
で、次にですね、やっぱり境界を越えていくんですけども、
この状態になった人はですね、他者との間に高い壁をやっぱり築いてるんですね。
やさしさとか真心とか親密さとか、こういったものが自分に近づいたらですね、
逆にね、脳がですね、警報を鳴らすんですよ。
信頼が芽生え始めたら疑うんですよ。
この発達心理学とか愛着理論の視点だとね、
これね、獲得型の愛着障害っていうものの極地なんですね。
かつて裏切られ続けたさ、神経にとってね、
他者は全てさ、潜在的な加害者なんですね。
世界は戦場なんですよ。もう戦の場なの。
だから一人でやっていかなければならないとか、
自立して全てを完璧にこなさなければならないし、
誰も頼ってはいけないっていうふうに思っちゃうわけですね。
この世界観は安全環境にいる人たちからすれば、
過剰反応に見えるかもしれないんですけども、
かつてね、その場所にいた人にとってはですね、
命を守るために選択したですね、悲しくて切ないね、
唯一の正解だったんですね。
だから悪魔がささやく、誰も信じるなっていう言葉はですね、
かつての自分を死から守ったものでもあったんですね。
そうなんです。だから守り手なんですよということなんですね。
大切なのはですね、この悪魔とみなされる存在を
排除すべき敵として扱わないことなんですね。
これはだからユングの特殊波動ってことなんですけども、
戦おうとすればそれは自分自身との内戦になるでしょう。
さらに自分を疲れさせちゃうんですよ。
自分を守るために今まで武装して悪魔として活躍してくれたわけですから、
攻撃されればされるほどですね、より強固になってですね、
より攻撃的に自分を守ろうとしちゃうんですね。
自分から自分を守ろうとしちゃうわけですね。
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だから誰も信じてはならないとか、
人はみんな私を否定する、傷つけてくるっていう体験からですね、
それまで胸の中にね、ずっと心の中に持ち続けてきた
固くなな信念ね、これなくしていくにはどうしたらいいのかということなんですね。
それはですね、被害者の自分という物語を書き換えるのではなくてですね、
その物語の続きにですね、今の安全な現実っていうですね、
新しいページをですね、書き足していくことなんですね。
加えていくことなんですね。
回復はですね、自分が持っている過去の重荷を理解するというところですね。
で、その役割を解いてこそ成立するんですね。
自分の内面は単なる理解や言葉だけでは変わらないんですよ。
裏切られないんだっていう時間の積み重ねがまず必要なんですね。
傷つけられないんだ、否定されないんだっていう
身体的な安全の実感も必要なんですね。
だから尊重されるんだっていうですね、関係性も必要なんですね。
で、こういったですね、新しい体験が繰り返されていく。
少しずつ、少しずつですけど繰り返されていくと、
脳の神経回路は少しずつなんですけど、これ更新されていって、
自分の潜在意識ももうあんなに過酷な方法で守らなくても大丈夫なんかなっていうことをですね、
学習し始めていくんですね。
ということでね、自分の中にいる悪魔はですね、決して悪魔じゃないんですね。
今日まで生き延びてきたことの何よりの証拠だったりするんですよ。
これが何よりの証拠だったの、証拠だったの。
だから悪魔って言うんですけどね、これは自分がどれほどの絶望の中でも決して自らを見捨てなかったね、
っていう証拠でもあるんですよ、これはさ。
だからさ、悪魔は自分が安全を確信したときはですね、
今までのその険しい表情を和らげてですね、静かに役割を得てくれるんですよ。
破壊者でもなく、最も不器用で最も忠実だったですね、
かつての守り手としてですね、自分の内側で安らかな眠りにつくんです。
統合するんですよね。
だからそれまではね、その存在を急いで変えようとしちゃいかんのですよ。
ただね、悪魔さん、あなたは私を守ろうとしてたんだね、ありがとうって。
そうやって光を当てることからね、静かな対話も始まるんですよね。
なんて言ってますけど、ややこしいのはですね、内的な悪魔に自分を乗っ取られている最中ですよ。
外部からね、さらによろしくないものが自分に入るっていう、こういう側面も実はあるんです。
例えば女性の場合ですね、この状態で知り合いになったね、
人と体の関係なんかになったら、場合ね、相手のエネルギー、相手の悪魔ですね、
これを自分の中に取り入れちゃったりするんですよ。
また大抵こんな時はですね、自分の運を下げてしまうような余計なことをしたりとか、
実際そういうことを起こったりとかしますしね、
行ってはいけない場所にも自ら足を踏み入れたりとかしちゃってるんですよね。
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だからなかなか一人で脱出なんかできないんですよ。
だから我々はね、身近にいる味方としてですね、
そんな方がいたらですね、愛を手向けていくしかね、ないのよ。
とっても地道で長い工程だけどね、裏切られないという時間の積み重ねでしょう。
傷つけられない、否定されないという身体的な安全の実感でしょう。
だから尊重されるっていう関係性でしょう。
この辺さあ重ねていくしかないんですよ。
なぜならば悪魔払い、本当の悪魔払いはですね、
愛の力でしか消し去れないことなのです。
ということで本日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
また明日お会いしましょう。
それでは。