1. ラジオ版今日もはまようび
  2. #43 お泊まり保育の意味
#43 お泊まり保育の意味
2026-07-16 30:01

#43 お泊まり保育の意味

spotify apple_podcasts

7月15日・16日と神戸市立自然の家へ、大きいぐみとお泊まり保育に行ってきた話しをします。

#声日記 

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

はまようちえんの年長児が「お泊まり保育」を無事に終え、その様子が語られます。特に、体調を崩しながらも独自の形で「お泊まり保育」を完結させた園児のエピソードは、その経験の深い価値を示しています。このプログラムは、子どもたちが親元を離れ、仲間と共に非日常を体験することで、普段見せない潜在能力や感情を引き出す重要な機会であると強調されます。コロナ禍で減少傾向にある中、はまようちえんではその教育的意義を深く理解し、大人たちが協力して実施していることが語られ、最後にスピーカー自身のトレイルランニングレース「御嶽百キロ」への挑戦についても触れられています。

オープニングと「お泊まり保育」の報告
ラジオ版今日もはまようび。私になる僕になる、食うのも走る人生。 この番組は、はまようちえんの62歳のチーフディレクターでトレイルランナーのハタが、
幼児教育とランニングに満ちた毎日の中で、今語りたいと思ったことを気軽にお話しする番組です。 僕の経験や考え、そしてささやかな挑戦が聞いてくださる誰かの心に少しでも響いてくれたらいいなと思ってお届けします。
どうぞあれこれしながらお気軽にお聞きください。 7月16日木曜日時刻は18時29分です。皆さん本日もお疲れ様でした。
7月の3日以来、ずいぶん空いてしまいましたが、もう早くも7月の半ばを過ぎました。
と言っている間に梅雨も明けて、夏真っ盛りになっている今日この頃ですけれども、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
僕の方はというかはまようちえんは、今日大木組さん年長児ですね。年長児のお泊まり保育に昨日から行っていて、今日帰ってきました。
無事に大きな怪我をすることなく、皆無事に帰ってこれてよかったです。
体調不良の園児と「お泊まり保育」の完結
1人だけ残念なことに、1日目の夕方終わって、夕方終わってじゃないな、夜のキャンプファイア終わってからか、
キャンプファイア終わってから体調が崩して、熱が出てしまって保護者の方に迎えに来ていただくという事態が一件あってしまいました。
これまでも深夜に迎えに来ていただいたりとか、あるいは我々が途中まで送って行ったりとか、タクシーで迎えに来てくれたりとか、そういうことはありました。
それもいい経験にしていただきたいなと思うんですよね。
この悔しかった、本人はすごく悔しい思いをして、このお泊まり保育でかける思いは一一倍あった彼なので、本当に悔しいという思いを見せてくれました。
それも素敵やなと思いますね。
最終的に、昨日帰ってその彼は一晩で、熱は下がったらしくて、でも早朝に迎えに来ていただいて、朝9時から山に登るというのは間に合わないので、
せめても自分自身へのピリオドを打つために、全員がバスに乗って帰ってきた地点で、浜内への近くの地点で、
昨日のお泊まり保育の格好をして、リュックを背負って仲間たちを迎えて、一緒に最後、バスを降りた仲間たちと合流して幼稚園まで歩いて帰るという、
そういう今までにないパターンを自分自身で考えて、最後の自分のピリオド、お泊まり保育のピリオド、自分だけのお泊まり保育のピリオドを打ってくれました。
そのアイデアというか、その思い、強い思いがとても素晴らしいですよね。これは本当に一生に残る体験。
ある意味ずっと続けて、そのまま居て山登りすることよりも強く印象に残るお泊まり保育になったんじゃないかなというふうに思います。
人生これからですから、幼少期の様々なつまづき、壁にぶち当たる、思い通りにならなさということに対して葛藤して、そしてこのように自分なりに解決策というか折り合いをつける、
そういう手段を見つけて実行に移す。素晴らしいなと思いますし、この経験がやがて何かにつながってくれたら嬉しいなと思います。
「お泊まり保育」の教育的意義
こういうお泊まり保育というイベントをやっています。はまようちえんのお泊まり保育はコロナ禍でもやめなかったぐらい大事にしているもので、
なぜ大事にするかというと、やはり親から離れて一泊二日、毎日一緒に幼稚園で過ごしている仲間と共に寝食を共にする、同じ窯の飯を食い、同じ布団で寝るという体験。
そして二日目には普段やったこともないような山、今使っているルートはわりと険しいんですよ。険しい山道を距離は短いんですけども、わずか片道800メートルです。
片道800メートル往復する登山ですけども、獲得標高は190メートルですね。800メートルの間に190メートル登るんですけど、わずかその山登りですが、彼らにとっては非日常ですよね。
ほとんどの人がやったことない体験です。
父の日ハイキングとか秋のモミジガリハイキングとか、休日に行う僕が委託するイベントは、基本自分の親と一緒に歩くので、それはある意味日常の延長なんですよね。
自分の親と一緒に歩くと言うと、わがままも言えるし、しんどくなったらしんどいって言えるし、おんぶしてって言うとおんぶしてもらえるし、日常なんですよ。
このおとまり保育は、そういう助けてもらう親という存在がいない。それはすごく大きなことです。
自分で何とかしなくちゃいけない。あるいは仲間にヘルプを言って、あるいは浜用の大人たちにヘルプを言って、何かあったら乗り越えていかなくちゃいけない。
自分が主体になって、自分を一泊二日無事に帰ってこらせるという、そういうイベントなので、普段見られないその子の姿が出てくる場合がありますし、
普段隠していた能力とか感情とか思いとか願いとかが浮き上がってくる。沈んでいたものあるいは隠されていたものが表出してくるというようなことが起きるのがこのおとまり保育なんですね。
大人たちの気づきとプログラムの目的
今日先ほど二日間の振り返りを終えて、浜用の大人たちが一人一人感想を述べていきました。僕を含めてね。一年目のスタッフから僕まで一人一人が感想を言ってきました。
その中で、やはり子どもたちの普段知られない姿が見られたというのは、現場の大人たちの幾度に聞かれたことでした。
いつもみんなを統制している人がそれができなかったり、親と離れることによってその寂しさが勝ってしまったり、あるいはいつもは話し合いの中でも発言しない子どもが、
このプログラムの中である問題を解決していくというファンタジーの世界を、また我々の得意技ですけれども、ファンタジーのストーリーの中で山歩きをします。探索をします。
そんな中で、あれはこうじゃないか、これはああじゃないかというようなアイデア、普段は出せないアイデアを、普段話し合いの中で前に出てきて話さないような人たちが何名か率先してリーダーシップを取って発言したり、その場を動かしていくという役割になったという話が聞かれました。
それこそがこのお泊まり保育をやることの意味であり目的であり願いであるんですね。
ですから、これは本当に浜洋のカリキュラムの中でもとても大きな位置づけにあります。
この5歳の夏の最初に5歳になった1学期を過ごしてきた仲間と、まだそれでもぎこちない仲間感ですね。ぎくしゃくとしている仲間感。
特に浜洋の場合は普段自由に好きなことして過ごしているので、同じ年長の仲間8名ですけれども、その仲間がぎゅっと一つになるというような体験がほとんどないんですね。
遠足に行っても自由に遊んでいるし、日頃の生活の中でも好きなことをしている。お仕事に対しても遊びに対しても。
そんな中で徐々に話し合うことを積み重ねてきて、それは多くの場面では話し合いのテーマは生活についてなんですね。
生活がより良くなるようにという、大げさに言うと自治する。自分たちで自分たちの生活を自治していく。
そのためには自分たち大きい組は何をするべきかということについて話し合っていくんです。
ですがそういう場面では前面に立たない、アイデアも出さないという子どもたちがお泊まり保育の中で関係性が逆転するということが起きたという話が出てきました。
そのようにして僕たちはこの経験から何を学ぶのかというと、子どもが日頃見せてくれている子ども自身の姿はほんの一部であるということですね。
その姿、繰り返し見られる姿、その姿を見て、この子はこういう子であるとか、こんな時にはこういう風になるやろうとか、
こういう場合では発言しないやろうとか、こういう場合では発言するやろうとか、こういう場合では先頭立つやろうとか、ビリだろうとか、
そういうことを日頃の見えている姿だけで我々は大人はついつい見てしまいがち、決めつけてしまいがち、思い込んでしまいがちなんですね。
だけどそれはそうではない。このお泊まり保育というのは、そのそうではない部分を教えてくれる大きなイベントです。
それは体験が、与えられる体験が大きいからですね。親と初めて離れて、おじいちゃんおばあちゃんの家に一人で行って泊まったという経験もある人もいるかもしれないですけれども、
そうではない。仲間とこのようにして幼稚園の仲間と幼稚園の大人だけと幼稚園の家族だけと過ごす一泊二日というのは全く初めてなわけで、
そういった自分の普段体験できないことを体験する。そしてその体験が大きければ大きいほど潜在能力というか新しい自分が開かれていく。
自分でも知らなかった自分が開かれていくという体験をしてほしいなと思っています。
まさにそういった体験ができたんじゃないかな。数名の人たちの中では顕著に見られた。
もちろんそういう姿が顕著に見られなかった子どもたちでも内面の中ではすごく動いているかもしれない。
それは時間が経ってから浮き上がってくるものかもしれない。
それぐらいの我々は大きくそして魅力的でワクワクする楽しい体験としてお泊り保育を位置づけています。
「お泊まり保育」の価値と実施への思い
人生の中でもしかすると山を歩くという体験はこれっきりの人がいるかもしれないですよね。大げさじゃなくて。
昨今本当に小学校中学校では先生たちの重労働を回避するべく大変な行事というのは薄められてきている。
この夏の話題でいうとプールの授業ですよね。が外部委託になってきているとか。
外部委託になっているだけなら子どもたちの体験は保証されるというふうに言えると思うんですけども。
全くなくなっていったりとかすると本当に特に自然体験は幼少期にこそしてほしい体験だと僕たちは信じているの確信しているのですけども。
それ以外で体験する場がなくなると本当にこのお泊り保育での一泊二日の山の中での体験が生涯にたった一度の山歩きの経験という人が少なくないかもしれないんですよね。
でもそれがその人の人生に何を及ぼしているかというのは僕たちは知らない。知ることができない。
これはこうであるというふうに絶対的に良いものであるというふうに人の価値観に欠かせないものであるというふうに言いたいけどもそこまでは言えないかな。
だけど本当に大きな体験だというふうに位置づけて大事にしてきています。
コロナ禍を経て多いったお泊り保育が巷では減っているという声も話も聞きます。
何のためにやっているのかということが確信持てないからかもしれません。
あるいは昨今高速時間が長いお泊りになると昨日は1日の振り返りを12時ぐらいまでですね。
深夜12時ぐらいまでやっていました。
なぜ12時ぐらいまでなるかというとやっぱり話がつきないからですね。
今日あった出来事の中で気づきそれぞれが話し合っていくだけで話がつきないからですけども。
そして子どもたちと一緒に寝るので現場の大人たちは寝る時間も働いている時間になる。
働き方改革の名のもとにそういう働き方をさせるのはいかがのものかみたいなね。
そっちの方向から見るとそうかもしれないけどはまようちえんははまようちえんに集まる大人たちは今言ったお泊り保育の意味、
子どもたちの体験の意味を深く理解して3、はまようちえんに来てほしいし来ているはずだし、
ここは大切にしていきたいという思いの中で今年も若手が大きい組の担当3人が企画から練ってファンタジーの物語を作って
子どもたちがそのストーリーの中に没頭し楽しい2日間を過ごすことができました。
かえって子どもたちはどんな感想を述べるんでしょうか。
あるいは述べない、全くお泊り保育どうだったって聞いても別にっていう人もいるのかもしれないけど、
それは言葉にできない体験っていうものかもしれない。
まだ言葉化できないっていうことも認めてあげてほしいなと思います。
言葉にできないからといって何も影響していないとかとるに足らない体験だったというような判断をするのは
尊敬かなというふうに思いますね。
山歩きコースの詳細と準備
ということでお泊り保育の2日間でした。
3年ぶりに山歩きできたんですよね。
去年一昨年は雨で僕はその登山のコースを朝調べに行くんですね。
全コースを朝走って危険な箇所はないかとか、あるいは草木が茂っていて通りにくい。
通ると嫌だなと思うような子どもたちがことさらにハードルを上げてしまうようなルート場所になってないかな。
そんな場合があったら草刈りをしたりとかするんですけども。
そういう雨の連続雨でそれでもギリギリまで下見をして雨の中下見をして止むかなどうかなという。
今時はねあのウェザーニュース僕は会員になってますけど、
それで雨雲レーダー見ながら判断を迫られるんですけども、なくなく2年間は中止にしました。
小雨程度なら今までもう何度も行ってますし、そこそこ降ってても行ったことはあるんですけども、この2年間行けなかったので3年ぶりに行けて。
3年目の大人のスタッフたちは初めての山歩きになったので、その山歩きでの体験も彼女ら自身にとっても新しい発見が多くあるこの2日間だったんだろうなというふうに思います。
はい、そんなことで保護者の皆さんありがとうございました。本当に無事帰ってこれてよかったなと思います。
はい、ということでこの週、この12週間ほど何をやってきたかというと、
つゆやけして暑いですよね、毎日ね。
ロッコさん行ったんですね、お泊まり保育所。ロッコさんはそれでも涼しかった。風は割とあって、そして長峯山の山頂に行く頃には程よい曇り加減で風もあって、
気温もそんなに高くなくてよかった。歩きやすかったですね、本当に。むちゃくちゃカンカンデリーで暑くて大変ということもなかった。
僕は4リットル背負っていたんですけど水を。全然使わなかった。子どもたちに分け与える必要がなかった。
各自の担任の大人たちが持って行っているもので事足りたということでしたので、そんな感じでしたね。そんなに過酷ではなかったということでした。
ただ往復1.6キロなんですよ。1.6キロ2時間半かけましたからね。
僕が朝下見に行ったのは30分ですけど、30分下見で往復してくるところを2時間半かけて歩いてきたんです。
ですからそれほど過酷ではない子どもたちに合わせながら歩いたことがお分かりいただけるかなと思うので、そんなに無茶なことをやっている。
僕がやることだからずいぶん無茶なことをやっているんじゃないかと思われる節もあるかもわからないですけど、そんなに無茶なことをやっているものではありません。
このルートも本当に様々な路牌して決めたルートなので、程よいルートになっています。
以前は野瀬のほうでやっていたんですけど、野瀬の野外活動センターが閉鎖になって、今の六湖山、六湖自然の家を拠点にして歩くコースにしています。
御嶽百キロへの挑戦とトレーニング
この2週間、今週末は僕は御嶽百キロに出場してきます。
日曜日の午前0時スタートです。
あさって移動しています。
また夜のスタート、夜のスタート好きなので嬉しいですね。
御嶽百キロというのは、よくよく調べてみると、YouTubeとか見ると、これはトレイルランニングというカテゴリーでいいのかというような山の中を走るのですけども、
ほぼほぼ林道で走り続けなければならないという、林道を使ったウルトラマラソンかなという感じ。
御嶽百キロで累積標高が3千ちょっとなのかな、3千ちょっとかもしれないですから、春のコモノホーピークスは38キロで3千メートルですから、
それに比べるとずいぶんなだらかな100キロで3千ちょっとということなので、ずっと走り続けなくちゃいけないというレースになっているらしいです。
初めて参加するのでわからないんですけど、この3週間はちょっと上りの強化としてどこがいいかなと探していて、
京都のあたご山を3週間連続で行ってきました。
2週目から3週目にかけて17キロのコースを30分短縮できたので、まずまずいい感じに仕上がってきていると言えると思うんですけども、
カガスパーでリタイアしてますから、カガスパーは完全に補給職の失敗だったので、その失敗を糧にして、そこから学んだ補給の仕方というのを今回試して、
熱中症や脱水に気をつけて、胃を壊さないで最後まで走り切るということを目標に挑みたいと思います。
目標時間は17時間以内を目標にしたいと思います。
京都の銭湯巡り、今後の予定とエンディング
京都の銭湯巡りとかも、あたご山で走ってから銭湯入って帰ってくる週末を続けてるんですけど、
京都いいですね、銭湯多くてね。
京都の銭湯はすごく利用者が多いです。
本当に生きてるって感じ、銭湯が生きてる感じ、銭湯がすたれてないので、どの銭湯行っても活気があっていい感じなんですけども、
ある種の銭湯は人気がありすぎて、サウナに入るのに待ち時間が出るみたいなことなので、
それもちょっと困ったもんだなというところなんですけど、
待ち時間があるサウナって僕嫌いなので、行きたくないのですけども、
星、土日は行けないですよね。平日に行く機会があったらそういった銭湯にも行きたいなと思っているところなんですけども、
来週、研修あるからね、京都で研修あるから来週入って帰ろうかなとか思ったりしますけど、
そんなところでいいですかね。他にもありますけど、ちょっと長く話しすぎる嫌いがあるので、
今日は30分くらいか、こんなくらいでいいですかね。
パーソナルトレーニングというのも始めてるんですけど、それはまた御滝終わってからお話したいと思います。
あさって御滝100キロに移動します。出走してきます。
では今日はこの辺で終えたいと思います。聞いていただきありがとうございました。本日もお疲れ様でした。さようなら。
30:01

コメント

スクロール