夢の実現に向けた出会い
皆さん、こんにちは。浜ちゃんの明快ビジネス宅配便へようこそおいでくださいました、パーソナリティの浜田幸一です。
この番組はですね、スピーチプレゼンテーション、コミュニケーションの取り方がうまくなりたい方、夢を実現したい方、人間関係でちょっと悩んでいる、あるいは出会いの素晴らしさについてですね、ザックバランに語っていきます。
きっとですね、あなたの悩んでいることのヒントもあるかもしれませんので、最後までじっくり聞いてくださいね。
よかったら、いいね、コメント、フォローなどもらうとすごく嬉しいです。
それでは今日はですね、夢が実現する出会いの素晴らしさということについてお話したいと思います。
いつもあれ、僕20代のときに夢を持っていたんですよ。22、23歳ぐらいのときかな。
30歳で本を書いて研修講師になるという夢を持っていたんですね。
最初に決めたのは小学校3年生で決めたんですね。
それは放送でもお話していますけども。
いろんなですね、講演会とか研修会、セミナーに行ったんですけども、まあどれも外れたね。
眠い、つらい、しらける、役に立たない、お金と時間の無駄みたいな感じだったんですね。
当時、青年会議所という組織に入っていました。これはね、全国組織なんですよ。
簡単に言うとライオンズクラブとかロータリークラブのミニチュア版みたいなものですよね。
今回は定年で法資団体です。
まあ、中小企業のオーナーの2代目、3代目が多かったんですね。そこに入っていました。
水俣青年会議所というところですね。
でですね、プラプラしたんですけども、あるとき、理事長の福島さんという方からこういう風になりました。
濱田くん、このね、宮崎県の宮古城市ってすごくいい講演会があるよって言われたんですよ。
宮古城って言うんですね、こっちの九州。僕は九州の熊本出身なんですけども、
講演会の印象
宮古城って言うんですね、東黒丸元知事の地元です。
断りました。
福島さん、どうせ眠い時代しなければいいでしょ。行きませんって言ったらですね、
いやいや、今回濱田くん、なかなかいいよ。
東京からね、箱田忠明っていう先生が来るんだけども、今現在43歳なんだけどね、国際らしいよ。
なんと37歳でイヴ・サン・ローラーの日本社長をして英語もベラベラらしいよ。
えっ、行きます。代わりめ早いね。
で、宮崎県の宮古城市に出かけて行きました。
身近な講演会あったんですね。12時半くらいに着いたかな。
ちょうどホテルのですね、ホール。150人か200人くらい入るホールかな、あったんですね。
そこに着いたらですね、立派な詐欺看板がありました。
人生は明るく楽しく元気よく否定思考から肯定思考へって書いてあるんですよ。
そこに入ったんです。ちょうどそうですね、1時半過ぎでしたかね。
ところがね、まず驚いたことに演台がないんですよ。
普通ほら演台があって、なんか鼻がイケてあって、マイクがあって、
それから講演者は前の方の長い席に座ってませんか?
なんか鼻かなんかつけちゃって胸に。いないんですよ。
あるのはね、スクリーンとオーバーヘッドプロジェクターっていうのがあったんですね。
OHPって言うんですけど、あんまり見たことないね。
僕はですね、一番後ろの方の席にいました。出口に近いところ。なぜか分かります?
そうです。つまんなかったらすぐ出ようと思ったわけですよ。
2時になりました。そしたらですね、主催者の人がこう言ったんです。
それでは定刻になりましたので、今日の講演会を始めたいと思います。
東京からお招きしました、箱田忠明先生よろしくお願いしますって言ったんですね。
そしたらどこにいたかって言ったらですね、本人は客席にいたんですよ。
これ演出ですよね。パーッと小橋にかけてきてですね、
今でもこの言葉と後継は忘れないんですけども、こういうふうに言いました。
皆さんこんにちは。私の名前は箱田忠明です。
名前を覚えてくださいね。覚え方があります。
ハンサムのハ、甲男子のコ、ダンニーのダ、箱田です。
帰ろうと思いました。やっぱ外せたくるんじゃなかったと思ったんですね。
ああ、ごめんなさい。間違えました。
ハレンチのハ、甲職のコ、ダーキーのダ。
なんてね、なんかね、親父ギャグを言うわけですよ。
で、期待はしなかったんですけどね、話がむちゃむちゃ面白いんですよ、これが。
37歳でイヴ・サン・ローランの社長になったのはいいけども、
4年後に突然、それも誕生日に帝国ホテルに呼び出されて、
いきなり君はクビだと言われたとかですね。
おっかないですね、外資系は。
あるいはですね、とにかくですね、お母さんが4回くらいは変わったらしいんですよ。
なので、いい家庭を作ろうということですね。
素晴らしい女性をゲットするということで、
結婚する相手はですね、国際性の父親はですね、いわゆるキャビンアテンダントっていう人ですね。
それもね、飛行機の中で知り合って本当に結婚したんですね。
そういうような話とかですね。
あるいは最初、スミトモ3Mっていうところに入ってですね、
飛び込みの営業マン、ポストイットってあるじゃないですか。
あの貼ってすぐ剥がれるやつ。
あの営業をやってね、全く売れなかった話。
で、同期はどんどんどんどんですね、売り上げ上げていくんですけども、
とにかく喫茶店に入ってですね、もう全くやられなかったそうです。
で、上司の部長に相談したらですね、物の見事に怒られてそうです。
ね、お前篠ノ井でやれ!とか言って、やってから家!とか言われてらっしゃるんですね。
それから本当に死に物狂いでやってですね、営業のトップになった話とかですね。
なんか話がめちゃくちゃ面白いんですよ。
そしたらですね、ということで、あと5分でお別れです。
え?1時間半の講演でしたけども、1時間25分で終わるので、1時間20分経ちたわけですよね。
え?もうこんなに時間経ったんだ。
いや素晴らしい話し方といい内容といいプレゼンテーションというかな、
引きつけ方といい、もうプロフェッショナルだったんですね。
しかもね、入れ立ちがちょっとすごかった。
夢を持ち続けること
コンのブレーザー、金ボタン6つ、真っ赤なネクタイ、真っ赤なスカーフ、揉み上げ。
ほんと今でも覚えてるよね。
そこでね、僕はね、ダッシュの体勢を取りました。
なんすか。
これは30歳で本を書いて講師デビューを果たそうと思ったんですけども、
この先生についていけばいけるかなと思ったんですね。
で、終わった瞬間ダッシュしてました。
足は速いよ、陸上やってたから。
箱田先生、素晴らしい講演会ありがとうございました。
感動しました。
みんな見てるんだよね。
カマオクじゃないから、名刺の交換をお願いしたんです。
箱田先生、名刺、交換お願いしますかって。
いいですよ。
ん?
うーん、あなたのね、
浜田建設株式会社、専務取締役。
田舎はね、ほら、なんか学生出たって言うのもね、
なんか専務になるわけですよ、後継ですから。
うーん、浜田光一。
あっ、あなた浜田光一?
浜子という国会議員がいたんですね。
当時アバレンボールですね、話題の人でした。
椅子を投げたり暴れたりとかですね。
あー、お父さんの当て継ぎですね。
うーん、先生、ちょっと質問があります。
何?
僕夢があるんですよ。
どんな夢?
先生みたいになれませんかって言ったんですね。
ただ、いくつって聞かれました。
27歳です。
27歳か。
前途余裕がね、
あのー、あなたはすごくやる気がありそうですから、
この名刺ね、私と聞きますから、
あのー、尋ねて聞いてください。
面倒見ますよって言われたんです。
僕はその瞬間ですね、
核役を取ったと思ったんですね。
で、後で本人に聞いたら、社交事例だった。
もうそうそう。
まさか、僕は上京するとは思わないじゃないですか。
でもね、それから3年間、
チャンスを待ったんですよ。
本当に。
この先生に、
ついつきは間違いないなと思ってね、
それから3年間の時間を置いてですね、
上京することになるわけです。
で、それからですね、
一緒にやって、
40年間くらいの時間を過ごすことになるんですけども、
それが、僕との、
師匠の箱田忠明先生との出会いですか。
ですかね、
夢っていうのはね、持ってください。
忘れた頃にやってくるから。
でね、叶う。
だから、絶対諦めないで。
諦めないで、求め続ければね、
必ず叶うということをね、
僕はその時に思ったんですね。
しかもですね、30歳で本当に、
講師デビューもできましたし、
僕は陽気な落題生っていう本もですね、
1冊目の本も出すことができました。
それから17冊本出すことができたんですけどね。
ということでですね、
今日は夢は叶う。
諦めないねっていう風な話をさせていただきました。
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そしたら、
恐怖感とアガリをコントロールするものの
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ということでですね、またお会いしましょう。
今日も一日明るく楽しく元気よくお過ごしください。
それではまた。