告知と本日のテーマ
こんにちは。言葉とアートで人の心を導く英語指導メンタリストそしてライトワーカーアーティストの はじめ先生です。
このチャンネルでは、心の在り方を整えることによって、英語力や人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、その試験に妥当性はあるか
学生をダメにする壊れた物差しの正体というお話です。
まず最初に告知です。 4月24日金曜日20時から
おうちビジネスマルセというオンラインイベントに出展いたします。 そこで僕はAIで面倒な事務仕事を全自動に
どぶんけいでもできる簡単プログラミングというお話をします。
このお話は結構皆さんに関心があるみたいで、やっぱり身近にちょっとしたいろんな事務仕事がありますよね。
これ自動化できたらすごい良いと思うんですけど、どぶんけいの僕でもできましたので、どうやってAIとコミュニケーションすればそういったことができるのか
そんなお話をしたいと思います。 誰でもできるようなアプローチですので、ぜひ参考にさせていただければと思います。
ということで興味のある方は概要欄のURLからこのイベントにお申し込みいただければと思います。
試験の妥当性とラッキーヒット
さて今日の本題なんですけれども、 ちょっと前の話に、僕の英川スクールに通っている生徒さんの中に
日本最南海の某芸術大学を受験した生徒さんがいたんですが、 その英語の試験が伝統的にめちゃめちゃ難しいという話をしましたよね。
本当に英検一級レベルなわけなんですよ。 なんでこんなに難しいんだろうっていうふうに常々思っていたんですが、
おそらく大学側の意図としては、 行為に解釈すればその学生のめちゃめちゃ困難なところから何を読み取れるかという感性とかそういったものを測定してるんじゃないかなんていうふうな話をしたんですけど、
結構今回ね衝撃的なことがわかりました。 その生徒さん残念ながらですねもう1年チャレンジをすることになったんですね。
また今年もお願いしますということで、先日この新年度になってから最初の英語のレッスンが行われました。
その冒頭で、この間は残念だったねという話から、入試どうだったのって聞いたら、 そしたらその生徒さんが
実は問題形式がまるっきり変わっていたんです。 へえどうなったのって聞いたら
めちゃめちゃ簡単になってたんですよって言うんですね。 まあ要するにそのそれまでのもう本当に何言ってるか読み取ることが極めて難しかったものに比べると
標準的な問題になったんだと思うんですよね。 でまぁその標準的な問題になればなるほどこれはどういうことが起こるかといえば
ラッキーヒットがなくなるんですよね。これは標準偏差という考え方をわかっていればだと思うんですけど、
めちゃめちゃ平均点が低かったりした場合にですね、非常に狭いエリアに人の度数分布が集中するっていうことになると
要するにみんなどんぐりの性比べになってしまうと、たまたま運良く自分の相性にあった問題がポンポンと出てきて
そこが解けたような人がドーンとね、急にポンと飛び出るっていうことがあるわけですよね。
つまり正規分布でない試験の場合には、なんていうかその得点の取り方のコツっていうのをうまく使うとできちゃったりするわけです。
で、前回の入試はおそらくめちゃめちゃ難易度の高い入試であろうから、ほとんどの人が鎮粉・寒粉であろうというところから
かすかな手がかりを手にですね、どうやって論理的に回答を導き出していくかっていう訓練をめちゃめちゃしていたんですよね。
ほとんど成功法でいった人はみんな激鎮するところが、そのやり方によってうまくいくっていうような形で訓練をしていったんですが、
問題は結構変わっちゃって、標準的な問題になったので、いわゆる標準的な正規分布に近い形になったんですよね。
そうなると、基本的にバランスよくいろいろちゃんと点が取れる子の方が強くなるので、
ある種ゲリラ的な作戦を取ったその生徒さんは、逆に割り送ってしまったということになるんですね。
難問・奇問の弊害
これまで何十年もずっと同じ形式で来ていて、みんなそれに対していろんな対策をしていただろうに、
急に今年傾向が変わってしまったということで、ヘラヘラと力が抜けるような感じがしますよね。
そもそも現社の大半が高校生ですよね、大学入試って。
その生徒に学校で教えているレベルの遥か上を行くような問題を出すことの妥当性がもともとないんじゃないよね。
だけどこの学校の入試はこういうものみたいな感じで、そういう難問疑問みたいなものを出す学校って相変わらずあるじゃないですか。
例えば東大の入試とかもそうだろうと思うんですけれども。
だけどこれは僕は本当に害の方が大きいと思うんですよね。
大学入試がそういう形だから、高校での授業もそういうわけのわからない難問を解くことが大事だみたいな形になっていってしまうんですよね。
今年進学したうちの長女は、高校時代は結構なバリバリの進学校に通っていたんですけれども、
その高校のいろんなテストが明らかに僕からするとおかしいんですよ。
どうおかしいかというと、平均点が100点満点で30点ぐらいのテストばっかりなんですよね。
これも芸大と一緒で、めちゃめちゃ低いところにグジュグジュグジュグジュって集まるから、
正規分布になっていながら正しく評価ができているのかどうかもわからないし、
そもそもその学校に来ている子って、中学校の段階では、うちの娘のことも含めて言うと成績上位者なんですよね。
そういう子たちが集まって、そこでやっている試験が100点満点で30点ですってなった時に、
ぶっちゃけうちの娘はそこで非常に自尊心が傷ついて、自信をなくしちゃったんですよね。
学校全体にもそんな雰囲気があって、中学校ではこうだったけど、今ではこんな私たちみたいな変な連帯感が生まれ、
その学校に立て寄っている雰囲気は、浪人するのが当たり前だからみたいな雰囲気があるんですけれども、
やっぱりそれはおかしいなってめちゃめちゃ思うんですよね。
そもそも100点満点で平均点が30点にしかならないようなテストの作り方をしているというのは、
僕はプロとして本当にセンスがないと思う。本当に腹が立つ。
正直ふざけるなって言いたいです。その子供の心を何だと思っているんだって本当に思いますよね。
いろんないろんないろんな生徒さんがいるのに、それがもういったっと30点ぐらいにぎゅっと凝縮されて、
ほぼ偶然ぐらいにしかならないわずかな点差をもとに評価がつけられるわけですよね。
そこに妥当性なんてないよねとか思うんですよね。
評価基準としてのテストのあり方
僕が教員だった時にもそういうテストを作る先生って少なからずいたんですよ。
僕は新米教師だった頃に尊敬する先生に、テストは60点が平均になるように作りなさいというふうに言われたんですよね。
60点くらいが平均になるというと、度数分布的に言うと上は100点から下は本当に0点ぐらいまで、
言い方変だけど、程よくばらけてくるから70点と60点は大きな差になるけど、
61点と60点はそんなに大きな差にならないんだよね。
だけど平均点が30点だと、30点と31点の差って大きくなっちゃうんですよ。
それは正しく評価していることになるのかという話なんですよね。
正しい評価って何をもって言うか難しいけれども、
でもやっぱり正規分布になるような、そういった説問を設定するというのはすごく大事だと思っていて、
それを何度も何度も数かけてやっていくからこそ、
余計に生徒さんの学力の進調具合というのがわかりやすいと思うんだよね。
紙のテストとかそういうペーパーテストがどうかという根本的な議論は横に置いておきますけれどもね。
アカデミックハラスメントとAI時代
この問題の根底にあるのが一体何なのかというと、
僕はぶっちゃけて言うとアカデミックハラスメントだと思うんだよね。
教育じゃないんですよ、そんなのは。
上から目線で何問出してもまだわかるか、わかんねえだろ、もっと勉強しろよみたいな。
そういう感じって結構日本の進学校に強くあるような気がするんだよね。
結局そんなようなテストのやり方をやっているから、
その競うところがどれだけ知っているか、
あるいはどれだけ難しい問題を解けるかみたいな、
そういうところにどうしてもフォーカスされちゃいますよね。
それは一定の効果はあると思うよ。
知識があればあった方が様々な判断材料として有効に機能する場合もあるよね。
だけど知識ばかって人もいるしね。
何か複雑な問題を解くことができるということは、
その頭脳の意味でのCPUの働きは高いかもしれないけど、
その計算能力とかの高いCPUで、
この世界にどうやって有益なものを生み出していくかというところはまた別なわけなんでしょ。
教育の目的が一体何なのかっていうところだよね。
そういう意味では、
単純に知識の多さとか、
単純に難しい数式を解くことができることみたいな部分は、
ぶっちゃけAIが出てきてくれたおかげで意味がなくなったんだよね。
ヘイ、ざまぁみろって感じなんだけど。
だから本当にね、
これから高等教育機関って、
本当にね、自己批判をしながらね、
自分たちの存在価値みたいなものを考えていかないと、
そんなアカデミックハラスメントみたいなポジショニングを取っていても、
いずれね、
自分たちが無用の長物とされるということに気づいた方がいいんじゃないかなと、
個人的には思ってしまうね。
なんかこれただの批判になっちゃってるんだけど、
親ができることと子供の主体性
子供を育てる親の立場で考えていったときに、
やっぱり子供をどういう視点で評価するかっていうのが、
すごく大事だと思うんだよね。
やっぱりその学校でテストっていうものがどうしてもあるから、
そのテストの点って親も見ちゃうんだけど、
だけどそのテストの点で、
満点でないってことはそこに間違いがいっぱいありましたってことなんだけど、
これまあ点が良い悪いっていうのを、
満点に近ければいいっていう風にやっぱり捉えちゃいますよね、親としてはね。
だけどそこを捉えて、その子供が何が足らないかっていう視点に立ってしまうと、
そこのことばっかり言うと子供は本当に絶対に嫌になっちゃうと思うんですよ。
だからやっぱり目先の点数よりも、
学びというものに対して興味を持って、
自分で主体的にやれるかどうかっていうことの方が、
僕は本当に大事じゃないかと思っていて、
目の前のテストで結果が出るかどうかはわからないけど、
あくまでプロセスなわけじゃないですか。
で、そこで結果は出ないかもしれないけど、
自分が主体的にいろんなことを想像的に考えながら歩める子っていうのは、
自分の力で人生を切り開くことができると思うんだよね。
なんだけど、とにかく正解正解正解正解正解、
100点100点100点100点100点、これで来ちゃうと、
やっぱりその子供ってね、他人軸でしか生きられなくなっちゃうような気がするんですよね。
子供の心のケアとロールモデル
まあなんかいろいろ話が飛んじゃいましたけど、
とにかく親の立場として気をつけなければいけないのは、
学校のテストというものが妥当性のある評価基準になっていない場合もあるっていうことだよね。
それに対して親ができることってないわけですよ。
大学入試の問題がどんなクソみたいな問題でも、
それに対して僕らが親ができることってないんですよね。
じゃあ何をすればいいのかって言ったら、
やっぱり子供の心の状態がどうであるのかっていう、
ここのケアを最大してあげることが重要なんじゃないかと思うんですね。
どんなものでもいいんだけど、子供たちが自分の興味関心を持って、
自ら熱中して取り組めるようなことを見つけることをお手伝いしてあげる。
で、それを最大限後ろから見守って支援してあげるという、
それがいいんじゃないのかなと思うんですよね。
昔と今と違うのは、子供たちが昔に比べて遥かにいろんな情報にアクセスできる。
これはまあ、割り点だっていうこともあるかもしれないけど、
僕はいいことだと思っています。
昔は大人の社会にどんな職業があるのかとか、
自分の将来のロールモデルみたいなのを見つけるっていうのが、
本ぐらいしかなかったり、
あるいはテレビに映ってる芸能人みたいなのしかなかったと思うんですけど、
今はめちゃめちゃ多様な人がいろんな発信をしているので、見つけやすいと思うんだよね。
たぶん子供たちって、スマホとかいじってばっかりで怒れることもあると思うんだけど、
そういうところから自分のロールモデルみたいなものを、結構敏感に得ていると思うんですよ。
そこらへんもね、いろいろ家庭の中で会話をして、
最近夢中になっているものとか聞いてみるとかすると、
子供が何に関心を持っているのかというのはだんだんわかってくるし、
そこからフラットな感じでいろいろ話をしていくことが大事なんじゃないのかなと思います。
お受験が好きなうちもあるし、
ぜがひでも高学歴っていうふうに思っているうちもあるし、
それはご家庭の自由だと思いますけれども、
一番大事なのは子供たちが自分の人生を生きているか、
今現在自分の人生を生きているか、
親の人生を生かされていないかとかね、
そんなことを時々振り返ってみるのも大事なんじゃないかなというふうに思いました。
まとめと感想募集
というわけで、若干感情的になってしまいましたけれども、
今日の話を聞いて、またぜひ感想を聞かせていただければと思います。
また、いいねやコメント、フォローもお願いいたします。