英語と日本語の謝罪の違い
こんにちは。言葉で人の未来を開く英語指導メンタリストはじめ先生です。
このチャンネルでは、思考を変えることによって英語力と人生を劇的に好転させる秘訣についてをお伝えしています。
今日のテーマは、英語は共感、日本語は責任、I'm sorryに見る文化の鏡、というお話です。
AIの話ばかりだったんですけど、今日は英語の話なんですけど、レッスンをやっていて、今日面白かったんですけど、
今日のお客さんは社会人の方だったんですけど、ちょっとその人にとって残念な出来事があったんですよね。
そこで英会話のレッスンを普通に英語で話したんですけど、それを聞いて僕がI'm sorryって言ったんですよ。
そしたらそのお客さんがこの人何言ってるんだろうっていう顔になったんで、僕すぐに分かったんですけど、
このI'm sorryっていうのがみんなごめんなさいだと思っているんですよね。
なんですが、ドラマとか映画とかよく見てる人は分かると思うんですけど、
I'm sorryってごめんなさいだけじゃなくて、相手の不幸な身の上話を聞いた時とか、
相手にとってあまりよろしくない出来事があって、相手が落ち込んでいる時、傷ついている時によく使う表現ですよね。
よくね、気の毒ですねとか、気の毒ですねっていうのもね、日本語だとどうよこれ。
なんかすごい他人事みたいだね。
例えば、そうだね、うちのおばんちゃんが亡くなったんですよ。
あー気の毒ですね、あーお気の毒に、あーお気の毒にならいいかもしれないけど、
気の毒っていうのもね、なんかもともとの言葉で言うと気の毒なんだから、
なんかそんなこと忘れてしまうみたいなニュアンスがもともとあるのかもしれないんですけど、
あとはよく言うのは、それは残念ですねみたいな感じかな。
残念っていうのもね、何でしょうかね、犬が亡くなっちゃったんで、
あー残念だねって言うと、残念だねって言うのもなんかね、若干変な感じしませんかね。
まあ違和感なく言うと、あーそれは辛いですねとかそんな感じになるのかな。
その場合のI'm sorryっていうのは、あー辛いですねみたいな感じになるんですよね。
これが何で謝罪の言葉と一緒になっているのかっていうところなんですけど、
そのことをネイティブの人に聞いたことがあるんですよね。
I'm sorryって言ってる時って、その意味が分かれてるみたいな雰囲気、感覚ってあるの?って言ったら、
そしたらね、あーまあ言われてみればそうだよねみたいな。
こういう時にも使うし、こういう時にも使うけど、I'm sorryは一つだよと言われて、
なんでそんなにストライクゾーンひどいの?みたいなね。
まあなんかイマイチ日本人にはね、分かりにくいところじゃないですか。
で、その時に外国人が僕に言ってきたことが、いやいや日本語のどうもだってそうだろうと言われてみればそうですね。
どうもって言った時にはこんにちはの意味かもしれないし、
なんか相手に何かしてもらった時にどうもって言ったらありがとうございますだし、
なんか悪いことをしちゃったなと思ったら、あーどうも、
まあどうもすみませんがその後にね、まあ来るかもしれないけど、
でもまあどうもってやっぱりそういう風にストライクゾーンひどくて、
いろいろ使ってるから外国人にとってはちょっとよく分からないと。
これ僕昔からね、意味のストライクゾーンって言ってるんだけど、
その文化によってね、すごく違ってたりするわけです。
文化的な背景の影響
で、日本語の謝罪の言葉のごめんなさいとかすみませんっていうのって、
なんかその感情としては責任が自分にあるっていう感じじゃないですかね。
すみませんっていうのはちょっとこのままではすみません、
何かさせてくださいみたいな感じだと思うんですよね。
だからそこには自分の責任を感じている。
ごめんなさいっていうのは何なんだろうね。
あの、めんって免許のめんで書きますよね。
そうするとそれってもともと大和言葉じゃなくて漢字から来てるのかなっていう気もします。
まあ調べたわけじゃないんで知らんけどって感じですけど。
そうなると多分すまないの方が大和言葉なんだと思うんですよね。
このままでは済まされない。
相手に対して何かの責任を負ってしまったっていう感覚があるんだと思うんですよね。
それに対して英語のI'm sorryっていうのは相手の感情に共感している表現なんですよね。
なので相手に何か悪いことをしてしまったことによって相手の感情を傷つけてしまった。
その傷ついた感情に共感しているっていう感じの表現なんですよね。
だからまああえて言うとあなたの痛みわかりますみたいなニュアンスなんだと思うんですよ。
例えばある人の大事なものを壊してしまったなんていう時に
その人めちゃめちゃショックを受けてるわけですよね。
その時に言うI'm sorryっていうのは
あなたの痛みがまるで私のもののように伝わってきていますっていう
その共感してますっていう感じを伝えているんだと思うんですよ。
だからその人が例えば自分のかわいいワンちゃんが亡くなっちゃったって言った時にも
I'm sorryって相手の痛みが自分と同じように伝わっているんだっていう
それがI'm sorryの元々の意味なんだと思うんですよ。
この違いがどうやって生まれてきているかというと
やっぱりこれは文化的な側面が結構大きいんじゃないかなと思うんですよね。
よく言われますけどね、英語圏の人って割と個人主義的なところがあります。
それに対して日本人っていうのは非常に集団主義なところがありますよね。
さっきの謝罪の言葉の背後にある違いとして
英語では相手の痛みに寄り添う感じになるけど
日本語だと自分が悪いという責任だという話をしたんですけど
この日本で自分が悪いです、私はこのままでは済まされませんっていう言い方って
自分をちょっと下げることによって主義との調和を保つみたいな感じがあると思うんですよね。
自分を下げるとか上げるとかっていう
そういう感覚って東洋の文化に非常に顕著というか
日本の儒教文化に根差していて上下関係であるとか礼節であるとかね
そういったことを非常に大切にする文化だというところから
何か相手に対して申し訳のないことをした時には自分が一段下に入るっていう
英語圏と日本の関係性
そういうことがあるわけですよ。
日本人の口癖ですいません、すいません、すいませんってやたら言うっていうのがあるじゃないですか。
海外との交渉でそれ言っちゃダメだよとかってよく言われるなんてね
今日のお客さんも言ってたんですけど
日本人はごめんなさいっていうのを相手との関係性を円滑にしておくために
とりあえず謝っときみたいなところもあって
別にそんなに悪くないけどすいませんって言いますよね。
すいませんがありがとうの意味で使うじゃないですか、実際ね。
これどうぞもらってくださいと、すいませんって悪くないよね、別にっていうね。
ここのすごい違うんですよね、そこのところがね。
でそれに対してやっぱり英語圏の人っていうのは上下関係とかないですよね、あんまりね。
だってお互い上司でもね、ヘイボブとか、おいボブみたいに呼んでるわけですよ。
これ日本語でやったらね、あんまねちょっと並風立ちますよね。
例えば僕がね上司だとして部下にね、おいはじめとか言わないとね。
へーみたいになりますよね。
ヘイはじめだったら別にね、あーんってなるけどね、やっぱりそれはダメでしょ。
言語の文化的違い
だからそういうところもあって、だから英語では人間関係が日本に比べて割とフラットなわけじゃないですか。
親子関係なんかもねやっぱ違いますもんね。
親と子が非常にフラットな立場で同じ位置人間として話すみたいなところもあったりしませんか、ドラマなんかでね。
まあ日本のね家族もだんだんだんだんそういう風に変わってきたけど、
やっぱりね昔は父親がドデーンとね家にいてね、お父さんがもうずーっと偉そうにしていて、
奥さんなんかはね常に敬語で言ったとかね、いう時代もあったわけですけど、
まあそういった名残もあるのかなと思うんですけど、
まあ結局こういう風に言葉っていうね人のメンタリティをめちゃめちゃ作っているわけですね。
だから英語を話す人っていうのはちょっとメンタルが他の人と比べてね、ちょっと違う人が多いと思うんですよ。
よく言えばマイペースだったりちょっと画が強かったりとかね、
自分も割とそうだと思われているのかもしれないですけどね。
やっぱりでもそういう風に英語をどんどんどんどん習得して実際に使っていくうちに、
気が付くとね自分のメンタリティも変わっていて、
特に英語を話している時バージョンと日本語を話している時バージョンみたいになるんですよね。
日本生まれで、だけど両親は英語もしゃべるから完全なバイリンガルの外国人みたいな人が、
顔は思いっきり外国人なんだけど日本語をしゃべっているとめちゃめちゃ日本人っぽい雰囲気になって、
だけど英語をしゃべりだしていきなりこうやっぱりね英語の人みたいになるっていうのがあって、
やっぱねその言語によって人のパーソナリティっていうのはねかなり規定されてくるということがあるわけですね。
そう考えてみると英語と日本語で割と共通していて相手に対してすみませんっていうので使うのがエクスキューズミーかな?
これ直訳すれば私に言い訳をさせてください、あるいはどうか許してくださいっていう言い方なんですけど、
でも違うから日本語だと申し訳ないっていうのは私には申し訳をすることはできませんっていう言い方で、
やっぱ自分を下げているね。英語だとエクスキューズミー、俺を許せよみたいな感じになるからね。
やっぱ違いますね。なんかね面白いですねこうやって考えてみるとね。
まあまあこんな風にですねその英語と日本語の違いって深くやっていくとねめちゃめちゃ面白いと思います。
英語学習の楽しさ
英語学習ってそういうところが面白いんだよね。
あの究極もなんか昨日もね英語学習は趣味みたいに言いましたけど、やっぱエンタメだと思ってやった方がね面白いと思うんですよね。
本当にだってねAIがあればもうコミュニケーションができてしまうわけなので、
じゃあなんでそれをまた学ぶのって言ったらこういう違いが面白いよねとかね。
単純に英語で話すことのゲーム的なものでも言うのかね。
なんかそういうある種のエキサイティメントを追うであるとかね。
そういうのこととかインテリスティングである。興味深いねとかね。
そういうところがやっぱり英語学習の長続きの秘訣なんじゃないかなというふうに思います。
だから本当にコミュニケーションに必要で身につけなきゃっていうふうなのも事実としてあるのはわかるんですけど。
往々にしてね、うちのお客さんで海外に出港になるかもしれないからつってレッスンに来ていたんだけど、
それなくなりましたって言った途端にもうじゃあいいですとか言って辞めていかれる方もいるわけですよ。
別にそんなに辞めなくてもいいじゃん。もっと楽しく続ければとかと思うんだけど。
やっぱりそれはハーフトゥーなことなんだね。やらなければならないことって思ってるから、いらなくなったらもういいよっていう。
それはね僕はちょっと寂しいなって思ったりするんですけど、皆さんいかがでしょうかね。
はい、というわけで今日も聞いていただいてありがとうございました。
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OK, that's it for today. Thank you for listening and have a great day.