桃太郎伝説と白村江の戦いの繋がり
こんにちは。 気づくと人生が変わってしまう
易者の英語指導師のはじめ先生です。 このチャンネルでは英語教師で易者、さらに画家と経営者という多面的な視点を通じて
固まった常識や思考の枠をゆるっと外し、 あなたの人生をもっと面白くするヒントをお伝えします。
今日のテーマは、桃太郎からエヴァンゲリオンまで 敗北と統合の日本史というお話です。
スタトモのパンさんが毎週月曜日に夢トークという企画で、いつか行ってみたい場所について紹介して、
それの松茸梅プランみたいなのを考えてくれるすごく面白い話があるんですが、
昨日取り上げたのが岡山県にある木の城っていうところだったんですよね。
その木の城って鬼の城って書くんですけれど、これと桃太郎伝説の関連、そしてこの木の城ができたきっかけが、
日本史で名前ぐらいは習ったことのある白スキノエの戦いという、今から800年ぐらい前に行われた大規模な海戦、海の戦い、
これと関係があるらしいというお話をされていました。
この話を聞いて瞬間的に、ひょっとして鬼って日本に襲ってくるかもしれない外敵、つまり外国人のことだったんじゃないだろうかというひらめきを得まして、
本当に興味本位でAIとかを使って調べていったら、日本の文化の根底にある共通のストーリーみたいなものを発見しました。
多分にAIで調べたりしただけなので、極端に歴史的な性格性とかそういうことを言われると、本当に私は素人ですので、
あくまで捉え方の材料として聞いていただければと思います。
まず、桃太郎伝説ですけれども、この話の中に出てくる鬼は鬼ヶ島に住んでいて、時折村を襲っては略奪とか破壊の限りを尽くす、いわゆる鬼として、邪悪な存在として描かれていて、
桃太郎はその鬼を退治すべく、猿、疑似、そして犬のお供を携えて、単身その鬼ヶ島に乗り込んで、その鬼を退治するという、そんなストーリーですよね。
いろいろ調べてみると、私たちが日本史でちょろっと名前だけ知っているかもしれない程度に習った白スキノエの戦いというのは、この物語と非常にシンクロしているということが改めてわかったんです。
まず最初に、そもそも白スキノエの戦いって何だったのかということなんですけれども、これが起きたのは西暦663年だそうなんですけれども、
今の韓国のあたり、朝鮮半島の西海岸近辺で行われた、日本の歴史上初の、当時で言えば世界大戦みたいなものだったようなんですよね。
当時、朝鮮半島には3つの国がありました。これ、歴史で習った記憶がある人もいるかもしれないんですけれども、
コウクリというのと、クダラというのと、シラギという、この3つの国がバチバチに当時争っていたんですね。
当時の日本、あの頃はまだ和国と呼ばれていたんですけど、実はその和国はクダラと最も関係が深くて、
日本に仏教をもたらしたのもクダラだったんでしょうね。だからクダラ観音像なんていう仏像もあったりします。
そのクダラなんですけれども、当時のすごい列強という感じかな、大国の唐と、それからシラギの連合軍にクダラが攻め滅ばされちゃうんですよね。
そうなった時に、和国としては自分の同盟国であるクダラをなんとか救わなきゃというふうになりまして、
これも歴史に登場してきた中野大江の王子、後の天地天皇なんですけど、
それの人が中心になって大軍を率いて海を越えて朝鮮半島へ送り込んだという、これが薄杉大江の戦いというふうにされているわけなんですね。
だからこの桃太郎が海を渡って島の鬼を退治しに行くというこのイメージに全くすごく合致するんじゃないかと思うんです。
結果はどうだったかというと、唐とシラギの連合軍って圧倒的なパワーがあったので、
日本とクダラの復興軍というのは歴史的な大敗を期してしまって、それで船を何百隻も燃やされ、海の木鶴と消えてしまったという、そんなことがあったらしいんです。
この大敗北を期したことによって日本では異国の侵略というものに対する防衛をしなければならないというふうになるんですね。
そうなってくると朝鮮半島に近くて侵略される可能性のある九州から西日本の一帯にかけて防衛施設を作り始めるわけですね。
これが古代の山城みたいなものなんですけど、岡山県にある木の城というのがその一つだろうというふうに言われているんですね。
この桃太郎のモデルとして最も有力視されているのが第7代の皇霊天皇の息子である、
岡山の木々団子の木々ですね。
その人がモデルとされているんですけれども、彼が岡山で退治した鬼のモデルとされているのが、
九太郎からやってきた豪族であるウラという人物ということで、これがやっぱりエイリアン、当時のエイリアンですね。
エイリアンというのは外国人という意味なんですけれども、だったということで僕の直感がわりと当たっていたのかもしれないという感じがします。
つまり鬼というのは日本に攻めて入ってくる外国人であった、そんなふうにも捉えられるわけなんですけれども、
結局、九太郎と日本の連合軍を滅ぼした唐と白木ですね。
しかも唐といえば日本が剣刀士を送って様々な文化を日本に輸入することによってですね、
日本の新たな国家システムを作るのにめちゃめちゃ役立ったというようなこともあったりするわけなんですね。
この話を聞いた時になぜか思い出したのが、アニメの傑作中の傑作、新世紀エヴァンゲリオンだったんですね。
エヴァンゲリオンに見る「使徒」と「統合」
このエヴァンゲリオンを見たことがないという人もいるかもしれないんですけれども、
このエヴァンゲリオンの中では、使徒と呼ばれる謎の生命体なんだかロボットなんだかよくわからないものが何を目的かわからないんだけど、とにかく襲ってくるわけです。
そのエヴァンゲリオンの第1話の冒頭のシーンというのは、使徒が襲ってくるのを待ち受ける膨大な数の様々な兵器が海岸線にダーッと並んでいる、そんな映像が流されるんですね。
最初の使徒は海の中から現れるんですよ。
そしてその話の舞台となっている第3神道教師というところにゴジラのように突然上陸して、その謎の使徒を殲滅すべく様々な兵器が投入されるわけなんですけれども、
どんな兵器を持ってしても殺せない、本当に歩く最悪みたいなものとして描かれているんですね。
このエヴァンゲリオンって非常にストーリーが謎をめいていて、何が言いたいのかよくわからないという人も多いと思うんですけれども、
そもそものこのタイトルのエヴァンゲリオン、これの元になっているのはエヴァンジェリストという英語ですね。
これはキリスト教などの伝道をする人、キリスト教の教えを広める人という意味が被せられているわけです。
その街を襲ってくる謎の生命体だが何だかわからないものを使徒と呼んでいるんですね。
使徒というのは使うという字と、それから生徒の徒という字で組み合わされる。
キリストの弟子たちのことをよく使徒と言ったりしますよね。
英語ではこの使徒をangel、天使というふうに文字を当てているんですね。
ここに非常に面白い繋がりがあるような気がするわけです。
エヴァンゲリオンがテーマとしていたのは揺れる14歳くらいのいわゆる中二病ぐらいの世代の子どもたちが
親子関係やら友達関係やらの中で自我に悩み、お互いに傷つけ合ったりしながら自分のトラウマなんかも乗り越えながらですね、
最後に自我を統合していくというのか、自分はどんな自分であってもいいんだみたいなところに落ち着く。
これが一番最初のテレビ版エヴァンゲリオンのエンディングなんですね。
本当に謎めいたラストシーンでなんだこれって思った人も多いと思うんですけれども、
歴史における「敗北と統合」の繰り返し
僕がなんでこのエヴァンゲリオンの話をハクスキノエの戦いとリンクさせたかということなんですけれども、
日本が当初鬼だと思って散々知力を尽くして戦った挙句、負けてしまう。
ところがその負けた相手である島という大国からまた新しいものを日本は輸入して、
新たな文化を築き、そして文化をより豊かにさせていくというね、
この破壊と再生、そして破壊と統合のプロセス、
全く異種の金属を混ぜ合わせて黄金を生み出すような錬金術的なプロセスっていうんですかね。
そんなものと僕はちょっとこのストーリーを重ねてみたんです。
そうやって考えてみると日本の歴史ってこんなことの繰り返しだったなっていうことにめちゃめちゃ気がついたんですね。
つい2日ほど前に海外の文化に触れることというのは、
自分がしがみついている価値観とかそういったものを破壊することにつながり、
パラレルワールドを体験することにつながるというようなお話をしたんですけれども、
不思議とこのタイミングがまたぴったり来たなという感じがします。
私たちは様々な外にある敵だと思われているもの、
自分が憎たらしいと思っているもの、あるいは自分が受け入れがたいと思っているもの、
実はそれが自分の可能性であったりするということに後々になってみると気がつかされるというのが、
この世の常なんだということがこの歴史によって示されているところがあるんじゃないのかなと思うんです。
その都度その都度、外圧とかあるいは敵対するものとの最終的な融合によって、
自分の中の既存のOSが書き換えられてそしてアップデートしていく。
というのは本当に日本の歴史を見てみると、
例えばわかりやすいところで言えば幕末の黒船来航ですよね。
それから第二次世界大戦の敗戦であるとか。
そういった大きなカタルシスを経て、
日本というのはアップデートし続けてきた国なんだなということを改めて感じたというお話でございました。
これは日本だけに限らずですね。
当初は様々な国の争いによってある国がある国に併合されたりすることによって、
文化が融合して新しい文化がまた生まれてくるみたいなことは、
いっぱい例を挙げれば毎挙にいとまがないみたいな感じだと思うんですけれども、
一見敵に見えるようなものが実は自分を補完してくれるものであったりするというね。
エヴァンゲリオンで言えば一見最悪にしか見えない変な敵が使徒、エンジェルと名付けられている。
この辺ともリンクするんじゃないのかなと思います。
そしてその敵と思われる存在との様々なカタルシスを通じて新たな自分を構築していくというね。
この辺に人生の妙味があるというような感じがしますね。
まとめと感謝
今回のこの放送のヒントになったパンさんには本当にお礼を申し上げます。
これもうちょっと深めていったらさらに面白い話ができそうだなと思っているので、また気が向いたらお話をしようかなと思います。
はい、というわけで今日も聞いていただいてありがとうございました。
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OK, that's it for today. Thank you for listeningand have a great day.