否定することについて考える(その2)です。


【今回の内容】

情報量が増えない問題/心理的安全性の誤解/否定をしないメリットは何?/誰が一番得しているのか?/主催者の立場で考える/事前にルールを定める意義/人格否定/事実誤認に対する否定/印象操作の否定/論より詭弁/コミュニティのルールを考える/人格否定はダメ、ゼッタイ/自分語りとトロッコ問題/空気を読む力/空気を壊す力/世界のバランスを取り戻したい


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #否定 #心理的安全性 #KY


サマリー

ワークショップでは、意見の否定についてのディスカッションが行われています。現在は、否定しないルールの有効性や心理的安全性について考察しています。また、否定の問題についても話し合っており、否定の伝え方や目的についても話し合っています。空気を読む能力はとても重要であり、それによって自己主張や他者への否定を避けることができることを話しています。

意見の共感と情報量の増加
なんかさあ、その… 否定しないでくださいって言われたら
その会議でね。 なんかもう相手を肯定することしかできない
気がするんだよね。その場にいる人たちが。 肯定というか、うんうんわかるわかるっていう、なんていうの、共感というか
なんかそれって何も生まれなくない?って僕は思っちゃうんだよね。 あなたが言ってることわかるよ、うんわかるよっていうことをお互いにやってても
何も…なんて言うんだろうな。 情報量の絶対量は増えてないというか、なんだろうね。
…ような感じがしていて。 その場って何か意味あんのかなっていう。 1たす0をしてるみたいな感じなんだね、きっと。1たす0は1でしょ、みたいな。
情報量が増えてない。
でもそれ、どういう場面でそれがあったんだろう?職場? どういう場面?
別に何か特定の場でそれがあったから言ってるわけじゃないよ、俺は。 ああ、そうなんだ。
これあくまでその心理的な仮定の話をしてるんだけど。 その意味ではそういう場が価値を持つ場もあると思う、シチュエーションによっては。
その自分が言ったことがある人に受け入れられたんだとか、理解してもらえたんだと思えるだけで、
本人はすごいすっきりするとか、何かポジティブな気持ちになるみたいな場面とかシチュエーションっていうのはあると思うんだよね。
目的によるんじゃないかな、その会合が何なのかっていう。
そうだね。それは、お互いのことをよく理解しましょうみたいな場であれば、それはいいと思うんだよね、それで。
で、僕がイメージしてるのは、何だろうね、一緒に議論しましょうとか、一緒に何かを考えましょうとか、
なんか新しいアイデアを出しましょうみたいな、そういう場を想定していってたね、ワークショップつってんのは。
うんうんうんうん。 で、それでそれやられちゃうと、何か何も出てこねえよっていうか。
はははは。 そうだね。
それだと意味はなさそうな感じがするね。それに同調してるだけだと。
なんかブレインストーミングも、一人でやってそれを持ち寄る方が、最初からみんなでブレインストーミングするより、よりよく出るっていうのが、
何かどっかの研究かなんかであったと思うんだけど、そうやって人と話して、そうだよねって言った瞬間に、
何か新しいアイデアが出なくなるというか、相手にバイアス受けて視野が狭くなるというか、一緒くたになってっちゃうみたいなのはあるような気がするよね。
だから相手との距離をちゃんと保ちながら、違った意見、違った視座を提供できないと、
二人いる意味が薄れてっちゃうっていうことだね。新しいアイデアを生もうとしてる場では。
そうかな。 うんうんうん。
まあそうね。 なんかその日本の会社で結構心理的安全性が大事みたいな話って結構よく聞くんだけど最近。
何かそれもやっぱり誤解されてるというか、何かこう相手を否定しないで、何て言うんだろうな、その場の空気を悪くしないみたいな。
それが心理的安全性だよねみたいな感じで思われてる節があるんじゃないかなと思ってて。
だからそこをなんかね、はっきりしたいんだよね俺は。
なんていうのかな。そこをみんなに分かってほしいんだよね。
否定しないことによって別に心理的安全性が高まってるわけじゃないでしょうと。
それはただのなんだろう、生ぬるい関係性なだけであって、そこから何も生まれないよねって思ってるんだよね。
心理的安全性とルールについて
でもみんななんか、意見を否定しない相手と話してて、何だろうな、自分の言ってることに対して相手は絶対否定してこないわけよ。
それって、その表面上は否定してないけど、心の中では何考えてるかわかんないじゃん。
表面的には否定してこないけど、心の中ではすげーなんかこう悪く、悪態をついてるかもしれないじゃない?
逆にそっちの方が心理的安全性ないと思うんだよね。
確かに確かに。そうだね。
ルールとして、否定をしないって決めちゃうと気持ち悪いよね、その部分。
気持ち悪い以外の表現がないかな。なんかルールとして、相手を否定しないってすると、
何だろうな。
そうだね、相手のことを本当の意味で信頼できないよね、きっと。
そうだよね。そんな100%ポジティブなわけないじゃんっていうのがどっかにあるから、現実と違うなってのを常にこう感じ続けるよね。
で、疑心暗鬼を抱えたままさ、その人たちと相対しなきゃいけないわけよ。
それはねー、苦しいでしょ。
だからそんなルールは僕は定めない方がいいんじゃないかなっていう風に思うわけだ。
心理的安全性がある部っていうかチームって、オープンなコミュニケーションができるとか、
なんか間違ってもいいっていう意味だと思うんだけど、だからそういう意味では否定しないっていう風にしない方がいいってことだよね。
でも別にしてみてよくて、それが間違いだったら、そのチームとしてじゃあ何が間違いだったのかな、言い方だったのかなーとか、
何だったのかなって一緒に考えたりして、それを直していくとか、そういう方が大事な気がするよね。
なので、その否定をしないっていうルールは 撤廃すべきだ。
逆に逆に、それをやることによってどういういいことがあるのかっていうのもちょっと考えた方がいいかもしれなくて、
その否定をしないようにしましょうっていうルールをしたときに、じゃあ何がいいんだっけっていうこと。
それがさ、さっき言った心理的安全性が低下するっていうことよりも大きいメリットがあるんだったら、
まあそのまま悪くないよねっていうになるんだけど、その否定をしないっていうルールを課したことによって、どれだけの効用が高まるのかっていうところ。
それなんか思いつくとこあるかな。 思いつくのは、どっちかというとそのワークショップで集まった人たちが
かなりランダムで、で、ある程度コントロール下に置きたいみたいな。 で、ある事件を防ぐためには否定しないでくださいの方がシンプルで手っ取り早い
コミュニケーションな気はした。 そうだよね。
なんか事件っていうのはなんか喧嘩になるとかね、そのメンバー同士でなんか角が立って、もう本来スムーズに行く
そのワークショップがもう止められてしまうほど、何か参加者同士で問題になるとかね、そういうのはまあ確率は下げられる気はして、
ある程度お互いを尊重する言い方ができるとか、言い方が考えられる人とか、
そういうマインドセットがあったりするんであれば、 そんな風に言わなくても
まあ別の言い方で、あのちゃんと通用するというか、でそうすると相手に対して違った意見を言うとか、そういう事自体は否定しなくてもいいよねと。
なんかやっぱその否定をしないっていうルールを設けることで一番得してるのって主催者なんじゃないかなと思う。
そういうトラブルが起きることを、トラブルが起きるリスクをヘッジしてるわけよね。 そうだね。
してると思うね。 それはその何だろう、参加者、そのワークショップの参加者の利益のためにそのルールを設定しているというよりは、
どちらかと言うと一番それのルールによって利益を得ているのは、主催者側、その場を収めなければいけない人間が一番得してる気がするんだよね。
だから何だろうな、そこのルールに無条件に従順に従うのは、
ちょっとこう、何だろうな、もうちょっと考えた方がいいんじゃないですか。 って僕は思う。
ワークショップの効果と主催者の役割
なるほどね。 参加者がでもその、参加者っていうかそのホストだよね。
まとめている人が自分に有利になるようにことを進めるのは良くないことなのかな。
自分に有利というか、自分に困った状況になるリスクを減らしてるってことよね。
うんうんうんうん。 だから何だろうな。
もちろんそういうふうにつつがなくね、ワークショップが進行するのはもちろん全員にとって望ましいんだけど、
それのために、その僕が最初から言っているその可能性、
その否定をすることによって見えてくる新しいこう、視点というか、
そういう可能性を潰してしまうことと、どっちがこうね、どっちがその天秤にかけて大事なのかっていうことかなと思うな。
なるほどね。じゃあとよだくんがホストだったとしたら、どういうルールを設ける?
ホストだったら、そんな否定しないでくださいねなんてルールは絶対設けないよね、俺は。
で、その代わりにどんなことを言う?
自由にさせるよ。自由に話してくれって言うよ。
で、それでその中で、すごい相手の意見を否定している輩が出てきたら、その時は僕はバシッと言うよ。その人に対して。
それはやめてくれって。
で、出てきたら対処すればいいと僕は思ってるんだよね。
なるほどね。 じゃあその人がさ、「いや、そんなのどこにも書いてなかったじゃないか。」とか言ったらどうする?
どこにも書いてなかった?
うん、そんなことって合意してましたっけ?みたいな。
合意してないね。
ないね。
うーん、そう言われちゃうと、それはもうあれだよね、主催者権限で退場だよね、レッドカード。
なるほどね。
まあそれもあるのかなって。ちょっとさっきさ聞いてて思ったのが、事前に言うかどうかっていうことにも実は意味があったりしてて、
そのコミュニティに入ってくる時点で合意してるから入ってくる。
で、だからみんな守るってところがあると思うんだけど、何もないで入ってくると、で、後からそれを指摘されると、
その人にとって不満というか、え、それって主観じゃないの?みたいな反論の余地がどっかにあったりとか、
対処がより難しく、まあそれも主催者視点だね。対処がより難しいんじゃないかなとは思った。
そうだね。
なんか今否定って話だったと思うんだけど、例えばさ、コミュニティに入る時に相手をなんかハラスメントになるコメントは避けてくださいとか、
あとは、個人的にそのお互いの参加者につきまとうとか、何かに誘う行為とか、宣言をやめてくださいっていう文言とかあるじゃん。
こういうコミュニティに入る時とかって。それもさ、事前にこう書いてて、それに合意したから入ってると。
で、じゃあその中でもそれに似た行為をやっちゃった人は、あれ、入る時にこういう約束合意しましたよね、だから退場してくださいって言って、
言うと、一応ロジカルにそういうことが言いやすいとか、あと法律とかも一応そうだよね。事前にこういうことをすると刑罰金というか罰金とか懲役がありますって書いてあって、
それに従ってないからこういう結果ですと。でも、なんか誰かが悪いことして、後から法律とかをルールを作って、
はい、ダメでしたーって言うと、それってルールとしてちょっと、結構恣意的というか、その人が思ったように後から嫌いな行動とかを罰することができちゃうっていう、
なんかそういう面があるのかなと思ったんだけど、どう思う? そうね、今その話聞いて、やっぱりね、その否定をしちゃダメだっていう、その否定がざっくりしすぎてるんだなと思ったんだよね、そのルールの。
定義がね。
なんか例えば、相手の人格を否定することはダメですよとか、なんかそういうふうに言われれば、まあ僕も理解できると。
人格否定することはダメだけど、相手の意見を否定するのは別にいいですよと。
うんうんうんうん。
そこは別にルール縛りませんよみたいな、こういう言い方してくれれば、まあまあまあまあって感じ。分かるよって感じ。
なるほどね。なるほどね。
ここもね、ちょっと考えてくださいと、主催者側。
ちょっと解像度を高くルール作ってくださいと。
そうだね、否定というふうに言っちゃうと、余計なものまでだいぶ否定というか、禁止しちゃってると。
そう。
だから本当に否定すべきなのは、人格否定とかの発言とかってことだね。
そうだね。
そうだねーっていう話をして、
結局じゃあダメな否定は、相手の人格を否定するみたいのは、
ダメよね。
否定の問題と伝え方
そこは合意だよね。
そうだね、割と今そこにはコンセンスがあるんじゃないかなと思うけどね。自分も含め。
コミュニティというか、社会に関しても。
あとなんかやっちゃいけない、 ダメなやつとかってあるかな。
否定の範疇で。
否定の範疇でね。
相手を、
端から否定、うん、否定ねー。
仮にその事実が違うみたいな、知識が間違ってるって言った場合でも、
なんかやっぱ伝え方の問題ってのもあると思って、でもそれが否定の問題なのか、ちょっとわかんないなと思ったんだよね。
なんか例えば歴史的な事実を引用して、なんか言ってる人がいますと。
で、歴史的事実とはちょっと違うと。
例えばググってみて、あ、これ違うなと。
それって、その違いを指摘すること自体は、否定の範疇だと思うんだけど、
でも伝え方にはいろんな伝え方があるから、
それってこの否定はいいけどこの否定はダメっていう風には説明できない気がしてきたんだけど、
わかる?その事実を違うことを指摘するっていう否定には変わりないけど、
そのhowの伝え方によって良い場合と良くない場合がある気がするんだよね。
おー、how。
どうやって伝えるかの部分で、良い場合と良くない場合。
じゃあ例えばなんかその相手が話していて、その中に明らかに何か間違いというか、
事実誤認の情報が紛れ込んでいるとして、それを例えば何だろうな、相手が話している途中で、
なんかもう指摘しちゃうみたいなのは、
ちょっとそれはもうちょっと大人になっても良いかなとは思うね。
一旦相手の話というか、主張を聞いて、
で、ひと段落した段階で、さっきのここはこうだと思うよって指摘してあげるのが良いのかな。
例えば僕の頭の中でどういう風な考えが走るかというと、
その人の本当に言いたいことは何かと。
で、その中でその間違いというのがどれだけ重要かと。
あー、はいはい、そうなんですよね。
だから本当の枝葉末節であって、言い間違えたのかもしれないし、
まあ別にそれは本質じゃないと。
1965年だったのが6年だということによって、その人の主張が全く変わらないのであれば、
まあまずはそんなに重要じゃないですよねっていうのが一つ。
どのくらいコントリビューションがあるのかとかインパクトがあるのかを見て、
で、あとは自分がそれを伝える時にも、
じゃあその本人が言いたいことの意見に対して自分が何か違う意見を持っているんだったら、
まずそれを伝えると。
その建設的に、その趣旨に従った部分の話をまず進めますと。
で、最後の5%の時間を使って、
もしかしたら、ここちなみに事実というか事実はこうですよとかっていう伝え方をすると思うんだよね。
で、例えば悪意を持ってね、その人の信頼を下げたいって思ったとしたら、
先にその間違いの指摘から始めるっていうこともできると思うんだよね。
この人の言っていることは信用にならないと。
事実を間違って取ってくるような人だと。
だから相手を敵として、なんかディベートみたいなのをしてて、印象操作をしたいっていう場合は、
そもそもあなたちゃんと事実を把握できてますか?っていう入り方もできちゃうと。
でもそれって、なんか伝え方の順序の問題とか、何を目的としているかにもよるなと思っていて、
だから単純にそれは、この否定はしていい、否定は良くないっていうことじゃないと思ったんだけど、伝わったかな。
コミュニティと目的の共有
相手を貶めようとするような意図の下、何かを否定するっていうのは良くないっていうふうに言えるかな。
そうだね。
いやー、そういうのがいるんだ。
ははは。わからない。でも政治での議論とかってそういう感じしない?
あー、するね、するね。
あなたはこういうことを過去に言ってましたよねって言って、過去の発言とかSNSの発言をまず持ってくると。
あれこの人信用ならないっていう印象とかパフォーマンスをまずするみたいな。
で、本来政治の主となるこの政策は本当に効果があるのかと、誰にとってどんなインパクトがあるのか、実行可能なのかっていうところに焦点が当たってないのはそういうことかなと思うんだけど。
それ何だっけ、論より詭弁に書いてなかったっけな、そんな感じの。
あー、あったかもね。
あ、あったあった。
そうなんだよね。
あのー、あったね。そうそうそうそう。あったね。
結局議論ってなると、論理とか本当に望ましいというか、目指すべきところに向かうんじゃなくて、相手の意見の欠陥をついて相手の論理を崩すっていうのが一番コスパがいいんだよね。
そうだね、うん。
だからみんな安易にそっちの方向にやっぱ行っちゃうんだな、人間の傾向として。
うーん、そうだね。
それは、そうなんだよね。結局、詭弁の方が効果的なんだよな。
まあ、効果的、何に対して効果的かとか、何をその人が言ってるかってことだよね。
自分の思った通りの方向に議論を持っていこうとすると効果的っていうことね。
あとは、今聞いて思ったのがさ、その人が何を求めてるかで、なんかそのコミュニティにとってより良いものを、より良い案とかね、決定をするために、そのことを目標にしてるんだとしたら、いろんな否定とかも、違う意見っていうのもいいと思うんだけど、
その人がもし自分の例えばレピュテーションとか評価とか承認を得たいと、で、相手の、相手が信頼がないと落としめることによって逆に自分は、なんかまともそうなことを言ってるとか、かっこいいとか、なんかそういうことによって得るものがあると、そういうことを、そういう発言をするとかね。
なんか論が立ってる、切れてるみたいな、そういう、あの、なんか求めてるものが違う場合は、そういう詭弁を使うとか、そうなっちゃうよね。
なんか目的が、お互い共有できてないととか、同じ方向向いてないと、まあそういうことにもなりかねないのかな。
うん、それってあなたの感想ですよねって言われちゃうよね。
そうそうそうそう、なんかデータあるんですかとか、あれはああいうパフォーマンスの中でさ、やるから面白いというか、ね、成り立ってるけど、それを現実世界でやっちゃうと、相手と敵対するし、その共通の目的の、その組織とかコミュニティを良くしようっていう方には向かわないと思うんだよね。
そっか、だからそうだね。 そのワークショップの意思議論の参加者が、やっぱみんな目的が揃ってるわけではないんだなぁ。
いろんな思惑。 まあそれは、なるべく揃えようとしてると思うんだよね。で、どうやって集めたかにも多分よって、
コミュニティに入る時点で、ちゃんと趣旨とか理解してて、納得してこう来てるとか、ある程度覚悟があるとか、相手のね、同じレベルの覚悟というか、コミットメントがあって、
で、その今言った人格否定しないみたいなルールみたいなのもシェアされているとか、
ってなると、割と そんな何か目的が揃ってない人が集まってくる気はしないんだけど、そこら辺に本当にランダムに集めると、
そういうことになる。はいはいはいはいはい。 いろんな目的の人が混じってきちゃうと。
なるほどねー。
難しいね。 結局どうしたらいいんだろうなぁ。
今聞いてて思ったのは、そのコミュニティをどう、そのグループをね、どうやってまず作るかとか集めるか、
興味の相違とコミュニケーション
とか、まあすでにあるんだとしたら、そのコミュニティがどういったレベルで目的を共有できてるか、
っていうのは鍵になるんだなぁとは思ったよね。 うん。
で、ある程度揃ってるんだとすると、 あんまりこう、そもそもルールなんて作る必要ないかもしれないけど、
結構ばらついてるんだとしたら、最低限事故にならないような、
その話はちょっと必要なのかも、 っていうことかな。そうだね。
なんかその我々前回コミュニティを作りたいね、みたいな話をしてたじゃない?
してたね。 そん時にじゃあルールとして設定するとすると、
じゃあ何なんだろう、人格否定はダメです、ぐらい? うん。
あと何かあるかな? そうだね。逆にだから相手を尊重している限りは、
相手と違う意見を発することはウェルカムです、っていうことね。 ああ、そうだね、そうだね。
ルールにする必要ないと思うんだけど、そういうことだよね、きっと。 むしろそういう差はあったほうがいいと。
今さ、その人格否定はダメっていうルールを定めて、
なんで人格否定ダメなんだろうって今思っちゃったんだよね。 うーん。
なんでダメなんだろうね。 相手の人格を否定したら…
まあ嫌だからか、単純に。自分が否定されたら嫌だから。 暴力と一緒かな。
物理的な暴力のメンタル版だと思うんだよね、人格否定って。 ははははははは。
なんだろう、その人が正当化できない…
ん?違うな、なんだろう。
暴力、精神的な暴力と一緒なんじゃないかなと思うんだよね。 うーん。
そうだよね、だって相手の人格を否定しても何も生み出されないもんね。
まあその人の気持ちが、なんかストレス解消みたいな。 あーそういう、そっか。
のあるかもしれない。 そういうこういうのあるか。 殴る蹴ると一緒で。
そう、その人にとっては発散してるんだよね。 とか相手を貶めてるから、
それによって相手が弱るんであれば、きっとその人にとっては得してるんじゃないかなと思ったけどね。
とかその人をそのコミュニティから排除したいとか退場させたいという意図があるんだったら、
ぜひ弱ってくれと。そういう風になるのかもしれない。 うわー、なるほどね。
怖いなあ、人間。
まあ。 あーでもさ、ちょっと今さ、もう一回聞いてみたいなと思ったのがさ、相手と違うことによって、
はい。 なんか起きそうな、こう気まずいというか、なんか例として、
はい。 例えばね、
この〇〇が僕はすごい好きなんだよねーって話して、 うん。
で、とよだくんはそれを全く好きじゃないとして、 はい。
で、僕はこれ全く好きじゃないねーってこう反応したとするじゃん。
それ事実だと思うんだよね。で、とよだくんは感じたことだと思うんだけど、 うん。
なんかその会話って、なんかその後に発展がないなっていう感じはするんだよね。
そうだね。 興味のサークルが全くかぶんなかったっていうことが、こうはっきりしましたと。
で、それってどうなのかなと。他に、じゃあとよだくんがそのことに全く興味ないのは、分かったと。
でも、どういうふうな、ベターなコミュニケーションがあり得たかみたいな、どう思う?
うーん、いや、なんでそいつはそういう興味ないって言ったんだろうなーって俺は不思議に思うね。
その、わざわざそれを宣言した理由は何なんだろうって。
思うけどね。それを宣言して、何が目的でその宣言してるんだろうなーって思う。
だからあなたの興味ある話題で私は会話したくないですっていうことを言いたかったと。
そういう意思表示に聞こえるんですよね。 あー、意思表示しちゃうんだ。
相手を拒絶してるようにも捉えられる役がないと。
まあそうだね。
それだったらじゃあ、その話にその人が入らなきゃいいだけじゃないかなーって思うけどね。
でもなんかそういうところかなーって思ったんだよね。なんか、その人はその話をさっさと終わらせたいみたいな。
例えば。自分の話をしたいとか、そういう意図があるとそういう反応になるとかね。
そういうのもあり得るのかなと。
空気を読む能力の重要性
でも今の自分はこれには興味がない、もしくは自分はこっちに興味があるって発言することは、相手を否定してるのかな。
そうだと思う。今思ったのは、自分が想像できるのは、なんか相手がダラダラダラダラと自分語りばっかりしていて、
で、その話をみんなが聞いても別に何も得るものがないと。
っていう誰か一人がね、なんかずーっと自分の話ばっかババババってしている状況だったら、そのワードは言うかもしれないなと思ったんだよね。
そのダラダラ喋ってるのをこう制止するっていう意味合いでね。
で、それは制止することによって自分も得するし、その人以外のそれを聞いている周りも得するんじゃないかと思って多分言うと思うんだよね。
だからその否定は僕はなんだろうな、全体の利得としては高い気がするから、なんかいいんじゃないかなっていう気がしたけどな。
でもそれってあれだよね、トロッコ問題でさ、一人を犠牲にしてみんなを助けるのか、どっちが正しいんだろうみたいな話になるよね。
哲学的というか主観的な問題だよなと思って。
それがとよだくんがそう思ったかもしれないけど、僕は別に今のすごい有益だと思ったけどって一人いたとしたらまたね、ジャッジメントが難しくなるよね。
そうだね。
まあでもそこはわかんないから、もう人間のそのね、認知できるのは限りがあるから、もう自分がそういうふうに、
そうだと、みんなにとってもこれがいいはずだというふうに判断してそれに従うしかない気がするけどな。
うんうんうん、そうだね。
そうだから結局ね、空気を読めるかどうかなんじゃないかなと思うんだよね。
そう?空気を読む?
空気を読んで、空気を読んでれば自分語りというか、
この自分語りしてもみんなあんま喜んでねえなっていうことをたぶん気づけたりとか、
あと空気を読んで、ここはちょっと諌めとかないとちょっと変な感じになりそうだなとか、
空気を読む能力なんじゃないかなって気がしたけどね。
空気が読めない人はどうしたらいいんだろう?
空気が読めない人はやっぱりやんわりと教えてあげないといけないんじゃないか?と思うけどなあ、僕は。
なるほどね。
なんか僕はどっちかというと空気読むって苦手というか、分かんないなって思うから、
それを表に出したほうがいいんじゃないかとか、何らかの方法で言語かなり、
こっちも発信して、それに対して相手がどう反応するかをよりはっきりさせたほうが、
その空気って結構曖昧なものだけど、よりはっきりするのかなと思うんだけど、
主観的な問題としての空気の読み方
空気読み間違えてるんじゃないか?
読み間違えてる。
はっきりさせるために、その否定というか、注意してあげるというか、
言うっていう意味もあるんじゃないかなと思ったけどね。
なるほどね。
実際発信したり表に具現化してみないと、分かんないよねっていうのはあると思うんだよね。
それで、実際にその否定が実は必要なかったと。
分かったら、じゃあ次からまだ学んで、否定しないようにすればいいし、
ということで、だからフィードバックをちゃんと得て、それをぐるぐる回して改善すると。
そうだね、空気、空気か。
空気、結構僕は難しいワードだなと思うんだよね。
人の心はそんなに分かんないんじゃないかなと思っちゃうんだよね。
僕も個々人の人間の考えてることとか感じてることを、あんまり察するの得意じゃないような気がするんだけど、
個々人は分かんないけど、全体的にもうちょっと曖昧というか、
群になったら分かる。
全体的の空気はなんかね、敏感になんか感じるような気がしてるんだよな、なんか分かんないけど。
そうなんだ。
それは対面とかリアルじゃなくても感じるの?今リアルな話。
感じるんじゃないかな、リアルじゃなくても。
で、それが気持ち悪いから多分なんかいろいろ言いたくなるというか、なんだろう、その空気を壊したくなるんだよね。
なるほどね。
空気、難しいね空気。
空気か。
でもそれも結局主観でしかないから。
そうだね。
みんなはこれでいいな、居心地いいなと思ってた空気に対して僕が、なんか一人だけ、なんかやだなこの空気って思って、その空気を壊してる可能性もあるから、なんかなんとも言えないね。
そうだね。
どっちが空気読めてないのか分かんないね、それはね。
確かに。
ただのKYなやつかもしれないなとちょっと思っちゃったな。
でもそれあれだね、歴史でさ、自分は正しいことやってるとか、その当時は正しいと思われたけど振り返ったらそうじゃなかったとかそうだったとか、それと似てるから、結局それは分からないってことだな。
そうだね、分からないね。
そうそう、だからそうだそうだ、分からないから多分バランスを取りたいんだと思う、その偏ってるっていうのかな。
結局どっちが正しいかなんか分かんないのに、なんか片方側にすごい偏っちゃってるなーって思うのが気持ち悪いのかもしれないな、僕が感じてるの。
次回へ続く。
37:09

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