否定することについて考える(その3)です。


【今回の内容】

あえて制約を設ける/否定のポジティブな面/2種類の否定/相対化と弁証法/アンチテーゼって何?/期待はずれのジンテーゼ/止揚をするなら未知をくれ!/ケースバイケースを否定する/否定肯定論者/コミュニティのルールと文化/否定文を否定する/逆転のコアバリュー/アファメーション/否定を肯定表現する重要性/そして、肯定に至る/ハック・ユアセルフ


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #否定 #弁証法 #肯定


サマリー

否定をするかしないか、意見が異なるか同じか、それぞれの意見にはポジティブな面があります。それによって新しいアイディアが生まれ、メタ認知が促されます。とよだくんは否定とアンチテーゼを持つ人であることを考えることで、新しいジンテーゼが生まれる可能性を探ります。その一方で、否定する場合にはコミュニティや目的によって適切な作法とリテラシーが必要であることが示唆されます。言葉の否定を避け、相手を尊重することが重要であり、アファメーションを通じて自己肯定を図ることが必要となります。

否定のポジティブな面
あ、あ、それで思い出した。 そのさ、
Discordでね、最初にこんな話した時にさ、 ちょっとモヤッというか、なんか伝わってないなーとか思ったところがさ、
あるコミュニティは、その否定をしないでいきましょうと言ってやると。 もしくは、あるコミュニティは、
否定を真逆って意味でガンガンしていきましょうっていうコミュニティがあったとして、 とよだくんはどっちかというと、
まあ否定も必要だったらしたほうがいいし、 まあそういうバランスが大事なんじゃないかっていう、
そのそういう認識なのね。3つ。 そうだね。
で、僕は、
その場によっては、そういう 極端ななんか制約も
手法としてはアリなんじゃないかなと思ったの。 新しいアイディアを生み出すとか、
だから人間って制約が加わると、思いも寄らないところに到達できる可能性があったりして、 だからそういう意味では、
否定をしないっていう制約も場によってはアリだったり、 否定をしましょうっていうっていう、必ず全員が否定をしようとするとか、
その中でバランスを取るコミュニティもあってよくって、 その目的があるアイディアを出すとか何か、
なんか目的があって、その中の一つの手法としては、 実はバリエーションとしてはアリなんじゃないかなとは思った。
そうだね。それはアリだと思った。俺も今聞いてて。
だからそれがやっぱ意図的に設計されてそうなってるんだったら、 まあ別にいいんだよな。
そういう制約を設けることによって、何か今までとは到達できなかったところに 到達しようとしてるっていう意味で、
じゃあ否定はしないようにしようとか、 じゃあガンガン否定していこうみたいな、
いうルールを設けるのはアリだと思うんだよね。
でもそういうわけではなく、とりあえず無難だから、 否定するのはやめましょうよっていうルールを設けるのは、
そうね、ここはやめていただきたいと。
思うかな。 今日ね、その否定のポジティブな面を発見したいなと思ったんですよ。
最初にちょっと言ったかもしれないけど、 否定って基本的にこうネガティブというか、
あんまり否定に対してポジティブな見方をしてる人って あんまりいないんじゃないかなと思っていて、
そうだね。 でも今日話してみて、でも別に否定も、
否定があることによって何かが新しいものが生まれるとか、 なんかそういうのがちょっと出てきたと思うんだよね、ワードとして。
そういう意味で言うと振り返って、その否定のポジティブな面って一体何なんだろうっていうのを ちょっと最後に言語化しておきたいんだけど、
なんか思いつくことあるかな。
そもそも、否定っていうのは何って話だったよね。
で、否定の中に2つ発見して、
1つは人格とか、そもそも目的が合ってない中で、 相手を貶めるみたいな意図がある発言が1つの否定だったと思うんだよね。
もう1個は、相手と意見が異なるっていう意味の否定なのかな。
異なるだけで否定してるように見えるというか、 否定のうちに入ってると思うんだよね。
で、前者は目的にそぐわないから辞めた方がいいと。
これは僕らもネガティブだとも否定だと思うんだけど、後者の意見が異なるってこと自体はむしろ歓迎されるべき、
ポジティブな面があるんじゃないかと。で、どんなポジティブな面があるかというと、
視野を広げてくれるとか、1+1が3以上になるような、
そういう双方がいることによってしか生まれないメリットを生むトリガーになるのかなと。
そんな話してなかったけど、今話しながらそういうふうに思ったんだけど、
そういうポジティブな面があって、しかもそれを受け入れられるっていうこと自体、
さらに次の発言を言いやすくするっていう効果があるのかな。
あー、その否定をオッケーだよっていう。
オッケーだよとすることによって、次の否定なのか肯定なのかもわかんないけど、
それをジャッジせずになるべく気にせず、いろんな意見をウェルカムできると。
そういうメリットがあるのかなとかね。
はいはいはい、なるほどなるほど。
そういう話をしてきたのかな。
なんか今思ったのは、前者の人格否定も、自分の思った通りに議論を進めたいとか、
相手の欠点を指摘して打ち負かすとか、そういう意味ではいい面があるというか、
まあ目的によるんだよね、きっと。
意見の異なる否定
それを目的としてるんだったら、意味ではポジティブに使おうと思えば使える?
ポジティブっていうのがあるから、それが目的だとしたらポジティブなんだろう。
エゴになっちゃうけどね。
みんなにとってポジティブじゃなくて、その人、個人にとってはポジティブになる。
メリットがある使い道はあるねってことだね。
あーそうだねそうだね。
で後者の方は、そっちの方がやっぱりみんなにとっての利得が結果的に増えるよねっていうことよね。
そうだね。
そうだよね。
でも今なんでとよだくんがこれにこだわってるのかはわかったね。
本当にこれだからメタ認知とか俯瞰してみるとかに繋がるんだろうね。
これをウェルカムすると。
自分の中でもそうだし、コミュニティとしても第二第三のそういう意見をするってこと自体、
違った評価軸を持つとか、自分にないデータポイントを持つっていう行為だから、
メタ認知だと。
そうだね、結局またメタ認知になっちゃうんだが。
でもやっぱこれも相対化なんだよね。
相対化して自分の意見とそれとは異なる意見が相対化されて初めてメタ認知できると。
これはやっぱディスコードでも言ったけどさ、
アンチテーゼがあって初めてそれを統合したジンテーゼが導き出せるっていう弁証法の構造になっているんだと思うんだよね。
だからやっぱそこにアンチテーゼを封じてしまうと、
メタ認知できないというか、
やっぱ新しいものが生まれないんだろうなっていう気がしたね。
このさ、今クロージングしそうだったんだけど、
聞いてもいい?
このさ、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼって流れでさ、
僕は例えばリンゴが好きですと。
それに対して僕がリンゴがいいと思うと。
それに対してとよだくんが、いや、ここはオレンジだろうっていうのは、
テーゼとアンチテーゼに当たるの?
なんかアンチテーゼって言うと、
それの裏を取らないといけないかなと思うんだよね、否定。
テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ
いや、リンゴではないっていう。
そうそうそう、リンゴではないっていうことを主張しないといけないのかなと思ったんだけど、
そうなのかな。
えー、どうなんだろう。
どっちだろうね。
そうすると、
それは。
そうだったとすると、じゃあ自分はリンゴがいいと思うっていうのに対して、
自分はオレンジがいいと思うとか、自分は違う意見を持ってるっていうのは、
この方程式っていうのかな、
テーゼに対してアンチテーゼを出して、
ジンテーゼに至るっていうのとは本当に合ってるのかなとか思ったんだけど、
合ってるのかな。
あー。
そこはちょっと、
ちゃんと考えてみないとわからんな。
なるほど。
確かに。
でも、
どっちでも良いような気がするんだけどな、感覚的には。
うん。
リンゴ、リンゴ、リンゴがいい。
リンゴは嫌いだ。
じゃあオレンジにしようっていうのがジンテーゼなのかな。
間を取ってないな。
あー。
でも、
それは。
え、ちょっと今調べていい?
いいよいいよ。
もしくはリンゴがいいね。
で、もう一人はオレンジがいいね。
じゃあジンテーゼとしては、
リンゴとオレンジを混ぜたジュースを頼めばいい。
そしたらどっちも取れるねみたいな。
なんかそういうのだと、
そのなんか弁証法っぽいんだけど、
でもテーゼ、アンチテーゼっていうとさ、
なんかアンチってただ否定してるだけだって気がするんだよね。
テーゼを。
はい。はいはいはいはい。
だからアップルに対してオレンジっていうのがアンチテーゼになるのかなってちょっと思って。
おー。
ちょっと哲学的に正しいかみたいなそういう話になってるんだけど。
なんかね、調べたやつだと、
やっぱりその、
僕はリンゴが好きだっていうののアンチテーゼは、
僕はリンゴが好きではない。
そうだよね。
になるっぽいね。
うーん。
で、その結果、
これどうやって統合すんだ?
統合すんの?
wwww
うーん。
あ。
あー。
僕はリンゴが。
なんだこれは。
うん。
そうだね。
だからー。
なんだろうね。
ちょっとリンゴだとちょっと単純すぎて。
わかりにくい。
逆に難しいというか、あの… 逆に難しいなぁ。
えぇ…。
今ね、ChatGPTに聞いてみたら、 テーゼとしてリンゴが好き、で、
私はリンゴの甘さを、いや、シャキシャキとした 感触が好きで、リンゴを食べることに喜びを感じると主張します、と。
で、アンチテーゼとしては、リンゴは好きではない、 とか否定だよね、単純に。
はい、はいはいはい。
で、友人とか他の人はリンゴの味が気に入らないとか、 他の果物の方が好きだと感じる、と。
で、その人たちはリンゴの特有な味とか食感を 好むとは限らない、という対立する意見を持つかもしれません、と。
で、ジンテーゼとしては、 リンゴを好むかどうかは個人の好みによるが、
リンゴにはそれぞれの特徴や価値がある、 っていうところにたどり着く、と。
で、テーゼとアンチテーゼを統合して、 リンゴの価値や特質はあるものの、
その好み、好むかどうかは個人の主観や好みに左右されるという理解に至ることができる、と。
うーん、なんかあんまりパッとしないなぁ。
なんか、うーん、まぁわかるんだが、 そんなジンテーゼを導き出したわけじゃないんだよな、俺は。
ははははは。
うーん、いや、なんかもっと…
否定と新しいジンテーゼ
多分今、とよだくんの期待値としては、
ジンテーゼが自分が今まで知らなかったこと じゃないとダメなんじゃないかなと思った。
テーゼを、もしくはテーゼかアンチテーゼか どっちかわかんないけど、とよだくんはどっちかを持っている人だから、
まだジンテーゼにたどり着いてません、と。
で、相手がいたことによって、 ジンテーゼっていう新しいとこにたどり着いて初めて、
お、これは弁証法だったと言いたいっていうか。 そう、そう、それそれ、俺が言いたいのそれ。
それそれそれそれ。 だから最初から… 何これ、弁証法じゃないのこれ?
どういうこと?これっていうのは。 あ、僕が言ってるのはこれ弁証法じゃないのか、もしかして。
いやいや弁証法のうちなんだけど、多分とよだくんの言っている弁証法は さらに条件が追加されていて、
そのジンテーゼは既知じゃないものじゃないといけないっていうのかな。自分の主観から。
もしくは自分がその登場人物として、リアルタイムで、
テーゼかアンチテーゼどっちかを持っている人であって、そのジンテーゼを一緒に探すという作業をしたいというか。
そうそれそれそれそれそれそれそれそれそれ
あーそっかそっかじゃあその弁証法にも 僕が
そういうのじゃないんだけどなーっていうのを弁証法に含まれてしまうってこと まあすでにジンテーゼジンテーゼをだあのとよだ君が
もともと知ってたとしたら あのそれを弁証法だと認識したくないというかしてないんじゃ
あーそっかそっかそっかそうだねそうだねもう既知じゃんみたいな
そうだね まあでも哲学のねまあそのコンセプトでもたまにそういうのあるよねあの
元素記号とかさ今科学的にも分かっちゃったこととかをさ 昔は哲学の範囲で何か言ってたりして
それってでももう 既知のことだったり
なんかちょっと全然もう説明できちゃう 自分たちは当たり前と知ってるようなことだったりするからまあなんかそれに似てんのかな
うん まあでもそのジンテーゼが自分とって既知かどうかっていうのは
なんか面白いね ね俺そういう意識はあんまなかったから今初めて認識したわ
うん 完全に脱線したけど
あーでも今のはいい気づきだったな
だから否定に戻ると うん
否定も そのアンチテーゼを出すことによって新しい
そのジンテーゼにたどり着きたいんじゃないかな とよだくん
だからそのアンチテーゼを出すことを やめさせるなということが言いたいってこと
あ そうですそうです一言で言うとそうそうそういうことそういうこと そういうことだよね
コミュニティと否定の作法
どうだろうこれは理解してもらえたのかな全国の 否定してはいけない論者の皆様には
否定してはいけない論者の皆様を がテーゼだとして
で僕はいやそれに対していやそんなことないだろうっていう 否定してもいいじゃんっていうアンチテーゼを
ぶつけて でその結果導き出されたジンテーゼは
人格否定はダメだけど 新しい考えみたいのが生まれる否定はいいよねっていうジンテーゼに到達したのかなこれは
あでも僕違うものな気がしたけどな ケースバイケースっていう感じがしたんだけど
教えて教えてどういうことどういうこと いやだからチラッとさっき言ったようにあのコミュニティとか目的によっては
そうやって否定をしないことによって達成できるものがあると 互いよく知るとかその人の例えばモヤモヤしてる鬱憤があったりとか
人に受け入れられてないと社会に受け入れられてないって言って困っているような 人がいて
それが受け入れられたって思えるそういうコミュニティがあったんだって思える人たち も多分いるし一方で
とよだくんがイメージしているそのディスカッションとかワークショップでは新しい発見とか クリエイティビティの何かアイディア
もしくは解決策っていうのを模索したくてそういう場合は 否定を
して新しいところに達するそのジンテーゼを見つけるっていうのが大事だったりするから 目的とかそういうどういった
理念をそのコミュニティで共有しているかによるってことなのかなと思ったんだけど 違う
いやー いや多分それジンテーゼなんだけど
俺が期待しているジンテーゼではない
既知だったってことね多分 知ってるよって思った
ケースバイケースだよねって言われちゃうと そうありきたりだよねすごい 全部そうだよねってなっちゃうから
つまんないなってなったと思う でもそうなんだろうなそれもジンテーゼなんだろうなって思ったんだよな
難しいね このジンテーゼってでも何通りもあり得るんだよね多分 そうだろうねどうその概念をラッピングするかによって多分いかようにでも
こうね導き出せる 導き出し方は多分いく通りもあるんじゃないかなって気がする
まあ そうですねこの
否定してもいいよねっていう こう
思想をちょっと僕は広げていきたいんだよな
そうね そういうコミュニティで
目的がそうなったらもう積極的に進めたいよね 一方でその否定する時の作法とかリテラシーって
もうちょっとこう具現化というか言語化して ちゃんとどうやったらそれが身につくのかとかより
何かを犠牲にして否定するんじゃなくて 何の苦もなくそういうのが伝えられるようになるといいなぁとは思った
でもそういうのってなんかこう コミュニケーションとっていて自然と出来上がるなんていうのかな
規範というか文化というか なんじゃないかなーって気がしたんだよねなんか
成文法にはできない気がするんだよな 実践でしか身につかないって
文章にできないっていうかさ言語化っていうかもっとこう曖昧でその その場所の空気感とかによって規定されるものな気がするので
文化と言語化の重要性
うん まあなんかそういう雰囲気を作っていくしかないんじゃないかなぁ
なって気がした
ちなみにこの僕らの話を振り返ると どのくらいの割合で僕らは同意してどのくらいの割合でその否定というか違う意見を言い
あえてるんだろう え?この我々の話してるラジオがってこと?
そうポッドキャストで話してきた そうそうそうそうどんな感覚
否定してた?そもそも 否定してる否定っていうかまぁ
あのね 僕が見えてなかったこう視点を指摘とかしてくれてるから新しい気づきとかが
あるんだと思うので なんか否定してんじゃん 否定って否定つーのかなそれ
まあでも新しい気づきを得られている感覚があるから多分 いい感じのジンテーゼに導ききれるんじゃないかなって気がするけどね
なるほどね そうか 僕の中で全然こう否定してる感じはしなかったんだよね
そういう意味では あー俺もあんまり否定はしてないかな
これ例えばさ始まるときにじゃあ今日はお互い否定しないようにしようって言ってさ
うん 言ったとしてもなんか変わるかって言ったら多分あんまり変わらないような気がして僕らの話だからそこら辺
何だろうね だからやっぱもう文化ができちゃってるからだよ
あーそうだね このコンセンサスがあるんだね そう
難しいね だからやっぱコミュニティとかも
人数が多ければいいって話じゃないんだなっていうふうになんか分かったな うんうんうんうんうん
うん やっぱ人数が多くなれば多くなるほどそういうなんていうのかな
相容れない人が紛れ込む
確率というか割合も多くなるとか まあ
そうだね確率的には上がるね だから
でもなんかさっきさ 言語化するの難しいって言ったじゃん でもやっぱり言語化するの大事なんじゃない あっさっき作法の話だね
でもそうじゃなくてなんかまあビジョンとか何だろう そのコミュニティは何をこう理念としているかみたいなのは
なんか言葉にするのは 実は大事というか効率的なのかなある意味
そのそういって人が集まってきた時に あっそれに共感してますっていう方
方が集まってくる方が確率的にその まあそうにそぐわない人が
入ってくる可能性をかなり低くできるのかなとは思った 今思ったのはそういうやっぱり理念とかビジョンって
えっと肯定文で書かないといけないなと思ったんだよね 何々何々を目指すとか何々をするとか
肯定文で表現する必要があってそこに例えば相手を否定しないとか 否定文何々しないとか
何々ないみたいな表現しちゃうと なんかねー
なんかダメな気がしたんだよな今 直感的に
だから そこに何々しないみたいな
理念ないしビジョンは入れたくないなって思ったなぁ
可能性を潰しちゃう気がするんだよなぁ ないっていうことも言えると
じゃあ今はとよだくんはどっちかというと 否定を使うことを否定してるわけだよね
今までは否定を歓迎してたと思ったんだけど ミッションに関しては否定は良くないと思うんだ
否定 否定文
そう否定文 否定文ね
だからどうだね良くない気がした なんか最後になんか面白いの出てきたね
文章だったら否定はしない方がいいの 文章というかその理念ってこうありたいとか
うーん 進もうとしている方向じゃない
はいはいはい そこに何か否定文が混じってくるとなんかすごい気持ち悪いなって感覚があるんだよな
僕たちは人格否定をしない 方向に進んでるんだってなんか
進んでるのか なんか気持ち悪いなぁと思って
あの人格否定をしないじゃなくて 何だろう
何だろうねそういう時何て言うんだろう それでもだから理念じゃなくてもっと別別
うん 別
ルールなのか 別のところなんかそれは表現しないといけない気がしたんだよなぁ
あのSAIでさ、凡人の非凡な才能を科学するの回でも あの
ミッションとかここはコアバリューとかパーパスを作るっていう回があって その時に
その自分がこう合わない人とか苦手な人とか自分のこう能力発揮しにくい
環境とかを裏返して そういうパーパスとかコアバリュー作ってみましょうみたいな考え方があるんだね
ここからそういう人格否定をしない するのが嫌だってことじゃんでそれを裏返してコアバリューを作るっていうのは
否定を避けるコミュニケーション
そこでも言われてたことで結構 あの面白い作り方なんじゃないかなと思った
でもコアバリューがさ人格 僕たちのコアバリューは人格して否定をしないことだって
いうコアバリューにはならないよね そのそれを裏返すの 言葉をポジティブにする
だから同じことを言っているんだよね そうだよねそうだよね
お互い尊重できるようにするとかなんかリスペクトとかリスペクトフォーとか そういう言葉になってくるのかなと思うんだよねで裏を返せば
いやそういう人格否定とかする人は入ってほしくないっていうことで説明はできると思うん だけど
ミッションっていうビジョンって言うともうちょっとやっぱり短くてポジティブなワードでシンプルに表現してそれに共感する人を集めると自然とそれの逆の人が集まってこないと
そうだそうだアファメーションって知ってる
アファメーションもさその 何々しないっていう言い方はしないはずなんだよね確か
自分のありたい姿を言葉にしてまあそれを言うってことだと思うんだけど
それで 否定語を使っちゃうとその状態になっちゃうらしいんだよねその人間の脳で確かなんか肯定と否定を何か区別できないだったかな
無意識か人間の無意識っていうのは肯定と否定を何か区別できないので 例えば私たちは人格否定をしないっていうふうに
アファメーションしちゃうと人格否定しちゃうんだよね しちゃう自分が多分実現しちゃうんだと思うんだよね
だからやっぱそうだね 肯定しないとダメなのかな
なんかでもさそうなると序盤に話してたこともさ 否定しないことのメリットってやっぱあるんじゃないのって思っちゃうんだけど
どういうことどういうことどういうこと だから言葉をその本当は言いたいことは
否定文だったりするんだけど相手が 実はその否定文の
やってほしくないことだけ頭に残って その部分が強調されるっていうのかな
人格否定してないでくださいねって言っていると人格否定するってことでしょ さっき言ってたの
はい それに似て
否定文を使って言うと相手にもなんかその部分だけ なんかメッセージが伝わるみたいななんか
なんか子供を注意するときもさ 子供を注意するときも何々してはいけませんって起こるんじゃなくて
なんだ 何か言うよね何々
何々しようねーとかって、 そうそうそう
するよね 確かにそれあるなぁ
だからそれに対して 人間のその心理的なとか認知のメカニズムを考えると
とりあえず否定はしないということにもメリットはある のかな
そうだねだから 結局やっぱり言い方なのか
自分の心の中では相手の考えを否定したいっていう意思が生まれるのは多分否定できないんだよね そこは
それを相手に伝えるときに 否定の言い方で伝えるんじゃなくて
自己肯定と解釈の変化
何て言うの? なんか上手い感じに伝える
そうだね上手い感じ っていうのが大事なんだろうな
そうだね
なるほどなるほどね 僕が問題視してたのはその否定をするっていうその想念を
湧くことを否定されているように感じてしまうとそういうルールを設けられると そこに違和感を感じてたんだなって思った
なるほどなるほどね それ自体はいいんですよと
それはいいんだよそれはいいんだよ それを外に出すときに
ちょっと気をつけなきゃいけないんだってことだな そうってことだね
おお
っていうことかな そういうことかな
どう?新しいジンテーゼにたどり着いた感じする?
そうだね さっきだって俺は否定
否定をしないっていうルールを やめてくれって言っていて
あでもそこは変わってねーな
否定してその意見に反対とか違うことを
違う意見を持つことはいいと それはいい
それを伝えるときに 否定の言葉で伝えるのを
ちょっと別の言い方でできないか考えてみましょうっていうのは オッケーかもと思えてきたってことだよね
そうだそうだそうだそうだ そこは新しいあのジンテーゼだよね
はい そうすると表面的にもその人は否定をしてないことになる
そうだそうだそうだそうだ 周り回ってとよだくんもそのルールはオッケー
それに従っているように見える まあ否定はしてないね
そうだね ああそうか
俺が変わったってこと?
俺の考えが今これは 変わったのか?
変わったかもしれないと思ってるけどどうだろう 解釈が変わったのか?
なるほどなるほど面白いね そうかこれが
弁証法の力か
あーそうか 俺が変わったんだ
新しい解釈を手に入れた感はある そうだね だから前俺言ったよね外の世界を変えるんじゃなくて自分の心を変えればそんな苦しま
なくていい まさにこれだよ
そうだね 俺がいちいちさ
世界に対してその否定しないようにしましょうというルールを撤廃させるっていう運動し なくても
今ここでこう話をしたことによって俺の認知が変わったから それでも俺はもう救われたわけだ
変える必要はなくなった
あー はい
そうだね 自分を今日ハックして自分の解釈を変えれたと
そうだね
面白いね
はい じゃあ今日はそんなとこですかね
そんなところにしときましょうか
はい ありがとうございました
34:19

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