あ、あ、それで思い出した。 そのさ、
Discordでね、最初にこんな話した時にさ、 ちょっとモヤッというか、なんか伝わってないなーとか思ったところがさ、
あるコミュニティは、その否定をしないでいきましょうと言ってやると。 もしくは、あるコミュニティは、
否定を真逆って意味でガンガンしていきましょうっていうコミュニティがあったとして、 とよだくんはどっちかというと、
まあ否定も必要だったらしたほうがいいし、 まあそういうバランスが大事なんじゃないかっていう、
そのそういう認識なのね。3つ。 そうだね。
で、僕は、
その場によっては、そういう 極端ななんか制約も
手法としてはアリなんじゃないかなと思ったの。 新しいアイディアを生み出すとか、
だから人間って制約が加わると、思いも寄らないところに到達できる可能性があったりして、 だからそういう意味では、
否定をしないっていう制約も場によってはアリだったり、 否定をしましょうっていうっていう、必ず全員が否定をしようとするとか、
その中でバランスを取るコミュニティもあってよくって、 その目的があるアイディアを出すとか何か、
なんか目的があって、その中の一つの手法としては、 実はバリエーションとしてはアリなんじゃないかなとは思った。
そうだね。それはアリだと思った。俺も今聞いてて。
だからそれがやっぱ意図的に設計されてそうなってるんだったら、 まあ別にいいんだよな。
そういう制約を設けることによって、何か今までとは到達できなかったところに 到達しようとしてるっていう意味で、
じゃあ否定はしないようにしようとか、 じゃあガンガン否定していこうみたいな、
いうルールを設けるのはアリだと思うんだよね。
でもそういうわけではなく、とりあえず無難だから、 否定するのはやめましょうよっていうルールを設けるのは、
そうね、ここはやめていただきたいと。
思うかな。 今日ね、その否定のポジティブな面を発見したいなと思ったんですよ。
最初にちょっと言ったかもしれないけど、 否定って基本的にこうネガティブというか、
あんまり否定に対してポジティブな見方をしてる人って あんまりいないんじゃないかなと思っていて、
そうだね。 でも今日話してみて、でも別に否定も、
否定があることによって何かが新しいものが生まれるとか、 なんかそういうのがちょっと出てきたと思うんだよね、ワードとして。
そういう意味で言うと振り返って、その否定のポジティブな面って一体何なんだろうっていうのを ちょっと最後に言語化しておきたいんだけど、
なんか思いつくことあるかな。
そもそも、否定っていうのは何って話だったよね。
で、否定の中に2つ発見して、
1つは人格とか、そもそも目的が合ってない中で、 相手を貶めるみたいな意図がある発言が1つの否定だったと思うんだよね。
もう1個は、相手と意見が異なるっていう意味の否定なのかな。
異なるだけで否定してるように見えるというか、 否定のうちに入ってると思うんだよね。
で、前者は目的にそぐわないから辞めた方がいいと。
これは僕らもネガティブだとも否定だと思うんだけど、後者の意見が異なるってこと自体はむしろ歓迎されるべき、
ポジティブな面があるんじゃないかと。で、どんなポジティブな面があるかというと、
視野を広げてくれるとか、1+1が3以上になるような、
そういう双方がいることによってしか生まれないメリットを生むトリガーになるのかなと。
そんな話してなかったけど、今話しながらそういうふうに思ったんだけど、
そういうポジティブな面があって、しかもそれを受け入れられるっていうこと自体、
さらに次の発言を言いやすくするっていう効果があるのかな。
あー、その否定をオッケーだよっていう。
オッケーだよとすることによって、次の否定なのか肯定なのかもわかんないけど、
それをジャッジせずになるべく気にせず、いろんな意見をウェルカムできると。
そういうメリットがあるのかなとかね。
はいはいはい、なるほどなるほど。
そういう話をしてきたのかな。
なんか今思ったのは、前者の人格否定も、自分の思った通りに議論を進めたいとか、
相手の欠点を指摘して打ち負かすとか、そういう意味ではいい面があるというか、
まあ目的によるんだよね、きっと。
多分今、とよだくんの期待値としては、
ジンテーゼが自分が今まで知らなかったこと じゃないとダメなんじゃないかなと思った。
テーゼを、もしくはテーゼかアンチテーゼか どっちかわかんないけど、とよだくんはどっちかを持っている人だから、
まだジンテーゼにたどり着いてません、と。
で、相手がいたことによって、 ジンテーゼっていう新しいとこにたどり着いて初めて、
お、これは弁証法だったと言いたいっていうか。 そう、そう、それそれ、俺が言いたいのそれ。
それそれそれそれ。 だから最初から… 何これ、弁証法じゃないのこれ?
どういうこと?これっていうのは。 あ、僕が言ってるのはこれ弁証法じゃないのか、もしかして。
いやいや弁証法のうちなんだけど、多分とよだくんの言っている弁証法は さらに条件が追加されていて、
そのジンテーゼは既知じゃないものじゃないといけないっていうのかな。自分の主観から。
もしくは自分がその登場人物として、リアルタイムで、
テーゼかアンチテーゼどっちかを持っている人であって、そのジンテーゼを一緒に探すという作業をしたいというか。
そうそれそれそれそれそれそれそれそれそれ
あーそっかそっかじゃあその弁証法にも 僕が
そういうのじゃないんだけどなーっていうのを弁証法に含まれてしまうってこと まあすでにジンテーゼジンテーゼをだあのとよだ君が
もともと知ってたとしたら あのそれを弁証法だと認識したくないというかしてないんじゃ
あーそっかそっかそっかそうだねそうだねもう既知じゃんみたいな
そうだね まあでも哲学のねまあそのコンセプトでもたまにそういうのあるよねあの
元素記号とかさ今科学的にも分かっちゃったこととかをさ 昔は哲学の範囲で何か言ってたりして
それってでももう 既知のことだったり
なんかちょっと全然もう説明できちゃう 自分たちは当たり前と知ってるようなことだったりするからまあなんかそれに似てんのかな
うん まあでもそのジンテーゼが自分とって既知かどうかっていうのは
なんか面白いね ね俺そういう意識はあんまなかったから今初めて認識したわ
うん 完全に脱線したけど
あーでも今のはいい気づきだったな
だから否定に戻ると うん
否定も そのアンチテーゼを出すことによって新しい
そのジンテーゼにたどり着きたいんじゃないかな とよだくん
だからそのアンチテーゼを出すことを やめさせるなということが言いたいってこと
あ そうですそうです一言で言うとそうそうそういうことそういうこと そういうことだよね
どうだろうこれは理解してもらえたのかな全国の 否定してはいけない論者の皆様には
否定してはいけない論者の皆様を がテーゼだとして
で僕はいやそれに対していやそんなことないだろうっていう 否定してもいいじゃんっていうアンチテーゼを
ぶつけて でその結果導き出されたジンテーゼは
人格否定はダメだけど 新しい考えみたいのが生まれる否定はいいよねっていうジンテーゼに到達したのかなこれは
あでも僕違うものな気がしたけどな ケースバイケースっていう感じがしたんだけど
教えて教えてどういうことどういうこと いやだからチラッとさっき言ったようにあのコミュニティとか目的によっては
そうやって否定をしないことによって達成できるものがあると 互いよく知るとかその人の例えばモヤモヤしてる鬱憤があったりとか
人に受け入れられてないと社会に受け入れられてないって言って困っているような 人がいて
それが受け入れられたって思えるそういうコミュニティがあったんだって思える人たち も多分いるし一方で
とよだくんがイメージしているそのディスカッションとかワークショップでは新しい発見とか クリエイティビティの何かアイディア
もしくは解決策っていうのを模索したくてそういう場合は 否定を
して新しいところに達するそのジンテーゼを見つけるっていうのが大事だったりするから 目的とかそういうどういった
理念をそのコミュニティで共有しているかによるってことなのかなと思ったんだけど 違う
いやー いや多分それジンテーゼなんだけど
俺が期待しているジンテーゼではない
既知だったってことね多分 知ってるよって思った
ケースバイケースだよねって言われちゃうと そうありきたりだよねすごい 全部そうだよねってなっちゃうから
つまんないなってなったと思う でもそうなんだろうなそれもジンテーゼなんだろうなって思ったんだよな
難しいね このジンテーゼってでも何通りもあり得るんだよね多分 そうだろうねどうその概念をラッピングするかによって多分いかようにでも
こうね導き出せる 導き出し方は多分いく通りもあるんじゃないかなって気がする
まあ そうですねこの
否定してもいいよねっていう こう
思想をちょっと僕は広げていきたいんだよな
そうね そういうコミュニティで
目的がそうなったらもう積極的に進めたいよね 一方でその否定する時の作法とかリテラシーって
もうちょっとこう具現化というか言語化して ちゃんとどうやったらそれが身につくのかとかより
何かを犠牲にして否定するんじゃなくて 何の苦もなくそういうのが伝えられるようになるといいなぁとは思った
でもそういうのってなんかこう コミュニケーションとっていて自然と出来上がるなんていうのかな
規範というか文化というか なんじゃないかなーって気がしたんだよねなんか
成文法にはできない気がするんだよな 実践でしか身につかないって
文章にできないっていうかさ言語化っていうかもっとこう曖昧でその その場所の空気感とかによって規定されるものな気がするので
うん まあなんかそういう雰囲気を作っていくしかないんじゃないかなぁ
なって気がした
ちなみにこの僕らの話を振り返ると どのくらいの割合で僕らは同意してどのくらいの割合でその否定というか違う意見を言い
あえてるんだろう え?この我々の話してるラジオがってこと?
そうポッドキャストで話してきた そうそうそうそうどんな感覚
否定してた?そもそも 否定してる否定っていうかまぁ
あのね 僕が見えてなかったこう視点を指摘とかしてくれてるから新しい気づきとかが
あるんだと思うので なんか否定してんじゃん 否定って否定つーのかなそれ
まあでも新しい気づきを得られている感覚があるから多分 いい感じのジンテーゼに導ききれるんじゃないかなって気がするけどね
なるほどね そうか 僕の中で全然こう否定してる感じはしなかったんだよね
そういう意味では あー俺もあんまり否定はしてないかな
これ例えばさ始まるときにじゃあ今日はお互い否定しないようにしようって言ってさ
うん 言ったとしてもなんか変わるかって言ったら多分あんまり変わらないような気がして僕らの話だからそこら辺
何だろうね だからやっぱもう文化ができちゃってるからだよ
あーそうだね このコンセンサスがあるんだね そう
難しいね だからやっぱコミュニティとかも
人数が多ければいいって話じゃないんだなっていうふうになんか分かったな うんうんうんうんうん
うん やっぱ人数が多くなれば多くなるほどそういうなんていうのかな
相容れない人が紛れ込む
確率というか割合も多くなるとか まあ
そうだね確率的には上がるね だから
ね
でもなんかさっきさ 言語化するの難しいって言ったじゃん でもやっぱり言語化するの大事なんじゃない あっさっき作法の話だね
でもそうじゃなくてなんかまあビジョンとか何だろう そのコミュニティは何をこう理念としているかみたいなのは
なんか言葉にするのは 実は大事というか効率的なのかなある意味
そのそういって人が集まってきた時に あっそれに共感してますっていう方
方が集まってくる方が確率的にその まあそうにそぐわない人が
入ってくる可能性をかなり低くできるのかなとは思った 今思ったのはそういうやっぱり理念とかビジョンって
えっと肯定文で書かないといけないなと思ったんだよね 何々何々を目指すとか何々をするとか
肯定文で表現する必要があってそこに例えば相手を否定しないとか 否定文何々しないとか
何々ないみたいな表現しちゃうと なんかねー
なんかダメな気がしたんだよな今 直感的に
だから そこに何々しないみたいな
理念ないしビジョンは入れたくないなって思ったなぁ
可能性を潰しちゃう気がするんだよなぁ ないっていうことも言えると
じゃあ今はとよだくんはどっちかというと 否定を使うことを否定してるわけだよね
今までは否定を歓迎してたと思ったんだけど ミッションに関しては否定は良くないと思うんだ
否定 否定文
そう否定文 否定文ね
だからどうだね良くない気がした なんか最後になんか面白いの出てきたね
文章だったら否定はしない方がいいの 文章というかその理念ってこうありたいとか
うーん 進もうとしている方向じゃない
はいはいはい そこに何か否定文が混じってくるとなんかすごい気持ち悪いなって感覚があるんだよな
僕たちは人格否定をしない 方向に進んでるんだってなんか
進んでるのか なんか気持ち悪いなぁと思って
あの人格否定をしないじゃなくて 何だろう
何だろうねそういう時何て言うんだろう それでもだから理念じゃなくてもっと別別
うん 別
ルールなのか 別のところなんかそれは表現しないといけない気がしたんだよなぁ
あのSAIでさ、凡人の非凡な才能を科学するの回でも あの
ミッションとかここはコアバリューとかパーパスを作るっていう回があって その時に
その自分がこう合わない人とか苦手な人とか自分のこう能力発揮しにくい
環境とかを裏返して そういうパーパスとかコアバリュー作ってみましょうみたいな考え方があるんだね
ここからそういう人格否定をしない するのが嫌だってことじゃんでそれを裏返してコアバリューを作るっていうのは
そこでも言われてたことで結構 あの面白い作り方なんじゃないかなと思った
でもコアバリューがさ人格 僕たちのコアバリューは人格して否定をしないことだって
いうコアバリューにはならないよね そのそれを裏返すの 言葉をポジティブにする
だから同じことを言っているんだよね そうだよねそうだよね
お互い尊重できるようにするとかなんかリスペクトとかリスペクトフォーとか そういう言葉になってくるのかなと思うんだよねで裏を返せば
いやそういう人格否定とかする人は入ってほしくないっていうことで説明はできると思うん だけど
ミッションっていうビジョンって言うともうちょっとやっぱり短くてポジティブなワードでシンプルに表現してそれに共感する人を集めると自然とそれの逆の人が集まってこないと
そうだそうだアファメーションって知ってる
アファメーションもさその 何々しないっていう言い方はしないはずなんだよね確か
自分のありたい姿を言葉にしてまあそれを言うってことだと思うんだけど
それで 否定語を使っちゃうとその状態になっちゃうらしいんだよねその人間の脳で確かなんか肯定と否定を何か区別できないだったかな
無意識か人間の無意識っていうのは肯定と否定を何か区別できないので 例えば私たちは人格否定をしないっていうふうに
アファメーションしちゃうと人格否定しちゃうんだよね しちゃう自分が多分実現しちゃうんだと思うんだよね
だからやっぱそうだね 肯定しないとダメなのかな
なんかでもさそうなると序盤に話してたこともさ 否定しないことのメリットってやっぱあるんじゃないのって思っちゃうんだけど
どういうことどういうことどういうこと だから言葉をその本当は言いたいことは
否定文だったりするんだけど相手が 実はその否定文の
やってほしくないことだけ頭に残って その部分が強調されるっていうのかな
人格否定してないでくださいねって言っていると人格否定するってことでしょ さっき言ってたの
はい それに似て
否定文を使って言うと相手にもなんかその部分だけ なんかメッセージが伝わるみたいななんか
なんか子供を注意するときもさ 子供を注意するときも何々してはいけませんって起こるんじゃなくて
なんだ 何か言うよね何々
何々しようねーとかって、 そうそうそう
するよね 確かにそれあるなぁ
だからそれに対して 人間のその心理的なとか認知のメカニズムを考えると
とりあえず否定はしないということにもメリットはある のかな
そうだねだから 結局やっぱり言い方なのか
自分の心の中では相手の考えを否定したいっていう意思が生まれるのは多分否定できないんだよね そこは
それを相手に伝えるときに 否定の言い方で伝えるんじゃなくて