ウェルビーイングについて考える(その2)です。


【今回の内容】

国ガチャ的に日本のレア度は?/アメリカの生活で見える本当の格差/他人と比較するから不幸になる?/インドで感じた幸福はチャイティーラテの味がした/いかにして他者比較の輪廻から解脱するか/先進国ですら安心と安全はタダではない


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #ウェルビーイング #幸福 #格差

00:05
結構、でも日本人って世界の水準から見ると、相当恵まれてるというか、恵まれてる国だと思うんですよ。
恵まれてると思うよ。
結構、でも幸福度はそんなに高くないみたいな。よく言われるじゃないですか。
言われるね。
例えば結構日本人は遺伝子的に不安を感じやすいとか。
なんだろうね。なんかよくわかんないんだけど、幸福度はそんなに高くない。自殺率が高いとかさ。
だけど、逆に今アメリカとか外国にいて、日本どう見えるかな。幸福、幸せっていうかな、いう観点で。
いや、日本って間違いなく住みやすいだろうし、めちゃめちゃ世界的にも恵まれてるよね。
親ガチャじゃないけど、国ガチャみたいな言葉とかもあって、国ガチャ的には日本はもうトップランクでしょみたいな。
そうだよね。SSSランクぐらいだと思う。
もう生まれた時点で世界で見たら、何十億人っていう人口の中で見たら、もう相当上の方だよみたいなこと言ってる人もいて、そうだよなと思うね。
やっぱそう思う。
アメリカにいると本当に格差というか幅が広いから、ちょっと油断して、サンフランシスコとかの街中で通りを間違えるととんでもない貧しい人とか薬漬けになってたりとか、家のない人たちが暴れ回ってたり叫んでたりするとか、
マクドナルドみたいなお店ですら平気で、強盗が起こってるけど誰も止められないみたいなのがあるからね。
そういうのが普通なんだ。
そういうのがある。普通っていうのも変で、そういう場所があるだけであって、それが全部まんべんなくあるわけじゃないから、普通って表現も変で、普通って言うと平均的にあるみたいな印象があると思うんだよね。
日本ってさ、どこも品質なイメージでそういう強盗があるって言うとさ、本当に全国でまんべんなくあるようなイメージしちゃうんだけど、そうじゃなくて、サンフランシスコのこのエリアに行くとそうなってるけど、そうじゃない場所は逆に信じられないぐらい安全だったり、
そんなのが数ブロック先にあることすら想像できないぐらい綺麗だったりとかさ、人が良かったりとか、そういうのがある感じ。だからそれがちょっと隣に行くと見えると、自分とか日本って外を恵まれてるなって改めて思い知らされる。
日本でそういう明らかに自分と違うなみたいな生活をしてる人たちみたいなのをあんまり目にする機会がない気がするね。
03:14
表面的には見えないだろうね、きっと。内面的には見えないところでそういう変化って起きてるかもしれないけど、表面的にはかなり見えづらい感じするね、品質的な感じで。
そこもちょっと幸福度があんまり高くない要因なのかなって考えてたりしていて、それだけ差が大きいと幸せを感じる機会が多いんじゃないかな、自分がこういう人たちがいるんだ、自分は恵まれてるなとか、そういうのを認識する機会が多いのかなと思ったりして。
逆にそういうのが見えないと自分の恵まれてるところになかなか気づきにくいというか、ほんのちょっとした差で俺よりあいつの方がちょっとだけいい思いしてるから、俺は不幸だみたいな。
そういうのもちょっと感じやすいのかな、あまりにも差があまりないことでも一つあるかなと思った。
でもそもそもそういう幸せを他の人を見て、俺は幸せだとか、相対的に見るのかどうかも考え方の一つだよね。
今回Well Beingって聞いてて、幸福論とかちょっと見てみたけど、一人、幸福論で有名な人がラッセルって人が、そもそも不幸になる原因みたいなのを分析してて、それぞれの原因に対して対処法みたいなのを書いてるんだけど、
基本的にはそういう人と比べるってこと自体も不幸の原因だと。
マジか。
処方箋としてはその関心事っていうのを、人と比べるって意味では周りを見てるんだけど、そうじゃなくて、人と比べて自分がどうかって思っちゃってるわけじゃん。
そうじゃなくて、自分の関心を自分の外に向けて、趣味に没頭するとか、そういう風にしないと人って結構不幸になるよみたいなこと言ってる人がラッセルだったのね。
人と比べて自分はダメなやつだとか、自分は特に価値がないって思うタイプとか、もしくは逆に、あんな周りのやつよりは自分はすごい恵まれている天才だとかさ、権力があるとか強いとか、
ナルシストタイプになる人、だから自分は尊敬されるべきだと思っちゃうのが極端な例だけど、人をタイプに分けると、その人たちは強になりがちだと。
だから話を戻すと、俺も最初アメリカに来たときに、そういう風に思った節はあって確かに。
06:05
こんなに大変な人がいるっていうのを目の前で見ると身が引き締まるみたいな、っていうのはあったんだけど、それが幸福に繋がってるかとか、それが自分だけじゃなくて集団として幸福に繋がってるのかどうかはちょっとわかんない。
だから幸福って何?Well Beingって何?みたいなところにもなってくると思うんだけど。
確かにWell Beingって言って、あいつより俺の方が恵まれてるからって思うのは、なんかちょっとWell Beingとは違うよね。
じゃないよね、多分違うよね。面白いね、幸福って言ったときのイメージとWell Beingって言ったときにニュアンスの違いもあって、イコールじゃないんだなーって思ったね、今。
さっきの人と比較するのは違うみたいな、ラッセルの言ってるのは、なんかちょっと自分の実体験と合わない部分があって。
例えばそうだな、昔インドに行ったときさ、結構仕事がしんどいときにインドに行ったんですよ。
で、インドで暮らしている人々を見て、すごい大変そうなんだよね、インドで生きるのって。
で、俺すげー恵まれてるなーと思って、そのとき仕事で結構きつかったんだけど、自分のきつさなんて全然大したことないじゃん、みたいな。
ああ、なんか相対化できたわけね、自分の辛さを。
で、なんかその辛かった時期を乗り越えられたみたいなことがあるんだよね。で、そのときインド行ったときの記憶がさ、スターバックスとかでチャイティーラテってあるじゃない。
ああ、あるね。
あれ飲むといつもそのときの気持ちを思い出すんだよ、インド。
なるほど。
いつもそのときの気持ちを思い出して、だから辛いときはチャイティーラテを飲むっていう、そういうライフハックみたいなのが自分の中でできて。
ああ、いいね。なんか香りと味とメモリーを一緒にパッとして。
そうすると結構その辛い時でも自分を相対して、自分って全然恵まれてるじゃんっていう気持ちになって頑張れるというか乗り切れるというか。
なるほどね。じゃあ一言で比較といっても、そこの中に良い比較と悪い比較じゃないけど、なんか違う種類がありそうだっていうことかな。
そうだね、なんか思ったのはマズローのさ、五段階欲求だったかな。
低次の欲求は他人と比較すると結構幸せ感を感じれるんだけど、高次の欲求になればなるほど他人と比較するとなんか変な感じになりそうだなっていう感覚が多いよね。
09:12
あとはそもそも高次だと比較できなくなるっていうのはあるんじゃない?計測不能だったりとかさ、なんか例えば最初の生理的なやつって食べれるか食べれないかとかさ、お金があるかどうかで結構左右されるじゃん。
うん、そうだね。 とか住んでる場所があるかないか、とか着てるものがあるかないか、あるかないか、もしくは量があるかないか、多いか少ないかっていうふうに測れる。
とか安全もさ、一応犯罪率が高いとか犯罪、そういう危険な目に遭う率みたいなのをさ、まあ体感値みたいなのがあるじゃん、たぶん。
うん。 ニュースを見て怯えるとか、不安になって時間の長さ、なんかでもそれが一番上の自己実現ができてるかどうか、たぶん数値できないし、いや俺の方ができてるよとかっていう議論ってあんま聞いたことないよね。
そうね、自己実現になるともうそこは他人との比較じゃなくなるよね、完全に。もうその1個前の、何だろうな、その4番目のやつの正式な名前忘れちゃったんだけど、承認だったと思うんだよね。承認欲求ってその他人との比較が発生すると思うのよ。例えばSNSとかでさ。
するね、フォロワーがとかどのくらいの量が多い少ないみたいなのがある。 そうそう、それで他人と比べて一喜一憂したりとかあるような気がするんだよね。だからその4段階目までは結構その他人と比較っていうのが結構大きいファクターになっているんだけど、
そこから抜けられるのが結構重要、本当の幸福っていう。他人と比較しない第5番目の自己実現フェーズまで来ると、多分それはもう幸せなんだろう。4番目と5番目の間に結構大きい壁があるんじゃないかな。
そうだよね、あとは最初に俺これ一番積み重ねて1段階ごとに上がっていくもんって言ったけど、もう3,4,5になってくると時間、その時によってさ、できてる具合とかさ、自分の感覚っていうのかな、自己実現ができてる度合いみたいなのも変わってるような気がするよね。なんか1回できたからはい終わりじゃないじゃん。
そういう欲求が多い時、満たされてる時、そうじゃない時っていうのが波のように、しかもその3つが織り混ざってたりするのかなとかさ。
そうだね、だから階段みたいに着実にステップを踏むもんではなくて、なんか入り乱れてる感じはするな。
そうだよね、もともと100年前とか何百年前は一番最初の生理的とか安全も、むしろ入り乱れてたかもしれないけどさ、戦争が起きたりとか、でも日本とかに安全な場所って比較的見つけやすかったりする人にとっては階段のように感じられるってことかな、ほぼ。
12:17
99.99%大丈夫でしょうと思えるから、ほぼ忘れていいというか、階段を登ったかのように感じるっていうことかな。
そうだね、だからもうそういう時代じゃなくなってきてるのかもしれないね。少なくとも先進国っていうか。少なくとも日本にいる限りはそんな感じがするね。
そうね、アメリカにいるとそんなことないけどね、安全も脅かされるっていう時。本当にスクールシューティングとかあったり、突如高速道路走ってたら歩道橋から銃で撃ってくるやつがいたっていうニュースとかあるわけよ。
俺らも普通に通ったことあるようなところとか、動物園行く時にちょっと遠出したりすると、「あ、あそこ通るよな。」みたいなところで事件が起きたりとかさ、日本の安全率が99.99%だったとしたら、アメリカは今の僕が住んでるところで、僕の行動範囲だと95%に下がったりとかするんじゃないかなとか思うけどね。
突如死ぬ確率みたいな。
次回へ続く。
13:39

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