また、外国人の給付対象について含めるか否かを論点にするのは、
政治的議論としては重要かもしれないが、
子どもの教育に国籍は関係ないという教育理念の原則を忘れかけているように感じられる。
的確なアドバイス。
まず、便乗値上げの対策として、
従業料引き上げを検討する私立学校に対して、
透明性を高める制度を導入すべきだ。
例えば、授業料の設定根拠や経費の公開を義務付け、
値上げ申請時には第三指揮官による関数を入れるといった方法が考えられる。
学校経営が苦しいという現実がある以上、
値上げそのものを禁止するのではなく、
あくまでも合理的根拠ある値上げだけを許可する仕組みが必要だ。
給食費無償化に関しては、財政的な持続可能性を明確に示した上で実施し、
現場への負担や自治体間格差の発生を防ぐため、
国庫負担率を一定以上確保する必要がある。
また、給食費の無償化が教育の質向上や貧困対策としてどの程度効果があるのか、
具体的なデータに基づいて制度設計すべきだ。
単に人気取りの政策として実施するのではなく、
教育環境改善への明確なロジックを構築した上で取り組むことが求められる。
はい、そんな感じですね。
これね、便乗値上げ、僕ちょっと問題を知らないので、
どの程度話ができるのかわかんないですけど。
なんか、うーん、そもそものんすよね。
そもそもこの大阪府でね、やった無償化に関して言うと、
まあ競争化させると。要は、
公立と私立で行くのに所得格差というか、経済格差があるんだったら意味ないよね。
じゃあ教育をちゃんと公平にするために無償化にしましょう。
っていうスタートをやったはずだったね。
それがなんか、私立、この話を聞くとですよ。
私立自体の経営が苦しいので値上げします。
いや、してもいいけど、それと補助金っていうか無償化の方は関係ないはずだから、
なんかそこをちゃんと履き違える方がいいよなっていう風には思ってるのと同時に、
まあ大阪府の例で言うとですね、
やっぱり公立高校がどんどん廃校していってるんですよね。
同じように私立も閉めないといけないと僕は思ってるのです。
っていうのが、学校経営として人気のないところは、
やっぱり閉まるべきとして閉まるんじゃないかなと思うし、
じゃあ人気があるないを何で決めるかっていう要素は、やっぱりマーケティングじゃないですか。
例えばどれだけ質の良いものを提供してても閉まるときは閉まるんだよね。
例えば、これ分かんないですよ。
チョコザップとゴールドジムあるじゃないですか。
これチョコザップとゴールドジム比べるときに、
圧倒的にゴールドジムの方がクオリティ高いです。
ダンベル一つ取ってもそうだし、マシーン一つ取っても値段も全然違うし、
まあちょっとね僕筋トレ好きだったんで、
最近はそんなしてないですけど、
何だろう、そのいわゆるここまで効かせる、
この細かいここまで効かせるという点において、
ゴールドジムはやっぱり一流だと思うけど、
ただチョコザップを求めているユーザーの人は別にいらないですよ、そこまで。
大胸筋株にしっかり入るようにとかっていうところまで意識しないし、
する必要がないんですよ。
って考えるときに、クオリティと人気は別物なので、
そこら辺をちゃんとマーケティングできる経営層が学校にも必要だし、
やっぱり公立高校にもそういう人って必要なのかなって思いましたね。
値上げはしてもいいけど、それで等とされたら等とされたらいいんじゃないかなと思うし、
無償化の助成金っていうかな、補助金っていうかな、
あれを宛てにして私立学校の経営してるんだったら僕は言語道断だというふうに思いました。
あくまでユーザーに補助するんじゃなくて、学校に補助したらダメなんですね。
っていうのは思いました。
はい。
これが一つ目でございます。
では二つ行きましょうか。ちょっと伸ばしてください。
はい、二つ行きますね。
これは新学期が始まって、今日多分入学式のところが多いのかなと思うんですけど。
そんな話になるのかな?わからないですけど。
はい、概要。
新学期に向けて全ての子どもが輝くクラスを目指し、
教師向けの講座や講演を集めた新学期スタートフェス2025が開催された。
こんな感じね。
講演では教員が常に笑顔と機嫌の良さを保つことが子どもの安心な主体性につながると強調。
さらに教員のこうあるべきといった固定概念や否定的な指導態度、マルトリートメントからの脱却を促し、
ポジティブなペップトークの重要性が語られた。
ペップトーク来ましたね。
大人が笑顔でいれば子どもが輝くという話は理想としては素晴らしいが、
厳しい。
現実の教育現場では、教師が無理に明るく振る舞えば解決するという単純化した考えに陥りやすい。
そんなことはないね。
この講演の最大の問題は、教師の機嫌や感情のコントロールを教師の責任だけに押し付けていることだ。
子どもを輝かせるのは教師次第とする論調は、
教師の自己犠牲を当然とする日本の教育界特有の歪んだ構造を反映している。
また、とらわれないようにと精神論で解決を促す姿勢は、
教師自身が直面する制度的なプレッシャーや過重労働、具体的なストレス源への改善策を提供していない点で問題がある。
教師が笑顔や余裕を失っている最大の理由は、
職務の汚さ、評価システムの圧迫感、保護者対応のストレス、過度な責任感といった行動的な問題だ。
それらを見ずに心の持ち方を変えればいいというアドバイスは根本的な解決にならないどころが、
むしろ教員を追い詰めるリスクすらある。
さらに、ペップトークも教師がポジティブに子どもを見るという単純な視点転換だけでは、
実際に問題行動が起きる教室として対処が弱すぎる。
ポジティブな見方をしているうちに、本来向き合うべき課題が曖昧になり、
結果的に現実と否定的な指導につながる危険性も指摘しておく。