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2019-08-01 13:20

第294回:平等な家事分担と公平な家事分担

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我が家の家事分担はできるだけ「公平」になるように色々工夫しております。

その他、意外といろんな人に驚かれる「ご飯作るの完全半分ずつ」システムについてなど。

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こんにちは、ゴリゴキャストです。今日は、我が家の家事分担について話をしてみようかなと思います。
家事分担。
なんかふと思い立ったんだけどさ、まあいろいろと結婚して家事をどういうふうに分担するかっていろいろとスタイルがあるんだけど、
昨日か一昨日ぐらいにふと、あーなんか意外と自分が嫌なところとか、自分が気になるところをうまいこと結果的に分担できるようになって、
今のところ割といい感じになってるなーっていうことを思って、家事を分担するって言うとさ、結婚する前までのイメージなんだけど、
基本的にすべてのことを半々で分けるというのが平等な分担だと思っていたんだよね。
でも平等な分担ではあるんだけれども公平な分担ではないっていうことに気がついたというか、
それよりも公平な分担をした方がお互いに幸せになれるなーっていうことがやっと最近言語化できるようになってきた。
カジシアノートっていう中林が出しているノートがあって、そのノートで家事のそのポイント表みたいなのがあったよね。
あれがすごい大きな、そういうことに気づく大きな転機になって、理系の料理の後に実は男の家事っていう全然売れなかった本を書いてたりしてるんだけど、
あれ俺タイトルを変えればもっと売れただろうと思ったんだけど、それにも関係があるんだけど、それの採点方式っていうのがすごい面白くて、
例えばお皿洗い、ご飯を作る、お皿洗い、掃除をする、洗濯をするみたいな4種類の家事があったとして、
それぞれの家事について自分はどのぐらい負担感を感じているか、その1から5で数字をつけてみましょう。
で、家事をやった単純な時間で比較するんじゃなくて、やった時間かける負担感の掛け算をして、お互いの負担感、負担ポイントが平等に同じになるようにすれば、みんなが幸せになれるよねっていう感じのノートなのかな。
別にノート買わなくても別にいくらでも自分でやれるんだけど。
で、お互いやりたくない家事っていうのがたまたま分かれてて、
はるなはお皿洗いが服べちょべちょになるのが嫌であんまやりたくない。
で、俺は洗濯というか洗濯物を干すという行為がすべての家事の中で最も嫌いなもので、
さらに今になって思うのが、はるなって洗濯の予備洗いとかめっちゃやるよね。
まあ、洗濯機だけでは全然汚れが落ちないので、気にならないならいいかもしれないけど、やっぱ洗い立ての靴下が足の裏茶色かったりしたら嫌やん。
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っていう風に考えたことがなかったからさ、洗濯機に突っ込む前に予備洗いをするという行為があること自体は俺は知らんかったよ。
結婚してだいぶ経つまで。
まあっていう感じで、仮にね俺が洗濯を受け持っていたら、その予備洗いをやらないからそれを洗ってくれってはるなに散々言われて、
洗濯を仮に半々で分担していたら毎回毎回嫌で嫌でしょうがない家事になっていた気がするんだけど、
そこは俺は洗濯はやらなくって代わりに皿洗いを基本的にすべてやるので、そこで半々という設定にしましょうっていうことにしたことで、
ああそういえばもう洗濯機新しいの買ってから3回ぐらいしか使ったことがないレベルではあるんだけど、一応お互い幸福に生きていられるんじゃないかっていうふうに思ってね。
お皿洗いの場合は食洗機も使うんだけど、手で洗わないといけないお鍋とかそういうのが出てくる。
さらにご飯って朝昼晩と3回食べるからその分洗い物も出るし、その分洗濯とお風呂の掃除は全部はるながやります。
お皿洗いはゴリゴがやります。でも途中でやっぱちょっと負担が大きいってなって、じゃあご飯作った日の食洗機に入れて回すとこまでははるながやります。
それ以外のやつはお願いしますみたいな感じになったのかな、途中で。
だね、ご飯作るの自体は今のところ多分100%半々と言えるに近いレベルで半々なのかな。
これしゃべるとね、たぶんすごいみんなびっくりして、えーって習い事言ってるところとかで先生としゃべると、えーそんなん?
もうさ、100%どっちかが作るじゃないことによる難しさはあるんだけど、逆の目線で考えて、基本的にすべてのご飯を一人の人間が作るだと思ったら、
これは生活の8割がご飯のことしかなくなるわと思って、半々で分担できていることでお互いだいぶよいよなっていうのは思った。
これでもし仮にどちらかが急にいなくなったとしても、食生活はなんとかなる。
そういう考え方もできるね。そのバンパがあるから冗長になっているので、子供もどっちかのご飯っていう区別も特にたぶんないよね。
例えばこれ、お母さんだけしかご飯作ってなくて、子供がいて、急にじゃあお母さんご飯作れなくなったとかになったら、
お父さんは何もできない、子供にご飯を食べさすこともできないってこうなってしまう可能性がある。
フル外食、フル弁当、フルコンビニみたいなことになると、数日ならいいけどね、1週間とか仮に入院しないといけないみたいなことになったりとかしたら、結構大変かもしれんよね。
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大変な中、学習していくっていうか、例えばご飯の作り方を学んでいくのって、やっぱ大変やん。
それをやったら、俺は死んでいたかもしれないね。
でも、そのちょっとずつちょっとずついろんなことを学んでできるようになっていけば、急にそういうことになったとしても大丈夫かなっていう。
意外と難しいのはやっぱ買い物で、だいたい買い物半々ぐらいに行くようにしてるんだけど、自分が買ってきたものじゃないものでご飯を作るのは、よく言えばバリエーションが増えるから面白いとも言えるし、悪く言うとめんどくさいことが増える。
確かにね、こんだてを考えて、今日これ作って、明日はこれとこれ作って、明後日はみたいな、そのこんだてを考える上では、一人で買い物に行って、こんだても考えてご飯も作った方がいいんだけど、
今、交互なんで、冷蔵庫開けたら、こんなん入ってる、じゃあ今日はこれを作ろうとか、買い物行った人が、こういうこんだてを作ろうと思って、この材料を買ってきたみたいな伝達があったり、あとは一緒にこんだてを考えようみたいな。
まあ、言ったらコミュニケーションコストが増えるので、コミュニケーションできる時間がそれなりにあるから、やれているっていうふうにも言えるから、やっぱ一般的にハンハンご飯は確かに難しいかもね。
2人とも在宅で、ずっと家にいて仕事をして、っていうまあ環境的なものも大きいけど。
それにしてもね、俺ね、ついにご飯作り始めて5年になったっていう、たぶん1000回以上ご飯作ったよね、もう。
まあ、365を半分にして5年やったら。
やっとね、5年かかって、自分の思う人並みにやっと到達できた。
やっと何となく測らなくても作れるようになったし、測らないっていうか、大さじ2って書いてあったらこんくらいなんだなっていうのはやっと体に身についてきて、
こういう味が足りない時はこういうことをすればいいとか、材料を見た時にこれを作ろうみたいなことをそれほど負担なく考えたりできるようになるまでに、やっぱ5年かかったね。
処置の頃さ、このネットで見つけたレシピ通りの分量を、なんかおかしいかもしれんけど、でも書いてあるからっていうので入れたら、すっごい味が濃いやつとか、もうなんかめっちゃ辛いやつとかが生まれてたよね。
あったね、その何とかあとこう変なところ、ちゃんと読んでるくせに変なところを吹っ飛ばしていて、なんかこういろいろ足りなかったりとか、
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最近だいぶ、そういう意味でのちゃんと読んでなくなってきたから雑による失敗とかもあったりはするんだけど、まあ日常になって失敗する確率も以前の10分の1ぐらいになったかな、たぶん。
たぶんそれぐらい。なんか最近、こうレシピにはこう分量書いてあったけど、絶対多すぎると思ったから減らしたとか言ってるのが多くって、あ、そういうのできるようになったんやと。
5年かかったらね、できるようになる。しかも5年、まあ2分の1だけど、2年半毎日ご飯を作ってやっとできるぐらい、あ、2年半でちょうど1000回に近いぐらいだね。1000はいかんか。
まあやっぱそのぐらいの時間やらないと、あまりセンスがない人はなかなか人並みになれないんだなっていうこともわかったのと、なぜ家でご飯を作ったことがないはるなは、結婚していきなりご飯が作れるんだろうっていうのが、いまだに未知の生物な気はしています。
昔から完成図の写真とそれを食べた時の味のイメージで作る。
まあ食教育がよかったっぽいよね。話を聞いているとさ、これはどうやって作ってるでしょうクイズみたいなことをしてたりとか。
そうだね。小さい時っていうか、まあ物心ついてからぐらいだけど、うちの母親がご飯を出した時に、これにはこういう隠し味を入れたけど何でしょうかみたいなクイズみたいなのをやって、ご飯食べるタイミング。
まあ多分最初は何を使ってるでしょうかとかそういうところからなんだよね。
何が入ってるでしょうかとか何の味でしょうかみたいな。
そういうのを多分聞いている。自分の話で言うと、やっぱこの調味料を入れたらこの味になるんだなっていうのを何十回どころか何百回ぐらいこなしたらやっと身についてくるんだなっていう。
あとは意識じゃないかな。そのご飯食べてる時に、例えば外でご飯食べてる時とかでも、これはどういう調味料によってこの味になってるんだろうみたいな。
考えるだけでもさ、結構感じれるものってあるやん。何も考えずに食べるのと、考えながら食べるのとでちょっと違うみたいな。
昔はね、何をどうしたらこういう味になってるか何もわからんくって、あ、なんかこの味がするっていう、その何からできているのか想像できていなかったのが、
そういう意味ではどっかでご飯食べた時とかも、こういう味はこんな風に作るのかとか、こんなんは家では作ったことがない、新しいものがすごいなぁみたいなことを思ったりもできるようになった意味では、何事もやっぱやって損はないよなっていうのは思う。
家事分担。うちはまあその心理的なポイントも含め、半分半分になるように一応分けてる、分担してるっていう感じ。
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平等と公平は違うんだぞっていうのがやっぱ面白いところなのかな。半々じゃやっぱダメだったんだなっていうことが最近ふと思ったので、こういう話をしようかなって。
やりたくないことはうまいこと相手に押し付けて、相手がやりたくないことをやることによってお互いが楽になるという、なんか社会の祝辞みたいな感じだね。
例えばこれがさ、もう全部本当に半分半分、本当ご飯みたいに、曜日ごとに今日はお皿洗い、今日は洗濯みたいなのやったら、多分どっちかが嫌になってるんじゃないかなっていう。
まあ俺絶対曜日洗いとか怒ってると思う、毎日。こんな洗わんくっていいじゃんってずっと言い続けてってなると思う。
やってないことに対して、多分ブチブチ言ったりする。
春川はムカつくだろうしね、やってなかったら。俺はやれって言われてやるのが本当に嫌で、そんなどうでもいいと思っているっていう、うまいこと折り合いをつけられるところを見つけられたって感じではあるね。
ということで、我が家の家事分担こんな風にやってるよっていうお話でした。半分ぐらい料理の話だったね。
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