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2020-11-19 34:10

【35歳で上京してフリー素材から映画ライターへ】今面白いことを全力でやったらいつのまにかここに辿り着いた【ゆうせいさんにインタビュー】

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フリーランス(っぽい)楽しい生き方してる人にお話を聞くシリーズその2。

今回は、きっと誰もが「見たことある人」であるゆうせいさんにお話を聞いてみました。


永井勇成 ゆうせいさん (@wm_yousay) / Twitter

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こんにちは、ごりごキャストです。
今日は、会社員をしながら、フリー素材モデルと映画ライターをやっているゆうせいさんに、いろいろお話を聞いてみたいと思います。
ゆうせいさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そもそも、僕がゆうせいさんと知り合ったのは、iPhoneの修理屋さんをやっていた時ですかね?
まだ石川県で、観光土産菓子の営業、観光土産菓子メーカーの営業をしていた時に、D-Pub5が大阪であって、iPhoneのデベロッパーとかiPhoneが好きな人みたいなのが集まるオフ会があって、
そこで初めて、大阪で初めて会ったのが最初。だからもう10年までいかないけど、7、8年?
多分ね、大雑把に10年ぐらいじゃないかな。
10年ぐらい前。
そこで、そうですよね。ゆうせいさんの雑とした経歴をたどると、そのお土産屋さんからiPhoneの修理屋さんになり、iPhoneの修理が大変ライバル出まくってきて、「やっべ、これは無理だ!」って言って、なぜかそこから東京に行くことを決意し、
そこからフリー素材モデルとしても有名になりつつ、いろんなことをやっていて、今は映画ライターまでこなすようになったと。
そう、もう未経験がね。だからもう本当にいろんな人に言いたいのは、やりたいことをやってった方が楽しくなるよってことで、経歴言うと本当に石川県でお土産屋さんに並んでるお菓子って石川県で半分までいかないけど結構作られてて、
そんなに多いんだ。
そういう観光土産、なんとか温泉、黒糖まんじゅうみたいなのあると、大体は石川県とか愛知とかそういうところで作られてて、もちろん地元で作ってるまんじゅうもあるけど、
実は大抵のおまんじゅうは石川県産だった。
大抵って言っても間違いないと思う。
それでいろんなメーカーがあって、そこで働いてて、ありがたいことにいろいろ映画とかテレビの仕事もさせてもらって、
踊る大捜査船のレインボーまんじゅうとか、あとAKBが原宿に店出した時のバームクーヘンとかドーナツとかそういうのも担当させてもらって、
結構やるだけやったなと思って、この先、どんな仕事が来てもすごい大好きな踊る大捜査船の仕事を超える興奮ないんじゃないかなと思って、
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iPhoneの修理屋をやろうと。自分一人でやれることを始めようと思って、その時にできそうなのがiPhoneの修理屋だったから、
iPhoneの修理屋を地元のシャッター商店街の中にオープンさせたっていうのが始まり。
じゃあ、いわゆる会社で働くのが嫌になってやめたとかではなくて、どっちかっていうとやることはやったぜ、次の挑戦だっていう感じでiPhoneの修理屋さんになったっていう。
そう、本当に特にスキルもなかったから、iPhoneの修理屋というか、とにかく一人で何かお店できたらいいなと漠然に思ってた時に、
たまたまネットでiPhoneの修理屋のフランチャイズみたいなの募集してるっていうのがあって、そこのオーナーに話を聞きに行ったら、
特にフランチャイズ料は発生せずに、最初に弟子入りみたいな感じで、そこに例えば10万払って、200万も1回でiPhoneの修理方法を教えてもらって、
あとはそこから材料を仕入れる、修理部品仕入れれば別にフランチャイズ料はかかりませんよっていうすごい良い契約だったから、
最初に教えてもらって、あとはiPhoneの修理屋を石川県でオープンさせたっていう。
その時期に割と僕が名古屋にいて、なぜか石川県からよく名古屋の方に遊びに来てくれていた。
なぜかっていうか、大阪で会ってた後に、名古屋でも同じようなお深いがあって、そこでまたゴリュウに会いに行ったら、
俺は日帰りのつもりだったんだけど、石川から名古屋だから日帰りで帰れると思って日帰りのつもりだったんだけど、帰りに、
いや帰るとかないでしょ、泊まっていけないよって言ってくれたから。
言ったかも言ったかも。
いいの?って帰りのバスキャンセルして、高速バスキャンセルして泊まったのが本当に進行の始まりで、
だからそこから居心地が良すぎて、年に3、4回ぐらいのペース行ってたかな。
遊びに行って、iPhoneの修理をやりつつ、集客でブログも始めてたからゴリュウにブログを教えてもらって、
集客のブログを書いてたみたいな感じ。
確かゆうせいさんのTwitterのIDのWMはその時ぐらいについてたやつっすよね。
そうそう。
野望を決めなくちゃいけなくて、何とかマーケティングにしたくて、
カッコつけてね、今思えば別にマーケティングなんにも知らないんだけど、
マーケティングの真の字も分かってないんだけど、何とかマーケティングっていうのがかっこいいなって思ってて、
それでどうすっかなと思った時にブログが、何だったかな。
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何とかワンダーとかだった。
そう、何とかワンダーってブログだった。
だからそれを合わせてワンダーマーケティングっていう野望を個人事業に登録したせいで、
WMのワンダーとマーケティングの頭文字を取ってWMになって。
で、俺は個人的にそれを引き継いで勝手に郵政さんって呼ばずに、いまだにWMさんって呼んでいるわけなんですが。
そう、WMの方が言いにくいからね。でもそっちの方がしっくりきてるんだよね。
で、そこからiPhoneの修理屋がうまくいかなくなっちゃうんですよね。
そう、石川県にはiPhoneの修理屋がなくて、
Appleの代理店みたいなのがあったんだけど、そこもなんか、こんな言い方したらあれだけど、
そこはCanonかなんかの修理センターで片手間でやってて、むちゃくちゃ対応が悪くて、
本当に嫌そうにやってたんだよね。
これだったらいけるなと思って、石川県でiPhoneの即日修理の店を出して、
そしたら最初は石川県内もそうだけど、隣の富山県、福井県からもすごいお客さんが来て、
一人でやってるから予約優先でやってて、1日5件とかやったらヘトヘトになるぐらいな感じで、
でも結構部品代と修理代とか考えると結構儲けはあって、いいなと思ってたんだけど、
やっぱり次第にその時のiPhone4で、4S5と出てくると、もうめちゃくちゃiPhoneの数も増えてきて、
大手のチェーン店みたいなのがもう3つぐらいほぼ同時に石川県にできて、
こっちは個人でやってるやつで、一応最初からあるとは言っても対応できる時間も少ないし、
それでどんどんどんどん売上が下がっていって、
あ、これじゃ死んじゃうと思って、そのブログを書いてた経験を生かして、
東京のリグっていう会社がライター募集してたから、
それでウェブライターを本当にどしろとながら始めたのが、ライターの始まり。
そう、当時はなんかやべえ、全然売れんくなってきた、売れんくなってきた、どうしようとか言って、
なんかうちの弟と、今は弟から聞いた話なんだけど、なぜかピザ屋を始めようとしているとかっていう話を聞いたりとか。
そう、石窯ピザ屋というか石窯オーブンを作る、それを習って石窯オーブンをご自宅に設定しますよっていうやつをやろうとしてて、
あの時もノリちゃんもね、後で聞いたら、実はノリちゃんすごい本気でノリドリだったらしくて、
俺はそういうのもあるよって言ってたんだけど。
そう、でね、うちの弟とかはね、あいつはピザ屋やるって言ったのに東京に逃げていきやがったみたいなことを言っていて。
そうそう、それでね、最初はね、ちょっとね、ちょっともめだけどね。
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でもまあ、東京行ったのも、その要はもういよいよiPhoneの修理屋がやばいってなってた時に、
そのライターをしてたリグって会社が未経験でも採用しますよっていうなんか面接があって、
それで通って、もう本当に大卒の初任給あるかないかぐらいの給料で、当時35だけど、
その給料で東京来ますかって言われて、まあでもこのまま石川県にいても自利品だからなと思って、
もう全てを生産して、俺はもうそのわずかな給料にしがみついて東京へ飛んでったんだよね。
言ったら35歳でいろんなものを捨てて単身東京に行って、一般的には多分20歳ぐらいの時にやることを35でっていう。
多分いろんな人にそういうのって勇気がいりませんでしたかとか言われそうなんですけど、どうでしたか?
いやさすがに勇気はいったけど、でもこのまま石川にいてもなと思って、もう一回就職するのも、石川で就職するのも、
それだったら前の会社より給料が良くなるってことは多分ないと思ってて田舎では、ほどのことがない限り。
前は本当にそれこそずっと頑張って営業やってたから給料もそこそこ良かったけど、
だからそう考えると、このまま石川にいてもどんどん人生が先細っていくイメージしかなくて。
だからもうそれだったらまた東京でダメで戻ってきても今と変わんないなと思ったから、
じゃあチャレンジしない理由がないなと思って行こうと思った。
だから別に石川に残る方が怖かった逆に、東京行く怖さよりも。
ちなみにその時にライターを選んだっていうのは、理由とかなんかはあったりするんでしょうか?
全然なくて、そこのリグっていう会社が面白そうだなと思ってて、
たまたま本当に未経験で募集というか、あと経理も募集してて、
でもう経理でも行けるだろうっていうラグの自信があって、今思えばもう本当に恥ずかしいんだけど、
35まで本当恥ずかしい人間なんだけど、経理で募集されてるのに応募して、
で経理じゃなくて、長井さんはブログもやってるし、面接した感じ面白いから、
ちょっとリグの社風にすごく合いそうなので、一回リグでそういうリグブログの編集だとか、
外部メディアのコンサルみたいなのの、アシスタントみたいなのから始めませんか?みたいな感じになってて、
だからもうライターの、ド素人ライターがライティングとか編集をリグで教えてもらいながら働いてたっていうのに近い、本当に。
なんかその喋りが面白かったから、こいつなら結構いけるんじゃね?っていうふうに思ってもらえたってことなんだ。
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そう、もうだから失うもんないから、それも当時珍しくスカイプ面談だったよ、まだ8年前なのにもうすでにリモートのスカイプ面談をして、
それで採用になって、なんか3日間ぐらい、何だったかなあれ、使用期間みたいなので1回お試し社員みたいな感じで3日行って、
それでコミュニケーションが取れたから、じゃあ改めてみたいな、そういう採用だったと思う。
あの時代に確かにわざわざ東京に行かずに地元で面談してくれるっていうのは、単純に時間的にも交通費結構かかる的にもありがたいですね。
だからそういう意味では進んでたし、今でもリグの社長と交流あるけど、本当に今の僕があるのもリグのおかげだっていうのは本当に小さい声では言ってるけど、大きい声では言ってないけど、本当に小さい声ではこういう機会には言っていこうと思って。
やっぱ大事なのがよくわかんない謎の自信みたいなやつ。
やっぱりせめて虚勢でも張っていかないと負けちゃうもん、本当に。
だって35歳で東京に行くって時点で、本当によっぽど資格でも持ってないと無理だと思うけど。
ただリグの良かったのが、たまたまリグの社長のおばあちゃんが小さいビルを持ってて、アパートを持ってて、アパートっていうかマンションみたいな小さいビルを持ってて、そこの一室が空いてるんで、社宅として安く貸しますよって言われて、
大東区浅草都保県内のところがワンルームで家賃5万ぐらいだったかな。それで家賃補助が1万か2万ぐらい出たから、実質3万ぐらいで東京に住めるっていう。
それはだいぶ助かる。
そう、だいぶ助かる。それがあったから、もう行くしかないな、こんな良い話もらったら行くしかない。だって給料は未経験だから安いけど、家賃補助とか考えると実質4万ぐらいで大東区住めるのかと思ったら、チャンスだと思って出てきた。
釜焼石窯ピザを作るよりもどっちも未経験のライターの方が、というか東京に行きたかったとかもあるのかな。
いや本当は東京でも、東京じゃなくて都会に行きたいと思ってて、だから最初はゴリューとかノリちゃんに働くところない?みたいな感じで聞いてて、確かゴリューと一緒にあそこなんだっけ、コワーキングスペースみたいなところ、名前忘れちゃったけど行って、
そこで働くとか、他の人にいろいろ就職はちょっとね、名古屋で探したりもして、ゴリューがあの時、ゴリューとノリちゃんどっちも家に部屋空いてるからしばらくこっちに来て、住みながら就職活動しなよってまで言ってくれて、
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なんてこの兄弟はいい人なんだって思ってたんだけど、その言ってたゴリューがハルーナと結婚決まって、ちょっと部屋がどうとかっていう不穏な空気になってきて、部屋があろうがなかろうが新婚の夫婦の家にこの35歳おっさんメガネ行くの無理やろって思ったりとか、いろいろあった中で東京に話があって行ったみたいなところもあるけどね。
で、リグに行ったのが8年?7年前?
うん、35だったと思う。リグで35歳迎えたんだったかな、確か。だから7年前、8年?7年前かな。
で、そこから個人的に印象に残っているというか、大きな転機じゃないかなっていうのがフリー素材モデルをやったっていうところと、なぜかそこから映画ライターという、ライター的には繋がっているけど全然違う方向に進んだっていうところなんですが、フリー素材はどういう理由っていうか流れで。
フリー素材はリグにいたときに、確かリグの社員が2人ほどフリー素材で出たんだよね、パクタソンとコラボしてなんか。で、その繋がりがあって、リグを辞めて次の会社に行ったときに、そのパクタソンの人と飲む機会があって、
じゃあユーセイさんもやってみますかって言われて、やりますって言って、これやらない理由ないなと思って、面白そうと思って。まあ確かに個人的に顔がネットに出てね、なんか変な使われ方したりとか炎上したりとかも考えたけど、まあ嫌なら全部取り下げてもらおうと思って顔出ししてやったら、意外といろんなところで使ってもらえて。
単純に初対面の人になんか見たことあるって言われたりとか、よくあったりするんでしょうか。
半分以上の確率で、あの2回目ですよねって言われたら全然知らない人に。
それはもうね。
全然知らない。
知らない人と仲良くなるにはもう鉄板な役立ちっぷりっていうか。
そう。お久しぶりですって全然初めて会う人に言われる。全然知らないと思って。
たぶんどうやって調べてもらう?有誠パクタソーとかフリー素材で調べたらわかるのかな顔は。
うんうんわかる。有誠ひらがな、スペースパクタソーとかだといっぱい出てくるし、有誠フリー素材でも出てくる。
だから最初に撮ったのがフライデーとかで不倫をすっぱ抜かれる系の素材だった。フリー素材の、フリーの不倫素材みたいなやつだったから、
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その後で結構芸能人が、あえて名前出さないけど芸能人が何回か何人か不倫した時にテレビ局がなんか、
お、タダで使えるじゃんみたいな感じでいっぱい使ってくれたからすごいメディアに出て、それでちょっと知ってもらえたっていうのが。
フリー素材っていうあの売り方自体が、もう今となってはだけど当時はやっぱめっちゃ新しくて、しかもあれが上手にちゃんと、
素材にとってもメリットがあるし、配ってるパクタソーもメリットがいっぱいあって、あれはすごかったですよね。
ああいうのをどこまで考えてやってたんだろうって今でも思うんだけど。
うん、確かに。だってパクタソーにもお金入ってこないし、もちろんモデルにもお金入ってこないし、
ただ僕とか大川さん、フリー素材で一番出てる大川さんとかは、何件かモデルっていうかそういう商品のテスターの写真として使いたいんでって優勝で、
お金もらってモデルしたこともあるし、大川さんだってもうテレビとかにもバンバン出てるCMにも出てるし、
だから大川さん的にはもう本当にあれが名刺みたいな感じになってると思う。
あれは新しいやり方だったっすよね。そうやって商売ができるようになるんだ。
有名になればちゃんと素材っていうか有料の仕事が来るようになるっていう。
そしてフリー素材として活動しながらいろいろなことをやっていた中から、今度はそのままライター業務を転職してからもやってたことは基本ライターだったんですか?
リグでは編集兼ライター、ほぼほぼ編集ばっかりやってたけど、次の会社では広報みたいな感じで外に。
その会社のオウンドメディアを書いてたんで、インハウスエディターとかインハウスライターみたいな感じのことをしてて、
だから記事の書き方もどんどん覚えていって。
映画が好きだったのはもう本当中学ぐらいから映画が好きだったんで、映画のライターとか慣れたらいいなっていうのは漠然とあったけど全然慣れるなんて思ってなくて、
たまたまそういうブロガーとかのつながりの中で映画メディアをやってる方がいて、
じゃあブログとか会社のメディアバズってて、当時会社のメディアもバズってたから、
じゃあ書いてみますかって言ってもらえて、本当に真似事で映画の紹介記事を書かせてもらってたことが始まり。
そしたら何かの間違いか。
何本か書いてたら、そのテイストが多分その人にはまったんだと思うんだけど、
日経ウーマンの編集の方がツイッターから多分その記事読んでくれて、
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こういったテンションの記事を書いてほしいと思ってましたって言って、ミラクルが起きて。
それで日経ウーマンオンラインで書き始めたことで、もう完全に映画ライターだと。
日経の名のつく媒体で書いたものはもう大丈夫だろうと思って、映画ライターって大きく名乗るようになって。
映画ライターって名乗るようになったら、やっぱ他からも仕事、そういう依頼が来たりとかは?
来た、来たけどほぼ日経が楽しくて日経やってたのと。
あと例えばフィルマークスでちょっと書いたりとか、その他の映画、映画以外でも映画に絡めて何か書いてくださいみたいな依頼もあって。
それでちょくちょく映画の記事を書いたり、そもそも最初に書いたシネマズっていう媒体の副編集長として副業でまた入ったりとかして。
だからいろんな映画のライター編集の仕事が繋がっていくっていう感じですね。
そもそもっていうか、東京に行った理由は別に映画ライターになりたいと思っていたわけでもないし、夢として映画ライターがはっきりあったとかそういうのではないんですよね。
そう。
なんかやっていたら映画ライターの仕事が舞い込んできて、言われてみたら俺やりたい奴だったって思って、そのままのめり込んでいったみたいな流れって言ったらいいのかな。
そう。東京行く時も東京で何するとかなくて、東京の空気を吸ったら大きく飛べると思ったっていうぐらいだよね。
スラムダンクで言ったらね、アメリカの地へ行けばね、高く飛べると思ったみたいな。そんなイメージだもん本当に。矢沢のイメージ。
だからもう東京行ったら何とかなるべみたいな、本当にその勢いだけで行ったから。
そしたらあれよあれよと映画ライターになって、今はインディーズ映画に特化した映画の配信サービス。
要はHuluとかNetflixに近いけど、インディーズ映画に特化したバージョンの独創映画館っていうところで、
もう本当に編集とかライター入れながら、そこの会社のサービスが広がるように毎日コミットしてるっていう。結局映画の仕事に落ち着いたっていう。
そう、最終的にはだからもう今や映画の仕事をするようになったって言える状態になったってことですよね。
完全に映画の仕事をしてる今、もう本当に。
インディーズ映画の監督にインタビューしたり、俳優さんだとか芸能人の皆さんアサインして、記事を量産していくっていうような体制に今入りつつある。
今気が付いたんだけど、そういえばお土産屋さんでも踊る大操作船の仕事ができたからって、満足して辞めて、そこからライターだったり修理屋さんやったりとかして、もう一回映画の仕事に帰ってきたっていう感じなんだ。
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映画の仕事に帰ってきたっていうか、踊る大操作船の商品をやったときは、本当に踊る大操作船が好きすぎて、ずっと好きだったから。
まさかそんなの絡めると思ってなかったから、30ぐらいの時に踊る大操作船の映画のやつ絡めて、そこのお菓子業界にいて多分これ以上の仕事ないだろうなと思って。
それ以上の仕事って言ったらもう天皇家のお仕事だよね、本当に。天皇家の祝賀万事を作るとか、そのくらいまでやらないと多分それ以上の感動はないなと思って。
でもそんなのできるわけないなと思ってたから、なんかもっと楽しいことないかなっていうのがあって。
だから今は毎日新しい映画とか新しい監督に触れたり、サービスがどんどん大きくなっていくのがすごい楽しいっていう感じ。
すごいな、その映画、結果的にっていう言い方でいいんですかね。意識はしていなかったんだけど、結果的に映画っていう仕事ができるようになって。
結果的に本当に。だってそこ行くまでに病気になったりとか、病気になって死にかけたりとか、あとは普通に映画と全然関係ない会社にも入ったし、そういったこともやりながら、
本当に身を、何が身を結ぶかわかんないけど、これまでやってきたことが全部繋がって、今映画の仕事を、映画の配信サービスを拡大するっていう大事な仕事を楽しく毎日やってる。
そうか、繋がったって感じか。確かに別にずっと映画のことを意識してたわけではなくて、これはチャンスだってほど食らいついた印象も話を聞いているとあんまりなく、なんかいい機会があったから、やったらそのまま気に入ってもらえたみたいな。
そう、流れに乗っていった結果、たどり着いたっていうかね、目的地に勝手に。なんかもう一生懸命そこに向かって一直線に追えたっていうよりも、いろんな波乗っていったら結果的に着いたみたいな。
なんかユウセイさん的に、そっちの方が結果として良かったと思います。もしくは、ひょっとしたらもっと映画を意識してやってきた方が、もっと面白いことができたかもしれないとか。
今は本当に、今が一番幸せだと思う、本当に。
一時期やっぱり東京出てきていろんな本とか勉強して、それこそビジネス本だとか自己啓発本とか結構読んで、働き方だとか、東京特に言われてるけど、
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例えば人事戦略とか、例えばマーケティングなんとか、いろいろ東京って結構意識高く、どうベンチャーが会社を回すのが正しいかみたいな、そういった流れはすごい強いんだけど、そういった勉強もいっぱいして、
自分はそういうの好きだなと思って、広報とかマーケティングとかそういう仕事に就こうと思ったこともあるし、
あとは実際に会社で人事とかそういう仕事をしていたこともあるんだけど、その時はその時で楽しかったんだけど、結果としてそこが着地点ではなくて、その次に映画が待ってて、
それをやった時にすごい初めて思った。毎日なんかすごい忙しいけど、毎日めちゃくちゃ楽しいし、締め切りに追われるけど、とはいえいいものを作りたいと思うし、これまでの会社だとある意味義務とかやらされてる感を感じることあったけど、今は全然なくて、
なんか本当にこれは幸せなことなのかもしれないけど、急にたどり着いたっていうか、ぽんと巡り合った。
本当になんかいろんなことが繋がって、でも面白いなと思ったのが、やっぱずっとそれをやろうと思っていたわけではなく、なんかここにまで来たらそこにそうだったと気が付いた?みたいな感じなんですかね。
そう、本当に。だから、例えば状況を仕立てるときに今の仕事やりたいかって言われたときには、多分できてないと思う。そのスキルもないし、その覚悟もないし、でもいろんなところでもうすったもんだ、揉み揉まれ、なんかもう傷つき傷つけられ、みたいなとこあって、今だと思う。
だから本当に全部の経験が生きてるっていうか、例えばクレーム処理とかもしあったとしても、やっぱり食品業界にいたときのクレームってやっぱすごいから、そのクレームの対応していた経験があるから別に特に苦もなくできるし、
あとはその人事領域にいたときのこともあるから、今のベンチャーで例えば人事をどうしていくかとかっていうのもすごくわかるし、なんかいろんなところの経験がこう全部生きてきて、人間、多少イヤイヤでも積み上げてきたものがなんか最後には使える引き出しになってきたなっていうのはすごくあって、年齢重ねてきたからこそなんか得たものがあったなっていうのは毎日感じてる。
ちなみに釜焼きピザを勉強したこととかは何か繋がりましたか?
釜焼きピザを勉強したのは、あの時は石窯ピザを作るっていうのは、あれはもう本当に机上の空論というか、データではできるっていう話だけど、実際に買ってもないし、組み立ててもないし、ピザも1枚も焼いてないから、あれはもう本当に想像の世界で終わってる。
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ちょっと茶化した感じになったんだけど、思ったのが、そうやって結構いろんなことを真面目に、真面目にじゃないや、いろんなことをやってみたいと思って、結構そういう、どんな仕事でもっていう言い方なのかもしれないけど、興味持ってやってみたっていうことが、なんか今に繋がった秘訣なのかなみたいなことを思って。
それはすごくある。だから、本当に自分が何やってるんだろうって思うこともあったけど、あの時の知識が生きるっていうのは、今となってすごくあるっていうか。
なんで、やっぱね、釜焼き、石窯、もう忘れちゃった。石窯ね。石窯ピザとかでも興味を持ったら勉強して、そうになることはないだろうし、自分とは全く違うっていう仕事なんかでも、興味を持てるかどうかっていう言い方なんですかね。
最初からやりたいことがなくても、全然最終的にたどり着けばいいかなと思ってて。1個のことしかやってないと、たぶんたどり着いたとしても、たぶんいろいろ困って結局勉強しなきゃいけなくて、勉強とか実践で学んでいかなくちゃいけないことがあると思ってて。
だから、なんかみんな、例えばもしこのラジオ聞いてる方で仕事が面白くないとか、人生どうしたらいいんだろうみたいになってたとしても、石窯ピザ作ったことねえやつが作るって言ってるぐらいやべえやつ。そんなやべえやつでさえちゃんと毎日仕事していけば、やりたい仕事をやれるっていうのは希望があるよっていう。
そうですよね。だってもう明確に今が一番幸せだって言えるぐらい、なぜか石窯ピザまで瞑想しながらもちゃんとたどり着ける。
そう。思いつきで会社辞めて、iPhone修理屋を勝手にやって、うまくいかないから、じゃあこれからはレンガ積んで石窯ピザ作って焼くんだっていう。そんなやつよ。そんなやべえやつが。
35ぐらいでそんなことやってると思って。
そう、35近辺でそんなこと言ってたやつが、やばいよね今思ったら。でもそんなこと言ってたやつが、蓋開けてみれば一生懸命仕事して、結果今は大好きな映画の仕事をできているってあるんで。だからもう諦めずに。諦めるっていうか、諦めるも諦めてないもん。
本当に目の前のことを、今その時面白いなって思えることだけをやっていってもなんとかなるよっていう。
いい感じにまとめていただきました。ちょうど時間的にもいい感じで。
よかったよかった。
33:00
最後に一言っていうのをお願いしようと思ったけど、今のでOKなのかな。
ありがとう。本当にその時好きなことだけやってれば大丈夫だと思う。お金にもしなんないとつらいけど。
よかった。なんかめっちゃいい話が聞けた感じでした。
よかった。どんな感じになるんだろう配信の時。
大体このままだ感じで。
楽しみにしてる。
配信します。
楽しみにしてる。
ありがとうございました。
ということで、間違えた。エンディング間違えた。ちょっと直します。
いつものノリにならなくなってしまった。
ということで、今日は会社員をしながらフリー素材モデルと映画ライターをやっているユウセイさん。
一時はかま焼きピザなどを目指しつつも幸せだと言えるためにはどういうことをやってきたかという秘訣をお聞きしました。
ユウセイさんありがとうございました。
少しお皆さんの参考になればと思います。
こちらこそありがとうございました。
34:10

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