1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
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2023-04-19 44:02

110 漠然とした不安を取り除き平安の土台を築く「自分を整える」2つのワーク

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今日は、私がいつも実践している2つの「自分を整えるワーク」を紹介しています。「罪悪感と時間を止めてゆったりと過ごす」と「何かをわるく言うのをやめる」でかなり平安に過ごせます。番組でお知らせした「ワントレ2」キャンペーンの詳細はこちら→ https://goodvibes.work/onetore2/

春の合宿の疲れと不安
GOOD VIBES ミッドナイトラクザ by クラザムケイザ
こんばんは。ただいま4月19日水曜日の午前2時13分です。
前回の番組で、春の合宿のレポートというか、皆さんと一緒に作った良い感じのメソッドを紹介したんですけども、
私、この番組を今日の昼にプレイバックしまして、聞いてみたんですけど、ものすごい声が疲れているなっていうのが、自分でよく分かりましたね。
ずいぶん喋っているときは元気な感じだったんですけどね、でも帰ったばっかりだったんですよね。
家に着いて、ご飯を食べて、ちょっと一眠りしたかな。1時間くらい仮眠をとって、そこから復活して、
いつものルーチンのいくつか原稿を書いたりしながら、その後にあの時間にこの番組を収録したんですけども、
結構イケてるじゃんっていう感じで喋ってたんですけどね、聞き直してみると結構ボロボロだなっていう感じの、
私にとってはお疲れですねっていう感じの声で喋っていまして、合宿は本当に楽しいことばかりなんですけど、
一つだけちょっと私にとっては困ったことがありまして、集合が朝の8時40分なんですよ、車で行くんですけどもね、
私の本当に近所まで迎えに来てくれるんだけども、8時40分なんですよ。
そうすると7時には起きなきゃいけないんですね。
僕が今普通に寝ているこの番組にとってだいたい寝る時間っていうのが、5時とか6時なんですよ。
そうするとだから皆さんで考えるとね、なんとなくわかっていただけると思うんですが、
普段寝ている時間、例えば12時、夜の12時だとしますよね。
そうすると集合時間がその1時間後か2時間後なんですよ。1時か2時みたいなそんな感じ。
これ結構きついですよね。
もちろん早く寝ようと思って、1時か2時くらいには布団に入るんですけどね、
まあそう簡単には寝られるもんではなくて、
なんかこれもね、やっぱり恐れや不安かなって感じはしますね。
寝ないとまずいぞ、寝ないとまずいぞっていうね。
寝不足で合宿なんかまずいぞっていうこの気持ち、不安がどうも私を眠らせないっていうかね。
もっと普通の時だったらたぶんコロッと寝ることはできるんだろうと思うんだけど、
大きな話と日々の対処法
それからいわゆる遠足の前の楽しみっていうのがあるじゃないですか。
前の晩眠れないっていうね。
あれもたぶん少し働いていて、ほんと寝つきが悪いんですよ。
そうするともうだいたい1,2時間くらいしか寝てないなっていう感じの時に目覚ましがなって、
そこから出かけていくんで、
なんかもう僕にとっては海外旅行の時差ボケをずっと体験してるようなね、そんな感じ。
もう十分時差ボケと言っていいくらいの時差はあるはずなんですよ。
たぶん6時間くらいは確実にありますね。
そんなこんなで1日目をこなして、
でもだいたい深夜2時くらいまで延長線というのが繰り広げられるんで、
そこから朝食が8時なんですよ、宿のね。
そうすると遅くともやっぱり7時20分くらいには起きないと、
私は朝シャワーを浴びるというか、朝温泉に入って髪を洗うというね、そういうルーチンがありますんで、
そうするとそこでも5時間くらいしか寝られなくて、
もう本当にボーンとしたままね、1日を過ごしているような感じで、
まあそれで座禅とかやるんですけどもね、今回はね、さすがに1回ちょっと落ちそうになりましたね。
目をつぶっていながら、お、いい感じになったぞと思ったらフッと落ちそうになって、
これやっぱ寝るっていうのと、このなんつーかな、いわゆるこの座禅とかね、
瞑想とかのこの髪一重の感じがね、すぐにこう一線を越えてしまうっていう、
そういう感じが僕にはしてるんだけどね、
まあそんなわけで、とても眠そうというかね、お疲れな声で喋ってしまいました。
で、あのー、この数日ね、この数日、この数回かな、
もう結構長いこと、割と大きめの話をね、してるような感じがしてまして、
この番組でね、まあなんかその流れなんですよね、これもね、
えっと、僕がこの番組で何を話そうかなと考えて、いつもネタを思いつくというよりはね、
ワントレのセッションをやって、その受講者の方との会話の中でね、
わ、これは大事な話だなと思いついて、その夜にここで喋るとか、
あとはその佐々木さんとね、対談をして、ビデオの収録をするのに話をしたり、
それから知恵さんとその明日もやるのかな、ポッドキャストの収録みたいなことで、
こう人と関わりながら、まさにそうなんですよね、一人で思いついてるわけではなくて、
私以外のね、いろんな方とのこの会話とかね、セッションとかそういう、
まああとはセミナーとかもあるでしょうね、ボイストレーニングとかデッサン教室とかね、
そういういろんな人との関わりの中で、このテーマというのが毎回浮かんでいましてね、
これが多分この何回かな、そのまさにその100回記念とか言い出した頃だと思うんだけど、
あの頃から少しずつこうちょっと大きくなっていきましたね。
おそらくそういう話が私にも必要だったし、その周りの方々にもね、
そういうことを話す機会というのが多分あったからだと思います。
で、まあこういう大きな話をね、していると、
私はなんとなくこの反動っていうのも変だけど、
もうちょっとミクロの話をやっぱりしたくなるんですね。
なんだろうな、この大きなこういう認識で生きていくっていうのも大事なんですけどもね、
やっぱり日々の生活というのはこの1秒1秒ね、いろんなことがこう自分の目の前に起こってくるっていう、
いろんな出来事、いろんな人とのね、その関係やりとりみたいなことがこの日々の生活なので、
やっぱりこの大きな、まあマクロな視点っていうのかな、
それと同時にこのミクロな一つの対処法みたいなもの、
これを両方やっぱり両頭使いでね、まさに二刀流みたいな感じで使いこなしていくっていうかね、
まあ二刀流ではないですかね、ミクロはマクロの中に含まれてますからね、
まあなんていうのかこのその場その場で、
まあ私が目指すその平安というのかね、
それをこう保ち続けるような対処法とともにね、
この大きな話というのを心に持っておくって、
これがまあ一番いいというか、私はそのようにしてね、日々を暮らしているので、
自分を整えるワークアウトについて
ちょっと今日はですね、ちょうど私もgood vibes factoryというオンラインコミュニティで毎日ね、
今日のgood vibesっていうワークアウトを書いてるんですが、
これもやっぱりこの小さな方にね、
合宿から帰ってきて、そしてやっぱり1日経つとこの小さな方に行きたくなるっていう、
そういう流れでやってまして、
今週4本ぐらいね、そういう自分を整えるワークっていうのね、
これ私がいつもやってる、私を整えるワークっていうのを4つぐらいね、紹介しようと思って、
今日で2日目なんですよね。
2本紹介したので、時間があればこれ2本とも今日はお伝えできればなという、
まあ短いワークなんでね、そんな感じでちょっと考えてます。
で、要はそうですね、どんな場面でやるかっていうと、
例えばよくありますね、理由がよくわからないけども、なんか心がザワザワして落ち着かないっていう感じね。
なんか地に足がついていない、なんか漠然とした不安があるなとかね。
それからいろいろやりたいことがあるんだけど何もする気が起きないとかね、怒らない。
それからこれもあるな、人に会うのがすごい面倒な感じがするっていう。
それから周りの人にね、人に会っても周りの人にこう冷たく接してしまう。
いやいや、こういう感じじゃなくてね、もうちょっとこういい感じでいきたいんだけどちょっと無理なんだよねみたいな、そういう感じね。
なんかこう、じゃけんにしちゃうなみたいな。
私で言うとね、日々よくお仕事をするヤベセイコさんにこう辛く当たってしまうみたいなことがね、今でもあるんですよ、こういう時。
それからあとは自信を失いかけているような感じね。
こういう時は大体決まって自分がちょっと弱くて小さく見えるっていう、
そういう感じの時に私はこの自分を整えるワークっていうのをいくつか持っていて、
それをそのシチュエーションに合わせて即座にポッと引っ張り出して、
すぐに自分を整えるっていう、今言ったような感じから抜け出すというのをやっているわけです。
要は今挙げたような、なんとなくこの良くない感じというのは、
これはもうこの番組で繰り返しお話ししてきたように、
ガーディアンの囁き、僕らの中にいる二人の自分のうち、本来の平安な自分ではない。
もう平安ではないですからね、今さっき挙げたような状態っていうのは。
間違いなくこのガーディアンの囁きに引っ張られて、
まさに平安な本来の自分を忘れかけているっていう、そんな感じですね。
原因は本当に様々なんですよ、日々生きているとね。
そして人によって僕の苦手な分野というのがあって、
そしてこれを聞いていただいている皆さんにもきっとそれぞれ、
他の人は全然平気なんだけど、私はこれだけは苦手だなみたいなこともあって、
そういうものに偶然いくつもいくつも直面していると、
さっき言ったようなあまり良くない感じになっていく。
良くない感じになっていくと、やっぱり僕らの中のガーディアンがシャシャリ出てくるわけですね。
よっしゃ来た、俺の出番だ、みたいなね。
ここは俺が守ってやらなきゃいかん、みたいなことで余計なことをして、
そしてどんどんどんどんそちらに引っ張られていくっていう、
本来の自分に戻ればスッとするんだけども、反対側に引っ張られていく。
これを本来の自分の方に引き戻すような、そういうワークになりますね。
まずはこういう時に一つ目の整えるワークは、
とにかく罪の意識、ここをしっかりと見つけるということが大事なんですね。
だから何か良くない感じがするなと思ったら、
人間関係であろうと、やる気であろうと、漠然とした不安であろうと、
何でもいいからとにかく私は今、かすかにでも罪の意識を持っていないかっていうのを確認するんですね。
よくこの番組で罪悪感とか罪の意識ということはお話しするんだけど、
例を用いたワークアウト
言葉の印象と実際心の中に持っているものがちょっと合わない時があるんですよ。
だから罪の意識を探すというのは、結構習慣にしていないと騙されやすいというかね、
すぐ僕らは違う形に自分の心の中で変換してしまうので、
いやいやこれは罪悪感でも罪の意識でもないよとかっていうようなね、
そういうシチュエーションっていうのが結構数多くあるんですね。
でもおそらくこの平安ではない、あまり良くない感じを抱いている時は、
僕らでも気づいていないというか、その罪というラベルをつけづらい、
その罪悪感、罪の意識というのがあるということ。
これをまず探すんですね。
一番いい例というか、最近僕がちょっと経験した例を挙げるとね、
わりと親しい人にメールかメッセージを送ったとしますよね、
LINEとかメールとかでね。
そんな時に相手からすぐに返事が来ないと、親しい人であれば心配だなと、
いつもだったら即座にパッとレスが返ってくるのに、
なんか今回遅いなと、1時間待っても2時間待っても返ってこないという時に、
心配だなというのがありますよね。
なんかあったのかなみたいなね。
ここでこう返ってこないとちょっとざわざわしてね、
何度も何度もスマホを開いて、LINEとかメッセンジャーとかそういうのをチェックするっていう、
この心配だなというところに全く罪悪感がある感じがしませんよね。
しかもこっちはどちらかというと相手を思いやる心のような感じがする。
でもここでざわざわして何度も見ちゃうと気になると、
つまりここで平安を失ってるんですね。
本当に小さくなんだけどもやっぱり平安を失ってる。
こんな時はもう必ずあると、隅の意識、罪悪感があるというふうに疑ってみてください。
僕はこういう時にね、見つけにくいわけですよね。
心配してるんだから罪悪感なくね?みたいな感じで思うので、
そこを見つけるためにね、
私はこの人に何かをもっと与えておけばよかったと思っていないかなっていうね、
こういう問いを立ててみるんですね。
要はこのメールであれメッセージであれね、
この返事の遅れにざわついてるってことはね、
罪悪感から解放される
多分どこかに自分のせいじゃないかなっていう不安があるってことですよね。
だからその自分のせいかなっていうことを見つけるためにね、
何のせいだっていうのを見つけるために、
私はこの人に何かをもっと与えておけばよかったと思っていないかっていうのをここで問うわけですね。
そうすると、あそっかもうちょっとなんかあの時優しくしておけばよかったなとかね、
もう少しあの時こういう言葉をかけておけばよかったなとかね、
値切らいなのか感謝なのかわからないですけどね、
その他諸々何かこの人にやっておけばよかったなみたいな気がかりがあるんですよ。
それで返事がこの遅れてるんでね、あれ俺のせいかなみたいなね、
そういう感じがあるということ。
例えばその人がちょっと体調を崩してるとかね、
風邪ひいて寝込んでるとかそういうことでもあり得るんだけども、
そこで心配だなと思うってことは、
俺のあのやり取りがこの人に辛労をもたらしたんじゃないかみたいなそういう不安なんですよ。
なんか風邪ひいたのも俺のせいなんじゃないかみたいなね。
ここに罪悪感がある。
何を与えておけばよかったんだろうなみたいなそんな感じですね。
これを僕らは心配という気持ちに置き換えているんですね。
だから見つけにくくなってる。
こんな風にね、だからいろんなこの気持ちに置き換えてしまっている、
元になっているね、この罪の意識というのを探すわけです。
これはもうどんなシチュエーションでも多分一個見つかると思いますね。
ぼんやりとでもね、なんかこれかこれかみたいなのが見つかったら、
もうこれはですね、取り返しはつかないんですね。
罪悪感というのは全て過去にあるので、
これをどうしようと思っても手遅れというか、どうにもならないものなんですよ。
これを罪の意識、罪悪感として心の中に置いておくとね、
さっき挙げたようなあまり良くないね、
なんかあんまり動きたくないなとかね、人に会いたくないなとかね、
そういう感じに変わっていく、大きくなっていくってことですね。
これがまさにガーディアンのささやきなんですよ。
罪の意識を使って僕らを動けなくするというこの作用にやられてるってことですね。
だからさっきの心配からこの、お、俺が与えてないものがあった。
俺のせいかな、みたいなね、そういうものがぼんやりでも見つかったら、
これは罪じゃないっていうふうに宣言するんですね。
これはどういうことかというと、
罪と罰というのは人が作った仕組みであって、
それを自分の人生、生活に応用する、適用するかは私が決められるということですね。
つまり私は罪悪感を持たなくても間違いを訂正できるというふうに宣言するわけです。
なんかあったとしたら、今度会ったときにね、
もうちょっと優しくするとか、もう少し値札の言葉をかけるとか、
感謝のこの間ありがとうねって言っておくとかね、
これが僕にとっての間違いの訂正なんですね。
だからここに罪の意識を持たなければ、そのように訂正できるというふうに宣言するわけです。
これによってまず一つね、この罪悪感というものにクリーニングをかけるというかな、
僕らを苦しめるこの要因の一つである罪の意識というのを、
ここで少し手放してみるってことですね。
これは罪ではない。理由とかね、そういうのを考えたらダメなんですよ。
なぜ罪じゃないのか。だってあの時あいつはこうして、
俺はこうなったからみたいな成り行きとか、その弁護みたいなことをしちゃダメなんですね。
それをやるということは、その罪はあると認めているわけだからね。
それの重さ軽さみたいなことをこの弁護によって何とかしようとしているわけなんで、
そうではなくてこれを抹消するわけですね。
この罪の意識がなくても僕が間違いを訂正できるのであれば、
なおさらこれは持たずに済むということです。
時間のない世界
これを宣言するわけですね。
この次にこの罪悪感を一応パッと整理したら、
整理したらつか手放したらね、
その時持っているこの時間の間隔っていうのをピタッと止めてみるんですね。
この番組でもお話ししてきたように、時間というのはね、
私たちが使っている時間ですね。
この1日24時間、365日60分とかっていうこの時間は、
僕らが作り出した概念なんですね。
これは頭の中でね、
まさにその銃に分割されたこの時計が進んでいる様子っていうのを
イメージしないと成り立たないんですね。
僕らの頭の中にこの時計のイメージがずっとあって、
それを保ち続けているから、
僕らが作り出したこの時間という概念が成立しているというかね、
現実のように感じられている。
だとしたらそのイメージを持つのをやめれば、
僕の意思でこの時間を止めるということはできるはずなんですね。
ほんの数分でいいと思います。
1分でも2分でも、5分ぐらいでも、
5分ぐらい、10分ぐらいかな、
そのぐらいできる限りで構いません。
いわゆるこのSFでよくあるような時間のない世界っていうのがありますよね。
これを作り出すわけですね。
どちらもイリュージョンなんですよ。
僕らが24時間刻みの時計に従って、
その時間の流れで生きているというのも心象なんですね。
さっき言ったように、それを頭の中で持っていなければ成立しないわけだから。
だからその反対、時計がピタッと止まっている様子、
この心象も作り出すことができるんですよ。
こちらの方をやって、時間の間隔をそこでピタッと止めるんですね。
その上で考えとか、見る、聞く、知覚の働き、体の動き、
あらゆる僕らが持っている機能をゆったりゆっくりさせるってことです。
もちろん心臓とかはゆったりゆっくり自分の意思ではできないんだけども、
でもおそらく考え、知覚、体の動きみたいなものをゆったりゆったりさせれば、
それに伴って僕らが自分の意思ではどうにもできない期間というのも、
おそらくゆったりゆっくりなるでしょう。
得体の知れない不安とガーディアンの影響
なぜそうするかというと、さっき罪悪感のお話ししましたね。
僕らが何かの罪悪感、罪の意識を持っている時、必ず後悔をしているんですね。
それから自責の根みたいなものを抱いているわけです。
そうすると当然自然に早くこの状況を修復したいというか、
この思いが湧き上がりますよね。
とにかくもう一度いい感じでやり直したいんだよ。
早くこの後悔、自責の根みたいなものを捨てられるように、
状況を何とか修復したいという風に願っているわけです。
そうすると当然体も心も一刻も早くより良い未来に到達したいという風に欲してしまうんですね。
この気持ちが僕らを酷く焦らせているという風に考えるわけです。
だからその罪悪感とこの焦りというのは非常に密接に関わっている。
だからさっきこれは罪ではないという風に言ったんだけども、
言ったからといって僕らの心、まさにガーディアンがその罪の意識をパッと手放すわけじゃない。
やっぱりがっちり掴んで、まだまだ残っているわけですよ。
だいぶ自分の意志で罪じゃない、罪悪感持たないというのはできたとしても、
かすかにやっぱり残っている。
これをゆったりゆっくりさせるということで、よりきれいに取り除いていくというイメージでやるといいと思います。
要はまとめると、僕らの得体の知れないざわつきみたいなもの、
そして人に会いたくないなとか、そういう人と会うと冷たくしちゃうなみたいな、
これは要は得体の知れないざわつきなんですよね。
得体の知れない不安だったり、得体の知れないイライラだったりする。
これのほとんどはもう一人の自分、このガーディアンが、
罪悪感を持ちなさい、そして焦りなさいという風に誘惑しているんだという風に捉えればいいわけです。
だから、なんか今俺平安じゃないぞって感じたら、
もう迷わずに、罪悪感と時間を止めてゆったり過ごそうという風に宣言すればいいわけですね。
これを本当に罪悪感と時間を止めてゆったり過ごすというこの言葉通りに動ければね、
たぶん本来の自分というのが戻ってきますね。
これが一つ目です。
罪悪感と時間を止めて、何か平安でないなと思ったら即座に、
おうおうと罪悪感と時間を止めてゆったり過ごそうという、これをやるってことですね。
これも私はもうほんとしょっちゅうやってますね。
1日に1回はやるかなっていう感じ。
でも、この罪悪感を見つけるのがちょっとめんどくせえなとかね、
よくわからんなと思ったら、この時間を止めてゆったりゆっくりだけでもいいと思います。
そうやっておいて、ゆったりゆっくりさしておいて、
何だったんだろうな今の罪悪感はというふうに後で振り返ってもいいかもしれませんね。
これがもう一つ目です。
日々の平安維持法
2つ目はですね、これは自分を整えるワークなんですけども、
さっきのようにね、何かその緊急時というかね、平安じゃなくなった時にやるというよりは、
日々のトレーニングっていうかな。
日々の違うな、トレーニングじゃないですね。
日々の健康管理みたいな感じかな。
平安管理みたいな感じ。
管理じゃねえな、管理とかあんまり言いたくないですね。
日々の平安維持法、違うな。
毎日の平安の土台を鍛えておく方法かな。
違うな、鍛えなくていいんだよな。
ごめんなさいね、これいい言葉が出てこないな、珍しく。
日々の平安な土台を用意しておく方法みたいな感じかな。
用意、築いておく、そのぐらいですね。
鍛えなくていいですね。
平安を鍛えるっていうのはおかしな話なんでね。
これはですね、これは私はいつも毎日心がけている取り組みの一つなんだけど、
日々を通して僕の発する言葉ね、ここをじっくり目を離さずに見張っておくってことです。
この番組で考えていることを見張るみたいな話をよくするんだけども、
これは考えはどうでもいいです。
とにかく発せられる言葉ね、現実として話したり喋ったりする内容、これだけをしっかりと見張っておくんですね。
もしその中にね、人とかコミュニティとか組織とかね、場合によっては物もあるかな、とにかく何でもいいから何かについて割り口を言ったりね、
それに対してその否定したり批判したりする言葉を自分が発してないかっていうのを見張っておくわけですね。
それがあったって気づいたらこのワークを起動させるわけです、すぐにね。
最初にしっかりと認識しておくのは、この発言をしている僕は今確実に平安を失っているっていうね、この事実ね、これをしっかりと受け入れておくわけですね。
要は悪口言ったり否定したり批判したりする、何でもいいんですけどね。
もうそれこそ本当にテレビ出ているとかね、YouTubeで見る人をなんだこいつって言ったこの瞬間なんですよ。
これ多分僕は確実に平安じゃないんですね。
でもこれちょっと見分けるのが難しいんだけどね、やっぱり僕らが何かを悪く言うっていうのは結構快感でもあるわけですよ。
これはある種のリベンジだからなんだよね。
だからこれ気持ちいいじゃんって思うかもしれない、全然平安ですよみたいなそんな感じで思えるかもしれないんだけど、
でも僕らが本当に平安な状態であるとしたら、その僕らは攻撃はできないんですね。
この悪口、否定、批判というのは間違いなく攻撃なんですよ。
この対象に何か攻撃をしてるんですね。
だから平安と攻撃というのは絶対に同居しない、両立しないので、
それをやってるってことはちょっとした悪口を言いながら快感を覚えてるかもしれないけど、
恐らく心の奥底には大正のその怒りとかね、意気通りが渦巻いてるはずなんですよ。
自問すること
これをしっかりと認めるところから始めるわけですね。
そっかそっかと、今悪口言ったな俺、気づきますね。
そしたら、おっと、この私は今平安じゃないなってまたさらに気づきますね。
認める、これを受け入れる。
次に、この否定とか批判したい対象がいることでもしくはあることで、
僕は自分にどんな危機が及ぶっていう風に感じてるんだろうって自問するわけですね。
悪口、批判、否定みたいなことをしたこの対象がいることでもしくはあることで、
僕にどんな危機が及ぶと感じてるんだろうっていう風に自問するわけです。
で、そうすると、なんか時間奪われそうだよねとかね、
なんかもうイラつくだけで十分危機じゃんとかね、
いろんなこの困ることがあがるはずなんですよ。
で、それを思い浮かべながらね、
それは私にとって危機なのか?
それともただの問題や課題なのか?
っていうことを冷静にできるだけ平等に吟味するわけです。
今僕が困ることあるよ、確かにってね、
この否定したい対象がいることで困るよっていうその困ること、
それを見ながらね、それは僕にとって危機なのか?
それともただの問題や課題なのか?
っていうことを冷静に平等に吟味するわけです。
そうするとですね、ここで間違いなく葛藤が起こっているはずなんですよ。
なんかこれ答えたくないなみたいなね、釈然としない気持ち。
で、これが出てきたらよっしゃと、もう締め締めと思って大丈夫なんですね。
つまりこれね、まさに僕の中のガーディアンが
その問いだけは立てちゃダメだっていう風にものすごい抵抗をしているわけです。
その問いというのはね、僕がその否定したい対象これがあって、
そこに悪口とか批判とかをしている。
そこにね、それは何か自分に危機が及ぶっていう風に感じている。
それは何だと。
それは何だ、こんな困ることがあるよっていう風にあげる。
それに対して、それはね、もう危機だよって言ってるのに。
最初にね、危機が及ぶとしたら何だろうっていうその問いなわけですよね。
それで困ること、こんなことが起こるよとかね、時間が無駄になるじゃないかと。
労力がね、僕の労力を費やされるじゃないかとか。
それからもう何か心が非常にイライラするじゃないかとかね。
見てるだけでもムカつくじゃないかみたいな困ることをあげているのに。
これに対してですよ。
それは本当に僕にとって危機なのか。
それともただの問題や課題なのかっていうことを冷静に平等に吟味するわけね。
これがガーディアンはやめてっていうわけ。
それやっちゃダメっていうね。
なぜかっていうと、もしここで僕がね、これ危機じゃねえかもなっていう風に答えてしまうと、
もう一人の決して傷つかない本来の自分っていうのが出てきてしまうんですよ。
そうするとガーディアンは消え去ってしまうんですね。
これだけは僕にやらせちゃいけないっていう風に本当に熟知しているわけです。
このガーディアンはね、これはとても危険な状態と思っているかもしれないね。
ガーディアンは危機と思っているのに、
僕はそれ危機じゃないんじゃないっていう風にもうその認識というかね、
僕とそのガーディアンの認識が大きくずれてしまうんですよね。
それは危ねえぞと、お前何やってんだと。
ガーディアンと本来の自分の葛藤
そんな問いを立てちゃダメだろうっていうね。
危機なんだから危機なんだよみたいな感じで抵抗してるってこと。
もし僕がね、これ危機じゃないかもねっていう風に答えてしまうと、
さっき言ったように決して傷つかない本来の自分が現れちゃうんですよ。
この僕だとすると、ついさっきまで否定とか批判してた対象をもっと静かに眺めて、
もっと深い投票を立てるんですよ。
これは淡々と解決すべき問題や課題なのかと。
いや、それともそのままにしておいても無害なものなのかっていうね。
ここまで来てしまうんですよね。
もう要は危機どころかそのままにしておいてもいいんじゃねみたいなところまで行ってしまうっていうね。
これを僕はね、もっとも多分本来の自分ができる精度の高い愛の選択という風に見てるんですけどもね。
これがもう本当にここまで来てしまうともうガーディアンはいないと思っていいんですね。
なので最初のこれは私にとって危機なのか。
すると問題や課題なのかっていう問いに対してガーディアンはものすごく抵抗をしてくるということね。
これがさっき言った葛藤の正体なんですよ。
だからこの葛藤が起こっているっていうのは悪いことではないんですね。
この2つの方向に今心が引っ張られようとしてるわけですよ。
片っぽはガーディアンがそれは危機だよって言ってるわけ。
片っぽは本来の自分がいやそれ危機じゃなくねみたいなことをグッと。
こっちは知ってるんですよね。
ここで引っ張られるんだけども、だいたい僕らはこの葛藤に負けてね。
この気持ち悪いんですよ。
葛藤の解消と本来の自分
葛藤というのは釈然としないからね。
だから反対側このガーディアンの誘惑やめろっていう方を聞いて危機だよ。
もう当然危機だよっていうところでね。
ある種の考えるのをやめてそちらに流れていくんですけどもね。
それで悪口否定批判みたいなところに行くんだけどもここでよく考えるわけですね。
僕のこの幸せと天秤にかけると葛藤ですよ。
本当に全く持って取るに足らない小さなもんだってことが分かるのね。
だとしたらこの小さな葛藤の方を手放して。
ここでこれがこの葛藤の肝なんですけどね。
ガーディアンと僕はもうこれについて悪く言うのをやめておくよっていう風に宣言するわけです。
要はこれはですね僕らが何かを対象を見てそれを否定したい。
もしくは批判したいあるいは悪く言いたいという時はそれを正さなければならないと思ってるわけですね。
それを正さなきゃならないということはそれがあることは自分にとって非常に危険だっていう風にみなしてるということです。
つまり自分にとって危険だということはそれが自分を傷つけるという風に見てるのね。
これがいわゆる本来の自分の決して傷つかない本来の自分とまるで違う方向に行ってるってことなんですよ。
つまり恐れや不安の自分ガーディアンのその囁きこれに導かれているってことですよね。
もし私が決して傷つかない本来の自分であればこれは恐らく危機ではもう絶対にないんですね。
どちらかなんですよ。さっき言った最後の問いですよね。
これは淡々と解決すべき問題や課題なのかね。
自分が作り出す不安と危機を払拭するワーク
それともそのままにしておいても無害なものなのかこのどちらかなんですね。
私の経験では多くの場合8割ぐらいかな7割かな8割ぐらいは後者にいくつくんですね。
そのままにしておいても無害なものだったってことに気付けるわけね。
例えばその否定してる批判してる相手に僕がジェラシーというか嫉妬を感じていて。
なぜ嫉妬するかという理由がまさに自分が本当はやりたかったことをその人が平気でやっていると。
僕の中にはある種の正しさがあってそれはやっちゃいけないでしょうっていうふうなことを自分で決めていて手が出せなかった。
まさにこれも一つの罪悪感なんですけどもね。
それを平気でやってる奴こいつ罪だよって俺は自分に罪悪感を持ってそこをセーブしてるのになんでこいつはそこをさ平気でやってるわけ。
でもそれは俺もやりたいことなのよみたいな正直に言うと。
これをほっといていいじゃないですか全然。
否定批判はしたんだけどもそれが僕に何の本当は危害ももたらさない危機ももたらさない僕を本当は傷つけないものだったっていうね。
こういうことが分かってくるわけ。
分かった方がなぜいいかというとこれによって僕は心を煩わせなくなるからですね。
まさにその平安でいられるからなんですよ。
問題を淡々と解決する思考法
で中にはですね前者これは淡々と解決しなきゃいけない問題とかね課題であることもあります。
これが2割3割かな。
例えばですねえっととにかくそのチームの中にいつもいつも遅刻してくる人がいると。
でこれを僕はそのあいつなんだよとか言ってこう悪口を言ってるここからねさっきのワークが始まったんですよ。
でこうたどっていくとでもこれは僕にとって危機でもなんでもないんですよ。
淡々と解決すればいい問題なんですね。
でこちらもまあどうするかっていうのはその相手にもよるしそのコミュニティがねどんなミッションを追っているコミュニティかにもよる組織にもよるでしょう。
クリティカルなことをやってるんであればねえっとしっかりと話し合ったりとかその人とね膝をつき合わせて時間通り越えようよみたいなことを話す淡々とね。
怒りとか意気通りをぶつける攻撃するわけではなくてね。
でこれによっても問題が解決すれば僕は穏やかに平安に暮らすことができますよね。
だからこのワークというのはねある種その騒ぎすぎるガーディアンというかなもう大変だよ大変だよひどいことが起こってるよみたいなことを騒ぎ立ててね。
で異常にこの心配しそして俺に何とかしなきゃダメだよみたいなことを言いまくってるこのガーディアンをね少しおとなしくさせて。
ちょっと冷静に見てみて別にこれ危機じゃないじゃんって淡々と解決すればいい問題じゃないあるいはそのままにしておいても全然無害じゃないみたいなことをね。
まあもうなんていうのから分からせてあげるっていうワークなんですよね。
そして面白いことにこの最後のねガーディアンよと私はもうこれについて悪く言うのをやめておくよというこの宣言が実はとても重要でね。
これだけを取り出して日々やるだけでも十分このこれまでそのお話してきた効果は出るんですね。
悪く言う否定する批判するということは私に危機が及ぶという風に捉えているからなんですよ。
これをやめるだけでずいぶんとこの私が今危機にまみれてるっていう感覚がまずなくなる。
まああの別の言い方をすればねこの悪口批判否定をしながら僕は問題を作り出してたってことですね問題というか危機を作り出してたってことですね。
自分にとって危険なも危険な出来事危険な人危険な人物危険な組織みたいなものを自分で作り出していたっていうことこれに気づかせてくれるそのワークなんですね。
だからこれ最初に言ったようにこの平安の土台を日々築いておくためにねとても役立つんですよガーディアンよと。
もう私はねこれについて悪く言うのをやめておくよっていうことを言うだけでこれは実はですね私の中からその危機をね取り除いてくれる余計な危機を作らない。
まあもっと言うとその問題とかねやばいぞと思っていたことが自動的に消え去ってくれてるっていうとても便利なワークでもあるわけですね。
で僕はこのねもう小さなワークなんですけどねだってなんか悪口を言ったと否定してる批判してるって気づいたらガーディアン私はもうこれについて悪く言うのをやめるよっていうこれたったこれだけ。
これだけで僕はねえっと例えば自由ですねこれを得ていますよねこれはもう私が否定したりこの批判したりしたことこれは私はできなくなるのでねそれがなくなるということで相当自由ですね。
そしてえっとここでこの悪口を言いながら平安を失っていないということで思い通りに動ける時間を得ています。
そして判断力決断力これも得ているでしょうね。
それから人とのいい関係そして信頼自信この辺もうものすごくね尊い数多くのものをこのワークによってねこの日々のワークによって得られているとそんな風に感じてますね。
だからその犠牲にするのは悪口否定批判だけなんですよ。
これをやめるというだけのことでねこんなものはその今挙げたようなね自由だとかね思い通りに動ける時間とか人とのいい関係みたいなことと比べたらね本当もう些細というかねタトゥルに足らないというかどうでもいいものそんな感じがしますよね。
だからこれもあのぜひお勧めしますやってみてくださいちょっとこれ簡単にまとめるとねまずこの自分の話すことはこれを1日見張っておくんですね。
そして人や組織ものとかね何かについて悪口を言ったりこの否定したり批判したりする言葉これを見つけたらすぐにこのワークを起動する。
最初はこれを言ってる私は今確実に平安を失っているこれを受け入れるということですね。
そしてえっとこのね私が今否定したい対象こいつがいるもしくはあることで僕にどんな危機が及ぶっていう風に感じてるんだろうっていう風に自問するわけですね。
そしてこれかなこれかなっていうね困ることがあがったらそれはここがガーディアンが一番嫌がる問いそれは僕にとって危機なのか本当にそれでもただの問題や課題なのかっていう風に吟味するわけです。
漠然とした不安から自分を整える
そしたらえっともやもやと葛藤のようなものがね現れますからそこで幸せとこの葛藤を天秤にかけてガーディアンよ私はもうこれについて悪く言うのをやめておくよっていう風に宣言するってことですね。
これが二つ目一つ目は罪悪感と時間を止めてゆったり過ごすっていうこれはえっとなんつーかな漠然とした不安みたいなものに聞くそしてもう一つは日々の取り組みとして悪口言うのはやめとくよっていうのを習慣にするっていうことですね。
本当に本当に得るものがでかいので特に二つ目ねそれから一つ目はえっとこれはその罪の意識ということに気づきやすくなるということね普段僕らが心配みたいなことに置き換えているこの罪の意識に気づくその練習にもなりますんでよかったらやってみてください。
今日はそんな感じですかねまさにこのミクロなワークというか大きな話もいいんですけどもこの手のねえっと日々やるこの辺の取り組みも結構大切かなという風に思ってます。
今日からあの私がやってるね1on1のセッションのワントレ2というのがありましてまさに今日お話ししたようなことをねいくつもいくつもそのシチュエーション状況に応じてねお伝えしたい皆さんの受講者の方と一緒に作っていったりするんですけどもこれが確か去年の10月ぐらいからじっくり12チケットというね12回このセッションが受けられるという新しいコースを作ってちょうど半年なんですよ。
であの当時ねあとバババッとたくさんの方にお申し込みいただいたんですがその方たちがねほぼほぼこの4月でえっとだいたいこの12を完了するんですね。
いや私もやる前はどうなるかなと思ってたんですけどあっという間でしたね。やっぱ半年って本当かき揚げ塾もそうなんですけど本当にあっという間に過ぎ去っていってまあそれなりに私もその手応えあったし受講者の方もねいい感じになられたんじゃないかなとこれはもう本人に聞かなきゃわからないんですけどもね。
なんか僕の感覚ですよ僕の感覚ですけどもすごく幸運な出来事にねあと多くの方がこう恵まれたっていうかね皆さんなんかいいルートをね歩かれているようなそんな感じがしますね。
でこれがまあそのちょうどこの4月の末ぐらいでねあの一通り一段落するのでまたこの春のキャンペーンということでえっと今日からですねこの12チケットを少し割引でご提供しようと思いますこれはあのファクトリーと同じ価格になりますね。
なのでえっと前からちょっとやろうと思ってたかもみたいな方はですねこれあの先着ね4名様にねさせていただこうかなと思ってます。
そしてまあ期限はあんまり決めなくてもいいと思うんですけどもえっとそうだなあ今月末かえっと5月のゴールデンウィーク明けぐらいかなそのぐらいまではえっとやってもいいかなって感じがしてます。
ちょっとお安くご提供しますのでえっと今日この番組の概要欄にねリンクを貼っておきますのでよかったらえっとウェブサイトを見てみてください。
じゃあ今日はそんな感じですね2つありましたねえっと罪悪感を手放し時間を止めるっていうこの一つそれからガーディアンよもう私はこれについて悪く言うのはやめておくよって言ってねこの日々のこの平安の土台を築いておくというこの2つをやりながらですねいい1日をお過ごしくださいありがとうございます。
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