愛情とカチマックス
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま6月7日水曜日の午前1時56分です。
今日はですね、人間関係についてのお話をしようと思っていまして、
それもですね、職場の上司、同僚とかね、そういうのではなくて、もっと親密な関係っていうのかな。
まさにこの恋人とかね、結婚相手、いわゆるパートナーですね、パートナーシップというのかな。
ここにおいて、僕らはいろんな問題を抱えたりするわけですよね。
ここがまあ平和でうまくいってね、ラブラブであれば一番いいんですけどもね。
なかなかそうはいかないという。年月が経ち、日にちが経つとね、どうしてこのいい関係だったものがね、こんな風につらくなっているんだろうみたいなのもありますよね。
特にやっぱりこの結婚ともなるとね、それこそ一生ものですから、これがね、年月が経つにつれて冷めていかないようにするにはどうすればいいかみたいな話にもつながるんですが、
これあれですね、私がね、濱田中さんとやってるもう一つのポッドキャスト番組では、時々この片鱗のようなね、ライト版というのかな、これの軽い版をよくお話ししていたんですけども、
実は今日お話ししてしようとしていることはですね、まあこういう風なそのポッドキャストはもちろん、それからセミナーとかね、あと佐々木さんとやっていたそのぶっちゃけ相談とか、このあたりでもまず私はあまりお話をしていない内容なんですよね、そういうテーマなんですよ。
たぶん、そうですね、ワントレのセッションでもこのお話をした回数っていうのはそう多くないなっていう感じがしています。
というのもですね、ちょっとこれはあまり耳障りの良い話ではないんですよね。だから私もこれ、朝聞いてくださる番組として、もしかしたらあまりふさわしくない可能性もあるなぐらいな感じでね、ちょっとこの考えてみたりしたんですけどもね。
ただ、そうですね、もうこの番組も129回目を迎えまして、毎日聞いてくださる方もたくさんいらっしゃると思うのでね、特にこの4,5回かな、割とこのGood Vibesの本質に手を入れるようなね、手を入れるつもりなんですけども、本質の部分をお話ししてきたつもりなのでね。
こんな感じで、いつも聞いてくださっている皆さんであればね、まあ大丈夫なんじゃないかなという、ある種のこの信頼というんですかね、リスナーの皆さんを信頼して、私もビビらずにね、この程度のお話でね、ううう、みたいな感じにはならないでしょうっていうところで、ちょっとまあ決断して、まあそんな大した話じゃないんですけどもね。
まあ要は耳障りがあまり良くないという意味で、それと誤解も受けやすいしね、なんかそう軽くお話しできるような話題ではないという、そんな感じで多分本報初公開になるんですけどもね、ここを一部始終話すのはね。
要はですね、前々話かな、127、特別に愛されたい願望を手放せば、カチマックスな自分が現れるというここで、まさにそのカチマックスとは何か、どうすればそれを感じられるのか、みたいなことをお話ししたんですよね。
これはもう当然ですけども、僕らはそのカチマックスになるではなくて、すでにそうであると。すでにそうであることをなぜ認められないんだろうというお話になるわけですね。だから今この瞬間に私もカチマックスな自分がここにいるし、これを聞いてくださっているね、皆さんそれぞれ例外なくカチマックスなその方がいるということなんですね。
ただどうしてもそのように思えない、ここを何とかしようという話にいつもなるわけです。だからなんか修行とか精進とか特訓とかしながらね、カチマックスな自分にしていこうという話では全くないということ。
で、このカチマックスというのは随分と縮められた言葉、私がよく書き上げ塾で、この用語というか圧縮されてますからそこをなるべく開きましょうと言っているその中身がね、この中にぐわっと凝縮されて、いろんな意味が詰まっているんですけども、ものすごくシンプルにここを表現するならば、要は誰もが何もかも与えられて完成しているということですね。
これはグッドバイブスご機嫌な仕事緑の本で完全無欠の幸せを得るんだっていうようなね、これが出だしで出てくるんですけども、要はこの完全無欠がカチマックスということと等しいわけですね。
ただ、この完全無欠という4文字漢字は二重否定が入っているんですよ。最後の無欠ってやつがね、欠けているものはないっていうね、欠けているものはないというこの二重否定になっていて、無も欠もあまりいい漢字の印象としては無に欠なんでね、なんかこの4文字中2つがあんまりこのネガティブな方の字を使っているっていうのがちょっと私はあんまり納得いかなくて。
完全無欠と十善十美
ずっとこれを表す別の言葉を探していたところね、十善十美という言葉を見つけましてね、十は数字、善は全ての善、もう一回十は数字で今度は美しいという字があって、十善十美、これはもう全てが揃って完全な様という意味なんですよね。
同じなんですね、完全無欠のね、ただこの美という美しいという文字が入っているというのと、さっき言ったその二重否定になっていないっていうのでね、私が今神殿祭でノートにあげているザ・ギフトではね、十善十美に全て揃っているというような、そこで初登場させた言葉なんだけども、これを私はこれから使っていきたいなと思っています。
あんまり耳にしないんですけどもね、でも字を見た瞬間にわーっとわかりますよね、十善十美というね、要はこれが価値マックスということなんですね。
そしてこれが僕らの本来の姿であるとね、私はそのように想定してこのgood vibesというお話をしているんだけども、だからある種のゴールでもあるわけですよね。
このように自分を見ることができたら、多分僕らはあらゆる問題からね、周りの環境、外の環境とか他の人々、そういうものが一切今のままであったとしても、ほぼ99%ぐらいの問題からはね、解き放たれるというふうに思っています。
これにもう一人の偽りの自分が真っ向から否定してくるわけですね、これをね。そんなわけないだろうと。
これが偽りの自分の主張なんですけどもね、どういうことかというと、自分には足りないものがあると捉えておくことが僕らに安全を保障するんだと。
そしてそれだけじゃなくて努力や精進を促しね、ハングリー精神とか闘争心を失わずにね、この過酷な世界で、これが偽りの自分が見ている世界ですからね、この過酷な世界で何かを獲得する争いに勝利できるんだと。
足りないものがあると捉えておくことがこの原動力なんだよって言ってるわけですね。だから満足こそが最大の敵なんだというね、この真っ向から否定するわけですね、この十全十美をね。とんでもないと、そんなことをしたらもう油断大敵、そして平和ボケみたいな、とても危ない危険だし何も得られないよそれじゃというね、そういう言い分なわけですね。
まあこのね、まさにこの全く違反する本来の自分は何もかも与えられて完成している十全十美だと言っている。それに対してもう一人の自分がそこに現れてね、それこそがお前をダメにするんだっていう風なね、この二人の争い、これがまあ自分の中で起こっているわけですね。葛藤というのかな。
で、面白いことにこの本来の自分、その価値マックスである自分というのは絶対に消えないのでね、これが消滅することはありえないんですね。偽りの自分はいつも言っているように僕らが作り出したものなので、これを消すことは可能なんですけどもね。
まあでも普段これが私たちの中にいる、そしてこれが葛藤をするというね、これがまあ僕らの苦悩の正体なんですけども、この偽りの自分のね、まあ説に従ってまあ僕らは多くの場合生きているね、自分には足りないものがあると捉えておきなさい。そのようにこうやっているうちにもう僕らは本当に不足しているんだと信じてね、それを現実と思ってまあ暮らしているわけですね。
そしてここにじゃあその不足を埋めるものとして過去の実績とか評価とかね、まさにこれが獲得したものなんですね。これをまあ積み上げていくわけです。積み上げていくというよりもこの埋めた穴にね、パッパッとはめていくようなイメージなのかな。
でこれがえっと126話平安が失われたときは私は過去を自分と見ていると言ってみるというね、この前前前話かな。ここでこれらはすべて過去にあるというお話をしましたよね。なぜならば結果実績評価獲得したものというのはこれは過去にすべてあるんですね。
まあつまり過去の実績、過去の評価、過去に獲得したものこれを自分の不足を埋めるものとして使っているということですね。まあこれの弊害はそのときねえっとその126話でお話しした通りです。
要はこれは何かというと極めてパーソナルな世界ですよね。なぜならばえっと僕らのそれぞれの過去というのは僕らのそれぞれの頭の中にしかないからですよね。だからそれぞれみんなが積み上げてきたと思っているこの過去というのかな。この過去が私なんだと見ている私の歴史みたいなもの。これはもう完全にすべての人が異なりますよね。
だからまさにパーソナルな世界なんですね。ここがまあ完全に共有できないことになっているというところがねバラバラ意識の特徴でもあるんですね。まああえてそのようなものを作り出しているわけです。偽りの自分は一つ意識ではなくてねバラバラ意識こそが現実だと見ていますからね。
でこれによって何が起こるかというとえっと僕らは私とまあ今日のねテーマであるこの恋人結婚相手それから非常に緊密なパートナーみたいなそういう相手この人たちと互いに違いを見るようになるわけですね。何が違うのっていうことを見るようになるわけです。
まあこの完全に過去を積み上げたパーソナルな世界が出来上がればえっと一人としてその世界が同じ人はいないので互いに違いを見るようになるということです。
でちなみに一つ意識の方はこれも本質は等しく価値マックスで完成しているわけですから完全に同じなんですね。だから一つなんですよ。でこの一つであるこの完全に同じというベースの上に86の個性が乗っかってるんですね。
だからこの一つ意識にも違いと個性というのは当然あるわけです。完全に同じ存在であるということではない。ただこのベース本質が同じなんですね。ここに共通点というのがあるんですよ。
共通点ではないですね。基本的には全体が共有されていてその上に一人ずつこのかすかに個性と違いが乗っかっているようなそういう感じ。ここは一つであることと全くその相反しないというような組み合わせになっているんですよね。
過去と自己評価
でバラバラ意識の方はその本質がまず不足してますからね。不足しているということはそのすべてその違い違う形をしている。もうこれは言うならばですね。生まれた時からみんな異なる才能みたいな異なる価値か価値が異なる状態で生まれてくる。そういう感じがしてますよね。
なんかもう生まれた瞬間に差がついてるよねみたいなね。だから本質も違うし、そして積み上げてきた過去も異なるので簡単に言うと別の生き物みたいな感じを描いている可能性もありますよね。だから誰を愛するか誰と交流するかそして誰と仕事をするかすべては互いの違いをね査定するような感じで決まっていくわけですね。
そしてこの時2人はお互いに不足している同士ですよね。この2人が出会った時から私も不足してますね。あなたも不足してますというこの不足している同士ですよね。そしてもう一つ、相手が持っていないものを過去に積み上げてきた同士でもあるわけですね。
この積み上げてきたものは完全にパーソナルな世界なので全く共通していない。つまり私が誰かと出会うということは私が持っていないものをその相手は過去に積み上げてきた人でもあるわけね。つまりこの2人は不足している同士、そして相手が持っていないものを過去に積み上げてきたもの同士なんですよ。
ここが重要になるわけですね。この2人が出会うと何が起こるか。不足している同士、そして相手は自分の持っていないものを持っていると。そうするとこれはバラバラ意識において最も親密な関係というのは、つまり不足を埋め合う関係になりやすいということなんですね。
要は私はここがずっぽり欠けているんです。だからあなたが持っている、あなたが過去に積み上げてきた私の持っていないものでこの私の欠けている空白を埋めてほしいと。そうすれば私は完全な形になれるんですよ。あなたと一緒なら完成するんです。
だからもしあなたがそれを私に提供してくれるなら、私もあなたの足りないものを喜んで差し出しましょうということになるわけね。これがまさに互いに不足を感じ、そして互いに相手が持っていないものを持っているというこのバラバラ意識において親密な場合にこれができやすいということですね。
不足を埋め合う関係になりやすいということ。私のこの欠けているところをあなたの持っているそれで埋めてくださいと。そうすれば私は完成するんです。だからもしあなたがそれをくれるのであれば私もあなたの足りないものを差し出しましょうというね、こういう感じ。
これはまあこういうね、この今から私が言おうとしているこのこういう表現がさっきね冒頭で言ったあまり耳障りの良いものではないってやつなんだけども、これはですねまあでもはっきり言うとこのバラバラ意識しか信じてない偽りの自分のね同盟関係のような感じなんですよ。
まあ悲しいからね、同盟関係なんですね。お互いに何らかのメリットを感じ合いながらね、まあこのメリットというのはこの人が私のぽっかり空いたところを埋めてくれる。私もおそらくこの人の空いてるぽっかり空いた空白を埋めるんだろうみたいなね、同盟関係、埋め合う関係ですね。
だから当然これは見つかった瞬間はものすごくハイな状態になりますよね。僕も若い頃これを何度も経験しました。ようやく見つかったと。この人といるとなんか自分がね歓声してる感じがするんだよ。君といれば最強だよねっていうこういう感じね。これはものすごくやっぱりハイなんですよね。
だからまさにこれがね、別の要素もあるんですけども、燃え上がる恋というかね、この恋愛の一つの姿なんだろうなと思います。ここから多くの場合ね、いいことばかりではなくつらいこと困ることが起こるんだけども、そこが今日の話のね、とても大切なとこなんですが、
ここでね、この同盟関係、偽りの自分、バラバラ意識の同盟関係には2つの大きな縛りが生じているということにね、僕らはあまり気づいていないんですね。ここは本当に最初に出会ってハイになってる時にも気づかないし、揉め始めてる時も一体何が問題なのかっていうところのね、本質にやっぱりなかなか気づくことができない。
まず一つ目はね、どういう縛りかっていうと、この相手に自分を完成させるというね、ものすごい力を付与してしまったってことなんですね。ですよね、私のこの空白はあなたと一緒にいれば埋まり、そしてあなたといる限り私はこの不足がなくなって完成するんだと。
これはものすごい力を与えてますよね。だからこれはですね、相手がいなければ不足している自分にまた戻ってしまうという恐れや不安が生じますよね。そしてこの自分がどれだけ足りないかと思っているか、もしくはどれだけ相手がいれば完成しないというふうに思っているか、この思いの強さがね、強ければ強いほど相手に自分の幸せを支配されているような感覚を次第に抱くようになるわけですね。
最初はよかったんですよ、このはいの時はね、あ、完成するぞって。ところがでもこの人がいないと完成しないという恐れや不安、私はまた足りないものに戻ってしまうんだというこの恐れや不安によってね、この相手にものすごい力を付与したこの反発というのかな、反動、実は相手がものすごい権力を持つということでもあるわけね。
だからいつかなんでこの人に私は支配されているんだろうっていうね、決してこれは心地いいものではないんですね。ある種の服従関係のような、これが自然に出来上がってしまう。
相手に自分を完成させる力と期待の失望
まあでもこの出会ったばかりのはいの状態の時は本当にはいと言うだけで喜びなんですよね。この自分がその力を相手に与えたということなど全く意識できないんだけども、これ日々暮らしていくとね、あれ?あれ?あれ?っていう風になんかちょっと私の幸せをこの人に支配されてるんじゃない?とかね、なんかこれ服従の関係に近くない?みたいなね、この感覚をやっぱり次第に次第に抱くようになって。
そしてこの最初のはいの状態、この人といると完成するというこのメリットとね、そしていやでもなんかこれは服従だよねっていうこのデメリットがひっくり返る時があるんですね。
この時に僕らの中にものすごいやっぱり怒りが湧き上がるわけですね。これが一つ目ですね。要は相手に自分を完成させるというものすごい力を与えてしまったということですね。これは自然にそういうことになってしまうわけね。これが一つ目。
そして二つ目、この二つ目縛りですね。これはとはいってもこの同盟関係には明確な契約書みたいなのがあるわけではないんですね。そしてこの不足を感じ、相手の持っているものでそれを埋めるというのはこれは全部目に見えない心の動きなんですよ。
なんか明確に相手が何かのパーツを持っていて、僕のこの空いたところにカチャッとはめるわけではなくて、これは完全に感じていることなので心の動きなんですね。だから結局これは結論としては全て真相になってしまうんだけども、目に見えないものなんですよ。
そしてあなたはこれを私にくれるよねみたいなことを明確に言語化もしていないし約束もしてないんですね。つまり相手はそのことを知らないんですよ。私がこの人がいるとここが埋まると思っているそのここもわからないし、その僕が感じている不足も相手は認識できないんですよね。無理ですよね。
私には何が足りないのかなんてことを本当は説明することもできないんだけど、でも僕はそれをしっかりと感じている。そしてそれが相手からもたらされるとものすごい大きな期待を持ってますよね。でもこのなんていうのかな僕が期待したもの、これは永遠にそれが提供されるとは限らないんですね。
例えばそれが相手の美貌だったりする可能性もあるわけですよ。なんて美しい人なんだとね。この人のこの美しさを見ているだけで私のこの不足が埋まる。まさにこの相手の美しさ、美貌みたいなものが相手から得られるものだとすると、例えばね、これも嫌な話なんだけど年齢とともにそれらが得られなくなる可能性がありますよね。
私のようにお腹がぽっこり出てしまうとかね、それから髪の毛がだんだん薄くなっていくとかね、そういうこともありますからね。そうするとあれとこの人といたら完成すると思ってたのに、なんかどうも最近この不足が埋まってないぞっていうね。
なんであなたはもうこの最近私の不足を埋めてくれなくなったのっていうこれを感じたときにやっぱり同じようにかなり強い怒りが湧き上がってくるんですよね。
そして何らかの理由でね、その人を失ったときにここに猛烈な喪失を感じますよね。これが2番目なんですよね。
期待したものが得られないという怒り、そしてその期待したものが得られないというのはその人と一緒にいて感じること。でも元々その人が何らかの理由でいなくなるということもある。このときには喪失を感じるわけですね。
愛憎の反転と失ったときの喪失感
この2つこれがですね、まさによく愛憎って言うじゃないですか。愛と憎しみね。今までものすごく愛していたその相手がね、コロンとこのものすごく憎いものに変わっていくこの愛憎の反転。
そしてそういう人を失ったときにね、何らかの理由でものすごい喪失を感じるというね、この正体なんじゃないかなと僕は思うわけですね。
大好きでこの思い出のあるものっていうのかな。これに裏切られたときの猛烈な怒りと攻撃の感覚ね。これを多分私は何度も抱いたことがあります。
それはね、一見その私の相手に問題があるとかね、もしくは場合によっては俺が悪かったなって自分に罪悪感を感じたりするんだけども、これは相手も私も悪くなかったんですよ。
そうではなくて、この不足から始まり、そして過去に得たものをね、相手の不足をそこで埋め合うというのかな。過去に得たもので埋め合うという、この偽りの自分の同盟関係というのかな。
ここに実は大きな問題というかね、まさにこの始まりっていうのかな。それがあったっていうことですね。
なんかあんまり話しててもね、やっぱりこういい話じゃないんですよね。しょうがない。夢と希望はありますから、もう少しお付き合いください。
さらに言うとね、何かを埋めてくれる相手というのは必ずしも人である必要はないんですね。ここが面白いとこなんですよ。
なぜならば、さっきちらっと言いましたけどもね、これは全部心の動きなんですよね。心の足りない部分を埋めるわけだから、別にその物である必要はない。
パーツとかね、物である必要はなく、そして人肌でなくてもいいんですね。すべてイメージだからなんですよ。
だからここがそのまさにね、偽りの自分の同盟関係を結ぶ相手は必ずしも人とは限らない。
これはお金。例えば私も一回経験しましたが、ギャンブルね。お金は大きいでしょうね。
それからギャンブル、それからお酒それ自体、もしくはそれを飲む場所みたいなものね。
それから思い入れのある芸能人とか有名人がここを埋める可能性もあるし、場合によっては上司とかね、尊敬する人。
そしてまさにここに親が出てきますよね。それから子供。アニメでもいいし、ゲームでもいいんですね。
スポーツでもいいでしょう。それからこれも私はよくハマってましたけど、コレクターするものね。
何か収集するもの、コレクターグッズです。これがたくさん集まっていくとね、なんか僕の不足が埋まっている感じがします。
それから動物ですね。これは本当に喪失をもたらす大きなものの一つですよ。
それから今でいうと体を鍛えることとかね、それから勉強、そしてある種のイデオロギーとかね、そういうものもこの不足を埋めるものとして僕らはね、見ることができるということですね。
偽りの自分はこれらをね、人だけじゃなくてこれらを自分の不足を埋める同盟関係としてね、相手にできるということですね。
偽りの自分の同盟関係による問題
ここでね、一つはっきりと誤解なきようにお話ししておきたいのは、これをやってはいけないということではないんですよ。
おそらく、そしてね、僕らはこれをやらないようにしようなんてことは多分できないんですね。
完全に私は価値マックスということで24時間365日生きていられればこんなことをせずに済むんだけども、やっぱり油断するとね、そうじゃない。
この偽りの自分の言い分、いやお前には不足がある。そしてそこの不足を感じることにメリットがあるんだよっていうね、満足、価値マックスこそがお前をダメにするというこの声が聞こえてくるんで、毎分毎秒こちら側にクッと転ぶわけですね。
私の場合はですね、もう随分と恋愛をする年ではなくなったので、今でいうと例えばね、仕事のパートナーと一緒にコラボレーションのように仕事をする人にはね、この親密な感覚を持ちがちなんですね。
ここにやっぱり今言ったようなね、この同盟関係、私に不足があり、それをこのパートナーがしっかりと埋めてくれて、あなたといると完成するという感じを抱きがちなんですよ。
これは今でもリアルタイムにあ、それを感じてるなっていうのに気づくことがあります。
例えばね、佐々木さんにもそれを感じたことがある。そしてエフタさんとかね、知恵園をやってる知恵さんにも感じたことがある。
それからいつもお世話になってるね、事務局の働きをしてくれる、それからボイストレーニングやピアノをやってくれるこの矢部聖子さんとかにはね、特にそれを感じがちですよね。
この人が私の不足を埋めてくれるんだっていうね。
それからコンサロをやってた時代は、面白いことにこの高額な契約っていうのがね、時々あるわけね。
これをやると完全に自分の不足を埋める、まさに自分の一部だっていう風に僕はみなしてましたね。
だからさっき言ったね、この2つの縛りはこの時ガンと僕の中に重くのしかかってくるなっていうのを当時はあまり気がついていなかったけどもね、今ならはっきりと近くできますね。
これは過去の記憶になってしまうんですけどもね、高額な契約を交わした瞬間にその仕事がね、僕の不足を埋める自分の一部に変わります。
そしてさっき言った2つの縛り、だけどもその相手に自分の人生の主導権を握られたような感覚が次第に湧いてきて、なぜかしら何にも相手は悪くないんだけども怒りがこうだんだん湧いてくるんですよね。
そしてここに関してはね、これを失う時の喪失感、そして恐れや不安、これはでかいですよ。
私の一部がなくなるわけですから、要は契約が更新されないというね、この高額な契約が終わるという時にものすごい喪失と強烈な恐れや不安を感じますね。
だから先ほどね、挙げた佐々木さんとかエフタさん、チェーンさん、ヤベさんみたいな方々ね、幸い今まだまだ一緒にいろんなことをやってますが、この人たちがね、
たとえば、ちょっともう私クラザルさんのグッドファイブス全然ピンとこなくなったんで一緒に何もできなくなりますみたいなことを言われた時の、一つは私にあなたがそれをなぜ提供してくれないんだという一つの怒りね、これは憎しみに変わることも多々あります。
そしてそれを失うことのものすごい喪失というかね、この感覚。だから僕はですね、これはやってはいけないということではなくて、そのようなことを味わいたくないし、喪失とかね、そして怒りを抱きたくない。
偽りの自分の同盟関係を修正する方法
だから私はこの感覚を抱いたときは、今は即座に修正するようにしているんですね。どうやるかというのは最後にお話しするんだけども、だからこの偽りの自分の同盟関係、これもあまり良い言葉ではないんですけどもね、もっと良い言葉で言うと、この人がいてくれることで私はあなたと一緒にいて本当に完成した感じがする。
まさに私が探していた相手というのはそういう人なんだというね、このたとえ不足を埋める感覚であっても、僕はこれを全く否定しません。それをやるのが僕らだという一面をね、これは否めませんからね。
そしてそういう大切な人を亡くしたときに、この喪失した感じがするというのも、これもあまんじて受け入れるしかないと思います。これを持たないようにしましょうなんて話をここでする気はもうとうないんですね。
ただ、この否定しないというのと同じくらいの感覚で、このいやでも不足を埋め合うのが人でしょっていうこういう意見にはやっぱり同意できないんですね。ここにしょうがないね、もうそれでしょうがないね、こうなっちゃうんだよねっていうところに落ち着くのだけは僕は同意できないんですよ。
だから私はこの感覚を即座に修正するようにしているんですね。これはですね、たとえるならば、かつてね、人は100メートルを9秒で走れないでしょうって言ってた時代があるはずなんですよね。これと同じ感じがするんですよ。
このもう不足を埋め合うのが人でしょと、そのようにして、まあこの人がいないと私はね、完成しないんだっていう、あなたと二人で最強と思っていいじゃないっていうね、いいんですよ、いいんだけども、それはもう変えられないというこの意見には同意しないということですね。
なぜならば、最近で言うならばね、まさにトレンドだから、タイムリーだからね、プロ野球でピッチャーとバッターの両方は無理でしょう。いやいや、やった人が一人いますよね。それからついこの間、一人で将棋の8巻を取るのは不可能でしょう。
今それをやり、成し遂げようとしている男がいますよね。どっか忘れたけど、タイかな、どっかで、ベトナムかな、どっかで今やってますよね。彼ですよ。だからそうじゃない可能性があるよねっていうところを僕は持ちたい。だからこんな話をしてるんですね。
なんていうのかな、このさっき言った本来の自分、この愛そのものでありね、ガチマックスな僕らにふさわしい本来の関係を取り戻すという、これを諦めたくないんですね。だからこの不足を埋め合う偽りの自分の同盟、これは仕方ない。絶対にやってしまう。だけどここに甘んじる必要はない。ここを修正することができるという可能性を見ながら私はこの話をしている。そんな感じですね。
じゃあどうすればいいか。これが私がいつもやってる修正なんですけどもね。まず2つの前提を持っていくことが大切です。これは全ては心と思考のやっていることだということですね。足りないと感じている。これも何の証拠もないんです。僕は誰もが何もかも与えられて完成している。だからガチマックスだとね、そんな風に言っている。
でも一方で、いやいやそんなことはないでしょう。足りないものばかりでしょう。という感じる自分もいる。どちらもかっこたる証拠、目に見える証拠、何もないんですよね。
唯一あるとすれば、この校舎の、いや足りないでしょうというのは、僕らが作り出した、こういうものを持っていないとダメだよというね、僕らが作り出した基準にのっとっていないという、例えばこういう点数が取れていないとかね、こういう勝負で勝てなかったというね、ここを根拠にするというのは1つあるんだけども、それは前提も僕らが作り出してますから、とてもこれを証拠というわけにはいかないんですね。
これに足してないのは足りてないってことだよっていう基準を自分で作っておいて、ああやっぱり足してないっておかしな話ですよね。僕らは僕らが自分で作ったものではない。私はいつもこれは宇宙の神羅万象の広がる想像の中で生まれたもの、だから宇宙と等価なんだという意味において、すべてが揃っているんだという風に言っているわけですね。
だから、これは足りないというものも結局はすべては心と思考のイリュージョンであるということに気づくということですね。だとしたらそれを埋めてくれるように見える何か、これも心の中にあるわけですね。
だからさっき挙げたいろんな人だったり物だったり、もしくは有形無形の様々なもの、これは全部その象徴に過ぎないんですよ。足りないもの、そしてそれを埋めてくれるように見えるもの、これは全部僕らが例えばお金とかお酒、ギャンブル、いろんなもの、これは何かの象徴なんですよ。
何の象徴かというと、おそらくこれは私がなんとなくそうじゃないかと感じている一つの仮説なんですが、足りないものの正体はまさしく多分僕は愛だと思うんですね。
面白いことに偽りの自分というのは愛そのものである自分を否定した瞬間に生まれていますからね。もしくはこれを否定するために生まれてきたと言ってもいい。それが偽りの自分。
つまりこの瞬間に僕らは愛が足りないというこの不足を感じるようになったという成り立ちもそこにあるような感じがするんですよね。だからやっぱり偽りの自分というのは面白いですよね。
まず全て十全十美であるという、この全てが揃っているんだと、そしてそれは愛そのものであるんだとその自分を否定した上でそこに不足を見ると。
何が足りないんだ、愛が足りないという非常に矛盾している戦略というか考え方を取っているんだろうなと私は思いますね。だからやっぱりこの偽りの自分の言い分というのは信頼するに値しないんですね。
修正のステップ
この前提二つを持っておくということですね。足りないと感じること、それを埋めてくれるような何か、これは全部私たちが心の中で作り出しているものだということですね。
だからそれぞれ一人では一人違うわけです。パーソナルな世界なんですよ、完全にね。そしておそらくその足りないものとは愛だろうなというここにね、これは私の仮説なんですけどもね。
これが二つの前提。そして三つのステップで僕は修正をしています。
まずは第一に僕は今このね、佐々木さんなり矢部さんなりそういう人をね、自分の不足を埋めるものを与えてくれる存在として認識してしまったなと。
偽りの自分の同盟関係をここに結ぼうとしているなと。そして今灰になっているなと気づいた瞬間、行かないといけないと。私に不足なんかなかったなと。
誰もが何もかも与えられて完成しているんだなと。完全向けず、従前従尾、これを自分自身で受け入れるということですね。ここを思い出すということです。
これはよくね、どうすればそうできるんですかっていう質問をいただくんですけども。これは前々話でもお話ししましたしね。これから先も機会を見てお話ししていこうと思うんですが。
結論を言うとね、ここにノウハウもハウツーもやり方もステップもないんですよ。誰もが何もかも与えられて完成しているという、これを信頼するしかないんですね。
なぜそうなのかも今後お話ししていければと思います。まずここに立ち戻る。不足しているという前提にいる限り、僕らはこの同盟関係の方にグーッと流れていきますからね。
そして2番目ですね。だから自分にも相手にも不足を見ないということをここで確認するわけです。
これは以前にもこの番組でお話ししましたが、このままでいい私はね。そしてあなたはそのままでいいということ。これは何をしているかというと、完全な自由を自分と相手に与えているということですね。
つまり逆を言うと、相手を所有していると考えないということ。そして相手が自分の一部であるとみなしない、みなさないということね。
この瞬間に僕らは相手の自由を奪っているわけですね。先ほどからお話ししているようにあなたは私の不足を埋めるために存在しているんだと、この見方ですよね。
そして私はあなたの不足を埋めるために存在しているんだ。完全にこれは何らかの自由を奪っていますよね。
しかもこれはおそらくだけでも所有しているこの人は私のものだというふうな感覚を抱いているはずです。
これがやっぱり多くの悲劇をもたらすんですよね。さっき言ったようにこれは従属関係を生み出しますよね。相手がものすごい権力を握っているような感覚をするし。
そして2つ目の期待が裏切られたとき、不足なものを埋めてくれないという期待が裏切られたときにものすごい憎しみのようなところまで変わってしまう。
だからそんな前提を最初から持たないんですよ。自分にも相手にも不足を見ない。このままでいい、そのままでいい。
つまりあなたも私も完全な自由でいいよねっていうこの前提を持つね。だからあなたを私は所有しないし、あなたを私の一部なんてとんでもないそんなふうには見ませんよというね。これが2番目。
このときにね、今この私のお話は私の取り組みなので、私のパートナー相手はもしかしたら自分の不足を埋めるために私から何かを得ようとしているかもしれませんよね。
このときこれは構わない。全然いいんですよ。さっき言った通りこれは否定しません。ただ私はそれをやらない。だからこのとき私は愛だけを差し出せばいいんです。
なぜならば私は愛そのものであるわけだから、これはいくら与えてもなくならないんですよね。
これだけはどんなに求められようと、どんだけ欲しいと言われようとも、僕はその要求された分を差し出して構わないわけですね。
そしてさっき前提の中でお話ししたように、要はこの不足とはやっぱり愛なんですよね。
だから言葉では愛ではないものを要求されているように表現されていたとしても、私はひたすらこの愛そのものである自分、これを相手に差し出していればいいということですね。
だからこれができる限り相手が僕と違う同盟関係を感じていても全く問題ないということ。
そして3番目。ここが結論になるんですけどもね。つまりこれは特別な人がいるってことですよね、私にとって。
一つ意識全部同じだったらすべてみんな一緒なんだから特別な人がいるってのはおかしいじゃないかっていうね。
なんとなくそんな感じもするんだけどそれは違うんですね。
この上にさっき冒頭に言ったように80億の個性と役割というのが乗っかっているんですね。
そうすると私が例えばこのパートナーと一緒にいる恋人といる結婚相手と一緒にいるというのは互いにその個性と役割に紐づいた関係をそこで結ぶというある種の必然があるんですよ。
さっきの仕事の相手なんかものすごいわかりやすいですよね。
僕と佐々木さんが今何かを一緒にやっている。これはこの2人だからできることがあるということなんですよ。
これはこの2人で互いの不足を埋め合っているということではないんですよね。
だからこのように見ると特別な人というのは自分に何かをしてくれるもしくは何かを提供してくれる人ではないんですよ。
そうではなくてこの2人の組み合わせまさにこのコラボレーションによって何かをクリエイションする何かを生み出すためにこの2つの組み合わせが必然的にもたらされているということですね。
だから要は3番目はただその人がいてくれるというその存在そのものに感謝するということです。
これで3ステップ完了するんですね。
自由を与える関係
ちょっといろいろ解説しながら話したんでわかりにくいかもしれなかったんでもう1回まとめると。
1番はとにかく不足というところを修正するということです。
おーっといかんいかんと私は何もかも与えられて完成している存在だったと。
従前従尾だったと。
まあ感じてるかもしれないけどこれは心の作用であり私の心象なんだなとそのように偽りの自分に思わされてきたんだなというところで納得してグッとね。
うんいいやもう完璧に信頼できなくても完璧にそう信じられなくてもいいと。
不足と思うならやめようと。
私は従前従尾であるというこれが1ですね。
そして2番はだから自分にも相手にも不足を見ずにこのままでいいそのままでいいと言って相手と自分にね同じように自由を与えるということですね。
そして3番目だからこの特別な人というのは何をしてくれるか提供してくれるかではなくその存在だけに感謝すればいいんだという風に捉えておくということです。
これがまあ3ステップですね。
だからさっきもう1回繰り返しますけどもこの不足を埋め合う同盟関係そしてこの人がいてくれて私は歓声するんだこの人と2人で一つなんだっていうねこの関係は決して否定する必要はない。
そのように感じていてもいいと思います。
でももう一つこの本来のね関係という可能性があるということだからもしねさっき言ったようなこの同盟関係の中で2つの縛りそこで強い怒りとかねえっとなんとなくこの愛憎がひっくり返ったような感じがした時にはそっかここに原因があるんだなって気がついてこちらの本来の関係に修正することができるってことなんですよここが僕が一番お伝えしたいことなんですね。
なかなかですねえっとさっき言ったこの2つの縛りの中で愛憎がひっくり返ったこれをこの関係のまま修復するのはものすごく難しいんですよ。
だいたいこの場合はですねもうしょうがないといるのはしょうがないとなるべく関わらないようにしよう距離を置こうみたいなことでねやっていくしかない。
もしくはそこから離れものすごい喪失感を感じながらね孤独を感じそして何か二度とこのような関係を作りたくないと言ってね一人でいることを選択するしかなくなる。
まあこれは懲りるということですよねもうこの同盟関係よりも不足を持って孤独に生きる方がいいというそちらを選んでしまう。
そのような場合に僕はもう一つの可能性としてこのワンツースリーステップに行ってみるというねだからこんなやり方してダメだよじゃないんですよそれでいいんですよ。
そこででも困った時この関係が行き詰まってどうにもならなくなった時もしくはもう人との関係を結びたくないと思った時にいやもう一つあるんですよ。
本来の関係とは愛を増大させる関係
僕らは本来の自分を使いそしてこの価値マックスであるというね何もかも与えられて完成していると自分を見そして相手もそのように見た時にもう一つこの本来の関係というねとても素晴らしいものを作れるというこの可能性を持っておくためにこのお話をしているというふうに捉えてみてください。
そしてこの本来の関係とはねまさに完成された同士がさっき言ったように愛を与え合うことによってこの愛を増大させる関係でもあるわけですね。
もう完成なんてことはすでに終わってるんですよ。
だからこの自分を完成させるのが大変なんて思わずにもう私は完成しているのねだから不足を補う相手を見つける必要はないんだね。
私がこの人といると私の個性と役割に紐づいた何か一緒にできるんじゃないか。
別に大きな仕事とかじゃないですよ。
暮らしでいいんですよ。
日々の暮らしという一つのクリエーションができるんじゃないかと。
その中できっと二人でいればねこのお互いに愛そのものである同士が愛を増大させていけるよね。
そこにいろんな人たちがきっと巻き込まれていってね。
さらにこれを広げていける。
そんな風に本来の関係を捉えてみるといいんじゃないかなと思います。
簡単にもう本当に一言でまとめるならば偽りの自分の同盟関係から本来の自分の本来の関係ここにシフトするというか修正してみるということですね。
そんな感じです。
ジャジンワーク告知と結び
最後に最近ずっとこの執筆レッスンの告知ばかりしていてすっかり忘れていたんですが、その翌日なんとジャジンワークが入ってたんですよね。
本当にもう一つのことを思いつくとその他のことを忘れてしまうみたいな感じなんですが、
6月11日1時から毎月2回やっているジャジンワークを開催しますので、こちらよかったらご参加ください。
今日はなんとなくこの親しい関係の人とどうもうまくいかないなと怒りと憎しみが湧き上がるぞとかって感じたときは、
もう一度私は歓声している。そしてこの人も歓声している。
この地点を持って本来の関係に修正してみようというこの方向でぜひいい一日をお過ごしください。
ありがとうございます。
ありがとうございます。