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GOODBYE IS MIDNIGHT RAXXAR by KURAZAMUKEIZU
こんばんは。ただいま12月26日月曜日の午前2時56分です。
この金曜日土曜日かな、23、24、以前からお伝えしているように大阪に行ってきました。
素晴らしい2日間を過ごしてきました。
大阪はめちゃくちゃ寒いです。
私が行った今回の会場の中野島は初めてでした。
川と川に挟まれた中洲です。
まさに中野島なのかなと思いました。
東京の都心で言うと品川やお台場みたいな近代的なビルが立ち並んでいました。
僕の中では品川っぽいなと思いました。
高輪とかその辺の感じだったんだけど、ビル風がすごいんですよ。
ビル風すごくて、そして川風かな、すごくて。
体感温度で言うともう完全冷下でしたね。
マフラーを耳に巻かないと耳タブが痛くて、ちぎれそうなくらい寒いっていうね。
そんな中会場に向かいながらですね、
今日は皆さんこの寒い中に来てくださるのかと思っただけで、申し訳ないんじゃなくて、
ありがたいなという本当に感謝の気持ちが湧き上がってきまして。
大抵そういう時はですね、やっぱり何人かお休みされる当日、ケースも少なくないんだけど、
なんと全員参加してくださいましてね。
しかもですよ、大阪でやったんですけど、大阪市内の方はほとんどいらっしゃらなくて、
1人か2人ぐらいだったと思うんだけど、
後の方はですね、皆さん和歌山、滋賀、岐阜、京都とかね、
その他県からお越しいただいてまして、
もう本当遠くはるばるね、電車で来ていただいて、
大阪なんだけど遠くって申し訳なかったなみたいなそんな感じなんですよね。
中には大阪に宿をとって泊まりで懇親会まで参加してくださる方もいらっしゃって、
本当にありがたいなというそんな感じでしたね。
そしてトークライブもね、知恵さんといつものように、
知恵とゾノみたいなジングルもしっかりやって、生ライブなんでね、
ちょっと盛り上がりながら、最初何を知恵さん聞いてくるのかなと思ったら、
クラゾノさんにとって愛とは何ですかっていうね、
もう大冗談、ど真ん中の質問から始まったんでね。
今日はその準備なしね、みたいなね、いきなり本論ね、みたいな感じで、
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じゃあ私がね、思うところの愛とは何かのお話をしますというんでね、
少し最初の入り口として、私が思う愛についてたっぷり語らせていただいて、
その後は知恵さんナイス再配でね、
私は皆さんのお話が聞きたいです、みたいな感じで、
じゃあ皆さんについて、皆さんにとって愛とは何ですかとかね、
分かるようで分からない、どんな感じですかみたいな、
そんなんでお一人ずつ全員にね、お話を聞いて、
だからなんか、僕と知恵さんが一方的に話すというよりは、
もうずーっと終始ね、みんなで会話してる、対話してるみたいな、
そんな座談会にね、偶然なりまして、
ほんとあっという間の2時間本編が終わりましたね。
で、ほんとに周りは寒くてね、凍えそうだったんですけど、
なんかどんどんどんどんこの会場が温まっていくっていうかね、
気温が温まっていくというよりも、
心が温まっていくっていうそんな感じのね、
ちょっと不思議な感覚を抱いた2時間でしたね。
で、その後そのままクリアヒーリングサロンというね、
これまた素敵な場所でしたね。
なんかこう気がいいというかね、
まだこういうことを言うと怪しい感じがするんだけど、
この場所の気がいいっていうのはね、
もう行けば分かるんですよね。
理屈じゃなくてね、うわここはいいぞっていう、
おそらくそこを運営してる人、そしてそこに日々出会いしてる人たち、
このバイブスがね、ここにちゃんと宿っているんだろうなっていう、
そんな感じがしましたね。
で、ここでそのままバーカウンターを囲んで、
で、私と知恵さんが中に入りね、
ホスト役として、そして来てくださった皆さんがお客さんの席に座りね、
ここでこうカウンター越しに会話をする。
これは素晴らしい。
良かったですね。
このロケーション最高でしたね。
うん。
で、また例によって時間を忘れて、
私も普段だったらこう大体2時間ぐらいかなみたいな感じで、
パッと時計を見るんだけどね、
iPhone見るんだけど、
それを見る間もなく、
どなたかがそろそろちょっと終電がって言い出してね、
お、お、そんな時間ですかって見たらもう11時40分とかそんな感じで、
遠くの方から順番に帰られるってね、
もう本当に盛り上がって、
いいその懇親会でしたね。
で、なんかあの知恵さんがとてもいいのはね、
地元に根差してるっていう感じがするんですよ。
だから地域のね、知り合いが何人か来てくださいましてね、
まさにそのヒーリングサロンで働いている神給師さんとかね、
若い方だったんだけど男の人で、
そういうこうなんつーかね、
地元の知り合い、地元の仲間みたいなのがこう集まってくれるんですよ、
知恵さんのところにね。
この感じとその私のその知り合いというかね、
グッドバイブス関連で知り合った方っていうのが混合されてて、
そこの感じがなんとも言えなかったっすね。
だからやっぱこう、久々にこの地元の知り合いみたいなのがこう集まるっていう、
これなかなか東京ではね、味わえない感じなんですよね。
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それを持っている知恵さんっていうのはやっぱ強いなーっていう感じがしましたね。
この地域のつながりっていうのかな。
で、そのままバラバラとね、こう解散していきながら、
12時前ぐらいにお開きになったんだけど、
私はちょっとね、こう喋りまくってたんで、
その懇親会の間、ほとんど食べ物を口にできなくて、
ちょっとお腹すいたっていうんで、
お客さんのSさんを一人誘ってね、
この方は去年も12月の28日の攻撃のないコミュニケーションの出版記念トークライブに来てくださった方で、
その時もですね、ちょっと連れ回して、
午前2時まで2次会に付き合ってもらった方なんですけどね、
この方がまた今回もいい人でね、案内しますよっていうんで、
梅田をね、案内してくれて、
で、そこでちょっとまた直感でいい店探しましょうよみたいなことをね、
言い出してダラダラ歩きながら、
とっても美味しい中華料理屋さんをね、
美味しいだろうなぁと思う店構えの中華料理屋さんを見つけて、
そこで私はチャーハンを食べ、
ヤメさんとそのSさんはワンタンスープを飲み、
多分2人はお腹空いてなかったのに付き合ってくれたんですよね、きっとね。
そして1時前ぐらいかな、解散して宿に帰ったっていう感じですね。
素晴らしい1時でした。
本当にもう関西圏の皆さん、今回お越しいただいた皆さん、本当にありがとうございます。
これはですね、やっぱりこう、
今年は一度しか行けなかったので、大阪の方にね、
その前の年、コロナの前はですね、毎月やってたんですよね、大阪セミナーっていうのをね、
だからちょっとこれは2023年は再開したいなぁと思いまして、
そこのクリアーのね、ヒーリングサランのオーナーのやっちゃんによれば、
なんとここはライブもできるらしいんで、
よかったらその機会があったらね、楽器持って行って、
いわゆるそのラクザライブもやろうかな、歌を歌ってみようかなみたいなね、
あと私のやってるボイストレーニングとか、
あと加藤さつきが仕事で確か関西に来るっていう風に、
小耳に挟んだことがあるので、
彼が仕事でこの関西県に来た時にね、
ちょっとデッサン教室関西支部みたいなのもやれるんじゃないかな、
みたいなそんな思惑を抱きながらね、
毎月ここ来てーぞっていう風に思いながら帰ってきましたね、
そうだそうだ、そしてその翌日に、
さらにまた8時に起きましてね、
その浜田千恵さんとGood Vibesファクトリー向けに、
いつも配信しているGood Vibes TVっていうのがあって、
これはせっかくなんでね、せっかく浜田千恵に会えてるんで、
千恵さんと撮りたいということで、
3話ぐらい収録してきました、
これも会議室借りてもらってね、
だからその23も24も僕にしては珍しくね、
8時起きでそして午前稼働みたいな、
こんな暮らしをしてきたんですけどね、
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だからといってもう1日経つとですね、
今午前3時5分ですんで、
全くそのサイクルが朝方になったりはしないんですね、
なんか僕にとっていつも大阪とかに早起きしていくときは、
もう時差、海外に行くときの時差分けと同じで、
帰ってくればまた日本に戻ってくれば、
東京に戻ってくればまた元の暮らしになると、
そんな感じですかね、
そしてそのなんていうのかな、
寒空の中話しているときにね、
心がホカホカとしてきたっていうこの感じが、
僕にとってはなんかこれは癒やしだなっていうね、
そんな感覚を持ったんですよね、
ただその当日ね、
その23日のトークライブでは、
この愛から癒やしという話には行かなかったんですけど、
この東京に帰ってきてね、
思い出したときにこれは癒やしだな、
一緒だなっていうね、
この感覚がちょっとあって、
当日話さなかったというのは、
このポッドキャストでそれを話す流れに、
つながってるんじゃないかっていうんで、
今日はその癒やしをテーマにね、
お話をしてみようかなと思います、
どこから始めるかっていうと、
そうですね、どこがいいかな、
なんかね、
やっぱり今人生がうまくいってない、
みたいな感覚を持つときありますよね、
理由はいろいろ様々、
自分の仕事がうまくいってないとかね、
人間関係がなんかイマイチだとか、
場合によってはね、
家族の間での問題みたいなのも、
あるかもしれないですよね、
まあそういうなんか、
人生がうまくいってないなと感じるとき、
僕らはですね、
やっぱり最初に、
その原因が外側にあると思うんですよね、
そして外側にあるのは何かというと、
現実ですよね、
自分がいて自分の外側に現実があると、
その現実がうまくいってないとなると、
やっぱりこの現実を変えたくなるんですよね、
変えなきゃならないっていうね、
場合によってはですね、
この自分自身、
これも実は面白いことに、
自分の外に置くんですよね、
なんつーのかな、
こう客観的に見てるみたいな感じなのかな、
わかんないけど、
他の人とその環境みたいなのが外にいるんだけど、
それと同じように自分も外に見てね、
そしてここになんかこう、
ものすごい不足を感じて、
これも変えなきゃならないっていう風な感じを
抱くんですよね、
そうすると人生うまくいってない、
そして外側にその原因があると、
まず他の人、
これを変えなきゃいけない、
次にこの環境、
環境っていうのは多分だけども、
仕事をしてれば職場とかね、
あるいは組織とか、
家族の問題であれば家とかになるんだけどね、
もっと広くなんか世の中一般みたいな風に
こう見ることもなくはないですよね、
この世界みたいな感じ、
ここがうまくいってないと、
そしてさっき言ったように、
自分をちょっとね、
自分から切り離して客観的に見て、
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外側において、
ここにも原因があるみたいなことをね、
思った時に、
自分と他の人と環境、
この3つを今すぐ変えなきゃいけないっていう、
この感じになるんですよね、
でも残念ながら、
外の現実を変えるのは、
ものすごく大変なわけです、
他の人を自分の思い通りに
コントロールすることはできないですよね、
これはまず不可能、
そしてこの環境っていうのも、
ものすごく大きなものなので、
例えば組織に問題があるって思ったとしても、
それを自力で変えていくなんてのは、
もうほぼほぼ不可能、
で、変えられるとしてもね、
それなりのなんかこの、
変える可能性というかな、
そういう権力みたいなものを、
自分が持っていたとしても、
いっちょい席にはいかないですよね、
そして切り離してしまったその自分、
自分の足りない部分、
こんなものもすぐに解消されるはずがない、
だから外の現実を変えようと思うと、
そこにやっぱり発砲塞がりっていうのが
待ってるわけですね、
どうにもならんよ、
しかもこの変えなきゃならないのは、
なぜかというと人生がうまくいってないからですよね、
だとしたらのんびりはしていられない、
これ早急に変えようとするんですよね、
でもうまくいかない、
ここで僕らは自分の周りにある現実を
攻撃したくなってしまうんですよ、
なんで変わらないんだっていうね、
このいらつきいらだち、
そしてあさりですよね、
特に自分に対してもものすごく強い焦燥を
抱いていると思いますね、
この自分でどうするんだよ、
こんな足りない自分でどうするんだよ、
みたいな感じかな、
この攻撃をしてもだいたいうまくいかない、
攻撃をしたからといって問題は
ほとんど解決しないんですよね、
だからもう一つの選択、
じゃあもうこの世界と距離を置こうっていうね、
うまくいかない、
もう変わらないんであれば
距離を置こうみたいな、
これで他の人と距離を置いたりするんだけども、
一人で生きていけないんですよね、
この世界はね、
だからどれだけ心に壁を作ったとしても、
職場に行けば誰かが話しかけてくる、
苦手な人が近くにいる、
目に入るっていうことで、
この作戦もうまくいかない、
攻撃もうまくいかないし、
距離を置く作戦もうまくいかない、
そして変えたいと思う現実はなかなか変わらない
っていうここにたどり着くっていうかね、
たどり着かざるを得ないわけですね、
私もこういう経験を何度もしながら、
どうすりゃいいんだっていうね、
この問いの中でこのグッドバイブスの考えっていうのにね、
たどり着くんだけども、
ここで発想を変えるわけですね、
まずこの今ね、
この自分が人生がうまくいってないと感じ、
そしてその原因を外に見て、
現実を変えなきゃいけないと思っている自分は、
どんな自分だっていうふうにね、
まずこう自問するわけですね、
これは私がこの番組でいつもお話ししている、
二人の自分のうちの一人なんですね、
当然だけどもその体が自分の本体と思い、
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傷つきやすく壊れやすい、
そしていつか消えてなくなる、
常に常にその恐れや不安を抱いている自分なんですよ、
これが自分の人生がうまくいかなくなったときに、
外側に原因を見て、
そしてその現実を変えなきゃいけないって言って、
さらにここにまた恐れや不安を感じている、
こちらの自分はなぜそうなるかというと、
これもよくお話しするように、
心象を作り出すからですね、
見たもの、聞いたもの、
これにすべて意味付けをし、解釈をし、判断をし、
そして自分なりのストーリーを作りながら、
この危機を脱しようとする、
自分の身を守ろうとする、
当然だけどもそうすると世界はより悪く見えるんですね、
悪く見えるからより変えなきゃならないと思う、
変えなきゃならないと思っても、
現実は変わらないからそこで苦悩の中に入ってしまうっていうね、
で攻撃を繰り出すんだけどうまくいかない、
距離を置いてもうまくいかないっていう、
まさにこれが発砲塞がりなんだけどね、
ここでまずは、
これは偽りの自分が作り出しているんだなっていうことに気付くと、
そうすると外に原因を見るんじゃなくてね、
内側に目を向けられるようになるんですね、
そしてそのように世界を見てしまう、
この心っていうものがあるんだってことがわかるわけ、
そしてこの心を癒せばいいんじゃないかなっていう、
ここで癒しが出てくるんですね、
内側に目を向けて、
その変えなきゃならないっていうね、
何とかしなきゃならんぞ、自分も他の人も環境も、
このように世界を見ている心があるはずだっていうね、
これは多分偽りの自分が抱く心なんだな、
こいつを何とかして癒せないかなっていう風に考えるわけですね、
ただ今の自分にはできないんですよ、
この偽りの自分にはね、
自分を癒すということはできない、
なぜかというと、
この自分というのは常に恐れや不安を抱きね、
そしてその恐れや不安を抱くから心象を作り出し、
それによって自分の身を守ろうとしているので、
この自分にいくら頼んでも、
自分自身を癒すことはできないわけですね、
そこでもし運良くですね、
自分の周りにとても信頼できる、
例えばパートナーとか、
心を癒せる親友みたいなのがいたらですね、
この人に向けて話をするっていうのが、
まずは最初のオススメなんですね、
できればね、今からね、
ちょっと話聞いてくださいと聞いてくれるみたいな、
ただアドバイスとかそういうの全然いらないんでね、
ただ聞いてくれればいいみたいなこんな感じができるといいですよね、
途中でね、やっぱこうしろああしろって言われると、
この偽りの自分っていうのはね、
そこにものすごく反論したくなってしまうので、
それはちょっとしないでほしいっていう感じかな、
やんわりとアドバイス聞いてみたいな感じで、
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とにかく聞いてみたいな、
そこでこの番組で前回か前々回かお話しした、
怒りの変換って話をしましたよね、
もともと僕らは人生がうまくいっていないっていうところから、
心象を作り出す、そして攻撃を繰り出す、
みたいなところのプロセスの中に、
3段階あるんですね、
最初にまず自分の人生に望ましくない感じのことが起きた気がするっていうね、
これがいろんな他の人からの言動だったり、
望ましくない出来事だったりするんだけど、
この時に最初に怖いぞって思うね、不安だぞって思う、
その次に怒りを抱き、
そしてその怒りを抱くのが辛いなと思った場合は、
罪悪感に変えたりする、
あるいはその怒りがね、
なんか人に言えない形、なんかすごく子供っぽくてわがままな感じがするぞとかね、
人としてどうなんだみたいな怒りだとすると、
これをお行儀のいい正しい形っていうのかな、
人に言っても大丈夫な正当な形に変えたりする、
この辺をしっかり認識しておいた上で、
これを解きほどいていくんですね、
もし罪悪感を持ってるとしたら、
何に持ってるんだみたいなこと、これも話すといいですよ、
自分がいつもこういうとこで失敗をしてうまくいかないからとかね、
期限が守れないからとかね、
やるべきことを直しても詐欺起こりしてしまうんだよねとか、
みたいなことを話しながら、
その次にこれリバースしていくので、
どんな怒りを抱いてるかみたいなことを見つけるんですね、
ああ、そうかそうかと、
こんなスケジュールを組んだ、なんか会社側に俺は怒ってんだなとかね、
そして一生懸命やってもちょっともそれをねぎらってくれない、
そして認めてくれない、
褒めてくれない上司にも腹が立ってるんだなとかね、
そんな風にこの怒りのプリミティブな形、
最初の形に戻しながら話をしていく、
そしてそこまでいくと何が怖いっていうのも分かるはずなんですね、
そんなわけで俺はこのままここで何か認められなくて、
ここの会社の中で大事な役職とか失いながら、
立場もなんか悪くなりながら窓際に追いやられて、
そしていつかこの会社を辞めなくてはいけなくて、
そしてなんかのたりじるのが怖いんだよみたいなこともね、
正直にそのあらいざらい全部話せるっていうね、
そういう関係の人がいたらいいんですけどね、
もし運良くいたらですよ、
これをぜひやってみてください、
罪悪感から始まり、
そしてそれをその罪悪感に変えてしまった元の怒りね、
これもなんかいい形にするんじゃなくて、
もうほんとくだらなくていい、
くだらない形でいいのでそれをストレートにしゃべってみる、
そしてそこの先にその前にあったね、
恐れや不安についても正直に言ってみる、
何が怖いんだってね、
何を失うのが怖いんだ、
何を奪われるのが怖いんだみたいなことをね、
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その相手に向かって正直に素直にあらいざらい全部打ち明けてみる、
これができたらですね、
もう多分それを話しながらね、
自分がどんな目でこの世界を見ていたのかっていうのに気づけるはずなんですよね、
これだけでも多分かなり癒されると思います、
最初はほんとそんなこと何も考えずにね、
ただただただただその罪悪感、怒り、
そして恐れや不安みたいな順番にね、
自分の心を紐解いていきながら話していればいいんですね、
そのうちに、あ、私のこんな感情、こんなインビ付けが、
自分と他の人と環境をものすごく悪いものに見せていたんだなっていうことに気づけるはずなんですよね、
この時点で別に何のアドバイスもね、
どうこうしろよとかって言われなくても、
少し世界の見え方が変わると思います、
一回であんまり変わらなければ、
これを何度かやってもらってね、
ちょっとまた聞いて、この間の話また聞いてみたいなね、
まあだからこれをね、やっぱりやってくれる、
そういう人を日頃から持っておくっていうのが大切なんでしょうけどもね、
でもですね、こういう時に限って、
この相手がいないことが多いんですよね、
なぜかというと、もうすでに関係を切っているケースが多いんですよ、
私がそうでしたね、
私はこの人生がうまくいかないと思いながら、
原因が外にあると、
そしてその原因となる、
自分が原因とみなした現実を攻撃しまくってましたからね、
当然ですけども、
こういう話を聞いてくれる相手も切ってしまっているんですよね、
それから例えばその家族、
私といえばね、奥さんになるのかな、
とてもこの役には向いている関係の人なんですよ、
やっぱりその夫婦というのはね、
だけども不思議なことに、
僕はまあその一人でね、
自営業とかフリーランスとして生きていってるんで、
心配かけたくないなって感じがまずあるわけね、
だから僕が弱音を吐く、
そして人生うまくいってないというと、
ものすごくビビるんじゃないかみたいな感じがする、
そしてもっとその裏にはね、
これ今たぶん行儀がいい形なんですよ、
もっとその裏のね、プリミティブ、
その現象、最初の形は、
ダメな男と思われたくないなと、
コンテンツと結婚したから私は不幸になるんだ、
っていうかね、
なったんだ、みたいなことを思われたくない、
そしてあいつをつかされて、
出て行かれたら困るな、みたいなことを、
まあ要は評価者にしてるんですね、
だからその一番身近にいる人を、
僕らはやっぱり評価者にしがちなんで、
これをやってしまうと、
この打ち明ける相手になってくれないんですね、
評価者には弱みを見せられないというね、
法則が働くわけですよ、
で仕方ないんでね、
僕はこういう時誰にも打ち明けることができず、
そして自分の中には恐れや不安を抱く、
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偽りの自分しかいないのでね、
仕方なくギャンブルに逃げてたりしてたわけですね、
これだと絶望の淵に行き着いてしまうので、
八方塞がりのまま自分が癒されないのでね、
どうすればいいんだっていう、
まあそういう探求をしたわけですね、
そして私がたどり着いた結論は、
自分がその役割を担うしかないっていうことなんですね、
そしていろんなトライをしているうちに、
それは不可能じゃないなってことに気づいたんです、
だからもしね、
多くの人はこちらのパターンになってしまうと思うんだけど、
その打ち明けられる人がいなかった場合は、
自分でそれをやるっていうね、
でさっき言いましたけども、
その恐れや不安を抱いている偽りの自分には、
この役割は任せられないんですね、
なんとなく今私が言った誰かに打ち明けるっていうのを、
一人で紙に書いてね、
例えば自分の気持ちをブワーッと書き出して、
それで何か癒せるかもしれないって思う、
僕もそれを思ったこともあるんだけど、
ダメなんですよ、
なぜかっていうと、
それを読むのも偽りの自分だからなんですね、
この恐れの自分だからなんですよ、
自分じゃない人に聞いてもらえるんであれば、
僕は喋りながら、
そっかそっか、
こんなふうに世界を見てたんだなっていうふうに気付けるんだけど、
自分で書いて、
そしてその書いた文章を偽りの自分のまま読んでもね、
ぐるぐるぐるぐる回るだけで、
なんか余計に腹が立ったりね、
余計になんかこれはきついなっていうかね、
しかもそもそもその心象というのは、
頭の中にあった幻ですからね、
現実ではない自分が作り出してしまった、
もう一つの現実のようなもの、
これを紙に書いてしまうとですね、
なんか固着するんですよね、
僕の漢字だとね、固定してしまうっていうか、
だから余計なんていうか、
頭の中に入れとけばいいものを外に出して、
そして文章にしてしまうと、
余計に現実っぽくなってしまう、
それを読んで、
さらになんかその本当のあたかも、
実際に起こっていることを見たような感じがしてしまうので、
やっぱりこの一人でやるにしても、
紙に書いて自分で見るみたいな形は、
あんまり僕は上手くいかなかったんですね、
自分としてはね。
そこでもう一つの自分というのを、
これを認識できているとかね、
それを実感できているとかは別にして、
私の中に恐れや不安のない、
愛そのものである自分というのがいるっていう風に想定するわけですね。
これは僕はもう結構自信持っているんだけど、
いるんですよ。
絶対にいるって言ってもいいぐらい、
断言してもいいぐらいいるはずなんですね。
これも大阪でお話をしてきたんですけどもね、
必ずいるんですよ。
で、その自分がなんていうのかな、
頭の上の方にね、
ぽわーっと浮いてるみたいなそんなイメージを持って、
ここにさっきやった、
信頼できる人に打ち明けると、
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同じことをやるわけですね。
頭の上に、私の中に、
愛そのものであるもう一人の自分がいるんだっていうね、
この私の中にいる、
その愛そのものの自分が、
頭の上にぽかーんと浮いてるそんな感じね。
中というよりもね、
ちょっと自分の外側の頭の上の方、
ここに置いておく方が報告しやすいんですよね。
喋りやすい。
で、さっき言ったようなね、
罪悪感、怒り、恐れや不安みたいなものを感じたまま、
感じたままですよ。
そのまま、本来の自分というかね、
愛そのものの自分、形のない自分に、
恐れや不安のない自分に手渡す感じね。
この手渡すって感じが重要なんだね。
報告、喋るというよりは、
そのまま渡すっていうね、
一切加工せずにそのまま渡す。
今こんなことを感じてるんで、
こんなところに怒りを持ってる、
こんなところに罪悪感を持ってる、
そういうものを洗いざらい、
全部こう手渡していくんですね。
この時にとても重要なのが、
この愛である自分、愛そのものである自分は、
罪と罰の概念を持っていないっていう風に信頼してください。
これ実はですね、
さっき他の人に打ち上げる、
パートナーとか恋人とか親友に打ち上げるって話をしたんだけども、
この時、もしね、聞いてくれる相手が、
一切罪と罰の概念を持ってなかったらって想像してみてほしいんですよ。
そしたら、私が何を言っても、
それはくだらないとかね、
それはひどいとかね、
私がどんなに心の中のえぐい話をしても、
僕のことは軽蔑しないと思うんですよね。
なぜなかっていうと、
その人の中に罪と罰の概念がないから、
僕が何を言おうとそれは罪だよお前っていう風には言わないんですよね。
否定もしない。
そのままおそらく聞いて受け入れてくれるはずですね。
聞いて、どれだけ僕がものすごくえぐくて、
ある意味見にくくて、
人として最低なことを心の中で思っているんだよって言ったとしても、
そうかって黙って聞いてくれるはずなんですよ。
この罪と罰がないっていうのは本当にすごいんですよ。
これをこの愛そのものである自分は、
同じように罪と罰の概念を持っていないっていう風に想定してください。
実際そうなんですよね。
この形のない、体が傷つかない、傷つく体を持っていない、形のない、
そういう自分っていうのは罪と罰を使う必要がないんですね。
恐れや不安も必要ない。だから罪と罰も必要もない。
だから怒りも必要ないっていうそういう自分なんですよ。
これがいるんですね。
ここに一生懸命一生懸命打ち明けてください。
喋るというよりはさっき言った手渡すんですね。
そのまま手渡す。加工せずにね。一切ね。
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もしその方がやりやすいなと思ったら目をつぶってやるのもいいかもしれないですね。
私はいつも目を閉じますね。
なんか静かなとこに座ってずっと目を閉じて、
そして頭の上に愛そのものである自分っていうのをポンと置いて、
これはもう本当実感するとかしないとかそういう必要はないと思ってます。
なぜならばいるのは確かだから。
だからそこに向かって手渡そうとすれば多分受け取ってくれる。
目をつぶってですね。もうひたすらひたすら報告ですよ。
なんか言いつけるような感じで聞いて聞いてみたいな。
この時子供っぽくなって構いません。
おそらくだけど偽りの自分というのはいつでもいつでも困った時は子供っぽくなるはずなんですよね。
だからなんかね子供の頃に学校でひどいことがあってね。
家に帰って親に言いつけるような感じ。
そんな感じでもう好きかって言ってください。
で一通り語り終わったなって思ったら今度はちょっとパッと目を開けて
ここがねちょっとトリッキーなんだけども
その愛そのものである自分も自分ですからね。
今度はねそこでちょっと役割を変えてみるんですね。
今までは報告しているそのね恐れや不安の自分、偽りの自分として報告していました。
今度はそれを受け取った愛そのものである自分としてそれを一回咀嚼し直すんですね。
ほうほうこんな報告が来たなっていう風に。
でここもなんか本当に今私は愛そのものである自分に慣れているのかみたいなね。
こんな吟味はする必要はない。
もう本当になんていうのかなそのフリをしてはいじゃあ受け取りましたと。
偽りの自分から相当きついことを受け取りましたと。
そんな風に怒ってるんだと。
そんなところに罪悪感を持つような形に変えちゃったんだとかね。
そういうところが怖かったんだよね。
なるほどっていう感じでその愛そのものである自分に今度はなる。
パッと目を開けてそれになる。
でこの時にどんな感じでねその手渡されたもの報告をね受け取るかというと
なんかねものすごく大好きな恋人みたいな感じの人をね一人イメージするのね。
もうなんか心から本当に大好きでね。
もうこの人とずっと一緒にいたいみたいな人を一人イメージして
でもその人が自分の目の前でこうおならをすると。
そういうなんかこう癖を持ってるっていうね。
プッみたいな感じでね。
もうやめてくれよみたいな感じになるじゃないですか。
この感じ。
でこれはどういうことかというと
えっと私の人生にあなたがいてくれてありがとうってまず思ってるわけですよ。
もうその存在の価値っていうのはね非常にこう実感していて
この人がいてくれて本当にありがとうっていうこの感じ。
でもそれは直してねっていうね。
かっこ笑いなのかかっこハートなのかわからないけどね。
いてくれてありがとう。
でもそのおならはちょっとやめてみたいなこの感覚。
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これが僕は愛そのものである自分の世界の味方だと思ってるんですね。
これがこのままでいいそのままでいいっていうやつなんですよ。
なんかねこれ本当難しいんだけどね。
おなら嫌なんだったらそのままでいいじゃないじゃんみたいな感じで思われるんだけどそうじゃないんですよ。
そのおならをするあなたもいてくれてありがとうなんですよ。
全然いいんですよそのまま受け入れるよっていう感じだ。
でも私と一緒に暮らす上で目の前でプッてやるのはやめてっていうこのね。
OKそのままでいいと言いながらでもここは修正しようねって言えるこの感じ。
この感じを持ちながら先ほどの偽りの自分つまり自分自身が報告したことを全部こう受け取ってみるわけですね。
ここになんていうのかなその偽りの自分というかな恐れや不安の自分と愛そのものである自分の大きな違いがあるわけですね。
こちらの恐れの自分はですねえっといつも行動とか表現を厳しく評価するんですよ。
つまりおならをしたっていうことにものすごく見くじらを立てるわけね。
でも愛そのものである自分は存在だけにいつも価値を見出してるんですよ。
その存在が何をしようとそのままでいいこのままでいいなんですよ。
でも不都合があるなと思ったらそこは改めませんかっていうそのままでいいという思いを抱きながらその修正を提案できるっていうそういう存在なんですよね。
恐れや不安がないからそういうことができるんだよね。
この恐れの自分っていうのはいつも怖がってるからこのままじゃひどい目に遭うぞっていう未来を予測しちゃうんだよね。
だから行動表現を変えなきゃいけないと思ってる。
これが先ほどの現実を変えようとする自分なんですよね。
そうじゃなくてこの愛そのものである自分は存在だけに価値を置くんだなってこの感覚。
あなたがいてくれてありがとう。でもそのおならは直してね。
ハートみたいなこの感じで自分の報告を全部聞き直してみるわけね。
なるほどこんなことを思ってるのかこんなことを思ってるのかって言ってね。
これで随分と僕は自分が癒される感じがしますね。
例えばそのさっき言ったようにねこの報告の中には自分についての報告も多分あるはずです。
自分について罪悪感を抱いている部分であるとかまさに自分に怒っている部分で、
そして自分にもしかしたら恐れや不安を抱いていることもあるかもしれない。
例えば自分に明らかにいろんなことが不足しているっていう風に捉えた場合に
こんなままで生きていけないじゃないかとものすごい焦りますよね。
だけどもうこんな良い年になっていると今から何にも得られないかもしれないみたいな
この恐れや不安を抱いている自分この報告を受けてさっきのね
あなたがいてありがとう。でもそこは直そうね。
みたいなこの雰囲気この感覚これで受け取ってあげるんですよ。
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そうしたら行動表現ここを評価せずに存在だけに価値を置いて
そのままでいいよっていう風に自分にこの視線を向けることができる。
そしたらおそらく随分とさっきの焦燥感とは違う感覚が戻ってくるはずなんですよ。
これが僕は癒されてるなっていう感じ。
基本的にはそのままでいいよ。
まあでもそこ足んないんだったらコツコツやろうぜみたいなこんな感じなんでしょうね。
まさにその私は子供がいないからわからないんだけど
自分の子供から同じ相談をされた時にどんな風に返すかみたいな
こういうイマジネーションでもいいかもしれませんね。
お子さんのいる方だったらこれができるかもしれない。
おそらく否定はしないんですよ。お前ダメじゃん。もう人生終わったじゃん。
みたいなことは絶対言わないんですよね。
まあわかるわかると。でもお前がいてくれてありがとうって俺は思ってんだよと。
だから大丈夫だよみたいなこの感じ。
この視点を向けられる自分というのがね
愛そのものである自分がいるんですよ。
いるから子供ができたらその視点を向けることができるわけね。
これを自分に向けてあげるということ。
これでたぶん少なくともね。
さっきその世界を絶対に今すぐ変えなきゃいけないと思っていた
この焦って焦りまくっている恐れの自分というのとは
違う感覚をおそらく持っているはずなんです。
これを僕は癒されたという風に呼んでるんですよね。
まさにその愛そのものである自分が自分を癒すという。
一人二役やらなきゃいけないから大変なんだけども
もしねこの話を聞いてくれる人が今身近にいないんであれば
これはやっぱり自分でやるしかないんですよね。
そして多くの場合もしいたとしても
この話ができるタイミングっていうのはすぐには来ないんですよね。
親友を今すぐ来いとかっていつも呼び出すわけにはいかないんで。
連絡して今度会えないって言っても
下手したら10日後くらいになってしまう。
その10日間どうすんのよっていう時に
自分でこれをやれるようにするっていうこと。
そして僕らはこの能力を持ってるんですよね。
愛そのものである自分を出現させた瞬間に
自分で自分自身を癒すことができるっていうね。
この能力をぜひぜひ使ってみてください。
まとめるとね、順番ちょっと整理すると
まずは偽りの自分のまま。
頭の上に愛そのものである自分っていうのがいるという想定をして
実感なんか全くいらないんです。
そこにいるんだよなっていうこの感じだけでいい。
そこにあらいざらいぶちまける。
内容は先ほど言った通り。
できるだけプリミティブに自分が感じてる通りに言う。
そしてこの愛そのものの自分は罪と罰の概念がないので
何を言っても大丈夫。
何を言っても見損なったり軽蔑したりしないっていう信頼を持って
あらいざらい打ち上げる。
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そして一通り報告が終わったら手渡しだね。
手渡すことが終わったら愛そのものの自分になったフリをして
なったフリでいいです。
なんとなく今度は愛そのものである自分の役なんだなってことで
スッとスイッチして
そしてさっきの恋人の女のようにその報告を一つ一つこうね。
改めて聞き直すというか振り返ってみるわけですね。
咀嚼してみるという。
この時点でなんとなく少し楽になったなと思ったら
癒されているというそんな感じです。
そして2つのやり方ね。
誰かに話すもしくは自分でそれをやるこれをやった後
なんとなく世界の見え方が変わったなと思ったらですね。
少しだけ今いる状況から自分をねこう引く感じ
ちょっと状況から引いてもう一度現実を眺めてみるんですよ。
世界をね眺めてみるんですね。
周りをこう見渡してみる。
なんか今まではその苦しみの果宙の中にいた感じがする。
でも今の取り組み人に言ったり自分で報告したりすることによって
少し楽になったなと思ったその時に
ぷっと引いてもう一度世界を眺めてみる。
そして自分の周りにいる仲間も少し引いて眺めてみるんですね。
でこの時によくあるね例えば組織がブラックだとかね
上司がパワハラだとかある日はほとんどの人間は
なんか8割の人間は頭が悪くてバカでね
ソヤだとかみたいな通説がありますよね。
こういうことを一切信用せずに
つまり自分以外の誰かが言っているその判断解釈みたいなこと
数年常識みたいなことは一切信用しないで
自分の目だけそのまさに少し癒された自分の目で
もう一度現実がどうなっているかを確かめてみてほしいんですね。
少し引いて眺め直してみる。
少し引いて眺め直してみる。
もしかしたらその前にね自分の心の中にあった世界を悪く見せてしまう
その心が少し癒されたとしたら
世界が少し違って見えるかもしれないですよね。
このようにしてもう一度他の人と自分とそして環境
この3つの繋がりを取り戻せないかなという風に考えてみるわけですね。
これがなんか私がいつもやってるね
自分癒しというのかな
慰めるとはちょっと違うんですよね。
自分を慰めようとかね自分を鼓舞させようとかね
元気づけようとしてもうまくいかない。
そうではなくて全部聞いてあげる。
聞いてあげた上でそれをしっかりとね
そのものである自分で受け止めたらどうなるかっていうのを試してみる。
そして癒されたなと少し思ったらね
もう一度現実を見直してみる。
少し引いてね通説とか世の中で言っている言われていることとか
もしくは自分の周りの人がねあれはなんだよみたいなことを言ってる
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そういうものを一切信じない。
全部自分の目で確かめるっていうこの感じで
世界をもう一度見直してみる。
この時にそれほど悪くないなと思えたら
もうかなり癒されていると思って大丈夫です。
そしてここからはねおまけなんですけども
もしそれがね自分でできたとしますよね
うわぁ俺こんな人生うまくいってないと思ってね
世界変えなきゃいけないなと思ってたんだけど
なんかこうやってみると
実は変えなきゃいけないとか確かにあるんだけどね
それはもちろんあります。僕らは人間なんでね間違ったことはたくさんします。
だから修正ポイントっていうのはいつでもあるんですよ。
でもそれが思ったほど多くなかったなってことにまず気づきますよね。
大半のものはほっといていいんだなと
僕はもう99%変えなきゃなんともならないと思ってたんだけど
発砲下がりだからね100%変えなきゃいけないと思ってたんだけど
なんだこうやってみるとなんか3つぐらいしかないじゃん
場合によってはこの一点さえ変えれば
すべてがうまく回り出すんじゃないのみたいなことに気づけるわけですね
この自分で作り出していた問題に気づくっていうのが重要なんですよ
この癒しのね
だから自分で作り出していた問題を消してくれるパワーがあるってことですよね
そして本当に残る恋人のおならみたいなね
この人の問題はこのおならだけだみたいなことに気づけた時に
坊主憎けーら今朝まで憎いつって
いろんなものを憎んでいたものが
いやいや憎む必要もないと
もうおなら禁止ねーみたいなこの話で終わりみたいな
ここが見えてくるっていうね
これが現実ならなんとかなるっていうところのゴールというかね
この癒しのプロセスのゴールなんだと思うんですよね
これを自分自身でできたとしたら
これはものすごいことなんだと僕は思うのね
ものすごい能力を持ってる
僕らが持ってた能力に気づくってことですね
自分自身を癒す能力を持ってる
なぜこの能力を持ってるかってところが重要だと思っていてね
もし自分がそれができたら
さっき言った聞き役ができるんですよ
だって相手が話す言葉を
罪と罰の概念を持たずに
全て聞いてあげればいい
あなたがいてくれてありがとう
でもそのおならは直した方がいいよね
ぐらいの感じで相手の悩める人の話を聞けたとしたら
これは相手はかなり癒されるんじゃないかと思うのね
一切そこがダメだとか
そこは直しなさいとか言わずにね
ほう直そうなんだ
そりゃ怖いねみたいな感じで聞けたとしたら
つまり自分ができたとしたら
これを人にやってあげることができるってことなんですよ
おそらく僕はこのために
この自分を癒す能力
愛そのものの自分というのが
いるんじゃないかなって気がするんですね
そうすると面白いことに
今自分がやってる仕事とかね
もしくはその家族の世話とか
いろんなことを皆さんその日々の役割として
担っていると思うんですよね
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いろんなところに携わる場所は
みんな千差万別
違っていてもね
なんかこれって全て
このね癒しの能力っていうのかな
これに全部つながってないかなっていう感じがするんですよ
もしかしたらね
これ僕らのねその謎の一つですよね
私は何のためにこの世界に生まれてきたんだ
私の役割って何なんだみたいなね
この答えがね
僕はいつもいつもここにあるような感じがするんですよね
いろんな仕事サービス業だのね
営業だの販売だのね
そしてエンターテイメントになっている人もいる
あらゆる職業
あらゆる役割の何か行き着く先というのがね
この誰かを癒すというかね
もしくは自分を癒すというかね
ここにつながっているんじゃないかなって気がするんですよね
だからこの癒す能力というのが備わっている
そしてこれは多分全ての人に備わっている
だとしたらこれってすごいかもしれないなみたいなね
これはもう余談ですけどね
ここに何か大きな謎を解くヒントがあるような気が
私はしていたりもします
これは不思議なことにね
自分だけでもできるんだけども
この自分を癒すパワーみたいなものかな
パワーじゃないんだよね
これ多分慣れみたいなものなんですよね
この慣れ習慣みたいなものなんだけども
これを人の話を聞いて自分だけじゃなくてね
人の役に立てれば立てるほど
自分を癒すその技術も高まっていくって感じがしますね
だからこれも面白い
与えた瞬間に与えられるの一つなんだろうなと思います
だから結構これは時間を失うとかね
こいつのために何でこの話を聞く時間を費やしてやらなきゃいけないんだ
みたいなことを考えずに来たらですね
これチャンスやと思ってじっくりとね
さっきの恋人のおならじゃないけど
このままでいいそのままでいいと思いながら
話を聞いてあげてください
これはものすごいチャンスですよ
これをやればやるほど自分が困った時にね
この愛そのものである自分を出現させやすくなるし
自分の話をどのように自分が聞けばいいのかっていうことも
分かってくるはずです
だからこれから冬休みもしくはご家族と暮らす時間
一緒に過ごす時間が長くなると思いますんで
このあたりはちょっと腕の見せどころとか腕の磨きどころか
ぜひ時間を惜しまずにトライしてみてください
そんな感じですかね今日は
今年はもうね一切イベントが終わったんですけど
ワントレ2という私がワンオワンでね
まさにねこういうそうですよ
このお手伝いをするプログラムでもありますがね
そういう感じで私はお話を聞きますんでね
なんかあのキャンペーンをずっとやってたんですよ
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でこれの枠がねおかげさまでつい先日全部埋まりましてね
残席ゼロになったんですが
まだ私のスケジュールがね若干このぐらいかなと思ってたんですけど
あと数名いける感じがするので
追加でですねこの番組を聞いてくださった方限定ということで
今日お申し込みのページのURLを概要に貼っておきますので
そのお申し込み欄にですね
ミッドナイトラクザと一言入れてくだされば
今と同じ1万円オフでね
ワントレ12チケットこちらをね提供したいと思いますんで
キャンペーンは終わったんですが
ミッドナイトラクザのクーポンコードをここでね
ちょっと大ピラニアせずにここだけ
今日聞いてくださった方
この癒しの話を聞いてくださった方限定のキャンペーンとして
もう少し伸ばそうかと思ってます
どうかなちょっと何名ぐらいかな分かんないけど
3名とか4名とかそのぐらいはいけると思います
でも一挙に来たらですね全部お受けしますので
期限というよりは人数でね
あと3、4名ぐらいの方に
キャンペーン価格でワントレ12チケットを提供しますんで
よかったらね年末年始ちょっと考えてみてください
そんな感じで今日はですね
愛そのものである自分にね
洗いざらい報告しながら癒されて
そして一歩引いてこの世界をね
現実を改めて眺め直しながら
良い一日をお過ごしください
ありがとうございます