1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 109 何かが足りないと思ったら..

今日は、先週末のグッドバイブス春の合宿で生まれた新しいメソッドを紹介しています。ガーディアンの「不足している、もたないといけない、欲する、得る」という認識を、本来の自分の「最初から足りている、私はそうである、そう信頼している、与える」に変えれば、あらゆる問題が解決します。

GOOD VIBES 春の合宿
GOOD VIBES ミッドナイトラクザ by 倉様圭佐
こんばんは。ただいま4月17日月曜日の午前2時44分です。
この土日はですね、この番組でも、しつこく告知させていただいたね、
GOOD VIBES 春の合宿に行ってきました。土日ですね。
もうこれは、あのー、えー、なんていうのかな、私にとっては、この私服の時間、これでしかないんですね。
で、もう6回目なんですけども、毎回毎回この会議を重ねるごとにね、あのー、いい感じになっていきまして、
もうまさにこの6回目はね、なんか、えー、これまでも素晴らしかったんですけども、それ以上にね、
いい時間を私は過ごせたなーというそんな、まあ本当に幸せな一時を過ごした直後ということでね、
まさにご機嫌な感じなんですけどね。
えー、もともとこのイベントっつーが、合宿は、えっと、2019年に、
GOOD VIBES ご機嫌な仕事という、あのー、緑の本をね、えー、出した後に、
なんとなくそのー、GOOD VIBES の人たちがそれなりの人数集まってね、
それなりの長い時間過ごすとどうなるんだろうっていうのをこう、見てみたくなって、
えー、なんとかそれを実現したいなというか、ものすごい興味だけなんですけどね。
えー、それで、まあ始めたんですよ。
で、もう初回から、おー、やっぱいいねーという感じだったんですけどもね、
えー、そこから、まあ、そのー、私のなんつーかな、この活動も1年、2年、3年、4年という風にこう、
続いていってるし、えー、その、それなりに長い間ね、
お付き合いくださっている方もいらっしゃって、えー、それから、まあ、あのー、
実際の生活の中でね、これをかなり本気で取り組んでいただいている方も、
えー、増えてきていますので、だからやっぱり合宿も、その回を重ねるごとに、
そのー、なんつーかな、変な、変な言い方ですけど、
えー、実践者みたいなのが、こうね、えー、どんどん増えていきまして、
なんか今回なんかもうほんと、だいたいみなさん4,5回、このー、
合宿に参加されてるっていうね、こう、ベテランの方ばかりだったんで、
まあ、ほんとにもう、慣れたもんでね、あらゆる、あらゆることがもう慣れたもんで、
えー、それで、あのー、前々回ぐらいまでは、私はあのー、えー、さすがに長丁場ですんでね、
えーっと、まあ、だいたいゆるい感じで行くんですけども、
でもやっぱり、一泊二日ってことになると、何も考えていかないんじゃまずいんじゃないかと思って、
それなりにこう、プログラムとかね、えー、今回の合宿のテーマみたいなのを、
まあ、僕が決めて、で、ワークとかもこういうのやろうかなとかっていうのを、
それなりにこう、準備して、えー、望んでたんですけども、
なんとなく、そのー、前々回ぐらいから、やっぱりなんかでもこの合宿というのは、
えーっと、毎回この参加してくださる方が全然異なるんですね。
人数も異なるし、そのどんな方が、なんと、来てくださるかっていうのも、
まあ、常連の方もいらっしゃるんだけども、
だいたい、そうですね、半分以上はこの、ばらけてるっていうかね、
毎回違うメンバーが入れ替わるっていう感じなんで、
合宿での自己紹介と緊急報告、目的の共有
えーっと、ほんとにこう、バラエティに富んでるんですよ。
毎回のその合宿のメンバーっていうのがね、
えー、だとしたら、えーっと、その人たちがこの合宿を作るという風なね、
えー、そういう趣旨に変えた方がいいんじゃないかなと思って、
で、もう一切何も用意をせずに、その場で作っていくっていうやり方に変えたんですよね。
で、それからまたなんかさらにこの合宿は良くなった感じがしますね。
で、今回僕は、その準備ではなくてね、あるこう、仕掛けと言うか、仕掛けって言うのも変だな。
なんか自然にそうなるようにファシリテーションできたらいいなっていうそんなのがあって、
えー、三つね、あの自己紹介の時に項目をもう立てさせていただいて、
この三つを入れてくださいみたいなことをお題を出したんですよね。
で、それが一つは自己紹介。
どんなことやってて、こういうものですみたいな、いわゆる普通の自己紹介。
で、二つ目がですね、緊急報告というのを入れたんですよ。
で、まあこれも普通にどうだこうだっていう緊急でもいいんですけども、
まあなんとなくね、このGood Vibesに絡めてこういう取り組みしてるんですけど、
こういう感じでうまくいってるところもあればちょっと難しいところもあるみたいなね、緊急報告というのを入れてもらって、
で、三番目にこの合宿で何とかしたいことっていうのを入れたんですよね。
で、これを皆さんにお話しいただいて、
息子とのエピソード
で、僕としてはそれをね、一応ここらの片隅に置いといてですね、
なんとなくこういうテーマなのかもしれないなみたいなことを、
そうだな、あんまり考えずに組み立てながらね、これ微妙なんですけども、
ぼんやりと抽象的にって感じだね、抽象的に組み立てながら、
そして皆さんにね、じゃあどんな話ができましょうかっていうのを問いかけをして、
で、手を挙げていただいて、こういうことはどうでしょうみたいなね、
そういう提案から組み立てていったんですけどもね。
で、この緊急報告というのがね、緊急報告がとてもやっぱり興味深くてね、
いろんな面白い話があったんですけども、
私が今回ね、やっぱうおほってグッときたやつが一個あってね、
お父さんなんですよね、そして小学校5年生の息子さんがいらっしゃる、
一人息子なんですけども、この息子さんがサッカーとかね、
今塾に行って勉強とかもしてるんだけども、
そのどちらもね、サッカーがうまくいかなかったり、
その勉強でその問題が解けなかったりすると、すぐ泣いちゃうらしいんですよね。
たぶん悔しくて泣いちゃうんでしょうね、きっとね。
泣いてる間はね、このサッカーの練習も勉強も中断するわけですね。
以前はお父さんはそれを見るとちょっとイラッとしてたらしいんですよね。
まあ、なんていうのかな、わりと男気系の人なんでね、
子どもの罪悪感と取り組み方
泣くなよ、前に進め、みたいなそんな感じをそうは言わないにしても、
ちょっとやっぱりイラッとしてたらしいんだけども、
彼の課題というのもね、自分の中にある罪悪感を手放すという、
そういう課題だったので、やっぱり息子さんにもね、
できればその罪悪感を持たずにいてほしいという、
まあそういう願いがあって、まさにそのご自分の取り組みから、
だったらこの子にも罪悪感を持たせたくないなっていう、
そんなやり方を、教育方針をね、持って。
以前はイラッとしてたんだけども、今はですね、
イラッとすることなく泣いていいよと、大丈夫だよと、
そうだよね、できなかったんだから、でもその自分を責めてはいけないって言って、
で、彼はそれをやってるのは、もう5年生くらいになると、
この番組で言うガーディアンというかね、僕らに心象を持たせて、
恐れや不安とかね、怒り、罪悪感を抱かせる、
そのガーディアンはもう立派に出来上がってますから、
でもそういう風な、僕が話してるようなやり方で、
ガーディアンと本来の自分
5年生の子に話してもね、よくずっと理解されないでしょうから、
でもそのお父さんはわかってるわけですね、
この泣いてる子は今ね、このガーディアンの囁きにやられてるんだと、
だからそこでイラッとせずにね、泣いていいんだよと、
でも自分を責めちゃダメだって言いながら、
おそらくね、今いろんな考えが渦巻いてるから、
こいつを沈めようよってね、一緒に10分間目閉じて、
瞑想しようぜってやるらしいんですよね、
まあ瞑想しようぜとは言わないらしいんだけど、
この考えをね、綺麗にしようよって、
そうすると素直にね、それを一緒にやるらしいんですよね、
えーそんなのやりたくないよとか言われそうだよなとか僕は思うんだけども、
ほーいとか言って一緒に目をつぶるらしいんですよね、
彼も10分間目をつぶる取り組みが日々やっていて、
同じように息子さんと二人で静かに10分過ごすわけですよ、
そうすると驚くごとにバッチリ復活して、
またやるんですよ、サッカーとか勉強をと、
もう泣き止んでね、またトライ始めるんですよ、
そうするとどんどん上手くなっていくんですよね、
それを見ていて、やっぱりこの罪悪感がない僕らってのはね、
最強なんだなっていうことを今実感してますっていうね、
もうこのね、お話を聞いた時はすげーなと思いましたけどね、
いやーこれを親子でやるっていいなーっていうかね、
で僕はすぐね、ある質問をしたんですよね、
そういう時ってずっと待ってられませんかって聞いたんですよね、
もうなんか無限の忍耐を持って、
その子がね、泣き止んでもう一回トライするっていう、
その間待つことができてません?って聞いたんですよね、
いやその通りで、もう忍耐とかっていう概念はないと、
時間が止まるんですよねって言ってましたね、
昔はそこでもう早く元に戻さなきゃいけないみたいな感じで、
焦ったりしてたんで、それで多分イライラしてたんだと思うんだけど、
今は静かに目をつぶってさ、余計なこと考えないようにしようよって言って、
その子が次に練習とか勉強とかを始めるのを待つ間、
ここに全くその忍耐とか我慢とかそういう概念がなくなったっていうんですよね、
しかもそこからはもう時間という概念さえも消えて、
どこまでも付き合えるなっていうそんな感じがするんですよっていう風にね、
お答えいただいて、
僕は多分それが私の言う愛そのものであり、
僕らがこの最強なんだっていうそういうことなんだと思いますよっていう風にね、
お話をしたんですけどもね、
なんかいい近況報告でしたね、
そんな感じでこの合宿がスタートしまして、
そしてまあいろんな方のお話を聞きながらこうだんだんだんだん話がね、
一つの方向にこう絞り込んでいかれてね、
だいたいやっぱりこの最近僕がお話ししているその2人の自分、
このガーディアンと本来の自分っていうのと、
その本来の自分とはどんなものなのか、
合宿のまとめと作品
まさにこの宇宙の死んだ場所と一つでありね、
価値マックス、そして愛そのものであるこの自分っていう、
このやっぱりこのテーマにやっぱりだんだん集約されていき、
夜そうですね、夕食前にその辺のお話をして、
夕食食べて温泉入った後にもう一回夜の部っていうのがね、
2時間ぐらいあるんですけども、
そこでもう一つ深いところに行き、
どうすればその本来の自分を自覚できるんだみたいなところの話に入っていってね、
でまあ懇親会やって12時ぐらいまでかな、
でその後僕の部屋で延長戦1時半ぐらいまでやって、
で翌朝を迎えたんですよね、
朝の朝食の後にまた1時間だけ最後のまとめのお話というか、
ディスカッションの場というのがあって、
そこでいい形でこの話が結実していったというかね、
いいところに落ちていったんですよ、
僕は今までその中の話は部分としてはいくつもしたんですけども、
そのようにまとまったことは初めてだなっていうね、
そんな経験をしまして、
まさにその私も今までお話をしたことがない、
そして書いたことも多分ない、
そういうものをこの参加いただいた皆さんと一緒に作れたなという、
まさに今回2023年春の合宿という作品がね、
1個出来上がって、
でこれがもう僕はスケッチブック、
大きなスケッチブックをホワイトボード代わりに合宿では持っていくんですけども、
その1枚にまとめることができたんですよね、
本当にこの図で十分じゃん、
みたいな1枚の図が出来上がりまして、
これを今日お話ししたいなと思います、
せっかくなんでね、
ちょっとその2日間でやってきた話をね、
この数十分でお伝えできるかどうかちょっと微妙なんですけどもね、
本来の自分とガーディアン
一応この合宿に参加したいとおっしゃっていただいたんだけども、
スケジュールが合わなかったりね、
やっぱり途中で風邪をひかれたりね、
やんごとない理由で参加できなかった方もいらっしゃいますんで、
そういう皆さんのためにもね、
今回の合宿がどこに結末、
どういう結末を迎えたかっていうか、
どこに決着したかっていう、
そこを今日お話しできたらいいなと思います、
でさっきお話ししたね、
この1枚にまとめたこの表というのが、
できてみて見渡してみるとね、
もうこれ様々な問題の解決に使えるだけじゃなくて、
この未来に何か実現したい、
まさに夢ですね、
この夢を叶いたい、
こういうことをやってみたいっていうね、
そういう時に今何をすればいいか、
みたいなことも明らかになるんじゃないかっていう、
ある種この万能な一つのメソッドっていうのがね、
出来上がったんですけども、
とにかく前提としてはまずですね、
もう繰り返しになりますけど、
僕らの中にはこの2人の自分がいるって、
これを確認しておくわけですね、
一つは自分自身がこの形のない存在だと知っている本来の自分、
でこの形のないというね、
表現が僕はまだまだ曖昧だなと思ってるんですけども、
これは要は何ていうのかな、
私たちが形のないものだとしたらなんだっていうのはね、
もう昔からそこにつく名称っていうのはあったはずなんですよ、
この辺りを思い浮かべながら、
僕でいうところの今一番なんていうのかな、
差し障りがないっていうのはどういうことかって言ったら、
手垢にまみれてないっていう意味なんですよね、
変な先入観がない言葉としては思いみたいなところで、
今一番これが近いかなと思ってるんですけどもね、
でも実際にはこの思いは形のない自分の一部なんですよね、
形のない自分の表現みたいな感じかな、
だから思いと言ってもいいのかなという感じで、
とにかく形がないんですよ、
僕らの本来の自分というのはね、
そちらだと思っている、これが一つ。
もう一つは、そうではなくて、
傷ついたり損なわれたりするこの体ね、
この体だと信じている自分は、
これはガーディアンと呼んでますね、
恐れや不安の自分と以前は呼んでたんだけども、
この恐れや不安の自分は要は自分を、
この儚い体を守ろうとしていろんなことをやってくる。
だから守り主という意味でガーディアンと名前を付けてるんですけどもね、
本来の自分とガーディアンがいると。
この二人がいて、どちらの自分が今表に出て、
自分の主導権を握っているのかっていう、
これを見分けるっていうのがまず基本になるんですけどもね、
ここは変わらない。
今回はそれぞれがどんな成り立ちで出来上がり、
どんな特性を持っているかということを整理してみたんですね。
本来の自分というのは、
これはこの番組でも何度かお話ししたように、
広がる想像と全てを手にしている存在
原初の点、このビッグバンを引き起こした原初の点がね、
自分自身を広げていく、広がる想像という作り方によって、
僕らは出来た。
つまりだからこの宇宙の死んだ場所と一つなんですね。
そしてその宇宙の死んだ場所と完全に同じ価値を持つ存在。
このようにして作られたっていうのが本来の自分の成り立ちなんですよ。
これは全然、僕にとっては嘘でも何でも空想でもなくて、
その通りだろうなと思うわけですね。
この宇宙の想像の一部というかね、
そのプロセスの中で僕らは生まれてますから、
そして宇宙から生まれてますから、
まさにこの宇宙の死んだ場所と一つにして、
同じ価値を持つという風に言ってもおかしくないはずなんですね。
これが成り立ちなんですよ。
このような成り立ちによって出来た僕らっていうのは、
どんな特性を持っているか。
これはその広がる想像というとこが重要でね、
この広がる想像というのは最初の点が自分を広げながら作っているんですね。
これはどういうことをしているかといったら、
自分が持っている全てを与えながら次を作っているわけですよ。
例えば広がる想像が自分の持っている全てを与えて空間というものを作り、
その空間が全てを与えて星々みたいなことを作っていくっていう。
だからこれは与えるプロセスなんですね。
自分そのものを与えながら次のものを作っていくっていうプロセスなんですよ。
そうするとその結果生まれた僕らは、
その前に与えられたものを全て手にしているってことになるわけですね。
僕らは宇宙の中にいて、そして僕らが観測できるものもこの宇宙の中にあるものだとすればね、
宇宙は全てなんですね。
その外にあるものは僕らにとっては存在しないものなので、
宇宙というのは全てになるわけです。
全てが自らを広げて全てを与えながら作られた僕らは、
全てを手にしているってことなんですね。
ここがこの広がる想像の面白いところ。
だから一つになっていくんですね、作られたものがね。
作った主体と作られたものが一つになっていくっていう、
それが広がる想像なんですけども、
この結果僕らが生まれているということは、
僕らは実は生まれた時からこの全てを手にしている。
つまり見きたりているってことですね。
これが一つ目。
そして全てを手にしているんだとしたら、
僕らは何かを持つ必要がないんですよ。
何かを持たなければいけないってことは、
全てを持っていないってことですからね。
全てを手にしている僕らは何かを持つ必要がない。
ただ、そうであるってことを知っているっていうね、
ここが重要なんですね。
本来の自分とガーディアンの特性の対比
ここはちょっと今この持つ必要がない、
ただそうであるって言われても何のことかわからないんで、
後で具体的にこの当てはめればね、
ああそういうことかってわかるんですけども、
まあそういうことにしておいてください。
2番目、僕らは何かを持つ必要がない。
ただそうであればいいっていうね、
そうであるってことを知っているってことですね。
3番目はこの生まれながらに全てを手にしていて、
手にしているからそうであるっていうね、
これが永遠に変わらないっていうふうに信頼しているってこと。
4番目、僕らはそういうわけで全てを手にしていますから、
そしてそうである存在なので、
そのそうであるもの、手にしているものを与えることで
自分自身を増大させていく。
これまさにこの広がる想像の一因なんですね。
だから僕らもこの延長線上にいるっていうことは、
僕らも全てを与えることによって自分自身を増大させていく、
増やして大きくしていくってことですね。
これが本来の自分の成り立ちとその特性ということになります。
これに対して一方のガーディアンですね。
これはどのように生まれたかっていうと、
僕らが本来の自分を見失ったときに
世界から切り離された小さくて弱い私という
心象が生まれたってことですね。
こちらは心象なんですよ。
だから本来の自分というのが現実であって、
このガーディアンは僕らが本来の自分を見失ったときに
その代わりに作り出した、心で作った像ですね。
私というのはこういうもんだろうというイメージですね。
それが世界から切り離された。
世界から切り離されたから弱くて小さな私になったってことですね。
そうするとこれが体なんですけども、
これを守らなければいけないっていうニーズが生まれてくる。
ここからガーディアンの特性が自然に出来上がってくるわけですね。
さっきの本来の自分と比べると色々違ってきて面白い。
まずこの世界と僕らは繋がっていない。
つまりこの小さな体、か弱い体で生きてますから
常に何かが不足しているんですよ。
その不足をできる限り早くね、
この足りないものを埋めなければいけないぞという風に思っている。
これが一番目です。
二番目は不足があるということは何かを持つことによって
それを埋めなきゃいけないという風に信じているわけですね。
これが二番目。
三番目は僕の不足を埋めるための何かを持つ。
それができるようにいつも何かを欲しているんですね。
何かが欲しい、何かが欲しいと思っているわけです。
それはなぜか不足している。
不足しているものを埋める何かを持たなきゃいけない。
それが欲しいといつも思っている。
これが三番目。
四番目はその不足している私は
何かを得ることで成長したり完成したり
幸せになったりすると信じているという
この四つの特性が出来上がってくるわけですね。
これを僕は表にまとめてみたんですよ。
そうすると今こうやって順番にお話しすると
なかなかこの対比がわかりにくいんで
この表を見れば一発なんですけどもね
左にガーディアン、右に本来の自分という二つを書いておきます。
そこにこの四つの特性を並べていくんですね。
そうすると一番目、ガーディアンは不足しているんです。いつもね。
そして本来の自分は全てを手にしているので満ち足りているんですね。
これが一番目ですね。不足か満ち足りているか。
不足か足りているかですね。
本来の自分は足りていてガーディアンは不足している。
ちなみにこのなぜガーディアンは不足しているという風に認識しているかというと
不足があるという風に思っておく方が安全だとね。
そういう風に考えているからなんですね。
よくその危機感を持って最悪の事態を想定するみたいなことは言われますよね。
これはガーディアンのまさに発想なんだけども
危機感を持って最悪の事態に備えるということは
何か良くないことが起こる可能性があるということですよね。
これは不足なんですよ。やっぱり不足。
この反対に満ち足りているという状態だと
この危機感も最悪の事態も想定できないわけですね。
足りていますからね。
だから足りていることが危険だと思っているわけです。ガーディアンはね。
それはぬるいよと。それは油断だ。平和ボケみたいな発想なんですよ。
そうではなくて足りてないんだから
いろんな危機が来るに決まってるよね。それに備えようぜ。
だからこちらの認識の方がよっぽど安全なんだというのが
まさにこの不足が安全というガーディアンの認識なんですね。
ここが一番大きく異なっているということ。
2番目、そこからこの4つが導き出されていくんだけども
自分に不足を感じているガーディアンは
基本的にガーディアンの人生というのは不足を埋めるということが
第一の目的になっていくわけね。
不足を埋めなければ生き残っていけないという考え方なので
そうするとこの不足しているものを持てるようにしたいと思うわけね。
だから常に自分は何を持っているんだということを考えているわけ。
それを持っているということが重要なんですよ。
一方の本来の自分はそれを全て手にして生まれてきているので
ガーディアンが持っているものは
本来の自分はそれをすでに持っていることを知っているので
そうであるというふうに認識するわけね。
ここまだちょっとわかりにくいかもしれないんですがちょっと置いておきましょう。
ガーディアンは不足しているので
その不足しているものを持っている状態にしたいと考えるから
何かを持っているということが大事なんですよ。
自己満足への導き
本来の自分は満ち足りているので何も持つ必要がない。
すでにそうであるからというこんな感じね。
これが第2段階ですね。
第3段階。
つまりガーディアンは不足しているだから何かを持つことが大事だ。
つまりその持つものを欲するということですね。
不足しているだから何かを持つことが大切なので
それが持てるように何かを欲する、何かが欲しいと思うというね。
この3番目に導かれていくわけね。
本来の自分はさっき言ったように満ち足りているだから
そうであるという認識。
私はそうである。
私は満ち足りていてそうであるということを
3番目は信頼しているということになるわけですね。
この状態は変わらないというふうにいつも信頼しているということです。
これで3つの対比ができましたね。
不足しているか満ち足りているか。
そして何かを持っていると認識するか。
そうであると認識するか。
そしてもう一つはそれを欲するか。
与えることの力
それともいやいやそれはもうそうであるという信頼を持っているかというね。
こういう対比なんですよ。
不足、足りている、持っている、そうである。
欲するか信頼するかというね。
こういう対比ができるわけですね。
そして最後の4番目。
だからこの満ち足りていてそうであると信頼している自分は
その満ちているそうであるものを与えるということができるわけですね。
これは与えてもなくならないもので
そうであるものはそうであることが変わらないんですから
いくら与えても変わらないんです。
なくなることもないんですね。
失うこともない。
そうであるそのまんまなんですよ。
与えることによってこちらの自分は
どんどんその与えたものを増やしていけるんですね。
一方のガーディアンは不足しているそして持っていなければいけない
修正と具体化
だからそれを欲する、つまり得ることによって自分を完成させよう
自分を幸せにしようとするのね。
この与える、得るという対比が出てくるわけですね。
これ図があれば簡単なんだけどね。
ポッドキャストなんでなんとなく頭に思い浮かべてください。
自分は満ち足りている、そうである、信頼する、与えるという風になっていくわけ。
ガーディアンは不足から始まりますから
不足している、それを持っている、欲する、得るという風に進んでいくわけね。
この4つ。
これ今なんとなくこの概念として話してるんで分かりにくいんだけども
要はこのGood Vibesの取り組みはさっき言ったように
自分の身を守ろうとして僕らに恐れや不安を抱かせようとするね
このガーディアンの誘惑に騙されないで
まさに最強にして万能な本来の自分を思い出すという
そういう試みなんですね。
だからもし悩みや不安に襲われたときは
本来の自分は平安であるはずだよなと
だとしたらこのザワザワする心を抱いてるってことは
僕はもう間違いなくね
これは本来の自分ではなくて
このガーディアンの囁きを聞いてるに違いない
っていう風にまず気づくわけですね。
そしてそれを気づいた上で
この様々な認識を修正していけばいいわけです。
この認識を修正していくどのようにという答えが
さっき言った4項目なんですよ。
満ち足りている、そうである、信頼する、与えるなのか
それとも不足している、それを持っていなきゃいけない、欲する、得るなのか
このどちらに自分が今いるのかということに気づいて
反対側に修正していけばいいってことですね。
そのガーディアン側から本来の自分側に修正するということです。
特に今回重要なのは2の部分なんですね。
それを持っているという風に認識しているのか
そうであるという風に認識しているかなんですよ。
ここでようやくもうちょっと具体的に説明しますね。
この2つの違いをね。
例えば僕が何かを発揮したいと思ったとしますね。
何かを発揮したいと思うんですよ。
本来の自分は僕がもしね、それを発揮したいと思うとしたら
私はそれ自体であるという風に認識して
即座にそのそれ、発揮したいそれを与え始めることができるんですよ。
これも漠然としてますよね。
ここにある具体的な言葉を当てはめてみましょう。
例えば優しさだとします。
発揮したいものが優しさだとしますよね。
僕が優しさを発揮したいと思うとしたら
この思うとしたらというとこは大事なんだけれども
発揮できるから思うんですね。
それを発揮したい、僕が優しさを発揮したいと思うとしたら
私は優しさそのものであるという風に認識するのね。
私は優しさである。
持っているじゃないんですよ。
私が優しさを発揮したいんだったら、つまり私というのは優しさであると認識して、
つまり優しさであるわけですから、もうその場でそれを与えることができるということですね。
ガーディアンはその反対なんですね。それを持つというふうに認識するので、
もしそれをある何かを発揮しようとしたら、それを発揮するには、これからそれを持たなければならないというふうに考えるわけです。
そしてそれなりの時間をかけて、それを得る試みというのを始めるんですね。
これがその、そうであると認識するか、それを持っていると認識するかの大きな違いなんですよ。
これをね、さっき優しさで当てはめましたけども、ここにね、愛とか美意識とか才能とか平安みたいなことを当てはめると、
だんだん、そういうことかっていうのがね、わかってきますね。
例えば、私が愛を発揮したいと思ったとします。
本来の自分とガーディアンの対比
本来の自分は、私が愛を発揮したいと思うんであれば、私は愛そのものであると認識して、その場で愛を与えることができるわけ。
ガーディアンは、私が愛を発揮するんであれば、愛を持たなければならないなって考えるわけですよ。
そして愛する努力をするってこと。
僕が例えばデザイナーだとしますね。
デザイナーである僕は、本来の自分は、私はデザイナーとして美しいものを表現したい、つまり美意識ですね。
そうすると、その瞬間に私は美意識そのものであるというふうに認識して、その場ですぐにその美意識を与え始めるわけですね。
まずは作品に与えるでしょう。そしてその作った作品を見る人に与えるということができるわけね。
ガーディアンは、デザイナーである私は美意識を持たなければならないって考えて、どうすれば美意識が持てるだろうっていう探求を始め、
本を読んだり美術館に行ったりね、いろんな講義とか講座とか受けて、美意識というものを得てから、そしてそれが与えられるんだっていうふうに考えるわけ。
才能も同じですね。ある才能を発揮したい。
本来の自分は、その才能そのものであると認識して、すぐにその才能を与え始める。
でもガーディアンの方は、その才能を発揮するためには、その才能を得なければならない、持たなければならないって考えて、それを得る努力をする。
この才能とかの場合は、その才能はもう持てないなって言って諦めることもありますね。面白いんですよ。
持つというふうに認識すると、これは無理だなっていう答えが出ることもあるってことですね。
僕にはその才能は持つことができないっていうね、ガーディアンの方はその結論が出る可能性がある。
こういう図式を描いておいて、ここに悩みとか不安みたいなのを当てはめてみるんですね。
例えば、僕が転職活動をしているとしますよね。
ガーディアンは、もし僕がね、今ガーディアンの自分だとすると、ここで自分には今、定職、職業が足りないって考えるわけですね。
そしてその職業を持つために、それを欲しい、欲しいなっていうふうに思い、それを得ようとするわけ。
でもこれどうなるかというと、これ自分には職が足りないと思って何かをするわけですからね、それを持つ、欲しいな、そして得なければと思うんで、
このプロセスの間ずっとね、もし仕事が決まらなかったらどうしようという想像を重ねてしまうんですね。
そしてここに焦りとかね、恐れや不安を抱きながらパフォーマンスを落としている。これがまさに悩みの状態なんですね。
転職活動についての不安があるというのは、まさにこのガーディアン側の僕には職が足りない、それを持たなきゃいけない、それを欲して、そして得なきゃいけないっていうふうに考えている。
この認識がまさに恐れや不安を抱かせるってことですね。
これさっきの本来の自分だとどうなるか当てはめてみるわけですね。
そうするとこちらはそれを発揮したいと思ったってことは、それ自体であるというのが本来の自分の認識なので、もし僕が転職をしたいと思ったんだったら、私はすでにそうであるっていうことを知ってるんですね。
そうであるというのは、私は転職をして何か良い職業に就いているのであるというふうに認識しているってことね。
これ現実としてその職業に就いているということではなくてね、というのはこの世界ではそのそうであるという認識だけでは何も起こらないんですね。
やっぱりこの物質の世界なので、そこからその思いを実現するため、現実にするためにいろんな行動を起こさなければならないんですよ。
思うだけでね、バンとかのその現実が現れるわけじゃない。
しかもそんなふうにできてたら困りますよね。
僕が例えばなんか象を乗りたいなと思ったら、この飲み会の席にバオーとか言って象がドーンと出てくるってそんな危なっかしいことはやっぱり仕組みとしてね、あってはならないじゃないですか。
何でも出てきちゃうみたいな。
だからそうではなくて、この思いの後に何かの行動をして、ある程度の時間差を設けて、それが現実になるようにできているわけですね、この世界。
だからそうであるという認識は、その時間とプロセスを経れば確実にそのような現実は現れるというふうに確信しているってことでもあるわけね。
だからこちらの自分は、もうさっき言いましたけど、転職をしたいと思ったんだら、それは私はすでにそうであると知っている。
そしてこちらの自分は、そのプロセスを一歩ずつ辿っていくのに必要なものは全て手にしているっていうふうに確信しているんですよ。
これがさっき言った満ち足りているっていう状態ですね。
そうであるということは、私はこのプロセスを一歩ずつ辿るのに必要なものは全部手にしているというこの確信からくるわけで。
さらに言うと、その職業というのは人が作ったものなので、ここには生まれながらに手にしているその満ち足りているものだけではできないことがあるわけですね。
転職における満ち足りた状態への認識
これが知識とかスキルなんですよ。
この自分は本来の自分は全てを手にしているので、それを身につけるためのスキルや知識を身につけるための土台も全て揃っているというふうに確信しているわけですね。
だからこちらのその満ち足りているという認識の本来の自分にとっては、この人が作ったもの、この世界におけるこの訓練とか習得とかね、もしくはいわゆる手続き的なやるべきこと、この辺はどれも不足を補う行為として見てるんじゃないんですよ。
そうである自分、これが重要なんですね。
すでにそうなっている自分、これ時間差を言ってるだけでね、いつかそうなるってことを確信しているということはそうである自分なんですよ。
そうである自分がその職業につき何かを与えるという現実が起こるまでね、この人が作った世界の手続きを通過しているだけなんだなっていうふうに認識しているってことですね。
この本来の自分のね、この認識でこの転職というものをもう一度見直してみるってことですね。
繰り返しますけど、ガーディアンは自分には職がない、足りないと考え、それを持つために欲し、栄養とする。
本来の自分は、もし私が転職したいと思ったんだったら、私はすでにそうであるっていうことを知ってる。
だからそのプロセスすべてそれをたどるのに必要なものは手にしているし、もしね、知識やスキルが必要ならばそれを身につけるための土台もすべて揃っているという確信を持ってるわけです。
だからこの自分は不足を補うために何かをしてるんではないんですね。
ある確信の中でただ単に人が作った世界の手続きを現実にするための手続きを通過しているだけ、この認識を持つだけで僕らは随分とこの恐れや不安から逃れることができるってことですね。
だからなんだかのその悩みとかね、不安を抱いていたら最初にこれを使うんですよ。
僕は今自分に何かが不足していて、それを得なければならないと思っていないかっていうことを確認するんですね。
それが何かっていうのがわかりますよね。すぐにね。今でいうとこの職業、転職、次の仕事なんだけども、それが何かがわかったらね、それを欲するのではなくて、すでにそうあると信頼するっていうふうに心を修正していくってことですね。
簡単に言うともうそうなることは決まってるんだよねと。あとはその手続きを淡々とやっていけばいいだけだよねっていうふうに認識するってことですね。
まあこれはガーディアンの自分には絶対無理なので、これには大きな反論、もういくらでもできますよ。こんなわけねえじゃん。もしうまくいかなかったらどうなるんだよ。それを考えるのがまさにガーディアンだってことですね。
ここで手口が全然違うので、これに対する反論を聞くということがもう僕らが本来の自分からこのガーディアンに移っているっていうこと。
そしてどう考えても、私はそうであると確信して、信頼して、そのプロセスを一歩ずつたどれるんだよなっていう確信もある。
何か必要なスキル、知識があるんだったら、その土台も全て揃っていると確信することで何も失うことはないはずなんですよ。
この方が僕らは最大のポテンシャルを発揮できるはずですね。夢を実現することもきっとこちらの方が確率が高くなるでしょう。
問題もこのように捉えれば解決できるでしょう。僕は今自分に何かが不足して、それを得なければいけないと思っていないかっていう問いなんですよ。
そうじゃないと、それを欲する必要はなかったんだなと。すでにそうであると信頼すれば、その道を安心して最大のポテンシャルを発揮しながらたどれるんだよねっていう風に大きく認識を変えていくわけですね。
これは全然夢物語とかではなくて、僕は現実にものすごく即しているなという風に考えています。
もう一つここでね、さっきそれを発揮したいと思うとしたら私はそれ自体であるというね、ここはとても重要な部分で、何でもできるということを言ってるんじゃないんですね。
できると思えば何でもできるみたいな単純な話をしてるんじゃなくて、これを発揮したい、これをやりたいと思うこと自体がもうすでに個性と役割に紐づいているってことなんですよ。
だから絶対にできないことはこれを発揮したいとかやりたいと思わないんですね、僕らはね。
例えば僕が今60歳ですと、大谷翔平の試合を見ていて、よっしゃ俺も今から大リーグに挑もう、絶対に思わないんですよ。
てか僕はかつてこの60年間で一度も、例えばダンサーになりたいとか野球選手になりたいとか、思ったことがないんですね。
っていうことは、これは僕が発揮しようと思わないことなので、それ自体でなくていいんですよ。
だから最初に僕らの個性と役割っていうのがあって、次にそれに気がつくために好きとか気になるといったフィーリングがやってくるんですね。
で、そのように思ったものなら、多分それを実現するために必要なものは全て手にしているということです。
それ自体であるということです。ここが重要なんですね。だから思えば何でもできるとかそういう単純な話ではないんですよ。
僕がそれを発揮したい、やりたいと思うかどうかが重要なんですね。そしてそれを思った、もし思ったとしたら、私はもうすでにそれ自体であるというふうに確信していいということです。
だから転職したいと思ったわけだから、思ったわけだから私はすでにそうであるんですよ。
すでにそうである存在としてそのプロセスを淡々とたどっていけばいいということです。
やりたいことの見極め
多分ここはね単に実際だけなんですよ。そうであるという確信があるということは、後で少し現実が遅れてやってくる。
その現実が遅れてやってくるその時間を必要なことを一個ずつ行動として表現しながら、この現実の世界に表しながら動いていけば確実にそれは現実のものになるというそういうことですね。
で、あの合宿の中で出た一つの悩みとして、やりたいことが多すぎてどれから手をつけていいかわからないと。
もしわかったとしても全てをやっていたらもう体力がなくてものすごく疲れてしまうっていうね、こういう悩み相談があった。
ここにさっきと同じ質問をぶつけてみるわけですね。私は今自分に不足を見てそれを埋める何かを得ようとしていないかって問うわけです。
そうするとやりたいことが多すぎての中にこの不足を埋めるための何かね、アクションコードを入れていなかったかっていうことがね、思い当たりますわね。
それをそうすると全部一回除外してみるんですよ。やりたいこととこの自分に不足を見てそれを埋める努力というのは全然違うのでね。
やりたいことというのは本来の自分が発揮したいこと。まさに個性と役割に紐づいたやりたいことであり、それはいつか与えることなんですよ。
でもこの中に不足を見て埋める何かを得るというね、この与えるとは真逆のものを盛り込んでしまうと、
まさにどれから手をつけていいかというよりも、どれがやりたいことなのかもわからなくなってくるわけ。
だからこの不足を見て埋めようとしているというものは除外してみるんですよ、一回。
あ、これ不足と思ってやってるな、これも不足と思ってやろうとしているみたいなことをね。
行動の方針決定
そうするとずいぶんとそのノイズが取り除かれていく。その上でもう一回本当にやりたいことは何っていうふうに自問するんです。
このさっき言ったね、不足を埋めるために何かを得なければいけないというここのノイズを除去して、もう一度本当にやりたいことは何って自問すると。
そこでおそらく僕らは、それを実現する自分をこの世界に発揮したい、表現したいっていう思いがあることに気づくんですね。
このやりたいこと、これを実現する自分を早くこの世界に発揮したい、表現したいっていうこの思いが現れてくる。
ここでもう一度、そのために必要なものは本来の自分としての僕は全て手にしてるんだよね、その発揮したいものそのものであるんだよねっていうことを確認するんですね。
そこが確信できたらどうなるか。もうすぐに何かを始めたくなるんですよ。なぜならばその準備が整っているからですよ。
満ち足りてるからなんですね。何かを準備して持った後にこれができるとかではなくて、僕はもうこのために必要なものは全て手にしてるわけだから何かを始めたくなるんですよ。
この時にやりたいことが多すぎてどこから手をつけていいかもわからないっていう思いとは全然違う。
そうかそうか早くこの自分を世界に出したいんだよな、だからそのために必要なものは全て手にしてるんだよな、そのものなんだよな。
じゃあ早くやろうよって気になりますよね。そしたらそれをまずやればいいんですよ。
そうすればどこから手をつけていいかわからないなと考える必要もなくなるんですね。
しかもこの不足してそれを早く持たなきゃならないと、それを欲して得なければいけないと思ってやるこのプロセスはものすごく疲れるんですね。
なぜならばさっき言ったようにそれが得られない恐れや不安というのを抱えながらやるからですね。
だからこれをやると体力がないとか疲れやすいとかっていうふうに感じるわけ。
もちろん体質もゼロとは言いません。でもなんか疲れるな、なんか体力がないなって感じたら、特にこういう試みの中でね、
まずはこのさっきのね、何か不足を埋めるために何かをしようとしていないかっていうルートをね、ここをたどっていたいかっていうのを確認することが大切ですね。
だからこういう一つの困ったことにも役に立つわけです。
人間関係の問題に向き合う
もう一つ、人間関係というね、僕らにとって大きなテーマがありますよね。ある上司とうまくいかない、あるコミュニティーでうまくいかないと。
この時は4番目を考えるわけです。
得ることに邁進する、この問題を解決するために何を得ればいいんだ、ではなくて、
僕はここで何を与えればこの状況は改善するのかっていうふうに考えるわけです。
このね、上司相手、もしくは部下相手、あるいはコミュニティー相手、何か問題が起こってますよね。
さあその問題は私が何を与えればこの状況は改善するのかと考えるわけですね。
そうすると例えば、そうですね、上司との関係がうまくいっていない。
よくその自分の心を見渡すとね、こう深く覗いていくと、どうも私はこの上司をいつも軽んじていると。
まあそうですよね、うまくいっていない。全く多分リスペクトしていないわけですね。
認めてもいないし多分否定しているはずなんですよ。
その人のやること、なすことすべて、考え方とかね、仕事の進め方とか、まあ哲学みたいなものも多分全部をまとめて否定しているでしょう。
そして多分尊敬はしていない。
ここで私が何を与えればこの状況は改善するのかっていうね、この問いを立てると、もしかしたらこのリスペクトというかね、もう一度この人をしっかりとね、
そのなんていうのかな、人として否定するんではなくて、批判するだけじゃなくて、もう一回人としてリスペクトしてみようと、
これを私は与えればいいんじゃないかなっていう、例えばこんな答えが出る可能性がある。
そうするとさっき言ったように、その与えるものはもう持っているんですね。
自己認識の改善
そうか、この人に一応敬意を表してみようと、この敬意を発揮したい。
私はそうである、私は敬意である、そう信じてすぐにそれを与えればいいってことになりますね。
これも人間関係において万能な僕は解決策だと思う。
まあここにね、それをしたくないとか悔しいとかっていう、またそのガーディアンがささやいてくるんだけどもね、
そこに騙されずに、私はここのコミュニティ、この相手に何を与えればこの状況は改善するか、純粋に考えるわけですね。
なるほど、敬意か、もしくは寛容さか、いろんなものが浮かんできますわね。
さっきの冒頭に言ったお父さんの話であれば、この子に罪悪感を持たせないために、私はこの子を待つというね、忍耐感、それかもしれない。
ああそうかと、それを発揮すればいいんだなと、この子に私の無限の忍耐というね、時間の概念を消し去った無限の忍耐を与えれば、この子の今困った状況、この泣きたくなる状況は改善するのかもしれない。
それを発揮したいなと思ったってことは、私はそうである。その忍耐そのものである。
まあこれは愛そのものであるだと思うんですけどもね、それをその世に確信して、その場ですぐに発揮できるってことですね。
与えることができるっていうことですね。これがまあその今回のね、春の合宿2023でみんなでたどり着いたその一つの結論ですね。
僕はこれは本当に最強のメソッドでありね、何にでも応用できるその万能な解決策なんじゃないかというふうに思っています。
そしてその本来の自分を思い出す上でもね、すごくその効果のあるね、認識の仕方、修正の仕方なんじゃないかなと思ってますね。
で、これはこのガーディアンは不足していること、不足していると認識することが自分にとって最も安全だと考えている。
さあこれが現実かもしれない。でも僕らはもう一つ、生まれた瞬間に自分が何かをしたいと思うための土台、そういうものはすべて手にしている。
もっと言うとそのものであるってことですね。さっき言ったように私がデザイナーであれば、デザイナーとして生きたいというのであれば、
僕は美意識そのものであるという、そういう認識なんですよ。これも現実かもしれない。
ルートの選択
あとはこれをどちらが本当に安全なのかっていうね、この見極めなんですよ。そしてもう一つ、どちらが平安でどちらが不安なのかってここも重要ですよね。
僕はこのね、どちらが平安でどちらが不安なのかはすごく大きいと思っていて、ガーディアンは平安は犠牲にしろと言うんですよ。
でも本来の自分は何も犠牲にしなくていいと言うんですね。この時点で僕はね、もう本来の自分に乗りたいなとまず思う。
そしてその次に、どちらの自分が最大のパフォーマンスを発揮できるか、どちらの自分がその思ったこと、これを発揮したいな、こうやりたいな、これをやりたいなと思ったことを実現できる可能性が高いかっていうね、
ここを最後にしっかりと確認して、いやいや、この満ち足りている、そうである、信頼する、与えるというこの4つのルートの方が全然実現可能性が高いなと思えたら、もう僕はガーディアンのささやきに騙されないっていうかね、ガーディアンは本当に優しく退席していただいて、もう本来の自分で行きますんで大丈夫ですからって言ってね、
まさになんていうのかな、ほんと卒業ですよね、今まで守ってきてくれてありがとうと、でも僕はその平安を犠牲にして、不安なのはしょうがない、それで安全が得られればいいじゃないかっていうこっちじゃなくてですね、平安も犠牲にせずに、そして最大のパフォーマンスを発揮できるこちらの本来の自分で行くことにしましたんでっていう風に宣言して、ガーディアンにお一人いただくという選択ができるんじゃないか、
これがね、もう本当に今回の合宿の結論でしたね、あとはもうこのどちらの自分にいるかというこのトライですよ、騙されずにね、とかく僕らは不足しているから始めてきたしずっとね、そしてそれが自分を高めてくれるとかね、成長させてくれるという風に信じてきたのでね、この最初からもう完成しているというこの認識は本当にこのガーディアンにとっては我慢ならないでしょうね、
だから僕はこの習慣としてこの認識を持つ習慣として変えていくっていうここは一つの訓練練習みたいなことが必要なんだろうなと思います、そんな感じでここに帰結して、そして合宿はね、その後木漏れ日を離れて大公院というね禅寺に場所を移しましてね、ここで前回からその始めたね、座禅を組むというこの体験をするわけですね、
2時間ぐらいやって、ここの住職さんがね、前回もお話したんだけど本当に素晴らしい人だね、もうまさにこのね、満ち足りていてそうである、そしてその自分を信頼していろいろなものを与えてくれるんですね、やっぱり僕が一番驚いたのはその謝礼みたいなものをね、1人1000円ずつ集めてお渡ししようとするんだけど、絶対に受け取らないんですよね、
前回も3回お願いしたんだけど、3回とももうお気持ちだけで十分だし、皆さんがここにいらしてくれるだけで私は本当に幸せなんです、みたいなことをもう笑顔でね、ずっとそれをこう通すので渡せないんですよね、仕方ないんでお祭銭箱にその封筒を入れてきたんですけども、今回はもうお渡しすることもなく黙ってその祭銭箱に入れてきたんですけどもね、
祭銭が終わった後に、皆さんもしお時間があるようでしたら、うちの庭に今みかんが鳴ってまして、それからいろんなところにタケノコの若いのが出てますから、それを取っていきませんかっていう風に誘っていただきましてね、道具一式全部持ってきてくれて、軍手からね、枝切り、わさびからクワからね、その取り方とかも全部教えてくれて、タケノコのある場所に枝を刺していってくれるんですよ、ここにもあります、ここにもあります、
今回先に帰られた方がいたんで、車が1台しかなくて、ピストン輸送駅までね、ってことになったら、そのようなことでしたら私も車を出しますと言って、なんと送迎までしてくれたんですよね、
これメリット何にもないですからね、この住職さんにはね、僕らがそのお祭銭箱にその洒落を入れたことも見ていないのでね、何にも彼は得るものはないんですよ、このいわゆる目に見えるね、それなのにここまでしてくれるっていうことは、彼は本当に与えることで自分が増えていく、増大していくっていうことをね、
本当にしっかりともう分かってらっしゃるというかね、もう体感でそれを身につけている、だから僕はそういうことなんだろうなと思いますね、教えていることと、そして自分のやっていることがね、完全に一致しているっていう、これがなんか私はいつも目指したいなと思っている境地というかね、一つのゴールなんだろうなと思います、
与えることで増えていく
そういうものがその、なんていうのかな、現実としてね、人として見られるということがこの住職さんのね、まさに役割なんだろうなということを今回もね、まさまざと感じながらね、すごいなこの人はと、言うだけじゃないんだなっていうね、そんな感じがしましたね、生き様をそのまま見せてもらえているっていう、これによって僕らはとても多分勇気を持つんでしょうね、
今日はね、その、なぜその与えると、その与えたものが自分の中で増えていくのかっていうね、ここについてはあまり詳しくお話ししませんでしたけどもね、なんとなくこの住職さんの生き方をね、感じていただけると、なるほど与えるとそれが増えていくんだなと、これはとても単純な話、彼が教えていることが確信できるってことなんですよ、その自分が与えることによってね、おー素晴らしいなというね、
まあこれもいつかこの番組でね、詳しくお話しできたらと思います、今日はそんな感じで、大変素晴らしい2日間を過ごせたというね、参加してくださった皆さん、本当にありがとうございます、幸せな時間をもう私も与えられました、また秋にね、10月にやりますんでね、なんか面白そうだなと思った方は、ぜひぜひご参加ください、じゃあ今日はそんなわけでね、とても単純なメソッドなんですよ、これはね、
何か悩み不安そんなものに襲われた時はね、それを欲するのではなくてね、私はすでにそうであると確信する、そうであると信頼する、そのようにしてね、良い1日をお過ごしください、ありがとうございます
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