罪悪感の効果とは
グッドバイです。ミッドナイトラクザ、 by くらざむけいさん。
こんばんは。ただいま3月24日金曜日の午前2時52分ですね。
今回がなんと99回目ということで、あと1回ね、来週の月曜日が100回記念というかね。
別にあの記念すべきようなことは何もないんですが、よく100回もやってきたよなというそんな感じは確かにありますね。
なんかよくブログをこれから書きたいという方ね、昔からいろんなアドバイスをね、いろんな形でしてきたんですけどもね。
その時やっぱり100回書くまで頑張りましょうっていう話をよくしますね。
何の根拠があるかって言ったらないんですけどもね。
でもなんか100回やると、少なくとも何十人とかね、多ければ何百人ぐらいは読者の方がね、ついてくださるんじゃないか。
もっと多い場合はもっといくと思いますけどね。
それは内容とか、以前にもお話ししたそのあるきっかけとかね、誰かが紹介してくれたとか、たまたますごいヒットするネタを書けたとかね、そういうのはあるんですけどもね。
なんかこの100回というのはこの継続してコンテンツを配信する上で非常に重要な回数かなというふうに私は捉えているんですけどもね。
それができたということは一つちょっと嬉しいことでもあるわけです。
そんなわけでね、浮かれてはいないんですが、96回あたりからこの5回続けて、今日が4回目になるんですけどね。
このグッドバイブスの話を90話以上してきたそのまとめみたいなものね。
まとめというか、もしかしたらもう一度この、そもそもこの話ってどんな話なのかっていうところを整理しているのかもしれませんね。
それでまた面白いことにね、昨日と一昨日、違う今日と昨日か。
やっぱりまた3人の方とね、このワントレ、ワンオワンのセッションをやってきまして。
前回はその話題がね、98話でお話ししたその2人の自分っていう、ここをやっぱりこの共通にお話ししたっていう。
今回はこの3人の方はね、全く同じくやっぱり罪悪感だったんですよね。
で、なんとなく僕は4回目はやっぱりこの罪悪感のお話かなというふうに思っていた。
僕がそう思っているからその話になるのか、ちょっとそこの辺のね、卵かニワトリかっていうのはちょっとわからないんですけどもね。
まあでも無理やりこの罪悪感の話に持っていくことはできないので、やっぱり何らかのこの偶然というかね、そういう流れがあるんだろうというふうに思います。
なんで今日はね、もうその迷わずこの話でいこうかなと思っています。
罪悪感ですね。
前回その僕らの中に2人の自分がいてね、このガーディアンと呼んだね、自分を守ろうとする恐れや不安の自分。
もう1人はこの本来の自分ね。
こちらが恐れや不安がなく愛そのもので一つ意識で平安で、そしてだからこそ僕らの持っているポテンシャル、これを最大限に発揮できる。
私にしてみればそのコンテンツを制作してくる、制作するこのクリエーションの仕事をね、若い頃からずっとしてきましたからね。
音楽雑誌、本を書くセミナー、そしてこういうポッドキャストの番組を作るみたいなね。
ここにこの本来の自分をどれだけ出せるかという試みでもあるんですね。
グッドバイブスその一面を持っているということです。
私の中ではね。
だからいかにこのガーディアンの自分を出さないようにするかっていうここの攻め合いなんですけどもね。
罪悪感の意味と解釈
一方でこのガーディアンは最も効果があるっていうかね。
自分を存続させる。
僕の中にこのガーディアンが居座るためにこの罪悪感を持たせることっていうのがね。
最もこの効果を持っているんですよ。
まあこいつの殿下の宝刀というか、殿下の宝刀じゃないな。
もう上等手段というかね。
もう何があれば何があればなんか下手なプロレスラーみたいにね。
こいつなんかあったらすぐチョップじゃんみたいな。
そんな感じ。
もうキックばっかりじゃんみたいなね。
下手なプロレスラーが繰り出してくる。
もういつもその技じゃんみたいな感じでこの罪悪感を使うわけね。
罪悪感とは何かっていうのを整理しておくと。
これはどちらかというと僕らは自分に向ける意識としてね。
罪悪感を持つっていう風に使うんだけども。
私はこれは罪の意識という風に解釈していてね。
これは自分に向けられることも当然あるんだけども。
他の人にも向けられるってことですね。
だから私がやったこの言動っていうのかな。
私がやったことに対して罪だこれと思う。
この罪悪感もあれば他の人がやったことに対して。
うんだこれ罪じゃねえかよと思う。
これも罪悪感。
両方まとめて罪悪感と言っています。
ガーディアンの攻略法
私はね。
で、これをそのガーディアンが使うことによって。
前回もお話しした。
そのガーディアンが信じる僕らをね。
僕らを安全な状態に置いているという。
この2つの安全な状態。
1つが動けなくなる。
もう1個が怒りを抱いて他の人を攻撃する。
これを簡単に得ることができるんですね。
つまり僕らが罪悪感を抱けば。
もう簡単に動けなくなるし。
簡単に人を攻撃するっていうね。
だからガーディアンはこの技をクリアしてくるわけですね。
これをやるために前回4つの心象を作らせるんだってお話もしましたね。
これが大量の束で見せてくるってね。
仕事がこんなにまだ残ってるぞっていう。
それとだけど時間はものすごく残り少ないぞっていうね。
2番目。
そして3番目に人と比べる。
そして4番目に罪悪感を抱かせるっていう風にお話ししたんだけども。
実はこれはですね。
1、2、3は必ず最後には罪悪感につながってるんですね。
だから分類の方法としてはちょっといびつな形をしていて。
1、2、3も全部罪悪感に紐づいてるんですよ。
ただちょっと僕らにね。
このガーディアンがそのように考えさせようとするという。
それに気づきやすいようにあえてね。
4つの分類をしたんですけども。
これはちょっとこの分類のレイヤーがおかしいんですね。
4番目の罪悪感が1、2、3に全部かかっているという。
そんな関係になってます。
例えば大量の仕事が残っていて。
それが時間が間に合わないかもしれない。
つまりできないかもしれないっていうね。
罪悪感の4つのデメリット
できないと当然罪悪感を持ちますよね。
つまりこのいっぱいあるぞ、時間が足りないぞと予感を抱いているときに。
僕らはもうかすかに罪悪感を持ち始めてるんですね。
罪悪感を抱く予兆みたいなものを持ち、それに怯えてるわけです。
だってできなくても平気だったら。
大量であろうと間に合わなくても全然気にする必要ないですもんね。
その結果どうなる。間に合わない。
手が全部つけられない。
そのときに僕らは罪悪感を抱くってことを知ってるんですね。
だからそれが怖い。
だから1番目、2番目も結局は罪悪感につながっていく。
そして2番目の人と比較をする。
自分は劣ってるな、ここで罪悪感を持ちますよね。
だから結局はこの4つの心象という恐怖の根源には常にこの罪の意識があるということ。
そしてこの罪の意識を持つことによってもう一つ良くないことが起こる。
つまり僕らはこれによって本来の自分というのを忘れ去ってしまうんですね。
なぜかというと本来の自分というのは恐れや不安がない。
だからこれを罪の意識でコントロールする必要が全くないんですね。
だから僕がこの出したい本来の自分と罪というのは完全に無縁なんですよ。
でも日々この罪悪感を持って生きていると、そんなものと無縁な自分がいるとはもう夢にも思わないじゃないですか。
人というのは必ず罪の意識を持って生きてるんだっていうふうに皆してますから、
それを持ってない存在として本来の自分が私の中にいるなんてことはね、
もうこの罪の意識を持てば持つほど夢のように忘れてしまうんですね。忘れ去ってしまうわけ。
だから二重に良くないわけね。
罪悪感と社会秩序の維持
ガーディアンが居座り続けるためにこの罪悪感を使う。
だから僕らがそれを受け入れて、そうだよなとその罪悪感を感じれば感じるほど、
二人の自分のうちこの迷惑な厄介の方が居座り続ける。
それと同時にもうほぼ同じように同じ作用を受けて、
この罪の意識とは無縁の本来の自分を僕らは忘れ去ってしまうっていうね。
まさにそのガーディアンがなぜこの罪の意識を使うかっていうのもここで納得がいくわけですね。
本当にこの本来の自分を絶対出さないようにあの手この手を打ってくるってことです。
僕らにとってこの罪と罰というこの仕組みというのはずっとこの番組で言ってきたように、
この宇宙の真羅万象に最初からあったものではないんですね。
おそらく僕らが作り出した仕組みなんですよ。
これシステムなんですよね。
その正体は何かというと悪いことをすると罪というラベルが貼られるわけね。
そして罪は罰とセットになっているということ。
罪と罰の仕組みなんですね。
悪い罪のラベルを貼られた人は罰を受けなくてはならないという仕組みになっているんですよ。
で罰というのは罰というだけあって当然嫌なものなんですね。
痛かったり苦しかったりね辛かったりする。
そうでなければ罰になりませんからね。
でこれも身体的な罰もあれば以前この番組でお話した僕らはこの社会の中で生きる生き物なので社会的なこの罰っていうのもあるわけですね。
よくほら芸能人とかが不倫をして叩かれるってありますよね。
あとソーシャルで炎上するっていうこれは身体には何の被害も受けてないんだけどもこの社会の中でもう生きていけなくなるんじゃないかという恐怖。
これも罰の一つなんですね。
だからこの罰には大きく分けて2種類あるということ。
身体的な処罰と社会的なその立場をコミュニティーの中で生きにくくするもしくはもう生きられないんじゃないかと感じさせるそのような罰。
おそらくこの現代の日本においては与度のことをしない限り前者の体の罰というのはないんですよ。
だからだいたい僕らが怖がっている気にしているのはねこの社会的な方ですね。
さっきの大量な仕事を抱え時間が間に合わなくなってできないっていうこの罪悪感。
だから人と比較して劣っているという罪悪感。
これは完全に体の罰ではないですよね。
そうするとこのコミュニティーの中で非常に生きにくくなるんじゃないか。
非常にその価値のない存在として扱われてしまうんじゃないかというこちらの罰なんですね。
これを多分この現代の日本においてはほぼ100%その恐怖を僕らは多分抱いていると思っていいですね。
まあどちらにしてもこの罪と罰というのはある種の恐怖を持って自分もしくは他の人をコントロールするっていうこの仕組みなんですね。
ここに恐怖が必ず介在するということです。
社会改革の可能性
だから僕らは罪悪感を持つと同時に恐怖を持つ。
それによって動けなくなるってことですね。
もう本当に物心ついた時から今日まで僕らはずっとこの仕組みの中で暮らしているわけです。
最初はまずは親から悪いことをしたら怒られる。
怒られるというのは怖いことですからね。
そして親であれば愛されないというまさにこの社会的なこの恐怖というのを感じる。
この中で子供の頃からずっと暮らしてきてやっぱり学校に行っても学校を卒業して社会に出ても会社の中でも実はこの仕組みというのはもう綿々と働いていますよね。
これが僕らの中に染み付いているわけね。
一方でもっとはっきりしたいわゆる法律とそれから裁判を経て刑罰みたいなこの世界もある。
これはまだまだ僕らはこの仕組みを手放すわけにはいかないですよね。
これを否定しようなんてことは僕もこれっぽっちも思っていない。
でも不可能じゃないだろうなと思っているんですよ。
今日のような話を完全にこの80億人の人がコンセンサスを取ってそうだよねっていう風に受け入れられれば不可能ではないと思う。
でもそんなことが実現するには僕の読みかなり甘い読みで100年はかかると思いますね。
100年じゃ無理かなみたいなそんな感じ。
もしかしたら1000年ぐらいかかるのかもしれない。
だからこの社会の秩序を守るためにいわゆるロー&オーダーってやつですね。
ここの話とこれから私がする話は実は同じように見えているんですがやっぱりミクロとマクロみたいな違いがあって。
多分全然違うことを言ってるんだと私はそのように認識しながらいつも話してるんだけどね。
罪悪感の手放し方
要はこのロー&オーダーいわゆる社会の中に組み込まれているその法律と刑罰みたいなそういうものとは別にね。
僕らは日常の生活の中でこれを使ってるんですよ。
つまり全くそのなんていうのかな正式な裁判を経て罰が決まるとかね罪が決まるとかそんな世界ではなくて。
完全に僕らの心の中でこの罪の意識というのは芽生えるようになってるんですよね。
こちらの方は僕は日常の生活でこれを自分のその人生に適用するかどうかは私自身が決めていいというふうに考えているんですね。
決めようと決めないとそれは表に出ないですからねほぼほぼね。
だからこれを私が使うのかこの罪と罰の仕組みをね私の人生に適用するのかそれはおそらく自由に決めていいだろうと思っている。
そして結論から言うとそれはすべて手放していいっていうふうに僕は考えているんですね。
なぜならばまずさっき言ったようにこれを持っているとこの私がね目指している本来の自分こちらには絶対にいけない。
ガーディアンの自分がねこの罪悪感を使って私を縛り付けて動けなくするか怒りを抱いて他の人を攻撃するというふうに持っていきますんでね。
そして罪の意識とは全く無縁のこの本来の自分というのを私の中から隠してしまうのでこの一点を取っても私は手放していい。
手放すしかないなというふうに思っています。
罪悪感のデメリット1〜3
で私はそれに加えてねいろんなこの罪と罰の仕組みには弊害があると思っているんだけども大きく分けて4つこれを今日ちょっとねお話ししたいなと思っています。
一つ目はこれはねなぜそのお話をするかというとなるほど罪悪感というのはそんなデメリットがあるのかとそんな副反応があるのかと。
で一方でメリットはなんだって考えた時にねおそらくこの僕らはこの罪と罰の仕組みによってさっき言ったような自分と他の人をコントロールできるというふうに認識している。
果たしてそのメリットとねこれからお話しするデメリット副反応とこの天秤にかけた時に本当にこのメリットが上回ってるんだろうかっていうねここをしっかり吟味することが僕はこの罪悪感を手放す上でとても重要な認識だと思っているんですね。
だからうんとこの4つともあまりね気持ちのいい話ではないんですがやっぱりここのデメリットを理解しないとね僕らは簡単にこの罪悪感と付き合ってしまう。
あのピノキオのねピノキオのお話で確かそのピノキオがプレジャーアイランドっていうところに誘われますよね。
遊びの島っていうかで遊んでるうちにロバになって売られてしまうんだけどあの時になんだっけなギデオンとかいう名前のねなんか狐っぽいなんか2人組が出てきますよね。
で悪い奴らと知らずにそいつについて行ってしまうみたいなねなんか僕にはそんな感じがするのねこの罪悪感との付き合い方ね。
これはきっと安全なんだろうとか思ってねわかりました罪悪感を持ちますよみたいな感じで気軽にやってしまうんだけどとてもとても良くないことが実は僕らにね起こるというそれが4つあるんですね。
一つはえっと緑の本でも書いたんですけども罪悪感を持つと私は弱くなりますこれは確実にそうです。
まああのそうですよね罪の意識を持っててその持たない自分より強くなる人なんて多分いないと思う。
これは理由は簡単ですえっと罪の意識を持つとこの自分に罰を与えるからですね。
俺はやらかしたこれは罪だと罪悪感だよねこれはってなってる時っていうのは自分を責めてるんですね。
僕らは攻撃されると弱くなるっていうこの当たり前のねなんていうのかな反応の中で生きてますからね。
しかもこの時えっと僕が他の人を他の人を責める時には全部の事情を知らないんですね。
例えばすごく遅刻してくる人がいるとでその人をいい加減にしろよって怒ってるんだけどもその人がどんな人生を送って遅刻をしてきたかみたいないきさつを全く知らないんですよ。
だからもしなんかねその子で例えばちょっと最近頭痛くてなかなか起きられなくてみたいなことをねその相手が言ったらそうなんだと思って。
それが嘘だとしてもですよ嘘偽りだとしてもわかったわかったじゃあね少し休んでできるだけ時間通り来ようねみたいな感じでちょっと情状不釈量の余地みたいなのを与えるんだけども自分にはそれが通用しないんですね。
自分でこの遅刻しといて俺はなんでこんな時間通りに来られないんだよつっといていやあの頭痛かったって嘘じゃんお前痛くなかったじゃん今日。
昨日の夜夜更かししてVシネマ何本も見てるからじゃんみたいなことを自分はよく知ってるんでこのもう弁解の余地もないね情状釈量の余地もない本当にこの自分を責めるというのはものすごく厳しいことなんですよ。
これをやると弱くなるこれが一番目ですねまあこれはでも僕の中ではすごくこうまだまだこの入り口のね簡単なところかなっていうかねあの傷が浅い被害かなぐらいな感じなんですよまあでも大きいですよね自分を責めると自分が弱くなっていく。
だからなんていうのかな一つこのなんとなく自分に元気がないな落ち込んできたなっていう時のチェックポイントとしてね今自分を責めていないかっていうのはねもうこれはもう基本の木というかねいろはのいいみたいなことでまずはチェックすべきポイントなんですよこれが一番目ね。
罪悪感のデメリット4
そして2番目これはえっと最近最近とかこの現代の日本において罪と罰の罰はさっき言ったら社会的な罰なのでこの2人以上のね人間関係もしくはこのコミュニティの中で僕らは常にこの罪人にされる恐れや不安っていうのを持っているってことね。
罪人になりたくないんだ罪人の立場に置かれたくないなっていうこの恐れや不安を手放せなくなるんですねこれが人の顔色を伺うとか空気を周りの空気を読むとかね最近で言うと同調圧力を感じるみたいなやつねこれは全部罪人にされる不安ですよね。
同調圧力っていうのは従ってない奴は罪人だと見なされるんじゃないかっていう不安じゃないですかね空気を読めない奴はこの場を乱している罪人だっていう風に見なされる不安ですよね。
そして私はこの人の機嫌を損ねていないだろうか損ねていない嫌われていないだろうかみたいなことを予想しながら怖くなるというのもその人に私を罪人のように見られたくないという不安ですよね。
これはまあコミュニティーの中でいつもいつも僕らはこれを持ってこの罪悪感があるからこの恐れや不安の中に言いざるを得ないんですね。
2人になるとこの関係というのはねかなりさらにねこの色濃くなっていくんですねこの不安というのかな2人の関係になるとこの不安はさらに色濃く現れる。
なぜかというとこれはね立場がはっきりするからなんですねもしじゃあ例えば私と神さんがいますとそうすると私がもし神さんに何かひどいことをして罪人というレッテルを貼られるとこの相手ね神さんが罰を与える処刑人になるんですよ。
1対1だからね2人の場合はそうするとこのどんな場面でもそうですが映画を見ても物語を見てもわかるようにこの罪人と処刑人というこの立場は天と地ほど差があるんですよ。
つまりものすごく下に置かれるってことですね僕らはこれだけは何としても避けたいと思ってるんですよ。
つまり何か自分がやらかしてねこの1対1だったらさらに厳しいコミュニティーの中でもまあ実は同じですよね私だけが罪人になるというねこのものすごく天と地の地に置かれるというねここに置かれることだけは絶対に避けようっていうこれはもうなんかなんていうのかな無意識のうちにもうすり込まれているような感じがしますよね。
このためだったらこれを避けるためだったら僕らはねあらゆる努力や工夫もしくは気遣いをするんですねこれを日々やってるんですよでここにものすごいね時間を費やしてるんですね時間と労力をなんか時間は貴重だよとかね人生短いんだから無駄にできないよとか言いながらもまあ無意識のねうちなんですけどもここに膨大な時間と労力を費やしているってことですね。
もし僕らの中にねこの罪悪感というものがなければこのすべてをやらずに済むんですよねそう考えただけでもやっぱりこのコミュニティーにおける社会的なね罪人にされる恐れや不安っていうのは相当僕らにとってはね重りになっているなっていうそんな感じがしますね。
そして3番目えっと僕らはこれはこの番組でもいつかお話ししましたけどもその罪悪感を入れておける要領というかね入れ物みたいなが心の中にあるんですねだからまあいくつかこの罪を犯しちゃったなぁまたやってしまったなぁとかってこういろんな罪悪感を抱えていきますよね。
でもそのなんていうのかな僕が持てる罪悪感というのは僕の心の要領の分というふうに決まってるんですねだからいくつかは持っていられるんだけどもそこから溢れてしまうときがあるんですよそのそれ以上にね来たときにねいやもう持てないと自分では持てないっていうときに僕らはこの罪悪感を誰か他の人に投げてしまうんですね。
でえっとこれが僕らに怒りを抱かせているというこれが罪悪感と怒りの関係なんですね。
これはですねえっとこの仕組み上ね僕らはその持ちきれなくなった罪悪感を相手に投げるというのは何をしているかというと自分からその罪を切り離そうとしてるんですね。
これは私の罪悪感ではないというそのそのように認識したくてえっと自分ではなく相手に投げているということですね。
なんかあの次元爆弾とかでこうドラマで爆発音になったときねドラマじゃないな漫画ですねこうダイナマイトに火がバーっとついてるのをこう相手にポンポンポンってこう投げて投げ返すみたいなやつをやるじゃないですか。
あれに似ているえっと私のところで爆発してもらっちゃ困るんだつって向こうに渡すっていうことをやってるわけ。
だからもう投げた瞬間にえっとそれが自分のものではないという認識を僕らは持ってしまうんでねこの3番の抱えなく抱えきれなくなった罪悪感を相手に投げるというのはものすごく実は認識しにくいんですね。
まさにこの気づかないっていうところにメリットがある。
やってしまった後はなぜかその後その投げた罪悪感に対してえっと他の人と思って怒ってますからねそいつの罪だと思って僕らが怒るこの怒ることによって僕らは自分の中にあった罪を消そうとしてるんですね。
罪悪感を投げることによる認識の歪み
だからこの仕組みは本当にこの見抜きにくいというかね気づきにくいんですけどもね例えば以前あるね私のところに相談者が来ましてね職場に苦手な後輩がいるっていうんですよ。
何が嫌なんですかって聞くとね。
まあ要はその後輩は入社した時からミスとか失敗が多い人だったと。
でもそんな悪いやつじゃなくてなんか見どころはある感じらしいんですよね。
だから上司もまあそこをちゃんと見抜いてねその相談者の人にお前先輩だからちょっと彼教育してやってよみたいなね面倒見てやってよみたいなことを頼まれたと。
で彼もそのね失敗の多いこの後輩が結構気に入っていてね。
まあ割と親切になんかあるためにでもそこはねこういうふうにチェックしてばあの何十回にチェックすれば多分もうミスはしなくなるからそういうふうにやってとかね確認の仕方はこのような順番でやらないと見落とすからみたいなことをね丁寧にアドバイスしてきたらしいんですね。
でもいくら言ってもその後輩は治らないらしいんですよ一向にミスと失敗がね。
まあこの辺りでも相当その相談者の方がイラついてるんだけどもこの最近になってねまあでもそれでもまあグッとこう抑えながらねいやだからさこうやってやろうよって言うと割とこの周りにアピールするかのようにめっちゃ落ち込む様子をね半日ぐらいこう見せるらしいんですよ。
ずっと落ち込んでるとこれがもう耐えられなくなってきたっていう風にね私に打ち上げてきた僕はその瞬間にうわこの人はこの後輩にね自分の罪を見ているんだってすぐに気づいたんですよね。
なぜかというとこの相談者はすぐに僕に何度も同じ悩みを打ち上げてるんですよ。
そして僕はもうその同じ悩みなんでねその場合はこうですよまあ例えば今日の話ですけどねそのそれはガーディアンがこのようなことを言ってるんでこの4つの神社を作ったときにできるだけ考えないようにしましょうよみたいなことをねもう繰り返し何度も言ってきたんですよ。
でも分かりました分かりましたやってみますってまた数ヶ月ぐらいすると同じ悩みを私のとこに持ってくるんですね。
そうするとしょうがない私も同じ話をするしかないねこういう時私はもう前に言いましたよねとかは絶対に言わないようにしてるんで初めて聞いた話かのようにえっとそれはですねって一からお伝えするんですね。
これがまあ私の一つのギフトであり誠意なんですけどもそうするといやーそれ前にも聞きましたよね当然本人わかってますからなんでこう何度聞いてもできないんでしょうねみたいなことを言ってその場でシュンとするんですよ。
罪悪感を手放すための障害となる4つのデメリット
だから彼はここに持ってるんですねこの罪悪感というのをねでそれをこの後輩がまざまざとその見せてくれるという自分のようなその姿をねこの時に彼はこの自分のそのなんていうのかな同じようなことをやっているというこの罪を後輩に投げてですね自分の罪に対して自分の罪悪感に対して怒りを抱いているっていうこういうことを僕らはやるんですね。
これがあるともう僕らはですねその怒りを手放すということができなくなるんですよでもでもその怒っているのはえっとその相手がやった行動は言動はそのきっかけになってるんだけどもそこから怒りをこのね生じさせているのはえっと自分が持っていた罪悪感なんですよねここはちょっとややこしいんですけどもねこういうことをやりながら僕らは怒っている。
実はえっとこれはですねまあこれもなかなか受け入れが難い話なんだけどもえっと僕らはどんな小さな怒りもね罪悪感なしには抱くことができないんですねまさかと思うかもしれない自分に罪悪感がなくても怒ることあるよと思うかもしれないけどこれはね絶対できないんですよその場合は怒らないんですねえっと怒るとはまた別の感覚でその相手に接することができるんですよ
まさにこのね相談者が最初の頃この何度そのね同じアドバイスをしても同じ間違いを繰り返すそれでも大丈夫大丈夫今度はこうやろうねってこれができるんですよねでもここに自分のその罪悪感を見た瞬間に怒ってしまうんですよ
だからえっとこれはねいい機会なんでね何か怒りとかいらつきを感じた時にねえっと何かかすかにでも自分の中に罪悪感がないかこの出来事に関してっていうのをチェックしてみるとね必ずあるってことがわかりますねこれを僕らは人に投げるっていうねこれが3番目でこれによって怒りが手放せなくなりガーディアンが僕らにね怒りを抱いて攻撃をさせるというこのなんていうのかな
安全柵から抜け出せなくなるということですねこれが3つ目です
4つ目はえっとこれはですね緑の本で書いた広がる想像という話広がる想像というのはねこれはまたどっかでねまだこの話してないんですよね多分ね100回なのにね100回目はこの話じゃないんでまたちょっと100何回目かにしようと思うんだけど
要はこのこの宇宙というのはねビッグバンというその原初の点から生まれたわけですね僕はこのビッグバンの原初の点が想像をしたという風に見てるわけ宇宙をねでじゃあどんな作り方をしたかというとえっと点が手足を出して自分とは別の宇宙を作ったんじゃなくてこのビッグバンという点が自分を広げながら作ってるんですね
だからこの宇宙そのものがもうビッグバンなんですよそう作り主が作ったものと一体になっている一つであるというこれを僕は広がる想像と呼んでるんですねで私たちもそのビッグバンの広がりの一つなんですよということは僕らにもこの広がる想像というのができるその能力が備わっているはずなんですね
これが私が言う僕らにこの等しく備わっている想像力なんですよ
で僕らはえっととはいっても普段自分を広げながら想像はしないんですねどちらかというともう一つの分離する想像という方をやっている
僕が例えば何かを作るそれは作った瞬間に私から切り離されるというね別物ですよね私が例えばのそのなんだろう木箱かなんかを作ったとしますと木箱が出来上がったら私と木箱は一つではないですよねこれを私はですね分離する想像と呼んでいるわけですね作ったものと作った人が切り離されていく
これはえっともっと言うとですねやりたくねーなーと思って作るとそうなるんですよやりたくねー仕事みたいなことをねばばっと片付けたらもうとっとと終わらせてと思って出来上がった瞬間もそれ見たくもなくなるじゃないですか見直したりしないですよね
チェックは別として俺は今までどんな仕事やってきたんだろうかと言ってそのやりたくもなかった仕事をね見直すみたいなことはない僕から切り離されていくんですね切り離したいんですよいわゆる手離れって言うじゃないですかまさにこの手離れさせるように作っていくこれが分離する想像でこれはえっと私が言ったそのビッグバンが宇宙を作ったのと同じ想像力ではないんですね
それそれを使っているわけじゃない
でも要は僕らはその体を持ってますからこの体を広げていくことはできないんですね私の手をばーっと広げながら何かを作るということはできない
そうすると僕らがこの広げられるものは形のないものだってことがわかるのね
これはまさに思いなんですよ
例えばある作家がね
いろんなこの私がよく言うようにこの絶望の淵に何度かたどり着きながら
いやそれでも人生は素晴らしいという体験をしたとしますよね
これをこの思いを一冊の本にしたためましたと
そうするとその本をねたまたまねもう家族とか家族の関係も仕事も全然うまくいかなくて
なんかもう生きる気力を失いかけたみたいな人がねそれを書店で手に取ると
読み進めているうちにこのまさに作家の思いね人生は素晴らしいかもしれないよみたいなやつが
これはまさに私はバイブスと呼んでるやつなんだけどこの思いすなわちバイブスがね
その読んだ人の心に共振するわけですよ
そうするとそうかまだ諦めなくてもいいのかもしれないなみたいなことを彼は感じね
まあまあよくできた話になっちゃうんだけど例えだからね
立ち直っていくわけですよ
そしてたまたまねこの彼はそのブログを書いている人だったと
この自分が立ち直っていくこの過程とね
それからこのその自分を救ってくれたこの本ね
作家の書いた本をブログで紹介したと
そうするとその数日後にねまた別の人が何もやる気がしないみたいなキーワードで検索すると
この彼のブログにたどり着きね
そしてまたこの本を知るというこんな風に実は広がっていくということがこの思いを使えばできるんですね
だから僕らもその僕らのこの思いを使って想像すると
それは本当に無限に延長されていく可能性ができる
これを私は広がる想像っていう風に呼んでるんですね
罪悪感を手放すための具体的な方法
そしてこれを実現するための具体的な方法としてギフトモードというのを提案しているわけです
ただしこの作り方をするためにはですね
とても重要なポイントがあって自分の思いを広げていくわけですからね
できるだけ自分の心の中にねそれを作る人の心の中に
他の人から隠しておきたいことっていうのがないければないほどいいんですよ
そうすればこのね私自身を全て使いますよね
この私の全てを広げていくことができる
でももしこのね私の中に隠しておきたいことがあったら
私はこの想像広がる想像に自分の一部しか使えなくなるんですね
隠しておきたいことは広げたくないから
そうするとおそらく私自身を広げていないので一部しか広げていないので
作ったものと私は多分一つにはならないんですよ
つまりこの広がる想像にはならないってことなんですね
じゃあ私たちにとってこの他の人から隠しておきたいものは何だって言ったら
これはもうすぐに罪悪感だってわかりますよね
多分これが僕らに広がる想像をさせないでいる要因
つまりまさにそのガーディアンの思惑通りなんですね
ガーディアンというのはバラバラ意識にいますからね
そんな作り方をしようなんていうのは夢にも思っていない
思いを広げようなんてことはしない
そうではなくて自分からなるべく切り離していって
早く手離れさせようっていう風に
その方が自分にとって安全だよって考えるからね
この広がる想像をするのにもこの罪悪感はものすごく邪魔をするってことですね
簡単に言うと私を広げていく
そこに罪悪感があるとその部分が使えなくなるってことです
これは例えば履歴書とか書いていて
なんか履歴書書けないなっていう経験をしたことがあると思うんですね
私もなんかあるんですよ
履歴書っていうのはまさにこの自分を表現するものですよね
私とはこういうものだっていうのを表現する書類ですよね
そこに隠しておきたいもの書きにくいものがあると
この履歴書をきれいに書くことができないんですよ
それは何か多分罪悪感なんですね
しかもこの履歴書っていうのは過去のことを綴っていきますよね
そこに見つかるんですよ
これはなんかイワイチだなとかね
これはなんか書かないほうがいいかなとかね
そういうものが全部なかったとしたら
僕は多分素晴らしい履歴書が書けるはずなんですね
まさにこの広がる想像によって作る
私自身を完全に表現した履歴書っていうのが作れる
こういうことにこういうところにもね
この罪悪感というのは暗い影を落とすということです
ちょっとこの広がる想像に関してはね
これだけの話だと何のことかわからんっていう可能性もあるんでね
どこかでまた詳しくお話をします
こんな4つのちょっとまとめるとね
1つは自分を攻撃して弱くなる
そして2つ目はこのコミュニティ
人間関係の中でね
罪人にされる
罪人の一番低い位置に置かれることに
いつも怯えなくてはいけない
そしてそれをそうならないように
ものすごい時間と努力を費やして
努力工夫気遣いをしてしまうっていうね
これで僕らはね
人間関係に相当疲れ切るんですよ
ここが多分もう人とはあまり関わりたくないなと思わせる要因ですね
これもガーディアンの思惑通りですよ
バラバラ意識なんだよお前はっていうことをね
罪悪感が創造性を妨げる
教え込まれる
そして3番目
自分が抱えきれなくなった罪悪感を相手に投げてしまい
これが僕らの怒りを生むということですね
これもまさにガーディアンの思惑通り
そして4番は最も僕らが持っているね
素晴らしい思考の能力である
自分の思いを広げて何かを作る
これ作るというのは
私のいうクリエーションだけじゃない
あらゆる行動なんですね
会話であり日々の仕事はもちろん
書類1枚書くとかね
電話をするメールをするそういうもの
これは僕らにとっては全て創造なのでね
やろうと思えば本当はこの全てを広がる創造にできるんですよね
ここに罪悪感が非常に立ちはだかっている
大きく立ちはだかっているということですね
罪悪感を手放す方法
じゃあここからね
どのようにしてこの罪悪感を手放すか
この4つのデメリットだけ挙げておいて
嫌ですよねで終わるわけにはいかない
かといってこの一つ一つの対処法というのはね
一個一個をやっぱりもっと細かく細かくお伝えしたいので
今日のところはオーバービューのようにまとめますけども
またこの後個別に個別に機会があるごとに
お話ししたいと思っています
最初はですねまず手放せない理由
これをしっかりと認識しておくことですね
これはもうその最初の仕組みによって
僕らが植え付けられたこの悪いことをしたら反省して
罪の意識を持てとこの教わったね
この教えによって手放してはいけないと思っているからなんですね
さっきほらあの相談者がね
シュンとするのがムカつくつったんだけど逆なんですね
多くの場合この職場では怒られたら
シュンとしてなきゃいけないんですよしばらくね
説教をくらってすいませんつった瞬間に
なんかWCすごかったよなとかっていう話を
5分後にしてたら
こいつ全然罪の意識を持ってないねとかつって
まさにこの社会の中でコミュニティの中で
極悪人として扱われることになる
だからそのように見られたくないっていうかね
この変なループによって
僕らはこの罪悪感を大切に保とうとしてるんですね
ここが僕は自分の意思を発揮できる場面だと思っています
簡単に言えば私は罪の意識などなくても
言動を修正できる
自分の言動をしっかりと修正できると思えればいいんですね
これはまあそれぞれの皆さんの意思なのでね
私はやっぱり罪の意識がないと無理かな
みたいなことであればなかなか難しいんだけど
よく考えてみればね
僕らは怒られてシュンとするのは嫌なはずだし
罪悪感を持ちたくないはずなんですよね
だからできればここのプロセスは抜きにして
早く修正させてくれないかなって思うぐらいなんですよ
普通はそう思ってるはずなんですよ
もうこの説教いいんでやりますから
もうわかったんでみたいな感じ
だとしたら罪の意識なんかなくても修正できると
信頼していいんじゃないかなと私は思いますね
罪悪感のデメリットと手放し方
ここが一手目なぜ手放せないか
持たなきゃいけないと思ってるから
そんなことないねっていうふうに発想を変えれば
簡単にここの理由を消すことができますよね
それから罪悪感はすべて過去にあるんですね
未来に罪はないんですよ
すべての罪悪感は自分がやってきたことやったこと
だから簡単に言えば
この過去のことを考えるのをやめればいいんですね
そうかとこの過去のことを考えるから
私はこの罪悪感に苛まれるんだなと
もしくは罪悪感を持ちそうになったら
過去のことを考えるのを一旦やめればいいんですね
もう楽しい過去のことはいくらでも考えてもいいんだけど
罪悪感を持ちそうな過去のことを考えなければいい
そして過去という時間はもう消え去ってないんですね
私の頭の中でしかない
それを残しておく理由はさっき言った
罪の意識は持たなきゃいけないという
その義務感によって持ち続けてるだけですよね
だから罪の意識などなくても
言動を修正できるという信頼を持った瞬間に
この過去のことを考えなくていいということになるわけですね
つまり反省も振り返りもしなくていいということです
そして最後に最も効果がある
怒りと罪悪感の関係
でも最も多分僕らが抵抗を感じる
最大の手放す方法
これがさっきの3番
僕らは抱えきれなくなった罪悪感を相手に投げ
本当は自分の中にあった罪悪感を相手に見て
それによってこの怒りが湧き上がっているんだということが分かれば
私が怒っているのは相手の言動ではなく
自分の罪悪感だなということに気づけますよね
さっき言ったように僕らは
この怒っている時に目的は
もともと自分の中にあった罪を抱えきれずに消すことなんですね
だから相手に投げて相手を怒ることによって
これは相手の罪だったよねということを自分に言い聞かせているわけね
これは何をしているかというと
私の怒りと原因は切り離しておきたいという願望なんですよ
その方が楽ですよね
怒りの原因は外にある
それに私は怒らされているんだというふうに認識しておきたいんですね
でもこれは実際にはどちらも自分の中にあるんです
もともと自分の中にあった罪悪感を相手に投げ
それを相手に見て怒っているわけですからね
この怒りとその原因は両方とも自分の心の中にあったってことなんですよ
これも少し厳しい認識なんですけども
これは以前も言いましたが責任論ではなくて救いの光なんですね
僕らにとってこの怒りを手放すとても重要な救いの光になる
つまり私が怒っている相手を許せばいいんですよ
そうすればそのまま自分の罪悪感を許したことになるんですね
手放したことになるんですよ
でもこれを自分の怒りとそれを引き起こした原因は別々であって
原因は相手の中にあると見たらもうこれは許せなくなりますよね
しかもどのように許していいかもわからない
相手の中にありますからね
これが多分僕らがいつも許すことに失敗する原因なんですね
そうではなくさっき言ったようにね
私のこの怒りは自分のどんな罪悪感を相手の中に見ているんだろうか
っていう問いを発することができれば
なるほどこれは私が今許そうとしているのは
自分が投げかけたもともと私の中にあった罪悪感なんだなってことに気づけるわけね
これであれば僕はそれほど難しくないんだと思いますね
ジャジュンワークと罪悪感の関係
自分から投げられた私の罪悪感を今私は許そうとしているんだと
もちろん簡単ではないですけどもね
僕らのこの習慣の中に染み付いている
相手の罪と見ながら怒っているという風なね
この習慣を変えるのはなかなか難しいんだけど
いやでもでもこれは俺が投げてるんだとしたら
これは自分を許してるってことなんだよねっていう風に捉えられる
このようにして最強の手放す方法っていうのが実現するんですけどもね
このあたりももう少し詳しくお話ししないとやっぱり難しいかもしれませんね
このあたりをやりながらとにかくこのガーディアンが私を縛ってくる
この罪悪感というのを手放していく
これがグッドバイブスの中ではものすごく大切なトライになるというそんなお話ですね
これはですね本当にその効果的面なんですね
いろいろ私お話しましたけども
もっとなんか小さなねなんかやらかしたなあどうしようっていうこの自分を責め始めた時に
ここで罪悪感を持たないようにするというこのトライをね
日々やるだけで相当楽になっていくので
本当に身も心もねえっと見違えるほど楽になっていくので
これはもうあまりこの今日ねお話ししたそのなんつーかなややこしいところは抜きにして
簡単に言うと自分を責めないようにするっていうこれをね心がけるだけでも
本当にまあ1週間投下続けるだけでね
効果的面に現れますからぜひ騙されたじゃないんだけども
まあちょっと試しにねやってみてください
そこでね極悪人になったりしませんから絶対大丈夫ですから
そんな感じですかね
で明日あの前回もお伝えしましたが
ジャジュンワークみんなで一緒に6時間のジャジュンワークというイベントをやります
えっと土曜日ですね13時から7時までやります
でリアル会場が築地東銀座ですね地下鉄のそれからオンラインでもOKです
でこのねえっとジャジュンワークには7つの作法というのがあって
えっとその中にねとにかく自分が何をやっても
えっとそれを振り返ってね評価判断しないっていうこの作法が1個入ってるんですね
これは何かというとえっと自分のやったことに罪悪感を抱かないという仕組みなんですよ
だから前も言いましたけどこのジャジュンワークはまさにそのガーディアンの自分をね
グッと後ろに下げて本来の自分を前に出させて
それで6時間何かをやったらどうなるかということを捉えするね
そういう場でもありますんで
しっかりとこの罪悪感を抱かない仕組みもここにインストールされてるんでね
罪悪感を手放す方法
今日のお話の流れからねもうちょっとそれでそのそういうのやってみたいなという風に感じた方はですね
ぜひ気軽に1時7時なんですけども何時から入って何時に退出しても構いません
もう本当に自由ですからねつまり何をやっても罪悪感を抱かないというこれが作法であるならば何時に来て何時に帰ろうと
そこで自分を責める必要はない仕事をやろうと思ってきたんだけども
なんかしないけど別のことをやっちゃったら全然OKですとそこで罪悪感を抱かないという
それだけでも僕は価値がある
何かやりとってやろうと思ってたことできなかったなぁ
でもそこで自分を責めなかったよこれで十分なんですよ
その体験をですねぜひ特に自分を責めがちな方
休みの間この時間のある中でこういうことをしようといつも思ってるんだけど
なかなかできなくて結局夕方になると自分を責めて終わってしまうんですよねみたいな方はですね
とにかくこれを一度体験してみてくださいお勧めします
じゃあ今日はですね僕らが長いこと自分の人生にね
罪と罰の仕組みを試す
もうこのパーソナルなこの半径5メートルぐらいの人生の中にずっと適応し続けてきたね
この罪と罰の仕組みこれをね試しにね
一切使わずに自分を責めずにいい一日をお過ごしください
ありがとうございます
ん
ん