1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 123 本来の自分を使えば人間関..

今日は、本来の自分を使えば、他の人のおかしな言動に心を乱されずにすむという話をしています。愛だけを見るなら、私たちの言動には「I love you!」と「Help me!」の2つの動機しかないとわかります。番組でお知らせした「Jazzin' Work」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230527.peatix.com

本来の自分の持つ本性とは
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは ただいま5月24日水曜日の午前1時5分ですね
今日はですねあの前回122話かな 使うのが怖くて封印してしまった私たちの本性を発揮してみるというね
この話の続きをちょっとしたいと思っているんですね 要はあの前話ではですねこの本性を発揮するにはどうすればいいかとかね
なんで僕らはその自分のこの本性がね 怖くて隠しているのかみたいなそういう話をしたんですけども
なぜそうすればいいのかみたいなね そこはあまり触れなかったかな
一応ボイトレの方の例とかねそういうのを挙げて 案にその方がいいよみたいなことはお伝えしたと思うんですけどもね
この続きをねちょっとお話したいのとそれからその前の話で121話 えっとねコントラストのない目でまあ良い悪いとかね
善悪とかそういうコントラストのない目 これを本来の自分は持っているからこれで他の人を見てみようというねお話もしたんだけど
ここで コントラストではなくて愛だけを見るというねまたちょっと謎の言葉を残してしまったんだ
けどもこの2つをねあのうまいことを整理できるようなね 続きというか
それを今日お話ししてみようと思いますでまぁもう一度ねなんでその僕らはその本来の 自分この本性この本性は4つだいたいあるという私は思ってるんですけどもね
まあこれは言葉の問題なので表現の問題なのでね もっと別の表現をしようと思えばいくらでも多分あの思いつくと思うんですが
まずは平安であるということですねこれはね恐れや不安がないと言ってもいいでしょう ね
まあなぜかというと僕らの恐れや不安このあらゆる恐れや不安はね 現実に起こっていることとか出来事そして他の人の言動それを見て怖いと思うん
ではなくてね 僕らがそれを見てそこから自分の頭の中でね
まあ意味付けをしたり何かを考えたりするこれによって恐れや不安というのは生まれる だからこれをやらないこれをやる必要がない本来の自分は恐れ不安を持たないん
ですね だから平安であるという本性を持っている
そして価値マックスこれは不足がないということですね そしてえっとこの価値マックスはもう一つのメッセージとしてはえっと自分と他の人は
等しく価値マックスというねこれがまあ一つ意識 対等というねそういう感覚になるんだけどもそのようなものも持っている
そして罪がないってことですねまあこれはもう罪というのは人が作ったものなので そのイノセント無垢というかね
罪悪感を持たずに済むということまあ持つ必要がないんですね なぜならばもう一つの本性愛そのものであるからなんですね
まあ要は僕らが一切の恐れや不安を持たずね 平安な心でそして不足も感じず
それそしてその上に愛そのものであるとしたらね えっと罪悪感を持つような行動はしないし
偽りの自分との戦い
その罪悪で罪と罰のね仕組みで自分をどうこうしようとかっていうね自分をその 正しい道に導くみたいな必要もないということになるわけですね
でも前回ねお話ししたように偽りの自分もう一人の自分ですね これは要はこの本来の自分に反旗を翻している自分のような感覚かな
まあ氾濫を起こしたわけですね なぜか知らないけどその4つの本性が気に入らないと
多分これはですね一つ意識と一緒に語ら語らないとならない話なのでね すべての人がそうであるというこれが多分嫌なんですよね
いやいやいや私だけ特別でありたいとかね私だけもっとたくさん得ていたいとか もっと言うとこの他の人たちを支配したい自由に自分で支配したいとかね
なぜかそうしないと怖いんだっていうふうに思ってしまったそのもう一人の自分という のがいるわけですねこの偽りの自分はまさにこの本性に反旗を翻して現れてますからね
だからこの僕らの本来の自分の持っている本性をとても怖がっているしこれを使わない ようにしようとしている
そこでこれを出すとうまくいかないぞという世界の文脈を作り出したわけですね まあそれがえっとそれぞれ私たちは効率して単独で生きている
そしてそれは競い合う競争でもあると だからとてもじゃないけどそんな愛そのものとかね
のんきなこと言ってる場合じゃないんだよともっと僕らは過酷な世界に 孤独に生きているんだよっていうのがこの偽りの自分の文脈なんですね
だからまあそのように多くのねもうほとんど全ての人がそのように認識するとすれば 常識がそのように変わっていきますからね
それは教育とかしつけとかいろんなものに反映されていき 僕らはいつしかねこの本性は良くないものなんだって思うようになって隠してしまった
これを使わないようにしてしまったってことですね 使わないようにすればいつか忘れていくしそのようなものができるということも自分で
信じられなくなるわけですね でも僕はあえてねこの本性をもう一度思い出してそちらを使った方がいいと思っているわけですね
まあこれが私がそのこの番組でもよくお話しするね3度ほど絶望の淵にたどり着いた時に 最後に聞こえた答えなんですね
まあこれ今あのザギフトというねえっと新しい連載を書いているんですがその第4章がね もうちょっとで出来上がるんですけどそこにねちょちらっとこの話は書いてるんですけどもね
要はそこには2つの道があった 一つはですねまた同じことを繰り返してこの絶望の淵に戻ってくるループする道
そしてもう一つがするとは違うね おそらく幸せというところにたどり着くこのワープする道ですね
本来の自分を使うこと
このループもう一回同じことを繰り返すのかするともワープ違うところにね 飛び立てていく飛び立つのか
この2つのお別れ道のこのワープの方に本来の自分を使いなさいという風にね まあ私はそのいうメッセージを受け取ったというそういうことなんですよね
でこれをまあ使ってみるとですね とにかくこちらの自分の方があらゆる面で優れているということがわかりますね
なぜならばその偽りの自分はどうしてもその自分で考えて答えを出そうとしますから この世界がどうであろうと現実がどうであろうとそれはお構いなしなんですね
でそれに合わせないことが自分の安全だと思ってる でもこの本来の自分はそこと一つであるのでね
まさに川の流れのようにそこを信頼しなさいというどちらがうまくいくのか これはねあの一目瞭然なんですよねこの広大な世界
に比べてこの広大な宇宙と言ってもいいでしょう 地球規模でもいいんですけどもね僕なんて本当豆粒大の大きさですよもっと小さい
そんな自分がそんな広大な世界にね 立ち向かってそしてそこの流れではなくてすべて自力で何とかするんだ
うまくいくはずがないんですよね ここにあのなんていうのかな大きな信頼を寄せてここと一つである
つまり僕はこの流れの中にいるんだっていうね この感覚を持てるのが本来の自分なわけです
つまりこの本性を使う本性を出すとね私が言っているのは できるだけ余計なことをしないということですねまずねこれはまあその偽りの自分が
やれということを一切そのできるだけ無視してね余計なことをしないで この本来の自分に任せるっていうことでもあるわけですね
まあ委ねると言ってもいいのかな もちろんこれはね自分ではないものに何か痛いの知れないものに任せようという話では
ないんですね 本来の自分というのは私ですからね
ただ私の中で封印してしまったもう一人の私もともと本来をそうであった自分 これに任せるっていうことなんですね
だからまあボイトレで言うならばこれはもうものすごく具体的にお伝えしてるんです けどもね自分で歌おうとしない
本来の自分にどう歌うかを聞きながらただただ声を響かせているというそういう 歌い方をするわけですね
でこれをまあえっとこの生活全般に当てはめながらね この本来の自分に委ねながら任せながらそのように暮らしてみるということそうすると
このこちらの方の自分がねあらゆる面で優れているので まあうまく生き始めるということですね
好転し始める そしてもう一つ僕らはこのえっとねつまりこの2人の自分を自分の中に抱えて生きてる
ということはね常にやっぱり葛藤を持つんですね この2人が真逆に行きますからね
片方は偽りの自分は本来の自分を信じていない そしてえっと本来の自分を封印しようとしている
でもこの本来の自分は消えることがないなぜならばそれは僕らの本性ですからね これは永遠に変わらない変わらずに消えずにいてくれるということがまあ僕らにとって
救いになるわけですね どんだけ偽りの自分が頑張って追い出そうとしてもこれだけはできないんですよ
まあこれはある種その宇宙の法則に反するようなものなのでね だからえっと必ずこの2人がねえっと共存してしまうんですね
そうするとここに葛藤が生まれる葛藤というのはまあある種のストレスですよね 要はあの緑のねご機嫌な仕事でチラッと書いたと思うんですが
要は水に住んでいるね例えば魚海に住んでいる魚が陸で暮らそうとすれば葛藤が生まれ ますよね
葛藤というか多分暮らすこともできないぐらい苦しいと思う そして僕らが反対にねこの陸で暮らす僕らが海で海で暮らそうとするとやっぱり苦しいです
よね 要はあの僕らがその本性を隠して偽りの自分に従って動いているというのはこのような
感じが僕にはするんですね まるでえっと場違いなところでとまるでえっと自分の本性とは異なる
言動をいつもしている 当然だけどもここに葛藤が生まれるんですね
だから僕らの本性がこの偽りの自分の持って思っているもの そのこうしろというこれと沿っていれば葛藤は起こらなかったんですよね
だからそこにはえっとそうであればまだ問題はなかったんだけど そこが食い違っているんですよね
これがその本来の自分本性を出すということによってなくなっていくわけですね 一本に揃っていくわけですよ
もともとの僕らが持っていたそのね 資質みたいなものとこの言動がねピタッと一致しますからね
ここに相反するものがなくなる葛藤がなくなることで僕らはもっと楽に自由に暮らせる ようになるということなんですね
まあ主にねこの2つがその僕がね本来の自分の本性を使う 出す方がいいという理由なんですね
一つはこちらの方があれる面で優れているのでね 余計なことをせずにここに任せておく方がうまくいくということ
そしてもう一つが葛藤がなくなるってことですね この偽りの自分と本来の自分の対立のようなもの
まあ本来の自分は対立しないんですけどもね 本性にその愛そのものみたいなものがあるのに
そうでない言動をしているというこの葛藤ですね ここからまあ開放されて楽に自由になる
ストレスがなくなるみたいなねこの2つなんですね じゃあこの本性を出す本性に従うこれはねどういうことなのか
これをもう少し今日はね具体的にお話ししてみたいと思うんですね でこれはあの前々回のもう一つのね
コントラストを見ずに愛だけを見るということと ほぼほぼ同じ話でこれも愛だけを見るってのはどういうことかっていうのをね
あまり詳しく言わなかったんでこの両方のまああの続編になるかなというそんな感じ なんですね
他の人の言動に対応する
で例に挙げるのはえっと他の人の言動にどう対応するかなんですね これはまあ人間関係全般でえっと僕らにとってねとても大きなテーマになってますよね
私がいますとそして私の周りには私とは全然ね考え方も個性も異なる 私とは別の人がいますと
でこの人たちがどうもいろんな言動をすることによってその楽しいことばかりではなくてね 悲しかったりつらかったり時には腹を立てたりね
どうもこういう人たちと一緒に会いたくないなみたいなねそんな嫌な感覚になると だからネットここにこのね本性に従うそしてコントラストを見ずに愛だけを見るということを
ね 持ってきたときにこの他の人の言動に対応するこれがどう変わっていくかっていうそういう
話なんですね でまず前提としてこれはいつもお話ししているところなんですが
まあこれはグッドバイブスの最初の一歩の認識でもあるんだけどね 僕らは一見他の人の言動に直接反応していると思っています
ある人がこういうことを言ったそれに僕は直接反応して楽しい悲しい腹が立つ むかつく息通るみたいなこんな反応を起こしている心の反応ですねと思っているんだ
けどもこれは実はそうではない まず最初に他の人の言動があるんですね
その次に僕がその言動に対して自分の解釈をそこに加えるんです この解釈に対して僕らは反応してるんですね
だから他の人の言動だけではなくて他の人の言動プラスその次に僕がそれをどうだ いいますねここでいい悪いひどいとかね
あこれこいつはこういうことを考えているに違いないみたいなそういう解釈を そこの解釈に反応してるってことなんですよ
そしてえっとなぜかこの解釈に関してね 僕らはえっと相当自信を持っているわけね
これは正しいとねそれはなぜかというとねそのように反応するからなんですね ちょっとややこしいかもしれないんだけどある人がこうだという
僕はそれを酷いと解釈する酷いと解釈するからムカつく起こるみたいな反応をして まあ例えば時にはねそのことを口に出してその人にぶつけるとこの反応をした
瞬間にもう僕にとってはその解釈は絶対に正しいもの そしてそれが現実だっていうふうに認識されるんですね
そうでないと頭とその体が混乱しちゃいますよね あと頭ではこうだと解釈してるんだけど
えっと反応しながらねいやこれは間違ってるんじゃないかなんてことを考えてたら 何もできませんからね
僕らその悲しいかなこの解釈に対してストレートに反応した瞬間にもうそれは自分にとって 極めて正しいそして現実だというふうに認識されてしまうんですね
でこれはいつも言ってるように本当のことはわからないので僕らはその 相手の言動その解釈なんていうのは本当はできないんですよね
他の人が何を考えているか本当のことはわからない だからえっとここからねどんな事実が浮かび上がってくるかというと僕らがこの他の人の言動
の動機ですねそして理由 なぜそんなことをするのかこれを自分自身で分析している限り
僕らはこの負の感情負の反応ね そこから逃れられることはできないってことなんですねつまり自分で作り出しているので
ね ですなぜその負の感情負の反応が起こるかというとまさにその他の人の言動その動機を
自分自身で分析しているからなんですよ で当然この後攻撃というのもね僕らは繰り出しますから攻撃というのは2つあってね
目に見える攻撃例えば怒りをぶつけるとかね こちらが一つもう一つはその行動を自分でまあ制御したとします
でも心は制御できないんですね行動は制御しても心は攻撃しているから 実はその表に出すと出さないとあんまり関係なくて僕らの心の中に攻撃という
ものがね このいっぱいに詰まっているというそのこの2つ目の心の攻撃というのもあってね
このまあこれは苦しいわけですよ非常にね まあこれがもう僕らのその苦しみのすべてと言ってもいいぐらいかな苦悩を生きている上で
本来の自分を見つめることによる動機分析
辛いな苦しいなと思う時のすべてこれは心の中に怒り攻撃が詰まっているということ なんですよね
それはなぜ生まれるのかこれは他の人の動機を自分自身で分析するからなんですね でこの自分というのはおそらく偽りの自分でしょ
だからえっとここでねここで使うんですねここでじゃあ 本来の自分だったらこれをどのように見るんだろうかっていうふうに見るわけ
そうするとえっと僕らの言動にはね実はこの偽りの自分はこの動機理由をねその場に 応じてそれこそもう何十通り何百通りと作り出します
でも実はこのね 私たちの本性である愛そのもの愛だけを見る本来の自分から見ると僕らの言動には
たった2つの動機しかないということがわかるんですね じゃあそれがどんな動機かこのこった結論をお話しする前になぜ僕がこの答えに
たどり着いたかっていうのをね説明しておかなきゃいけなくて これはネット例えばね僕が誰かに怒りをぶつけているっていうねそういう時に
私は私の心は一体何を求めてるんだろうかっていうことをね 探ってみるんですね
まああの怒っている時にはなかなか難しいんでこれは思い出すしかないんだけども これをまさにね自分を愛する目で見直してみるんですよ
私を愛していますと私が怒っていましたとその時君は何を求めていたのかな っていうねまさにこれはある種親のような視線なんですね
親が子供を見るようなそういう視線 そうすると
いやいやムカつくんだよって言うね いやいやだから何を求めてたムカつくのは分かるそうかそうかと
リベンジしたいうんそうかそっか本当にそれだけに相手を困らせたい いやいやもっとそれでそれで済むのかな
みたいな感じでこう自分の心深掘りしていくんですね そうするといや謝ってほしい
だんだん近づいてきたとそれってどういうことかな 何を求めている謝るっていうことはね一つの象徴だよね
じゃあ謝るという象徴によってあなたは何を求めてたんだ 分かってほしい分かってほしいもかなり近づいた
行動を改めてほしいまぁちょっと外れたかなぁみたいなこんな感じでこう 深掘りしていくわけですね
そうすると何かを求めているっていうのはわかる でその象徴として謝ってほしいとか行動を改めてほしいとかわかってほしいとかね
そういう何かこのある種のねえっとその求めていることを別の形にしたようなものが 現れてくるこれ前に言いましたよねあのこの僕らはその怒りをね
えっと公言できる形その口に出しても恥ずかしくない形にすぐ変えてしまうんだっていう ね
だからこれをプリミティブなところに戻しましょうっていう話をした まさにそれをやってるわけですね
そうするとずっとずっと深く掘っていくとですね僕の心の中に最後に残るのは助けて ほしいという切実な叫びなんですよ
これが重要なんですねこれを僕はまあ自分の心を見ながらね なんとなくここにたどり着いたんですねうん
愛と恐れによる動機二つの分類
そうするとこの助けてほしいという切実な切実な叫びというのがこの怒りの動機 だっていうことがわかるとね
ここでもう本当に2つしかないっていう結論が出るんですね でしかもこれはネット本来の自分が出す結論なのでね
愛だけを見てこの動機を2つに分けているわけですね 一つはこれは平和な方ですね
僕が何か愛を表現したいという動機これはもう本当に皆さんがその大好きな人とかね いい時間を過ごしているその時ですよ
何かしてあげようか何か食べるとかね どこ行こうかみたいな楽しかったねこの愛を表現してますよね
これが一つこれが一つ目の動機もう一つはこれが怒りとかね おかしな行動につながるんだけども
恐れや不安を抱いてなんだかのね僕は今愛の表現ができないこの愛の表現さっき言った 愛してるよってこの愛の表現ができない
この私を助けてくれっていうねこの動機なんですよ これがもう一つ
と2番目の動機ねでこれ以外多分ないんですよ この間とかねこれ以外の動機の表現というかね言動っていうのは多分僕らはないん
ですね どちらかなんですよ愛を表現しているかもしくはそれができない自分を助けてほしいと言って
いるか 怒り行き通りそしてもっとこ人を困らせたいとかね
なんか嫌がらせをしたいとかそういうのもおそらく全部この2なんですよ つまりこれを英語で言うとですね
アイラブユーかヘルプミーしかないってことなんですよね これがまさにねコントラストを見ずに愛だけを見る本来の自分の見方なんですね
これ確かに一問にもね愛しか見てないですよね 一番はまさに愛を表現したいという動機そのものですよね
「アイラブユー」と「ヘルプミー」
2番も実はこの愛の表現ができない私を助けてほしいという意味では 愛だけを見ているんですよね何が足りないんだ
愛が足りないんだっていうね この状態を見ているということつまりこれはですね簡単に言うとこの偽りの自分の
囁きの中で恐れや不安を抱き本来の自分が何であるかを忘れているこの私を助けて ほしいという叫びであるということですね
まさに愛だけを見ている見方なんですよ でじゃあこのようにねまぁちょっとこのピンとこないかもしれない
これはまさにこの本来の自分のね見方なのでね いやいやいやそうじゃないでしょうもっとあるでしょうと思うかもしれないんでね
まぁでも一応そういうこととして話を進めますね ヘルプミーかアイラブユーしかないんですよ
でこのアイラブユーに関してまぁここからだからそれにどう対応するかって話になって いくんだけどもこれは何もする必要はないですよね
平和な時間が流れているだけ 相手がそのアイラブユーというね愛の愛を表現している時僕は何もしなくていいそれを
ただただ受け受け止めればいいね 問題は2ですよねこの恐れや不安を抱いて愛の表現ができない僕を助けて
ほしいと相手が言ってる時でこれはさっきね 僕が自分の心を掘ってねようやくを一番下のところにプリミティブな形で
ヘルプミー助けてが出てきたんだけども えっとそのようにストレートに言うことは100%ありえませんね
そうではなくてそれを公言していい形 そういうものにねもう随分と随分と加工されていますから
このにの音ヘルプミーはもうほとんど100パーと言っていいほど 怒りとかねあるいは理不尽な要求だったりね
なんか嫌な感じのその表情だったりねそういう なんつーのから僕らからと見ると恐ろしい表現というそういう形をまとっているん
ですね これがやめっこしいんですよ
これを僕らはその偽りの自分というかなそちらで見てしまうと えっとその恐ろしい表現にね惑わされて自分でこの動機理由をね
この言動の分析したくなっちゃうわけですね解釈したくなってしまうわけですね 例えばこれは間違いなく僕に対する攻撃なんだとこいつは単に俺を困らせようとしてる
恐れや不安からくる攻撃
だけなんだとかね だからこの人は僕を支配しようとしてるぞとかね僕の自由を奪おうとしてるとかね
あるいはもっとひどい時はこいつ俺を裏切ろうとしてるなみたいなね そういう動機を間違いなく予想したくなるんですね
でもこれはですねさっき言ったように本当のことはわからないわけで僕らにこの分析が できるはずがないんですね
そしてそのように解釈して反応してしまうとそれは紛れもない現実 そして僕はその解釈が正しいんだというふうに思い込んでしまうというね
であの一つね面白い例としては本当の本当に僕らはわからないんだろうなぁという例としてはね この解釈分析の中でね
何考えてかさっぱりわかんないっていうのがありますよね 相手に怒りながらもうほんとわかんないわ
何考えてんだあいつはみたいなね このわからないということを分析してそこに腹を立てるっていうね
この象徴的な言葉なんですよね全くわからん理解できないっていうねこの感じ まあまあだからそういうようなことを僕らはこの2のね
ヘルプ3に対してこの動機に対していろんな自分なりの分析解釈をつけてしまうということね これはでも全て間違っているんですね
えっと本当のことはわからないというだけでもここは間違ってると言えるんだけどももう 一つあるんですよ
このように解釈すると僕らは間違いなくねこの2番のヘルプ3というこのこれを動機に おかしな行動おかしな表現をしている人にを見て間違いなくこの人だけは助けたくないって
感じますよね ここがもう多分間違ってるんですよ
ヘルプ3と言っているのに助けたくないという反応に反応に持っていくしかない解釈を しているわけですからね
そしてそれだけじゃない多分ねその助けを求めるその人をね 攻撃したくなってるはずですよ
ヘルプ3と言ってる人に対してねそこの動機をヘルプ3ではなくて自分なりにね勝手に 解釈し攻撃だとかね裏切りだとかね
よくわからんとか言いながら 自分で解釈しそれに反応してねでこいつだけは絶対助けるものかと思い
ながらさらにそれを攻撃するというねこちらに流れるということが僕らにそのね ハッピーな結果というのかな
双方でもいいんですけどもね双方にハッピーな結果をもたらすはずがありませんよね どちらにしても
その僕が助けるもんかつて攻撃したとしても多分さっき言ったような葛藤を抱える だろうし
相手はねそれを見てえっとますますその恐れや不安を強めてね 攻撃をその手放すどころかね
まさに攻撃の手を強める一方でしょうね でここでよくその見直してみると僕がその相手の言動に反応して助けるものかと言って攻撃を
繰り出したくなっているということはもうこの時点で私もアイラブユーではなくて ヘルプミーになっているわけですね
だから助ける前助けるもんか攻撃で返すって言うわけですよ このまさにヘルプミー合戦というのかな
そこに何の救いもないとお互いに助けてくれ助けてくれと言いながら その助けてくれという本当の音叫びを心の奥に隠しながらね
怖い表現を繰り出しているとなんていうかね終わりなき争いというかね どこにも救いがない感じがしますよね
だからえっとこの話のねえっと一番その入り口として僕がお勧めしたいのは えっとよくその自分ではない
ヘルプミーの視点と恐怖からの解放
えっと私がまずいてえっと私の友人の a さんと b さんがいて この a さんと b さんが揉めているっていうケースの相談を双方からされることって
ありますよね まあ会社とかでもありますよねまああんな真ん中に入ってある部署の
a さんと別の部署の b さんが何かこの仕事のことで揉めていると そしてまあたまたま僕には両方が話しやすくてそのことをね
双方にあいつは酷いということを僕に言うとこういうシチュエーションの時にえっと その a と b が両方ヘルプミーを動機にしてるんだっていう視点でこの2人の揉め
ことを眺めてみるってこれを一番お勧めしたいんですね でそうするとなるほどってわかります
おそらく最初はですねえっとヘルプミーじゃないところから始まるんですよ 例えば a さんは b さんに何かをしようと思って愛の表現
アイラブユーという何かのその言動をする b さんもそれに返しているでもそこで何かの相互が起こり えっとどちらかがヘルプミーに変わるんですね
その途端相手がそのヘルプミーを受け取れずに攻撃で返すものだから両方がヘルプミー ヘルプミーになっているつまり両方とも助けてくれ助けてくれと言い
ながら相手を攻撃しているんだっていうねこの図式がよく見えるので まずは自分が関わってくるとね
どうしてもこの心の解釈分析をどうすんだみたいなところにもっとどう向かう向き合いざる 向き合わざるを得ないのでね
おすすめはこの仲介しているとき第三者がもめているときにこのヘルプミーの視点を 持って眺めるというのをやってみてください
でこの次にそれでなんとなくわかったかえっとその後どうこうするとかっていうのを一切 考えずにすべての他の人の動機を
アイラブユーかヘルプしかないヘルプミーしかないんだというこの2点だけで眺めてみてください で残念ながらもう
アイラブユーの表現はいかに少ないかなっていうのもこれは実感すると思います これしょうがないんですよね
本性を使ってない僕らは本来の自分を隠してますからね どうしても必ず怖くなる
怖くなってヘルプミーの方に回ってしまう でもヘルプミーというのは本来の自分がいるから出せる叫びなんですよね
私の中にいるこの愛である自分を出せずに僕は困っているんだってこれを怒りとかね なんか嫌な言い方とかそういうもので表現している
それをそのように見るのではなくてヘルプミーと見るとね どんな風に見えるかっていうこれをちょっと次に試してみてほしいんですね
これは自分に降りかかっているその相手の表現ですね これが第二段階ここらへんまでえっとまずはねやってみると面白いかなと思います
で何がいいかというとねこのようにその他の人の言動その動機をね この市以外のものを全部ヘルプミーとね
アイラブユー以外のものをヘルプミーとこの見るこの本来の自分のね視点を持てたら 自分がこのまさにね同じような状態になったとき
つまりね愛の表現ができなくなった時ですよね 怒っている腹を立てているムカついている
大事な人になんだか知らないけど攻撃して復讐したいと思っているみたいな時にね この時にえっとそっか私もヘルプミーと言っているんだっていうことが一発で自覚できるんです
よね そうすると心が何を求めているかっていうのがわかりますよね
一見それは復讐して相手に相手に復讐して心を晴らすことを求めているように感じるかもしれない もしくは相手をギャフンと言わせてね
ざまあみろと言いたいとこれを求めているようなえっと気がしているかもしれない でも違うぞとそこじゃないぞこれはヘルプミーだ
つまり私は愛を思い出したいんだっていうことがね 求めていることだってわかりますよね
これをまあ要はこれを愛を見て愛を思い出したいと思ってるんですね だからヘルプミーと言いながら私を愛してくれよと言ってるんですよ
ヘルプミーの習慣への移行
そうするとその相手が自分を愛するその愛を見て僕は愛を思い出せるんだからっていうね ここまで多分深いんじゃないかと思う
このように自分のね怒りとか意気通りとか 攻撃したい心というのをね覗けるようになるというのがやっぱり一番のメリットだと思います
ね ここにも愛しか見ないというこの視点が向けられるということなんですよ
そしてこれが第2段階ね第2段階でも相当メリットはあると思う そしておそらくこの第2段階ができるとね
この第2第3段階というかここも実はすんなりいけるんですよね 要はヘルプミーと言っているんだからそこに
愛を持ってね私に何ができるかっていうのを聞くという習慣をつけるんですね 相手がおかしな行動してくるそれはさっき言ったような理不尽な要求だったり怒りだったりね
恐ろしい表現を纏っているんですね これは仕方ないこれをヘルプミーと受け取りながら
なるほど全部ヘルプミーなんだとじゃあ私に何ができるっていうのを本来の自分に聞いて みるということですねこの愛そのものである本来の自分に
この人のヘルプミーに対して私が何ができるのっていうのを聞く でまぁここらへんにえっと要はですねえっと僕らが抵抗を感じる要因としてよく人助け
をしようみたいなねここにモラル道徳みたいな概念が入ってくる それにはなんとなく僕は反発したい感じがする
いつも言うようになぜっていうところが語られてないんですよ でこの取り組みのなぜはもうものすごく明確なんですね
私自身が怖くなくなるということそして平安でいられるということ そして人との関係をねより良くできるということ
これはもう本当に自分のためだけと言っても過言ではないぐらいそうではないんです けどもね
自分のためでだけではないんだけどもまずは自分のためと言ってもいいぐらい だからモラルでも道徳でもないんですよ
そういうなんていうのがよくわからない取り組みとして捉えない方がいい ヘルプミーとヘルプミーとアイラブユーとしてこの2つの動機しかないんであれば
ヘルプミーにこちらのヘルプミーで答えたら終わりなき闘争が始まる それを望むんであればそれでもいいんですけどもね
ここにアイラブユーで返すとこの2人の関係が変わってくるということです で助けると言ってもねそのまさにこの理不尽な要求とかね
相手の表現要求からの解放
相手がこうしてくれみたいなことをそのまま実行するっていうそうとは限らないわけですね なぜかというと相手は何をしてほしいか分かってない場合の方が多いんですよ
さっき言ったように復讐したいとかギャフンと言わせたいみたいな表面上のなんていうの からよくわからない欲求みたいなのを感じている可能性もある
だからしかもねそのギャフンと言わせる復讐するっていうことで結果何が起こるかみたいな ことをその時点では全く理解できてないわけね
もしかしたら僕を罰したいみたいなことを望んでいる可能性もある じゃあ僕も罰されますそうではないんですよ
そうではなくてこのヘルブミーというねこの受け取り方をした後に私に何ができる っていうことを愛を持ってそこで1回自分でね
本来の自分に聞いてみるとその答えを実行するってことですね だから相手の表現要求みたいなことに惑わされずにとにかくこの人を助けるにはどうすれ
ばいいんだろうっていうことね この試みまで行くとこの話はね
延長完成するんですね でさっきね第2段階のメリットについてお話ししましたけどこの第3段階まで行った後のメリット
ってのは非常に大きくてね なぜかというと僕らのその悩みね心配不安つまり平安を失う要素
それから愛そのものである自分を消す要素要因これはすべて恐れや不安なんですね そして多くの恐れや不安は攻撃と結びついているんですよ
なぜならば攻撃をされた瞬間に僕らは何かを失ったり奪われたりする 恐れや不安を感じますよね
で同じようにこれは不思議なんだけども自分が攻撃を繰り出したとしてもこれは変わら ないんですね
なぜならば攻撃を繰り出すということは相手の反撃が来る可能性を予感するということ ですからね
それだけじゃなく攻撃をすることによって僕らは多分多くのものを失ってるんですよ 例えば平安であるとかね
愛そのものである自分とかねだから攻撃とは基本的には失う恐怖何かを奪われる恐怖 だから攻撃と恐れや不安というのは基本的には密接に関わっているわけ
でこの時に相手の攻撃をね 助けを求める叫びというふうに見ることができたらこの恐れは消えるんですね
なぜならばもうこの時点で攻撃を見ていませんからね 助けを求める叫びと見ていることでこれであれば僕は何かを失ったり奪われたりする
感覚は湧き起こらずに済むわけです しかもこれをねその後第3段階まで行くとこの相手は今失ったり奪われたりしてるんだ
俺は助けてくれと言ってるわけね この失いそうになっているものを私は見るわけですよ
ヘルプミーと言われてね何ができるという時にそして何か思いついてそれを埋める ことができたとしたら
僕はそれを持っているということですよねそれを失ってないということなので まさに恐れや不安の根本が消えてなくなるんですね
ちょっとややこしい話に思えるかもしれないけども 攻撃を攻撃と捉えた瞬間に僕らはね双方に恐れや不安を抱く
失う不安失う恐怖奪われる恐怖というのを抱く これを片方でもいいからまずはこのこれもこの番組をね聞いている皆さんが片方になって
しまうんだけども それがこの攻撃を助けを求める叫びというふうに受け止めた瞬間にね
僕は攻撃を見ないということですねつまり愛だけを見るということになるわけですね まあ言うならばね全ての攻撃は愛を求める叫びであるというふうに受け止める
わけですからね これはとても大きなメリットだと思いますねこれによって随分と人間関係の中の恐怖とか
本来の自分の見方
ね恐れや不安そういうものが消えていくだろうしそして自分がね 攻撃をするというこの頻度を圧倒的に少なくなっていくでしょうね
まあこれは完璧にできるとは限らないのでわかってんだけどまたやっちゃったなぁみたいな ことは全然あっていいと思います
でもあの 助けられるかどうかとかねその第3段階まで行けるかどうかみたいなのは少し置い
といてまあこれは人にもよるしシチュエーションにもよるでしょう それから人によってはねやっぱり弱点というようなものがありますからね
僕もここを攻められたらちょっともうダメだぞみたいな都合はたくさんあると思います だからそういうところはね
無理せずに置いておいてでもこのデフォルトの見方っていうのかな 人の言動の動機を絶対に自分で分析とか解釈はせずにもう
アイラブユーとヘルプしヘルプ3しかないんだそれが本来の自分の愛だけを見る見方なんだ っていうことでここだけ受け入れてね
そのように見るというまあ練習トレーニング習慣かな これをつけるさっき言ったようにまずはですね
客観的に人が揉めている状態から始めてそして面白いわかったと思ったら 自分が受けるその2番の表現でおかしな表現
これを全部ねヘルプ3にまさにご翻訳するような感じから ヘルプ3ヘルプ3というふうに受け取ってみるということね
これをぜひぜひやってみてくださいまあここまででいいんじゃないかなって気がします これでまあえっとそれぞれの音方がねここから先どうしたくなるかというのは
えっとそのヘルプ3と見た後にね 感じればいいことなのかなと思いますこれがまさにねえっと今日私がお話し
たかった その本来の自分の本性を出す本性に従うそしてコントラストを見ずにえっと愛だけを見る
というねこの本性本来の自分の見方という そういうことですね
これはですねほんとね最強メソッドなんですよ もうねこうあらゆるあらゆる人間関係の悩みから解放されるというかね
そして人を嫌いにならずに済むそして僕のように人間関係をデストロイせずに済む 本当にもうあの万能最期万能にして最強のメソッドなんですよね
だからあの私の音この説明でわかっていただけないかもしれないんですが もうちょっとね効果うまく伝えられるといいなと思うんだけどそれほど
お勧めしたいやり方なので まさにもうこういう時はね騙されたと思ってちょっとやってみてください
うんそんな感じですかね今日はね で早いものでですねもうあのジョジンワークの週がやってきました
今週末の土曜日なんですね よかったらえっとこれまさにですねこの本来の自分本性を使うということを体験できるね
勇気を出して行動することの大切さについて
6時間になると思いますのでこれに関してはね 以前あの前回から自転車の補助輪を外すとか体育館の2回ジャンプ
これをすいすいやって楽しそうな子供を見るというのがね一番その やってみようという気になれるっていうかねこの隠しておいた自分の本性
そして少し怖いと思ってるねそれを出すことが怖いと思ってる ここを克服できる一番いい方法なんだっていう話をしましたがおそらくですね
来ていただけると何人かのそういう方をね 目撃していただけると思います私もそれになろうとして6時間
いい感じでいるようにしますんでね よかったらぜひぜひ体験しに来てみてください
まあ要は何か一人でやってるといつもここに詰まるよなとかね 休日にこれやろうと思ってても全然できた試しがないという方
ものすごいおすすめです必ず何かがつかめると思いますのでよかったらご参加ください えっと27日ですかね
土曜日えっと1113時からリアル怪獣は築地だったと思いますね あということは懇親会リアル怪獣の懇親会やまた築地の玉寿司ですね
まあオンラインもありますんでね遠方の方はえっとオンラインでご参加ください では今日はですねもうシンプルに他の人の言動
この動機これを自分で分析したり解釈するんではなくて 本来の自分は2つの動機しかないということを知っています
一つは i love you 愛の表現 もう一つはその愛の表現をね
それは不安によってできなくなっているこの私を助けてほしい ヘルプにつまりまあこのこちらの方が
暮らしていてね多い多い言動だと思うんですがこれを全部ヘルプミート受け止めて 何が起こるかをね試しながら今日は1日をお過ごしください
ありがとうございます
43:51

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