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今日は、偽りの自分がやりたいと望むことを否定したり却下したりせずに、しあわせを得られるものに修正する方法について話しています。これによって、前話の「特別でありたい願望」から始めた行動も、そのまま愛と平安に合致させられます。

サマリー

このエピソードでは、特別でありたい願望を手放すという話の続きで、2つの自己が存在することについて探求しています。本来の自分を思い出す方法として、自分で決めたことを辞めることではなく、特別さを他の人の問題を解決するために利用しましょう。特別さを持つ人々が、他の人の問題を解決し、ギフトを与えることができると考えています。起立不耐症という難病や他人の問題を解決するために、ギフトモードを使うことについて話しています。偽りの自分の願望を本来の自分に伝えて相談し、アドバイスを聞きながら敵と戦う世界から愛と平安の世界に変える方法を紹介しました。

目次

偽りと本来の自分の存在
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま8月16日水曜日の午前3時41分です。
今日はですね、あの前回、特別でありたい願望を手放すというね、お話をしたんだけども、これの続きをね、話したいなぁと思っているんですね。
要は、この番組でね、いつもお話ししているように、僕らの中にはその偽りの自分と本来の自分の2人がいると。
でまぁ、大体は多くの時間をこの偽りの自分で過ごしているんですよね。
で、当然この特別でありたいというね、特別でないと生きていけないんじゃないかという、この恐れや不安に基づく願望というのかな。
これはもちろん本来の自分ではなくてね、偽りの自分が抱く願望であるはずなんですね。
ただし、これはどんな問題でもその方起こり得るんですが、僕らはもうその生きてますからね、日々ね。
そして多くの時間この偽りの自分で過ごしているとすれば、この自分で決めたことというのがもうすでにあるわけですね。
こういうことをしようとかね、こういう目標を立ててこういうものになろうみたいな。
で、これをその本来の自分側に修正するというか、本来の自分を思い出すというね、一つの私がお勧めしているやり方。
これをやると、そのすべてをね、辞めなければならないということになったら、大変ですよね。
もうすでに始めてますからね。
なんか、偽りの自分で決めた仕事だから、本来の自分になったらその仕事は辞めなきゃいけないとか。
結構時間をかけてね、コツコツやってきたんだけども、これはなんか特別になるためのね、そういう行動だったな。
じゃあやめようみたいなことには、まあそう簡単にはできないわけですね。
で、しかも以前ね、私がこの刑事上の話というテーマでお話した回がありましたよね。
その時に、この刑事上の話が信頼に値するかどうかを見極める3つのポイントっていうのは挙げたと思うんですね。
その中に、僕らに何の犠牲も求めないというのを、僕は挙げているわけですよ。
だから、この偽りの自分が始めたことをね、辞めなきゃいけないとか、それをしてはいけないとか、あれをしてはいけないみたいなことがあるとすると、やっぱりこれはね、僕らにとって何かの犠牲になりますよね。
本来の自分っていうことを、ここをゴールにしたら、偽りの自分で始めたことを全部、この中断したり、辞めたりしなきゃいけない。
これはやっぱおかしな話でね、まあ現実にはそんなことはできないので、これをもし目指すとしたら、まさにこれは無理ゲーになってしまうわけですね。
だから、ちょっとややこしいかもしれないんですけどもね。
特別でありたいという願望への修正
特別でありたい願望を手放すというのは、その特別になろうとして始めた、そういう行動ですね。
これを辞めるということではないんですね。
この辺りを今日はね、しっかりとちょっと詳しくお話ししたいなと思っているわけです。
つまり、やっていることはそのままで大丈夫なんだというね。
多くのこと、偽りの自分が始めたこと、偽りの自分がこれをやりたいと思っていること、これに対してそれを辞めるとか、この行動自体を辞めるとかね、そういうことをしなくてもいいという話を今日はしたいと思っているんですよ。
これは前回ね、終わりの方で少しお話ししたんですけども、現象とか結果、ここの問題ではないからなんですね。
あくまで僕らがどのような心を持ってそれをやっているか、ここだけが問題なのでね。
ここを修正すれば、行動自体を変える必要はないという、そういう話になるのかなと思うんだけども、ある意味その別の見方をするならばね、この偽りの自分と本来の自分を一つにしてみるというね、そういう話なのかもしれない。
これまでは偽りの自分か本来の自分かという、そういうわかりやすくね、割と単純な図式でお話をしてきたんだけども、ここをですね、もう少しその実際の僕らの心の動きとかね、それから日々の行動とか日々の暮らしですかね、この人生になぞらえた中で、この二人の折り合いをどうつけるかという、そんな感じでもあるかもしれません。
要はですね、この本来の自分というのは、私がいつも言っているように、愛そのものだと思うんですね。
そうだとしたら、僕らがこの偽りの自分として行うこととかね、考えること、これは多分全て許してくれるはずなんですよ。
本来の自分がね、偽りの自分のやったことを何をやっているんだってね、咎めたりは多分しない。
愛そのものですからね、そして恐れや不安がない平安な存在。
この自分はですね、僕らがその偽りの側で何をしようとも、うんうんうんと言っても、こんな感じで見ているわけですね。
で、おそらくそれだけじゃなくてね、この動機が、例えば恐れや不安だとしても、この偽りの自分がね、大切にしているものとかね、これは絶対にやらなきゃダメなんだよ、みたいなことを頭ごらしに否定したりとか、
それから無理やりやめろって取り上げたりもしないと思うんですね。
もちろんそれはやらない方がいいみたいなことはなくはないでしょうけども、やめろみたいな、そういうやり方では多分ないと思うんですよ。
これを尊重することもできる。
だとすると、前回お話したね、この特別でありたい願望にしても、本当にその偽りの自分側だとしても、その自分がそれを望むとしてはね、この本来の自分は、うん、やればいいじゃんっていうふうに背中を押してくれるんじゃないかと私は見ているわけね。
なんかそんな感じがするんですよ。
自分の特別さを他の人の問題を解決するために使う
うん、大丈夫だよ、やればいいじゃん、みたいな感じね。
ただし、ただし、こちらの本来の自分はね、一つ意識だけが現実ということを知っているわけですね。
だから、僕がこの特別でありたい願望を抱いて、その上で他の人をね、もしくはこの世界かな、これを適当見て、ここと分離することだけは望んでない感じがするんですね。
なぜならば、このどれだけ努力してもね、この絶対に幸せを得られないやり方、まさにこのバラバラ意識の幻想の中、ここに僕を置き去りにすることは望まないからだと思うんですね。
そこで、この僕がね、例えば特別でありたいんだよ、どうしてもそれをやりたいんだよっていうふうに言ったとしたら、うん、やればいいじゃんって言ってくれるんだけど、ただ一つだけね、とても穏やかな習性を提案してくる感じがするのね。
それはどんな提案かというと、そのね、あなたのその特別さ、僕は特別でありたいと思うとすれば、僕の中の特別さを磨こうとしているはずなんですね。
僕の中にないものは磨くことも使うこともできないんでね、例えば私で言えば文章を書くとか、こういうポッドキャストを人前で喋るとかそういうことですよね。
これがまあなんとなく僕の中の特別さで、ここを磨くと特別なものになるんじゃないかなみたいな、そんな予感を持っているわけね。
これは認めてくれるわけですよ、本来の自分は。いいじゃん、それやりなよって言ってね。
ただその特別さを他の人の上に立つとかそういうためではなくてね、他の人より優れたところを見せるとか、まさにね、前回お話したこの異なる存在になる。
凡庸な人たちとは異なる存在になるとかそういうためではなくて、まさにその他の人をね、救ったり癒したり元気にしたりするために使ってはどうだろうっていう、まさにこの穏やかな提案をしてくれるという、そんな感じなんですね。
ここなら、この目的を持っていたらですね、僕は人より引い出たものとか優れたものとか、際立つものになろうとする試みをそのまま続けられるんですね。
で、おそらく思う存分この自分の技術やスキル、この文章を書くとか喋るとかね、様々なスキルを、この能力ですね、これを磨くこともできるわけです。
前回、このこれをやるとね、他の人を敵にし、そして心を戦場に変えね、他の人の敗北を糧に僕は特別な人になるというふうに、あまり良い結果にはならなかったんだけども、この特別さをね、他の人を救ったり癒したり元気にしたりするために使うというふうに目的をちょっとだけ修正したら、思う存分これできるんじゃないかなっていう、そういう感じの提案ですね。
まあ、要はただ一点、この目的をですね、得ることから与えることに転換すると、これだけでいいんですよ。
で、このわずかな修正をすれば、僕は世界を敵だらけの戦場に変えずに済むわけですね。
この僕の特別さというのを磨いたり発揮したりすることによって、世界を敵だらけに変えずに済むということ、戦場に変えなくて済むということですね。
そして僕は、この他の人を救ったり癒したり元気にしたりするために、この特別さを使うのでね、この僕が与えるもの、これを受け取る人たちと一つになれるはずなんですよ。
そして前回ね、このゴールだけは共有できない、誰とも共有できないというお話をしましたが、もし僕の他にね、同じようなことをしている、同業者と言いましょうかね、こういう人たちがいたとしても、この与えることに転換した瞬間に、たぶんこの同じ目的を共有できるんですね。
一緒にやろうよ、みたいなことができるわけです。
で、これだけじゃなくてね、例えばもっと具体的にね、大金を手に入れたいとか、ある分野で名を成したいとかね、それから起業して成功を収めたいとか、もしくは何かのコンテストとか、コンペティションのようなね、そういう場で大きな賞を勝ち取りたいとか、
芥川賞が欲しいとか、ノーベル賞が欲しいとかね、こんな夢を持ったとしても、たぶん僕らの本性である一つ意識と矛盾しないんですね。
目的がこの得ることから与えることに転換するだけで、実はここがバッチリとこの本来の自分の本性、もしくは一つ意識と合致するわけです。
前回この特別でありたい願望はここと全く相入れなかったんですね。
だからまさにこの行動とかね、言動とかここを変えずに、僕は特別でありたい願望を持ってやろうとしてたことをそのまま続けることができるということね。
で、この修正がこの偽りの自分と本来の自分の間でできるということ。
これがですね、前回のお話の続編なんですね。
必ずしもこの人生でやろうとしたことをやめたり諦めたりする必要はない。
ただ本来の自分のちょっとした修正の提案ね、これを受け入れてしまえば、偽りの自分が考えたこともこちらの一つ意識の目的に大いに活用できるということなんですよ。
これが僕はものすごく現実に即した修正の仕方じゃないかなと思っているわけです。
なんかここをね、金儲けそんなのダメだよとかね、ある分野で名を成したいってそんなの絶対ダメですみたいなことでここを禁じられるとするとね、
これはやっぱりこの偽りの自分側だとしても、やっぱりなんとなく納得できないというかね、なんでそんな大きな変更を余儀なくされなくてはいけないんだっていうね。
だからやっぱりこうなってしまうと、なんかちょっとおかしな話になっていくんですよね。
だから僕はこのできるだけ偽りの自分がやりたいと言っていること、これにイチャモンをつけずに目的を変えることによってこれを一つ意識と合致させる。
本来の自分の本性に合致させるというやり方が実はいいと思ってるんですね。
そうすると面白いことにね、この外から見ていると何にも変わってない感じがするんですよ。
これが僕がね、自分でやってて言うのも変ですけども、グッドバイブスのね、僕はなんとなく自分でこれでいいんじゃないかなと思える一つの根拠でもあるんですね。
ここがなんか、倉園さんどうしたんですか、別人のようになりましたね、みたいなことになるようでは、ちょっとなんかその前回お話したこの刑事上の話のね、僕らに何の犠牲も求めないというのと相反している感じがする。
だから安心してね、いやいやいや特別になろうとして始めたこと、これを続けられる方がいいですよね。
で、このやり方というのをね、僕はなんとなくこの偽りの自分というのをいつも闇に例え、そして本来の自分を光に例えているんですけども。
この偽りの自分の闇を本来の自分の光の下に運ぶというね、この修正方法なんじゃないかなと思っているわけです。
そうすると偽りの自分が考え出した、こういうことがやってみたいということもね、この本来の自分の光が当たることによって決して僕らにね、戦場とか敵とかそういう世界を見せるのではなく、本当に平安穏やかな世界、そして愛そのものである取り組みというかね、そういうものに変えてくれるという。
これがなんか僕はこの世界の中でこの本来の自分を発揮する唯一の現実的なというかね、僕らはあまり困らせないというか、そしてあまり抵抗を感じずに、なるほどそちらに向かえばいいのかっていうね、こういうことに気づかせてくれるやり方なんじゃないかなと思うわけですね。
要はね、これがとてもうまくいった場合は、僕がやってることは外から見てね、何にも変わっていないんだけども、なんか倉様さん最近ハッピーにやってるよねっていうこんな感じですかね。
うん、なんかまるっきりやること変えちゃったねとかね、そういうんじゃなくて、いつもの通りにいつもの仕事してるよねというね、いつものように頑張ってるよねと、いつものように何かを目指して精進してるよねと、でもなんかつい最近までね、それがちょっと苦しそうだったんだけども、最近はどうも楽しそうにやってるねという、そういう変化になっていくんじゃないかなという感じがします。
特別さを他者にギフトする方法
前回のお話の続きというのはこれが全てなんですけどもね、せっかくなので、じゃあこの特別さを得ることから与えることに転換するってのはどういうことか。
特別さを使って得るというのはまさに特別であるというそういう願望、これを実現するためのね、得るというその目的なんですけども、これを特別さを他の人を救ったり癒したり元気にしたりする、つまり私の特別さを与えるとこれはどういうことなのか。
これがまさに私がいつも提案しているギフトモードなんですけどもね、ここを改めてちょっとお話したいなと思っています。
これがですね、私がやっているその書き上げ塾、これがとてもいい例なのでね、このお話をしてみたいんですね。
僕の書き上げ塾ではですね、初回の会議で必ず企画会議というのをやるわけです。
要は受講生の方がこういうことを書きたいという漠然とした何かテーマみたいなのを持っているんだけども、これをですね、私はこの本というのはプロダクトだと思っているので、一応この私が知る限りですよ、自分の経験の中で書籍とか雑誌を編集者として手掛けてきたこの経験の中で、やっぱり一応商業レベルの企画会議みたいなのと比べてもね、
遜色がないくらい割と緻密にやりたいなと思ってるんですよ。ただ書いて出すっていうだけじゃなくてね、やっぱ本というプロダクトを作るという、ここがねとても面白いのでね、ここはそのそれなりに商業レベルぐらいのところの度表まで上がってくる方が僕は逆に面白いと思ってるんですね。
何でもいいから書きましょうというよりはね。そこで最初にこの私がね、企画とは何かっていう、これは私が自分で企画とは何かというこの定義を持っている。それをね、私の定義に過ぎないのかもしれないんだけども、それをお伝えするんですね。で、その定義というのが全ての本当は問題解決であるというね。要は全ての企画というのは問題解決であるというこのお話をするわけです。
要はこれは確かこの番組でもね、以前その自分の役割を見つけるというお話の中でね、同じ話をしたかもしれないんだけども、要は僕らは日々何らかの問題を抱えて生きているわけですね。
もちろんその問題の中にはこの仕事とか健康とかね、人間関係といった深刻なものもあるでしょう。その反対にね、もっと何か生活に笑いが欲しいとかね、リラックスしたいとか、それから非常に軽いところでもっと癒されたいなぁみたいな、そういう軽いやつもあるわけですね。
こういう諸々の重いところから軽いところまで全部含めて僕はこの問題というふうに捉えてみるというのをお勧めしているわけです。要はもっと笑いたいねというのも一応問題だよね。
生活とか人生におけるね。で、そうするとまずは自分がこれから書こうとする本は誰のどのような問題を解決するのかというこの問いを立てることがね、いい企画を生む秘訣だと僕は考えているわけです。
例えば小説であればまずはエンターテイメントっていうのが可能性としてありますね。これはもう本当に単純に楽しませる、感動させる、ワクワクさせるといった解決でいいわけです。先ほどのその軽い方ですね。笑いが欲しいなぁとかリラックスしたいなぁとかね、なんか本読んで癒されたいなぁみたいなそういう感じ。ここにまずはね、エンターテイメントとしての解決というその可能性がありますよね。
で、中身によってはもっと深いところに切り込むような解決もできるわけですね。これはもう小説を読んで、もうなんかとても大事なことに気づいたとかね。そうか、これが僕の悩みの解決方法だったみたいなこともおそらく起こり得るんですよね。
例えば、実際にこのかきあげ塾の受講生の中で、お受験時代の子育てというね、まさにこの親の葛藤、これを和らげたいという思いで小説を書いている人もいます。それから、すでに出ている本でね、加藤さつきという人が書いたヘローアイムジャップという本があるんですが、ここはまさにこの差別とかいじめとかね、そういう問題にある種穏やかに切り込んでいるわけです。
パッと読んだ感じはね、まあ面白い本だなというそういう感じでもあるのでね、まずはやっぱりエンターテイメントなんですね。楽しませる、感動させる、そしてワクワクさせる。でもその中にね、今言ったようなこのお受験時代の子育て、ここにおける親の葛藤とかね、そしていじめとか差別、こういう問題にも切り込むことができるわけですね。まさにいろんな解決をこの小説という手法によってしているわけです。
これが僕はまさにギフトだと思うんですね。特別さ、自分の特別さを使ったギフトということですね。なぜならば、この様々な問題を解決する、これをギフトするためには、その人だけが持つこの特別さというのが不可欠だからなんですね。
特別さを持った人々の例
先ほどのこのお受験の悩みをね、この小説で何とかしようとした彼女、この方にはね、もう20代半ばの息子さんがいるわけですね。彼女はすでにその道を通っているわけです。このお受験の悩みというかね。
要はこれは葛藤なんですよね。子供をそんなに追い詰めたくないと、でも何もしなければこの社会の中で置いていかれるんじゃないか。まさにこの特別になれないというこの恐れや不安ですね。この答えをですね、この彼女はですね、まだやっぱり自分なりの答えというのを模索してるんですよ。
だから面白いことに、面白いと言っちゃいけないんだけど、この小説はね、この途中で筆が止まってるんですね。で、この筆を止めながらもやっぱりこの本当の答えを見つけたいと言ってこの模索しているこのプロセスのすべてが僕はこの彼女の特別さだと思うんですね。
だからおそらくこのギフトというのはね、今筆が止まっているかもしれませんが、いつか必ず成就するんじゃないかなと思っています。これがまさにこの方の特別さなんですね。自分の息子さんを20代半ばまで育てていて、自分も今のね、若いその親御さんたちが抱えているような葛藤を通ってきて、そして改めて今ね、この時代というのを振り返ってみてね。
何が正解なんだというこの答えがまだ出せずにいると。でも何かをこの解決策としてね、出したいんだという思いの中で筆を止めてね、このぐっと踏ん張っていると。これがまさに特別さですよね。
この方は名前を言ってもいいと思うんですが、すでにカプラーという小説を一冊書いた奥野香織さんという女性ですね。それから先ほどのこの佐月の書いたね、ヘローアイムジャップというのは、要はこれは自分の小学6年生になる息子さんに当てた小説でもあるんですね。
息子さんに手渡すメッセージみたいなものかな。随分大量というか長いメッセージなんですけどもね。一冊の小説ですからね。要はこれは何が言いたかというかというと、そのお父さんもいろいろあったけど、今はこのようにその過去を見られるようになったんだよということを伝えたいわけですね。だから何があっても安心していいんだよっていうこのメッセージを見事に書き切ったわけです。
しかもね、これはこの佐月が小学校4年生で全く英語がしゃべれない状態で現地のアメリカの学校に転校するというね、この経験を通して得た彼の特別さなんですよ。これを使ってギフトをしているわけですね。まあ様々な多分問題を解決する中身になっているんじゃないかなと思います。
それから以前この番組でも紹介した稲葉君という方が書いた国会というゲームのルール。これはまさにその政治の話はしにくいよねという問題を解決するための彼らにの解決策なんですね。そしてこれはどのように生まれたかというと、もちろん彼は会社員なんですけどもね、普通の素人ながらこのコツコツと政治のブログを書き続けてきたっていうね、この興味というかまさに愛ですよね。
政治に対する愛なのかな。これが彼の特別さなわけですよ。生半可なことじゃね、この誰もあんまり興味を持たないようなテーマでこの政治というね、そのブログを書き続けるなんてことはできない。この特別さを彼は持っているわけですよね。
他にも高校の先生でね、情報という授業を担当している方がいらっしゃるんですね。まさに現役の先生なんですよ。この方がちょうど僕らの世代みたいな、もうちょっと下でもいいのかな。40代50代60代このあたりのね、今のおじさんたちはこの情報という授業を受けてこなかったわけですね。
もしかしたら30代でもそうなのかな。でもここには非常に今を生きるために重要な内容がたくさん入っているわけです。これについてこの情報という授業を通らずに生きている。まさに私なんですけどもね。
そういう世代の人たちにこの今の高校生が当たり前に習っているその内容を伝えたいというそういうそういう解説本を書いたわけです。これは近日中に発売されるんですけどもね。これもまさにこのような内容を通らずに育ってきたという問題を解決する一つの特別さですよね。
この方の特別さというのはまさに高校の先生で、そして日々この情報という授業を生徒に教えているというこの特別さですよね。それから自らこのご自身がこの大病患って長期の入院を余儀なくされたという看護師の方がいらっしゃるんですね。
だからこの方は面白いことに自分自身も長期の入院を経験し、そして日々その入院されている患者さんを見ているという仕事をしているわけ。この2つの立場を両方経験したというこの特別さ、これを経験をもとに安心して入院する方法という本を書き上げたんですね。これももうすぐ世に出るんですけども、まさにこれもこの方の特別さをギフトしているわけですね。
起立不耐症と難病の研究
この方は大学で研究をしながら病院に勤める女医さんというか女性のお医者さんなんですけども、この方は起立不耐症というある種の難病なんですけども、これはまだまだ得体が知れないというか、なぜそうなるのかどうすれば治るのかというのがまさに研究中の病気らしいんですよね。
これはフラフラと立っていると倒れてしまうとかね、あとは最も困る症状としては朝起きられないという、これは倉様さんは起立不耐症なんじゃないですかって言われたことがあるんだけども、僕も朝苦手なんですよね。
こういう人たちは私もそうでしたけども、くじごちの仕事とかだとどうしようもなく遅刻をしてしまうので、理解がなくだらしない人みたいなふうに思われてしまうという、そういう困った状況に追い込まれるわけですね。
こういう方たちに例えば自分に合った仕事を見つけていいんだとかっていうね、例えば昼から始まる仕事もあるでしょうとかっていう、無理せずに朝じゃなくてそういう選択もあるんだよとかね、もちろんこの病気に対する対処法みたいなのもお医者さんの立場として解説しながらも、こういう勇気を与えるメッセージを送っている、そういう本を今書いているんですよね。
これもまさにね、もう本当にお医者さんというこの特別さね、そして規律不対称という難病に取り組んでいるというかね、この研究を続けられているというこの特別さ、これをまさにですね、他の人を救ったり癒したり元気にしたりするために使っている、まさに与えている、ギフトしているわけですね。
これはちょっともう本当にキリがないんで、この辺にしておかないとあれなんですけども、もう一人、ソーシャルワーカーの方がね、今7割か8割ぐらい書き上げているんですけども、この方は自分の支援してきたね、人たちのこの人生を綴った本というのを書いてくださっている。
ここにはですね、本当に僕らにはね、全く想像もできないような、本当に驚くべきこの世界っていうのがあるんですよね。
こういう情報を提供してくださる、これはまあいろんな問題解決になるでしょうね。
当事者の方たちの一つの勇気にもなるでしょうし、僕のようにね、そんな世界もあったんですかという、全くこの無知だった、こういうことを知らずにこの生きてきた、僕らにとってもこういう情報をね、提供していただけるというのは、さまざまな場面でこの役に立つ問題解決になるんじゃないかなと思いますね。
要は今挙げた全ての人がこの特別さを問題解決に使いたいというね、この思いから生まれるギフトだと私は思うわけですね。
そして何よりもね、今紹介した皆さんは例外なく、自分が今持っているものを使ってこの本を書いているんですね。
これがそのギフトモードの素晴らしいところなんですよ。
この反対をね、僕はゲットモードと呼んでるんだけども、この特別であろうとするのはやっぱりゲットモードなんですね。
これは何かを得ようとする行為。
これはですね、今の自分には足りないものがあるという前提からやっぱり始まっているわけですよ。
だから何かを得なくてはいけないとね、まさにゲットモードなんですね。
だからこれをやろうとした時に得られないというのは死活問題なんですね。
足りないから。
だから前回お話ししたように、この特別であろうとするこの願望は自然と死活問題なので、敵と戦場とそして恐れの世界、これは必然なんですね。
こうなるのが必然なんですよ。
だから特別でありたいというのは、もっと凡庸な自分ね、つまり足りない自分では生きていけないという信念に基づいている。
だからこれはゲットモードになるんですね。
そしてこちらは必ず死活問題なので、敵と戦場と恐れの世界になるということ。
これに対してギフトモードはね、先ほどお話したように、自分には与えるものがあるという前提から始まるわけです。
持っているという前提から始まるんですね。
まあこれは当たり前ですよね。
持っているものしか与えられませんからね。
まずは自分には与えるものがあるというこの前提から始められるということ。
そして与えることに恐れを抱く人っていうのはまずいないと思います。
それから受け取る人の問題を解決するためのギフトですからね。
これは与える側と受け取る側は多分一つになれるでしょう。
しかもこの時ね、受け取る人を凡庸組とは見なしませんよね。
今挙げたようなね、例えばジョイさんがこの規律不対処で悩む人、この人を凡庸組と見るはずがない。
そして加藤さつきがね、この自分の経験を息子さんのような今の子どもたちに伝えたいなという時に、この人たちを凡庸組と見なすことは絶対にありえないよね。
つまりこのギフトモードにおいて、この与える側は受け取る側を絶対に攻撃しないということです。
ギフトモードとゲットモード
そして何よりもこの受け取る人たちをね、価値マックスと見ていなければこのギフトはできないんですよ。
これはもう当然、ギフト、ギフトモードというのは大切な人を思い浮かべて、その人に手作りのプレゼントを贈る、このモードで何かを作る仕事をするということなのでね、その相手が価値マックスでなければギフトモードというのは成り立たないわけです。
つまりこのギフトモードをやればやるほど自分の周りに価値マックスな人たちが増えていくんですね。
しかもこれはいつもこの番組でお話している鏡の法則によって、相手を価値マックスと見られる自分というのは必ずそれと同じ価値を持つというふうに自分で認められるんですね。
これがギフトモードなんですよ。
ゲットモードとギフトモードがほとんどやっぱ真逆ですよね。
ゲットモードは敵だらけ。
そしてギフトモードは価値マックスな人だらけ。
このように世界が分かれていくということ。
そしてギフトモード、こちらならば、愛や平安と矛盾しない世界にいられますよね。
前回この特別になろうとする願望というかな、この世界は必然的に自分が任した人たちを糧にして特別というのを得るわけですから、愛や平安とは確実に矛盾するんですが、このギフトモードは全く矛盾しないわけです。
さらに言うならば、ギフトモードというのは自然とアウトプットに思いが乗るんですね。
大切な人に手作りのプレゼントを渡そうとするその行動ですからね。
これは本当に思いが乗る。
そうすると正直倍というレベルがあるとすれば、ほぼほぼ末レベルの仕事が自動的に生み出されていくわけです。
それをやっている自分というのはリアルタイムに実感できるわけですね。
いいのができているよなという。
これによって得られる自信というのはやっぱり途方もないわけですね。
だからおそらくこのギフトモードというのは、自分が出せる最上の結果というのをいつも得られているわけですよ。
だからこの特別であろうとする方のやり方、ゲットモードで何かをやろうとするその結果と、このギフトモードでやろうとする結果、これがギフトモードの方が劣るということはまずないわけですね。
つまり僕に言わせればこれはデメリットはどこにもないというそんな感じがするのね。
なんとなく私はこの昭和の時代から生きてますから、昭和37年生まれ、まさにギフトモードの世界で生きてきた感じがするんですね。
その中に随分と身を置いていた感じがします。
でもなんとなくですよ、根拠はないんですけどもね。
もしくは多分時代の流れというかな雰囲気、そしていろいろ今日々起こっている問題、そういうものを眺めていくとね、なんかそろそろギフトモードというのは古いなというね、そんな感じもするんですね。
本来の自分と偽りの自分
まあちょっと私の言葉であまり良くないんですけど、なんかこっちはダサいなというそんな感じもしなくはない。
ここはちょっと言い過ぎかもしれませんけどね。
だからこのモラルとか道徳みたいな、そういう感覚でこのギフトモード与えるみたいなことを捉えると、これは逆に言うとなんかちょっともっと古い感じがするんで、そうではなくてね。
ここが随分と僕はね、なんていうのかな、シフトアップしてるというかな、アップデートしてるというか、今の時代ね。
もうまさに自分が真に幸せ、そして平安、これを得るための転換期のような感じもするんですよ。
これもこの刑事上の話をした時と同じように、実はこれを密かに実践している人は少なくないんじゃないかなというふうにも思います。
これもね、あの時話したように、こういうことを面と向かって公言するというか、やっぱり与えることですよ、ギフトですよ、みたいなことを言うと、もしかしたらその波風が立つとかね。
もしくは不毛な議論に巻き込まれるということで、いやこんなことは言わないで自分だけ密かにやろうって言ってやってる人も少なくないんじゃないかなというそんな感じがしますね。
要はこれがですね、今日お伝えしたかったその偽りの自分が始めたことを、この本来の自分の側に持っていってね、ちょっとだけ修正してもらう。
例えば今日のお話で言うと、この得ることから与えることというふうに目的を、これは僕はとても穏やかな修正だと思うんだけどね。
何かその犠牲が伴うような大変なことではない。これをやってもらうことによって、やっていること、行動とかね、そういうものは何も変えずに、実は僕らにとって幸せ平安を得られるものに変わっていくという、そういうやり方ですね。
だからまさにこの偽りの自分と本来の自分を一つにして、そして上手いこと折り合いをつけるというやり方なんじゃないかなと思っています。
だから偽りの自分の闇を本来の自分の光の下に運んで修正すると、こんなふうに考えてみていただければなと思います。
で、これはですね、今日は割とこの大きなスケールの大きな願望みたいな方を話したんだけども、この大小に関わらず、例えば偽りの自分が誰かを攻撃したいとか罰したいとかね。
あるいはそのギャフンってなんだみたいな話もしたんですけど、ギャフンと言わせたい、リベンジしたい、それから言動を返させたいとかね、場合によってはこいつ排除したいみたいな、こういうふうにこの偽りの自分がね、いろんな願いを抱きますわね。
これを同じように本来の自分の光の下に運んでみるんですね。こういうことしたいと思うんだけど、どう思う本来の自分みたいな感じでね。
これは心の中でやるんですけどもね。自分の中に本来の自分というのがいるとこのように捉えて、この偽りの自分側だろうな、この願いはと思ったことをね、こちらにちょっと手渡してみるわけです。
こんなことをやりたいと思ってるんだけどどうよってね。そうするとおそらく先ほど最初にお話したようにいいんじゃないっていう、そんな感じのね、本当に優しい穏やかな答えが返ってくるでしょう。
でもね、1点ここだけ修正してみないっていうようなことをね、提案してくれる。それは僕らにとって決して辛いことではない。
なんか見起きるようなね、いやそれってすごい犠牲になるじゃんみたいなことではなくて、もっと穏やかな修正を多分提案してくれる。
で、それによってこのね、行動とかやりやろうとしていることを大幅に変えなくても幸せと平安が得られるという。
そんなやり方だと思っているので、よかったらこれもちょっと試してみてください。
偽りの自分に対する願望の相談
そんな感じですかね。だから今日はですね、おそらくですね、この偽りの自分の願望というのは、なんとなく僕らはこの本来の自分に対して隠しておきたいなと思うようなことであるはずなんですね。
いやなんかこの自分に言うのはちょっとなんか気が引けるよ。でも俺これしたいんだよみたいなこんな感じかな。
本来の自分に言えずに隠していること。これをですね、正直に本来の自分に伝えてね、そして相談してみる。これどうよっていうね。
それで本来の自分のアドバイスをね、聞きながら、なるほどそこを変えればね、敵と戦場と恐れの世界からね、この愛と平安の世界。
そしてなんとなく自分に自信が持てね、周りにカチマックスな人たちが現れ、そして自分も同じようにカチマックスと思える。
そんなやり方に変えてくれるんじゃないかなというふうな信頼を持ってですね、いい一日をお過ごしください。ありがとうございます。
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