1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 156 特別でありたい願望が他の..

今日は、私たちの心を戦場に変え、自分を弱いと思わせる最大の要因「特別でありたい願望」について話しています。他の人を敗者や凡庸組にしながら平安や愛を得ることはできません。

サマリー

特別でありたい願望は、他の人を敵にし、世界を危険にして自分を弱く見せているという話です。攻めの特別と守りの特別の2種類があります。特別でありたい願望によって恐怖が生まれ、他の人を敵にし、世界を危険にする原因が考えられます。特別でありたい願望は、自分を弱く見せるだけでなく、他の人を敵にし、世界を危険にします。そして、特別でありたい願望を手放すことで平安を保つことができるという助言がされています。特別でありたい願望によって、他の人を敵にし、世界を危険にしていることが分かりました。

目次

特別でありたい願望の影響
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま8月14日月曜日の午前2時31分ですね。
先週は金曜日が祭日だったのでね、お休みさせていただきました。
あまりこの番組でね、言わないように言わないようにずっと我慢してきたというか、気を使ってきたんですけどもね。
つまり暑いというこの言葉、暑いですよね、今ね。
私も以前からちょこちょここの話はしてるんですが、
私が今収録しているこの部屋というのがね、ちょっと構造上エアコンがつかない構造になってまして窓がね、かなり特殊な形になってるんですよね。
で、この時間でもですね、もうあの今日はまだかなり大丈夫な方なんですけども、
そろそろやばいぞっていうぐらいこの暑くなるわけですね。
これを称して矢沢英吉さんのスタジオという風にね、
これは都市伝説なんですけども、夏でもクーラーを入れずにね、場合によってはストーブを焚いてリハーサルをするという、
あの伝説のね、スタジオぐらいの温度になっているような体感なんですけども、
でもほらこれ朝ね、聞いてくださる方があの結構多いんですね。
上げてすぐというか、そのだいたい午前5時ぐらいにこれをアップして、
そしてそうですね、10時とか11時ぐらいまでに、
まああとだいたい1日の3分の1ぐらいのね視聴数はそこでね、あの聞いていただいてるんで、
この朝暑い上に番組を聞いたらね、僕も暑い暑いと言っていたらちょっともう勘弁してくれと、
緑の本でもそういう意味付けをしないで外に出てみましょうみたいなね、
ことをお勧めしているわけですから、
あの浸透滅却すればね、日もまた涼しいという、
そういう世界なんで、できるだけこの話をしないようにしてたんですが、
ちょっとね、あるグッズを買ったので、
それをちょっと紹介したいなと思ってまして、
今日はおそらくなんか雨が降りそうなんですよね、
だからまあまあちょっといつもよりはね、涼しいんじゃないかということで、
たまにはこういう話もしようかなと思って、
クールリングの効果
要はあの南大沢というね、私が住んでいるそこの遊歩道がありましてね、駅まで歩く、
だいたい私の家から15分ぐらい、
でもっと反対側にもね、ずっと続いてまして、
どのぐらいかな、たぶん2キロか3キロぐらいね、延々と続く遊歩道、
しかも桜並木というね、素晴らしい環境なんですよね、
素晴らしい環境なんですが、そこを歩いているとですね、
小さな子供が結構多いんですよ、この私の住んでいるあたりはね、
小学校でいうと1、2年生ぐらいとかね、
幼稚園かな、そのぐらいとかの子供が多くてですね、
これが全員、ほぼ全員と言っていいぐらい、
クールリングというのをしてるんですよ、
私はね、子供の頃にはそういうのなかったし、
大人になってもね、買ったことがなかったし、
それが必要だと思うような気候でもなかったので、
つけたことはなかったんですが、
これを毎日毎日目撃しているうちにね、
ちょっと羨ましくなりましてね、
どのぐらいの確率かっていうとね、
僕の体感ですが、9割5分ぐらい、
もうほぼ全員子供がしてるんですよ、
だからまあ流行っているのかね、
それとも本当に必要に応じてね、必要に迫られて、
やっぱ子供がね、この熱中症にならないように、
クールリングをね、みんな今の親御さんがしているのか、
ちょっとわからないんですが、
全員してるんでね、さすがにちょっと欲しくなって、
調べて買ったんですね。
これが一応ですね、
普通のやつでもよかったんだけど、
なんでもその水でね、
18度ぐらいの水で凍結するという、
この優れた製品がありましてね、
これがどうもNASAが開発したPCMというね、
素材を使っているらしいんですよね。
一応昔ガジェットのレビューのブログをやっていたので、
こういうのを買うときはやっぱり選ぶわけですね。
それでDANEというものですかね、
DANEというメーカーで、
Amazonで売ってるんですけど、
いくらぐらいだったっけな、今ちょっと見てるんですけど、
2280円、結構しますね。
これを買いましてね、
だいたいこれがですね、
冷蔵庫で凍らしておくと4時間ぐらい持つんですよ。
しかも結露しないというね、なかなかの優れもので、
これをですね、凍らして朝出かけたところですね、
だいたい僕はもうほぼ例外なく、
頭がクラクラしてたんですけども、
駅に行く間にね、
年もあるのかな、わからないですけど、
必ずクラクラって何回か鳴るんですよ。
それが全く鳴らずにね、歩けるようになりましたね。
でも僕は子供がすごいしてるの見るんですけど、
大人がしてるのは逆にほとんど見ないのでね、
やっぱさすがに大人はしないのかなという感じだったんですけど、
これは本当におすすめですね。
首を冷やすというのがここまで効果があるんだなっていうのがね、
よく分かりましたんで、
ハンディの扇風機、
あれはね、みんな持ってますけど、
あんなもんじゃないですね。
どっちにしたって扇風機だとぬるい風しか来ないんで、
この首を直接リングで冷やすというこのやり方は、
本当に秀逸なので、
ちょっとね、暑さでお悩みの方は、
ぜひぜひ、別にこのメーカーじゃなくてもね、
いいと思うんで、
どっかドラッグストアとかでもね、
普通に売ってますからね、
もっと安い1000円台のやつもありますんでね、
よかったら使ってみてくださいという、
何の話かよく分からないんですが、
大事ですからね、
平安でいるためにはね、
少しでもやっぱりこの快適な環境というのを作るのも必要ですからね、
外的な要因には左右されないんですけども、
とはいってもやっぱりね、
この暑さになるとさすがに何かをしないとっていう、
そんなレベルかなという感じがします。
そして私もね、
今まさにこのクールリングをつけて、
首にね、
頭がぼーっとしないように、
なるべくこの頭が冴えるように工夫をしながらですね、
この番組を撮っているという、
そんな感じ。
特別でありたい願望の根源
今日はまさに平安の話をまたしたいんだけども、
最近してる話の続編というか、
どこか忘れたんですけど、
以前その平安というのは、
心を戦場にすること、
戦場、戦う場所ですね、
戦場、バトルフィールド、
これにすることによって壊れるっていうようなお話をしました。
要は平安というのはね、
その一つ意識、
この本来の自分の属性とイコールなわけですね。
だとしたらこの平安とは、
愛そのものでもあるわけです。
この辺はね、
この番組を聞いていただいている皆さんにとって、
あまりこの詳しく説明しなくてもいいところだと思うんですが、
平安とは一つ意識、
そして本来の自分の属性、
愛そのものでもあるわけですね。
だとしたらこの愛の反対の戦いによって、
この平安が失われるっていうのは理にかなっていますよね。
前回確か、
なぜ僕らは心を戦場に変えてしまうのか、
この原因を恐怖というふうにお話ししましたよね。
怖さというかな、恐怖ですね。
何かが怖いと感じたときに、
とっさにこの身を守ろうとしてね、
心を戦場に変えてしまうと。
その恐怖を手放す方法として、
一つは過去の怖い記憶というかな、
これをできるだけ手放していく。
そして何よりも攻撃をしないというね、
この2つをお話ししたんですよね。
今日はですね、
もうちょい掘り下げて、
この僕らが心を戦場に変えてしまうその原因、
それが恐怖であると。
さらに掘り下げて、
この恐怖がどこから生まれるかということについてね、
もう少し詳しくお話ししたいと思っています。
もちろんこれがね、
なんとなくこう分かるとね、
分かるというかこの実感できると、
さらにこの恐怖を感じなくなることもできるわけですね。
じゃあこの心を戦場に変える要因、
この恐怖、その恐怖を生み出す、
さらにその要因というのがね、
この根源、
この辺まで行くともうおそらく根源、
こっから先はないというね、
その根源は何かというと、
これはですね、
まあ結論から言いますけども、
僕らが普段、
おそらくね、
あえて意識しないようにしている。
そしておそらくね、
ひそかに隠し持っているような感じね、
そういう信念があるんですよ。
まあいろんな理由で、
これをね、
あえて認識しないで隠しているんですね。
それは何かというと、
これが特別であろうとする願望というね、
これじゃないかというふうに私は見ているわけですね。
特別でありたい、
私は特別でいたいという願望。
で、もちろんこれはね、
それによってはまさにこのスーパースターとかね、
世界チャンピオンみたいなレベルで、
この特別であろうとするっていうね、
ここを目指している人もいると思うんですが、
今日のね、
この話はそこまで言ってないんですね。
僕らは多分そんな大それた特別を日々目指しているわけではない。
それよりもね、
もう本当に自分の目の前にね、
誰か別の人、
自分以外の人が現れた時に、
これがまあひそかにやってるんですけど、
どちらか特別かみたいなことを心で意識しているってことなんですね。
これをね、
まあ僕らは本当に無意識のうちにやっているわけですね。
小さなコミュニティの中で特別でありたいなと思うこのケースもあるでしょうし、
あるいは上司と自分の関係の中で特別と思われたいみたいなね、
もしくはもう子供の頃であれば、
このクラスの中で特別でありたい先生に特別と思われたい。
もちろん自分の家族には特別と思われたい。
兄弟とかいれば兄ちゃんよりも俺の方が特別と思ってほしいみたいなね、
もう本当スーパースターとか世界チャンピオンレベルじゃないんですね。
ここがすごく重要なポイントなんですよ。
とにかく自分以外の誰かが現れたら常に僕らはどちらがより特別なのかってことをね、
本当に無意識のうちに心でね、
そういう願望を持ってしまっているということ。
これもものすごい習慣になっていてね、
ほとんど自覚せずにやっているケースの方が多いと思いますね。
でも一つの目安としては僕らが日々生きていてね、
なんだか分からないけど悔しいというね、この気持ちが湧くとき、
大抵おそらくこの特別、自分は特別で今いられているかというね、
これをやっていると思っていいんですね。
だからその意味でこれは人によってね、
攻めの特別と守りの特別
この攻めの特別と守りの特別みたいなのがある感じがしますね。
攻めの特別っていうのは本当にもう割と自分で意識してね、
このスーパースター、世界チャンピオン、もしくはもうちょっとね、
小さなレベルだとしても割とこの出て行ってやろうっていうね、
この特別感、これをとても意識してやっている。
これが攻めの特別だとすると、
この守りの特別というのはね、どちらかというと、
この特別でないと大変なことになるんじゃないか。
特別の反対は凡庸ですよね。
自分が凡庸な存在になったら生きていけないんじゃないかっていう、
まさにこの守りの方の感覚で、
でもだから特別でありたいという風に願っているという、
この2種類はありそうな気がするんですけどもね。
要はこの特別であろうとする願望が、
僕らにね、いつもこの恐怖を感じさせているということ。
そしてこの恐怖によって、
僕らはですね、心を戦場に変えやすくなっているということですね。
なぜかというと、とてもシンプルなんですね。
この特別であろうとする願望っていうのは、
私がいつもこの番組でお話ししている、
この宇宙の神羅万象の法則というのかな、
これとあらゆる点で矛盾するんですね。
特別であろうとする願望による恐怖
要はあなたと私は一つである、一つ意識ですね。
そして等しくカチマックスであると。
で、序列がないのであると。
ここにはね、もう戦わなくてはならない敵というのは存在しませんよね。
でも一方でこの特別であろうとする人ね、
特別でありたいと願う人には常に敵がいることになるわけですね。
なぜならば、もし私が特別であればね、
他の人々はさっき言ったこの反対、
凡庸ということになりますよね。
私が特別ならば、必ず他の人は凡庸ということになる。
この時点でもう僕と他の人は一つやイコールではなくて、
大きく異なっているんですね。
つまり特別になるというのは、
まさにこれ文字通り特別ですからね。
他の人とは異なる存在になるということですよね。
これがまさにこの宇宙の神羅万象が作った法則、
一つ意識、これと相反しているということね。
異なるというのはもう分離するということなんですよ。
一つではいられなくなるということ。
例えば分かりやすい例で言うと、
特別な人はビップルームに通されますよね。
これは一般の人は入れない場所です。
つまり一般の人とは離れた場所にいるんですよね。
特別であることの意味と影響
だから私もかつてこの番組でも時々お話ししたことがあるんだけど、
IT雑誌の編集長だった頃、しかもこれはITバブルの頃だったんでね、
一番注目を浴びる業界の、
一番ステータスの高い、おそらくそうだったと思うんですけども、
その雑誌の編集長ということで、
数々のビップ扱い、特別扱いを受けましたよね。
これはまさに本当にこの一般の凡庸な人とは
隔離された場所にいるという感覚なんですね。
つまりビップ扱い、特別扱いというのは、
自分がまさにこの凡庸な他の人とは異なっているということを
しっかり自覚する、自覚できるというのかな、
その象徴のようなものなんですよね。
異なっているとすれば、当然そこに序列が生まれてね、
上下というのが生まれますよね。
だんだんここからね、なぜ怖くなっていく、なぜ戦場になっていくか
という話に繋がっていくんだけども、
私が特別であると他の人は凡庸になる。
これは異なっている、互いに異なっているということ。
そしてこれは分離していますね。
異なっているとすると、そこに序列、上下が生まれる。
上下、序列があるとしたら、
僕は誰かね、僕以外の人を見るたびに、
そのどちらが上か下かを判断しなくてはならなくなるんですね。
この2人の人間のうちね、どちらがより特別か、
つまりどちらが上か下か、これは必ずね、
この判断というか、これは最低のようなものなんですけども、
これはより優れている方、つまり上にいる方が下すことになるわけです。
そうですよね、大体そういうことになるわけですよ。
やっぱりお互いに特別争いをしているのでね、
よっしゃ俺勝ったなって思う方が、こいつは下だっていう風に見るわけです。
明らかにね、そこの差が開いてるって感じる場合は、
いやいや俺の方が下だよなっていう風に、このパターンもあるんだけども、
それはおそらく、このさっき言ったね、スーパースター、世界チャンピオンレベルに近いものであったりして、
カリスマ経営者とかね、そういう人に対してであって、
僕らが日々このね、自分の身の回りの人たちと交わすような、この判断、最低においてはね、
やっぱりこれは微妙なところにいますので、競り合っていますんでね、
このどちらが上か下かの、自分が上だという判断を下すのは、
常に優れている方、上にいる方なんですね。
そうすると、僕らは時によって、そういう人たちに下と見られることを経験しているわけですね。
これは真剣勝負をして負けた時に、僕らは罪悪感を感じますよね。
なんで負けたんだよ。
この真剣勝負っていうのは、ゲームの世界だけじゃなくて、
例えば仕事上でね、営業の成績とか、
どのぐらいの実績を残したかみたいな、そういう心の争いでもいいんだけども、
ここで負けたと思った時にはね、
特にこの数字がはっきり出ているような時には、
負けた瞬間に罪悪感を感じますよね。
つまり僕らは、この上の立場にいる人から、
お前は下だと見られること、これを罪だと感じているんですね。
つまり下と見られるということは、より罪の少ない人から、
お前は罪人だよと裁きを下されるのと同じなんですよ。
ここに罪悪感みたいなことを挟むと、ちょっと嫌な感じの話になるんですが、
この上下を決めるというのはね、やっぱりそういうことが伴うということね。
その証拠にね、この上から目線というのかな、
俺のが上だなって言って、お前は下だなと見た人は、
だいたいこのあいつはこういうとかが足りないんだよとかね、
いやあいつはこうだからダメなんだよみたいなことを言いたくなるじゃないですか。
これはもう確実に罪の意識なんですね。
足りない、ダメっていうのは罪なんですよ。
つまりこれ反対から見ると、この凡庸組にされたなって感じた時ね、
これは自分に罪を見させられているということでもあるわけです。
よく言うマウント取られたみたいな話がありますよね。
この時悔しいという思いが湧き上がるんだけども、
これはまさに自分に罪を見させられた、お前は下なんだよというね、
極端に言うと、俺よりもお前の方が罪が大きい、もしくは罪人だよというような、
この最低が上の人から下されているということね。
これが特別でありたい世界で常にかわされていることなんですよね。
そしてこの上からお前は下だと見られるというのは、
まさに僕らが人生の中で感じている攻撃じゃないですかね。
これはマウント取られたというのは攻撃されたということでもある。
そして見下されたというのも攻撃でもある。
だから俺の方がお前より特別だよというこの最低を上から下されるというのは、
まさに僕らは攻撃されたという感覚を抱くわけですね。
でも面白いことにこれ逆から見るとね、
僕を特別にしてくれるのは常に私が下と判断した人ということになりますよね。
つまりそれは今まで今お話しした中のこの流れで言うと、
私が攻撃した人なんですね。
そしてすなわちこれは敵なんですよ。
つまり私を特別にしてくれるのは私が下と見て、
そのようなこいつは罪人だと言って攻撃した人、
つまり私の敵が私を特別な人にしてくれるというね、
とてもねじれた世界なんですよね。
先ほどお話ししましたように、
これは僕らが日々出会う自分以外の人に対してほぼ例外なくやるのでね、
この相手が友人だったり好人だったりすることもあるわけですね。
このような関係の中でもおそらく僕らはこの特別争いというのをしている。
常にどちらが上か下かというこれを見ているということね。
これは夫婦とかでもありえますよね。
パートナーとかでもね、家族とかでも大いにあり得るということ。
要はここが非常に重要なんですけれどもね、
私の特別というのは他の人の敗北を糧にして成り立つというね、
この図式がここにあるんですよ。
こういう法則を持っている世界でもあるということね。
だからさっきのその一つ意識、宇宙の神羅万象の法則とは真っ向から対立するわけですね。
私の特別は他の人の敗北を糧にして成り立つということ。
つまり特別とは勝利感でもありますよね。
この勝利に感という漢字が付く、この感という言葉ですね。
ちなみに私のやっている執筆講座の書き上げ塾では一応封印技になっているんですね。
なんとか感というこの感を使わない。
なぜならばこの感を付けるとですね、その前の言葉そのものではないという意味になるからなんですね。
要は幸福と幸福感はまるで違うということです。
これはね、例えがちょっと良くないかもしれないんですけど、
幸福、幸せというのはね、私がいつもお話しているいわゆる幸せなんだけども、
これに感が付くとですね、実際には幸せでないものに対しても使えるということ。
例えばギャンブルにものすごいハマっていてね、かつての私のように、
もうそれをやるとアドレナリンが出まくって、なんかしないけどぽーっとして、
どうも自分が幸せなことをしているように感じる。
つまりこれが幸せ、幸福感というやつですね。
だから特別とは勝利感というね、この勝利の感が付いた場合は、
もしかしたらこれは本当の勝利ではない可能性もあるんですけどもね。
でも一応特別とは勝利感としておきましょう。
そしてこの勝利感とはね、まさに私以外の相手ですね、
その人たちの敗北、そして罪悪感と言ってもいいわけです。
この両方がね、揃わないとこの特別というのは成り立たないということ。
それからもう一つね、特別というゴールはね、
絶対に他の人と共有することができないという宿命を持っているわけですね。
例えばそうですね、バンドとかそうなんですけどもね、
それから今私がやっているような仕事でね、
矢部聖子さんとか佐々木さんとかね、濱田知恵さんとか、
いろんな人と共同で何かをやっているんですけども、
もし私がその中で特別を目指せとしたら、
これは僕だけが到達できるゴールでなければならないんですね。
だからおそらくみんなで頑張ろうぜってこのね、
ゴールテープの直前まで協力し合っていても、
そのうちのね、その仲間の誰かが先にこの特別というゴールテープを切りそうになった瞬間に、
特別であろうとする願望
僕はそれを阻止したくなってしまうんですね。
これが特別というゴールの持っている宿命なわけです。
これはね、絶対最後までは共有できないんですよね。
そうでないと特別でにはなりませんからね。
こういう話はよくありますよね。
まさにこの古今東西ね、古くから洋の東西を問わずありますよね。
あえて誰という名前はね、挙げませんけども、
というのも私はその内情を完全に知っているわけではないのでね、
なんとなくその、そうですね、このものすごく絆の強い2人のコンビみたいなものがね、
なんか最後には喧嘩別れしてしまうというかな、
どちらが特別であるかの争いをしているみたいなケースはありますよね。
だからやっぱりこの特別というのはね、勝ち誇るということがゴールの世界なんですよね。
こういう世界で、例えばそのね、さっき言ったこの宇宙の神羅万象の法則の一つ、
私たちは愛そのものであるという、この愛がね、どんな意味を持つかってことですよね。
当然ですけども、この特別な人ですね、特別というゴールを切ったと感じている人が、
自分と異なるこの敗者、そして下にいる人たちね、
さっきの言葉で言うとある意味罪人かもしれない。
罪人のように見えている、あいつはこういうとこが足りない、あいつはこういうとこがダメだと、
そのように判断、裁定をした人たち、こういう人たちは当然ですけども、愛せなくなりますよね。
これが僕らが心を戦場に変えなければならない、この恐怖の正体ということですね。
特別でありたいというこの願望を持った瞬間に、
僕らは自然とこの恐怖を同時に持たざるを得なくなるということです。
要は特別組になれるか、凡庸組にされるかの争いを日々しているということね。
これはさっきも言ったように、世界チャンピオンとかスーパースター争いではないんですね。
日々僕らは誰かと面と向かえば、必ずこの特別組か凡庸組かの争いを心の中で、
無意識のうちに習慣としてしてしまっているということ。
そして、ほとんど一人もの恋愛もなく、
この人生の中で一度以上はこの凡庸組に追いやられたというこの怒りを抱いているわけですね。
これが恐怖の根源なんですけどもね。
これは象徴的な例とすれば、特別な人というのが、やっぱりこのメディアとかSNSにたびたび現れますよね。
日々登場し、日々現れている。
ここも不思議なことに、ここは常に常にこの特別争いというのが行われているので、絶対王者みたいなのはまずいない。
どんどんどんどんこの新しい人が、若い人が後から後から特別な感じで出てくると。
そういう特別な人を僕らは日々入れ替わり立ち替わり、このメディアとかSNSで目にしている。
この人たちを見るたんびに僕らは、なんとなくこの凡庸組に追いやられたような感じがするわけですね。
はっきりと心で悔しいみたいな感情を抱いているかどうかは別として、うっすらとなんとなくけっていう感じを持つわけですね。
かすかな怒り。
この日常でいつも抱いているこのかすかな怒りというのが、そういう特別な人がちょっとした問題を起こすと寄ってたかって袋たたきにするっていうね。
これの現れなんだろうなと思ったりもするわけ。
こういう例もありますよね。
これは要はある種のリベンジなんですよね。
でもそのような世界にいるということは、やっぱり自分でこの特別争いのリングに立っているからなんですよ。
繰り返しますけどもね。
これが私たちが心を戦場に変えたくなる要因、つまり恐怖の正体なんですね。
ちょっと整理してみると、まずその特別戦というか特別争いに挑もうとしますわね。
そうするとこれはもう必然的に自分以外のほぼ全ての人が敵になるわけですね。
そしてここでの争いというのは多くの場合、より優れてる上の方から下の方に対してお前より俺の方が上だ、お前の方が下だというような最低を受けることになるわけですね。
これがいわゆる下された方にとっては、つまり凡庸組に落とされた方はこれが攻撃であり、これによってものすごいダメージを受けるわけですよ。
そうするとそうならないように必死にやっぱり守りを固めたくなりますよね。
この時点で世界はとても危険な場所、そして自分はまさにか弱いという図式が出来上がっていくわけですね。
油断していたらいつこの下と最低されて凡庸組に落とされるかわからない。
そしてこれは罪人でもあると。いやいやこれはまずいよと。こんな危険な場所に生きてるんだからね。
しかもなんか俺は油断するとすぐこの凡庸組っていうふうなこの楽園を押されてしまうかもしれない。
つまり私は弱いのであると。守りを固めなさい。そして世界は危険な場所っていうね。
こういう図式の中で僕らはその心を戦場に変えているということね。
まさにこの幸せとは最もほど遠いバラバラ意識という図式がここに出来上がるわけですね。
つまりこの僕らの心を戦場に変える要因、この恐怖というのはどういう恐怖かというと、
特別という概念の存在しない世界
特別であろうとする願望、これを私は持っている。まずそれを脅かす他の人に対する恐怖ですよね。
それは何かというと自分が特別でなくなること、敗者になることへの恐怖でもありますよね。
これをもっと掘り下げていくと、この特別という概念が存在しない平安とか愛への恐怖でもあるということね。
もし自分が平安とか愛というものを持ってしまったら、もう多分この特別争いには加わることができない。
もうこれは仕組み上そうなんですね。平安愛というのは一つである。
そしてそこには敵がいない、安全であるというそういう感覚ですからね。
これを持ってしまった途端に特別という概念は存在しなくなる。
これは特別であろうとする願望を抱いている自分にとっては恐るべき世界ですよね。
いやいやそんな世界はまずいよ、この世界への恐怖ということでもあるわけでね。
つまりということは何かというと、私がいつもお話しているこの本来の自分の本性に対する恐怖でもあるということ。
もっと踏み込むと、もしこの一つ意識というのが真理だとすればね、このような法則を生み出している宇宙の真理な場所に対する恐怖でもあるということなんですよ。
なんかこの段々ね話が大きくなってきている感じがするんで、これもねもう少し整理しないとちょっと分かりにくいかもしれないんだけど、
要はなぜ僕らは特別であろうとするか、この答えが実はおそらく平安を求めているんですね。
私は特別で特別な存在になればおそらくこの平安とか安全を得られるだろうなと思っているわけですね。
先ほどお話ししたこのVIP待遇、特別扱いみたいなものは僕らにとってある種の安全なわけですね。
その凡庸組としてこの十八人柄みたいな風に扱われることがこの弱いというね、自分は弱い存在である。
なぜならばこの世界から切り離されてたった一人このね小さな体で生き抜いているわけですから、
この私がこの厳しい危険な世界で生き抜くためにはやっぱり特別扱いをされるような存在にならないと無理なんじゃないかという風なそんな感覚を得ているわけですね。
だから目的は実はこの平安にあったりするわけ。
そしてもう一つおそらくそこには愛されたいという願望もあるわけですね。
やっぱりこの特別である人というのはみんなからチヤホヤされたりキャーキャー言われたりねすごいですねという風な称賛を浴びたりする。
これを僕らは愛という風に勘違いしているわけですね。
これは決して愛ではないんですね。
なぜかというと先ほどお話したようにこの凡庸にされた組というのかな。
こちら側は必ずそこで悔しさとかすかな怒りを持っていますから少しでもこの特別な存在の人がね何かやらかした瞬間にはこれは今まで自分が受けてきた攻撃の反撃をここで繰り出すということをやるのでね。
まさにリベンジなんですが。
これは本当に愛のたぶん偽物というかね擬態なんですよね。
でもこの面白いことに特別であろうとするその目的は平安と愛なわけですよ。
でも一方で私がいつもお話しているこの宇宙の神羅万象の法則はここが一つであると言っている。
一つ意識の混乱
あなたは私を等しく価値マックスであると言っている。
そして愛そのものであると言っている。
つまり愛されるために何かをする必要はないと言っている。
この世界では特別であろうとする願望は果たせないわけですね。
つまりここは特別になれない世界でもあるわけ。
これは非常に怖いことですよね。
でおそらく僕らの中にはねこの宇宙の神羅万象の法則にのっとった一つ意識みたいな記憶が僕はあると思ってるんですね。
あると思ってるからうっすらとその世界をいつもこの感じてるわけ。
でこれが全くなければこここういうねこの宇宙の神羅万象に対する恐怖みたいなものは抱かずに済むんですね。
でもおそらくここを知ってるんですよ。
知っていてなおかつそちらに行ったらこの特別争いはできないぞということもわかってるんですね。
ここがねえっとものすごく混乱してるんですよ。
そもそも一つ意識の世界にいれば特別になろうとするねそのものすごい努力そんなものがなくてもですね平安でいられるわけですね。
なぜならばあなたと私は一つだから自分と異なる異質なものはここにはいないわけですね。
そしてえっと僕らの本来の自分の本性がもし愛そのものであるならね何か特別なものになろうとかねすごくこの輝かしい実績を残してね。
いいことをしなくても愛そのものである僕らは愛し愛されることが自然にできるわけなんですよ。
でもなぜか僕らはねえっとそれを忘れて世界を全く異なるものと見ているわけですね。
周りは敵だらけそして危険な世界で私はこの世界から切り離されたちっぽけな存在だから特別にならないと平安と愛は得られないと思っている。
そこにこの記憶の中にねうっすらあるいやみんな一つなんですよというのがねこのふわっとこう蘇ってくるといやそこの世界に行ったら僕は特別になれないというものすごい混乱をきたしているということなんですよね。
自分が実際にね見えている世界はまさにバラバラ意識そしてここでは特別にならないと生き残れないようなそんな危機感を持っている。
でも心の奥底にね一つ意識の記憶があるだから僕らは時たまいや一つじゃないですか僕らはそんな上下序列はないんじゃないですか。
すべての人の価値は等しいんじゃないですかみたいなことを思いついたり話したりするそして愛というのは大切なんじゃないでしょうかっていうような話もしたりする。
これがえっともしねこの記憶がなければ多分そんな話はできないはずなんですけどもね。
でも時たまそういうことを言ったりするこれに対してこの特別でありたい自分が猛烈にやっぱり反抗するわけですね。
いやそんな世界だったらさ俺特別になれないじゃんみたいな感じでここにものすごく抵抗を感じるそしてそのような世界にとても恐怖を感じているということですね。
特別でありたい願望が自分を弱く見せる
そして同時にね本当は自分と他の人を一つと見られるそしてすべての人の価値が等しくマックスだと見られるそして愛そのものだと見られるこの本来の自分の本性も同じように怖がっているということですね。
こちらに自分を生かせないように生かせないようにしているこの恐怖があるということなんですよ。
これがおそらくですねこの心をすぐに戦場に変えたくなってしまうこの原因である恐怖の根源というかね一番底のところにあるまあまあこういうものはね本当にこう普段認識してないというかね自覚してないと思いますけどもねまさにこれを隠しているんじゃないかなと私は感じていますね。
そしてこの上に先ほどまでお話しした実際にこの特別争いを繰り広げる時のね自然と敵がそこに現れていくとこの一つ意識ではですね自分の周りに自分と等しく価値マックスな人ばかりが現れるんですけどもこの特別争いの世界というのはね必然的に自分の下かもしくは自分を凡庸組みにしたそのね。
このかすかに怒りを感じる人たちすべてどちらも敵ですよねこれに囲まれてしまうという恐怖ですねこれがこの上に乗っかるんですよねそういう二重の構造になっているんじゃないかなと私は見ています。
まあ要はこの特別と一つは完全に愛入れないということですねそして特別と平安もそれから特別と愛も愛入れないわけですどちらか一方しか選べないんですねこれはそうなってしまうんですよ悲しいことにね僕らは特別であることによって平安と愛を手に入れようとしているんですがこれは仕組みとしてね愛入れないものなんですね。
でこのいつもお話しているようにこのように相反する概念が出てきた場合はおそらく間違いなくどちらかが真理でどちらかは幻想なんですよそして私はこれを見分ける方法は一つしかないと思っていて幸せな方が真理でそして苦しみを生む方が幻想だと思っているわけですね。
この意味で私はですね特別でなければ平安が得られないもしくは愛されないねこの特別でありたいと願わなければならない世界の方こちらが幻想だと私は感じています。
なぜならばこの特別でありたいと願うことによって平安と愛は得られないからですね。
だからこれが今日の結論なんですがもし心の平安を保ちたいと思うのであればねそれからもし価値マックスで愛そのものであるね私が言うところの最強の本来の自分を思い出したいと思うのであれば私は特別でありたい願望を手放すっていうことをね日々自分に言い聞かせることが大切だと思いますね。
これも先ほどお話ししたようにもう無意識に心に上がってくるね特別でありたいっていうねそういう願望そういう習慣になっている願望なんですよね。
でも無敵というのはね無敵と漢字で書くと敵がいないということですよね。
だからこの強さを取り戻したいとすればやっぱり私は特別でありたい願望を手放すということをね自分に言い聞かせるしかないと思いますね。
これをよかったらこの平安なかなか手に入らないなぁと思ったらですねちょっとここに手を当ててみるというのをね今日お勧めしたいと思っています。
私は特別でありたいこの願望を手放す難しいと思います。
随分と習慣になっているしやっぱり特別でないとねこの世界では生きていけないというふうにね強く感じている場合はね本当に怖いでしょうね。
特に先ほどその攻撃の特別と守りの特別というのがあるというふうなお話をしたんだけどもこれをねやっぱり守りとして使っているというそういう場合はね非常に難しく感じると思います。
そしてそこに怖さを感じると思います。
でもそこでね難しいともし思ったらそもそも特別になる目的は何かね。
これは平安であるとともに誰かに愛されるためでもありますよね。
ここでもう一度ねもう一度元に戻ってじゃあその手段はなんだね誰かに愛されるため平安を得るためじゃあその手段に何を使おうとしている。
特別でありたい願望が他の人を敵にし、世界を危険にする
いやそれが私は特別であるということだ。
だとしたらこれは自分以外を凡庸組に追いやることになりますよね。
先ほどの言葉を繰り返すならば私の特別は他の人の敗北によって成り立っているという。
これがその他の人がその自分を愛してくれる人だとすればこれは手段と目的が完全に矛盾することになりますよね。
このようなことを振り返ってみるわけですね。
本当にこのやり方で自分が欲しいものが手に入るのかっていうね安全そして愛されるこれが手に入るのかっていうことこの辺を振り返ってみるわけですね。
それに加えてね先ほどお話しした僕らは実はこの一つ意識の世界宇宙の死んだ場所のまさに法則ですね。
これと特別を望むというのは真っ向からこの法則と戦っていることになりますよね。
ここに恐怖があるんだっていうことも一つのねこれを止めるというかな手放す一つの理由として挙げてもいいんじゃないかなと思うわけですね。
この辺りを振り返りながらなるほどとこれはどう考えても手段と目的が矛盾してるよねみたいなことを思い描きながらね。
そして何と言ってもやっぱりこれをやるとすると僕らはこの大大きなものすごく大きな大宇宙の法則と戦うことになるよなっていうね。
このなんていうのかなちょっと虚しさというのかなおそらく成功しないであろうというこの感覚この辺を頼りにね手放していければいいんじゃないかなと思います。
実はねえっとこれも古今東西なんですけども本当に古くからねこのことを教えてくれる言葉というかなそういうものはたくさんあったように思うんですね。
まあ全部覚えてないですけどいろんなところでこのね特別である必要はないっていうこういう教えというかなメッセージは僕はいろんなところで聞いたことがあります。
最近最も有名なやつはね皆さんがご存知のあのスマップが歌ってね牧原隆之さんが書いた世界に一つだけの花という曲がありますわね。
ごくごく当たり前のことを僕は言ってるんだろうなと思っていつも聞いてました。
ナンバーワンにならなくてもいいもともと特別なオンリーワンというねまさに誰もが等しく価値マックスでねそれと同時に80億分の1の個性と役割を担って生きているとまあこれがオンリーワンということなんですけどもねこのメッセージを伝えているわけですね。
でも僕らはねこれをもうなんつーのかな瞬間というかな反応としてちょっと鼻で笑ってねいやそらキレイごとでしょっていうこういう対応をする方が賢くて知的なんじゃないかっていうねこういうなんつーのかなこれも習慣なのかなそういう感じがしてるわけですよね。
特別でありたい願望を手放すことの重要性
ここで私はいつも思うんですキレイごとってなんだろうっていうねこれは僕は自分が心で作り出した世界とその説というのかなそういう話が相入れないということではないかなと思うわけね。
いつもお話しているようにねえっと僕らは僕らの見ている世界は僕らの心を反映しているわけですよね。
だからこの自分の心模様っていうのかなこれと異なる現実っていうのは非常に受け入れたくないと感じるわけです。
だからこのキレイごとという言葉にはねやっぱりこの自分の心模様と全然違うから受け入れたくないよというこの感覚があるわけね。
これは先ほどお話したようにね特別でありたいというこの願望によって僕らは大切なものを得ようとしているつまりそこには非常に大きな価値があるというふうに見ているからですよね。
そのような世界を心の中に持っているそしてそこにナンバーワンじゃなくてオンリーワンだって言われるといやいやいやキレイごとだよっていうふうに言いたくなる。
こういうことなんじゃないかなと思うんですね。
だってキレイか汚いかっていうのは判断ですからね。
これはまさに心の映し出す映像にすぎませんよね。
私が言うところの意味付けというのと同じかな。
だとしたらやっぱり僕は結論としてねこのまさに心の奥底に隠しているこの特別でありたいという願望を絶対に捨てたくないという思いの表れなんじゃないかなっていう感じもするわけですね。
しかもなんとなくねこの常識として流されていくような感じもするんだけどなぜキレイであれば現実ではないということになるのかなというねこういう方程式はどこにもないんじゃないかなと私は思いますね。
現実がキレイであって何がいけないのかということ。
そして別にねこのこの話は競争の世界で勝ってはいけないとかねなんか人より目立つことをしてはいけないというそういう話ではないんですね。
これはですね目に見える現象とか結果の話ですよね。
今日の話はねそうではなくてその現象や結果をもってそれを特別というゴールに使うかどうかの心にフォーカスしてるわけですね。
平安や愛よりもねこの特別というゴールの方が価値があるとそのように考えるんだとしたらやっぱりこの話は何の役にも立たないわけです。
そうではなくてこの日々の暮らしの中でねもっと穏やかでいたいとかねそれから他の人と本当の意味でいい関係を結びたいとかそれから何かに怯えることなくね怖がることなく仕事をしたいとかね。
そういうふうに感じた時の最も効果のある修正法として私は捉えているわけですね。
だからこれはね以前にもお話したかもしれないんだけども要は勝ち負けの世界が大好きだ全然問題ないと思います。
勝負好きなんだよとでもそれはですねえっと例えばものすごくこのあえて悲傷な例を出しますけども。
例えばパートナーと一緒にスイッチのゲームでマリオカートをやりましたと絶対買ってやると買ったやった嬉しいぜって喜ぶ。
でもそのマリオカートが終わったらスイッチの電源を切った後にというわけでお前より俺の方が特別だからっていうねこのある種のさっき言ったようなこのどっちが上か下かみたいなことをやる必要は全くないということですね。
それとこの話は全く別だってことだからこういう話になるとねあのよくあるみんなで手をつないでね100メートル走走って50メートルぐらいかな同時にこのテープゴールテープを切りましょうみたいなことをねそういう話が出てくるんだけどもそれは現象と結果であって心の話ではないんですね。
だから同時にこのゴールのテープを切ったとしてもそのある子供がねいやみんなでこのゴールしたけど俺だけ特別だからさと思っていたら何の意味もないということなわけです。
なのでそういう話で競争しちゃいけないとか競ってはいけないとか勝ってはいけないとかそういう話では全然ないんですね。
そうではなくてこの特別争いというのかな自分が特別でありたいというこの願望を抱くとえっとここはもう平安と愛そのものということね完全に矛盾してしまうので両方は手に入らないというそれだけの話なんですね。
そのように捉えていただけるといいかなと思います。
そして先ほどのね私は特別でありたい願望を手放すというのはこれはあらゆる悩みに聞くんですよ。
特に自分が弱いと感じるときねそれはどういうことかというと今この私を守らないとまずいというふうに感じる時ですね。
まさに危険な状況に自分が置かれているというようなこれは心象というかねそういうイリュージョンを頭の中で作り出してそこがどうにも止まらなくてねまさに怖いなと感じるとき。
そして同時にね周りに敵ばかりじゃないかっていうふうに感じてしまってねついつい心を戦場に変えたくなるときここにね非常に聞きますのでね。
しかも恐らくこんなところに原因があるっていうのはねなかなか気づきにくいポイントでもあるのでね。
特別でありたい願望の影響
なんかそういうことを感じてねついついこの心の平安が得られないなぁと保てないなぁと思ったときはここをねここにアプローチするのがいいと思いますね。
そんな感じですかね。
だから今日はですねなんとなくこの平安乱れたなぁと心がざわつくなぁとそしてなんとなく自分がちょっと弱い感じがして守らないとまずいなぁとかねなんかキャパ超えそうだなぁとかねそういう感じの時かな。
そして周り敵だらけみたいな感じになった時は試しにですね私は特別でありたい願望を手放すというのをね繰り返し繰り返し自分に言い聞かせてみてください。
これはもしかしたらねえっとあまり速攻性のあるものではないかもしれないんですがこれを続けていると結構いい変化に出会えると思いますね。
そんな感じでいい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。
48:44

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