時間の捉え方について
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま5月26日金曜日の午前1時12分ですね。 今日はですね、あのいきなりなんですけども、あのワークをね一つ紹介しようと思ってまして
まあワークと言ってもね、あのしょうもない小さなワークなんですけども えっとねこれ久しぶり今日はね時間の話をしたいんですよね
そこでこのワークからね 始めてみようかなと思いまして、えっとあの例えばですね
カップラーメンを食べない人もいると思うんですけど 私はねえっと今でも結構60にしてカップラーメンはやめられずにですね
カップ焼きそばからカップラーメンそしてあのチャーハンみたいなやつ もうありとあらゆるカップ製品は今でもあの好んで食べるんですけどもね
これがだいたい3分とか5分とかねえっと時間がかかりますよね それからあのスパゲティを茹でるとかね
今パスタっていうのかな、スパゲティっていうのはもう昭和の用語ですが パスタを茹でるときにえっと
まあ何分かとかねその柔らかめとかねえっと固めとかでこう麺を茹でますよね あとそばでもうどんでも何でもいいんですけども
この時におそらく今だとその無印とかねもしくはもう100円ショップとか なんかこのタイマーがありますよねあるいは iphone のタイマーでもいいのかな
まあキッチンタイマーがあるお家が多いと思うんですけどもね そういうタイマーをかけて3分ピッってやるんだけど途中でね
特にこのカップラーメンの時に非常にショックなんですけども 開始ボタンを押し忘れてるってことがありませんかね
多分どなたも一度はやったことがあると思うんですが この時にですね
本当に不思議なんだけど 今何分経ったかとお湯を入れてからね
ほぼもうなんかあの判別不明というかね 知るすべがなくなるんですよやっぱり僕の場合は特にね
もう今1分経ってるのか2分経ってるのかもう全くわからないと このなんつーのかなこのおかしな行動というのかなこのおかしな現象か
ここにですね 実はすごくその僕らがね時間と関わる上で大きなヒントが隠されてるんですね
これはですね僕らが時間の経過を体感するためにはね この始まりつまり始点ですね始まりの点と書いて始点
これがないと僕らは時間の経過を体感できないというね 実はすごい事実がここに隠されてるんですね
つまりカップラーメンのタイマー今何分経ったか このピって言うね今始まったよっていうこれがないともう見失ってしまうってこと
なんですよ だからこれ逆に言うとタイマーを使わずにえっと体感で測ろうと思ったらね
まだ多分いけるんですよえっと入れたのはさっきだったよな だから今だいたいこのぐらい立ったっていうのね
タイマー使うとそこを意識しないんですよ タイマーがやってくれると思っているからね
つまりさっきの僕の現象は視点を忘れてしまったってことなんですね じゃあ視点この始まりとは何かっていうとこれはもうですね
どんな時でもこれはもう何かが始まった後に見る この視点というのはすべて過去なんですね
過去の意味付けについて
だから僕らはその時間の概念を持つためには 過去がなくてはいけないというすごい事実がここに隠されているんですね
じゃあもしね例えばえっとまあすっごいつまんないなんか会議だとか それから高校収とかね
ありますよねなんかこう 池と言われてこう行かなければならない
講習とかまあ私の場合で言うと免許の書き換えの時のゴールド取れなくてね ちょっと長めのやつ
失点が多くて2時間とか3時間近くいるみたいなああいう時とかね それからなんかの待ち時間とかねこの長くてつらい時間退屈な時間
それからまぁちょっと大変なことをやっている時ね 時間なげーななかなか終わんねーなって感じる時がありますよね
この時にこれがまあ今日のワークなんですけどもね最初のこの始まりの点 視点を手放してみるっていうねこれが効くんですよ
ぜひやってみてください長いなと思ったらいつから待ってたっていうのをね えっと手放すってことです
まあ要はいつ始めて始めてどのぐらい経ったかっていうのを忘れ去ってみるっていうね これをやると
一気にですねあのなんつーのかなこう閉じ込められてた空間みたいなね時間なんですけども 狭いこう牢獄みたいなとこに閉じ込められている感じなんですよ
やっぱ時間が長いなと思うときねすごく不自由な感じがする そしておそらくそのように心が感じてるってことは
もうこれ体に反映されてるんで体にある種の音重圧とかね まあ重力とかそれからある種の深いさみたいなのも感じていると思うんですよ
これを取り外すというかねここから解放されるのにこの始まりの忘れてしまうっていうのは 非常に良いポイントになるので
こういうね退屈だなげーなと思った時いつからっていうここをね 忘れてみるという
これをぜひやってみてください そしてねえっとなぜこのワークから今日を始めたかというと
今日はね過去についてちょっとお話をしたいんですね 要はですね結論から言うと僕らのそのねあらゆる苦悩というのかな
辛さもうとにかく怒りでも何でもいいんですけどもね心にとっての辛い何か 辛い思いか
これはすべて過去にひも付いているというそういう話なんですね まあわかりやすい例で言うとえっと私がよく言うねこの意味付け
ねえっとこれはですね僕らは出来事とか他の人の言動に直接反応しているわけではなくて 自分の作った意味付けつまり解釈ねこれに反応しているんだと
だからここがなくなるもしくはねここを変えれば このなんつーのかなこの反応が変わるというねそういう仕組みになってるんだけどもだから
まあ厄介なんですよ意味付けというのはね なるべく手放す方がいいんだけども
この意味付けはいつ作られたかというと見てその場で意味付けをしているわけではないん ですね
これはもうほぼほぼ100%過去に意味付けはし終わってるんですよ こういうものは美味しいこういうものは楽しいこういうものはつまらない
さっきのね僕がもうあの何も考えずに なんですから免許の書き換えの講習はつまらないと言ってましたね
でももしかしたらね100回100回もいけないんだけども生きてるうちに10回行ったら 10回のうち1回ぐらいはねえっと奇跡的にその楽しい講習っていうのがあるかもしれないじゃないですか
でも僕らはもう免許の書き換えの講習ねつまらないよねという意味付けをしているわけ これは過去に終わってるんですね
それからえっといわゆる後悔それから執着ねそういうものももちろんこれは過去ですよね 後悔は未来にはできませんから過去からやってきますね
罪悪感と未来の不安・焦り
それからこの番組でもお話ししている一つの音ものすごく厄介な僕らの音心に持って しまうものとして罪悪感というのがあります
罪の意識ですねこれも間違いなく過去です未来に罪悪感を持つことはできません すでに自分がし終わったこと
すでに他の人がし終わったことここに対してこれは罪だっていうね 罪悪感を抱くこれも過去にありますね
それから一見勘違いしがちなねポイントとして不安っていうのがありますね未来の不安 それから焦りこれも焦るということは早く終わらせなきゃみたいなことで焦っているんで方向として
は未来に向いている感じがしますよね だからその本人としてはいやいや私は過去ではなくて未来を見て不安になっているんだ
未来を見て焦ってるんだと思いがちなんだけどもこれも実はそうではないんですね おそらくあらゆるね未来の不安そして焦りは
過去に経験したひどい出来事を見てるんですよ まずね
記憶の中にねそしてそれを回避したいというふうに 考えながら不安になったり焦ったりしてるんですよね
だから例えばあのよく考えてみるとね 早く終わらせなきゃやばいぞって言って焦るわけですよね何がやばいのっていうねその
ヤバさは想像なんだけどもその想像は何を元にしているか 過去に経験したひどい出来事ですよね
過去に自分はここで例えばここで終わらせられなくてひどい目にあっているんですよ それをもう一度記憶の中から呼び覚ましてこの今自分が直面しているこの場面はね
それにものすごく似ているとだからここで間に合わなかったらまたあのひどい目に 合うだろうと言って焦ってるわけですよね
だからそういう経験を一度もしたことがない人はおそらく焦ることができないはずです それから未来の不安も同じですねこういうことになりたくない
過去の記憶による現実のオーバーラップ
こういう未来が来たら困ると言って不安になっているということはそれを過去にどこかで 経験しているということなんですね
もちろんえっとこの過去の経験というのは自分が体験したことだけではなくて見聞きしたこととかね あるいはその自分の親がそのような経験をしたとかね
親兄弟親戚あるいはドラマとか映画とかにも影響されているかもしれない とにかく過去にそのひどい場面というのは必ず見てるはずなんですよね
だからこのままじゃ大変なことになるとその過去から引っ張り出して不安の映像を作っている ということだからこれはある意味その僕らのね
未来に抱く不安というのは過去のコラージュと言ってもいいですよね 過去に体験した様々なこのひどい出来事嫌な出来事をこう
断片的にね断片を集めてきて それを未来の不安としてこう作っているということですね
それからえっと怒りね 何かに腹を立てるとこれも実はですね
まあ目の前にあるこれはまさにこの今目の前にあることに起こっている感じがするんだ けどもね
さっき言ったように僕らはその相手出来事に対して起こっているのではなく ここに自分がした解釈判断
意味付けに対して起こっているということ だとすればこれがもうこのさっきね意味付けは過去に作られているという事実があったと
すればこの僕らは実は過去に起こっているんですよ これはねまあいろんなケースがあるでしょうね
まさにその嫌な記憶を呼び戻されたことに起こっている可能性がありますね あんたがその一言を言ったことで嫌なことを思い出して思い出しちゃったじゃないの
みたいなねこれよくありますよねでもこれは過去に起こっているわけです それからえっと
偽りの自分の知覚の仕方
過去のその記憶の中でねやっぱり同じように嫌な出来事ひどい出来事 そこに現れた登場人物ね
そしてそこで何か自分がやらかしているもしくはひどい目にあっている自分 これをそのある出来事をきっかけにね思い出し
それもやっぱりこれもやっぱりねある種のこのパターンというかねなんか似通ったこと のように感じるんですよねきっとね
さっきのその一言でこの記憶呼び戻しちゃったじゃないのっていうのと同じように あるその他の人の言動とかね出来事がまさにその記憶とね
えっとこう重なってそれをね心の中にフッとこう沸き上がらせてしまう そこにまあ僕らは起こっているっていうねそういうことなんですね
まあだからこの怒りに関しても過去にその原因とかね まさにその怒りをぶつけている対象がまさに過去だったりもするわけですね
それからあの少し前にねお話ししたこの偽りの自分の物の見方 良いか悪いかこのコントラストをねとても気にする
見がちというかね見たがるというこのまさに偽りの自分の知覚の仕方 見方物の見方もこれは間違いなく過去の経験によってこう気づかれてますよね
僕らは何もその出会ったことがない味わったことがない見たこともない聞いたこと もないものを良いとか悪いとかね
好き嫌いとかね気持ちいいとか気持ち悪いとかそういうボロに分けることはできないのでね これもすでに過去に終わってるんですねこのコントラスト付けというのがね
それを僕らはえっと目の前でもものに重ねながら見ているということね だからやっぱりこのこのようにして見ていくと僕らのまああらゆる苦悩というかな
この心の嫌な感じの正体は過去に経験した記憶だとかね まあそういう何か覚えている映像みたいなものを
目の前にあるものに重ね合わせることによって生まれるってことがわかりますよね この重ね合わせるっていうのはあのね
あの東映みたいな専門評があるんですが私はそのあたりあまり詳しくないのでね なんか自分でこの用語をいつも作り出してしまうんだけど緑の本では
確かご機嫌な仕事からあれではプロジェクションマッピングのような感じって書きましたよね 映写しているんだっていう
要はえっと映像自分の心の中にある記憶の中にある過去の映像 過去の体験のその記憶みたいなものを現在見ているものにオーバーラップさせている
オーバーラップも割といい言葉かなと思うんですよね これはあの映画でいう専門用語で前の映像が残っているところに次の映像が重ね合わさってきてね
2つの映像がこう二重になるっていうこれもオーバーラップと言うんだけども この場合はあの前の映像が透けて見えてるんでね
両方見えてますよね 要はこれは現実と自分が重ね合わせた映像というそういう組み合わせになるんだけども
オーバーラップだとまだその現実が透けて見えているんでね もうちょっと強いんですよね
なんかやっぱりこのオーバーラップのね僕はラップという言葉がねちょっと今こう気になっていて ラッピングって言うじゃないですか
ラッピングとはその箱をね包み紙で包んでしまう だからえっと過去の記憶というかね映像みたいなもので自分が見ているものを包み込んで
プロジェクションラッピングとは
しまうっていうこれが何かラッピングでしょ だからこのなんか僕らがやってるこの過去の記憶映像をその見ているものに重ね合わせる
っていうこの感じはなんとなくラッピングという言葉がねちょっと私にはねこうピンと きてるんですねでもこれだと
こうその映し出すというかね自分からこう自分がプロジェクションマッピングのこの機械の ようになって
ファーと映し出しているイメージがちょっと薄れてしまうので なんかプロジェクションラッピングっていうのが面白いんじゃないかなってね
この番組をちょっと始める前にえっと思いついた言葉なんですけどもね だから今日はちょっとプロジェクションラッピングと
このようは僕らのすべての音苦悩の正体は過去の映像過去の記憶 これを見ている人今目の前にいる人そしてえっと自分が今遭遇している出来事
ここにプロジェクションラッピングしてるってことですよね これによって生まれているさっき言ったように意味付け後悔罪悪感未来の不安焦り
そして怒りそれからコントラストを見てしまうこのものの見方 あらゆるものがこの過去から生まれてきてそして僕らはリアルタイムにそれを
プロジェクションラッピングしていると あんま良くねーからまあいいや
言いにくいのはちょっと長いんですよねパネ東映の方が簡単かもしれない まあいやだからえっと結論から言うとさっき猫のタイマーをタイマーの話の時に
視点を忘れるって話をしましたよね これはえっと過去にいつ始まったかえっと初めてどのぐらい立ったかを忘れて暮らすという
このワークなんだけども これをですねやっぱりこの人生全般に当てはめるっていうのが僕はいいだろうなと思ってるん
ですね つまりできるだけ終わったことを忘れながら暮らすっていうのが心を平和に保つ
大きなポイントになるっていうのがねこれが今日の話の テーマなんですよ
忘れな忘れまくるということねもう終わってしまったことは全部忘れて暮らす まああの実際にはねそんなに単純な話ではないんだけどこの理屈とすればですよ
理屈とすればこのできるだけ終わったことを忘れながら暮らすということがね もし実行できたとしたら
さっき言ったような後悔はなくなる罪悪感はなくなる 未来の不安もそして怒りのほとんどもなくなるし
このコントラストを見るねものの見方というのもしなくなるというね 多分悪いことはどこにもないんですね
でもまぁこの話に多分ささやかな抵抗というかね もしくは強い抵抗を感じる可能性はものすごく大きくて
例えばその僕らはねやっぱりこの記憶するということで随分とこのメリットを感じて 生きてますからね
例えばこの試験勉強とかねこれは大人になってもありますよね資格を取るとか これにとってはですね忘れることは悪ですからね
だからそのできるだけ終わったことを忘れながら暮らすとしたら この試験勉強の覚えたことも忘れるわけみたいなこの感じがありますよね
まぁそんな具体的ではないんだけどもなんとなく嫌な感じがする 忘れるというのはやっぱ悪だなと
やっぱ忘れっぽい人とかっていうのは嫌われますからね ダメな奴だと見なされがちなんでね
それからこの抵抗を感じる要因としては 僕らはその成長志向で生きてきてますから
不足を埋めるために自分の価値を高めるためにこの努力を重ねてきたっていうね この思いが強い場合はやっぱり今の自分があるのは過去の努力のおかげだっていうね
これをやっぱり思いたいですよねどうしてもねここを大切にして そのまあなんつーのかな自分に自信がなくなったり信頼をね失いかけた時にふと過去を振り返ってね
いやいや随分と俺は努力してきたじゃないかっていうここのね なんていうのかな頼りにしている可能性もありますよね
それからまあえっとそれそのようなねこの積み上げてきた努力をまさにこの過去をね 自分のアイデンティティのように感じていることもある
ただこれに関しては私はですねアイデンティティというのはいつも言ってるように価値マックスで 愛そのものでね
平安で幸せであるというこれはもう生まれた時から決まってるんじゃないかと思うのでね そのここの過去を積み上げてきた過去をわざわざその
自分のアイデンティティとみなさなくてもいいとねこれはまあ私はそのようにこのこの話 に関してはそう思うんですけどもねまぁこれが一つ
それからあの若い人にはもう滅多にないと思うんですが私くらいの音この60歳ぐらいの 年になるとやっぱりこの過去の栄光みたいなものをね
自分のブランドにしたいというそういうケースもありますよね だからなかなかそのこの出来できるだけ終わったことを忘れながら暮らすという話にはね
同意しにくい部分があるんだけども今挙げたようなねこのメリット これとね先ほどこの私がたくさんこの
羅列した弊害ですねまあつまり不の意味付け 後悔執着そして罪悪感未来の不安焦りね
それから怒りそしてコントラストこのあたりとこの比較してみた時にね 僕はやっぱりこの弊害を取り除く方が
記憶の意味が変わる時代
自分にとってはね大きなメリットになるんじゃないかなっていうそういう感じがしますね もうこの試験勉強にとって忘れること悪という奴はえっと別にここを忘れる必要は
ないのでね ここはもうあの全然覚えていて問題ないからここまで忘れようみたいな話ではないし
このできるだけ終わったことを忘れながら暮らすからといってね 頭の中がすべて空っぽにはなりませんからね
それからえっとまあ要は本当に必要なことっていうのは僕ら忘れないんですよ しかもその今ねまさにこのグーグルの時代じゃないですか
だからやっぱり僕らにとっての記憶の意味というのはね私がその 若い頃のその昭和の時代とねこのまさに令和の時代ではずいぶんと変わってきている
はずなんですよこの記憶の意味というのがね もちろん僕はそのグーググればわかるから何も覚えなくていいっていうふうには全然思い
ませんけどね でもそういうものっていうのはなんか記憶しようというその意思をね強く発揮しなくても
しっかりと心に刻まれているのでね そうそうだからこの思考の記憶に入れる場合にはやっぱりこの頑張ってね単語帳とか作って
あの赤いなんていうのがねこういう透明の板みたいなので隠したりしながら 僕もね覚えたことがあるんだけどもでもこの手の記憶は使わないとすぐに忘れ
ちゃいますからね だから重要なのはやっぱり心に刻まれた
えっとものうんこれはねやっぱ忘れようとしても忘れられないんですよね だからこの時代にやっぱこの記憶の意味というのはね変わってきているのでね
いわゆるこの思考についての記憶に関してはもう少しね こうなんつーのかな緩やかに考えてもいいんじゃないかなと思いますよね
だって試験にスマホを持ち込めたらもう圧倒的にえっと溶ける問題って多くなりますよね でしかもまあ試験には持ち込めないけど僕らはもう今スマホを肌身離さず
で暮らしてますからね だから終わったことをできるだけ忘れながら暮らすのはいけると思うんですよ
うんなんかやべえと思ったらググればいいわけですからね そしてえっととても必要なものというのはね心に刻まれている
でしかもその記憶を覚えたことが役立つっていうのはこれタイミングが重要なんですよ 今覚えたことが今役立つわけじゃないんですね
今なんとなく心に刻んだことが3年後とかにフォッとかつってこう思い出されたりする だからトリガーがないと覚えたものっていうのはね
発揮されないんですよね だからそれを全部記録しておいてこれを全部その頭に入れておこうなんてのはね
やっぱりやればやるほど大事なものが薄れていくんじゃないかみたいなねそんな感じも しますね
それからさっきお話ししたようなその過去をアイデンティティにするとかね 過去をブランドにするとかあるいはその過去を自分の自身の根拠にするみたいなことはね
これをやるとえっといつでもスクッとこう裏返ってしまうんですね これなぜかというと僕らの記憶はとても曖昧だからなんですね
そしてえっとこの記憶というのも実は僕らは記憶をそのまま見ているのではなくて それをまあどこかから引っ張り出すときにここにもやっぱりそのさっきね言ったこの解釈が加わるんですよ
記憶をストレートになんつーのかなビデオテープを見るようにありのままに見るなんてことは絶対にできなくて
僕らはね目の前にいる人でさえ自分の解釈をこのプロジェクションラッピングしながら見るわけだからこの過去の記憶をね
当然だけど記憶に関してもそれが起こるわけですよ その解釈意味付けが起こるわけね
そうするとある時はいやー俺はこんなに努力したんだっていうその人自分の実績のように扱っていた 記憶がね
いやでもそのやり方が間違ってたんじゃないかみたいな風にひっくり返ることもあるわけですね だからえっとこういうものをそのなんつーのかな位置づえにするんではなくて
やっぱり今目の前にあるそして今ここにいる自分をね えっとしっかりと価値マックスと見る方が僕はいいんじゃないかなと思いますここにはね
過去の経験過去の記憶は必要ないですからね そしてえっと何よりもこのそうですねえっと思考にとってはね忘れることは悪なのかもしれない
けども 心にとっては忘れることっていうのはねまさにこの自由を得ることなんですよ
先ほどお話ししたようなね僕らの記憶の中には厄介な使い方をするそしてそれをね 重ね目の前のものに重ね合わせてしまうラッピングさせてしまうような使い方をする
そういうものがたくさんこうなんつーのかな 僕のイメージでは重荷のように背中に乗っているんですね
これをえっと忘れていくことによって僕らはまさにこの重荷を下ろすようにね 軽くなれる身軽になれる自由になれるんじゃないかなっていうそんな感じがしますね
だから心にとって忘れることは決して悪ではないという感じ そして今僕はね心の平安についての話をしているのでね
ここここをゴールにするんであれば本当に過去は一切がさえ忘れながら暮らしても大丈夫かな というそんな感じがしますね
食生活と過去を振り返ってしまうことの関連性
で私はですねそういえばっていう話をねちょっと最近思い出して 僕はですねえっと割と痩せているんですが
夜中にね甘いものとか甘いもの大好きなんでそれからあの炭酸飲料コーラとかね 好きなんですよ今でもねこの年になっても炭酸飲料を飲むからよくあの知り合いにね
黒園さんは赤いなぁコーラ飲んでるみたいなことが言われるんだけども これをただコーラだけ飲むってわけにはいかないんで
やっぱポテトチップスとかねなんかその和風のせんべいとかそういうものをつまみにしながらね 僕はお酒を飲まないんでね一切
やってしまうんですよるんね そうすると何が起こるかというと見る見る間にこのお腹が出てくるんですよぽっこりね
若い頃はそれでも大丈夫だったんだけどそうですね何年前かな5、6年前ぐらいかな その頃からやっぱりなぜかこの下っ腹からね
胃のあたりか腸のあたりかこの辺がポコッと出てきてすんげえかっこ悪いんですよ 自分で見てね
それが嫌だなぁと思い出すとここで僕はね 自動的にダイエットを始めるということをするんですねダイエットとは言えないんだけど
この夜食の甘いものとか炭酸飲料を飲むのをやめる せんべいを食べるのをやめるってことをスパッとやって
今日も5日目なんですよということは5日前にねこのお腹ダメだなというね ちょっとこの t シャツを買いに行ったらねこの試着室で着るときにこう
パッとこう服を脱ぐじゃないですか そのお腹がねあまりにちょっと自分で見ていても情けないなという感じがしたので
今日からもうやめようと言ってねやめるわけですよ でこの辞め方というのがね僕はなんとなくこの過去を思い出さないということとね非常に
密接に関わっている感じがするのね 要は僕は今もうやめられてるんですね5日間で今日も全然食べたいと思わないんですよ
でもこれをどうするといやーもっと甘いものには食べたいなとかねコーラ今から買いに 行っちゃおうかなとかね
近くに自動販売機あるんで顔に買いに行こうと思えば今でも行けるんだけども えっとこれを心にねそういうなんつーから今もダメだ食べたいしやめられないっていうこれを
抱くっていうのは何をしているときかというとこれは僕にとってなのかもしれないんだ けども
昨日その前食べた記憶を思い出してるんですね いや甘かったよコーラコーラシュワッとしてうまかったよみたいなことを思い出してるんですよ
これを思い出すともう僕の心はね過去にとらわれて 止めるっていうことができなくなるんですねだからできるだけ僕はそれを思い出さないように
今過ごしてるわけまさにそのなんつーから過去を振り返りずに えっと暮らすということを実践することによってそれほど辛くないんですね
過去を振り返らずに暮らすことの実践
うん やめることがねだからまぁあのいつもいつもこれは成功してお腹がへっこむっていうことは繰り返しやってるわけ
でもへっこむと安心してまた甘いものを食べてしまうということも繰り返すんですけどもね まあでももう少しするとね元に戻らない可能性もあるんでね
今度引っ込んだらもうまた過去を思い出して食べようなんてことはせずにね だから多分このきっかけというのはどっかでそのコーラを飲んだ時に思い出すんですよ
うわコーラうめーなーってやっぱうまかったなそして家に帰っても飲みたくなるっていうね そういうやっぱ過去に紐づいてる
だから何かをやめる時にこのねえっと過去を思い出さないっていうのは僕にとってはすごく 重要だね
まあワークになってるわけですねこれはちょっとあの人におすすめしたこともないし えっと誰かにやってみてもらったこともないんでね全くその
こう一般に通用するやり方とは思ってないんですけどもね だからやっぱりさっきねあの執着という言葉を人一言その述べたんですけどもねこの
弊害の中でね後悔や執着っていうのも過去からやってくる だからやっぱりこの記憶の中にねそれを呼び覚ますことによって戻されてしまうっていうね
そういう作用はねここにあるんじゃないかなというそんな感じがしますね でこのねえっと実在しない時間なんですよ過去というのはねここが受け入れがたいんですね
過去に関してはね未来に関しては誰もがアグリする まあでもいやいや未来も実在するっていう説もあるかもしれないんだけども
僕らがねこの生きているこの感覚の中でえっと未来というのは実在しないこれは割と 同意しやすいんだけど
過去が実在しないっていうのはね何かやっぱり引っかかるこれはさっき言ったようなね えっとい様々な原因
要因によるんですよ まあ実績であるとかねその過去の栄光とかそういうものもあるからねそして過去の
良い思い出みたいなのもあるしね 人も関わりがかかっここに関係してきますよね
過去の思い出の中にねそれがいないっていうのはあんまりひどくないかっていうそんな 感じがするんだけども
別にえっと過去は実在しないと言ったからと言ってね僕らの中から良い思い出が消える わけではない
でもここは多分事実なんですよ そしてこの未来とか過去この実在しない時間というのはイメージなんですよねやっぱり僕らの
実在しない時間
頭の中でそれを作り出す再現する 予想もそうだしその過去の振り返りもそうだし頭の中のイメージなんですね
これをやるときに 僕らの心というのはねまさに空になってるんですよ
ここが大変問題なんですねからというのは空と書いてからと呼ぶんだけどもこれは 仏教でいうとこの空ではなくてね
からまさに何もなくなっちゃってるこれは心が働いてないということでもあるんですよ ね
僕らの心というのは想像力を持っているわけですね つまり僕らが何かを生み出すこの想像力というのは別にアートとかね
コンテンツだけではなくて緑の本で書いたように僕らが会話をすればそこに 僕らが話をすればねそこに会話が生まれる
そして僕らが肉を切り野菜を切ると料理が生まれるというようにねもう日々日々 僕らはそのコンテンツアート作品じゃなくて
えっと何かを作り出してるんですねそしてその作り出す原動力が何かというとこれが 作ってみたいとかねこれがしたいという思いなんですよ
この心が想像力の源なんですねで体はそれに従って動くとその形にできるという まあその次の段階でね体が登場するんだけどもこれはだから一つのツールなんです
よね だから体だけでは何も作れない重い心がないとね心が動かないと心の想像力が発揮されない
と何も使えない この実在しない時間過去と未来について考えている時僕らはこれを使えていないん
ですね うんあの以前にねこの番組でお話ししたその言葉を使って言うならば
心が震えていないということなんですね でこの心が触れる震えるというのはまさに僕らにとって幸せを感じるということと同じなので
ね これが震えていない幸せを感じられなくなっているという状態でもあるわけね
今ここに集中する
まあ当然ですよね実在しない時間について考えているわけだから 心が空になって動かなくなる
そうすると幸せを感じられなくなるそしてこのねえっと動いていれば想像する 震えていれば幸せを感じるこの心がね
空になったことによってこの空いたところに恐れや不安がスッと忍び込んでくるって ことなんですよね
じゃあどうすればねその心が空にならずにね 震えてそして動き出しまさにその心の本来の力であるね
想像力を発揮できるようになるかというとその反対側ですね 実在する時間にいればいいんですねそれはまさに今ここです
そして今ここにいるための唯一の方法は 過去や未来について考えるのをやめるということですよね
だからやっぱりこのこの一点においても あらゆることを忘れながら暮らすというのは悪くないんですよ
まさにねこの今ここにいられるようになるわけですからね でなんかえっとね僕はねやっぱりこの幸せというのは
えっと今ここにしかないと思っているんですね これはえっと状態とかねえっとイメージでも想像でもなく多分僕らにとっては体験なんです
そして何かを体験する時間というのはやっぱり実在する時間の今ここしかないんですね だから例えるならばこの今ここという時間はね
幸せになるシャワーみたいなものが無限に沸き続けているバスルーム そんな場所だとねイメージするんですね
だから僕がここのね今ここにいればこのバスルームの中にいれば まさにこの幸せの泉のようなねこのシャワーを好きなだけ浴びることができるわけです
でもこの過去や未来について考え始めた途端に僕はこの場所からね バンと外に出されてしまうんですね
そうすると何が起こるかというと誰もいないこの今ここというバスルームでね シャワーが出っ放しになっているってことです
これはやっぱり僕はね 自分家のねシャワールーバスルームでシャワーを出しっぱなしにしている人が誰もいない
これはやっぱ無駄だなぁと思いますよね 僕はあの緑の本で人生に無駄なものなど一つもないと書いたんだけども
唯一これだけは無駄だなぁって感じがするんですね この今ここにいなくて幸せのシャワーをね出しっぱなしにしている僕はどこにいるかって
いうと実在しない時間の過去や未来に出てしまっている 当然そこにはこの幸せの泉がね沸き上がっていないので浴びることができない
これだけはねなんかその唯一無駄と言ってもいいのかもしれないなぁとね 矛盾しているようなんですけど思いますね
でもこの無駄はえっとこの漢字の音無駄というのはダメにするとかね台無しにする っていうよりはないものにしてしまうっていうねそういうふうに見る感じかなそういう
過去を手放すことの大切さ
意味が意味でのダメっていうそんな感じですね だってないものにしてしまってますからねこの今ここにある幸せの泉
このシャワーを浴びないっていうねあえてそこから出ているっていう ただその僕はねこの番組でも言いましたけど
えっと僕らはもうこの幸せであることが確定しているとこの事実は変わらないん ですね
価値マックスな僕らは幸せな存在であるというのはもうすでに確定している だから別にこのシャワー浴びなくてもいいんだけども
でもこの僕らはねさっき言ったような創造力を持っているわけ この創造力というのは自由な意思であることが重要なんですね
自由な意思を持っているから僕らはこの創造力を発揮できるわけ あれをしてはいけないこれをしてはいけないっていう中ではなかなかこの僕らの創造力という
のは発揮できない だから自由であるというのがセットになってるんですね
幸せな存在であるよでもあなたは完全に自由な意思を持っているよとこれがセットになっ てるつまり僕らが創業になればこの幸せに出会う機会っていうのかな
このここをないものにするぐらいは簡単にできてしまうんですよ だからその意味でもったいないなっていうことなんですよね
幸せであることが確定している僕らは今ここにいればねいくらでもこの幸せの泉 を浴びることができるのになぜか僕らは実在しない時間について考えたくなる
そしてこの今ここから抜け出してねシャワーを出しっぱなし状態にしていると だからこれこれだから不幸になるということではないんだけどもね
えっとこれを浴びないという意思を僕らは発揮できるんだというねここもやっぱり抑えて おかなきゃいけないとこですよね
まあだからその過去を考えないというのはね過去について考えない つまり
あることを忘れながら暮らすというのは 僕らのねえっとこの過去に自分を苦しめたり束縛したりする力を与えないようにするってこと
ですよね その代わりこの今ここの自分にこの音完全に自由である自分
この幸せの泉をギフトするということですよ あるいはねその前段階かなこの自由になるためにとってもね
生きた年数分重たい大量の荷物で重荷を背中に背負ってきた 効率を下ろしてあげるってことですよね
これがえっと終わったことを忘れるということなんじゃないかなと思います だから何にも悪いことじゃない
過去と向き合うことで未来に向けた行動へ
どこにも不都合はないさっき言ったように覚えておかなきゃいけないことは覚えておきます からね
そこは心配しなくても大丈夫だと思います そしてどこのね最後にこのようなまあお話を踏まえた上でねもう1個だけワークを
ね 紹介したいなと思いますこれはですね
と今日お話ししたようなことをこう自分でね把握しながら なるほど俺は今過去を見てるんだっていうねこれに気づくためのワークなんですねとっても
簡単です なんかその不安未来の不安とかねそれから目の前の
人とか出来事とかそういうものに怒りを感じた時ね不安や怒りですね 主にこの2つ
静かに目をつぶってねえっと今自分が何を考えているのかなっていつものやつですよ 見張るんですよ
そしてここに対してあっ こういうこと考えてるなあこれをこれこれについて僕は不安に思ってるんだなあこれについて
怒りを感じてるんだなっていうそのこれこれにまあ名前をつけるわけですよね 例えばじゃあ僕は次のジャジンワークの集客について不安を感じているなぁと
そういう風に考えてるなぁと今思ってませんけどね 一応例として不安を感じてるなぁって思ったら
僕はこのジャジンワークについて過去を見ているっていう風に言ってみるんですよ あるいはね誰かに腹を立てていたら私はこの名前を入れてねそこにね
私はクラゾの形像について過去を見ているっていう風に言うわけですね でこれによってそうかと俺は来週今週末の
ジャジンワーク土曜日13時13時からここに告知入れちゃいけないんだけどね えっとのこのジャジンワークに人が集まっていないというこの未来集まらないんじゃないか
っていう未来な未来に不安を感じていると思ったが実は違うなと これは僕は過去に経験した
えっとイベントを開催しても人が集まらなかったあの映像を見ているんだと そしてその目に会いたくないなということに怯えているんだなっていうことに気づけますよね
でさらに言えばねそれに関して僕が恐れや不安を感じているとすれば その過去を見ながらねそういえば前回前々回人が来なかったようなとそしてその時いくら
告知しても何も変わらなかった変わらなかったよなと じゃあもう今日から何やってもどうにもなんないかみたいなねこの諦めがっかり
失望みたいなのも同時に多分感じてるんですよ過去の映像からね ラッピングしてるんですよ
今週末のね未来にまだ来ていないこのイベントにラッピングしてるんですよ だからそれに気づいたらそうかと
今週末のイベントは私が見たその過去のイベントとは違うよなと じゃあ何が起こるかまだわからないよなよっしゃじゃあもうちょっと告知頑張ってみよう
かなみたいなことができるわけですよね これがいわゆるこの恐れや不安ぽっかり空いた穴の中に忍び込んだ
恐れや不安を今ここに心を戻してですね 創造力の方を使うということですまさにこのこれからどうしようかなどうすれば人が
忘れることの意味
集まるかなと考えるこれがまさに創造力じゃないですか そしてそれによって何かで自分のできることを思いつくかもしれないね
諦めないで済むかもしれないまた同じことが起こったらまたあれは過去に終わった ことであって今度の奴は違うんだよっていうことを繰り返していくわけですね
これが今ここにいるということ ずいぶんと重りがないですよね感覚としてはね
凝りない奴みたいなことを言われるかもしれないけどもそういうことはあまり気にせず に私の心が平安であればそれでいいと思います
なおかつねそれによって私の心が平安を保ち 私の心が創造力を失わずにねえっと何かを動ける何かを実行できる
その状態であればもうそれだけでいいと思います なのでよかったらねえっと今日3つあったと思います一つはこのタイマーの話ね
開始時間始まりどのぐらい経ってるかみたいなねこの開始時間を忘れてみるというね あげーな退屈だなぁと思った時はね始まりを忘れ
そしてできるだけねえっと終わったことを忘れながら暮らしてみるっていうね もうどんどん忘れていくってことですね
あとこの中にねなんかこうやめたいこととかあったら えっとそれをやったことを思い出さなければおそらくまたやりたいと思わないっていうねこれは
ちょっとまだ私の中ではね こう一般に通用するかどうかは謎なんですけどもね
私のケースとしては参考までにそして最後にね 心配未来へ未来の不安とか心配そして怒りがえっと湧き上がった時はえっとその考えを
ね1回こう自分の頭の中でこう見ながらね 私はこれについて過去を見ていると言ってみるというね
このあたり良かったらちょっとやってみてください とてもとても心の平安にはね役に立ってくれると思います
ジャジュンワーク、デッサン教室のお知らせ
でねさっきも途中であの告知しかけてしまいましたけどもね 今週末土曜日が13時からジャジュンワークですね
会場はリアル会場は築地そしてオンラインのハイブリッドですね これもまさにね毎回同じ子で同じようなこと言ってますけどね
これ別にこう計算してこう重ねてるんじゃなくてね 流れの中では確かになぁこれも過去を振り返ってないなぁというねそういうイベント
もう一つですねそしてえっと日曜日が13時30分からですね えっと加藤さつきとやっているこれもお馴染みのね
ありのままを見るデッサン教室 こちらはですね今回は東京ドームの近くのねえっとアカデミー文教という施設でやります
美術室で美術室でやりますこれもまさにね 今ここを体験していただけるイベントになっていると思います
よかったらこの2つでご参加ください じゃあ今日はですね
なんというかなこの実験みたいな感じでいいと思うんですよ 今日1日だけでもいいので
1歳ね終わったことを振り返らずに暮らすとどうなるかっていうのね ちょっと試してみてください
とにかく終わったことをバンバン忘れていく 何も振り返らない振り返らないね後ろを一切見ずにこう前に行くと前に進むだけ
みたいなことをやって何が起こるかちょっと試してみてください 私がなんとなくこれはありそうだぞというのはね絶対ではないかもしれないけども
いつもより疲れてねーよっていうこの感覚はあるような気がしますね だから振り返らずにね
1歳振り返らずに良い1日をお過ごしください ありがとうございます
ん
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