1. Good News for Cities〜都市に関する炉辺談話
  2. 【#152】山川陸さんに聞く「状..
2024-11-12 43:08

【#152】山川陸さんに聞く「状況の設計」

今回はアーティストの山川陸さんをゲストにお招きして、山川さんの多彩な活動をお聞きしながら、私たちの活動にも通じる状況の設計についておしゃべりしました!


山川陸さん


https://yamakawariku.wraptas.site/

様々な形式により集団で共に考える状況の設計に取り組む


・山川さんの自己紹介

・山川さんの制作スタイル『状況の設計』に至った経緯

・ラーニング・コレクティブ「都市と芸術の応答体」について

・「今此処」じゃない場に注目することで見えてくる「今此処」

・Transfield Studioについて

・プノンペンの都市開発で受けたショック

・先進国と途上国は同時代的にある

都市と芸術の応答体

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皆さん、こんにちは。杉田麻里子と石川由加子です。
Good News for Citiesは、都市、建築、町づくりに関する様々なグッドニュースを、ザックバランに話す番組です。
今回は、アーティストの山川陸さんをお迎えして、お話ししていきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
山川さんは、結構いろいろなつながりがあって、今日もちょっとそのお話をできればと思うんですが、
For Citiesが立ち上がって、結構序盤に、プラットフォームにもアーバニスト登録してくれた日本人の人がいるぞ、みたいな感じで盛り上がったのを覚えております。
そこから、いろいろ、今私たちがプログラムをやっている、有楽町アートアーバニズのYAOっていう拠点にも活動されてたりとか、いろいろ気になるプログラムをやってて、やっとお話しできるという感じです。
じゃあ、ちょっと簡単な自己紹介から、よろしくお願いします。
はい、わかりました。
こんにちは。アーティストの山川陸と言います。
今アーティストと名乗ったように、基本的にアートプロジェクトに関わったり、作品制作を主にやっています。
僕がやっている作品制作は、ツアーパフォーマンスと呼ばれる舞台芸術のジャンルの一つで、
劇場の中とかで座って演目を見るっていうタイプのパフォーマンスではなくて、お客さんと一緒に歩いたりとか、バスに乗ってもらったり、
お客さんが移動することで経験が進んでいくっていう、そういうタイプの作品制作を主にやっています。
これはトランスフィールドスタジオっていう名前のユニット名で、竹田裕子さんっていうホーミングアーツのプロデューサーと2人組でやっている。
他は、個人で作品を作ることもありますし、ワークショップのファシリテーションしたりとか、
あと、最近やっているのは副施設と何年間仕事をしていて、そこの場所づくりとか関係を観察するようなことをしたり、
あと、4CITIESも参加している。
YAWでいうと、立ち上げの年から相談所っていうのをやっていて、アートに関する相談所、何でも聞くよっていうのを、僕含め今は6名かな。
アーティストとかキュレーターと共同で運営しています。
いろいろやっているので、1個だけ分かりやすいか分からないけど、一言で説明すると、最近いろんなところでプロフィールに最初に書いている一文なんですけど、
さまざまな形式により集団で共に考える状況の設計に取り組むっていう言い方をしています。
もともと建築の設計を理大で勉強して、その後設計事務所で働いて、自分でも資格を取ったり、設計士としての仕事もしてたんですけど、
03:05
だんだん建物っていう形にこだわりはなくなっていって、ツアーみたいな移動しながらの人の集まりのこともあれば、
ワークショップで一時的に集まる人とかみたいに、
とにかく他の人がいて、その人と一緒にどういられて、一緒にどう考えられるのかっていうことを常に関心にしています。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
そこが、その状況設計みたいなところも、私たち体験設計とか体験のデザインみたいなことを、フォーシティーズも言ってるんですけど、
そこで結構シンパシーがあるなと思ったのと、面白いなっていうのは、
建築バックグラウンドでね、確かに芸大の建築でしたっけ?
そうですね。東京芸術大学。
ちょっとアーティスティックな、いわゆる建築っていうところじゃないかもしれないんだけれども、
でもそれを受けて、設計ではなく、儚いこういう状況みたいなところに来たっていうところが、すごい面白いなと思って、
そのきっかけとか、設計じゃないな、みたいな思ったのは何でかちょっと聞いてみたいな。
聞きたいですね。
ありがとうございます。
そうですね、まず最初に言うと、設計っていう言い方は実は今も続けてて、さっきのプロフィールでも設計に取り組むって言ったんですけど、
なんかこう、即興的に起きることとかハプニングとかもすごい好きなんですけれど、
なんか一回考えるのは結構好き。一回考えて準備して予測して、でやってみて何が起こるかっていうのが結構好きなので、
その意味でなんかあらかじめ考えるっていう意味で設計っていう言葉は使っていて、
ただ建築っていうワードはもう今は使っていなくて、
っていうのは日本だとほとんど建築イコール建物、ビルディングとしてのニュアンスで使われることが多いからなんですけれど、
でも元々はアーキテクチャーの方が英語としては正確なはずなので、建物以外にもいろんな形で出力される、
なんか人間のものの考え方とか仕組みみたいなもの全般がアーキテクチャーなはずなので、
それ自体には今も関心があるっていうのはまず前提です。
そうですね、確かに僕がいた東京芸大っていうのはすごい人数も少ない学校でしたし、
建築以外はファインアートとかをやってる人がたくさんいる学校だったので、
まあなんかやっぱり大学で習う中でまず作家であるみたいな、
一人の作家としてみたいなのはよく定期的に言われてたんですけど、
僕は大学の3年生の時にドリフターズサマースクールっていう名前のワークショップというかサマースクールがあったんですね。
今はもうやってないんですけれど、それは一夏でパフォーミングアーツの公演を作るっていうサマースクールで。
06:08
国内ですか?
そうですね。
団体は今もあるんですけど、ドリフターズインターナショナルっていう一般社団法人が企画してて、
それは建築家の藤原鉄平さんとプリコグっていう舞台芸術のマネジメントやってる会社の中村朱音さんと、
当時はシアタープロダクツっていうファッションブランドやってた金森香さんの3人がやってた団体で、
要は一応舞台芸術の作品を作るんだけど、分野横断で起きる共同制作の可能性を探るみたいな面もあって、
ダンスコース10人、建築コース10人、ファッションコース10人、制作マネジメントコース10人みたいな感じで40人。
主に大学生がわーって応募して審査された人が集まって、初めましての40人で1個作品作るっていう、今思うとめちゃくちゃな企画なんですけど。
40人もいるんだ。
僕が参加した年は2011年の夏だったので、東日本大震災の直後でもあったので、そういう意味ではすごく難しい年だったというか、
東北で被災した人は参加者の中にはいなかったけれど、ある程度首都圏にいて、いろんな状況を近くで見聞きしてた人が多かったので、
やっぱりなんでそもそも今ダンスを人に見せるんだっけとか、テーマとか抽象的なことを言って、今社会に何の影響を持ってるんだろうみたいな、
みんなモヤモヤして延々と話してるみたいな感じだったんですけど。
それちゃったんですけど、そういうのがあって、僕は東京芸大で一人の作家であれみたいなこと言われながら、
でもなんとなく学校でちょっと何か物足りないというか、何かちょっと違うことも考えたいなと思って、そういうのに参加して、それがすごい楽しかったんですね。
いろんな人とやるっていうのが。
で、その後終わった後に藤原てっぺさんの設計事務所に何か何ヶ月かインターンしに行って、その時藤原さんを初めて知って、
芸大系じゃない建築家、藤原さんはその頃まだ熊謙吾事務所のチーフもやってたんですけれど、
そこで案出しとかに、学生だけど参加させてもらうと、藤原さんが言うのは、これがもう誰が出した案とか本当にどうでもいいみたいな、
ただ誰が出した案かはどうでもいいけど、何を言ってる案なのかとかって中身だけが大事だからみたいな感じで、学生も案出しするし、出てきたのをみんなで盛んでどんどん集団で変えていく。
藤原さんはそういう集団とか分野を超えた人の共同性みたいなものを結構ずっと信じてる人だったので、
僕は結構それ、ドリフトサーマースクール行って藤原さんとも話したっていうのは結構経験としては大きい気がしますね。
09:02
一人も面白いけど、複数人でやると面白いみたいな、結構それが原体験だと思いますし、それが舞台芸術に関わってる理由かなって気がしますね。
いいですね、そのひと夏のワークショップの体験が原風景を作ったって、すごいなんか情景が見えた気がして、そのリクさんのいろんな多岐にわたる活動の解像度がめちゃくちゃ今上がりました。
本当ですか?ありがとうございます。ちなみにそれを当時、僕そんなに成績も良くなかったので、実技の。でも頭でっかちで、政治室でいつもモンモンとしてるみたいな感じだったんですけど、そのモンモンとしてる僕に、こういうのあるから参加したらって言ってきたのが、以前こちらのポッドキャストにも出てた森潤平さんですね。
そうなんだ。
前の年に森さんは受講生として参加してて、僕が参加した年はTAみたいな感じで入っていて、なので今日はいろいろ活躍しますけど、森さんは学生の時に結構ちょっと上の先輩でいて、割と当時から森潤平さんはいろいろアートプロジェクトやったりとかをしていたので、
割と建物の設計以外のことをたくさんやっていたので、僕は割と何かやろうとすると、だいたい森潤平が前にちらついて、相談とかすると、それ僕も何年生の時にそういうことやったなとか、その人と僕コラボレーションしたことあるなとかみたいな感じで、いつも前にいるなみたいな。
なるほど。そこが出会ってたっていうのはあるんですね。
そうですね。でも、かなりそういう転機をもらったし、今もYAOで相談所の中でやるって形ではありますけど、僕のスタジオはパラダイスエアにあるので、それも森潤平さんのアーティストにレジデンスなので、いろんな形でそういう関わりを持っているきっかけは結構その一夏にあるという感じですね。
エモい。
エモい。
エモい夏。
エモくなっちゃいますよね、なんか。
なるほどね。
はい。
でも、事前にポートフォリオとか、CVとかいろいろ送っていただいてて、むちゃくちゃ長いメッセージ、たくさんリンクがついてて、さっきカフェに座って全部読んだんですけど、なんかこう、いい意味での分かりにくさが、すごい私たちも似てるところがあって、
私たちがやってるデザインスタジオのFour Citiesも、なんかやっててなんか面白そうなんだけど、何かは分からないみたいなところをポジティブに捉えてくれる人もいて、私はその分からないことの面白みみたいなのを、リクさんの活動から感じます。
12:07
特に、私が一番最初にリクさんのこと知ったのは、RAWっていう都市と芸術の応答体、なんか、えっとね、ドボクについて調べてたんですよ、私そのとき。
なるほど。
ドボクで、分野で何か面白いことやってる人いないかってバーッと調べてたら、ドボクと死っていう謎のセンテンスが引っかかり、それを知って、ポエムの方ですね。
謎のセンテンスが引っかかり、それを見ていったら、都市と芸術の応答体っていう、ラーニングコレクティブっていう言い方をしてるんですかね。
はい。
出てきた。で、いろいろ読んでいって、100%の理解できたかと言われると、100%分かんないんだけど、むちゃくちゃ楽しそうなことは分かった。
で、この人たちと一緒に何かやってみたいって思ったし、なんかこう各所に散らばっているキーワードから私はインスピレーションを受けました。
なので、なんか、うんと、そうね、ラウのことちょっともうちょっとお話ししてもらいたいなっていうのと、そのなんか分かりにくい、分かりにくさの曖昧で泳ぐリクさんが素敵だなっていうことを伝えたかったって感じです。
ありがとうございます。本当にね、あの、分かりにくいっていろんな人に言われますね。でも、楽しそうだねとも言われるんですけれど、そうだからそういうとこは多分似てるとこあると思うし。
そうですね、だから僕も4CITIESの様子は、活動の様子は、SNSとか、まああとね、YAOに行くとたまに展示とかもされているので、垣間見てますけど、確かに楽しそうだし、いろんなとこ行ってるけど、やっぱ分かんないっちゃ分かんないみたいなとこはありますよね。
でもやっぱり、まあこれは多分、僕の場合は、まあ性格もありますけど、なんかこう、あんまり言い切りたくないというか、なるべく引き伸ばして考え続けたいみたいなところがあるので、まあ常になんか他の可能性があるかもしれないみたいな、まあ歯切れが悪いとも言いますし、正直英語で海外の人と話すときは結構その歯切れの悪さが伝える。
難しさになったりもするんですけど、まあそれは多分ベースにありますね。
で、RAU、今おっしゃっていただいた、RAU、都市と芸術の大都会、まあRAUって書いてRAUで、あのYAOもやってて、RAUもやっててっていうのは結構ややこしい。
確かに似てる。
ややこしいんですよ。
しかもまあ都市系、なんかざっくり都市系だし、みたいな感じで。
そうですね、じゃあちょっと紹介すると、
RAU、都市と芸術の大統体っていうのを英語で言って、レシプローカルユニットウィズンアートアンドアーバニスムを略してRAUで、大統体っていうのは、あの応答ですね、答える答えるに体。
15:15
で、大統体っていうのは雑語なんですけれども、まあこれはもう立ち上げ、プロジェクトの立ち上げでメンバー募集をかける前に作った名前で、
まあなんかその、何か目的があって一緒に何か、こういうものを作りましょうって言って前進していくっていうよりは、まあ単純に集まった人同士の応答し合う、なんか誰かが何か言ったことに対して誰かが答えてっていうのをなんかこうずっと繰り返し続ける、
そういうふうに何かを深めたり広めて考えることをしたいっていうのがまず理念的にはあって、で、その上で都市と芸術のって言っているんですね。
で、まあこれは何か、そうですね、まあ枠組み的なことで言うと、まあさっきも名前出てきた、その建築家の藤原てっぺいさんっていう方と、あと芸術研究をやっている平倉圭さんっていう、あのこの2人が一応ダブルディレクターとしていて、で、まあその下に、その下というかまあと一緒に、えっと僕とあとメディエーターとかアートコーディネーターをやっている染谷不二夢さんっていう、
まあ僕と彼女の2人がマネージャーとしていて、で、まあさらにまあ他にも、あの八重にもいる山本桜さんっていうアートマネージャーが広報で入っていたりとかみたいに、まあ何人か固定の関係者はいるんですけど、まあこういう感じでやっていて、で、プラスゲストアーティストとして映画監督の三宅翔さんっていう方が、まあ3年間一緒にいていただいた。
3年度で小説家の柴崎智子さんにゲストできてもらった時とかもあるんですけど、まあ基本的にはまあ真ん中にいてこれをホッキ人みたいにした藤原平倉とそれに一緒についている山川染谷っていうのがいて、まあプラスゲストを呼ぶっていうのがまあまずコアにあって、その上で毎年あのメンバーを募集して、えっと30人から40人ぐらいでまあ活動してたコレクティブです。
これ本当に今久々に説明していて、本当に分かりづらいと思いながら説明してるんですけど、ちょっとまあ1回話し切りますね。
で、これはまあ元藤原と平倉は横浜国立大学でそれぞれ建築系とあとまあ芸術系文化系の領域でそれぞれ教えているんだけれど、まあその分野を超えてあの一緒にやることとかは藤原さんのもともとの関心でもあるので、まあ学内ですごく極端な領域があって、でその2つの2人の先生が教えている大学院っていうのはまあ他にも土木工学院とかもあるんですけども、
まあもっと実際に絵を描いている学生もいたりとか、本当にすごい広いんですね。都市イノベーション研究院というところなんですけれども、でなんかこうこういう現場だから考えられることがあるよねとか、なんかこう都市って言ったときに本当はなんかまあ都市ってのは一応都会とは違うので、まあなんかもっと人がたくさん集まっている状況を全般を指して都市って言ってるんですけれど、
18:08
まあなんかこうみんな必ず何かしらの場所で生きていて、そこには何か人の集まりがあってっていう状況があって、でまああと今いろんな物流とかもあるから、絶対何か大きい関係とか状況の中で生きているから、まあなんかその複雑さをそのまんまいろんな人たちで集めていくっていうのが大事だと思うんですけれども、
でまああと今いろんな物流とかもあるから、絶対何か大きい関係とか状況の中で生きているから、まあなんかその複雑さをそのまんまいろんな人たちで、いろんな分野の人との議論でなんかこう考えたいっていうのが立ち上げの経緯で、ただこれはなんか始まったのが2020年なんですね。
もともとコロナ禍になる前に大学として文化庁に助成金を申請して採択されて、でその時点では普通に集まってやる予定だったんですよ。なんかその社会人講座じゃないけど、これは学生向けじゃなくて大人向けの事業への助成金だったので、まあどっかに集まってみんなで何かいろいろ作品のワークショップやったりとかリサーチしようっていう企画だったんですけど、コロナになっちゃったんで、そもそも集まれないねってなって、で結局、
フルオンラインのプログラムやってみようってなって、募集対象をまあ世界中にしますって言ったんですね。で、なんかこう一個の地域について考えるんじゃなくて、参加するそれぞれの人がいるそれぞれの場所についての思考を交換しあって、なんかそれを通じてなんかこう、例えばその時は僕東京に住んでたんですけど、まあベルリンの話を聞くことでむしろ東京のことがよくわかってくるみたいなことがあったりとか、
あとはもっと広くいったら、なんかこう平野ってこういうことだよねみたいな、なんかこう複数の都市を語っていくと、なんかもっと抽象的にわかることもあるかもっていう風になって、結局たくさん募集して、まあ首都圏に限らず国内外から毎年3、40人ずつ集まったっていうコレクティブ。
で、三宅翔さんという映画監督の方にゲストアーティストに入っていただいてたんですけど、まあ彼が劇映画を撮る傍ら、えっと無言日記ってその1日10秒カメラ回すっていう、そのトレーニングというか、まあ彼のその日記映画的ななんかこうずっと続けてた制作があって、それをまあなんかこう日付順にただ並べるだけっていう、それで2時間とかのフィルムにするっていう作品があって、
なんかこうこの手法が使えそうってなって、結局みんな家とその周辺からしか出られないから、もう毎週ミーティングが、あ、2週に1回ミーティングがあったんですけれど、まあなんかみんな自分のスマートフォンあるので、家の近所でとりあえず10秒ワンカット撮ってきて、
翌週みんなでそれアップロードして、もうそれ順番にただ見ていく。でも1本1本についてめっちゃ話すみたいな、こうなんか最初は写ってるものの話とかになるけれど、なんでこの向きで撮ったのかとか、撮ってる時のその私の足元がどうだったかとかみたいな話しながらだんだん見える範囲を広げていくと、なんかこうその場所のことがわかる。
21:20
で最初は10秒だったのをなんか1分間ずっと撮ってみるとかいう風に、まあそういうなんか映像を撮るっていうことを通じてなんかよく見るとか、その場所に居続けるっていうことをどんどん試していって、まあ最終的にはワークショップとしては3分から5分ぐらいのその場所についての土地についての短編の映像作品をたくさん作るっていうことをやってたんですけど、まあ作品を作るのが目的というよりは、その映像
なんかある場所を見る、で撮る、で編集してできた映像をみんなで見る、でそれをまた引き受けてまた別の場所で撮るみたいな、なんかその応答がずっとぐるぐる映像を返して起きるっていうこと自体をなんかこう楽しんでいたし、なんかそれによってなんかこうみんなである共通の言語とかが生まれることをなんかやっていたという。
久々に説明したけどめっちゃわかりづらいけど、まあそういうことをやってました。それがラブですね。
一応、去年まで割としっかり活動していて、今年はちょっと移行期間というか、ちょっと次どうしようかっていうのを今考えているところなので、今年はちょっと対外的な活動はしていませんが。
なんか毎年そういった土木都市とか土地都心体とか定番を設定されてたと思うんですけど、その設定の意図とかそういったプログラムを通じて都市に対するどういう視点とかリサーチみたいなものが浮かび上がってきたのかで、なんか印象的なこととかちょっと込めてた思い、願いみたいなことがあれば聞いてみたいです。
ありがとうございます。
そうですね。最初の土木都市はもう本当に立ち上げで、やっぱり最初にテーマを掲げようっていうものだったので、これはもう完全に藤原ひらくらがポンって出した言葉だったんですね。
ただ、これ自体はテーマっていうよりは起点になる言葉でしかないので、答えも特にないし、これがどの方向に進んでいくかは誰もわかんないという状態で始まりました。
で、なんか翌年の土木都新体は1年間映像を撮りながらやってみた上で、見ていく対象のことはだんだん考えられてきたけど、三脚とか使わないんですね。
自分で固定で持ってそこで撮るっていうことをルールにしてたんですけれど、そうするとそこにある体と、例えば坂道だったら自分が受ける重力とか、体ちょっと変形する足の向きとか、そういうものが自分の感覚にどう影響してるかとか、あるいはその坂道を何十年も上り下りして生活してる街の人ってどういうリアリティを持ってるんだろうとか、そういう人の集まりでできてる街って何なんだろうみたいな。
24:08
そういうことを考えようってなって、じゃあ来年は土木都新体かなみたいなのを年度末の座談会で慌てて決めるみたいなのを毎年やってて、その決まり方がまず僕は興味深かったって思ったし、
あとすごくたくさん議論はしたんですけれど、でも一回映像っていうものを挟んで、そこからみんなで言葉を紡ぎ出すってすごく時間がかかる感じもよく、
オンラインだったので、別にURL送ってこのYouTubeでアップロードされたやつみんな見ておいてくださいっていうやり方でもよかったんだけど、わざわざ画面共有でみんなで見る時間を毎回とってたんですね。
僕は一応プログラムマネージャーっていう名前でやってたので、全体の振興をやったりとか、ゲストアーティストと一緒に何やるか考えたりしてたんですけど、じゃあ次誰々さんのベルリンで撮った映像ですみたいなこと言って、画面共有すると、
5分間とかみんな黙ってズームに映ってる画面共有の映像を見てるみたいな、世界中から参加してる人が。で終わるとみんなおーみたいになって、あの坂道やばいねとかそういう話をし始めるみたいな。
ちょっと不思議な集団ではあったけど、そういう時間をオンラインで持ったこととか、それを通じて自分の背後にある部屋とか街とかのことがむしろすごくありありと考えられるようになったっていうのはすごい面白かったですね。
これって全プログラム結局オンラインでやったんですか?それともフィジカルが開放されて実施した回もあるんですか?
それはやっぱりちょっと年々状況が変わってきてて、1年目はもう本当に年度末のイベントまではずっとオンラインでやり続けていて、年度末に一応3日間、2日間かのイベントをやったんですけれども、
それは一応なんか2021年の春前とかだったので、そこで初めて対面しましたね。もちろん希望者とか来れる人だけですけれど、みんなでちょっとその会場の近辺をツアーして、そこでわーって映像を撮って、映像の素材を撮って、それを集めて、それを三宅翔さんが何時間かで一本の短編映像作品に仕上げるっていう。
すごい。
無茶ぶりをして。それが初めてで、翌年の2021年は確か夏と冬に1回ずつワークショップやって、それはなんか集まって、また2日間で映像を作ったりとか、あとはダンサー、振り付け家の人をゲストに呼んで、
27:08
カメラ、スマホは1回置いて、なんかちょっとした坂道をなんかただ横向きにゴロゴロ転がったりとか、後ろ歩きとかして、なんかこう体を観察したりみたいな。で、3年目は、もうもっと期間長く集まってワークショップしたりとか。で、4年目にあたる去年は、アタミアートグランドっていう芸術祭にラウとして参加したので、
もう割と合宿してリサーチして映像を作ってみたいな感じ。年々ここに集まりましょうっていうのは増えてはいたけど、でも、例えば海外にいるメンバーは絶対に来れないので、なんかこう去年で言うと、めっちゃアタミの温泉地をみんなリサーチしてるとき、私アタミに行けないんで、スペインかな、スペインにある有名な温泉地行ってきますとかって言って、
めっちゃEUだなって思いながら陸路でそっちまで行って、だからアタミの温泉をリサーチした映像が並ぶ中に急にヨーロッパの温泉の映像が入ってくるんで。
へー、それは面白いね。
でもそういうふうに、サイトスペシフィックなことを考えてはいるけれど、一方で多分他の地域とかにも関係のあることってか、すごく大事なことを抽出したくてやってたので、常に他の場所でも同じ意識で取り組んでるメンバーがいるっていうのが結構大事でしたね。
なんかね、さっきの話に、最初の話に戻るけれども、海外をとか、ここじゃないどこかを見ることで、今ここが浮き彫りになってくるとか解像度が上がってくってあるなーって私たちも思っていて、だからこそ結構アジアの他の国に意識的に出ていったりとか、そことを比較して見えてくることを探究したり、私たちもしてるんですけど、
このトランスフィールドスタジオはどんな活動で、その海外との企画みたいなところから見えてきた、都市の今とか、気になるところとか、どんな活動をしているのかというと、
はい、そうですね。
昨日まではちょっと国内だったんですけど、2週間ぐらい。
あ、そっかそっか。
そう、なんか、昨日、僕めちゃくちゃ移動が多くて、そのトランスフィールドスタジオに行ったんですけど、
この2週間は長野のご施設行って、その後三重区の農業スタジオとか、
はい。
農業スタジオをみんなで見たりとか、
はい。
その農業スタジオをみんなで見たりとか、
スタジオっていうユニット以外 でもあんまり首都圏で仕事がない
のでいつもこの2週間は長野の居 施設行ってその後三重県でちょっと
30:03
子供向けのプログラムの仕事が あって間で千葉行ってまた行く
のちょっと疲れるなって思って 結局寄り道しながら岐阜の山奥
とかを通りながら三重県紀伊半島 の先っぽまで行ったりとかして
たんですけど国内もよくうろうろ してるんですけれどトランスフィールド
スタジオっていうユニットはパフォーミング アーツのプロデューサーとかアート
マネージャーキュレーターみたいな こともやってる武田祐子さんっていう
方と2人組でやっていて武田さん は学生のときから一緒にプロジェクト
やったりもしてたんですけれど っていう人で結構付き合いが長い
友人なんですがトランスフィールド スタジオでは今はさっきちょっと
紹介したようなツアーパフォーマンス の作品を作るっていうのが一応
活動の中心というかむしろツアーパフォーマンス を作るユニットって今もう言い切っちゃ
ってるんですけれどこれはさっき 言った僕が作品を作るきっかけ
になった芸術祭があるんですけれど その芸術祭で当時武田さんがプログラム
を組んだりとかしていてそこで 一緒に作品を作ったのをきっかけ
にユニットとして活動を続けてる っていうのがまず経緯ですねただ
なんか僕がその芸術祭でフェスティバル 東京っていうコロナ前に終了した
でも結構長くやった芸術祭なんですけど フェスティバル東京に僕が最初
に呼ばれたきっかけっていうのは その作品を作る前の年にあって
2018年のフェスティバル東京なんですけ れどフェスティバル東京って当時
アジアシリーズっていう名前で 欧米圏ではなくアジアのパフォーミング
アーツのアーティストを招聘する っていうのを盛んにやっていて
やっぱどうしても欧米主導のシーン なのでファインアートもパフォーミング
アーツもで毎年今年はこの国今年 はこの国っていうふうに決めて
アーティストを今まで日本に来て なかったアーティストを呼んで
たんですねで武田さんはそれの 担当をしていて2018年は武田さんの
プログラミングでカンボジアから アーティストを呼ぶことになったん
ですねでプノンペンを拠点にしている アーティストが四五組呼ばれて
きたんですけどちょっと数字は 定かではないですけれどただそもそも
あんまり紹介されてなかったり してたアーティストたちなので
現地に行っていろいろアーティスト を見つけてきて相談をして招聘
するっていう流れなんですけれど そもそもどういう町なんだって
いうこととかを舞台芸術の関係者 以外と一緒に考えた方が面白いん
じゃないかって武田さんは思いつ いたっぽくて当時はまだ割と設計
がメインでたまに舞台芸術にも 関わっていたっていう僕がちょっと
33:01
声をかけられてプノンペンに連れて 行かれて
あそうなんだ
一週間くらいかな僕はそれが初 アジアの他の国でしたねそれより
前はイギリスとオーストラリア に何かちょっと行ったことがある
だけだったんで初めて行ったんですけど すごくびっくりしたんですね僕は
リサーチに連れてってもらった けど元々はカンボジアのアーティスト
の作品展示の会場構成をやって ほしいって言われてたんですね
まあだけど絶対現地行ってアーティスト と話したり見てからやったほう
がいいからって言って連れてって もらったんだけど結局見に行った
結論としてはなんか会場構成とか どうでもいいからなんかこのプノンペン
がいかになんか大変なことになって いてどう面白いのかっていうの
言わないとその招聘したアーティスト のバックグラウンドを芸術祭として
伝達できないって言ってなので なんかその会場構成でもらって
た予算をなんかものすごく会場 構成の分減らしてなんかマップ
を作らせてくださいみたいななんか こうプノンペンの様子を伝える
マップを作らせてくださいって 言って予算を組み替えてもらって
結局僕のその年のリサーチ成果 みたいなのはなんかA2の表裏のマップ
にして表面が現地のツクツクの ドライバーがどうプノンペンの
ストリートを認知してるかって その認知地図みたいなもので裏面
は7個のトピックに分けて短いテキスト をなんか書いてそれをなんかレイアウト
したやつみたいにして
大平 面白そう
おだしょー それちょっと中でまた 送りますね
大平 ぜひ
おだしょー 結局なんで僕はプノンペン
ガーンってなったかっていうと まあ初めて行ったっていうのも
ありますけれど 何年代だそうですね クメルルージュって虐殺がかつて
あったのでプノンペンカンボジア では その知識人文化人の層がある
年代の層が大量に殺されてしまって 国が機能不全に陥って再建している
途中っていう状態なので平均年齢 が25歳とかでそのとき2018年当時
で本当に書類とか本とかを燃やす みたいなことも当時の独裁政権
をやったので本当にないんですね 自分たちの文化的な基盤になる
アーカイブっていうのがっていう 状況の中で何が起きてるかっていう
とすごくアメリカ西海岸みたいな 倉庫を改修したスケートパーク
付きのベンチャーオフィスみたいな のもあればカンボジアはフランス
の植民地でしたけど昔外専門の イミテーションが中国資本の
デベロッパーによって埋め立て の島に作られてたりとか一方で
36:01
アーティストは長屋みたいなのを 改修して自分たちのスタジオに
してたりみたいなショッピング モールはイオンとかもできてみたいな
何というか僕が理解していた都市 開発とかの歴史でいうと順番に
起きるはずのことつまり最初60年代 こういう開発が起きてそれへの
カウンターでちっちゃいリノベーション が流行ってとかみたいに順番に
他の国では起きていたことが全部 一斉によう挑んで起きてるみたいな
状態で結構僕はそれにすごいショック を受けたし頭では分かっている
つもりだったけど分かってなかった 先進国発展途上国っていう区分
は本当に意味がないってか本当に ナンセンスだっていうことをそこ
でようやく分かって同じライン 上で前と後ろがあるんじゃなくて
とにかく同時代にいろんな状態 があるだけっていうことはそこで
思ってそれですごくアジアの都市 っていうものをよく見ようっていう
のは思い始めましたねなので翌年 以降もリサーチの対象っていうのは
結構アジアの都市が多いですね
なんか今がどうぞ話し続けてください
大丈夫ですどうぞ
あのガーンとガーンっていう言葉 が出てきていいなと思って聞いて
たんですけどなんか今まで味わった ことのないガーンをアジアの他の
国で感じたって言ってる友達とか が結構周りに最近いてそれこそ
本当に20代前半とか10代とか若い 世代とかがそのガーンとして帰って
くるみたいな日本にその体験って すごい面白いなと思って今まさに
先進国も途上国も全然ない同時代 的に今がこの状況があるだけっていう
話だったと思うんですけどまさに なんかそういった感覚を私たち
もなんか肌感覚として言葉には すごいしづらいんだけどあって
だから結構ベトナムにね私たちも 何回も行ったりとかちょっと場所
も作りたいねって話をしてたり とかなんか来年はタイに行きたい
タイでちょっとそういったこう 一夏のワークショップみたいな
のやりたいっていう話もしてるん ですけどねなんかどこかで一緒に
やってみたいなって思いました りくさんと
ね私もうできんじゃんと思って 聞いてましたもうこのチームや
と思って 確かに確かに
なんか結構 同世代だし
共有が大変なとこはもうクリア できてるかなどうやるかとか何を
どこでやるかとかそういうとこ から話せそうだなっていう感じ
がしました
そうですよねなんかがんで言う と結構僕は今年はまた一個大きい
変化があって 去年まではリサーチに行ったり
39:02
とかあとレジデンスさせてもら ったりっていう国は東南アジア
がメインだったんですねなんか フィリピンマレーシアマニラ
クアラルンプールラオスのビエン ちゃんとか行ったりとかあと
シンガポールが2、3ヶ月のレジデンス とかだったんですけど今年は結構
作品発表の機会もらうことが多 かったので春に台湾に行ってて
夏に韓国二都市ソウルとチャン ウォンっていうチャンウォンは
プサンの方にある南の町なんです けどの二都市に行ってその後シンガ
ポールに行ってみたいなことを やってたんですけど結構韓国と
台湾でやったでしかも現地で作品 発表して帰ってきたんですけど
それはやっぱりすごい大きくて それはこれまでの東南アジアの
そうなんですけれどやっぱり 平和戦争の時に日本が植民地に
してたっていう歴史は絶対抜きには 考えることができないでもちろん
いろんな形でそれは起きたけど やっぱり韓国と台湾一番直接的に
並合国土とみなされて並合されて たとこでもあるのでやっぱりそこで
日本人のアーティストとして行って しかも土地について歴史とか自然
とかあらゆるものをひっくるめて その場所についての話をするっていう
のはやっぱり一個ハードルはあって 今もまだ何がどううまくいった
かとかうまくいってなかったか っていうのは考えてるとこですけど
今年韓国と台湾で作れたっていう か作ってみたっていうのはすごく
大きいし なかったことにはできない 歴史をどう引き受けつつでも引き
受けつつでもここでどうお客さん として来てくれた人と一緒に歩いて
話ができるかみたいなのはちょっと 考えまだ当面考えないとなっていう
感じですね これは今年の大きい変化ですね
このエピソードの情報量やばい
もうでも結構時間もたってきた からそろそろっていう感じですが
なんか結構いろいろ同じ都市みたいな ものに向き合っていても違う視点
から見ていたり入り込んでいたり するなっていうのを持ったので引き
続きなんかいろいろ話今後もして いけたらいいなと思いました
いつまでそっちにいるんですか
そうですね今松戸ですか
松戸です
そうですね松戸はまだしばらくいるん じゃないかな
でも僕結構日常的な移動も多いですけど 引っ越しも割とノリとか流れで決まって
42:05
移っちゃうことがあるんで
そんな感じそうですよね
たまたまじゃあ住みますみたいな
ここにいるみたい
そんな感じなのでしばらくはいる つもりですしすごく面白い町なので
こっちのエリアかなとは思います が
会いに来ます
どこにいるかわかんなくなってる かもしれない
早めに会いに来ていただけたら うれしい
ありがとうございます
はいじゃあ今日はありがとうございました
ありがとうございました
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次回もお楽しみに
バイバイ
43:08

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