1. Good News for Cities〜都市に関する炉辺談話
  2. 【#34】GUEST TALK🎤あぁ奥深..
2020-12-22 44:42

【#34】GUEST TALK🎤あぁ奥深き、ラブホテル様〜日本の街におけるラブホテルという空間の価値と変遷〜ラブホテル研究家・おにつかちなつ(ONI)さん

今回は、ラブホテルをテーマに、ラブホテル研究家のちさとさんをお呼びして、その奥深さと歴史を紐解いていきます。

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●ゲストプロフィール

ラブホテル研究家・おにつかちなつ(ONI)さん

1989年生まれ。昭和40年~50年頃に設計されたラブホテルの独特なデザインに惹かれ、大学在学中の2008年よりラブホテルの空間デザインについて研究を始める。日本各地に点在する独創的なラブホテルを撮影・取材し、写真集の出版やトークイベントの開催などを行う。現在はランドスケープデザイナーとして働く傍ら、個人で研究を続けている。

website:https://oni-lovehotel.com/
twitter:https://twitter.com/onitsuchi
instagram:https://www.instagram.com/onichi02/

00:13
皆さん、こんにちは。プロジェクトディレクターの石川由加子と、
編集者・ライターの杉田麻里子です。
この番組は、都市というテーマが好きで好きでしょうがない2人が、都市に関する様々なグッドニュースをザックバランに話す場所です。
はい、今回はラブホテル研究家のおにつかちなつさんにお越しいただいて、おしゃべりしていきたいと思います。よろしくお願いします。
はい、ちょっとラブホテルっていうトリッキーなテーマなんですけど、我々も大変興味津々で、今日お話しできるのを楽しみにしてました。
ちょっと簡単に、おにつかちなつさんのご紹介をお願いできればと思います。
はい、はじめまして。おにつかちなつと申します。
私はですね、普段は、いわゆるランドスケープデザインという領域で仕事をしているんですけれども、それは表の顔というか、そういう感じで、
実はライフワークとして、11年前からですね、ラブホテルという建築の衣装にすごい興味を持ちまして、11年くらいラブホテルの研究をしています。
今は会社員になりながらなんですけれども、当時大学中から研究を始めまして、日本各地のいろんなラブホテルでフィールドワーク行き、
そこで取材に行ったり撮影をしたりをしながら、写真集を出したりだとか、あとはトークイベントをやったりなどをしています。
面白すぎる。ありがとうございます。
その11年前にラブホテルに興味を持ったきっかけみたいなものは何だったんですか。
そうですね、もともと私が生まれ育った街がですね、割と近くにラブホテルが多いところだったんですよ。
どこですか。
町田っていうところなんですけど、東京の町田です。
あそこは駅前も結構ラブホテルがすぐありますし、近くのインターチェンジもすごい小さなラスベガスみたいになってるんですけど、そういうところで育ってきて、
なんかあんまり良くない場所なんだろうなと思いつつもスルーして幼少期を過ごしていたんですね。
大学で建築のデザインとかランドスケープのデザインを勉強し始めるんですけど、その大学時代にたまたま手に取った雑誌にラブホテルの特集があって、
03:02
実は昔はこんなすごいインテリアだったみたいな、そんな紹介をしてて、健全な雑誌なんですけど、それで見てびっくりして、
自分の生活圏内にある当たり前のように建ってた、ちょっとこうあんまり良くないだろうなと思ってた建物の中、こんなにすごいのって。
えーって思って、いってよって思って、嘘でしょって思って、そこからすごい気になり始めて、あの箱の中にはすごいものが詰まってるんだっていう、ワクワクが止まらなくなり、
ちょっと研究してみようかな、まずは行ってみたいなっていうので、それで研究を始めた感じですね。
なるほど。
なんか差し支えなければ、初めて行った時の記憶とか、面白いエピソードとかあったりしますか?
まずその研究を始めるにあたって、ただすごい、やっぱラブホテルってあんまり良くない場所って思ってたので、
一人でプライベートな感じで行くのがすごく怖かったんですよ。
でも、研究だからフィールドワークしなきゃいけないって思ったので、まずどうしようと思った時に、
今、神戸学院大学で教鞭をとられている、キム・イッキョン先生という、ラブホテル研究のもうすごい大大先輩みたいな方がいらっしゃるんですよ。
そんな方がいるんですよね。
社会学的にラブホテルというものを紐解いた研究をされていた方がいらっしゃって、その方が、私がたまたま手に取った雑誌に寄稿されていて、
この人に聞いてみようって思って、大学に問い合わせたんですよ。
研究の仕方を教えてほしいと、ぶちつけながら、今思い出したら恥ずかしくて、やばいなって思うんですけど。
メールをしたら、すごいお忙しい中でもメールを返信してくださって、いろいろ話を聞きますよと言ってくれて、
東京から夜行バスで神戸に会いに行ったんです、キム先生に。
キム先生もすごく若くて綺麗な女性なんですけれども、その人もそんな女性一人で、もうすごい何千軒のラブホテルに行って、
すごいパワフルな方で、どうやってそんなにやってたんですかというインタビューをやったんですね。
そしたら、やっぱり一人でシラフというか、何にも関わらずに行くのは、やっぱり覚悟がいるし、
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もちろん身の危険というところもあるけれども、金銭的な難しさもあるし、
キム先生の場合は定期的にラブホテルで撮影をしている出版社、
よく週刊誌の方とかラブホテルでグラビア撮影だとか結構やられたりするので、
そういう人たちについて行って、出版の仕事をちょっと軽く手伝わせてもらう代わりに、一緒にフィールドワークとして。
その話を聞いて、やっぱり一人で行くのはなかなかハードルが高いから、
そういう協力してくれるような方を見つけた方がいいということで、
たまたまその時、キム先生がいろいろアドバイスをしている、
ラブホテルのドキュメンタリー映画を撮っている映画監督というのが東京にいると。
その人は、映画を撮るためにいろいろこれから回るみたいだから、
その人について行って、一緒にフィールドワークをしたらいいんじゃないかというアドバイスをくださったんですね。
何だったら繋げてあげるからということで、
私はその足でやこばせ、東京に戻り、その映画監督に会いに行ったんですよ。
すごい。
で、すみません、何でも手伝いとかあれですけど、買い出しぐらいしかできないですけど、
ちょっと打ち貸してもらっていいですか?
行って、初対面の映画監督に会ったのかで、
そのやこばせから帰ってきた日がロケの初日だったので、
そのまま宿泊の荷物を持って、映画監督の後ろについて行ったんですよ。
ついて行った先が、日本でも有名なSM専門のラブホテルで、
ブルブルのインテリアなわけですよ。
やばっ!
これ私人生終わっちゃったかもって思ったんですよ。
ハードなのが一番初めに来た。
いきなりハードなのが一番初めに来たっていう、それは今でも忘れられない記憶ですね。
それは確かに、刺激が強いですね、なかなか。
そこから私の人生が変わってきました。
すごい、でも本当にトントン拍子に繋がっていってっていう感じですね。
やっぱり人の縁で活動ができていったっていう感じですね。
そこから映画監督さんと一気投合して、お手伝いとしていろいろ一緒に回せてもらって、
一度映像作品としては完結したんですけれど、
その後、やっぱり本としても記録をしておきたいよねという話をしていて、
監督さんと一緒に企画をして、監督さんが著者で、私がカメラマンとして本を出版することになって、
09:01
映像作品から数年、2年くらい経った後かな、本を出版するためのまた日本巡回を始めて、
その時から私がしっかりカメラの機材を持ち始めるようになって、
厳密に言うと、当時は一人ではなくて監督さんと二人だったんですけど、
二人で日本中をぐるぐると回って、写真撮って、インタビューしたりとか。
なんかめっちゃ面白そうな日本の回り方だなと思うんですよ。
そうですね。47都道府県まだ全部は制覇してないんですけど、
たまに私この県、ラブホテルしか行ったことないなみたいな県が何件かあります。
ヤバい。面白い。
でも確かにラブホテルって何回か行ったことがあり、
日常的に例えば渋谷で働いてた時もラブホテルって外からはよく見るものとか、
ラブホテルっぽい外装みたいな、多分誰しも覚えてるものだと思うんですけど、
あんまり記録されてないというか、中でどんなものが売られているのかとか、
市内がどうなっているのかもわからないし、
そもそもの目的が結構プライベートな空間じゃないですか。
なので書き起こしている人とか、記録している人、写真を収めている人っていうのは、
すごい貴重な存在なんじゃないですか。
そうなんですよ。本当に調べれば調べるほど、過去の情報がないっていう証拠の壁に当たるんですね。
あまりにもプライベートな場所なので、誰も記録しないし、記録しようとも思ってないし、
それはお客さんとして来ている人ももちろんなんですけれども、
それを経営している人だとか設計した人も、やっぱりラブホテルという建物に、
そこまでこう、なんだろう、後世に受け継ぐような価値のある建物というか、
受け継がるのか、残さないんですよ、とにかく。
そうか。進行写真みたいなのパキッと撮ったりとかしないわけですね。
撮れるところもたまにあるんですけど、ほんと残ってないんですね。
もう、だからそれもう本当に、たまたま残ってたものを書き当てて何とか、
そのラブホテルがどういう歴史を歩んできたのかなとか、
そういうインテリアとか建築のデザインの変遷だとかを何とか追っている状態で、
お願いだから残してくれと。
基本的にリサーチ方法としては、カメラと持っていろんな物件にあったりとか。
メインでしたね。今はそれプラス、やっぱり当時の状況、
やっぱり今は特に私が写真に収めているラブホテルというのが、
主に1970年から80年代にできたホテルがメインなんですね。
12:05
そこが一番ラブホテルの日本の件数が多かった時代なんですけれど、
そこが最盛期というか、いろんなデザインのラブホテルが生まれた時代で、
そこが一番ちょっと私の中では魅力的だなと思っていたので、
そこの写真を主に収めているんですけれども、
やっぱり立ってから40年以上経っているところとかが多いんですね。
そうすると、たまたま運良く改装されていなかったとしても、
もうかなりペタっていて、
当時の煌びやかな状態というのが、なかなか分かりにくい状態になっている。
そうなると、やっぱり現物を見ても分からない情報というのが結構出てきたりするので、
この時はもう頑張って、昔たまたまそこでロケを行われていた映画を見たりとか、
あとはそのグラビアの撮影でたまたま使われていたから、昔の映画出版とか。
めっちゃ痕跡を探って。
たまたま使われていたというところを頑張って探して。
背景に映り込んでいた。
映り込んでいたという。
この断片的な情報を今、特に今コロナ禍でなかなかフィールドワークするというのは結構難しかったので、
それもあって、今年は結構いろんな古本だとか、昔の映画のVHSとかを買って、
ビデオデッキを中古で買って、そういうのをステイホーム中にやっていました。
写真もいろいろ見させていただいたんですけど、本当にワンダーランドじゃんって。
ワンダーランド。
それこそメリーゴーランドがあったり、車のデザインになってたりとか、
こんなに結構状態のいいものもたくさんあるんだなと思って、
ああいう発想はどこから来るんだろうと思いながら、写真を見ていたんですけど。
そうですね。ラブホテルの歴史をちょっと遡ると、
もともとやっぱりラブホテルがこれだけ増えた経緯というのは、
1945年に日本が戦争で負けて、主に焼け野原になった東京が、住宅環境が最悪だったんですよ。
住宅供給の状況が最悪だった時に、その状況の中でもどうにかして、
夫婦もしくはカップル2人っきりになりたいという気持ちを持った人たちを受け止めてくれる場所というのが、
当時はラブホテルとは連れ込み宿と呼ばれていたんですけれど、
15:03
連れ込み宿の存在だったんですね。
で、その連れ込み宿がですね、もともと最初にその連れ込み宿が出てきた頃っていうのは、
本当に4畳半の物しかないような、トイレもお風呂も共同みたいな状態だったんですよ。
で、それでもその東京の、当時は千田谷に結構多かったんですけれど、
当時はそれでもその東京の夫婦やカップルが本当に列をなすぐらい連れ込み宿に1人が集まったと言われています。
そこから徐々に、じゃあうちは4畳半だけじゃなくて、トイレもそれぞれの部屋につけますよとか、
お風呂もそれぞれにつけますよみたいなことをすると、そっちに人が集まるようになる。
で、じゃあうちは冷暖房を完備します。
で、トイレもお風呂も個別にあります。
そうするとみんなそっちに集まるっていう、プラスアルファーをすることによって、お客さんがそっちに流れていくっていう。
なのでラブホテルって基本的にプラス要素をどんどんプラスアルファーしていくことによって、お客さんを寄せるっていう文化ができてきたんですね。
行き着く先がワンダーランドだと私は思って。
ベッドが回ったりとか。
かなり話が飛躍しましたけど。
それぞれにお風呂とトイレがあって、冷暖房があるだけじゃ飽きたらず、じゃあうちはサウナをつけようとか、お風呂はもっと広くしようとか、
ベッドもお布団じゃなくて、もともと連れ込み屋としてはお布団だったけれど、本当にクイーンサイズだったりしようとか。
そういうような流れの中で、じゃあもっとこの客室を魅力的にするにはお客さんが話題にしてくれる。
その夫婦間、恋人同士の中で、そういう話に出てくるようにするにはどうすればいいんだっていうことで、どんどんどんどん部屋の中に要素が足されていくんですね。
時代がちょっと進むんですけれど、1973年に目黒エンペラーという、今も東京の目黒駅の近くに、目黒川沿いにある。
有名なところ。
有名なラブホテル。
で、そこが非常に西洋のお城の近くな外装のデザインで、中も非常に豪華なんですけれども、そこが深夜番組に取り上げられたことで、
ラブホテルのメッカというか、いわゆるみんなが想像するようなゴージャスなバブリーなラブホテルのイメージを作るきっかけとして、目黒エンペラーというものがメディアに取り上げられたんですね。
18:14
そこで目黒エンペラーが非常にブームを起こしたことによって、ラブホテルの経営者はカップル同士がここ行ってみようよっていう話題になるものは、
エアコンだとかお風呂とか設備だけじゃなくて、メディア映えするデザインなんだっていうふうにちょっとシフトしていったんですよ。
簡単に言うと今のインスタ映えと同じ現象が起きてるんです。
なるほど。演出が入ってきたんですね。
いろいろなラブホテルが、じゃあうちもテレビで取り上げられるような、もうバカ不思議な部屋を作ることによって、
深夜番組だとか雑誌に取り上げられて、それを見た視聴者がちょっとネタに行ってみようよみたいな、試しに行ってみようよっていう風にしてくれるように、
メディア映えする部屋をわざわざ作ったんですよ。
ああ、そうなんだ。
テレビが73年から始まっているので、先ほど話したラブホテル最盛期っていうのが、ラブホテルのメディア映え期間というか。
それこそ73年以降経ったものは、よりエンターテイメント。
エンターテイメントの要素が。
それ以前は結構つつましやかな部屋みたいな。
全く的につつましやかなところが多かったですよね。
そうなんだ。
時代によってそうやって変わっていっているっていうところもあるんですね。
ちなみに70年代以降にバブリーなっていう話だったんですけど、
ラブホテルって結構ちょっと時間が経った、ちょっと古いイメージがあって、
新築で、もうそれこそ21世紀型の、今のちょっとライフスタイルに合っているような、
あんまりバブリーじゃないけど、もうちょっと現代の若者とかが求めるような、
そういったラブホテルも登場してるんですか?
もちろん登場していて、今はもちろん私が取材先に行っているようなバブリーな雰囲気の内装というのは、
もう一昔、二昔前のものになってしまって、
今は本当にシティホテルとあんまり大差がないような、
テンクに埋め育ったりとか、リゾートホテル風みたいな、
そういうものになってます。
リゾートホテル風ね。
メディア映えよりも癒しとか、
癒しとか。
そういうような、どんな体験ができるかみたいな、例えば岩盤浴がついてます。
なるほど。
そういう感じのテンションになってきてますね。
21:00
そうなんだ。
それとプラスして、
ラブホテルには1985年に転機が訪れるんですよね。
それは風営法の改正って言うんですけど、
風営法っていう風俗営業法律が改正されまして、
もともと85年より前は、
ラブホテルと普通のシティホテルって法的には戦力がなかったんですよ。
同じ宿泊施設です。
はい。
なんですけれど、
やっぱり70年代からものすごい勢いでラブホテルが増えてしまったんですね。
それで、
やっぱり行政的にもあんまり無視はできない状態になってて、
例えば本当に学校の近くに立っちゃうとか、
そういうような状況も起きちゃったり。
で、やっぱり使われ方もそういう場所だし、
ちゃんと風営法に定める施設としてラブホテルを追加しようということになって、
1985年から風営法に定める施設、
他にも例えばソウプランドとか、
ストリップ劇場とか、
その中にラブホテルがラインナップされちゃったんですよ。
それを持ってラブホテルが建てられる場所だとか、
そういうところにものすごい制限がかかったんですね。
なるほど。
今、先ほどラブホテルってちょっと古いイメージって言われてましたけど、
それは本当に当たりで、
新築が難しいんです。
で、建てられる場所もすごく制限されますし、
融資が受けづらいとか、
そういうカウンターが非常に高くて、
風営法だけじゃなくて、
各自治体が定める条例で、
ラブホテルの禁止条例みたいなのがある自治体もありますし、
なので、これ以上ラブホテルを建てられない場所も非常に多いし、
建てるメリットも事業者的にはない。
そんなふうになっているのが今です。
なんか寂しいですね。
そうなんですよ。
なので、とはいえ、やっぱりラブホテル的な施設って、
さっきもちょっと話した、
日本人のプライベートとパブリックの価値観みたいなところを考えると、
なくなることないんじゃないかなってちょっと私は思っていて、
これだけ日本の住宅状況が良くなったとしても、
なくならないんじゃないかなと思っていて、
何かしら、どんな形であれ残っていくんじゃないのかなとは思うんですけれど、
なんか個人的には、
ちょっと風営法もうちょっと緩めてよっていう気持ちではないですけど、
なんか結構いろんな町の開発を見ていると、
結構建物自体が古くなっちゃっているから、
そもそも建て替えるときに、
24:01
結構壊れていっているのをここ数年で結構見たなと思っていて、
そういう何か事情もあったんですね。
そうですね。
既存不定規格みたいな感じになっているラブホテルも多いので、
大きな回収ができないんですよ。
ねー。
渋谷も結構老舗のところがあって、
なかなかね、その風景がなくなってしまうのは、
それはそれでちょっと寂しい感じがしますね。
結構そのラブホテル街ってまとまっているじゃないですかね、
群衆は。
ああいう風景も、
もう簡単に言うと50年ぐらい経ってるんですよ。
の風景が。
インターチェンジの周りのあの感じとか。
はいはいはい。
50年経ってるんだから、
そろそろみんな注目してやるよみたいな。
注目してやるよ。
なるほど。
もう、外壁バリバリのとか結構ありますよね。
そうなんですよ。
なんかこう、結構やっぱり50年残ってる建物って、
みんなそことか注目するじゃないですか、
他のようなものを。
なんで?みたいな。
確かに、その古さに確かに。
そうなんですよ。
注目して、確かにそれもあるかもですね。
で、
やっぱ50年とか60年、
私が取材したところで、
たぶん一番古いのは60年同じ内装を続けてるところがあるんですけど、
それって、
ラブホテルのラブの部分を外して、
ホテル全体で見てもあんまりないんじゃないかなって思って。
もちろん、
その建物の、建物自体だとか、
あとはそのエントランスとか、
ずっと残してるところ、
そういった部分をもう100年ぐらい残して、
クラシックホテルとかはありますけど、
客室が60年とか残ってるところって、
あんまなくないですか?
でも、そう思うんですね。
それは。
客室とか、
いろんなことが行われるんで、
理解早いんですよね、どんなところも。
なんですけど、
残って60年ぐらい残ってるんですよ。
すごい。
保護してくれよって。
文化財、文化財。
文化財、文化財。
みんな持ってきてみたいな。
面白い。
さっき話していた、
ちょっと話が戻ってしまうんですけど、
ライベート空間、
日本人のライベート空間に対する考え方から考えて、
今後もその、
亡くなっていくことは、
携帯は変わりつつも、
亡くなっていくことはないっていう話だったんですけど、
そもそも、
さっきお話されていた、
その、
戦後の住宅事情から、
そういった場所が求められて、
増えていったっていうのは理解できたんですけど、
なんか、
結構その、
世界中で見ても、
戦後の住宅みたいなところで、
なんかそういった空間が求められるのって、
海外でもそうなんじゃないかなと思ってて、
なんでここまで、
日本で、
ここまですごい表に出てきたというか、
27:00
すごい、
日々目にするレベルまで、
ラブホテルがあるのかな、
っていうことで、
なんかその、
いろんな空間意識の考え方とか、
ちょっとそこら辺を話してみたいなと思いました。
そうですね。
結構そこが、
私でも、
これまでの研究の中で、
なんとなく理解ができているところと、
それにしても発展しすぎなんじゃないかっていうところが、
いまだに疑問なところがあって、
で、
先ほどその、
ラブホテルのざっくりとした、
その流れ、
実はそのラブホテルの源流って、
二つに分かれていて、
一つはその、
連れ込みなどからの流れがあるんですけど、
もう一つは、
アメリカから輸入されたモーテルっていう形式。
はいはい。
ビルディングタイプっていうのがあるんですね。
で、その、
日本に、
モーテルというビルディングタイプが持ち込まれたのが、
東京オリンピックの前年辺りだと、
言われています。
はい。
で、そこに、
モーテルに合わせて高速道路が、
整備されている中で、
ある事業者が、
アメリカにあるモーテルというものが、
日本にもこれから来るんじゃないかということで、
当時は、
アメリカと同様に、
長距離のトラックの運転手さんだとか、
旅行者の人の対象とした、
どちらかと言うと、
観光だとかビジネス寄りの、
モーテルとしてオープンさせたんですね。
なんですけれど、
オープンして蓋を開けたら、
ほとんどのお客さんがカップルだったっていう。
へー。
そういう事が、
そういう出来事があって、
そこから、
モーテルの創業者さんは、
これだっていう、
お客さんの流れを見て、
これだと思って、
次、2号店を横浜に作るんですね。
ちなみに、
モーテルの1号店は、
石川県の加賀市なんですけれど、
2号店を横浜市に作って、
その2号店のモーテルは、
カップル専用にしたんですよ。
カップル以外はお断りみたいな。
そんな感じにしたら、
建物の前に車の行列ができたと。
へー。
そういうようなお話が、
伺ったことがあって。
へー。
それが1968年頃の話になるんですけれど、
なので、
もともとそのつもりで作ったものじゃない、
モーテルが、
日本人のお客さん側によって、
用途が変えられてしまったっていう、
そういう歴史もあって。
へー。
もちろん確かに、
そういうカップルが、
ちょっと二人っきりになりたいから、
モーテル使おうって思う人もいるだろうな、
っていう気持ちは分かるんですけれど、
そういう人たちが殺到したっていう、
そのバックボーンが、
いまだにちょっと分からないところもあって。
なんで殺到したかってとこ。
そんなに、どうしてそんなに殺到したのか、
30:00
みたいな。
で、やっぱり、
リアルタイムにもし生きてたら、
分かったかもしれないんですけど、
生きてないので、
そこの、
時代の空気感というか、
若者の意識だとか、
あとその、
車が、その頃やっぱり、
なんていうんですか、
高速道路もできて、
ドライブデートみたいなものが、
初めて、
そういう言葉ができてきて、
ドライブ、
ドライブすることがデートの目的だったような、
時代だった。
その空気感がやっぱりリアルタイムで、
分からないので、
その辺の、
当時の日本の人たちのメンタルが、
やっぱり、
理解しきれないっていうところに、
ちょっと限界を感じていますね。
それこそ、
渋谷に長く住んでる、
もう60代ぐらいの方かな、
その方に、
お話聞いたときに、
それこそ、
団地が増えてきたときに、
渋谷に住んでいたファミリーが、
お隣さんとか、
上の人、下の人とかに、
音が聞こえたり、
顔がバレているもんだから、
そこではちょっと恥ずかしくて、
できません。
なので、
渋谷に来て、
そういう人たちが、
2人の時間をラブホテルで過ごしていた、
みたいな話を聞いたことがあって、
本当かどうか分からないんですけど、
その人が言うには、
そういう事情で来ている人が、
そういう、
近隣との関係性とか、
住宅の音の関係とかも、
あったんだなと思って。
そうですね。
ラブホテルが増え始めた頃と、
当時、
日本住宅公団って言われてましたけど、
URが、
団地を増殖し始めた頃と、
全然同じなんですよ。
えー!
私もそこのリンクは、
まだそこまで深掘りできてないんですけど、
なのでやっぱり、
その当時、
団地妻っていうピンク絵がありましたけど、
たぶん団地妻、
2人になれる場所を探していた団地妻って、
DRに結構いたんじゃないのかなって思ってて、
面白い。
そこら辺の関係性は、
すごいあるかと思ってます。
ありそうですよね。
確かに。
なんか、
セックスって、
あんまり普段、
おもろになりがちじゃないですか。
でもなんか、
ラブホテルって、
ラブホーって見た目してるし、
なんか通るたびに、
ここで今何人がやってるんだろうかとか、
私考えるんですけど、
でもセックスって、
食べるとか排出するとかと同じくらい、
結構本質的な人間の行為を、
存在欲求ですね。
そうですよね。
街の外に出てるっていうのは、
ある意味で、
33:01
パブリックみたいなものになっているじゃないですか。
パブリックじゃないかなみたいな、
その逆転がすごい面白いなと思って、
今アムステルダムに住んでるんですけど、
アムステルダムも、
ちょっと面白い法律で、
飾り窓とか。
飾り窓とかありますよね。
公園、あるよね。
フォンデルスパークは、
セックスとドラッグOKな公園。
パブリックスペースでOK。
なるほど。
ちなみに、
公園で思い出してましたけど、
戦後直後、
45年、46年あたりの、
最もカップルがセックスしてた場所って、
公園なんですよ。
新宿御苑とか、
日比谷公園とか。
そうなんですね。
茂みとかで。
もっぱら茂みだったんですよ。
多分、公園自体は、
やむを得ずっていうところも、
もちろんあったと思うんですけどね。
だからこそ、
室内っていうものが、
非常に求められてたっていう。
なるほど。
具体的に、
ときめくおすすめラブホテル、
ベスト3ぐらいは、
例えば、
これはオーナーの情熱を感じるな、
この機能は、
稀に見る機能だ、
みたいな。
難しいんですよ。
すごい難しいんですよ。
トップ3、
取材したところ、
どこも素晴らしいんですよ。
最近、
グッと来たものとか、
どうでしょう?
そうですね。
本当に、
めちゃくちゃ最近の話なんですけれど、
広島県に、
この前、
出張がてらまたフィールドワークに行きまして、
ホテルの名前が、
夢の国って、
すごいかわいい、
かわいい的な名前なんですけれど、
これ、
音声だけで伝えるの、
めちゃくちゃ大変なんですけれど、
お風呂場が、
2層吹き抜けなんですね。
え?分からない。
県中がめっちゃあるってことですか?
県中がすごい高いんです。
そこにお風呂があるんですけれど、
2階から、
お風呂の湯船に、
滑り台がついてるんですよ。
2階の滑り台から、
お風呂の湯船に、
チャポン持って、
行けるスタイルなんです。
すごいな。
それだけでも、
やべーぞここって感じなんですけど、
2層吹き抜けの、
壁って結構長いじゃないですか、
滑り台の上の2階に、
ベッドがあるんですけれど、
ベッドが、
円形で、
さらに、
プラスチックでできた、
36:01
球体のカプセルの中に入ってるんですよ。
これ言葉で伝えるの、
めちゃくちゃ大変なんですけど、
そのカプセルが、
2層吹き抜けの壁を、
突き抜けて半分はみ出てるんです。
ベッドから、
ベッドに入ると、
カプセルがちなみに半分透明なんですけど、
透明なカプセル越しに、
滑り台が見えるっていう、
これ、どう設計したんだろう、みたいな、
どう図面引いたんだろう、みたいな、
カプセル入れましょう、みたいなね。
こういうような部屋を見ると、
作る側の気持ちをすごい考えちゃうんですよね。
遊び心ありますね、めっちゃ。
見るたびに、
あ、所詮私が発想することなんて、
本当に凡人レベルなんだな、
自分は天才じゃなかったんだな、
みたいな、そんな気持ちにさせられるんですよ。
発想は、ちょっと度肝抜かれますね。
そうなんですよ。
なるほどね。
そういうところに一人で行って、
淡々と写真を撮ってました。
でも滑り台は乗ったんですか?
滑り台からお風呂に入ったんですか?
怖かったんで、
これ多分本来だったら、
全裸で入る、
滑るんだろうなって思ったんですけど、
確かに。
摩擦が怖いなって思って、
とりあえず、
滑って空のまま、
着衣で滑ってみました。
普通に怖かった。
ちょっと控えめに滑ったんですね。
これ、一人でシラフで楽しめないなって思って。
そう、なんか、
二人でめちゃくちゃテンション上がらないと、
これ楽しめない気がするなって。
確かに。
確かに。
すごいな、そんなのがボカボカあるわけですね、
日本中に。
ボカボカあったんですよ。
今、もう、
いろいろほどしかないですけれど。
もう、本を作って、
2013年に出版して、
2011年から12年にかけて取材をして、
本を作ったんですけれど、
それが出版してから7年経ちましたけど、
この本に収録したのは、
全国の33軒のラブホテルなんですが、
もう半数以上が閉店、
もしくは大幅な改修をして、
跡形もなくなっています。
なるほど。
それを維持したりするのも、
かなりコストがかかると。
そうですね。
やっぱり、建築の寿命的にも、
取材をして、
それを維持したりするのも、
かなりコストがかかると。
そうですね。
取材をしていた時期が、
ギリギリだった感じもあって。
なるほど。
そうなんですよ。
もう取材した直後に、
閉店したところもあるし、
大きく建て替えちゃったところもあるし。
ちなみに、
今、ギリギリ行っておいた方がいい、
39:00
ってところはありますか?
見ておいた方がいいぞっていう。
結構、東京がいいですか?
東京近郊がいいですかね?
そうですね。東京近郊だと、
多くの方が。
さっき、初めて取材に行った
ラブホテルが、
SM専門のラブホテルだったって話が
ありましたけど、
それが、東京の
阿佐武十番にあるんです。
阿佐武なんだ。
超オシャレタウン。
ホテルカワラは、
六本木ヒルズだとか、
東京タワーが見えるような場所なんですけど、
そこに、
そこも確か、
創業40年超えてるんですけど。
おー、老舗。
SMの館として、
こう、あれなんですよ。
阿佐武十番のオシャレタウンを歩いてると、
ふと現れるんですよ。
ホンテッドマンションみたいな建物が。
そうなんだ。
そこに行くと、
本当に作り込まれた、
その客室、
もう、フェティッシュな客室が、
全て、
確か、
20数部屋あるんですけど、
全てその世界観で包まれてるんですよ。
すごーい。
それを40年以上続けてるんですよ。
すごーい。
ネットウォッチで、しかも。
で、
お値段は、
非常に高いとこなんですけど、
高いとこだと、
1泊3万越えるんですけど、
特殊な器具とかもあるので、
そういうことか。
なんですけど、
裏というか、
日の目を見なかった、
日本の技みたいなものが見れました。
ここ。
日本の技?
日本人の技みたいな、
なんて言うんですか、
日本人の技術みたいな、
その一つの世界観を作り上げる、
特注の、
多分、製品ではない、
特注の家具とか、
謎の器具とか、
横のファンもいる。
これは一つの日本の姿だよな、
みたいな、
これは本当に多分、
海外の人も驚くような、
クオリティーなんですね。
はい。
あれですね、
大使館が結構近いところもあって、
海外のファンもいらっしゃるという噂を聞きました。
なるほど。
なるほど。
はい。
ラブホテルのお客さんの話は、
本当に秘密事項なので、
オーナーさんから、
お客さんから、
オーナーさんへインタビューをしても、
絶対に、
話はされないんですけれど、
そういう話は、
うっすらと。
海外のお客さんも多いラブホテル。
なるほど。
あんまりラブホテルに、
日本に、
海外から観光に来て、
ラブホテルに行くっていう人、
そんなに多くないんですけれど、
でも、たまに海外の観光のガイドを見ると、
42:00
ラブホテルって、
ご紹介したりして、
遠くしてる人は、
多少いるんだなっていう。
うんうんうん。
なるほど。
今日、千夏さんのお話を聞いていて、
そういった空間を残していきたい、
伝えていきたいっていう思いを、
すごいひしひしと感じたんですけど、
これから、
いろいろまた日本が、
いろんな街の作りとか、
いろんな空間とか、
変わっていく中で、
今後も研究を続けていく予定なんですけど、
どんなことをしたいとか、
次はこんなことを知ってみたいとか、
ラブホテルに関わる野望みたいなものがあれば、
最後にお聞かせいただけますか。
本当に野望はいろいろあって、
やりたいこととか、
行きたいところとか、
いっぱいあるんですけれど、
残ってほしいなとは思いつつも、
でもやっぱり、
取材を重ねれば重ねられるほど、
やっぱり今の人には、
受け入れられないだろうなっていう感覚も、
やっぱり持っていく。
やっぱり、
淘汰されるものはされるんだろうなっていう、
そういう冷静な感情も持っていたりしていて、
なので、
保存会みたいなことは、
逆にあんまりしたくないんですよ。
やっぱりそれは時代に任せて、
変わっていくのがラブホテルだし、
それが自然な姿だなと。
思っているので、
なので、
絶対にこの時代の古き良き、
この昭和の姿を残していきたいというよりかは、
ちゃんと、
この時代にこんな場所がありましたっていうことを、
私自身が苦労した分に、
今後、
ラブホテルに興味を持った研究者や、
いろんな人たちが、
苦労しないように、
今後、
ラブホテルに興味を持った研究者や、
いろんな人たちが、
苦労しないように、
ちゃんと、
写真、文字、
時には絵だったり、
いろんな方法で、
ちゃんと残していきたいなっていう、
それがありますね。
なるほど。
ちゃんとアウトプットしていきたいっていう。
3時間話せますね、これ。
お酒飲みながら、
ちょっと、
私たちは同い年なんですよね。
同い年の平成女子で、
ちょっと盛り上がれそう。
そうですね。
昭和と平成の狭間を生きながら、
そうですね。
語り合いますよ、これ。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。楽しかったです。
今後もこの番組では、
年をテーマに様々なおしゃべりを繰り広げる予定です。
次回もお楽しみに。
44:42

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