1. Good News for Cities〜都市に関する炉辺談話
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2024-11-01 56:08

【#150】持田敦子さんに聞く「豊かな解体」ゆっくり豊かに解体をすることで見えてくる人の関係性

今回はアーティストの持田敦子さんをゲストにお招きしました。解体のプロセスに見えてくる人の関係についておしゃべりしました。 持田敦子さん https://atsukomochida.jp/https://www.instagram.com/atsukomochida.jp/ ◉トピック ・持田さんとの出会い ・現在のインスタレーション作品に至った経緯 ・最新の作品について ・解体って何なのだろう ・持田さんの最新ドキュメンタリー「解体」について ・解体のプロセスにあるアート ・Yukako/Mariko的なこれからの解体 「解体」映像記録 予告編 https://youtu.be/ymhWXHQHAbw?si=4Cp27WxKXQwDCMNK 11/1(金) <東京>★TODA BUILDING内覧会 11/2 (土) <東京> TODA BUILDINGパブリックアート公開 京橋彩区グランドオープン <大阪>★MASK 10th Anniversary Special Program トーク、パフォーマンス~ https://mask10thanniversaryprogram.peatix.com/view <名古屋> 愛知芸術文化センター12F アートスペースA イメージフォーラムフェスティバル「解体」映像記録上映~ http://www.imageforumfestival.com/2024/images/IFF2024_flyer.pdf 11/3 (日) <大阪> MASK open ~    ★千鳥文化「解体」映像記録上映~  木ノ下智恵子さん青山真也さんとトーク https://atsukomochidakaitai.peatix.com/view 11/4 (月祝) <大阪> MASK open ~    ★千鳥文化上映 ~  西村周治さん大島賛都さんとトーク https://atsukomochidakaitai.peatix.com/view 11/10 (日) <京都> 出町座 イメージフォーラムフェスティバル「解体」映像記録上映 ~ https://demachiza.com/movies/16198 ◉Follow us Good News for Cities ⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/good_news_for_cities/%E2%81%A0%E2%81%A0%E2%81%A0%E2%81%A0 Mariko⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://linktr.ee/MarikoSugita%E2%81%A0%E2%81%A0%E2%81%A0%E2%81%A0%E2%81%A0%E2%81%A0 Yukako⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://linktr.ee/YukakoIshikawa%E2%81%A0

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皆さん、こんにちは。杉田麻里子と石川由加子です。
Good News for Citiesは、都市、建築、町づくりに関する様々なグッドニュースをザックバランに話す番組です。
はい、皆さんこんにちは。
今日はですね、アーティストの持田敦子さんをお迎えして、解体についてお話をしていきたいと思います。
持田さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そして、お久しぶりでございます。
お久しぶりでございます、本当に。
いつぶりかな?我々の出会いは、え?1年前?2年前?
いや、最初はオンラインだよ。
あ、そうだよ!やばい!そこから話さなきゃ。そうじゃん。
そうだよ。
やばい。
と考えると、5年前ぐらいですね。
5年前。
コロナ。
コロナ前だよね。
前だよね。
そうそう。
コロナで行けなくなってしまったね、私たちが参加予定だったドイツのアーティストインレジデンスで、
ここに唯一に1人日本人が来てるっていうので繋いでいただいて、それが持田敦子さんでした。
ね。
で、オンラインでね、話したんだよね。
フェイスブックでメッセージが来て、それでなんか、どんな感じのレジデンスか教えてほしいみたいな感じだったっけ?
持田さん、あの時も終わって帰ってきてた?
そうそう、結構前ですね。ベルリンにいた時なので、何年かな?今、自分のウェブサイトのCPUを見ればわかるんだけど、いつもそういう検索の仕方してるんだけど。
便利だよね。
やばいね。
便利。
でも、なんだかんだ、それがフォーシティーズのきっかけでもあるから。
そうなのね。
そうだね。
でも、その時はフォーシティーズを立ち上げるみたいなのもなくて、とりあえず2人でレジデンスを応募していけそうだから、行こうみたいな感じ。
あ、そうだったんだ。
そうそうそう。
2016年ですね、私が言ってたのは。10月から12月。
なんかね、話した時に、持田さんと同い年やんみたいな感じになって、なかなかご縁が繋がっていったみたいな感じですよね。
そうそう、そうなの。
その後は西村組での再会かな?
そうだね。
そうだね。
我々がアーバニストインレジデンスに長田っていう神戸市の長田区でのレジデンスをしている時に、持田さんとも会って、
ちょうど私たちが滞在していた西村組っていう、我々のポッドキャストにもよく登場する神戸の廃屋を専門とした建築集団が作っていたお家に私たちが滞在していて、それを見に来て持田さんに再会する。
持田さんも西村組と今もプロジェクト続いてますよね。
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そうですね、なんだかんだで、その時は私2人はアーバニストインレジデンスで滞在してて、私は神戸市がやってるリパブリックっていうプロジェクトに招待されて、それのリサーチで来てたんだよね。
そうか、事前リサーチで来てたのか。
そう、事前リサーチで来てて、西村組にその時点で一緒にやったらどうかという話があって、それは是非是非ってなって、
西村組物件に滞在している今アーバニストの2人がいるから、もしかしたら今いるかもしれないからって感じでノーアポで突撃した気がするんだけど、たまたま2人がいてくださって、超良かった。
超良かったから、そこで初めて対面であったよね。
そこからだよね。
2人もその時点ではリパブリックに入るかどうか決まってなかったけど、是非一緒にやろうよみたいな話をしたよね。
私たちもリパブリック神戸っていう、神戸市の観光経済家が仕掛けていたアートイベントでもあり、パブリックアートを再解釈するっていうようなコンセプトの芸術祭に我々も参加することになって、また数ヶ月後に再開し、我々宿が一緒であったっていう。
そうなの、嬉しい。
楽しかったね。
お二人がすごいリサーチで駆けずりもあるから、いろんなところを、超情報を持ってて、すごいこっちも教えてもらって、そうなんだ、そうなんだみたいなのもあったし、
あとは2人のハードプリ、ハードワーカーっていうか、ハードプレイヤーっぷりに超びっくりしたんだけど。
スタミナがね、スパルタなんですよ、フォーシティって。
確かに。
もち田さんこそハードに見えるけど、でもあの時にね、ベイビーたちもいたからね。
そう、子供がちょうど、2人私いるんだけど、下の子がまだちっちゃかったから、神戸には下の子と一緒に来てたんですよね。
そうだよね。
というところで、もち田さんの紹介。
こんなでいい?
じゃあちょっと簡単な紹介をぜひお願いします。
これから深掘っていくのですが、一旦。
そうですね、私は、今はメインでは大きめのインスタレーション作品をメイン作っていて、建築物に介入したりとか、形を変えたりとかするような作品が多いんだけども、
もともと美術教育を始めたのは日本画から始めていて、その後、日本画4年間、大学で勉強したんだけど、絵がやっぱり下手すぎて、どうにもならなくて、インスタレーションの表現を始めるようになって、
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そこから芸大のセンターに行ったり、ドイツのファウハウス大学というところのパブリックアート&ニューアーティスティックストラテジーズというインターナショナルな科学があって、そこで2年過ごしたり、さっきも話に出た設計優というレジデンスにもいたし、色々レジデンスとかもちょこちょこ参加させていただいたりしながら、今に至る感じですかね。
今はあれですよね、長野県の飯田市を一応ベースに活動しているっていうところで。
去年度までは飯田市だったんだけど、4月からかな、移住をさらにして、飯田よりもさらに奥地の大鹿村っていうところに今いて、
大鹿村。
なんかスーパーが一軒もないって言えば、大体のイメージがつかれるかもしれないんだけど。
じゃあ山合いってこと?結構今。
山だね。超山の中に今はいます。
面白い。
まちださん結構色々意外だなと思うことがたくさんあって、すごいハードな結構建築的なインスタレーションを作って、むっちゃ都会に住んでるのかなと思いながらそういうところに住んでたりとか、
あとなんか結構海外のイメージもあって、そのね、ZKUに参加してたとか、ドイツで勉強してたとか、結構なんかあの政府のとか、なんか色々女性勤の制度とかを使って海外、シンガポールとかでリサーチしてたりとか、
いつもどこにいるかわからないなと思いつつ長野にいたりとか。
大鹿村にいるとインチ立ってるよ結構。
キャラもなんかあの私最初思い描いてた餅田厚小僧と会ってみたら結構違くて、それもすごい良かったです。
逆にどんなどんなだったの最初って。
作品が結構ゴリゴリハードじゃないですか。家を切って回したりとか、なんかそうね作品の話をちょっとリフナーさんにもちょっとイメージを伝えるためにすると、
なんかこうね、空き家を丸く切ってそれを回したりとか半分に切って半分浮かせたりとか。
おばあちゃんの家だったっけ。
あの回すやつはおばあちゃんの家だね。
おばあちゃんの家も。
あとあの大阪の北香谷とかにね、なんかあの常設で見れるところあるじゃないですか。
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単管がダーって組んであってそこは伸ばれるようになってたりとか、とりあえずスケールがなんかでかくてハードだから。
でも実際の厚子さんはとてもポップな感じというか。
ポップな感じ。いい風に言ってくれたねずいぶんね今ね。
でもその家を切ったり回したり、そういう作風というかそういうことにチャレンジし始めたのはいつ頃で、それはきっかけとしてはどういうものだったんですか。
えっとなんだろうな、最初に日本画をやってたって話をしたんだけど、
あの日本画、武蔵野美術大学っていうところの日本画をやってて、
そこはなんか日本画って結構ねなんか素材論みたいなのが大事になってきて、その日本画の定義ってなんだろうみたいな話もあるんだけど、
一ついろんなねその政治的歴史的文脈があるんだけど、
一つ言いやすいのがその岩絵の具とかに皮を使って書くっていう素材論的な側面があったりもして、
まあそれ使って日本画になるかってわけでもないし、他の材料使ってたら日本画じゃないんかって言ったらそういうわけでもないんだけど、
まあ簡単な括りとして日本画といえば、自分で煮革っていう要するにゼラチンみたいなやつをふやかして溶いて、
それに岩を砕いたザラザラとしたような岩絵の具っていうのを溶いて、
それで絵を描いていく、それこそ和紙とか絹に描いていくっていうような、
まあステレオタイプって言ったらあれだけど、そういう基本的な考え方もあって、
まあそういうのがあるから、大学生もその素材を研究するんだよね最初。
自分でその石を砕いて絵の具にしてみるとか、泥を集めて、
それを煮立てるじゃないけど乾燥させて、それを絵の具にするとか、
私も頑張りたいみたいな気持ちだけはあったから、誰よりも大きい絵を描こうとしてた時期があったの。
だから大きいパネルとかを一生懸命作ったりとか、変形のパネルとかを作ったりとかしてたのもあって、
で、壁みたいなものもすごい好きだったから、
なんかそのパネルから結構壁に派生していって、この壁に直接描いたりとかするのをだんだんするようになってて、
で、何つうの、絵画ってさ、上手な人の絵っていうか、いい絵って絵に力があってさ、
絵の中に取り込まれるような力があるじゃないですか、わかる?
それでうちの日本画の先生とかも、ご自分の絵画世界を構築しなさいみたいなことを言ってたりとかして、
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絵画世界ってさ、上手な人じゃないとできないわけ。
私はそれがあんまりできなくて、だからその絵画世界に引き込まれるような絵画世界は作れないから、
絵画の方を世界に出してくると、なんかの効果が得られるんじゃないかと思って、
それこそ壁とか床とかに描き出して、そのうちなんか自分で壁を作るようになったり、
空間の中に絵を点在させるようなものをしてたんだけど、
なんか一回すごい失敗した時があってね、なんかすごいそれがうまくいかなくて、
もう本当に絵はダメなんだと思って、そこで一回ズドーンと落ち込んで、
その後作った作品がインスタレーションの壁っていうタイトルの、
自分のベッドルームの壁を大学の校舎にぶっ刺すっていうだけの作品なんだけど、
これを日本画の卒業制作として出しちゃったので、絵筆を一筆も使わないインスタレーション作品を出しちゃって、
そこで先生方の評価も割れて、評価的にはすごい低かったんだけど、
そこがインスタレーションの始まりかな、インスタレーション作品として舵を切ったのはそこが始まり、
そこからだね、
私がベラベラ喋っちゃって申し訳ないけど、
卒業した時点では自分のポートフォリオ的にはインスタレーション作品が一作品しかなかったから、
とにかく数を増やさなきゃと思って、どっかインスタレーションができる場所がないかなと思って探してたんだけど、
あるじゃん、オープンコールとかもあるからいろいろ出したりとかしてみるんだけど、
そもそも日本画にいたし、現代美術とかインスタレーションのキャリアの積み方がそもそも分かってなくて、
逆に有名どころのオープンコールとか出して見事に散るみたいなのを何回かやって、
そうだよねって話なんだけど、一作品しか今までやったことがないから。
やっとやれたのが、大学の近くの中学校、
普通にパブリックの中学校なんだけど、そこの校長先生がむさびの卒業生で、
学生時代にちょっとお付き合い、教職のプロジェクトでちょっと関わらせていただいたりした、
すごい理解のある学校があって、
美術の先生もすごい頑張る、すごいいろんなことをトライしたいっていう感じの先生だったから、
むさびといろいろやってたんだよね、一緒にプロジェクトを。
そこの先生に個人的に会いに行って困ってますっていう話をしたら、
教室の空き教室を使っていいって言ってくれて、
一人レジデンスみたいな感じで、別に何のインスティテューションもないんだけど、
ただ学校に通い詰めて、第2作品目の壁を作るみたいなアートをしたりとか、
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じゃあ学校をやっている状態で、学校の一説を借りて、
隣から授業の声聞こえてる中で石膏ボード削りまくってますようになってて、
休み時間とかに学生とさんが来て、何やってるんですか、壁作ってますみたいな。
もちろんそういう入り込み力が半端ないですね。
皆様の優しさで。
それで結構大型のものとか立体的なものを作り始めたってことなんだ。
確かに環境がないと大きなものって作るの難しいもんね。
そうなんですよ。だから本当に最初はそうやって、そういうとこでやったり、
友達の量産ゼロの展覧会に誘ってもらって、
アパートの一室で単館組んでみたりとか、
小戸島に瀬戸芸見に行って、そこで目の施工を現地で担当してた大工のおじさんが、
たまたま目の作品の前に私がいたら、かき氷か何か皆に差し入れで持ってきて、
そこのおじさんと話してるうちに仲良くなって、
ティーコって呼んだけど、ティーコの工場に泊まらせてもらって、
ティーコの軽トラ乗せてもらって、小戸島の中を巡って、
いい感じの廃墟を見つけて、そこでアートをやりたいとか言って、
それも本当に誰もお金とか出してくれない、自分一人のあれなんだけど。
すごいティーコは優しいっていうか、やってみなっていうタイプの、
自然的な心がある人だったから、
なんかいろいろ、やっぱ島だからさ、皆繋がってて、
その廃墟の解体業者が知り合いだったらしくて、
その解体業者さんにプレゼンして、解体中のホテルだったんだけど、
一回作品作らせてくださいって言って、作らせてもらったりとかして、
でも後から知ったんだけど、そこは幽霊スポットで有名だったらしくて。
誘惑があったんだ。
そうそう。でももうその時は必死だからさ、
なんかもう怖いとか言ってらんなくて、
その時まだ車の免許とかもなくて、本当にティーコの軽トラに。
ティーコの代わりだね。
ティーコがいないと無理、もうそれは。
それでなんかもうこれはやばいなと思って、これは続けられない。
ティーコがその時はいたからいいけど、
なんかその世界的に見てティーコ的人口っていうのは多いから。
ティーコ的な人は確かに貴重そうだね。
そう、そうだ。
だから、そこからちょっともう一回現代アートちゃんと学ばないとなと思って、
海外の大学も検討したんだけど、英語力なさすぎて、
最初の募集要項みたいなの読み切れなくて、
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なんか読み切れた頃には、提出締め切りすぎて。
やばい、やばい。
その頃まだGoogleトランスレートとかもそんなのなかったから、
確かね、あと推薦書とかもいるじゃん。
そういうのも知らなくて、その辺のところまで行き着いた頃には、
もう締め切りがもうみたいな、一週間後みたいな。
なんかそんな感じで、海外、ニューヨークの大学院を調べてたんだけど、
そこは行けなくて、芸大の募集がまだだったから、
芸大のセンターに応募して、
その頃、小戸島とか学校でやってたりとかしたから、
もう自分のポートフォリオ的にはこういう方向性っていうのがある程度分かってたから、
ポートフォリオで出して、撮ってもらって、
で、芸大の大学院に2年間行ったけど、それはめっちゃ良かったけど。
ドイツはいつ行ったの?
ドイツは、海外はずっと行きたかったから、
芸大始めた1年目にまず交換留学で、
外書を出して、ドイツのバウハウスに行ったんだけど、
交換留学だったの?
そうそう、1年目は交換留学で、
でも最初に作った作品がたまたま学内証を取れて、
教授的にも、あつ子、グッドジョブみたいな感じになって、
正規生として受け入れてくれるよっていう話になったので、
そこから正規生に変わって、入試とかも受けて、もう1回。
で、交換留学で1年分の単位は取ってたから、
残りの1年は正規生としてやって。
編入みたいな感じで。
そうだね。だから芸大って2年間休学無料なのよ。
だからその2年間をフルに使って海外にいて、
それで芸大とバウハウスと行ったり来たりしながら単位を取ってて、
って感じかな。で、両方卒業したけどフル単位取って。
なるほど。そういった奇跡があっての、今の餅田あつ子という作品が生み出されてるんだっていう。
なんか壁、壁、壁とかよく言ってるから、なんで壁なんだろうみたいなのを、
今日ようやく聞けてよかったという。
本当にそう、壁大好き。
結構芸前から壁だったんだけど。
そうですね。壁と階段はすごい自分の中の重要テーマみたいなのね。
なんかそんな意識してるわけじゃないんだけど振り返ると結構そうで。
なるほど。確かにあの単管を組んだ大きな印象的な階段のインスタレーションみたいなのは結構餅田さんといえばみたいな、
すぐにパッと頭に思い浮かぶ作品かなと思いながら聞いてましたね。
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でなんかそういうふうにいろいろこう、長い学生時代も過ごしながらいろいろ作っていったと思うんですけど、
最近の、あの最近今作ってるものとか発表これからみたいなところがいくつかあるので、その話もできたらいいなと思います。
はい、ぜひぜひ。
今、そうね、私たち今日解体の話するって言ってたけど、全然解体の話にたどり着かなくて申し訳ないんだけど。
今はちょっと階段って言ってくれたから階段の話をすると、今までで最大規模の階段の作品を今作ってるところで、
なんかそれは11月の2日から一般公開されるんだけど、
戸田建設っていう、ゼネコンなのかな、建設会社さんの新ビル、自分の自社のビルを東京駅のすぐのところ、アーティゾン美術館の隣に今ちょうど本当に建ててて、
一般にオープンするのが確か11月2日からで、そこのパブリックアートとしてめちゃでかい階段作品を中と外、ビルの外にも入れているので、それはぜひ東京駅に行かれる際は、
普通にパブリックアートだから、普通に見れる。
エントランスフィールドとかもないし、普通にパーッと入って見れるので、ぜひぜひっていう。
大きさはどれくらいなんですか、これ。
縦が16メートルくらいかな。
もうロビーみたいなところに入っているのかな。
そうそう、吹き抜けのロビーと外と、外は建築の法律があって、4メートル以上になると許可申請が必要なので、
4メートルギリギリ行かないところまでの高さでやってるんだけど、中はほぼ天井近くまで積んでるので。
なんかこの戸田建設も面白いなと思って見てたんだけど、結構そういうアートプロジェクトというか、アーティストと共にこれまでも結構やっているんだね。
そうそう、ビルをちょうど、今新しいビルを建ててるって言ってるけど、元々あった古いビルを壊すときも展覧会をやっていて、黒瀬さんがキュレーションしてた。
それもすごい、私もただ観客として見てて面白い展覧会だったんだけど、そういうプロセスもちゃんとアーティストと一緒に街に開くような活動もしてるし、
トレンドといえばトレンドなのかもしれないけど、工事中の囲いの柵のところにもいつもテーマを決めて、アーティストと一緒に展覧会みたいなのをやっていて、すごくそういうところにも自覚的な会社さんですよね。
はい、それで解体の映像コンロ公開になるじゃないですか、それはパブリックアートとか都立建設とは関係なくの?
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そうなんだね、これはまた別で、何年から何年だったかな、もともと飯田に住み出したのがコロナ始まった直後ぐらいだったんだけど、
そこでコロナもあって、ちょうどそのタイミングで子どもが生まれたのもあって、あんまりいろんなところに動けなくて、飯田市で何かプロジェクトをやりたいなと思って、
その飯田市をうろうろしてたら、すごいいい感じのお家があって、それを使いたいなと思って、いろんな人に話を聞いて、オーナーさん探して、やってるときにどんな作品にしようかなって思うんだけど、
私それこそ今までずっと大きい作品を作ってきて、そのときに解体をどうするのかっていうのがすごい問題になることが多かったのね、私の作品ってあんま長く残せなくて、それこそおばあちゃん自慢した作品とかも私的にはずっと残したい、少なくともおばあちゃんが亡くなるまではずっと残しておいて、
もしおばあちゃんに何かあったら、たむけとして私が解体しようかなって思ってた感じだったんだけど、おばあちゃんのほうからちょっと怖いし、不安だから早く壊したいみたいなのがあったりとか、そもそも芸術祭とかで作ってると、おばあちゃんのプログラムは全然芸術祭とかじゃなくて、自分の個人のプログラムだったから、予算とかも誰からも取ってないから、私とおばあちゃんの関係性だけなんだけど、
そうじゃなくて、公的な予算が入っているプロジェクトとかだと、芸術祭の予算ってさ、粘土予算っていうか、だから作る予算っていうのは出るんだけど、その時に解体の予算まで見ないといけないっていうのもあって、じゃないと解体どうするのって話になっちゃうじゃん。
解体費用ってめっちゃ高いから、アートの制作予算ってそんな大きくないじゃない、何十万とかさ、100万いくとは大きいねみたいな感じだけど、解体費用って普通に200万とか300万とかいくじゃん。
だから普通に家とか使うってだけでも、解体費用の方がかかるじゃんみたいなのがあって、解体って何なのよみたいなもどかしい気持ちがいつもあって、自分的には作品残したいし、だけど解体しなきゃいけないっていう。
しかも超金かかるっていう、その辛い解体っていうトピックを何かもっと面白くできないかなと思って、解体自体をアートのプロジェクトにできないかなというアイディアは結構ずっとあって、その言い出しの部件を見た時に、
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三軒長屋っていうか三軒の家がつながっている家だったんだけど、そのうちの一軒のオーナーさんが解体業者さんだったの。
すごいよね。
これはヤバいと思って、一緒に解体しましょうっていう、一緒に楽しく解体しましょうっていうプレゼンをして、
ちょうどそこの社長さんと奥さんが動く理解のある方々で、めちゃめちゃ面白い人たちで、もちろん先代の会長さん、もともと社長だった人は、もうちょっと普通の会社経営の人っていうか、バンバン壊してやっちゃいいんじゃんみたいな感じの人だったんだけど、
私が声を掛けさせていただいた時点の社長さんは、すごく地域貢献みたいなことにも非常に意欲的だったし、従業員の方々の解体ってものに対する意識とか気持ちをもっといいものにしていけるんじゃないかみたいな気持ちもある方だったので、すごい私の言うことに賛同してくださって、
一緒に家をゆっくりゆっくり壊しながら、私が形を指定していって、解体の技術を使いながらリシェープしていくというか、家の形を変えていって、都度都度工場を止めて、家庭の形を地域の方とか予約制の一般公開にして、見たい方に見てもらうツアーをするみたいなプロジェクトをやって、
最終的には解体のプロジェクトだから、サラチンにまでしたんだけど、
そのプロジェクトの今までと特に違うところっていうのは、私も初めてドキュメンタリーを撮ったっていうので、もともとドキュメンタリー撮る予定なかったんだけど、
自分の技術的にも全然できないし、私カメラとかめっちゃ下手で、パッションもないのに下手すぎて、いつも撮った後がっかりするから、全然嫌なんだけど、解体のプロジェクト自体はこれやりたいなって思った時点で、いろんなところに女性を申し込んだんだけど、
たまたま撮ってくれたのが三菱商事のアトゲットプログラムっていうところで、そこが400万円出してくれたんだけど、そこのメンター制度みたいなのがあって、専門家の人が3人くらい、いろいろ年に2回くらい、アドバイスをくれるっていうシステムがあって、
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で、その中の一人だったら倉谷美香さんっていう横浜美術館のキュレーターの方が、青山信也さんっていう映画監督の方がいるから、その方も同い年なんだけど、その方は間違いないから、その方に頼んで一緒にドキュメント撮ってみればみたいな、このプロジェクトは特にお前がどうしたいかとか、作った形がどうこうってよりも周りの人が面白いから、
それを撮っていった方がいいんじゃないのかって言ってくれて、そうかと思って、青山さんと一緒に、最初はもっと15分くらいの短いクリップにしようと思ってたんだけど、なんかインタビューが良かったから、長くなって50分の尺になって、そうそう、1時間弱だね。
そう、それが公開されるんですよね。なので、3年ぐらいやったの?このプロジェクトは。
そうだね、ドキュメントも含めれば3年ぐらい。プロジェクト自体が動いてたのは2年ぐらいだと思うんだけど。
その作品を言い出しっていうところで作ってた3年の奇跡を、今週の11月1日からドキュメンタリー映画として公開していくっていうところですよね。
今回その作品がイメージフォーラムフェスティバルっていうのにノミネートされて、東京会場は実はすでに上映が終わっちゃってるんだけど、ありがたいことにそこで観客賞もいただいて、
今から今後のスケジュール、公開スケジュール的に言うと、まず名古屋で11月の2日だね、土曜日。
2日か。
2日の土曜日の3時45分っていうところで、愛知芸術文化センターで上映があるんだけど、これはイメージフォーラムフェスティバルとしてだから、他の作品も一緒に見れるので、
すごいセレクトされた東アジアからいろんな400作品くらいかな、応募作があった中でセレクトされた作品が私のだけじゃなくて、いろいろ前後して上映されるので、ぜひそれも併せてご興味ある方はチェックしてほしいんですけれども、
餅棚は11月2日の3時45分間っていうのと、11月の10日に京都の出町座っていうところでもイメージフォーラムフェスティバルの枠で上映があります。
なので名古屋、京都の方は11月2日と11月10日ぜひチェックしていただきたいなっていうのと、
あと11月の3日4日、日曜と月曜祝日なんだけど、餅棚の企画として千鳥文化っていう北香谷の面白いスペースがあるんだけど、
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日本でも屈指の面白い利土部建築があるんだけど、めっちゃいいよねあそこ。私も結構利土部建築いろいろ見てきたけど、そこはかなり大好きな千鳥文化で、日曜日は2時から4時で上映会をして、
そこでは木下さんというマスクのキュレーター、すごいずっと大阪の北香谷の変遷を見てきたキュレーターさんと映画監督の青山さん、解体をディレクションしていただいた青山さんと一緒にトークを一緒にするのと、
11月4日の月曜日、祝日も2時、4時で上映するんだけど、それの時は神戸の西村組の組長西村さんと、
西村さん来るのか。
青島さんと、青島さんという大阪ベースの方をお呼びして、マネーの話とかも含めてトークできたらいいかなっていう感じでやっているので、今は名古屋、京都、大阪のお話をしたんだけど、東京でももう1回最後に上映会をする予定なんだけど、それは年明けの予定なので、
1月ぐらいってことかな。
1月、2月かなっていう感じ。
まだ絶賛調整中。
はい、ありがとうございます。私たちもちょっと先に出てね。
うん、見せていただいて。
視聴させていただいて、むっちゃ良かった。
ありがとう。
映像もすごい素敵だったし、音楽も良かったし、インタビューの内容もすごい良い引き出し方がされていたし、もう超おすすめ。
もう1回見たいなと思っています。
いくつか印象的だったシーンがあるんだけど、
なんか餅田さんがさっき、私がどうこうっていうよりも、なんか周りの人への影響みたいな感じで話してたと思うんだけど、まさになんかそれが現れているなと、そのプロセスがこの映像作品で見れたなと思っていて、
なんか最初はこうあんまりわかんないとか、なんかただ危ないだけと思っていた解体業者の社員さんたちが少しずつなんかいいなって思うようになっていった、その2年間の軌跡みたいなので、なんかそこのプロセスでなんか起きてるみたいなのが、なんかすごい伝わったというか、豊かな解体ってこういうことなのかなみたいなのを見ていて思いました。
36:05
あと餅田さんがね、リサイクルと一緒で、リサイクルもかつては時間もかかるし、コストもかかるし、みたいな思われてたかもしれないけど、今それがスタンダードになっているみたいな考えたときに、こういうふうになんか早く安くとりあえず壊すみたいな解体の現場が、もっと例えば時間をかけたりとか、
いわゆるこの映像の中では豊かな解体っていう言い方をされてるんだけど、そういう壊し方、解体の仕方をするっていうのが今後のスタンダードになっていくんじゃないか、みたいな投げかけがすごい面白いなと思いながら見ていました。
あとさっきも言ってたけど、家をね、自分で探して気に入ったところにこじつけ、そこがたまたま解体業者だって、持ってるとしか言いようがないっていう始まりからスタートしてるのもやばいなぁと思ったりね、今まりこさんが言ったようにやっぱりゆっくりと時間をかけたからこそ関係性自体がそもそもなんか作品なんだなっていうのをすごく思ったし、
なんか最後のインタビューとかでも、その新しい社長がどういうふうに解体をアップデートしていくかみたいなところに日常に持って帰っているみたいなところでも、なんかこれ自体がなんか作品は壊れてしまったけど、技術の試行錯誤とかアップデートみたいなものに、
もしかしたら長い時間、未来から今を振り返った時には、ここがターニングポイントで新しい解体の技術が生まれたとか、プロセスが生まれたみたいな瞬間になっている可能性があるなぁと思うと、結構震えるなぁと思いながら、それがすごく伝わってくる映像でした。
ありがとうございます。嬉しい。
どうぞどうぞ。
どうぞどうぞ。
あとちょっと感想の続きでいくと、ネタバレにならない程度に話したいんですけど、
アートの力ってこういうことなんじゃないかなって思ったシーンがあって、
どなただろう。
たぶん新しい社長さんかな。
一番インタビューが長かった方。
佐々木さんかな。
すごい素晴らしい言葉をたくさん話されていたなと思って聞いていたんだけれども、
彼自身ももともとこういうのをやりたいみたいなアイディアがたくさんあって、
でもそれを何でやりたいのかとか何でやるのかっていう説明が言葉ではできなかったみたいな話をしていて、
予算のこととか考えると別に採算も取れないようなこと、でも何かいいからやりたいみたいなふわっとした思いを、
39:03
例えば他の社員だったりとか他の人たちに伝えることが今までできなかったんだけど、
今回町田さんのこのプロジェクトを一度みんな経験したから、
今後こういうことをやりたいみたいな、このなんかいいねみたいなのを共有したときに周りにああああみたいな、
なるほどって言ってもらえるんじゃないかなっていう期待がありますっていう話をしてて、
なんかすごいこれアートの力、町田さんの力だったなと一番感じたポイントで、
なんかそういうこう、なんかいいねに力を与えるというか、
そのいいねって思える風景を一時的にでもみんなで作って共有するみたいなところが、
なんか魔法だなと思って、その町田さんの魔法を見た感じがした。
すごい素敵。ありがとうございます。
そうなのよね、なんかそれの言葉とかってさ、
意外と私それこそ、普通に美術作品を作ってると、
そこまでフィードバックをもらうタイミングがなかったりするのね。
なんだろう、なんだろう、やっぱりみんな恥ずかしいしさ、
あんまりその心の内をさ、言わなかったりして、
なんかその、だけど今回そのインタビューをね、
してみんなに改まって話を聞いたから、
そういう宝石みたいな言葉がたくさん出てきて、
私もそれはすごくびっくりして、なんか、
なんかもちろん私は作っているし、そのコミュニケーションを取っているから、
何かが起こっていたりとか、その面白がってやってくれてるかどうかぐらいまでは
わかるんだけど、改めてこうやってカメラを向けてインタビューを撮ると、
本当にどう思っているのかっていうのをちゃんと言ってくれて、
そこにはなんだろうな、ちょっとテレとかさ、
なんだろうな、ちょっと自分、ちょっとよく言うとか、
そういうことももちろん含まれているんだけど、
今回のビデオでもね、なんかそのネタバラシみたいなのが一番最後に
あったりとかもするんだけど、なんだろう、
だけどなんだ、私もね、初めてこのインタビュー、
ドキュメンタリーを撮って、改めてなんかその作品が、
なんだろうな、ただできました、で写真撮りました。
で、なんか、なんだろうな、みんなに見てもらいましただけじゃなくて、
実際関わってた人たちがどう思ってどう変わっていくのかっていうのを
私も改めて見せてもらって、すごい感動したんだよね。
すごく今回そういう機会がもらえてよかったなと思って。
で、上手でしょ、青山監督が。
うん、上手。
すごく上手で、で、音楽もすごい素敵な方に作っていただいたので、
よくできたなと思って、
まあ低予算だったんですけど、すごく頑張っていただいちゃってっていう。
42:02
なので、ぜひせっかく作ったから、
いろんな方に見ていただきたいなっていうことでございます。
うん。
ありがとうございます。
なんか、もし聞いていいなら、
さっき言ってた解体のスタンダードが変わるかもしれないみたいな話に
ちょっと引き寄せて、せっかくこの機会があるから2人に聞いてみたいのが、
お2人もそれぞれ解体について、いろいろリサーチをしてるから、
お2人にとっての今面白い解体とか、今後起きていくべき解体みたいなのが
どんなものかも聞きたいなと思ってるんだけど。
私は聞いてもらった、
あのポッドキャストでもちょっと話したんだけど、
ソーシャルグリーンデザインってちょっとこう、
4シティーズとは別団体でやってる活動の中で、
虎ノ門の解体現場に関わる機会があって、
その時に次に建てる建物のための、
そして将来的なこの地域の土地のために負荷をかけない、
土地にとって良い解体方法を、
ランドスケープの人と考えるっていうような、
ランドスケープデザイナーの人たちと考えるっていうようなことを
ちょっと携わらせてもらったんだけれども、
そういう意味でも、
コスト感みたいなものもやっぱり話に上がってくる中で、
それを次の素材として生かすみたいなところで、
材料費をトレードオフするだとか、
結構まだまだ工夫できるところはあるなっていうふうに思ったのと、
今それこそみんな土とか、
土中環境とかいろいろな話を出て、
環境にとっての良い建物とか場所の在り方みたいなのを考えている中で、
建ててからのことではなくて、
やっぱりこれからどんどん都市だと壊されていくものっていうものは、
避けられない中で、
その土地との良い関係を作る解体とか、
地下の中のデザインみたいなものすごく興味があって、
そういうものを解体のプロセスの中で組み込んでいけないかな。
むしろ、解体することでどんどん土地が豊かになってくるとか、
周りの水環境が豊かになってくるとか、植物が豊かになってくるとか、
生き物が解体することで増えるとか、
そういう技術とかプロセスを考えていきたいなっていうのは、
今考えているところです。
そう、解体自体はそうなんだよね。
なんかすごいさ、めっちゃ面白いから、
本当にマジで大事なイベントとしてまず捉えてほしいよねっていう、
早く作るためとか、次の目的のためにパパッと詰まそうじゃなくて、
それ自体をすごく素敵なモーメントにすることもできるし、
すごく価値のあるものにすることもできるし、
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例えばさ、高層ビルとかも高いから、
その建築みたいな考え方もあるじゃん。
その一部分だけ解体することで建物の形を変えるとか、
すごくいろんなやり方があるよね。
そうだと思う。
それをもっと提示したり投げかけて、
ちょっとこうディスカッションしていくとか、
考えていくみたいなことは、
ぜひどんどん仕掛けていきたいなっていうのは思うかな。
マリコさんどうですか。
私は京都でこの2年ぐらい本当に色々解体してて、
私自身も。
今私が運営しているブリッジスタジオっていう、
元小児科の病院を改修して使っているところなんですけど、
そこも今も解体を続けているというか、
加える部分もあるし、
逆に剥がしていくシーンもあったりとかして、
それに関しては更地にするっていうのではなく、
減らしていく、建築に近いようなことをボランティアの人とかにも
入ってもらいながらやっていて、
今回の餅田さんのこのドキュメンタリーの中でもあったんだけど、
バーテンダーの人、大工さん兼建築家兼バーテンダーの人の話で、
建築っていうと作ること、加えること、
更地の上に何か建てることみたいなのが前提としてあって、
解体とか減らすこと、更地にすることの技術とか、
そのプロセスって全然そもそも違うし、
あんまりそこには目が行っていなかったんじゃないかって、
本当にそのコメントその通りだなと思って聞いていて、
加えるもの、建てるものに関しては有名な建築家とかの
芸術作品としてフューチャーされたりするけど、
減らしたりとか壊したりとか、更地にしたりとかいうところに
芸術を見出すみたいなことって、今まであんまりなかったなというのを、
私の意識としても自分で剥がしたりとかしながら思ってて、
この1年ぐらいかけてみんなで剥がしたりとか片付けたりする中で、
最初はすごい辛くて、いつになったらクリエーションができるんだろうっていうのを
ずっと考えてたんですよ。いつになったらこの解体というか、
片付ける、解体すべきところが終わって、
自分たちの要素を加えられるんだろうって思ってたんだけど、
ある日、この減らすこともクリエーションだよみたいなことを
誰かに言ってもらってハッとしたというか、
どこを片付けるべきなのかとか、どういうプロセスで剥がしていくのかとか、
そこの間の人間模様とかもいろいろあって、
人によってはここもいらない、ここ全部剥がして、
一旦ゼロにしようみたいな人もいるし、
人によってこれは残したいみたいな人もいたりとか、
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いろんな意図がそこで行われて、
これ本当業者を入れて一気にやってしまったら数日で終わるようなことを
数ヶ月かけてみんなでやったりとかする中で、
今回の映画のキーワードでもあったような豊かな解体みたいな、
クリエーションというか想像的行為としての解体みたいなところに、
今、私も現場にいさせてもらっているなというのをすごい思いますね。
なので、解体業者さんだけじゃなくて、
確かにちょっと危険を伴う作業ではあるんだけど、
素人でもできる部分とかあるじゃないですか、
アンティアの人とか、
最近だとDIYワークショップみたいな感じで、
解体一緒にしませんかみたいな、
よく見るし、
そういう形で、
剥がしていくと、
この建物の構造ってこうなってたんだとか、
もともと住んでた人の糸がそこにあったりとか、
痕跡とかね、
痕跡が隠れてたりとか、
そういう面白みがすごいたくさんあるから、
みんなで今後やってみたいなって思うのが思いましたね。
あと、やっぱり日本家屋って、
大地に帰るんだみたいなのを改めて思っているというか、
大きなビルみたいなものと、
土と木でできた、竹でできた日本家屋の解体って、
また次元が違うというか、プロセスも全然違うと思うんだけど、
私の知り合いで、
山口純さんっていう人がいて、
田舎とかに行って、
古い民家とかが飲み込まれて廃屋になって、
ほぼ大地に一体化しているみたいなのを見ると、
多くの人は悲しいとかいう気持ちになると思うけど、
山口さんは美しいと思っていて、
確かに大地に帰るしかない素材で作られているなあというのを、
自分でも手を加えていて思う。
それ、やっぱり美しいと思う。
それ、やっぱり美しいというか、素晴らしいことだなと思いますね。
私、最近尾道に行ったんだけど、
迷宮堂とかも見てきたんだけど、
エリアを歩くときに、迷宮堂の大谷さんっていう人が、
もともとライプチューヒで日本の家とかやってたから、
日本の家のときに知り合ってたんだけど、
だから尾道に初めて行ったんだけど、
エリアを見てくるねって言ってたときに、
上のほうとか行くと、
家々が山に飲み込まれてるからっていうのを言ってて、
神戸とかもそうなんだけど、
本当にそうやって重機入んないとか、
人の手が入りづらいところは、
どんどん自然化していくんだよね。
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私も飯田のプロジェクトでもそうだったんだけど、
全部が砂になるっていうか、
天井裏とか剥がすとさ、
ザーッと砂が落ちてくるじゃん、
ホコリと一緒に。
そういう感じで、
全てが柱もアリに食べられてさ、
どんどん細くなっていって、
それがだんだん砂になって土になっていくみたいなのが
本当に感じられて、
グッとくるよね。
うん、グッとくる。
そこにまた何を残すべきかって、
リノベとかもそうだと思うんだけど、
結局何を残すかのセンスだと思うんだよね。
こんなものって思われがちなものを
かっこよく切り取ると、
リノベにしか出せない味になるみたいなさ、
さっき言ってた千鳥文化もそうなんだけど、
どう考えても強くないけど、
人の手が入って、
人の手が入って、
まか不思議な造形みたいな、
誰かの思いとか、
誰かの意図みたいなのを
どれだけ大切に、
慈しんで残していくかっていうのが
リノベ建築の味になっていく気がするの。
それが千鳥文化は
ドットアーキテクトさんのペーストなんだけど、
すごいなって思ったのもあるし、
その交換じゃないけど、
その、
なんかそれが
唯一無二のものになっていくなと思っているんです。
なんかいつか、
もち田さんと一緒に、
一緒に建築、
建築じゃない、
解体現場に入ってみたいなっていう風に
思っております。
なんかね、
面白いのは、
私、解体のプロジェクトを
やっぱり、
三菱商事の社員さんたちにプレゼンする機会があったんだけど、
三菱商事大きい会社さんだから、
海外での火力発電所の建設とか、
やってる社員さんが
私のプレゼン聞きに来てくれて、
なんか火力発電所って何年って言ってたかな、
25年だっけな、
なんかめちゃめちゃ短いスパンで
もう使えなくなるんだって。
えー、そうなんだ。
そうそう、なんかその時聞いただけの話だったんですけど、
数字とか間違ってるかもしれないけど、
とにかく結構短い期間で使えなくなるらしくて、
めっちゃいいじゃないですか、
みたいな解体呼んでくださいよ、
みたいな感じで言ってたんだけど、
そこからすごいなんかそういう、
壊さなきゃいけないものとか、
そういうものは絶対世の中にたくさんあるから、
そこをいかに
そこにお金をかけるのが当たり前、
そこに手をかけるのが
一番大事だと思うんだけど、
なんかそこにお金をかけるのが当たり前、
そこに手をかけるのが当たり前になってほしいなって、
私の仕事を増やしてくれっていうところで、
今なんか来年の3月から
ドイツのレズデンスに行く予定なんだけど、
そこでも一応解体のプロジェクトを一応やるっていう
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プロポーザルで取ってもらってるので、
まあ規模の代償はちょっと置いといても、
まあ大きいプランで出してるんだけど、
私の、
私だから、
いつも大きいプラン出して泣きながらトリビッグしていく
作り方をいつもするから、
まあ大きいプランで出してるんだけど、
それは原子力発電所があるから、
ずっとガルトだから、
原子力発電所の解体をするっていう
プランで出してるんだけど、
できないとは思うけど、
なんかそういうのもやりたいなと思って、
そう、
いますって感じだね。
いやー、
あの、
お育てもしながらむちゃくちゃ、
毎年パワフルに海外にも行きながら、
いろんな活動を展開している、
あの、
同い年のみとして、
私はもう頑張らなきゃなっていつも、
もちろんあそこを見ていると思います。
あの、
1時間ぐらい話しちゃったんですが、
そうだね、ごめんね。
楽しかったです。
これからの活動、
ぜひリスナーの皆さんも見ていただければいいなっていうのと、
とり急ぎ、
あの、
戸田建設さんの自社ビルの戸田ビルで、
パブリックアート見れますよっていうことと、
西日本の人は、
名古屋、京都、大阪の人は、
この話してきたドキュメンタリー解体を、
実際に映画館で、
あの、
見ることができますっていうのと、
東京県の人もね、
1月、2月ぐらいにまた上映会があるということなので、
ぜひ楽しみにしておいていただければと思います。
じゃあ、
今日、
餅田さんありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
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